5月19日は、9時起床の朝であった。
特殊栄養ドリンクをクピリとやって、
ただちに「女性原稿の人」となっていく。
11時半には、これを東京方面にガッシン。
ちょいと一段落の気分といいたいところだが、
ただちに書きかけの世界構造本の原稿についての打ち合わせ。
さらに「慰安婦」本はどうなっているのかと
別の編集者からの連絡もある。
「なるようになるわな」と
釜玉うどんをゾゾゾゾゾ。
キャリア方面の小仕事を継続し、
12時半には、外に出る。
JR「加島」から「西宮」へ、
車中「天皇の人」となって移動する。
1時20分から、ゼミの4年生3名とともに
上野ゼミへのお邪魔である。
本学で長く歴史を教えておられた佐治先生の
「半生」をうかがう会である。
1928年に台北で生まれた先生は、
後に台湾総督府の専売局長ともなる父上のもと
台湾で、植民地支配者の子として少年時代をすごされる。
ご自身も「台湾人」への差別意識を禁ずることはできず、
それが戦後の「心のトゲ」になったと語られる。
90分がとても短い時間であった。
今後も継続の予定である。
3時からは「3年ゼミ-天皇とドイツとアメリカと」をやっていく。
まず先に映像を見る方が、
5時間の使い方としては、いいのかも知れない。
学生たちの報告レジュメにもとづく議論を
もっと凝縮にしていきたい。
軽食休憩時間に、東京方面から
「明日までに感想を述べよ」
との新たな小仕事が舞い込んでくる。
ゼミは、8時ちょうどの終了である。
授業のまとめを書き、「慰安婦」レジュメをちょいと整理、
憲法やらキャリアやら、ゼミ名簿やら
多角的に小仕事をすませて、
10時前には、大学を出る。
世間は、雨の夜であった。
JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ、
車中「天皇の人」となって帰宅する。
豚を焼き、今夜も野菜をパクパクパク。
新聞をながめ、「慰安婦」本の編集作業をすすめ、
講演先にレジュメをガッシン。
そうこうするうちに、
6月23日の西宮に3人の「慰安婦」被害者が
来られるとの連絡が入る。
手帳を開くと、23日は月曜日である。
時間の都合が良いようなら、
3年ゼミで丸ごと参加としてみたい。
とりあえず、月末までは「走れ、走れ」の日々である。
コメント