6月27日(日)は、7時半起床の朝であった。
ノロノロと動いて、
8時半には、ホテルのロビーに集合である。
ただちに靖国神社に移動する。
日曜日だが、一頃ほどの参拝者はない。
マスコミへの露出度が下がったことが大きな要因。
それは、神社運営の財源問題にもつながっていく。
今年の解説は、東京平和委員会のH川さん。
何度もお世話になっている。
「英霊」に「あがって」いく戦前の
双六(すごろく)の紹介から、話は始まる。
今と昔の靖国像の比較をする。
いまも飾られている日清戦争の戦利品の石獅子である。
常陸丸殉難記念碑。
境内のさまざまな戦跡・記念碑を順に見る。
こちらは西伯利亜(シベリア)出兵時の田中支隊忠魂碑。
台座の「感状」には「過激派軍討伐ノ為」とある。
ロシアの革命軍のことである。
「日本陸軍の父」大村益次郎像の前で。
境内にあるお土産屋さんのお菓子。
右から「国民のための自民党・かりん党」
「よみがえれ自民闘」
そして、左端のガンダムならぬイシダムは、
石破茂氏をモチーフにしたもの。
靖国に参拝しなかった「鳩山サブレ」は消えていた。
こちらは戦艦大和のようかん。
そして、こちらは、見たとおりのTシャツ。
お土産屋さんの横にならんだこれらの植木は、
一般参拝客から、「コスプレ」右翼を見えなくするもの。
この左手に、陣取ることが良くあるから。
靖国史観の一方で、たくさんの参拝者を招くための
地道な経営努力もされている。
「英霊にこたえる会」による署名の訴え。
「靖国にかわる慰霊碑建設に反対する100万人署名」である。
富国徴兵保険相互会社が寄贈した大灯籠のレリーフを見る。
戦後も「例大祭日」は、天皇によって決められた。
「勅裁」は、天皇の許可という意味である。
大阪砲兵工廠でつくられた第二鳥居。
台湾檜でつくられた大きな神門をくぐりぬける。
純白のハトを育てる鳩舎である。
これは、はじめて間近で見た。
ただし、近隣への「ハト害」もあり、
数は減らされているらしい。
この鳥居の奥が、古い方の招魂斎庭。
こちらは、鳥居さえない、鎮霊社の前。
ここには、靖国に祀られていない日本人と、
1853年以降の「世界各国のすべての戦没者」が
祀られている。
朝鮮からの戦利品である「北関大捷碑」(ほっかんたいしょうひ)
がおかれていた場所。
2005年に、韓国をつうじて、北朝鮮に返された。
バックが拝殿であり、
さらにその奥に屋根が見えるのが本殿である。
こちらが新しい方の招魂斎庭。
宇宙を舞う死者の魂を、戦死者の名簿に落とすという
大切な儀式の場所なのだが、
いまは、ほとんどのスペースが99台分の駐車場に。
1台、月4万円。
独立した宗教法人としての運営努力である。
パール判事碑の前で。
現在の靖国案内には、外国語版にもこれが紹介されている。
こちらは、軍犬・軍馬・軍鳩の碑。
鳩は文書の他に、カメラマンのフィルムなども運んだそう。
12時ちょうどには、つかれて遊就館にたどり着く。
例によって、海軍カレー、冷し海軍コーヒーの昼食とする。
お土産コーナーをまわってみると、
軍隊食、サバイバル食などの販売があった。
こちらが1Fフロアの様子。
1時から、2Fにあがって、
ここからが「文字による靖国歴史観」の見学となる。
ジックリ時間をかけてまわると、すでに4時に近くなった。
展示の中の「柳条溝」は、「柳条湖」になおされていた。
訂正は、ごく最近のことであるらしい。
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