9月8日(水)は、7時半起床の朝であった。
学生たちは、3時すぎまで議論をつづけていたらしい。
オレンジジュースで立ち上がる。
「今朝はパン」と聞いていたが、
学生が、お粥ともやし炒めをもってきてくれる。
普段はあまり食べないが、
これは、残さず食べずにおれない。
すでに、みんな今日のユニフォームを着込んでいる。
夕べまでの緊張ばかりの顔とは違った笑顔。
話し合いの「成果」があらわれているのだろう。
焼き肉で手なづけられた(?)2匹の犬。
向こう側の犬には、「かみつきます」の看板がある。
「ナヌムの家」の正面映像。
こんな看板は、今年はじめて。
ハルモニと、スタッフのみなさんに、
お土産の品を渡していく。
そして、10時すぎには、バスに乗り込む。
退院したばかりで、今日の集会に参加できない
イオクソン・ハルモニ(去年も一昨年も証言を聞かせていただいた)と
言葉をかわして、かたく握手。
「来年、また来ますから、お話しを聞かせてください」。
バスの中、またしても、学生たちはグデリと眠る。
効率的といえば、効率的。
11時すぎには、タプゴル公園に到着。
1919年3月1日の独立宣言が読みあげられた場所である。
独立宣言の全文が石碑にあり、
独立運動の志士たちの石像がある。
運動の様子と、それを弾圧する日本軍の様子を記録した
10枚ほどのレリーフをながめる。
こちらは、馬の尻尾に髪をくくりつけ、
日本の軍人が女生徒をひきづりまわす図の前で。
急いで、水曜集会の場に移動して、
12時ちょうどの到着となる。
用意した横幕を、全員で広げる。
曇り空にもかかわらず、
例によって、日本大使館のブラインドは
ひとつ残らず降りている。
黄色のゼッケンをつけているのが、
「慰安婦」被害者のハルモニである。
当然のことながら、学生たちは緊張のおももち。
ここでも、ビデオ、カメラ撮影班は、がんばっていく。
今日は、934回目の集会だが、
踊りや演奏など、文化行事が多かった。
大きなカメラは、ドイツから来たクルーのもの。
かたわらで韓国右翼が騒いでいたが、20分ほどでいなくなる。
「独島(竹島)は韓国のもの」とがなっていたが、
騒いでいるのは1人だけ。
あとの2人は、騒ぎの写真を写すだけ。
時折、水曜集会のジャマをしにくるらしい。
発言の順番となり、全員で集会参加者の前に出る。
そして、夜中まで考えた原稿にそって発言する。
発言の最中にも、緊張が高まる学生たち。
日本でもこんな集会には参加したことがない。
勇気をふりしぼっての行動である。
感極まる学生もある。
発言は3人で分担して行った。
発言の内容は、また後日。
通訳は、いつものYさんにお願いした。
1時間の昼休み集会が、
大きな拍手のうちに終わっていく。
昨日、「ナヌムの家」でお会いしたI内先生も参加されており、
「オール連帯」事務局長のT内さんともお会いする。
さらに、フェリス女学院からは、
3人の先生がこぞって参加されており、
「明日は、学生たちと25人で『ナヌムの家』へ」とのことである。
こうして、取り組みの広がりと
交わりが感じられるのはうれしいもの。
Tシャツ1枚では、ちょっと寒かったので、
集会参加者たちでの昼食の
あたたかい鍋の火にあたっていく。
涙を流した学生のところに、
「どうして泣いたの?」とか
「記念写真をとらせてほしい」など、
何人かの参加者がやってくる。
同じ場所で食事をとった
ハルモニたちを見送っていく。
「お元気で」「また会いましょう」。
2時半すぎには、バスに乗り込み、
ホテルに向かって、もどっていく。
そこから先は、明日の朝まで自由時間。
一皮むけた学生たちが、
一番リラックスできる時間となる。
こちらは、4時ちょうどから、
キッパリ、ビールをやっていく。
お相手は、「ナヌムの家」長期滞在中のこの2人。
大学では、よく顔をあわせる2年生と4年生だが、
人の育ちの多様性、人生の長い時間、
学び、就職活動など、
あれやこれやを、説教もまじえて、しゃべっていく。
今夜の「ナヌムの家」では、送別会があるとのことで、
2人とは7時すぎに、おひらきとする。
つづいてYさんと、飲む計画だったが、
連絡がうまくやってこない。
昼食の際に、こちらがケータイ番号を、
まちがって
伝えた可能性がある。
もし、そうであれば、まったくもって申し訳ない。
また、次の機会に。
早々にホテルにもどり、
9時からBSで「刑事コロンボ」なんかをながめ、
1人ゆっくり飲んでいく。
12時すぎには、寝たのだろう。
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