9月9日(木)は、9時半すぎの起床であった。
よ~く寝た。
オレンジジュースをクピピと飲んで、
10時15分には、ロビーに集合。
10時半には、チェックアウト。
「3時半まで」「5時半まで」、
夕べの学生たちは、たっぷり羽をのばしたらしい。
食事の場所へと移動する。
韓国のクルマは右側通行である。
そして、運転は結構スリリング。
車線変更なんぞは、「力ずくが基本」に見える。
11時すぎには、朝昼兼用の食事をとる。
こちらは、さっぱり冷麺に。
キリッと冷たいスープに、
細くてしっかりとした麺がなつかしい。
食後は、西大門刑務所むけて移動する。
渋滞で、時間がかかるあいだに、
雨がポツポツ落ちてくる。
1時前には見学開始。
獄舎の中に展示がある。
独立運動の志士たちを監禁し、
拷問し、殺害していった場所である。
ガラスケースの展示以外は、すべて撮影自由とのことである。
去年までより、ずっとオープン。
撮影班も、はりきっていく。
こちらは、小さな独房である。
「万歳 併合詔勅」を「あがり」とする当時のすごろく。
展示を解説してくれる李さんの言葉に、みんなはメモをガシガシと。
それが、日本に帰って役に立つ。
こちらは、朝鮮での日本語教育の素材のひとつ。
これは日本語の「読み方」についてのテストそのもの。
今回は、あまりロウ人形が目立たなかった。
大きな改装がつづいているので、
展示がこまめに動いているのだろう。
いまも残っている「八紘一宇」の石碑。
次の棟に移動していく。
戦争が泥沼に進むにつれて、
日本の軍と政府による朝鮮支配が
どんどん過酷になっていく。
天井には、朝鮮人の勤労奉仕(強制労働)などの映像が。
学校で、各種の行事で、読み上げられた
「皇国臣民の誓詞(ちかい)」。
官幣大社朝鮮神宮。
天皇信仰のための神社であり、
天皇のために死ぬことを求める神社でもある。
「創氏改名」の届け出をすすめる文書。
「誰にもわかる氏の解説」。
これも同種のものである。
これは改名の苦渋の届け出文書のひとつ。
戦場に動員される朝鮮の若者。
それを日の丸の旗が送る。
「慰安婦」についての展示もあった。
「身も心も捧ぐ大和撫子のサーヴィス」。
資料を見ながら、学んでいく。
書き込んでいく。
考えていく。
終わりの方には、自由に感想が貼り付けられるコーナーも。
日本人が書いたものも、少なくない。
これはおそらく若者だろう。
外には、小雨がずっと、つづく。
ハンセン病患者を隔離するための獄舎。
撮影禁止の処刑場。
絞首刑の現場がそのまま残っている。
そして、死体をはこんだトンネル。
復元作業がつづく、この敷地はとても広い。
それがソウルの市街地に、ドシンと場所をとっている。
3.1独立運動の英雄、ユガンスも投獄された、女性の独房。
当時のままの監視塔。
ここが最初に入った展示の入り口である。
2時にはすべての見学を終え、
バスの中にもどっていく。
「3泊4日の旅行全体を終えて、
いま、どういう感想をもっているか」
「何が印象に残っているかを自由に話してほしい」。
その内容は、こちらに、すでにアップした。
ものごとをカラダで学ぶ意義は大きい。
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