2月15日(火)は、10時すぎ起床の朝であった。
青汁コーヒーをクピリとやって、
ただちに「メールパチポチの人」となり、
「ジェンダー連載原稿の人」となっていく。
原稿を最後まで書き終えて、
昼は、ひさしぶりの凶悪粘り丼をつくっていく。
ともかく、なんでも、ズルズル
いっしょくたにして食べていく。
ま、ハラに入れば、おんなじだあ。
メールは、原稿、講演、ジャージなど。
私鉄「連帯」の会の講演録にも手をつける。
長いが、自分でしゃべった言葉である。
なんとかしていくほかないのである。
2時半には、外に出る。
ダンボールを所定の場所に出し、
JR「加島」から「尼崎」へ、
ミドリ電化で、レーザーポインターを買っていく。
先日、宇治の講演中にダメになったもの。
スイッチがもどらなくなってしまったのである。
JR「尼崎」構内にもどったところで、
兵庫労連のT川議長とバッタリ遭遇。
「今日は、これから丹波へ」
「それじゃあ、夜はうまい酒が飲めますねえ」
「いやいや、ワハハハ」。
そんな会話を、ちょっとだけ。
JR「尼崎」から「西宮」へ、
車中「戦後史の人」となって移動する。
まずは教務課に成績原簿を提出、
つづいて、教育開発センターで
関係書類をホイホイホイ。
事務室で書類や本を受け取り、
それから、研究室にリッュクを置く。
今期の答案が入らないので、
保存されていた過去の答案を
まとめてシュレッダーにかけていく。
なんとまあ、机の引出しの奥から
1999年の答案が出てくる。
なつかしい名前(と点数)を見ながら、
30分がかりで裁断していく。
研究室にもどると、97年卒のゼミ1期生からメールがあった。
そうか、もう、そんな年代になっているのか
って、京橋の「山葵」の経営者を
見ていれば、当たり前のようにわかることであった。
5時をすぎたところで、あわてて大学を後にする。
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