最初に6月の東京学習ツアーの相談。現地での懇親会の手も打ち始める。
映像『帝国海軍勝利の記録』を見る。
1942年のもので、大本営海軍報道部が監修したもの。
テキスト『日本近現代史を読む』を、ともかくドンドン読み進める。
第12章「日中戦争と戦時体制の始まり」から第15章「開戦後の国内支配体制の強化」(加藤さん)。
第16章「中国戦線の日本軍」から第18章「戦局の転換」(片岡さん)。
第19章「敗戦」(喜多さん)。
重視したことの柱は、次のよう。
①蘆溝橋事件を発端としたとされる1937年からの日中全面戦争が、33年からの華北分離工作の実行であったこと(106~7ページ)。
②全面戦争開始直後には、朝鮮では37年10月から「皇国臣民ノ誓詞」が制定され、子どもたちに毎朝斉唱させるようになる(122ページ)。
③日本のドイツとの提携論が、最初からアジアにおける植民地再分割への発言権確保を目的としていたこと(127ページ)。
④日米開戦にいたる交渉の最大の争点が、中国からの撤兵問題であり、それが双方の側からする植民地獲得の願望の激突ではなかったこと(141ページ)。
⑤直前の41年8月発表された大西洋憲章は、戦後の領土不拡大、奪われた主権の回復などを掲げており、これが後に連合国全体の戦争目的となっていく(153ページ)。
⑥43年11日に日本政府が開催した大東亜会議と大東亜共同宣言は、大西洋憲章を強く意識し「大東亜を米英の桎梏より開放」するとしたが、「帝国領土」の拡大方針はまったくかわっていなかったこと(154ページ)。
⑦それが、当初「自存自衛の為」とされ、途中から「大東亜新秩序」建設のためとし、最後には放棄されていく日本政府の戦争目的の混乱にもあらわれていく(くわえ大東亜新秩序論については、ドイツとの提携のために「白人帝国主義」批判を押さえ込むものとなっていた)(155ページ)。
⑧44年6~7月のマリアナ海戦での敗北で日本の敗北は決定的となるが、アジア太平洋戦争期の戦死者の過半数は、これ以降の戦死となる。さらに、日中戦争以降の全戦死者230万人のうち60%が広義の餓死者。「散華」して「英霊」となることの実態はこのようであった(163~4ページ)。
⑨「慰安婦」問題をとらえる視角のひとつに、植民地支配のあり方、当時の女性の人権の問題の他に、日本軍のあり方が重視されるのはそのような兵の扱いにも一因がある(123ページ)。
日本の侵略戦争は、連合国側に、植民地体制からの脱却の萌芽が生まれた時期に、これに周回遅れで戦いを挑んだものであった。
最後に、映像『太平洋戦争史--血塗られた硫黄島、悲劇の島 沖縄』を見る。
こちらは1950年代にまとめられたアメリカの映像。
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