4月25日の講演は夜の7時から吹田の市民会館で。労働学校と労連の共催とのこと。JR「吹田」で降りたのは初めてだが,アサヒビールの工場をグルリとまわって会場へ。
与えられたテーマは「さらば勝ち組・負け組」。参加者には20代の若い方が多く,「歴史を少していねいにしゃべる必要があるか」と判断してみる。
1)資本主義の経済に格差はつきもの。「格差なき社会」「勝ち負けのない社会」が目前の課題ではない。問題の1つは競争の結果下位におかれた者が,人権の守られない状態におかれる現実。2つは「勝ち組・負け組」論が90年代後半から,社会問題・政治問題を個人の問題にすりかえる意図をもって普及されている事実。課題は格差を余儀なくする資本主義の社会にあって,誰もの人間らしい生活を守る社会・政治の機能が侵されていること。
2)近年の「人権の守られない状態」を直接につくったのは,主に労働市場改革と社会保障改革。労働分野では日経連による95年の「新時代の『日本的経営』」が象徴。あわせて社会保障分野でも「自助・自立・共助」といった言葉で,90年代前半から公的保障が後景に退かされる。その制度改革を合理化する言葉として「自己責任」「勝ち組・負け組」論が広げられる。「社会保障はたかり」「失業は本人が役に立たないから」と主張する竹中平蔵氏が,あわせてこれら政策を推進する中心に立つ。
3)これは憲法「改正」問題にも直結している。25条は「すべて国民は」とその生存権を国家(自治体)が保障することを定めている。その生存に「勤労」が不可欠との立場から,直後の27条で勤労権を国家が保障することを定めている。生存を本人まかせにしない「文明」発達の一環として,18世紀から人権思想が成長する。最初は「白人の男だけ」からはじまる人権だが,20世紀には「すべて」の人の権利にまで。「勝ち組・負け組」論横行の背後ある制度改革と,その合理化論はこの人類の知恵の成長に逆行するもの。
4)憲法の生存権は制定以後つねに単なる理念としてあったわけではない。60年代から70年代にかけ社会保障の拡充が駆け足ですすんだ時期がある。主体は革新自治体づくりの取り組み。京都の蜷川府政が実現した「高齢者医療の無料化」が東京の美濃部都政に広がり,さらに黒田大阪府政にも。その過程で中央の自民党政府自身が73年には「福祉元年」を宣言し,国政での高齢者医療無料化を実施せずにおれなくなる。この革新の主体は政治家や政党とともに「住民運動」と呼ばれた市民の取り組み。
5)その成果を堀崩す政財界からの巻き返しが70年代半ばから行なわれる。共産党とともに革新自治体をささえた社会党が80年には完全にこの道を離れ,政党配置は「共産党vsオール与党」となる。70年代前半に「賃金爆発」を実現した労働運動の分断も,春闘つぶし,労働戦線右寄り再編としてすすめられる。この政治的力関係の転換のもと,81年からの第二臨調行革によって社会保障制度の毎年の改悪が開始される。当時の臨調の責任者は経団連名誉会長の土光敏夫氏。89年には労働戦線右寄り再編の成果として「連合」が結成された。「人権」の理念も,その実現をめぐるリアルな力の衝突の中にとらえる必要がある。
6)この現実の「人権軽視」の政治の延長に自民党の「新憲法草案」があり,背後に「たたき台」がある。「新憲法草案」(05年10月)は国民は「公の秩序」の範囲内で権利・自由を享受せよと書く。問題はその「公の秩序」が,障害者に対する「自立支援法」や,高齢者に対する今年4月から実施の医療制度改革という具体的な時々の政策である点。加えてそのような政治があっても無条件で国を愛することが「前文」で強要される(教育基本法にも)。「たたき台」(04年11月)はさらに明快に,生存権規定は「『基本的な権利・自由』と異なり」と断言する。社会保障を「たかり」だといってはばからない政治家たちの集まりにふさわしい憲法案であり,人権思想の欠落である。
7)9条の会4500,医療制度改悪反対署名1800万,米軍基地再編強化反対への保守政治家をふくむ取り組みなど,政治の潮目の変化があるが,これをさらにさらに大きくするには「ウソを見抜く政治的知性の成熟」を急ぐ作業が必要。「資本主義は自由競争があたりまえ」「国を守るのに軍事力増強はあたりまえ」。いずれも時代遅れの主張である。「野放しの資本主義は格差をつくる,それを社会的連帯で補う資本主義づくりが今日の文明の到達点」。EUは社会的資本主義をめざし,アメリカ型の野蛮を批判する。世界の平和も国連の理念の現実化を目前の課題と位置付けている。日本の改革の取り組みは,全市民的規模での「政治的知性の成熟」に資すべきものであることの自覚を深める必要がある。
8)不可欠なのは各人1人1人の知性の磨き。革新自治体時代の大学には,180センチのスチールラック3本・4本にビッシリと本をつめこむ先輩が何人もいた。そのような規模での学びのすそ野が,卒業後の労働運動や市民運動での知性の支えとなった。そうした学びのスケールをイメージしながら,少ない時間にたくさんを学ぶ努力を意識的に。週1冊で年52冊。40年でも2080冊にしかならない。「時間があれば学ぶ」でなく,いつまでに読むかをはっきり決めて,スキマ時間の活用を。手もとにいつでも本をおいて。
終了後,参加されていた「国鉄」関係の方と立ち話をし,また松下による「偽装請負」雇用の違法性を問うて闘うご本人とも話しをする。関連する情報は「松下プラズマディスプレイ社 偽装請負事件」にあると教えていただく。
「偽装請負」は,90年代半ばからの労働市場改革の名ですすめられた「労働者安づかい戦略」の今日的なあらわれのひとつで,これには全国各地からの反撃がある。
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