国会図書館の靖国資料は,インドネシアの「慰安所・櫻クラブ」を経営し,オランダ軍による戦犯裁判で有罪となった人物の靖国合祀決定(67年)を示したという。
靖国神社に大量の「慰安所」利用(レイプ)者が,神として祀られていることは疑いようのないことだったが,いよいよ経営者までもということである。
この合祀決定もまた厚生省側が主導権をとってのこととなれば,これを放置したままでの政府の「謝罪」に真実の心がこもっていないことは明白である。
また戦死軍人・軍属を合祀する靖国に,この経営者の合祀が決まっていたということは,「慰安所」経営と軍・政府の一体性を政府自身が認めたものともいえるのだろう。
靖国神社 慰安所経営者も合祀 国会図書館資料初公表(県民福井新聞,3月29日)
日本占領下のインドネシアで慰安所を経営し、BC級戦犯として有罪判決を受けた後、獄死した男性について、厚生省(当時)と靖国神社が1967年に合祀(ごうし)を決めていたことが28日、明らかになった。国会図書館が同日公表した「新編 靖国神社問題資料集」に盛り込まれた靖国神社の内部資料に明記されていた。政府は、いわゆる従軍慰安婦について「おわびと反省の気持ち」を表明しているが、一方で慰安所経営者の合祀を進めていたことになる。
靖国神社が、占領下のアジアで慰安所を経営していた一般人の合祀を決定していたことが判明したのは初めて。
この内部資料は、67年5月9日に靖国神社洗心亭で開催された厚生省援護局と神社側の会議の様子を記録した資料「合祀事務連絡会議開催につき(報告)」。厚生省側から合祀事務の担当課長以下7人、神社側から担当の権宮司ら2人が出席、これまで合祀を保留していた対象者について合祀の可否を検討した。
資料によると、このうち「法務死亡者(一般邦人)」として、「櫻クラブ経営者。(訴因、婦女子強制売淫刑10年受刑中病死、り崎ろ第233××号)」とされる人物が記載され、「合祀する」と判断されていた。
BC級戦犯裁判に詳しい研究者によると、この経営者は43年9月から45年9月までインドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で慰安所を経営していた実在の人物。現地の女性らに強制的に売春させたとして、オランダ軍による戦犯裁判で有罪判決を受けた。46年11月末から現地で服役し、翌月末に病死した。
財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」が1998年末にまとめた「『慰安婦』問題調査報告」は櫻クラブを「一般邦人向けの慰安所」としており、日本軍は慰安所の「設置や規則に関与していた」が「軍が組織として設置したり、将兵たちの使用目的のために設置されたわけではなかったようだ」と記述している。
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国立国会図書館が28日公表した「新編 靖国神社問題資料集」はA4判で約1200ページ。靖国神社の内部資料のほか、米オレゴン大が所蔵する連合国軍総司令部(GHQ)の調査担当者が収集した資料、中曽根康弘内閣当時の閣僚参拝に関する懇談会資料などがまとめられている。
4月をめどに一般にも閲覧可能とし、ホームページにも掲載する予定。
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