7月13日は、9時起床の朝であった。
仕事を休んだ相方が、新参を病院へ連行する。
一進一退のジグザグに、傾向的前進が見えるとの診断らしい。
こちらも10時すぎには外に出る。
世間は、それなりの雨である。
JR「加島」から「西宮」へ、
車中「論文準備の人」となって移動する。
事務室で山ほどの荷物を受け取り、
それでも傘をさして、研究室へ。
ただちに、姉妹校提携をしている
広東外語外貿大学の学生たちがやってくる。
日本へ来て、すでに一週間。
京都、奈良、大阪などを歩いたという。
総勢約30名。
それが5人ほどのグループにわかれて、
あちこちの授業を見学するのである。
案内役は、4年ゼミのNしょんであった。
8月からの中国留学にそなえて、
中国語猛勉強中(のはず)なのである。
11時30分から「文献ゼミ-平和を守るたたかい」を行っていく。
ビデオを見ながらの学びだが、
中国の学生たちも、後ろで熱心に画面を見つめる。
終了後、昼休みは、女性学インスティチュートの総会である。
サンドイッチをパクつきながら、
「女性のキャリア教育」について、ちょいと問題提起。
これに、あれこれ意見をもらっていく。
終了後、その勢いのまま、I田先生、N島さんにお願いをする。
後期の大学教授会研修会の準備である。
あわせて、学長室周辺も歩きまわってみる。
教務課でキャリアデザイン事情をうかがい、
さらにひとつ手を打つことを決めてみる。
研究室にもどって、小仕事である。
途中、「『朝日』の記事を見た」と、講師依頼が入ってくる。
「ぜひ学生さんにも」とのことである。
この手の依頼は、もはや減ることはないのだろう。
3時40分から、科別教授会となっていく。
楽しいこと、ややこしいことを決めるあいだに、
こちらの韓国への公務出張も認めてもらう。
6時には研究室にもどり、とある卒業生の足跡をさがす。
結婚披露宴でのスピーチにそなえてのことである。
とはいえ、今回は主賓ではない。
実に、気分は楽である。
98年のゼミ名簿や、当時のゼミアルバムをめくっていく。
どのページもなつかしい。
そして、こちらの気分もはっきり若い。
まだ、教育にも、研究にも、
はっきりとした方向をもつことのできない時期でもあった。
7時ちょうどには大学を出る。
外は、まだ雨が降っていた。
JR「西宮」から「尼崎」へ、「加島」へ。
車中「真理子様短編の人」となっての移動である。
7時30分帰宅。
ジーマミー豆腐もどきのピーナッツ豆腐(?)「ぺろん」等で夕食をとる。
8時すぎには、相方が、ひさしぶりに、
羽をのばしに外へ出る。
こちらは、新参と、しばらく風呂であそび、
9時には、ヤツを布団に沈没させる。
夏の韓国旅行のガイドさんだが、
昨年お世話になった李さんが、今年は無理になってしまった。
7月7日に退職したとのことである。
パートナーの仕事の都合での転居だそうだ。
日本と似た事情のようである。
方法はどうあれ、なんとか『「慰安婦」と心はひとつ』を届けてあげたい。
明日からの3日間は、「短期集中書き物人間」の予定である。
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