1時10分には、全員でホテルを後にする。
金さんが、これから向かう西大門刑務所の解説をしてくれる。
1907年に、500人収容という、当時としては圧倒的な規模でつくられたが、
1930年には、ここに18000人の朝鮮人が閉じ込められた。
もちろん、ほぼ100%がいわゆる「政治囚」
つまり日本の支配と闘った人達である。
さらに、「日本の人には南北朝鮮がわかれた経過を知らない人が多いから」と、
1945年12月に始まる国連信託統治から、
53年7月27日の休戦協定にいたる歴史も紹介てしてくれる。
さらに、最近になって北からの亡命者がふえていること、
しかし、その亡命者が、南で安定した暮らしをすることは
なかなか難しいという現状も
率直に紹介してくれる。
1時30分には、西大門刑務所へ。
こちらが展示館の入口である。
![070910133_0145 070910133_0145](https://walumono.typepad.jp/blog/images/2007/09/14/070910133_0145.jpg)
1907年の全国的な義兵闘争、
1919年3月1日後には、3000人の囚人が入れられたこと、
ミンピというのは、明政皇后を日本人が見下して呼んだ名前であるなど、
はじめは、そうした文字と写真の展示や解説がある。
その後、内容は、次第に
政治囚への拷問の様子などを
実物や人形などで再現していくものとなる。
小さなロッカーのようだが、
これは人間を立ったままで閉じ込めるための道具である。
肉体の苦痛とともに、外が見えないことによる、
精神の閉塞感は大変なものだったろう。
刑務所の一部が、当時のままに残されている。
3人程度を予定した牢獄に、
20人もが押し込められたという。
一番衝撃的な、拷問の様子の蝋人形による再現は、
うっかり写真を撮るのを忘れてしまった。
それほどに、真剣に見入らずにおれないものであった。
それは無惨なものである。
![070910133_0150 070910133_0150](https://walumono.typepad.jp/blog/images/2007/09/14/070910133_0150.jpg)
こちらは、死刑執行後の死体を捨てにいくためのトンネルである。
たくさんの朝鮮人の死体がここを通っていったことになる。
ガイドの金さんの次の言葉が印象的であった。
「私がはじめてきたとき、 事実はすべて知っていることだった」
「母や祖母から聞かされていた」
「しかし、それがどういうことだったかを
本当にリアルに知ったのはここに来てからです」。
われわれ日本人には、
さらに大きな意味をもっていえることであろう。
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