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平井 雅子他: 02・共同講座 20世紀のパラダイム・シフト
2000年・論文「20世紀経済学のパラダイム・シフト」
労働者教育協会編集: 04・知りたい聞きたい経済学Q&A
2002年・「Q16・国際競争に勝つためにはリストラはしかたないのでしょうか?」「Q17・ルールなき資本主義とはどういうことですか」「Q18・規制緩和すれば経済が活性化するといわれていますが……」
神戸女学院大学文学部総合文化学科: 05・知の贈りもの―文系の基礎知識
2002年・「グローバリゼーション」と「資本主義」の項を執筆
森永康子・神戸女学院大学ジェンダー研究会: 06・はじめてのジェンダー・スタディーズ
2003年・「主婦とはどういう存在なのか」「仕事にまつわるジェンダー・ギャップ」他
石川 康宏: 07・現代を探究する経済学―「構造改革」、ジェンダー
2004年・日米関係に注目しながら現代日本の経済・政治を科学的社会主義理論を駆使して分析
石川康宏ゼミナール: 09・ハルモニからの宿題―日本軍「慰安婦」問題を考える
2005年・はじめて3年ゼミで「ナヌムの家」へ,学習と行動の記録
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 11・「慰安婦」と出会った女子大生たち
2006年・ハルモニの声を伝え学生たちの成長を描く。2008年には韓国語版が出版される。
石川 康宏: 12・いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう!―政治を変えるのは、あなたです。
2007年・経済・政治・歴史・教育など、多面的に憲法問題を論じた講演録
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 13・「慰安婦」と心はひとつ女子大生はたたかう
2007年・学び、体験し、変化する学生版「たたかう若者」論
憲法が輝く兵庫県政をつくる会: 14・ウィー・ラブ・兵庫―憲法どおりの兵庫をつくろう
2008年・論文「憲法を設計図に、兵庫県政の転換を」、09年の県知事選に向けた学習用テキスト
石川 康宏: 15・覇権なき世界を求めて―アジア、憲法、「慰安婦」
2008年・世界の構造変化を多面的に探究し、日本の進路を考える
日本婦人団体連合会: 16・女性白書 2008
2008年・論文「女性の人権-2008年、日本で」、雇用と家庭、ワークライフバランス、靖国派によるバックラッシュなど。
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 17・女子大生と学ぼう「慰安婦」問題
2008年・2人の女子大生が男女2人の中学生にバーチャル旅行をしながら教えます。
憲法が輝く兵庫県政をつくる会: 19・9条が輝く兵庫をつくろう(ウィーラブ兵庫2)
2009年・09年7月県政刷新に向けたブックレット第2弾、「戦争のできる国づくり」を推進する県政のままでいいのか
石川康宏ゼミナール: 20・輝いてはたらきたいアナタへ―彼女たちの様々なドラマ
2009年・論文「さあ、いっしょに『就職活動』を考えよう」、はたらく先輩へのインタビューをゼミ生たちがまとめています。
門井文雄 原作/紙屋高雪 構成・解説/石川康宏 協力: 21・マルクス資本論―理論劇画
2009年・直接には何も書いていません。『資本論』第1部の内容などを中心に、少しだけ補正の意見を出させてもらいました。2012年に中国語版も。
憲法が輝く兵庫県政をつくる会: 22・貧困のない兵庫をつくろう (ウィーラブ兵庫3)
09年3月20日の神戸1日派遣村から話をはじめ、県内の貧困の実態と憲法どおりの県政実現への展望を話し合っています。
「慰安婦」問題と女性の人権を考える会: 23・「慰安婦」問題と女性の人権―未来を見すえて
2009年・コラム「学び、悩み、行動する女子大生たち」に、毎年のゼミ生たちの学びと行動の様子を紹介しています。
憲法が輝く兵庫県政をつくる会: 24・憲法が輝く県政へ 2009年兵庫県知事選挙の記録
2010年・「次の選挙に向けて何をしたらいいのか」という今後の行動のヒントになることをめざして編集しました。写真や画像も豊富です。
内田樹・石川康宏: 25・若者よ、マルクスを読もう
2010年・大学の同僚との往復書簡。「共産党宣言」「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」「経済学・哲学草稿」「ドイツ・イデオロギー」を取り上げています。2011年に韓国語版。2013年に中国語版(紅旗出版)。2018年に中国語版(東方出版)。
石川 康宏: 26・マルクスのかじり方
2011年・マルクスの人生と思想についての超入門書です。ボクもワタシもマルクスとしゃべってみたい。そういう読後感が残るハズの一冊です。2016年に韓国語版。
石川 康宏: 27・人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本
2011年・東日本大震災からの「復興」のゆがみや政府の原発政策の背後には、財界団体が立案する諸政策が。復興は「資本の論理」とのたたかいです。
日本婦人団体連合会: 28・女性白書〈2011〉日本社会の再生にジェンダーの視点を
2011年・総論「ジェンダー平等は日本社会再生の鍵」を担当。雇用・性差別の問題の他に、いわゆる「ウーマノミクス」に注目しました。
憲法が輝く兵庫県政をつくる会: 29・原発ゼロ―自然エネルギーへの転換(ウィーラブ兵庫5)
2011年・原発の危険性、地球温暖化対策と自然エネルギーへの転換の必要について。2013年兵庫県知事選挙に向けての座談会も。
鯵坂真・牧野広義編著: 30・マルクスの思想を今に生かす
2012年・第1章「マルクスの資本主義分析と『震災後の新しい日本』」。日本社会の改革には、資本主義のしくみを根本からつかむことが。
村山一兵×石川康宏ゼミナール: 31・「ナヌムの家」にくらし、学んで
2012年・韓国「ナヌムの家」で5年はたらいた村山氏との交流と共同の作品。お互いの講演録や学生たちとの座談会も。
石川 康宏: 32・橋下「維新の会」がやりたいこと―何のための国政進出?
2012年・大阪府政・市政の「実績」、民主と変わらぬ国政政策、野蛮な強権、メディアとツイッターに依存した集票マシーンのない組織・・・「公務」つぶしへの反論も。
憲法が輝く兵庫県政を作る会/編著: 33・人にやさしい県政を(ウィーラブ兵庫6)
2013年・夏の兵庫県知事選挙にむけた学習用の冊子です。巻頭の「日本の政治と社会をどうみるか」を書きました。
内田樹×石川康宏: 34・若者よ、マルクスを読もう 20歳代の模索と情熱
2013年・文庫本化にあたり一部の誤記を修正しました。内田先生が「文庫版まえがき」、石川が「文庫版あとがき」を書いています。
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 35・女子大生のゲンパツ勉強会
2014年・ゼミでの初めての原発関連本です。Oishi さんが書いたイラスト「いっぱい電気つくり隊」の「くまちゅう」「サンサン」「ぱねるん」などが大活躍。
憲法が輝く兵庫県政をつくる会: 36・2013年兵庫県知事選挙の記録(ウィーラブ兵庫7)
2014年・知事選挙の総括と次期選挙に向けた課題などをまとめています。冒頭の座談会に参加しました。関連資料多数。
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 37・女子大生原発被災地ふくしまを行く
2014年・ゼミで福島を訪れ、学んだ記録です。原発ゼロへの願いとともに、被災地復興、生活再建への思いを強くしました。
神戸女学院大学文学部総合文化学科: 38・東日本大震災と私たち―和合亮一講演会「わたしを生きる、あなたを生きる。」
2014年・和合亮一さんの大学での講演を中心にした本です。「福島第一で起こったこと、そして『原発ゼロ』への取り組みのいま」を書きました。
神戸女学院大学文学部総合文化学科 監修/河西秀哉 編: 39・日常を拓く知・第2巻「恋する」
2014年・学科で出しているシリーズ本の1冊です。対談「ハチクロにみる恋愛の哲学と経済学」に顔を出し、論文「歴史に制約される恋愛の自由」を書いています。
不破哲三・石川康宏・山口富男: 40・『古典教室』全3巻を語る
2014・マルクスの思想の4つの構成部分とマルクス以後の「マルクス主義」の発展について述べた不破氏の『古典教室』を、自由に論じあいました。
石川 康宏: 41・「おこぼれ経済」という神話
2014年・「大企業が潤えば、いまに国民も潤う」というトリクルダウン神話からの脱却のススメ。アベノミクスもまったく同じ古い発想。必要なのは「国民が潤ってこそ」の政策への転換です。
内田樹×石川康宏: 42・若者よ、マルクスを読もうII
2014年・4年ぶりの『若マル』パートⅡ。現代日本を論じながら、『フランスにおける階級闘争』『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』、『賃金、価格および利潤』について語り合っています。2014年に中国語訳(紅旗出版)。
荻野 富士夫編: 43・闇があるから光がある―新時代を拓く小林多喜二
2014年度各地での「多喜二祭」の記録です。「小林多喜二の時代と“美しい国”」を書きました。
阿部治編: 44・原発事故を子どもたちにどう伝えるか―ESDを通じた学び
2015年・「原発・エネルギー」を学生とともに考える取り組みの紹介です。ゼミの運営、あり方に焦点を当てました。
石川康宏: 45・社会のしくみのかじり方
2015年・日本社会を軸にすえた、現代社会のしくみと歴史についての超入門書です。「日本はどうしてこんな社会なのか」。その謎が解けていく一冊です。2019年韓国語版。
小森・山田・俵・石川・内海: 46・軍事立国への野望
2015年・サブタイトルは「安倍政権の思想的系譜と支持母体の思惑」。第4章「『軍事立国』化に向けた財界の要望とジレンマ」を書きました。2016年に韓国語版。
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール: 47・21歳が見たフクシマとヒロシマ
2015年・3泊4日で福島を、1泊2日で広島を歩いて考えた。学生たちの学びの成果です。「原発と原爆の関係」にも、焦点をあててみました。
渡辺治・石川康宏他12名: 48・戦後70年の日本資本主義
2016年・論文「日本資本主義の発展をどうとらえるか」で、戦前・戦後の関係、資本主義「社会」の発展をとらえる方法を考えています。
内田 樹×石川康宏+池田香代子: 49・マルクスの心を聴く旅
2016年・マルクスゆかりの地であるドイツ・イギリスを訪ねた旅の記録であり、現地での対談や講演のまとめです。2018年中国語版。
『経済』編集部編: 50・変革の時代と『資本論』―マルクスのすすめ
2017年・サブタイトルは「マルクスのすすめ」。第9章「マルクスの目で見て社会を変える」を書きました。著者8名。
伊地知紀子・新ケ江章友編: 51・本当は怖い自民党改憲草案
2017年・「安保法制に反対する関西圏の大学有志の会」メンバー他による執筆です。第7章「国政-独裁政治になってもいいのか」を担当。著者17名。
神戸女学院大学石川康宏ゼミナール編: 52・被災地福島の今を訪れて 見て、聞いて、考えて、伝える
2017年・前年に3年ゼミで原発被災地を訪れた際、たくさんの方からうかがったお話が中心。4日間の全日程を学生たちが座談会で語っています。
以下は、和歌山学習協主催で行われる
「講座・変革の時代と『資本論』」への
3月13日作成のよびかけ文です。
学習協のニュースに掲載するための文章です。
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〔和歌山講座よびかけ文〕
講座・変革の時代と『資本論』
和歌山のみなさん、こんにちは。神戸女学院大学の石川康宏です。今年は『資本論』第1部の出版から150年の年ですが、これを記念する和歌山学習協の企画でお話させていただく機会をいただきました。たくさんの方にお会いできると嬉しいです。
〔『経済』5月号の特集をよろしく〕
このよびかけ文を書いている今日は2017年3月13日で、いまは月刊『経済』5月号(『資本論』150年特集号)の原稿をまとめているところです。編集部からの依頼は12000字でしたが、ついつい26000字も書いてしまい、原稿は中をとって18000字あたりにおさまりつつあります。
そのため、うまい具合に(?)、誌面ではカットされる原稿部分がありますので、以下、それをもとに「『資本論』と私」風の思い出話や、『資本論』をめぐる最近の問題意識について少し書かせていただきます。
〔『資本論』を初めて買った1975年〕
家の本棚を探してみると、『経済』の1967年5月臨時増刊号が残っていました。背表紙には「『資本論』発刊100年を記念して」とあり、発行は5月5日となっています。マルクスの誕生日(1818年5月5日)にあわせて出したということです。中を開くと全300ページのすべてに上下二段組の細かい文字がビッシリと。今なら「読みづらい」と言われてしまいそうですが、当時はそうでもなかったようで、手元にあるのは1974年11月1日の5刷です。月刊誌のある号が、発刊から7年たっても新たに印刷されていた。これは驚きですね。
ぼくがこの号を手に入れたのは、1975年に入学した立命館大学でのことでした。先輩のすすめがあって生協の書籍部で買ったものです。初めて『資本論』の本体を買ったのもこの生協でのことでした。新入生歓迎の時期で力が入っていたのでしょう、店内には大月書店の普及版『資本論』(全3部5冊が1つの箱に入ったもの)が、山のように積まれており、他の学生にまじって、18才のぼくもその山をひとつ小さくしたのでした。
〔まるで歯が立たなかった学生・院生時代〕
しかし、言わずもがなのことですが、買うと読むのはまったく別で、大学時代のぼくには『資本論』はまるで歯が立ちませんでした。学生運動の日々に区切りをつけて、大学院への進学準備をはじめた頃に、初めて友人と集団的に読みましたが、それでも理解は各種の解説書に依拠する以上にはなりませんでした。逐条的な解説としては、デ・イ・ローゼンベルグの『資本論注解』(青木書店)をよく使ったように思います。ベテランのみなさんには、この本を覚えておられる方もあるかも知れません。『資本論』のレジュメを文章でつなげたような味気ない本でしたが、当時のぼくには、それが必要なのでした。
院生時代は、鉄鋼産業の日米関係をテーマにした論文書きに精一杯で、『資本論』に正面から取り組んだ記憶はありません。
〔恥をかきながら講義に挑んで〕
そんなぼくが、ようやくまともに『資本論』に向かったのは、神戸女学院大学に就職した1995年になってのことでした。すでに38才になっており、『資本論』との最初の出会いからは20年が過ぎていました。
大阪の関西勤労者教育協会で「基礎理論」の講義に加わりながら、京都労働者学習協議会、和歌山県勤労者学習協会、兵庫県勤労者学習協議会などで『資本論』の講義をさせてもらったのです。和歌山では不破哲三『「資本論」全3部を読む』(新日本出版社)をテキストに、第3部までとおしで講義させてもらったこともありました。
わからない箇所はたくさんありましたが(いまもたくさんあります)、恥をかいても、語りながら学ぼうという気持で行ったものでした。幸運だったのは、95年がちょうどエンゲルスの没後100年になっており、関連の文献が次々出版されていたことです。
『経済』に95年から96年にかけて連載され、97年に出版された不破『エンゲルスと「資本論」』(新日本出版社)もそのひとつでした。これは「『資本論』をマルクス自身の歴史の中で読む」と不破氏が強調する一連の本格的な研究の出発点ともいえるもので、特に『資本論』第二部・第三部への立ち向かい方という点で、後の諸文献ともあわせて大きな刺激を受けたものでした。
〔『資本論』について書くように〕
こうして始めた私なりの『資本論』修行は、2000年代に入って「マルクス主義フェミニズム」とのかかわりで『資本論』をジェンダー視角から読むとか、相対的過剰人口の問題にとどまらず人口爆発や少子化など長期的な人口変動の論理を『資本論』の中に探求するといった形で、少しずつ姿を現わすようなりました。これが、もう50才近くなってのことでした。さらに2010年代になると、出版社に請われて『若者よ、マルクスを読もうⅠ・Ⅱ』(かもがわ出版、内田樹氏との共著)や『マルクスのかじり方』(新日本出版社)など「マルクスのススメ」本も書くようになりました。これらは韓国語にも翻訳されて、どちらも結構読まれているようです。
振り返ってみれば、知り合って40年、まともに読むようになって20年、それについて書くようになってから10年と、つきあいの濃淡はありましたが、『資本論』とは人生の2/3を超える長いつきあいです。ぼくにとって、それだけ『資本論』は魅力的な本だということなのでしょう。
〔レーニンの資本主義段階論への疑問をもって〕
さて話題を転換します。じつは今年の『経済』5月号の原稿から、丸ごと落とすことで、次の原稿に活用することになった問題に、日本資本主義の確立・発展論がありました。この2年ほど、この問題を勉強しつづけています。きっかけは『経済』の2015年1月号に書いた論文「資本主義の発展段階を考える」でした。
詳しい内容は、読んでいただくしかないのですが、誤解をおそれずに簡潔に言えば、レーニンの独占資本主義論は「死滅しつつある資本主義」論と一体で、国家独占資本主義論は「社会主義の入口」論と一体で、いずれも資本主義の発展段階をとらえる基軸の理論としては妥当性を失っているのではないか、というものでした。これらのレーニンの理論の根っこに『空想から科学へ』などでのエンゲルスの資本主義発展理解があり、それとマルクス『資本論』との間にはある程度の理解の違いがあるということについても少しふれました。
〔日本資本主義の発展を考える〕
しかし、これはあくまでこれまでの理論に対する批判的な問題意識の提示です。それを本当に乗り越えるためには、これにぼくなりの資本主義発展論を対置することが必要です。そう思って、その時から日本資本主義の歴史あるいは日本の近現代の歴史の勉強を始めたのです。
その最初の書き物が「日本資本主義の発展をどうとらえるか」(『経済』2015年11月号)でした。またそれをかなり書き直して渡辺治他『戦後70年の日本資本主義』(新日本出版社)に収録した同じタイトルの論文でした。
その後も、この検討を深めることを目的に、2016年秋には関西勤労者教育教会で「日本資本主義講座」(全4回)を担当しました。明治維新から戦後にいたる近現代史や日本資本主義の歴史に関する研究について、たくさんの文献を紹介しながらぼくなりの解説を加えるというものでした。
〔日本での資本主義社会の確立は〕
これもまた詳しい内容は、とりあえず先の論文を読んでいただくしかないのですが、やはり誤解を恐れず簡潔に述べるなら、これまでの研究では1910年前までの「産業革命」で日本社会は基本的に資本主義の段階に達したとされていますが、実際には明治維新から敗戦にいたる期間は、封建制社会から資本主義社会への過渡期であって、資本主義が経済社会全体で支配的な要素になるのは戦後の「農地改革」(寄生地主制の解体)と「労働改革」(労働三権の確立)と天皇制国家の解体をつうじてのことではなかったか、というものです。
つまり日本社会がはっきりと資本主義の段階に達したのは戦後のことで、その後の資本主義社会としての日本の歴史はわずかに70年程度しかないのではないかというものです。このように歴史を整理する上で、ぼくなりに指針にしたのは、レーニンの資本主義論ではなく、マルクスの資本主義論でした。
〔2回の講義のタイトルは〕
今回の講座では、以上2つの問題意識を柱にすえて、マルクス『資本論』についてのお話をしてみたいと思っています。今のところ、2回の講義のタイトルは次のようなところでしょうか。
第1回「マルクスの目で見て社会を変える」
第2回「日本資本主義の発展をどう見るか」
とはいえ、講座は、まだ4カ月以上も先のことです。それまでの間にぼくなりの研究や問題意識に何かの変化があるかも知れません。いえ、あってほしいと思っています(研究の進展に期待するということですね)。もしそうなれば、その新しい成果を組み入れて、お話をバージョンアップさせたいと思います。ですから、この呼びかけ文は、あくまで3月13日段階のものとしてご了承いただけるようお願いします。
では、みなさんとお会いできることを楽しみにしています。
以下は、日本共産党『前衛』2013年7月号に掲載されたものです。
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「財界奉仕のアベノミクスと復古主義的国家主義」
──安倍政権が発足して七カ月。アベノミクスで日本経済がよくなるのかが注目されています。まず、アベノミクスとは何かからお聞きしたいと思います。
〔大企業による強欲の免罪と推進の諸政策〕
アベノミクスというのは「安倍政権の経済政策」ということですが、これは端的にいえば、日本経済の不調の原因である「富のゆきすぎた偏在」から国民の目をそらし、財界の強欲や政府の悪政を免罪する議論で、今後も大企業への奉仕をつづけ、さらに「富の偏在」を拡大させる諸政策の寄せ集めです。
昨年一二月の総選挙で自民党が勝利し、安倍晋三さんが首相に選出され、安倍政権が発足しました。
安倍さんは、経済については、デフレ対策で日本を再生することを打ち出しました。そしてこれまでの経済の不調の原因は日銀による通貨量の管理のあり方にあったとして、白川さんから黒田さんに総裁を交代させました。
「悪人」は白川さんだと指弾して、その裏側で、国民経済を破壊してきた財界の強欲やそれを応援してきた政府の経済政策を免罪したわけです。
日本経済は九〇年代以後、経済成長なき「失われた二〇年」を体験し、さらに「失われた三〇年」に足を踏み入れつつあります。そのあいだに国民の生活水準は戦後はじめて長期の低下を示し、その一方で、大企業の内部留保は空前の拡大を見せました。
「失われた二〇年」はこうした「富のゆきすぎた偏在」と一体のものでしたが、アベノミクスはこれらにまったく口をつぐんでいます。そもそもアベノミクスには、日本経済の不調の原因を、まともに検討した形跡がありません。
では、安倍さんはデフレ対策の名で、いったい何をしようとしているのでしょう。
IMF等は「二年以上連続しての物価下落」をデフレと呼んでおり、この規定によれば日本経済は確かにデフレです。しかしIMFは、デフレの原因まで細かく特定しているわけではありません。全般的な物価下落を指摘するだけです。
ところが、安倍さんは、このデフレを通貨現象としてのデフレ、つまり流通通貨の不足から起こるデフレにすりかえて、その脱却には金融緩和が必要なのだと主張します。やりたいことは、これまで以上の金融緩和です。
どうして金融緩和をすすめると日本経済は「再生」するのでしょう。アベノミクスは、それも説明しません。そうなのだという断定があるだけです。
〔大企業・投機家に奉仕する「三本の矢」〕
そのうえで、安倍さんは「三本の矢」を言っていますが、すでに様々な指摘があるように、そこには特別の新しさはありません。
「一本目の矢」は、いま紹介した「大胆な金融緩和」ですが、九九年の「ゼロ金利政策」以来、すでに長期にわたって様々な金融緩和政策はとられてきたわけです。それにもかかわらず、日本経済は「再生」しませんでした。そこはすでに事実が語っていることです。
なぜ「再生」につながらなかったのかといえば、理由は簡単で、「富のゆきすぎた偏在」のもとで金融緩和をすすめても、通貨(お金)は「富める者」にしか届いていかず、「富まない者」には届かないからです。
金利を下げたところで「富まない者」に新たな活気は生まれません。賃金や所得が減っている中でローンの返済の目処は立たないからです。
結局、これは「富める者」にあらたな投機の資金を提供するだけです。小さなバブルの「創造」です。それが株価の上昇につながり、株主による企業への出資金を増やし、大株主たちに莫大な利益がもたらされているというのは、いくつも報道があるとおりです。ただし、実体経済の拡大をともなわないバブルは、長くつづくものではありません。
さらにこのバブルのために、日銀は市中銀行から国債などを買い上げるだけでなく、政府から直接購入することを匂わせています。これは政府に国債発行の歯止めをはずさせ、国家財政の破綻を促進する危険をもつものにもなっています。
「二本目の矢」は、「機動的な財政政策」です。内容は大型公共事業の推進で、九〇年代のゼネコン国家路線への逆戻りとも言えるものになっています。
すでに地方自治体には、補正の大型予算がおろされているようですが、地方の側からすればどんな事業をするかが決まっていません。
社会保障や教育、医療など「住民の福祉」を高める事業は必要ですが、政府は生活保護や年金予算を削っていますから、地方もそこにはお金がつかいづらい。
一方で財政危機だ、消費税増税は不可避だと言っておきながら、他方で「事業なき予算」の大盤振る舞いですから、この財政政策には、まったく一貫性がありません。
そして、こんな大盤振る舞いによる赤字の結果が、消費税増税の理由にされたのではたまったものではありません。
そして「三本目の矢」が、「民間投資を喚起する成長戦略」です。中心は規制緩和と大企業の減税政策です。
特に酷いと思うのは、労働力流動化をさらに推し進めようとしていることです。正規雇用をいくらでも首が切れるようにするということが、財界人の発言をきっかけに政府の会議で公然と議論されている。まったく異常な光景です。
また、国民多数の反対を押し切ってのTPPへの加入や、原発輸出もこの成長戦略の一つに位置づけられています。
結局、この「三本の矢」は、財政破綻のツケや規制緩和の被害を「富まない」労働者や国民におしつけながら、大企業・大株主への奉仕をすすめるものでしかありません。
規制緩和やTPPへの加入、原発推進政策の継続、投機資金の提供は、アメリカはじめ海外の大企業・投機家に奉仕するものともなっています。
これでどうして日本経済が「再生」するといえるのでしょう。
〔推進の中心には大企業経営者たちが〕
この「三本の矢」と、後に続く消費税増税、社会保障の大改悪という「五本の矢」を正当化する論理があるとすれば、それは小泉内閣の時期にさかんに言われた、「大企業が潤えばそのうちに国民も潤う」というトリクルダウンしかありえません。
実際には「富のゆきすぎた偏在」が示すように、トリクルダウンはまったく機能していませんが、それをいまだに正しいとする世論操作が続いています。
「大企業が潤えば・・・」という路線は、昨年末の総選挙に向けた自民党の選挙公約にも、はっきりと掲げられていたことでした。「世界で一番企業が活動しやすい国」を目指すとして、政策として「大胆な規制緩和」「大胆な金融緩和」「切れ目のない経済対策」などが掲げられました。
しかも、公約では、こうした政策を推進するうえで経済財政諮問会議や日本経済再生本部、産業競争力会議などを軸にすることも宣言されていて、現実に、経済財政諮問会議には三菱ケミカルホールディングス社長の小林喜光さん──経済同友会の副代表幹事です──が入っていたり、東芝社長の佐々木則夫さん──この六月から経団連副会長の予定です──が議員として入っています。
産業競争力会議にも、武田薬品工業社長の長谷川閑史・経済同友会代表幹事やコマツ会長の坂根正弘・経団連副会長、東レ会長の榊原定征・元経団連副会長をはじめ、佐藤康博みずほフィナンシャルグループ社長、新浪剛史ローソン社長、三木谷浩史楽天社長などの財界人が名を連ねています。
ここが推進力になってアベノミクスが形成、展開される仕組みですから、「世界で一番企業が活動しやすい国」を、その企業の代表者自身がつくっていく。それに政府がお墨付きを与えていくというのが、アベノミクスの具体的な姿です。
小泉内閣の時にも酷いものでしたが、それと同じように露骨な財界いいなり型の構造です。
──なるほど、株高と円安で経済は好調という宣伝にもかかわらず、アベノミクスへの批判や懸念も指摘され、その本質的な問題も露わになりつつあるわけですね。アベノミクスの根本的な欠陥についてもう少しお話し下さい。
〔予想や期待が経済の肝?〕
内閣官房参与の本田悦朗静岡県立大学教授が、『アベノミクスの真実』という「安倍総理公認」だという本を書いています。もちろん内容はアベノミクスの肯定ですが、印象的なのは、経済では「予想」あるいは「期待」が「肝」になるという話です(二六ページ)。
つまり、これからインフレになると予想(期待)すれば、国民は目減りを恐れて手もとのお金を使い始める。だからインフレになることを力強く国民にアナウンスし、日銀がその達成に必要な通貨を供給すれば、デフレから脱却できると書いているのです(三二ページ)。
しかし、インフレが予想されようがされまいが、お金のない人間はお金を使えません。目減りの見通しもなにもあったものではなく、食料品などの生活必需品を買いつづけ、なんとか毎日の生活を維持するしかないのです。
本田さんの議論では、日銀がインフレをアナウンスすると、まずプロの投資家が動き、プロの投資家が主導して株を買いはじめれば、それが企業や消費者に次第に伝わっていくとされています。
なるほど、確かに株価の上昇は起こっており、大株主の資産倍増が起こっています。しかし、株券など見たこともないという一般庶民には、その恩恵はまったく届いていません。
目減りを恐れた投資家たちの円売りにより、円安の進行もはじまりましたが、それによって中小業者が困窮するといった事態も起こっています。燃料の高騰でイカ釣り漁船が操業できないということが話題になりましたが、油や小麦粉などの値上がりで、私のまわりのうどん屋さんや豚カツ屋さんも困っています。
さらに本田さんは、物価と賃金が下落するデフレは、もはや経済活動の結果ではなく原因ともなっていると書いています。デフレスパイラルというやつです。
そこから抜け出す必要があると言われるのだから、賃金の上昇策も書かれているのかと思いましたが、どこまで読んでも、賃上げ実現の具体策は出てきません。ふれられるのは、インフレで大企業が儲かれば賃上げが「可能に」なる、「徐々に」あがるはずだという「願望」だけです。
この本は、「アベノミクスの司令塔」が、経済財政諮問会議、日本経済再生会議、産業競争力会議の三つであり、「具体的な戦略を議論する実務的な場」は産業競争力会議だと書いています(一七五〜六ページ)。
すでに見たように、そこには財界代表がたくさん入っていますから、賃上げ策など出てくるはずがないわけです。財界の財界による財界のためのアベノミクスということです。
〔「三本の矢」の不整合についての告白も〕
この本が出版されたのは四月二五日ですから、原稿は遅くても四月初旬には書き上げられていたのでしょう。書き始めはもっと早い時期ということです。
そうでありながら全五章の中の第三章がまるまる「アベノミクス批判に応える」という言い訳にあてられています。
「物価が上がると年金生活者が困る?」「給料が上がらないまま、物価だけが上がったら大変?」などの疑問に言い訳し、最後に「アベノミクスに反対する人は『現状をどうすればよいのか』という建設的な提言をしようとしません」「このままデフレを放置すればよいとでも言うのでしょうか」という開き直りで終わっています。
アベノミクスは開始早々、たくさんの言い訳をせねばならない政策であるということです。
他方で、アベノミクスの正当性を主張しながら「三本の矢」という政策の不整合を、端なくも語っているところもあります。
例えば「金融を緩和して、デフレから脱却しておかないと、第二、第三の矢はうまく機能しない」(一〇ページ)などです。それなら、なぜこれらの政策が同時におこなわれているのでしょう。
同じことは、金融緩和政策の指南役だと言われている浜田宏一イェール大学名誉教授の発言にも見られます。
浜田さんは、IMF等によるデフレの定義を、貨幣の不足にもとづく貨幣現象としてのデフレに矮小化する点で、アベノミクスの金融緩和論に議論の土台を提供しています。
しかし、「どれだけ、いつまで金融緩和を続けるかについては船長〔黒田日銀総裁のこと〕に任せます」と、緩和政策の難しさを指摘したうえで、「二本目の矢である財政政策、三本目の成長戦略の行方には一抹の不安を感じて」いるとも述べています。
そして「二本目の矢」については、「財政支出を選挙民の歓心を買うために使うという、旧来型の政治を志向している一部の政治家が与党にもいる・・・財政バラマキ政策に転換して、支持を増やしたいと考えているのでしょう」と言い、「三本目の矢」については「経産省の役人などのなかには、旧い産業政策を復活させたい魂胆が見えてきます。今、最も必要な規制緩和の概念と逆行する考えであり、非常に危険です」と言っています(「奇跡の日本経済復興論」、『文芸春秋』五月号)。
つまり浜田さんも、安倍政権が掲げるアベノミクスを丸ごと肯定しているわけではないのです。浜田さんはさらに、「(小泉内閣の構造改革は)不利益を被る人への思いやりや配慮が欠けていた」と述べ、「デフレ不況を乗り越えた後、日本は、国民が生きがいをもてる社会をどう作っていくか考えた方がいい」とも言っています。
このような視角は、アベノミクスにはまったく欠落していると思います。
〔マルクスの資本主義論にふれておけば〕
マルクスは、剰余価値の追求をあらゆる運動の出発点とも終結点ともするのが資本である。資本は互いの競争をつうじて自己の利潤を追求するが、それによって国民経済にの生産と消費のバランスを崩し、そこから周期的な恐慌(経済危機)を生み出さずにおれないと述べました。
そこから出てくる対策は、個々の資本(大企業)による利潤追求の「自由」を政府が適切に制御することと、生産力にくらべた消費力の不足を補っていくことになるでしょう。
実際、内閣府が発表している「需給ギャップ」の試算でも、需要の不足は明らかで、それはバブル崩壊以後の長期的な傾向となっています。
なんでも市場まかせの規制緩和一辺倒でなく、この国の消費力の六割を占める個人消費を守っていくこと、最低賃金の引き上げや社会保障の拡充で、これを逆に育てていくこと。マルクスの「資本」論からは、そういう危機対策が導かれます。個人消費が活気をもってこそ、国内での設備投資も拡大しています。
またマルクスは、現実経済(実体経済)と金融経済との関係を、土台と上部構造という言葉で表現し、両者の全体によって経済活動はつくられるが、より大きな力を発揮するのは現実経済の方だと指摘しました。
金融経済は現実経済が生み出した資金を活用し、現実経済を促進したり、攪乱したりするが、根本にあるのは現実経済の方だということです。
つまり金融の世界で供給通貨を増やし、インフレ期待を高める誘導政策を採ったとしても、不調の根っこにあるのは現実経済での生産と消費の乖離であって、それを解決していかなければ、危機からの抜け出しにはつながらないということです。
アベノミクスのバブル待望論に比べればマルクスの資本主義経済論の方が、はるかにリアリティをもつ、地に足のついた議論になっているのではないでしょうか。
──アベノミクスはすり替えを前提とし、大きな矛盾をかかえた政策だということですが、今なぜ安倍政権は、こういう不整合なアベノミクスを追求するのでしょうか。
〔市場開放・規制緩和と「ゼネコン国家」の推進〕
そもそもが、財界やアメリカの諸要求の寄せ集めだからだと思います。
理論的に筋が通っているとか、何か見事な絵が描かれているといったことはなく、財界の内部あるいは財界と政府とのリアルな力関係のもとで、政府に期待される諸要求を集約した結果がアベノミクスだからなのだと思います。
その背後には、大きな流れとして、日本の財界の主力が、かつての重厚長大産業から、自動車や電気機械などの製造業多国籍企業にシフトしており、経済の構造自体が変わってきているという現実があります。
ただし、労働力流動化や大企業減税は、業種・業態にかかわりなく、あらゆる大企業の利潤を拡大するものです。
大型公共事業の推進は、自動車やパソコンの販売台数に直接かかわるものではありません。様々な企業の様々な要求が、抱き合わせになっているということです。
そのあたり、少し歴史をたどってみましょう。
「構造改革」路線の出発点は、中曽根内閣あたりにあったかと思います。一九八六年の「前川レポート」です。
その直接のきっかけはアメリカとの経済摩擦で、日本からアメリカへの輸出が減らないので、ここでは日本市場の開放が金融の自由化などの条件整備もふくめて示されました。
あわせてアメリカへ輸出せずに国内で消費しようとの名目で、公共事業費の拡大も求められました。これがいわゆる「バブル経済」を生み出します。
八九、九〇年には「日米構造協議」がおこなわれました。ソ連・東欧崩壊を背景に、アメリカは世界への経済支配を深める「経済グローバリゼーション戦略」を展開し、その重要なターゲットとして日本市場がねらわれたのです。
協議の結果、日本側は、六分野二四〇項目の経済構造の変更を突きつけられました。
そこには空港、港湾、道路などの「建設予算の即時増加」も含まれており、これを受けて一〇年で四三〇兆円の大型公共投資をおこなう「公共投資基本計画」(九五年には一〇年で六三〇兆円に増額)が合意され、日本の公共事業費は、九三年と九五年に年額五〇兆円を超えて、「ゼネコン国家」と呼ばれる時代がつくられます。
この計画の立案や遂行には日本のゼネコンや鉄鋼企業も「積極的」な役割を果たしました。
同時に、九三年には日米包括経済協議がおこなわれ、九四年からは例の年次改革要望書が、毎年アメリカから届けられるようになります。
こうしてアメリカは、アメリカ大企業への日本市場開放と公共事業拡大の二本立てで、日本経済の「構造」改革を求めており、日本側にも九三年の「平岩レポート」をはじめ、規制緩和を一層推進しようとする流れと「ゼネコン国家」を推進する流れが併存していました。
しかし「ゼネコン国家」は日本の財政赤字を拡大します。また日本経団連など財政中枢をしめる企業群は、従来型の重厚長大から自動車、電気機械などの製造業多国籍企業に次第にシフトしていきました。
そこで九六年の橋本「六大構造改革」には、「ゼネコン国家」路線の見直しを求める「財政構造改革」がふくまれて、これが財界内部でも大きな争点となりました。
九七年に消費税率の引き上げを強行した橋本内閣は、参議院選挙に大敗し、後を継いだ小渕首相は「私は世界一の借金王」と言いながら、莫大な公共事業の補正予算を組んでいきました。
そこには経団連会長企業が、トヨタから新日鉄に変わったことも大きく影響していたでしょう。
〔製造業多国籍企業が中心に〕
小渕さんが亡くなった後、短期間の森内閣をへて小泉内閣が成立します。ここで製造業多国籍企業の利益を中心にすえる小泉流「構造改革」が進展します。
小泉さんは「私に味方しないのは『抵抗勢力』だ」と言い放ち、自民党の内部改革を進めました。「ゼネコン国家」路線と製造業多国籍企業(グローバル企業)支援の路線の力関係が大きく転換します。
同時に、ここで小泉内閣は大企業支援の経済政策を国民に納得させるために「大企業が潤えばいまに国民も潤う」「大企業の利潤回復こそ景気回復の前提」というトリクルダウンのスローガンをかかげました。
このもとで大企業の利益の急速な伸びとうらはらに、大量のワーキングプアがつくられていきます。
そのために、つづく第一次安倍内閣は、最初から「負け組」が「再チャレンジ」できる仕組みづくりを掲げねばならない状態になっていました。国民は小泉「構造改革」路線に強い嫌気を感じていたのです。
歴史問題での失敗や乱暴な改憲の提起もあって、安倍自民党は二〇〇七年参議院選挙で歴史的大敗を喫します。
その後、福田、麻生内閣とつづきますが、自民党の退潮に歯止めはかけられず、〇九年に民主党政権が誕生するわけです。
自民党とともに「二大政党」づくりの途上に位置づけられた民主党でさえ、ここで自民党の政策をそのまま継続することはできませんでした。
「コンクリートから人へ」、教育・福祉・医療の予算増など、経済政策の小さくない転換を打ち出さなければ、国民の支持は得られない状況が生まれていたからです。
そこで「選挙結果の自己総括を出発点とする、自民党の再生が不可欠である。新しい時代をリードする政党として、再出発していただきたい」という経済同友会代表幹事の談話に象徴される、財界からの巻き返しが始まります。
鳩山首相は追い落とされ、菅内閣で経済政策は自民党型にもどります。そして3・11後の経過の中で、結局、民主党政権は瓦解の道をたどりました。
〔「古びた昔の矢」では、くらしの改善は望めない〕
そうして二〇一〇年に新綱領を決定し「再出発」した自民党が政権に復帰したのが、現在の第二次安倍内閣です。
自民「圧勝」という世論操作にもかかわらず、安倍内閣は〇九年に民主党に敗北した時よりも、さらに二〇〇万票以上を減らした、国民の支持の薄い内閣です。
小選挙区制の「恩恵」で多くの議席は得ましたが、政権維持のためには財界の支援が不可欠です。そこで「三本の矢」、「五本の矢」、TPPへの即時加入、原発のトップセールスといった財界発の経済政策に、忠実な姿勢をとるわけです。
財界が求める経済政策の全体は、いつでも体系的・整合的であるわけではありません。見てきたように、時には大きな転換もあります。
大企業ごとに、業種ごとに、地域ごとに、政治的な事情もからんでそれぞれ違った要望があり、財界指導部はそれを力関係に応じて「まとめて」推進するのが役割です。アベノミクスがチグハグであることの理由も、根本はここにあるわけです。
なお、このように見てくれば、財界の求めに応じたアベノミクスが、長く国民の支持を得られるものでないことは明らかです。
財界の求めに応じた小泉「構造改革」路線は〇九年選挙で、いったん国民に拒否されました。
その後の民主党政権も、結局、被災地支援・TPP・原発・基地問題、消費税増税など、要するに財界やアメリカの求めに応じた政策のために政権の座を引きずりおろされることになりました。
無責任な一部メディアの礼賛はあったとしても、アベノミスクの「古びた昔の矢」では、国民のくらしを改善することはできません。
──安倍政権の特徴として復古主義的な国家主義があげられます。今言われたようなアベノミクスと国家主義の結合をどう考えればいいのでしょうか。
〔「構造改革」の進展と復古主義的国家主義の台頭〕
一つには「構造改革」を推進した結果、利益を地方の業者にまわすといった利益分配型の政治ができなくなり、「いろいろあっても経済は自民党」といった具合に、国民に信頼される関係がどんどん希薄になっていったことがあると思います。「負け組」には支援しないというわけですから。
そこで出てきたのが小泉内閣の「大企業が潤えば、いまに国民も潤う」であり、また「負けるのは本人の責任」という「自己責任」論です。
しかし、前者は「大企業が潤っても、国民は潤わない」という事実によって否定され、後者もいくらなんでも酷すぎる。
そこで「国のすることに逆らうな」という強権的な国家主義が、次第に前に出てきているのではないでしょうか。
財界へのメディアの従属といったことも指摘されていますが、財界の諸政策への「同意」を強制する思想として、国家主義、復古主義の役割が大きくなっているように思います。
それは裏を返せば、日本の経済的・政治的支配層が復古主義以外に、国民を「統合」する新しい戦後型の思想・イデオロギーをもつことができなかったという、弱点の現れでもあると思います。
これも少し、歴史をふりかえってみると、八〇年代には中国や韓国とのあいだでの教科書問題がありました。
九〇年代に入り「日米構造協議」を受けて、日本が「構造改革」に走りはじめていく時期の九三年には、「慰安婦」問題での「心からお詫びと反省の気持ち」を表明した「河野談話」が、九五年には「植民地支配と侵略」に対して「痛切な反省の意」を表した「村山談話」が出されています。
これに対して、復古主義者からの巻き返しがおこり、九三年には自民党に歴史検討委員会がつくられ、九五年には『大東亜戦争の総括』が出版されます。南京大虐殺や「慰安婦」問題は事実ではない、それにもかかわらず教科書に書かれている、教科書の書き換えに向けて学者をつかった国民的運動が必要だ、とされました。
それにぴたりと歩調をあわせて、九六年から「産経新聞」で「自由主義史観キャンペーン」が開始され、九七年には「日本会議」「新しい歴史教科書をつくる会」「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が発足します。
「構造改革」が推進される過程は、政府の中から出てきた歴史問題での一定の反省に、激しい巻き返しが起こる時期と重なっているのです。
「六大構造改革」を掲げた橋本首相は、直前の九三年から九五年まで日本遺族会の会長でした。彼は靖国公式参拝を公約に掲げて首相になります。
二〇〇〇年代に入り、小派閥の長だった小泉さんが首相になった背後にも、八月一五日に靖国神社に公式参拝するという公約がありました。日本遺族会の大きな支持があったと言われています。
「構造改革」の歩みは、復古的な国家主義の台頭あるいは前面化と時期を同じくしていました。
先日、「朝日」のオピニオン欄に、私の同僚であった内田樹さんが、「日本の現在地」という一文を寄稿し、示唆に富んだ文章として話題になりました。
そこで内田さんは、グローバル企業段階で国民国家が解体させられつつあると述べていましたが、私流の言葉で言いなおせば、「国民経済を破壊しながら、国民国家を維持する試みがアベノミクスと復古主義的国家主義の結合」ではないかと思います。
〔改憲案にも復古と「活力ある経済活動」の両方が〕
そのアベノミクスと復古の結合が端的に現れているのが改憲問題です。自民党の改憲案には、いろんな要素が組み込まれています。
一つは天皇中心の復古主義の方向です。二つはアメリカと協力して戦争ができる国、三つは「公の秩序」を最優先し、国民の権利や自由を国家が制限・抑圧できる国、四つは国民が自己責任でいきる国、五つは「活力ある経済活動をつうじて国を成長させる」、そういう国づくりの方向です。
そこには、復古主義的国家主義、財界が求める「構造改革」、アメリカとの共同戦争の実現などがごちゃごちゃになって入っています。
特に目につくものの一つが「公の秩序」に反するものを許さないとする思想です。国民の自由や権利も、幸福追求権も、集会・結社の自由も「公の秩序」の範囲内に押しとどめる。
さらに「国防軍」は「公の秩序」を守ることを任務の一つとし(九条三項)、内閣総理大臣はその「国防軍を統括」(七二条三項)して、「内乱等による社会秩序の混乱」に際して「緊急事態」が宣言できるとなっています(九八条)。国防軍は、国民に銃を向けるということです。
「公の秩序」の具体的な内容なのは、「国民統合の象徴である天皇を戴く国家」(前文)でしょうから、ここにいう「公の秩序」はもはや戦時中の「国体」に近しいものと理解するしかありません。
この点にかかわって注目しておきたいのは、自民党が二〇〇九年に下野し、翌二〇一〇年につくった新綱領の内容です。
自民党の再生をはかるときに、何を柱にすえることができるのか。それは思想的には「日本らしい日本の保守主義を政治理念」とし、政策的には「日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す」ということでした。
復古主義のもとに、海外に軍隊を出すことのできる国づくりをするということです。
ですから、このような改憲への動きは安倍さん個人の思想的背景に解消することのできるものではありません。自民党の「再出発」はこうした自民党全体の右傾化の過程であったのです。
そして、ここに財界が求める経済路線が付け加えられます。新綱領は「我が党の政策の基本的考え」の四番目に「自律と秩序ある市場経済を確立する」を掲げました。
この内容に関連して、綱領策定の中心に立った伊吹文明氏は「資本主義経済でなければ、経済が発展しないことは歴史が証明しています。しかし、資本主義経済はそれを動かす人間の自己抑制がなくなると、誠に醜い拝金主義経済に陥ります」「額に汗せず、お金を右から左に動かして儲ける人が偉いわけではありません。下請けいじめの利益は立派なことではありません。自律と秩序ある市場経済の確立がわが党の基本です」と述べました。
ところが「自律と秩序ある市場経済」の内容に入ったとたんに、伊吹氏は「一部の人を優遇し、競争条件を不平等にする政策を採るのは、保守主義本来のあり方に反する」と強調します。
国民には機会の平等が与えられれば良いのであり、あとはすべてを市場に任せていくということです。競争の中で強いものが勝ち残るのは当然で、そのときに弱い立場にたった人間を救うような「優遇」はしないということです。
自民党の憲法改正草案の前文にある「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」という文章を、自民党の『日本国憲法改正草案Q&A』は何も解説していませんが、内容は右の伊吹氏の説明で十分でしょう。
復古主義を強化しながら、財界いいなりの経済政策を進めることは自民党の改憲案にもまとめられているのです。
──しかしアベノミクスと復古はうまく両立していけるのでしょうか。最後に、このアベノミクスにどう立ち向うかについてもお話し下さい。
〔復古主義と財界、アメリカとのねじれ〕
財界は、アベノミクスの推進を歓迎していますが、東アジアとの対立は望んでいません。
たとえば日本経団連は、四月一六日に「通商戦略の再構築に関する提言」を発表しましたが、そこでは「日中韓FTA」が必要である、そのためにも「対中国市場アクセスの改善はわが国にとって重要である」と述べています。中国はじめ東アジアの経済成長を、いかに自分たちの利益に結びつけるかは、日本財界にとって最重要の課題の一つとなっています。
ところが安倍内閣は、日本軍「慰安婦」問題でも、靖国神社参拝問題でも、アジアとの対立を深める方向に進もうとする。
日本国憲法は「信教の自由」を定めた第二〇条で、国や自治体は特定の宗教的活動をしてはならないと定めていますが、自民党の改憲案はここに「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」と追記しています。
つまり靖国神社や各地の護国神社への参拝を合憲にしたいということです。このような方向性が、アジアと世界に受け入れられるはずがありません。つまり財界のめざす道と、自民党や改憲案の復古主義には相当に深刻なねじれがあるのです。
それは、小泉内閣や第一次安倍内閣の時にも露呈した問題です。小泉さんが連続して靖国神社に参拝したさいに、日本経団連の奥田会長(当時)は、靖国に行かないように進言しました。
また経済同友会からは「過去に対する謙虚な反省」が必要である、「『不戦の誓い』をする場として・・・靖国神社が適切か」という問題提起まで飛び出しました(「今後の日中関係への提言」〇六年)。
財界の利潤第一主義と復古の流れの衝突が前面に出た瞬間でした。この時「日本の伝統を金で売るのか」と財界にかみついたのが、当時の安倍さんでした。
この点での対立の構図は、今日もまったく変わっていません。財界はアベノミクスの推進は評価するが、ゆきすぎた復古主義が財界の利益を損なうようになれば、それは決して許すことができない。逆に安倍さんたちは、アベノミクスを進めながら、どこまでの復古が許されるのかを様子見している。彼らは見事な一枚岩ではありません。
同じようなねじれは、復古主義とアメリカとの間にもあります。
日本に向かって「TPPに入れ」「基地を辺野古にもっていけ」「集団的自衛権を行使しろ」「原発政策を継続しろ」と要求し、それにこたえようとする安倍内閣の動きは歓迎するが、復古主義の台頭には釘をさす。
そうでなければアメリカが二一世紀の最重要な二国間関係だとする米中関係を混乱させられてしまうからです。また米日韓の「同盟」を混乱させられてしまうからです。
第一次安倍内閣の時に、アメリカはすでにこの点で手を焼いた経験をもっています。
そこで今回は、安倍内閣が誕生した直後から、「河野談話」の見直しをするなと繰り返し伝えて来ましたし、超党派の対日政策文書である「アーミテージ・レポート(第三次)」も歴史問題への真摯な取り組みを求めて来ました。今回の閣僚の靖国参拝についても、アメリカはただちに「懸念」を伝えています。
安倍内閣は、財界、アメリカいいなりを基本としていますが、財界、アメリカとねじれて、対立しているところもあるのです。
安倍内閣の暴走は、ただちに国民とのあいだに大きな摩擦を生みますが、この復古主義の問題では、摩擦は東アジアとのあいだだけでなく、財界やアメリカとの間にも起こるものとなっています。
〔復古主義以外の保守政党がない〕
どうしてこういうねじれをもった政権ができあがってしまったのか。端的にいえば、日本の政界には、ほかに財界、アメリカの要望にしたがって政治を実行できる勢力がいないからです。
それができる政党は、復古主義すなわち「日本らしい日本の保守主義を政治理念」とする自民党のほかにない。これ以外の財界いいなり政党の育成に、日本の財界は成功してこなかったのです。
ゆきすぎた復古主義があらわになり、財界、アメリカが安倍内閣を見限る局面が生まれたとしても、財界には、その次の政権を安心して託すことのできる別の勢力はありません。
もう少し歴史を大きく見ておけば、これは戦後日本政治の「三つの異常」と指摘される、対米従属、財界いいなり、侵略と加害への無反省が、共存できなくなってきているということです。
利潤第一主義にとって、過度の復古は、すでに許しがたいものになりつつある。世界経済における中国や東アジアの台頭がそれを求めているわけです。
しかし、ここで復古主義を否定してしまえば、「国のいうことは何でも聞け」と、国民に財界いいなりを強いる国家主義の柱は失われてしまう。
日本の支配層は、いまそういうジレンマの中に立たされています。これは非常に大きな変化の兆しといっていいのではないでしょうか。
もちろん、それを支配層内部の衝突による国民支配の新たな再編にとどめないためには、過去の歴史の反省にたって、アジアや世界に新たな友好を広げる取り組みに加え、財界やアメリカによる国民支配との一層力強いたたかいが不可欠です。
〔経済政策と国づくりの二つのレベルの対案を〕
最後にアベノミクスにどう立ち向かうかという問題です。私は、経済政策のレベルでどういう対案を示すかということと同時に、安倍政権がアベノミクスの遂行もふくめて行おうとしている国づくりのレベルでの対案を示すこと、この二つが大事だと思います。
経済政策の点では、共産党は、四月に「『アベノミクス』の危険な暴走を許さず、消費税増税を中止し、国民の仕事と所得を増やす、本格的な景気回復を」という政策を打ち出し、「賃上げと安定した雇用の拡大で、働く人の所得を増やす」「消費税増税を中止する──財源は消費税に頼らない『別の道』で確保することを提案しています」「現役世代も高齢者も安心できる社会保障に」「内需主導の健全な成長をもたらす産業政策に」という四つの方向を明確にしています。
前向きな産業政策を提示したところは新しい注目点で、今後も経済再建あるいは本当の意味での経済「再生」の道を、わかりやすく建設的に示すということに力を注いでほしいと思います。
もう一方の国づくりのレベルでは、改憲案にすでに指摘したような多くの問題点があるわけですが、「大企業が潤えばいまに国民も」という破綻済みのトリクルダウンを憲法にまで書き込んでいくという国づくりでいいのか、国民のくらしを守り発展させる国家でなく、もっぱら大企業ばかりの発展をめざしていく、そんな国づくりでいいのか、ということが大きく問われる必要があるように思います。
なにより政治は国民のためにあり、国家は国民のくらしを守り、発展させるためにあるのではないのか。そのことを、強く訴えていく必要があるのではないでしょうか。
九六条を入り口とした危険な改憲をゆるさないという取り組みに、日本国憲法が本当に生かされた社会をめざす、前向き改革を対置することが重要だと思います。
そうして憲法の条文を変えさせないという保守の護憲から、憲法をいかした社会づくりを積極的にめざしていく改革の護憲へと、護憲の射程を広げていく必要があるのではないかと思います。(いしかわ・やすひろ)
以下は、「京都民報」2012年9月30日付、3面に掲載されたものです。
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橋下「日本維新の会」その狙いと特徴(下)~石川康宏神戸女学院大学教授に聞く
"国民の願い抑えつけ、財界支援政治"
--道州制によって京都ではどういったことが起こると考えられますか?
京都府は解体され、京都府地域と住民は「関西州」に吸収されていきます。京都らしい政策、大阪らしい政策といった地域の色合いに応じたきめ細かい政策はなくなります。
たとえば府下の市町村に対する京都府独自の助成は、福祉や教育もふくめて、継続されなくなるでしょう。
「関西州」の予算は、多くが大阪湾周辺の大企業が集中する地域に、阪神港湾の開発、高速道路や鉄道など関西空港へのアクセス強化などの形で落とされて、現在の京都府民にはますます遠い政治になっていきます。
"「道州制」・規制緩和めざす「維新八策」"
--「維新の会」の発表している「維新八策」とはどういうものですか?
これは「維新の会」が衆議院選挙でのマニフェスト(公約)としてつくりはじめたものです。修正されて4種類が出されており、9月になって急に「日本維新の会」の「党綱領」という位置づけに変えられました。
「維新の会」がやりたいことは、4種類目の「維新八策」の前文に集中的に表れています。短いものですので、全文を紹介しておきましょう。
「中央集権と複雑な規制で身動きが取れなくなった旧来の日本型国家運営モデルは、もはや機能せず、弊害の方が目立つようになっています。今の日本を覆う閉塞感を克服し、国民の希望を取り戻すには、国からの上意下達ではなく、地域や個人の創意工夫によって社会全体を活性化し、グローバルな競争力を持つ経済を再構築する必要があります。そのためには国民の総努力が必要です」。
いまの日本をダメにしているのは、「中央集権」と「複雑な規制」であり、それを転換する「地域や個人の創意工夫」が必要だというわけです。
その転換の方向は、端的にいえば「道州制」と規制緩和(自己責任)です。
それによって「グローバルな競争力を持つ経済」、つまり大企業をつくることができるので、そのために国民は「総努力」をしろというわけです。これもまた「大企業が潤えば、いまに国民も」という筋書きです。
「八策」の細部には、ふれるゆとりがありませんが、憲法改正、日米同盟の推進など、経済問題以外の分野でも、財界が求める旧来型の政治そのままです。「維新の会」とは名ばかりで、実態は「国民総ガマンの復古の会」が正確です。
「八策」には「企業・団体献金の禁止」が明記されていますが、橋下氏は9月になって企業献金を受け取る意向を表明しました。
その後、さらに、これを取り消す方針が確認されたようですが、大企業・財界にすり寄りたいという希望があるからこその動揺といっていいでしょう。
"橋下人気に依拠当選のため「野合」"
--同会は「日本維新の会」として国政政党になりましたが、組織としてどのような特徴がありますか?
組織としての体を成していないと思います。基本的には橋下氏の個人人気に依拠したワンマン組織です。
「大阪維新の会」についても「日本維新の会」についても「橋下氏の仲間だ」といえば選挙に当選しやすいという、ただそれだけのことで集まっている議員や候補者たちの組織です。共通の価値観は「野合」でしょうか。
大阪市長選挙・府知事選挙では、既成政党や既得権益者への批判勢力であるかのように振る舞って一時的な人気を博しましたが、「日本維新の会」として全国民に姿を見せた時には、最初から既成政党とのごった煮です。
自民党の安倍晋三元首相に党首への就任を呼びかけたり、政策ブレーンとして元自民党幹事長の中川秀直氏を引き抜こうとしたり、国政政党としての要件を満たすために、政策の違いを無視して民主党、自民党、みんなの党から「橋下ボーイズ」をかき集めるなど、既成政党に依存しなければ旗揚げもできませんでした。
その意味では、大阪のように大きな人気を集めることは難しいでしょう。
"国民が模索する「新しい政治」実現"
--国民の願いに応える政治に変えていくには、どうしていけばいいですか?
「維新の会」の本当の姿をよく知り、広めることが必要です。
彼らは弱いものの味方ではありませんし、民主や自民の政治を転換するものでもありません。反対者を力で抑える強権的な政治を行います。そして「既得権益とたたかう」を売り物にしながら、最大の既得権益者である大企業・財界には、自分からすり寄っていくだけです。こうした実像を広めることが大切です。
国民はこれまでの政治にかわる新しい政治を模索しており、消費税増税反対、TPP反対、脱原発・原発ゼロ、オスプレイ配備反対・基地撤去など大きな運動もつくられています。
このどのテーマについても「維新の会」は「古い抵抗勢力」です。そこをクリアにするためにも「新しい政治」の具体的な形を急いで明らかにしていく必要があるわけで、この点では日本共産党に一層の努力を期待したいところです。
"ネットを活用し世論を動かそう"
橋下氏や「維新の会」はツイッターやフェイスブックをつかって、「世論」を味方につける努力を大いにしています。他方でアメリカの「オキュパイ運動」、中東・アフリカの「ジャスミン革命」で、フェイスブックは大きな役割を果たしました。
日本にもインターネットをつかって情報を集め、自分で判断し、自分で行動するという新しい社会層が急速に育っています。この状況に乗り遅れることなく、うまく対応していくために「京都民報」の読者のみなさんにも、これらの積極的な活用をよびかけたいと思います。
以下は、「京都民報」2012年9月23日付、3面に掲載されたものです。
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橋下「日本維新の会」その狙いと特徴(上)~石川康宏神戸女学院大学教授に聞く
橋下徹・大阪市長が率いる「維新の会」が政党化し、京都含め全国で進出を狙っています。『橋下「維新の会」がやりたいこと──何のための国政進出?』(新日本出版社)を出版した石川康宏・神戸女学院大学教授に、「維新の会」の狙いや特徴、京都への影響などについて聞きました。
“財界いいなり政治”の継続
--「維新の会」にはどのような特徴がありますか?
彼らの政治は、市民生活の支援を切り捨て、浮いたお金を大企業支援に活用するということで一貫しています。
橋下氏は、大阪府知事時代にも、大阪市長になってからも、医療、福祉、教育、中小企業、商業、農業など市民の生活関連予算を切り捨てて、その一方で、大企業が行う開発や、大企業を招き入れるための開発には、手厚い予算を投じています。
橋下氏は「小泉・竹中路線をさらにもっと押し進めることがいまの日本には必要」(10年6月8日)と述べましたが、ここに彼らの姿勢や役割がはっきり表れています。
つまり「維新の会」は「大企業が潤えば、いつか国民も潤う」という破たん済みの「構造改革」路線の継承者だということです。それは自民党・民主党に続いて財界・大企業を支援しようとするものでしかありません。
--どうして「維新の会」が注目を集めているのですか?
自民党・民主党が国民の批判を受け、これらを中心にした政治の体制が崩れていることが根本です。
世論調査によれば、民主党や自民党の支持率は低迷し、両党の大連立への期待もわずかなものです。国民は新しい政治への転換を求めています。
そういう中で「維新の会」が、従来の政治を転換してくれるのではないかという誤った期待が広められ、それによって注目されているわけです。この点ではマスコミの責任は重大です。
90年代末以降、財界は、いつでも自民党と民主党のどちらが政権について「財界いいなり政治」を行う「二大政党制」をめざしてきました。しかし、これが破たんの危機に瀕しています。
その時に、財界の願いにすり寄りながら、大阪から手をあげたというのが橋下「維新の会」の位置づけです。
国民の批判をうけた「財界いいなり政治」を継続するには、国民の意向をはねかえす「力」が必要になりますが、それを「決定する政治」などの言葉でごまかして、現在の「政治の停滞」を批判する国民の支持を集めようとしています。
--「維新の会」が狙う道州制とはどういったものですか。
橋下氏は、府知事になった08年の秋には「関西州」や「道州制」を語り始め、今日までそれを政治改革の中心においています。彼らがつくった「維新八策」でも「道州制」は第一項目の中心部分になっています。
「道州制」はもともと関西財界の発案ですが、現在では日本経団連はじめ財界全体の優先政策になっています。
全国47の都道府県による「地方自治」を、北海道、東北州など全国で10程度の「地域経営」に転換します。例えば京都府、大阪府、滋賀県、奈良県、和歌山県、兵庫県はすべて解体され、1つの「関西州」にまとめられます。
それぞれがもっていた予算は「関西州」に集められ、この巨大予算が「大企業が潤えば、いまに国民も」という理屈のもとに、「関西州」内部の大企業に集中的に投下されるわけです。
つまり「道州制」は大企業本位の政治そのもので、そこから「究極の構造改革」とも呼ばれています。
以下は、日本共産党「しんぶん赤旗・日曜版」2012年8月26日に掲載されたものです。
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どうみる二大政党破綻、「維新」/神戸女学院大学教授石川康宏さんに聞く/〝小泉・竹中〟踏襲の「維新」 米国、財界優先/民、自の一部と合流狙う
民主・自民・公明3党による消費税増税法案の談合・強行。橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」の政党化・国政進出の動き・・。これらの動きをどう見るか。『橋下「維新の会」がやりたいこと 何のための国政進出?』(新日本出版社)の著者、石川康宏・神戸女学院大学教授に聞きました。(田中倫夫記者)
--野田内閣が国民から見放され、自民党への批判も強く、「二大政党政治」の破綻が鮮明です。
石川 財界は2003年に、旧民主党と自由党を合併させて今日の民主党とし、第2自民党として育てる戦略をとりました。その民主党が政権交代3年で完全に行き詰まってしまいました。担い手が自民党であれ、民主党であれ、国民は財界・アメリカいいなりという政治の中身を拒絶したわけです。
自民党も消費税増税、社会保障切り捨てなど国民生活軽視の路線は、民主党と同じです。そこで、政権復帰を目ざしながらも、見せかけの政府批判しかできません。それが自民への不信も強めます。どちらも国民の生活に寄り添おうという姿勢をもちません。ですから「二大政党制」の破たんは加速せざるを得ないでしょう。
自民と民主が、うり二つになっているのは、どちらも財界・アメリカの願いをかなえるためにつくられた政党だからです。自民党は戦後、反共・再軍備・改憲を推進するアメリカや、復活しつつあった財界の要望にそってつくられました。民主党はその政治の継続を目的につくられた政党です。こうして両者が似すぎていることが、アメリカ型の二大政党制を実現する、むしろ障害となりました。支配層の焦りが生み出したジレンマです。
--安倍晋三元首相ら自民党や民主党の一部議員が「大阪維新の会」との連携・合流をにらんで動いています。
石川 「維新の会」は中央政界や財界との結びつきが必ずしも強くなく、国政進出の足がかりをいろんな形で求めています。そのひとつが右派勢力にこびを売るということです。「維新八策」の第2弾(「レジュメ」)では、「首相公選制」の討論点に「天皇制との整合性」、また〝安全保障の観点からの外国人への国土売却規制〟が挙げられました。「戦後レジームからの脱却」を求める安倍晋三氏らへのすり寄りです。
しかし、安倍氏は古い日本に戻れとはいうが、日本の未来を語るわけではありません。「維新」が彼らと結びついても新しいビジョンは出せません。あれだけ既成政党批判をしていたのに、自分たちが国政に出るとなった途端に、既成政党中のもっとも古い流れと結びつく。これでは、「維新」どころか、「復古」の会ではないかと思います。
--「維新の会」が国政に進出すれば・・。
石川 だれのための政治なのかが評価のポイントです。府知事時代に橋下氏は、〝住民サービスは市町村の仕事〟といって生活関連予算を切り捨てました。そして大阪市長になったいま、やはり住民生活予算を切り捨てています。浮いたお金は大型開発などで大企業に流しているのが実態です。「維新八策」では、いろいろな「大阪方式」を国政で実施するとしていますから、ろくなことにならないのは明らかです。
「維新」と財界のこれまでの最大の接点は「道州制」でした。「大阪都」もそこへのワンステップです。府知事になった年に、橋下氏は早くも「関西州の夢」を語ります。今年の関西財界との新年互礼会でも〝道州制をやるから支持してくれ〟といいました。「道州制」というのは、自治体予算をまとめて大企業支援のために活用する究極の「構造改革」です。その最大の推進者は、日本経団連などの財界です。
橋下氏は経済政策は「小泉・竹中路線」でいいと繰り返し、ブレーンにも「構造改革」論者を集めており、〝大企業が栄えれば、いまに下々も潤う〟という大企業優先の政治を推進することになるでしょう。
--国民の願いにこたえる政治をつくるためには、どういうことが必要でしょうか。
石川 「維新の会」が国政進出を果たしたとしても、政治の中身は何も変わりませんから、そこに未来はありません。
国民は「自民、民主型」でない政治を求めています。しかし、新しい政治の担い手については、まだ具体的な像を結んでいません。とはいえ、消費税、原発、米軍基地、TPP(環太平洋連携協定)などの問題での広い国民の運動は、日本共産党の主張や行動と深く重なるものになっています。
いまは個々の政策とともに「本来、政治はこうあるべきでは」「こういう社会をめざそう」という理念をわかりやすく語ることが大切です。新しい政治の具体的なイメージを語るということです。
そのために共産党のみなさんにお願いしたいのは、ツイッターやフェイスブックの活用です。仮に共産党員1万人が声をあげれば、それを瞬時に数百万人に届けることができるのです。「苦手だ」といわずに「学んで」ほしいと思います。
以下は、新日本出版社『経済』2010年5月号、№200号、2012年5月1日発行、6~24ページに掲載されたものです。
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マルクス
経済学のすすめ
大特集
石川康宏さんに聞く
〔神戸女学院大教授〕いしかわ・やすひろ
マルクスの目で現代を見て、社会を変える
【1】 カール・マルクスという人
──今日は、特に「3・11」から1年の現代日本に焦点を当て、マルクスの目でみて、どう社会を変えていくかをお聞きしたいと思います。まず、その前にマルクスという人物についての簡単な紹介をお願いします。
●革命家だからこそ冷静な研究者
カール・マルクスは1818年に、今でいうドイツで生まれて、1883年にイギリスで亡くなった革命家です。
生まれた場所を「今でいうドイツ」といったのは、当時、あの地域には、統一されたドイツという国がなかったからです。マルクスは後の1871年にドイツ帝国がつくられる時に中心的な地位を占めていく、プロイセンという王国に生まれたのでした。
亡くなった場所がイギリスだというのは、イギリス旅行の最中に亡くなったということではありません。
若い頃から革命運動を行い、君主制の政治体制を議会のある国民主権の政治につくりかえようとし、さらにその道をすすんで資本主義から共産主義へ社会のしくみをつくりかえることを目指したため、マルクスは権力者たちから抑圧されて、プロイセンに住めなくなっていったのです。
プロイセンを出た後、パリやブリュッセルなどを転々とした後、結局、長くイギリスのロンドンでくらすことになりました。
マルクスは革命家であると同時に、人間社会のしくみや歴史、社会改革の可能性を根本から探求した巨大な学者でもありました。
この「同時に」ということを、もう少しつっこんでいうと、マルクスは革命家であるがゆえに学者でもあらねばならなかった、そういうタイプの人でした。ややこしい言い方ですが、それはこういうことなのです。
マルクスの以前にも、貧困や差別をなくすための社会改革を訴えた人たちはたくさんいました。
その人たちの多くは、「理想的な社会」の設計図をあたまの中でつくり、その社会づくりに賛成してくれる、特に富裕者の財力にたよって改革を行おうとしました。
それに対してマルクスは、そうした改革は貧困や差別に苦しめられている当の労働者が、知的にも政治的にも成長して実行するしかないし、いわゆる「理想的な社会」というのは、あたまの中で自由に構想することができるものではなく、いまある社会の実際の発展の中に見つけ出さねばならないと考えました。
ちょうどお医者さんが病気を治すために、からだのしくみについての正確な知識を必要とするのと同じように、マルクスも貧困や差別といった社会の病気を治すには、そういう症状を生み出す社会のしくみを根本から正確にとらえることが必要だと考えたのです。
ですからマルクスにとって、革命家であろうとすることは、現実社会の徹底した研究者であろうとすることと完全に一体だったのです。
マルクスに対するひとつの誤解として、マルクスは「革命をせねばならない」というある種の「思い込み」にとらわれたので、人間の社会を偏った一面的な見方でしかとらえることができなかったというものがあります。
しかし、社会のしくみをとらえ損なえば、どんなに崇高な社会改革への願いも決して実現させることはできない。それがマルクスの考え方でしたから、予断をもたず、偏見なく、あるがままに人間社会を冷静にとらえる努力をつづけました。
マルクスは65年間の生涯に、社会改革の運動でも、人間社会の研究でも、多くの人が認める大きな実績を残しました。
ですから、亡くなって約130年もたっているのに、ノートや草稿をふくめた初めての本格的な全集が、国際的な共同事業として今なお出版され、代表的な著作である『資本論』の新訳が、日本で今年も出版されています。
●閉じた教義でなく開かれた発展の理論
マルクスが残した学問は非常に多面的ですが、その成果は、世界観あるいは哲学、特に資本主義社会についての経済学的な解明、資本主義の発展方向の先に見えてくる未来社会論、未来社会への変革の道を探究する革命論という主に四つの領域からなっています。
それらは互いにばらばらにあるのではなく、密接にからみあってひとつの体系的な全体をつくっています。
その全体が、今日「科学的社会主義」と呼ばれるものの出発点となりました。
「出発点となった」というのは、それがマルクスによってすべて完成された、いわば「閉じた体系」ではなくて、マルクス以後の科学の究明により、今も発展をつづけている「開かれた」学問体系であるからです。
この点については、マルクスの終生の友であり、社会改革の同志であり、共同研究者でもあったエンゲルスが「われわれの理論は発展の理論であり、まる暗記して機械的に反復するような教義ではありません」(エンゲルスからケリーウィシュネウェツキへの手紙、1887年1月27日、大月書店『マルクス・エンゲルス全集』36巻、525㌻)と述べています。
マルクスに学びながらも、マルクスにとどまってはならない。そういう発展的な学びを誰に対しても要求するのが、他ならぬマルクスの学問なのです。
【2】 現代の日本社会にもある階級の対立
──そういうマルクスや科学的社会主義の目で21世紀の資本主義を見ると、どんな問題が見えてくるでしょう。
●資本主義社会には客観的な内部の対立がある
「3・11」以後の日本を念頭におけば、まず、震災復興や被災者の生活再建支援の大きな足かせになっているのが、この社会の中の経済的な利害の対立だという問題です。
被災地には全国から多くの募金や物資が届けられ、たくさんの人がボランティアに入りつづけています。
私がつとめる大学の学生たちはグループをつくって、また私の家族も何度か、がれきの撤去や清掃活動に参加しました。
「自分たちにできることが何かあれば」と、被災地や避難先でのみなさんの苦労に心を寄せています。
ところが、政府の復興支援は遅々としてすすみません。それ以前に、「復興」の方向がそもそもピントはずれなものになっています。
私は、復興にあたっては、一人一人の人間らしい暮らしの再建が最優先だと思っています。
しかし、政府の政策の柱は、自分たちが震災前に決めていた経済政策を、「復興」の二文字を利用して、いわばドサクサまぎれに実行しようとするものです。そのために本当の復興策は、じつにおざなりなものにとどまっています。
今、政府が押し進めようとしている政策は、自民党政権が国民に拒絶される大きな理由となった「構造改革」を「成長戦略」という名前で推進することや、どう考えても東北の農漁民を苦しめることにしかならないTPP(環太平洋連携協定)への加入、法人税を減税しながら消費税を増税し、さらに社会保障を細らせる「税・社会保障の一体改革」などで、どれもこれも被災者の生活再建には、逆行するとしかいえないものばかりです。
昨年、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』という本が翻訳されましたが、副題は「惨事便乗型資本主義の正体を暴く」でした。いま日本政府が行っていることも「大震災」という惨事に「便乗」して、大資本に新しい経済的利益をもたらそうとする犯罪的なものになっています。
現実がこのようですから、新聞の世論調査を見ても、「震災後の日本政治」や民主党政権による「震災復興と原発事故」への対応については、7~8割の人が「不満」「評価しない」と述べています。09年に誕生した民主党政権への熱い支持は、すでに完全に冷え込んでいます。
なぜ多くの市民が、もっとすみやかに、手厚い被災者支援が行われることを望んでいるのに、市民の代表であるはずの政治がその声にこたえられないのでしょう。
それは資本主義の社会が、必ずしも善意と連帯の精神でひとつにまとまった協同の社会ではないからで、さらにいえば経済的な権力をにぎった一部の人々が自分たちの利益のために政治を大きく左右する社会であるからです。
●疑いようのない事実──階級・階級闘争
じつは、そのような社会内部の分裂や対立の究明は、マルクスの仕事の重要な内容のひとつをなしています。
マルクスは、封建社会から資本主義社会への転換をすすめる政治革命であるブルジョア革命や、成立した資本主義のもとでの資本家と労働者のはげしいたたかいの経過などを研究し、社会内部の大きな対立が経済的利害の対立にもとづくものであることを明らかにしました。
マルクスは、社会や政治のあり方に対するものの考え方の相違が、そうした分裂や対立を生んだのではなく、逆に、各人の意識から独立した各人の客観的な経済的立場の違いが、彼らのものの考え方の違いを生み出し、それが時に内乱や革命と呼ばれる大きなたたかいや社会の変革をもたらすのだと考えました。
それがマルクスのいう社会の階級への分裂や、階級間のたたかいということです。
現代の日本資本主義を見ればわかるように、この社会の経済活動の根底的な推進力は、トヨタ、NTT、ソニー、本田技研など個々の資本による自分たちの経済的な利益の追求です。
それは高い利益を追求するからこそ、新しく便利な製品をつくりもするし、他方で、労働者をいじめたり、自然環境を破壊するなどの大きな社会問題も生み出します。
その内容については後でお話しするとして、このような大規模な利益の追求を行うことができるのは、それに必要な巨大な各種の設備(工場や建物や店舗など)を所有する社会の一部の資本家たちです。
それに対して、現代日本では労働力人口の8割が労働者とよばれる人たちです。
労働者というのは、誰かに雇われてはたらき、その「対価」として賃金を受け取ってくらす人たちのことですが、この人たちが資本家ではなく労働者にならねばならないのは、彼らが経済活動に必要な設備をもっていないからです。
マルクスはこのような経済設備の所有の有無によって、経済的な立場が異なる人々の集団を、「階級」という言葉で表現しました。
社会は誰もが経済的に同じ立場にいる平板なものではなく、資本家階級とか労働者階級といった大きなグループにわかれているというのです。
そしてマルクスは、人間社会の歴史に刻まれるような社会内部の大きな対立は、この経済的利害の衝突を根底にもつ階級間のあらそい、つまり階級闘争を内実とすることを明らかにしました。
この「階級」や「階級闘争」の発見やその「経済学的解剖」はマルクスが初めて行ったことではありません。
それは資本家や労働者が手をつなぎ、貴族や地主たちとたたかい、封建社会から資本主義社会への転換を押し進めるというブルジョア革命を目の当たりにした当時の歴史学者や経済学者にとって、疑いようのない事実だったのです。
(※)「近代社会における諸階級の存在を発見したのも、諸階級相互の闘争を発見したのも、別に僕の功績ではない。ブルジョア歴史家たちが僕よりずっと前に、この階級闘争の歴史的発展を叙述したし、ブルジョア経済学者たちは諸階級の経済的解剖学を叙述していた。僕が新たに行ったことは、(1)諸階級の存在は生産の特定の歴史的発展諸段階とのみ結び付いているということ……を証明したことだ」(マルクスからヴァイデマイヤーへの手紙、1852年3月5日、『全集』28巻、407㌻)。
●日本の労働者たちよ、団結せよ
さきほど、資本家による労働者いじめの問題にふれましたが、それは必ずしも資本家個人の悪意を出発点とするものではありません。
労働者の賃金や福利厚生費をふくめた人件費を抑制すれば資本家の利潤は拡大します。
そういう経済的な関係が労資のあいだに客観的に存在し、そのもとで資本家同士の競争に勝ち抜き、自分の資本を強く、大きくしていこうとすれば、労働者の賃金を押さえ込み、サービス残業を拡大し、あるいは労働組合をつくってたたかう労働者を排除するなどの方向へ、多くの資本家は引き寄せられていかずにおれないということです。
だから、労資関係には社会的な規制が必要になり、実際、労働基準法をはじめとする労働法は、おかされてはならない労働者の権利を定めることで、労資関係の「公正」性を保とうとしています。
マルクスは、資本主義社会における中心的な利害対立が資本家と労働者のあいだにあるとして、両者のたたかいを資本主義における階級闘争の核心としました。
そういうマルクスの目からすれば、公務労働者と民間労働者、正規労働者と非正規労働者、男性労働者と女性労働者など、労働者同士が互いの処遇の格差のみに目を奪われ、足を引っ張りあうといったことが、資本家たちを利するものでしかないことは明らかです。
特に、最近の公務員バッシングは、住民のくらしに必要な「公務」をなんでも民営化(営利化)という「構造改革」路線で解体し、くわえて正規雇用の公務員の賃金を引き下げながら、大資本に奉仕するための財源を新たに生み出し、その一方で、異常な低賃金を非正規労働者や民間労働者たちに納得させようとするものになっています。
マルクスがこんな日本の現状を目にすれば、「日本の労働者たちよ、何をそんな見えすいた手にのせられているのだ」「すべての労働者は団結せよ」「団結して何より資本家たちとたたかえ」とただちに檄をとばすでしょう。
ここには日本の労働者の階級的な未成熟という問題があるわけです。
【3】 政治権力と経済権力のむすびつき
──資本家階級と政治権力との結びつきは、どのようになっているのでしょう。マルクスの時代とは大きな違いもあると思うのですが。
●天下公認の大資本家団体
現代日本の主な大資本家は、日本経済団体連合会(日本経団連)、経済同友会、日本商工会議所(日商)という、いわゆる財界3団体に集まっています。
彼らは堂々とホームページに組織の目的や方針を示しており、その代表者にはマスコミも取材をし、政府も経済界代表とか民間委員といった資格でいろいろな会議にその代表者を出席させています。
隠れもしない、天下公認の大資本家団体ということです。
マルクスの時代には、このように社会的に強い影響力をもった資本家団体はありませんでした。
個々の資本の規模がまだ小さく、それらがはげしく競い合うというのが資本間の関係の主な内容だったからです。
そこに変化が起こるのは19世紀から20世紀への世紀の転換の頃でした。
特にヨーロッパ社会で、全国的な規模での資本家団体ができ始めるのです。
たくさんの資本が互いに競う自由競争の資本主義から、少数の大資本が手をつなぎ(カルテルやトラストといった業種別の独占団体がまずつくられました)、その一方で労働者だけでなく、中小の資本をも経済的な支配の下におさめる大資本中心型の資本主義、独占資本主義とよばれる段階へ、資本主義の経済が発展したのです。
日本の政府や財界、また彼らと親しい学者の中には、「資本主義は自由競争があたりまえ」「競争のじゃまになる規制は緩和せねばならない」と主張する人たちがありますが(新自由主義の主張です)、それは19世紀と20世紀での資本主義の変化を無視した議論です。
経済構造全体の頂点に君臨する巨大な資本が形成されたもとで、さらに競争を促進する政策をとれば、それは弱肉強食の世界を生み出すことにしかなりません。
結果は最初から目に見えていることで、「構造改革」路線というのは、そのわかりきったことをあえて押し進めて、大資本の利益を拡大しようとするものです。
●政治権力と経済権力の密接な結合
さて20世紀初頭に少数の大資本家が、大きな資本家団体をつくるようになると、それは政治にも直接、強い影響力を及ぼすようになりました。
人脈と金の力でということです。
レーニンが1916年に書いた『帝国主義論』を読むと、20世紀初頭のヨーロッパ社会では「金融寡頭制」ということばが広く使われていたようです。
寡頭制というのは少数者による政治の支配ということですから、「金融寡頭制」というのは当時急成長した銀行資本をふくむ少数の大資本による政治の支配ということでしょう。
実際『帝国主義論』には、大資本家による政治家の買収といったスキャンダルも紹介されています。
また1914年に第一次世界大戦がはじまると、政府と軍需産業の一体化や、そのもとでの政治による経済の統制が進みます。
それは戦争に勝つために政府や軍が経済界を一方的に統制するというのでなく、自分たちの利益が拡大する統制の方法(資源や資金、労働力の配分など)を経済界が政府に求めるという関係をふくむものでした。
レーニンはそのような形をとるにいたった戦時の資本主義を、「国家独占資本主義」ということばで表しました。国家の力と大資本の力、政治権力と経済権力が深く結びつきあった資本主義ということです。
現在の日本経団連(2002年に経団連と日経連が統合して発足)の前身となる経済団体連合会は、敗戦直後の1946年に設立されましたが、さらに、その源流となる日本経済聯盟会が結成されたのは1922年のことでした。
当時の日本は革命後のロシアの政権を倒すという名目で、シベリアに7万人をこえる軍隊を派遣していた頃です。
そこからの撤退の後、日本は1931年に中国東北部への侵略を本格化させ、32年には「満州国」を建国し、37年には中国への全面戦争に入っていきます。
その中で、1940年には日本経済聯盟会が中心になり、戦時経済の統制をすすめる重要産業統制団体懇談会がつくられます。
日本でも大資本家は軍や政府の命令に一方的にしたがうだけでなく、鉄鋼・石炭・石油などの資源や、低賃金あるいは無償の労働力や市場の確保をもとめて、侵略と植民地の拡大を求める推進力の役割を果たしました。
●敗戦後の政治と大資本家たちの復権
このような大資本家団体=財界団体と政治との直接的な結合という関係に大きな変化が生まれるのは、20世紀前半とくに第二次大戦直後のことです。
大資本家団体の前に、国民主権という新しい「敵」が登場してきたのです。
性別や納税額など一切の条件を必要とすることなく、成人男女の誰もが選挙権をもつという普通選挙制度の確立です。
これは封建制の身分社会に「自由・平等・博愛」のスローガンを対峙させた、ブルジョア革命以来の長い市民のたたかいの成果でした。多くの市民にとって、これは新たな人権の獲得を意味するものでした。
しかし、市民は大資本家に都合のいい政治家ばかりを選びはせず、反対に大資本中心の政治や経済を市民本位につくりかえようとする政治家を選ぶ可能性も生まれてきます。
これは財界人にとって重大な危機を意味することでした。
それは戦時期までは半ば神格化されていた天皇から主権を奪い取るものでもあったため、日本の支配層にはかなりの混乱が生まれました。
その混乱を収拾する上で大きな役割を果たしたのは、当時、連合国を代表して日本全土を軍事占領していたアメリカです。
アメリカは第二次大戦後、米ソを中心とした東西「冷戦」の構造をアジアにも形成する中で、自ら草案を書いた日本国憲法(47年5月3日施行)の精神を投げ捨て、アメリカいいなりの軍備増強の道で戦後日本を復興させる方針を固めます。
そして、この方針に従うことを条件に、政財界の大物たちの戦争犯罪や戦争協力を理由にした公職追放を解除します。このような占領政策の転換は、47年から48年にかけてのことでした。
50年には朝鮮戦争をきっかけに、アメリカ側の要請により自衛隊の前身となる警察予備隊が創設され(52年に保安隊、54年に自衛隊)、51年には日米安保条約が調印されます。
朝鮮戦争の時期には、米軍に協力する日本の軍需産業の復活も公然と進み、財界団体からは日本再軍備のための独自のプランも出されます。米軍の占領が公的に終了したのは52年4月のことでした。
その後、55年には、A級戦犯容疑者として「スガモプリズン」に拘束されながら、48年に占領軍によって釈放された岸信介が初代幹事長となって、自由民主党が結成されます。
当時の自由党と民主党を合同してつくられたこの政党は、「自主憲法制定」による9条の改定、つまりアメリカと一緒に戦争のできる国づくりを最大の目標とするものでした。
結局、自民党は改憲の発議に必要な国会の3分の2の議席を得ることはできませんでしたが、岸信介は57年に首相となり、60年には新たに日米共同作戦の義務を負う安保条約の改定を強行します。
こうした戦後の激動の中で、日本の財界は、アメリカによる日本の労働運動の弾圧や公務員からのスト権の剥奪、さらには朝鮮戦争による戦争特需などを背景に、アメリカ占領軍の庇護のもとで、アメリカへの忠誠とひきかえに戦後も支配勢力の地位に復活することをゆるされ、その後もアメリカの対日政策に身をそわせることで急速な成長を達成していきます。
【4】現代日本の財界による政治の支配と世論操作
──そのような関係は、現代の日本ではどのようになっているでしょう。
●日本経団連と「財界いいなり」政治
財界団体は自民党を全力で支援して、国民主権のもとでも「財界いいなり政治」を追求します。
そして実際にも、1955年から2009年までという半世紀に渡る自民党政権(1993年から94年にかけて一時的に野党になった)を実現させ、様々な市民の取り組みへの一定の譲歩は行いながらも、全体としては安定して大資本家の意向を政治に反映させてきました。
その方法の基本は、政党や政治家たちに金と政策を渡すこと、さらに政府の審議会など重要な会議に代表者を送り、政府が決定する政策の立案に大資本家たちが直接参加すること。そして国民には、マスコミや教育をつうじて、財界が望む政治や社会への支持と同意を積極的に調達していくことでした。
これは現在も行われています。
たとえば日本経団連は、90年代末に急速に進んだ自民党の支持率の低下に危機感を抱き、2003年には現在の民主党をつくり(当時の自由党と民主党の合併による)、その後、日本経団連が提示する「優先政策事項」10項目にそって自民党と民主党にA~Eの5段階での「財界通信簿」をつけ、その点数に応じて、両党に企業・団体献金の斡旋を行いました。
長年の蜜月関係もあって自民党に対する「通信簿」の評価は非常に高いものでしたが、民主党への評価はそれほどでもなく、日本経団連は「もっと献金が欲しければ、もっと財界よりに」という圧力をかけつづけました。
自民と民主という二つの「財界いいなり」政党をつくり、アメリカのような二大政党制を実現することで、「財界いいなり」政治を永遠に継続しようとしたのです。
現在の日本経団連には1603人の大資本家や資本家団体の代表が集まっていますが、かれらは70~80の各種委員会にわかれて、日常的に政策立案活動を行っています。
法人税減税と引き換えの消費税増税、社会保障財源をすべて消費税でまかなう、原子力発電を基幹エネルギー源とする、被災地復興を大資本本位の日本改革のモデルと位置づける等、これらの政策はいずれも財界から出てきたものです。
各種委員会がまとめた政策は「意見書」という名でホームページに公開され、重要なものは大臣や首相に直接手渡しされています。
こうして一方の手で政策を渡し、他方の手で献金を斡旋する。長年のこういうやり方は、多くの「財界いいなり」政治家を、自分のあたまで政治の大局を考えることのできない小粒な者たちにするという皮肉な事態も生んでいます。
さらに2011年9月に首相に就任した野田氏は、組閣前に財界3団体への挨拶に出向き、新設する「国家戦略会議」に財界代表が参加することを求めました。
結局、この国の経済政策の決定と実行に関する政府中枢のこの会議には、次の肩書で2人の財界人が加わりました。
「長谷川閑史 武田薬品工業株式会社代表取締役 社長」「米倉弘昌 住友化学株式会社代表取締役 会長」。
長谷川氏は経済同友会の代表幹事で、米倉氏は日本経団連の会長です。
なんのことはない、財界3団体のうち二つの団体のトップが日本政府の経済政策を決定し、推進するもっとも重要な会議の公式メンバーとなっているのです。
(※)この会議の重要な位置づけについては、政府自身が次のように書いています。「税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔並びに政策推進の原動力として、総理のリーダーシップの下、産官学の英知を結集し、重要基本方針の取りまとめ等を行うとともに、国の未来への新たな展望を提示するため、新時代の中長期的な国家ビジョンの構想を行う」(「国家戦略会議の開催について」)。
●マスコミや教育を活用した世論操作
もう一方の、財界団体による国民へのはたらきかけですが、たとえば電力10社で構成する電気事業連合会の広報部長が書いた『電力産業の新しい挑戦』(日本工業新聞社、1983年)には、巨額の広告料を武器に「朝日」「読売」「毎日」など大手マスコミを、「原発安全神話」を国民に浸透させる舞台として抱き込んでいく経過が述べられています。
また、それ以前に日本に原発を導入するにあたり、核エネルギーの「平和利用」をすすめるキャンペーンが、「読売」や同系列の「日本テレビ」などで大々的に行われたことは、広く知られていることです。
日本のマスコミは、世界に例を見ない巨大な規模を誇っていますが、それは決していつでも「公正・中立」なものではありません。
いまテレビが毎日のように取り上げている消費税増税をめぐる論議にしても、まるで日本の税には消費税しかないかのようなものが大多数です。
長く法人税率が断続的に引き下げられてきたことや、分離課税と証券優遇税制によって日本の大資産家(日本の長者番付ベスト10はいずれも大資本家そのものですが)の所得税負担率がきわめて低くなっていることも、まったく話題にされません。
財界団体が「原発安全神話」をつくったように、「消費税増税不可避神話」、「日米同盟絶対神話」など、多くの「神話」がマスコミをつうじて国民の中に浸透させられています。
さらに教育を通じた操作も重要です。今年の4月から使用される中学校教科書のひとつに育鵬社版の『新しいみんなの公民』がありますが、たとえば原発についてはこう書いています。
「エネルギー供給は、原子力発電が約3分の1」「温暖化の原因となる二酸化炭素をほとんど出さず、原料となるウランをくり返し利用できる利点があり」「安全性や放射性廃棄物の処理・処分に配慮しながら、増大するエネルギー需要をまかなうものとして期待されています」(178~9㌻)。
これがテストに出されれば、子どもたちは原発は「期待されて」いると回答せねばならないのです。
●階級闘争の三つの側面と前向きの変化
このように日本の財界団体は「財界いいなり政治」の継続・強化のためにありとあらゆる手をつかっています。
しかし、それにもかかわらず自民党の長期安定政権は崩れ去り、その後の二大政党制へのもくろみも破綻の危機に瀕しています。
なぜ、そうなっているのでしょう。それはいまの政治に満足できない多くの市民の抵抗や批判の力がはたらくからです。
先に、資本主義社会の内部に階級間の対立をみるマルクスの議論を紹介しましたが、マルクスは社会発展の原動力は階級闘争なのだと繰り返しました。
階級間のあらそいとか、階級闘争というと、血で血を洗うといった激烈なものばかりがイメージされるかも知れませんが、マルクスの理解は必ずしもそうではありません。
盟友エンゲルスは、晩年に、資本主義社会における階級闘争の三つの側面について述べました。
ひとつは直接的な労資の雇用関係をめぐる経済闘争、もうひとつは労資の対立を軸とした政治の舞台での闘争、三つは政治や社会のあり方をめぐる思想の分野の闘争です。
これらの三つの分野でのたたかいがバランスよく展開されるときに、労働者階級のたたかいは前進するというのです。
つまり、選挙をつうじて自民党政権をたおし、いままた民主党政権に愛想をつかし、新しい政治のあり方を模索している国民の動きは、各人がそう自覚しているかいないかにかかわらず、それ自体が階級闘争の一環をなしているということです。
選挙で選ばれる議員の多くが「財界いいなり」を受け入れる者か、拒否する者かは、大資本家たちにとって決定的な問題です。
そこで財界団体や時々の政権党は、国民の声が国会に正確には反映しないようにする選挙制度改革に執着します。
多くの「死票」を生み出す小選挙区制を導入したり、各地での「一票の格差」を放置したり、あるいは市民による自由な選挙活動に多くの制約をかけるというのはそのためです。
野田首相も消費税増税とだきあわせで、比例選挙で選出される国会議員の定数を減らすということを企んでいます。
他方で、重要な前向きの変化に思えるのは、「原発ゼロ/脱原発」の取り組みで、大手マスコミの情報にはもう踊らされないという気づきを得た若い世代が、大きな役割を果たしていることです。
何が正しいのかを、主にインターネットを使って、自分で調べ、意見を交わし、自分のあたまで判断していく。そして、その判断を自分から社会に発信していく。
ツイッターやフェイスブックを活用した、そういう行動の輪の広がりは、マルクス等の視角にそっていうと、今の社会での世論操作の枠を抜け出そうとするものとして、思想闘争の分野に新しい前向きの変化をもたらすものになっています。
フェイスブックが中東やアフリカの民主化、そして「ウォール街占拠」運動に大きな役割を果たした実例でも、あるいは逆に、大阪維新の会の橋下代表等が精力的にツイッターを活用していることを見ても、インターネットをつうじた人々のつながりの場は、ますます重要な思想闘争の現場となっていくでしょう。
【5】資本主義発展の原動力としての根本矛盾
──なるほど興味深いお話です。ここでマルクスにもどって、その資本主義研究の特徴について、お願いします。
●資本主義を人類社会の進化の過程に
まず用語の問題についてです。私たちは、現代の日本やヨーロッパ、アメリカなどを資本主義の社会とよびますが、近代の人間社会の本質を「資本主義」という言葉で総括したのは、マルクスが最初です。
若い頃のマルクスは「ブルジョア社会」とか「商工業社会」といったよびかたをしましたが、『資本論』にいたる研究の中で、次第にこれを「資本制的生産様式」と呼ぶようになり、『資本論』でもそうした用語を多様します。
その後、これがより簡潔に「資本主義」という言葉に転換されて社会に広まり、今日私たちも資本主義という用語を使用するようになっています。
資本主義についての研究ですが、マルクスはその研究の集大成である『資本論』の第一部(初版1867年、その後繰り返し改定)で、この本の「最終目的」は資本主義の誕生から、発展、死滅にいたる資本主義社会の「経済的運動法則」の解明にあると述べました。
それは資本主義という社会を、いまある形のまま、いつまでも変化しないものととらえるのでなく、反対に、はじめもあれば終わりもある、長い人類史のなかの歴史的に過渡的な一段階として研究するということです。
経済学の分野での先達であった古典派経済学者は、資本主義の社会や経済をすくなくとも未来に向けては変わることのない永遠の文明社会ととらえていましたから、人間社会を尽きることのない進化の過程にあるものととらえるマルクスの議論は、それ自体が非常に独創的なものでした。
マルクスはその課題への端的な回答を、『資本論』第一部の最後の部分で与えています。
封建社会の中で進行する、一方における資本の蓄積、他方における労働者の蓄積(農民の手から土地が奪い取られる)について述べた後、マルクスは自立した本来の資本主義の発展を概括し、その中で、まず資本家の側に、強い資本による弱い資本の収奪が進み、また巨大化する強い資本には、ますます多くの労働者の共同なしにどのような生産も行うことができない生産の社会的性格が深まることを指摘します。
「ますます増大する規模での労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術学的応用、土地の計画的・共同的利用、共同的にのみ使用されうる労働手段への労働手段の転化、そして結合された社会的な労働の共同的生産手段としてのその使用によるすべての生産手段の節約が発展する」(『資本論』第一部第24章。以下『資本論』からの引用は章だけを記します)。
この指摘の背後にマルクスは、労働者のみの共同による生産の可能性の広まりと、生産の成果を私的に享受するために労働者を指揮する資本家が次第に「無用」になっていく歴史の傾向を見ていました。
もう一方でマルクスは、資本主義の発展が、貧困や抑圧や搾取にさらされながら、機械制大工業のもとで訓練され結合され組織される労働者たちの成長と発展の不可避性を見いだします。
それは資本主義の改革をめざしてたたかう力の成長であるとともに、互いに結合しあい、共同で大規模な生産を管理し、運営する能力の発達を意味しました。
ここで簡潔に総括された論点の多くは、『資本論』第一部の労働日をめぐる労資のたたかいや、機械制大工業、さらには資本主義的な蓄積を分析した諸章で、詳しく展開された問題です。
●資本主義を発展させる原動力は
もうひとつ紹介しておきたいのは、マルクスが、そのような資本主義の運動を生み出す原動力の探求に多くの力を注いだことです。いわゆる「資本主義の根本矛盾」の探究です。
世界のありとあらゆるものは生成、変化の過程にあり、永遠不変のものはない。その変化を生み出す力の源は、そのものの内部にひそむ「矛盾」である。
これはマルクスの世界観の重要な内容のひとつですが、彼は資本主義社会の解明にあたっても、この見地をつらぬきます。
私的な利潤を追求する多くの資本によってつくられた資本主義経済全体の変化、発展は何を原動力としているのか。
マルクスはそれを、まず資本主義的な生産力と生産関係の矛盾としてとらえました。
「資本主義的生産様式が、物質的生産力を発展させ、かつこの生産力に照応する世界市場をつくり出すための歴史的な手段であるとすれば、この資本主義的生産様式は同時に、このようなその歴史的任務とこれに照応する社会的生産諸関係とのあいだの恒常的矛盾なのである」(第三部第15章)。
かみ砕いていうと、資本主義の生産様式(もののつくり方)は、生産力(自然にはたらきかけものをつくる能力)と生産関係(ものづくりにおける人と人との関係)の両面からなっています。
それは、一方で個々の資本の利潤追求にしたがい社会の生産力を発展させようとするが、もう一方で生産力の自由な発展にふさわしい生産関係になっていない。
そこに資本主義が資本主義である限り、決して解消されることのない資本主義の「恒常的矛盾」があるというのです。
「矛盾」というのは、互いに依存し、促進しあう関係と、互いに対立し、排除しあう関係が一体になっている関係です。
これもややこしい話ですが、資本主義の生産力と生産関係のあいだには、一方で、資本家による私的利潤の追求を生産の動機とする生産関係が、新しい製品や技術の開発を求め、それによって社会全体の生産力を発展させ、またそのような生産力の発展が資本家による労働者の搾取の度合いを深め(相対的剰余価値の生産)、それによって資本家の利潤拡大への欲求を満たすという、相互依存の関係があります。
ところが、もう一方で、資本家による私的利潤の追求は社会の多数者である労働者に十分な賃金を与えず、それによって社会全体の消費力を抑制し、生産力の自由な発展をゆるさぬ条件をつくるものにもなっています。
また、そこには、生産力の発展の衝動が、労資関係を機軸とする資本主義の生産関係をのりこえる、新しい別の生産関係を求めるという関係もあるわけです。こちらが相互に排除しあう関係です。
この相互の依存と排除がわかちがたく結びついているのが矛盾で、資本主義的生産様式の場合には、生産力と生産関係がその矛盾を形づくっているというわけです。
ですから、マルクスは、これを端的にこんなふうにも表現します。
「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。資本とその自己増殖とが、生産の出発点および集結点として、生産の動機および目的として、現われる、ということである。生産は資本のための生産にすぎないということ、そして、その逆に、生産諸手段は、生産者たちの社会のために生活過程をつねに拡大形成していくためにだけ役立つ諸手段なのではない、ということである」(第三部第15章)。
マルクスはこの矛盾を、主に恐慌論の分野で具体化しました。
資本による熱狂的な投機と生産の後に、社会全体の消費力を超える過剰生産があらわになり、そこからものが売れなくなり、生産が縮小され、中小資本や時には大資本も倒産し、大量の失業者がつくられ、社会の消費力はますます抑制される。そういう悪循環が周期的に発現する過程を、マルクスは恐慌の運動論として探究しました。
それは資本主義が周期的な恐慌をふくむ、独特の経済循環をへて急速に発展する過程を究明するものでした。
ただし、マルクスはこの矛盾の現れを恐慌にだけに限定したわけではありません。
これは要するに、生産力の急速で多面的な発展の衝動に、これを豊かで健全に発展させるのにふさわしい生産関係が対応していないということです。
だから、地球環境の大規模な破壊、国内外での貧富の格差、原子力発電の推進による放射能汚染の危機、ハイテク兵器による戦争、マネー経済による実物経済の混乱なども、この矛盾の現代的な現れとしてとらえることができるものです。
利潤の拡大が生産の目的であるために、生産力が人間社会の安定や平和を破壊する役割を果たしてしまうということです。
【6】階級闘争の前進と生産力の発展、質の転換
──そのような経済的な矛盾の展開と階級闘争の関係はどのようになるでしょう。
●階級闘争をつうじた社会と生産力の発展
マルクスは資本主義の根本矛盾が、人間の具体的な生活やたたかいから離れて、自動的に展開すると考えたわけではありません。
たとえば生産関係の軸をなす労資関係の具体的なあり方は、時代に応じて、地域に応じて、両者の力関係に応じて変わります。
またどのような製品や技術を開発するのか、原発か再生可能エネルギーかも、具体的な生身の人間が判断することです。
つまり資本主義的な生産力も生産関係も、現実には、いずれも具体的な人間の行動や判断によって肉付けされたものとしてあるわけです。
そこでマルクスが注目したのは、資本主義の生産関係のもとで、互いに対立し、衝突せずにおれない資本家と労働者のたたかいの展開が、生産力の発展や生産様式全体の発展にどのような影響を与えるかという問題です。
その問題をマルクスは『資本論』第一部で、労働時間の上限規制をめぐるイギリスの労働者たちのたたかいや、機械制大工業の歴史を分析する中で明らかにしました。
「資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない。肉体的、精神的萎縮、早死、過度労働の拷問にかんする苦情に答えて資本は言う──われらが楽しみ(利潤)を増すがゆえに、われら、かの艱苦に悩むべきなのか? と」(第一部第8章)。
それが資本の本来の性質であるということを、マルクスは過労死をふくむたくさんの事例をあげて指摘します。
しかし、そうだからこそ労働者たちは生きるためのたたかいを強めずにおれず、イギリスでは半世紀におよぶ「内乱」をつうじて、1833年に15時間労働法、1834年に児童にたいする8時間労働法、1847年には10時間労働法を成立させていきます。
そしてマルクスは「工場立法、すなわち社会が、その生産過程の自然成長的姿態に与えたこの最初の意識的かつ計画的な反作用は、すでに見たように、綿糸や自動精紡機や電信機と同じく、大工業の必然的産物である」と述べます。
労働者階級のたたかいは、むきだしの利潤追求の欲求を意識的に制御するものであり、それを可能にしたのは、一方で労働時間を無限に延長する条件を生み、他方で労働者たちを結合し、組織させる機械制大工業の成立だったというわけです。
さらに、マルクスはこうも述べます。
「工場立法の一般化は、生産過程の物質的諸条件および社会的結合とともに、生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対とを、それゆえ同時に、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(第一部第13章)。
たたかいの成果である工場立法(労働者保護法)が、どの産業でも、性別や年代をこえてすべての労働者に適用されるようになった結果、資本主義にはどういう変化が生まれたのか。それをマルクスは、三つにまとめています。
一つは、労働時間の上限規制が生産技術の新しい発展をもたらしたということです。
それは「生産過程の物質的諸条件」(機械設備)の拡充と労働者の「社会的結合」(労働組織)を押し進め、生産力を急速に発展させる条件となりました。マルクスはそれを相対的剰余価値の生産として分析しました。
二つは、資本主義以前の半ば封建的な労働者への支配が法によって一掃されたことで、労働者たちのたたかいが「資本の支配にたいする直接的な闘争」に純化されたということです。
相たたかう階級関係が鮮明になったということです。
そして、三つは、両者の総括ともなりますが、それらをつうじて資本主義を乗り越える「新しい〔未来〕社会の形成要素」(物質的条件と労働者の社会的結合)と「古い」資本主義の「変革契機」(労働者たちのたたかう力)が成熟していく、ということです。
労働者のたたかいの前進による労資関係の改善が、生産力の発展を押しとどめるのではなく、逆にそれを発展させるというこのマルクスの研究は、その後の歴史によっても実証されます。
たとえば20世紀以後の資本主義は急速な生産力の上昇と、社会保障制度の創設、労働時間の短縮をはじめ職場の労働環境の改善、男女平等の普通選挙権、労働者をふくむ人間の平均寿命の延長などを同時に実現させています。
資本は、労働者による「反作用」の制約を受けても、その制約の中でさらなる利潤を追求し、生産力を発展させる旺盛な活力をもっており、そうして生み出される新しい生産力は、労働者たちのより人間らしいくらしを追求させる新たな条件にもなるということです。
●人間と自然の調和を追求しうる社会のあり方
この点に関連して重要なのは、現代日本の「原発ゼロ/脱原発」をめざす取り組みや地球環境の破壊をゆるさないとする取り組みが、大資本によってつくられた生産力を量的にでなく、質的に、人間社会の存続や発展にふさわしいものに制御しようとするものになっている点です。
マルクスは資本主義による人間と自然の物質代謝の攪乱と再建について次のように述べています。
「労働は、まず第一に、人間と自然とのあいだの一過程、すなわち人間が自然とのその物質代謝を彼自身の行為によって媒介し、規制し、管理する一過程である」(第一部第5章)。
ここでの物質代謝には、不要物の廃棄あるいは自然への返還が当然ふくまれます。
しかし「資本主義的生産様式は……人間と土地とのあいだの物質代謝を、すなわち、人間により食料および衣料の形態で消費された土地成分の土地への回帰を、したがって持続的な土地豊度の永久的自然条件を攪乱する」、そして「それは同時に……その物質代謝を、社会的生産の規制的法則として、また完全な人間の発展に適合した形態において、体系的に再建することを強制する」(第一部第13章)。
これは直接には目先の利潤のための農業生産力の拡大が、土地そのものを疲弊させるものになっており、そこには社会の改革をつうじて「再建」されねばならない人間と土地の関係があるとしたものです。
文中の「土地」を「自然」と読みかえるなら、それは地球環境破壊や、放射性廃棄物の処理方法を持たないままでの危険な原発の運転という、現代的な問題にもあてはまります。
マルクスは、物質代謝のこのようなゆがみは、資本主義的な生産関係によってもたらされたものであり、生産関係の根本的な変革によって正されるべきだと考えましたが、それは資本主義の枠内での「反作用」をつうじた生産関係の改善と、何をどれだけつくるかではなく、どのような方法でつくるかという、生産力の質の是正との関係にもつうじるものだと思います。
つまり資本主義の枠内での階級闘争の前進は、労働者の労働条件や生活水準の改善を実現することをつうじて資本に生産力発展の新しい刺激を与え、同時に、発展する生産力の質を、人間社会の安定した発展にふさわしいものに修正していく力になるということです。
ただし、これは資本主義の基本矛盾を解消させるものではありません。
資本主義的な生産力と生産関係の矛盾は、階級闘争の具体的な進展による肉付けをまといながら、資本主義が資本主義のままにとどまることのできない「恒常的矛盾」として存続します。
●生産力を制御できる「自分自身の主人」に
生産力の質の是正に関しては、人間の自由についてのエンゲルスの議論も大切です。エンゲルスはヘーゲルの自由についての一節を引いた上で、こう述べます。
「自由は、もろもろの自然法則に左右されないと夢想している点にあるのではなく、こうした法則を認識するという点に、そして、これによってこの諸法則を特定の目的のために作用させる可能性を手に入れるという点に、ある。このことは、外的自然の法則についても、人間そのものの肉体的および精神的存在を規制する法則についても、そのどちらにもあてはまるのである」「自由のなかみは、だから、〈自然必然性の認識にもとづいて、われわれ自身と外的自然とを支配する〉、ということである。自由は、したがって、どうしようもなく歴史的発展のひとつの産物である」(『反デューリング論』)。
たとえば原子力発電の危険性に対する「自然必然性の認識」が科学の世界にあったとしても、資本主義の社会はそれだけでただちに適切な対策をとるものではありません。
危険性をどの程度に重視(軽視)し、どのような対応をとるかについては、その「社会」の独自の論理がかかわります。
とりわけその危険物が大資本に多くの利潤をもたらす場合には、事実をゆがめ、認めまいとする彼らの力は極めて強固なものとなります。
またエンゲルスは、こうも述べます。
「社会的生産の無政府状態が消滅するのに応じて、国家の政治的権威もねむりこむ。人間は、彼らの独自な仕方による社会化の主人になり、それによって同時に自然の主人に、自分たち自身の主人になり──すなわち自由になる」(『空想から科学へ』)。
これは直接には、資本主義をこえた未来社会の実現により、人間は初めて「自分たち自身の主人」となるとしたものですが、注目すべきは、それが「自然の主人」になる(自然との関係を適切にコントロールできるようになる)ことと「同時」の関係にあるとされ、その双方によって人間は初めて「自由になる」とされている点です。
現代日本社会が直面しているのは、そのような未来社会への直接の移行などではありませんが、しかし、人間と自然との関係を制御する自由を手にするには、両者の関係に対する知識を深めるだけでは不十分で、その科学的知識が求める行動をそのまま実行することのできる社会をつくることが必要だとする点は、現代の私たちにも、重要な指針を示すものとなっていると思います。
──長時間、ありがとうございました。
〔石川さん「私のすすめる本」〕
①マルクスやエンゲルスについては新日本出版社がシリーズで出している『科学的社会主義の古典選書』をおすすめします。マルクスとエンゲルスの著作から14冊が出版されています。ほかに、同じ出版社から出ている『資本論』(新書判13分冊、上製版5巻)は、マルクスが心血を注いだ代表作です。ぜひ挑戦してください。
②これらを読む上での道案内としては、不破哲三『古典への招待』(上・中・下)、『「資本論」全三部を読む』(全7冊)などが格好です。
③もう少し手前から助走をつけたいという方には、門井文雄・紙屋高雪他『理論劇画 マルクス資本論』(かもがわ出版、09年)、不破哲三『マルクスは生きている』(平凡社、09年)、石川康宏『マルクスのかじり方』(新日本出版社、11年)などをおすすめします。
以下は、日本共産党「しんぶん赤旗日曜版」2012年4月22日号(22042号)、第18面に掲載されたものです。
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新入生のみなさんも、4年後には大人社会に仲間入りです。
これからの4年間を、立派な大人に育つのだということを意識してすごしてほしいと思います。
生き方を自分で決められる、社会を支え、社会にはたらきかけることができる、自分で自分を成長させられる。
それが大人の大事な基準ではないでしょうか。
学生時代の学びは、大学で与えられるものを消化するだけの受け身のものであってはなりません。
何をどう学ぶかは、自分で設計するものです。
すでにある目標を達成するために、今後の生き方をさぐるために、大学で学べるものはしっかり学ぶが、不足するところは自分でうめる。
そういう姿勢をもってほしいと思います。
大学には、春休み、夏休みと合計4ケ月もの休暇がありますが、それは各人が自分のカリキュラムを実行するためです。
それに必要な時間の保障です。
テーマは何であれ、大いに教室の外で、学び、行動し、体験を重ねてほしいと思います。
新入生のみなさんには、いっしょに学び、いっしょに人生を語り合える友人を、ぜひつくってほしいと思います。
そんなことを気軽に話せる先生を見つけられると、なおいいですね。
友人であれ、先生であれ、まずは自分から積極的に声をかけてみてください。
大人への育ちを考えるうえで、おすすめしたいのはマルスクの学問と生き方です。
マルクスは、窮屈な社会に身をあわせるだけでなく、逆に、自分にとって息がしやすい社会をつくる、そういう構えで、私たちが生きている資本主義の社会を徹底的に研究しました。
社会の仕組みが見えてくると、その中でどう生きればよいのか、どういう問題を解決する必要があるのか、そんなところが見えてきます。それは毎日を生きる自信につながります。
若いみなさんには、知識をひろげ、判断力や行動力を磨き、自分を大きく育てる可能性がつまっています。
時には苦労もあるでしょうが、自分の大きな成長に期待をかけて、充実した学生生活を送ってほしいと思います。
以下は、全国保育団体連絡会『ちいさいなかま』2011年11月号、566号、30~37ページに掲載されたものです。
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インタビュー「震災後の政治の動きをどうみるか-『新しい日本』を模索する市民」
1 東日本大震災に対する政府の復興政策をどのように見ていますか?
──まったくひどいものだと思っています。七月二九日に、東日本大震災復興対策本部が「東日本大震災からの復興の基本方針」(以下、「基本方針」)を発表しましたが、震災後四か月以上も時間をかけて、こんなひどいものしかつくれないのかとあきれました。そして、腹が立ちました。
ようするに被災者の生活再建を最重視するという、あたりまえの姿勢がどこにもないのです。反対に、震災復興の名目で、大企業・財界に都合のよい東北をつくるということが、何より強調されています。
一九九五年の阪神・淡路の大震災のあと、政府と財界は「創造的復興」の名目で、被災者の生活再建とは無関係な大型公共事業を繰りかえしましたが、考え方の基本はそれとまったくかわりません。政府の取りくみには、被災者の苦しみに寄りそうという根本の姿勢が欠けています。
大企業本位の復興策を正当化するために、「大企業が潤えば、国民も潤う」という「構造改革」のスローガンを、「東北の大企業が潤えば、被災者も潤う」という形で適用しようとしているのです。
しかし実際には、一九九七年から二〇〇七年までの「構造改革」の時代に、資本金一〇億円以上の大企業は経常利益を一五・一兆円から三二・三兆円に倍増させましたが、その間に日本中の労働者の合計賃金は二七九兆円から二六二・一兆円に減りました。
非正規雇用者の拡大を含む人件費の削減が「大企業が潤う」ための中心政策とされたのです。「大企業を潤わせるために、国民が貧乏になった」というのが現実で、そんな姿勢の復興策が被災者のためになるわけがありません。
2 大企業が漁業権を買って、自由につかえるようにする「水産業復興特区」が話題になっていますね?
──あれほどの大災害ですから、他の地域にない特別の制度をつくろうという発想はあって当然だろうと思います。福祉や年金の充実、医療費や授業料の軽減あるいは無料化など、やれることはいくらでもあると思います。しかし「基本方針」が語る「特区」の制度は、どれも大企業の金もうけのためのものとなっています。
その一つが「水産業復興特区」です。これまで一定の水域で漁業を行う権利(漁業権)は、漁協をはじめ、地元の漁業関係者が優先的に手にするものとされてきました。それを「産業復興」の名目で外から入る大企業に自由に買い取ることができるようにさせ、漁協が決めるルールに縛られない自由勝手な漁を許可してしまおうというのです。
家族経営でがんばってきた漁師たちを、漁業権を買い取った大企業が低賃金の漁業労働者として雇っていくという道も開かれます。
同じ発想は農業の分野にもあらわれています。土地利用再編の手続きを簡単にする特区制度が考えられており、それは大規模開発を容易にするとともに、大企業が農業労働者を雇用する大規模農場をつくることにもつながります。これらはようするに、東北の農漁業を大企業にとっての「もうかる産業」として再編するということです。
この構想は、日本政府のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への加入とセットにされているものです。TPPに加入した国は、あらゆる商品の輸出・輸入に税金(関税)をかけることができなくなります。
日本に加入を求めているのはアメリカですが、アメリカは農林水産物輸出の大国であり、ねらいは日本市場にそれを売りこむことです。農水省の試算によると、これに加入することで日本の食糧自給率は四〇%から一三%に落ちてしまい、雇用の喪失は三五〇万人に達するとされています。
政府がこれを推進しようとするのは、単にアメリカに対する従属の姿勢からだけではありません。
理由の一つは、これで自動車や電子機器や鉄鋼などの大企業の商品輸出がやりやすくなるということです。つまり、大企業の工業製品輸出のために、農林漁業を犠牲にするということです。
二つ目は、海外から安い食料品がたくさん入ってくれば、労働者たちの食費を抑えることができ、それによって全国の労働者に支払う賃金をもっと低く抑えることができるということです。
そして三つ目は、家族経営の農漁業を経営困難に陥れることで、東北の農漁民を大企業が経営しようとする農漁業資本の傘下に入れやすくなるということです。日本の大企業にとっては「一石三鳥」ということです。
これでは「復興の基本方針」でなく、大企業のための新しい「金もうけの基本方針」です。
3 復興の方針に、いわゆる「資本の論理」がつらぬいているということでしょうか?
──そのとおりです。日本は資本主義の社会であり、他の経済大国に比べても大企業のやり放題が格別に広くゆるされた、野蛮で未熟な資本主義の国です。それを市民の安心・安全を支え、これを侵害しない資本主義に成熟させることが課題です。
兵庫ではいまだに「七割復興」ということばが使われます。神戸市や兵庫県が復興は完了したといっているように、見かけ上、神戸の街はキレイになりました。しかし、再開発で建てられた大きなビルのかげには、いまもポツリ、ポツリと空き地があります。長く暮らしたその街に戻ってくることのできない人が、今もたくさんいるということです。
あわせて兵庫には、「復興はたたかいだ」ということばが生きています。復興には全国各地からたくさんの「善意」が集まりますが、他方で、それを金もうけの手段に変えてしまおうとする「資本の論理」も強く働きます。「復興の基本方針」が、こうまでひどいものになることの背後には、日本経団連をはじめとする財界団体の強い要求があるのです。
実は、この国の政治はどの分野でも、日本経団連が「意見書」という名の政策文書を示し、その実行の度合いに応じて民主党と自民党に企業・団体献金をあっせんする、というやり方を強い推進力としています。震災前から「財界いいなり政治」があたりまえであり、だからこそ復興策も「財界いいなり」になっているわけです。
その他に、「復興の基本方針」は法人税の五%減税はやりぬくとしながら、復興財源のために消費税を増税するといっています。大企業は減税で、市民はすべて増税になるということです。
また原発の事故については、東京電力の賠償責任に一言もふれず、さらに原発を減らすという方針はどこにもありません。ここにも財界の金もうけ第一主義と、財界と政府、財界と民主党・自民党との金での汚い結びつきがあらわれています。
こうした関係を正していくには、市民の大きな取りくみが必要です。より成熟した資本主義への転換を訴えるために、先日『人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本』(自治体研究社)という本を書きましたので、ぜひ手にとっていただきたいと思います。
4 震災後の政治に新しい変化はないのでしょうか?
──いえ、この間の政治体験にもとづいて、多くの市民は民主党の政治に期待をかける局面を乗りこえて、さらに「新しい政治」の探求を進めています。これは非常に大きな変化だと思います。
この数年を振りかえるなら、小泉内閣に代表された「構造改革」の政治によって、日本社会には深刻な「貧困と格差」がつくられました。そのことへの国民の批判が高まったところへ、かつての侵略戦争を肯定する安倍内閣の国際的な孤立が続き、自民党の政権は坂道を転げ落ちるように瓦解しました。
二〇〇九年には、これにかわって「国民生活第一」をスローガンとした民主党の鳩山内閣が登場します。国民はこの政権に、それまでの政治の方向転換と暮らしの改善を強く期待しました。しかし、経済政策や基地政策の転換を許さないとする、財界やアメリカからの強い圧力もあり、鳩山首相は場当たり的な右往左往を繰りかえした末、何の転換もできずに政権を放り出してしまいます。
そして、二〇一〇年六月に誕生したのが菅内閣です。誕生直後の六月一八日に、菅内閣は二〇三〇年までに原発を一四基以上つくるとする「エネルギー基本計画」や、法人税減税・消費税増税・官民一体での原発輸出を盛りこんだ「新成長戦略」などを、ただちに閣議決定していきます。これは、鳩山内閣より前の古い自民党型政治への民主党の完全復活を示すものでした。
その上に3・11の大震災が起こります。すでに見たように、民主党政府からは、被災者・被災地の救援と復興のためのまともな政策は出てきません。福島の原発事故が起こった当時、東京電力の清水社長は日本経団連の副会長でしたが、「財界いいなり」の菅内閣には、これに強い態度をとることができません。事故の収束作業については、今も東電まかせをつづけています。
その結果、菅内閣の支持率は、一〇%台にまで下がりました。新しい野田内閣は「自民党との大連立」をねらっているようですが、政治の基本方針が変わらなければ、市民の信頼を回復することはできません。
政権誕生からわずか二年の間に、民主党への失望は急速に広まり、それは震災をきっかけに決定的なところに達していると思います。これは、民主と自民という二大政党政治の限界を示すものともなっています。
5 そういう状況を前向きに転換する展望についてはいかがでしょう?
──被災者の生活再建を願い、福島の原発事故を収束させ、これ以上の放射能被害を生まないために「原発のない日本」を求める市民の取りくみは、ますます大きく広がるでしょう。
そこで思い起こされるのは、一九六〇〜七〇年代に、公害を垂れながす大企業・財界を世論の力で包囲する市民運動と、ピーク時には全国民の四三%が社会党や共産党を中心とする「革新自治体」に暮らしたという政治の変化のなかで、大企業への「公害規制」を自民党政府に実施させた歴史です。
私は、特に「原発のない日本」をめざす取りくみに、こういう大きな変化をつくる可能性があると思っています。
かつてマルクスは『資本論』のなかで、「資本主義的生産」の何よりの目的は金もうけであり、それは生産力を飛躍的に発展させるが、その一方で、社会に貧困や環境破壊などの害悪を生み、さらに、その害悪を取り除こうとする労働者や市民の持続的な取りくみを生みだしていくと述べました。
そしてイギリスの労働者が自分たちの命と健康を守るためにかちとった労働時間の上限規制を、「社会が、その生産過程の自然成長的姿態に与えたこの最初の意識的かつ計画的な反作用」と特徴づけました。資本主義の社会は、「資本の論理」を震源とするそうしたたたかいを通じて、段階的に成熟していくというわけです。
『資本論』と現代日本の社会といえば、長時間過密労働やワーキングプアの形成など、「資本の論理」が無慈悲につらぬくことの例証にあげられることが多かったのですが、今注目されているのは、それが生みだす害悪を取り除き、大企業を、暮らしの安心・安全と両立できる範囲に制御しようとたたかう市民の姿です。
大きな変化の可能性が広がっていると思います。マルクスと資本主義については、『マルクスのかじり方』(新日本出版社)をお読みください。
以下は、総合社会福祉研究所『福祉のひろば』2011年10月号、139号(通巻504号)、2011年10月1日発行、9~12ページに掲載されたものです。
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インタビュー「復興の方針の根底にある『資本の論理』をしっかり見抜いて」
■「復興の基本方針」は出たけれど
七月二九日、政府の復興対策本部が「復興の基本方針」を発表しました。被災地のみなさんにも、全国の市民にとっても大いに期待をかけたいところです。しかし、残念ながら、その内容は〈被災者の生活再建をめざす〉のではなく、むしろこれを機会に〈大企業に都合のよい東北と日本をめざす〉ものになっています。
その基本にすえられているのは「大企業が潤えば、いまに国民も潤う」という「構造改革」の考え方です。「構造改革」のもとで、国民生活はどんどん貧しくなっていますから、その考え方の誤りは明らかです。それにもかかわらず、今度は「大企業が潤えば、いつか被災者も潤う」を付け加えようというわけです。
「方針」の具体的な内容をいくつか紹介してみましょう。
■大企業のもうけのための「復興特区」
まず、全国にはない、さまざまな特例がゆるされる地域をつくろうといっています。その考え方自体は、おかしなものではありません。問題はそこでゆるされる特例の中身です。
強調されていることの一つは、これまで地元の漁協等が優先的に保有してきた漁業権を、今後は大企業も買い取れるようにするというものです。それによって、大企業が自由に漁業ができるようにする。ねらいは、家族経営の漁師を漁業労働者として雇用して、大企業が漁業でももうけられるようにするということです。これにはいま、全国の漁師たちが大反対の声をあげています。
もう一つは、土地利用の再編を簡単にするというものです。大規模な開発事業をやりやすくし、また大企業が農業労働者を雇い、大規模農地をつかって大農業経営をつくろうというものです。
さらに福島県に医療産業を集めるということもいっています。住民の放射能被害があるからではありません。それにはまったくふれず、健康保険の効かない高額な「高度医療」を全国に広め、大企業が医療でもうけられる拠点にしようというものです。
本来なら、被災地の東北には医療や教育を無料にする「生活福祉特区」をつくろうといった構想が出てもよさそうなものですが、その種の発想はどこにも見られません。
■TPPは「一石三鳥」の金もうけ策
漁業や農業の問題に関連して重要なことは、「引き続き自由貿易体制を推進し、日本企業及び日本産品の平等な競争機会の確保に努める」ことが強調されていることです。これは昨年秋から農漁民の大反対を受けてきたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への日本の加入を、予定どおり進めていくということです。
TPPに加わるということは、貿易に一切の税金をかけてはいけなくなるということです。海外から「安い」農林水産物がたくさん入り、農水省の試算でも、食糧自給率は四〇%から一三%まで下がるとされています。
なぜそんなことをするかというと、食料品輸入のかわりに、自動車や電子機器や鉄鋼などの大企業の商品が、何の制約もなしに輸出できるようになるからです。工業製品輸出のために、農林漁業を犠牲にするということです。
そして、食料品が安くなれば、全国の労働者に支払う賃金をもっと低く抑えることができる。さらに、そんな危機にさらされたくなければ、高い国際競争力をめざし、東北の農漁民は大企業経営の傘下に入りなさいということです。大企業には「一石三鳥」の政策です。こんなものをよくも「復興の基本方針」などといったものです。
■ついでに消費税もあげてしまえ
復興財源についても、ひどいことがいわれています。一つめには、この四月からの法人税五%減税を、しっかりやり抜くとしています。その一方で、二つめには、復興財源は「今を生きる世代全体で連帯し負担を分かち合うことを基本とする」としています。これは消費税増税ということです。
被災者をふくむ全国民の税金を増やしながら、大企業の法人税は減らしていく──法人税は企業の利益にかかる税ですから、利益の少ない(あるいはまったくない)中小企業にはほとんど支援になりません。大企業は「負担を分かち合う」ための「連帯」の枠から、特権的にはずされるというわけです。
実際には、資本金一〇億円以上の大企業の内部留保──溜め込み資産──は、いま総額二四四兆円にもなっています。国家予算のほぼ三年分に近い額です。日銀の白川総裁が、手元資金が六四兆円余っており、使いみちがなくてこまっていると国会で証言するほどです。
そのお金をただで出せとはいいません。しかし「被災者の生活再建のために、一〇兆円、二〇兆円を国に無利子でお貸しします」「返済は復興の後で結構ですから」と、なぜそれくらいのことがいえないのでしょう。情けない大企業だと思います。
■原発政策も変更なし
原発問題については、東京電力の賠償責任にまったくふれていません。それどころか、国として原発を減らすということもどこにも書いていません。再生可能エネルギーの拠点をつくるといっていますが、原発を電力供給の中心にすえるという従来の方針は変わりません。全国には五四基の原発がありますが、それらの事故の可能性を取り除く姿勢はまったくないということです。
■根本は「人間の復興か、資本の論理か」
復興の内容として何より大切なのは、被災者の生活を再建するということです。大企業の利益の復興や「構造改革・東北版」の推進などではありません。この方向を大きく転換することが必要です。
日本社会の最高のルールである日本国憲法は、国民による幸福追求の権利を、国政は最大限に尊重しなければならないとしています(第一三条)。このルールを政府や大企業に守らせることができるかどうかが問われています。「震災の時はたいへんだったけど、その後もがんばって生きてきてよかったね」と、被災者が心からいえる未来をつくる条件整備をしていくこと。それが政治の責任であり、その実行を政府に迫るのが私たち国民の役割です。
■しっかり学び、「賢い日本」をつくっていこう
原発から自然エネルギーへのエネルギー政策の転換もふくめて、こうした課題を達成するには、国民一人ひとりが、政府やマスコミにコントロールされることのない、自立した主権者に成長せねばなりません。「テレビや新聞はああいうけど、私はホントはこうだと思う」。堂々とそう主張することのできる人間にならねばならないということです。
そういう判断の芯をつくるには、「社会」の仕組みを学問として学ぶ必要があると思います。「社会科学」を学ぶということです。
私たちが暮らす資本主義の経済は、大企業の利潤追求を原動力としています。しかし、だからといって資本主義はどれも同じではありません。日本と違い、社会保障が充実した北欧やEU諸国も資本主義です。それらの国の多くは自然エネルギーの開発にも熱心です。大企業が自分からそれを行ったわけではありません。国民の強い要求が、政府と大企業にそれを行わせてきたのです。日本にもそういう力が必要であり、そのためには知性の充実が必要です。
言い足りないことはたくさんありますが、今日のお話の詳細は、『人間の復興か、資本の論理か 3・11後の日本』(自治体研究社)に書きましたので、どこかで手にとってみて下さい。いっしょに「賢い日本」をつくりましょう。
「東日本大震災からの復興の基本方針」
http://www.reconstruction.go.jp/topics/doc/20110729houshin.pdf
(八月一日取材。聞き手 申 佳弥)
以下は、「しんぶん赤旗」2011年5月7日、6面に掲載されました。
小見出しは編集部がつけてくれたものです。
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「大震災と日本経済の課題/識者に聞く/第12回/神戸女学院大学教授石川康宏さん/被災者が描く復興こそ」
東日本大震災の復興について3つの問題を指摘したいと思います。
一つ目は、東北地方の復興策として日本経団連や経済同友会など財界が発表している提言ですが、内容は「復興」の名目で震災前からの要求を全面実施しようという罪深いものになっています。これには厳しい批判が必要です。
消費税増税を柱とした税・財政の一体改革、大企業支援の新成長戦略を継続し、さらに規制緩和や特区制度などの優遇措置で、東北を国際競争力のある「経済圏」にするといっています。そこには被災者の苦しみや生活再建の苦労に心を寄せる姿勢はありません。
復興財源のために高校授業料無償化、子ども手当て、農家への所得保障などを削れと主張し、原発推進政策については再検討さえしていません。輸出製造業の利益と引き換えに、農林漁業を破壊する環太平洋連携協定(TPP)への加入を、震災後にも強調しています。
財界のいう「経済復興」は大企業の利益の復興ですから、「被災者の生活の再建」「人権の復興」をしっかり対置していくべきです。
〈「阪神」の再検証〉
二つ目に、阪神淡路大震災の復興過程をあらためて検証することが必要です。私は震災の年から兵庫県内ではたらいていますが、行政が実施した「創造的復興」は、震災以前からの大企業の要求を次々実行するものでした。その復興委員会の活動を踏まえるとして「東日本大震災復興構想会議」がつくられ、そこでただちに「創造的復興」が語られていることには強い警戒が必要です。
大都市神戸でさえ、幹線道路沿いの大きなビルとは対照的に、路地に入れば空き地がたくさん残っています。住民生活の再建が二の次、三の次とされた結果です。「阪神淡路の教訓」とは何なのかを、あらためてはっきりさせることが必要です。
〈復興はたたかい〉
三つ目に、日本経済の前途については、復興の理念と手順をはっきりさせれば、あるべき姿もおのずと見えてきます。理念は、被災者の生活再建が日本経済の最大の使命だということで、手順は再建の具体的な内容は被災者自身が決めるべきものだということです。
憲法13条は国民の幸福追求権を「国政の上で、最大の尊重を必要とする」ものと定めています。被災者の幸福の追求を、国政は全力をあげて追求せねばなりません。全国民がそれを求めるべきです。
財界・政府は道州制で住民自治のさらなる解体を進めようとしていますが、反対に被災者のコミュニティを守り、それを復興の主体とする工夫が必要です。上からの「おしつけ復興」でなく、「被災者が描き、行政が実現する復興」としていかなければなりません。
その過程で、大企業は身銭を切るべきです。いかに資本主義といえども企業は人のためにあるのであって、企業は人間の幸福を実現する手段でなければなりません。それを政府は財界に正面から求めるべきです。労働者・下請切りなどあってはなりません。
「復興はたたかいだ」というのが震災後16年をへた兵庫での実感です。
(聞き手 中川亮)
以下は、日本平和委員会「平和新聞」、2010年6月25日、第1928号、第7面に掲載されたものです。
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シリーズ DVD「どうするアンポ」をみたヘイワのタマゴたち
米軍基地は日本を守ったことがあるの?
~大学1年生のゼミで~ 短時間で理解を
石川康宏さん=神戸女学院大学教授・京都平和委員会
5月7日、1年生(多くが18歳)向けのゼミで上映。ゼミはレポートの書き方を学ぶことが中心課題で、その内容を「戦争と平和」としています。このゼミには、20人が所属しています。以下は、『経済』2010年3月(第174号)、12~21ページに掲載されたものです。
-------------------------------------------------------------以下は、『経済』2009年1月号(第160号、09年1月1日発行)に掲載されたものです。
小見出しは、編集部がつけてくれました。
自作自演的インタビューです。
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「『資本主義の限界』を考える」
1・マスコミが「資本主義の限界」を論じる時代
〈背景に資本主義の問題の深刻化〉
--サブプライムローン問題をきっかけとした金融危機の深まりのもとで、マスコミが語る「資本主義の限界」論も新しい局面に入ってきているようですが、最近のマスコミのこうした状況をどのようにご覧になっていますか?
資本主義に対するメディアの評価の急速な変化に驚いています。たとえば1990年代初頭は、ソ連崩壊をきっかけとした「資本主義万歳」論や「社会主義終焉」論が隆盛の時代でした。しかし、その10年後の2000年前後になると、イギリスの公共放送であるBBCのアンケート調査で、過去1000年のもっとも偉大な思想家にマルクスが選ばれる。それは社会主義の「終焉」が叫ばれて、わずか10年ほどのことでした。
こうした変化の背後には、世界的な貧困の拡大や地球環境破壊など、とても資本主義万歳などとは言っていられない資本主義の問題の深刻化がありました。加えてこの時期は、最大の資本主義国であるアメリカが「国連を活用するが従わない」という政治的横暴の度を深め、また「新自由主義」的改革を世界に求めたことの害悪が、ヘッジファンドの跳梁による通貨危機の招来など様々な形で明らかになっていく時期でもありました。
日本国内に目を向けると、マルクスの著作についての新しい翻訳がまとまった形で出されるなど、マルクスへの再注目が日本の出版界にもようやく現われてきたかなと思ったところへ、2008年の爆発的な『蟹工船』のブームです。背景にあるのは、政財界による非人間的な、労働者使い捨て政策の拡がりであり、また、なんとかしてそこから抜け出したいという労働者たちの切実な願いです。私の娘や息子も映画「蟹工船」を見に行って来ました。
そういう状況のもとに、アメリカのサブプライムローン問題をきっかけとした、底の見えない世界的な金融危機が覆い被さってきたわけです。アメリカの大統領選挙にも、これまでのブッシュ路線の転換に対する強い期待があらわれましたが、「資本主義万歳」論はそれを切望した人たちにとっても、すでに夢のかなたといっていいでしょう。
長く「構造改革」や憲法「改正」の推進に熱をあげてきたようなテレビの番組が、「資本主義の限界」をテーマに日本共産党の党首を対論の相手に招くといった変化は、このように資本主義が、人々の安心できる生活を破壊している現実に根をもっています。ですから「資本主義の限界」に目を向ける議論は、一時的なものには終わりません。
先日も、金融危機を特集したテレビ番組を見ていると、恐慌という言葉が当たり前のように使われていました。そして今日の金融危機を1929年の「大恐慌」と対比して、恐慌は繰り返し起こるものだと嘆いていました。恐慌が起こる原因はいささか抽象的な人間の強欲――果てしないもうけ第一主義――に求められていましたが、それでもその強欲への注目と、強欲を必然とする資本主義の仕組みの解明とのあいだには、そう大きな距離があるとは思えませんでした。
〈マルクスへの関心の高まり〉
--大学の学生さんなど、身近なところでそうした変化を感ずることはありますか?
学生たちとのつきあいでは、まだ直接そこにつながる体験はありません。ただし、金融危機によって自分たちの就職がどうなるかということは、大きな話題の一つです。今年の3年生ゼミは、「慰安婦」問題や「歴史問題」が東アジアの経済的な共同にどういう影響を及ぼすかをテーマにしていますが、新聞記事をつかった東アジア経済の現状学習は、どうしても金融危機関連のものが多くなり、議論は湿っぽくなりがちです。
他方で、マルクスへの関心という点では、大学の教員との関係で面白い体験が二つほどありました。1つは「慰安婦」問題の取り組みで知り合った関西のある教員の話です。美学が専門だとのことでしたが、「慰安婦」問題でのある企画の実行委員会を終えて、7~8人のメンバーでにぎやかに食事をしている時に、突然「私にはいまマルクス主義がいちばん面白いですよ」と話しかけてこられたのです。予期せぬ話題だったので、ビックリしながら「マルクス主義のどこが面白いですか」と聞き返すと、「ルカーチです」とのことでした。ハンガリーの哲学者であり、ハンガリー共産党の初期の指導者の一人であったルカーチ(1885~1971年)は、理論的にはマルクス主義・科学的社会主義の流れの中心に位置づけられる人物ではないでしょうが、それにしてもマルクス主義への接近には多様なチャンネルがあることを、久しぶりに思い起こさせてくれる出来事でした。
もう1つは、私の大学の同僚との出版企画でのことです。ある教員に「マルクス主義についての対論をお願いできませんか」と持ちかけると、私との関係を「はげしいミスマッチだから面白い」とした上で、「若い読者に『マルクスを読みなさい!』と語りかけるような教育的なものをつくりましょう」と、その場で、ただちに引き受けてくれました。マルクスやマルクス主義をのびのびと語ることのできる空気が、日本の知識人のあいだにあらためて広がっているのも知れません。
そんなことを考えてみると、さきほどのマスコミがいう「資本主義の限界」論が、「マルクスのことは日本共産党に聞け」という態度をとっていることも面白いことです。私の学生時代には――1975年の大学入学でしたが――、「日本共産党は本当のマルクス主義ではない」「われこそ真のマルクス主義だ」という議論がかなりたくさんありました。しかし、それが、「オール与党」体制がつくられた80年代、ソ連・東欧崩壊のもとで「社会主義終焉」論が叫ばれた90年代の歴史の中で、思想的にも、政治的にも淘汰されてしまった。そして、そういう苦しい時代に科学的社会主義の旗をかかげつづけた日本共産党を、誰もが「マルクス主義の代表」と認めずにおれなくなっている――今日の「資本主義の限界」論には、マルクスや科学的社会主義をめぐるそのような思想状況の変化も反映しているようです。
2・「資本主義の限界」と根本矛盾
〈資本主義の発展の法則を解明〉
--マスコミの議論には「資本主義の限界なのか」「限界だったら社会主義なのか」といった問題の立て方をするところもありますが、そもそも科学的社会主義は「資本主義の限界」をどう考えるものでしょう。
資本主義が永遠につづく社会でないのは明らかで、その意味で、もちろん資本主義には「限界」があると考えます。ただし、現在の様々な困難や破局が、ただちに社会主義への変化を求めているとは考えません。18~19世紀の産業革命をへてイギリスに初めて確立した資本主義が、今日まで相当大きく姿を変えて続いてきたように、資本主義にはその内部で成長し、発展するいわば懐の深さといったものがあるわけです。その懐の深さは、資本主義が今日直面する課題の克服に際しても大いに発揮されるものとなるでしょうし、それを十分発揮させていかねばならないと思います。資本主義には確かに「限界」がありますが、資本主義がそこにたどりつくには段階的な発展の手順が必要で、資本主義の枠内での改革をつうじてその手順をしっかり踏むことが、結果的に、本当の「限界」をあぶりだすことになっていくことになると思います。
先日、若い人たちからもらったメールに、「資本主義の歴史的限界(社会主義への転換の必然性)を語るべきだ」という意見と、「資本主義の枠内での改革を強調すべきだ」という二つの意見があって、両方の整理に悩んでいるということがありました。スケールの大きな議論で、なかなかやるなという気分にさせられましたが、私は、一方だけを語るのでなければ、どちらに重点をおいてもかまわない、状況に応じていろいろな語り方をすれば良いと思っています。実際「資本主義の限界」や「社会主義への転換」を中心に語ることが、ただちに日本の当面する改革を社会主義的変革に固定させるわけではありませんし、また「資本主義の枠内での改革」を強く押し出すことが、資本主義そのものを乗り越える改革の否定につながるわけでもありません。語る側が、民主的な改革と社会主義的な改革との関係の基本をしっかりおさえていれば、具体的な語り方は多様であっていいと思っています。
その上で、資本主義の懐の広さを活用することと、資本主義の「限界」をこえて進むこととの関係を、少し原理的に考えてみたいと思います。
科学的社会主義は、生物であれ、社会であれ、自然であれ、およそのこの世のすべてのものが歴史的な発展の過程にあり、その発展の原動力となる矛盾がそれぞれの内部にあると考えます。人間社会についても同じです。そこでマルクスは資本主義がはらむ矛盾を解決する未来社会の設計図(青写真)を「空想」するのではなく、資本主義自身がその内部にもっている発展の法則を、その法則を展開させる矛盾とともに解明する「科学」に挑んでいきました。
〈「1857~58年草稿」から考える〉
この問題をマルクスの「1857~58年草稿」から考えてみましょう。そこにはマルクスの考える資本主義の根本矛盾――資本主義の生成・発展・消滅の全過程をつらぬく矛盾が、次のような形で述べられています。
「だが、資本がそのような限界のすべてを制限として措定し、したがってまた観念的にはそれらを超えているからといって、資本がそれらを現実に克服したということにはけっしてならない。そして、そのような制限はいずれも資本の規定に矛盾するので、資本の生産は、たえず克服されながら、また同様にたえず措定される諸矛盾のなかで運動する。そればかりではない。資本がやすむことなく指向する普遍性は、もろもろの制限を資本自身の本性に見いだすのである。これらの制限は、資本の発展のある一定の段階で、資本そのものがこの傾向の最大の制限であることを見抜かせるであろうし、したがってまた資本そのものによる資本の止揚へと突き進ませるであろう」(『マルクス資本論草稿集②』大月書店、18~19ページ)
わかりづらい文章ですが、前後の脈絡を説明しておくと、ここにいたるまでにマルクスは――無制限に生産を拡大しようという資本の本性は、目前の消費の限界をはじめ、あらゆる限界をいつでも、どこでも乗り越えようと活動する――新たな生産部門をつくり、あらゆる地球資源を活用し、自然科学を動員し、人間の欲求を開発し、生産に必要な労働者同士の新たな関係をつくり、そして世界の隅々にまで資本主義的生産を押し広げていく――といったことを述べています。そして、その限りでは、資本にとっては「どんな限界も、克服されるべき制限として現われる」(15ページ)のだと。ここでマルクスは、資本が限界を制限として乗り越えようとするその対象を、古い生産様式と資本主義自身が生み出す限界の二つだとして、特にその古い生産様式の克服については「資本の偉大な文明化作用」(18ページ)という表現を使っています。
こうした議論を受けて、「だが」と始まる、先の文章が続けて書かれているわけです。ここでは、資本主義が乗り越えようとする限界の主な内容は、資本主義自身が生み出す限界です。その内容を、私なりに補足しながら、かみ砕いて読んでみると、だいたいこういうことになるかと思います。
①すでに見てきたように、資本はどんな制限も乗り越えて無制限に生産を拡大しようとする、②しかし、実際にはすべての制限が乗り越えられるわけではない、③資本は一つの制限を越えても、ただちに次の制限に直面するという矛盾の中で運動する、④それだけでなく、どこまでも無際限に生産を発展させようとする資本の性質は、その制限を剰余価値生産という資本自身の性質に見つけ出す、⑤資本のある発展段階で資本そのものが自身の最大の制限であることが明らかとなり、そこから資本による資本の「止揚」が進められることになる。
最後の「資本そのものによる資本の止揚」というのはわかりづらいですが、たとえばマルクスは『資本論』で、株式会社の形成を「資本主義的生産様式そのものの限界内での、私的所有としての資本の止揚」(『資本論』新日本出版社新書版⑩757ページ、上製版Ⅲa、757ページ)ととらえています。そこから類推すれば、これも資本主義の枠内に未来社会の要素が準備されるということを指したものと考えてよいでしょう。
このような資本自身の矛盾した性格を、マルクスは後に「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである」(『資本論』新書版⑨426ページ、上製版Ⅲa、423ページ)という凝縮された表現で語ります。
「草稿」の先の文章は、資本主義の根本矛盾――生産の無制限な発展への衝動とそれが剰余価値の生産でなければならないこととの矛盾――がどのように展開されるかを、一般的な形で示したものとなっています。それは、自らの制限を乗り越えようとする運動をまず資本主義の枠内で展開し、その積み重ねの一定の段階にいたってはじめて資本主義そのものの克服へ歩みを進めると、資本主義の発展と死滅の双方をつらぬくものになっています。資本主義は「真の制限」が自分自身であることを自覚するには、まず発展がそこまでゆきつかなければならないのであり、その過程を飛び越すわけにはいかないのです。
なお、資本主義の根本矛盾を理解する時に大切なことの一つは、それがいつでも恐慌論と一体だというわけではないということです。「草稿」のこの段階での根本矛盾論は、資本によって乗り越えることのできない制限が、どういう形をとって現われてくるかという具体的な形態の特定を行っていません。その後のマルクスの研究は、これを恐慌論に結んで発展させますが、その場合にも恐慌論の根底におかれた根本矛盾論は、恐慌という形でのみその矛盾を発現させるものだとされているわけではありません。
現代の資本主義は、地球環境問題はじめ、世界的な規模での貧富の格差や投機による経済の混乱などの大問題をかかえていますが、それらもまた、発達した生産力を利潤拡大のためにしか活用することのできない資本主義の根本矛盾を底におき、問題を深くとらえさせることを可能にする――マルクスの根本矛盾論は、そういう理論的な視野の広さをもっているわけです。
3・利潤第一主義の制御から社会主義的な変革へ
〈むき出しの資本の論理を社会が管理〉
--いまの資本主義の発展と死滅との関係ですが、それは資本主義の枠内での民主的改革と社会主義的な変革との関係という現代的な問題に、ストレートにつながると見て良いものなのでしょうか。
資本主義の発展は、剰余価値生産への衝動あるいは利潤第一主義が無条件につらぬかれるだけの過程ではありません。資本はそれをつらぬこうとしますが、それによって社会の中からこれに抵抗する強い反作用を導き出しもします。そして、両者は衝突し、資本主義はその発展の段階が高くなるほど、むき出しの資本の論理を民主的な社会が管理し、制御していくという発展の姿をとるようになります。この点を、少し補足して考えてみましょう。マルクスは同じ「1857~58年草稿」のもう少し先で、次のように書いています。
「生産諸力の発展が、ある一定の点を越えると、資本にとっての制限となり、したがって、資本関係が労働の生産諸力の発展にとっての制限となるのである。この点に達すると、資本、すなわち賃労働は、社会的富と生産諸力との発展にたいして、同業組合制度、農奴制、奴隷制がはいったのと同じ関係にはいり、そして桎梏として必然的に脱ぎすてられる」(『マルクス資本論草稿集②』、558ページ)。
ここでは、ある段階に達した生産力は資本にとっての制限になるが、それは生産力の発展にとって資本が制限になるということでもあると、両者の関係を逆の立場からとらえかえしています。そして、この段階に至れば、生産力の発展にそぐわなくなった資本主義的生産関係の側が「脱ぎすてられる」ことになる――つまり資本主義から社会主義への社会の発展が行われるというわけです。ただし、この発展は、資本自身の運動にまかせておけば、それですべてが達成されるという、自動崩壊の過程ではありません。何せ、ここで「脱ぎすてられる」のは他ならぬ資本自身なのですから。
ですから、マルクスはつづけてこう述べます。
「賃労働と資本は、それ自身すでに、それ以前の、自由でない社会的生産の諸形態の否定であるが、この賃労働と資本との否定の物質的諸条件および精神的諸条件は、それ自身が資本の生産過程の結果なのである」(558ページ)。
資本主義的関係は、それ以前の社会を否定して生まれたが、しかし、次には資本主義的関係を否定する諸条件を生み出しもするというわけです。それは物質的諸条件とともに精神的な諸条件であり、その精神を担うのは、資本主義を乗り越えたいと願う多くの人間だということになるわけです。
〈意思をもった人間の活動の役割〉
さらにマルクスは、こうもいいます。
資本主義が生み出す「これらの矛盾は、もろもろの爆発、激変、恐慌をもたらすが、そのさい資本は、労働の一時的な停止や資本の大きな部分の破壊によって、自害することなくその生産力を引き続き十分に充用することのできるような点にまで、強力的に引き戻される。それにもかかわらず、規則的に生じるこれらの破局は、さらに高い規模でのそれらの反復に、そして最後には、資本の強力的な転覆にいたることになる」(559ページ)。
これは、恐慌などの深刻な資本主義の破局は、それだけで資本主義を「自害」に追い込むものではなく、資本主義は労働の停止や資本の破壊を通じて、新たな発展の軌道にうつる自己調整力をもっている、しかし、そうした破局が繰り返される中で、資本主義の中には、資本主義自身の「転覆」を求める主体的な力が育ってくるということです。なお、つけくわえておけば、マルクスは若い時期から晩年まで、議会をつうじた多数者の合意にもとづく社会主義的変革の道を探究しており、ここでの「強力的な転覆」は、ただちに武力にもとづく変革を意味するものではありません。
先に、資本主義の根本矛盾について、資本主義の枠内で自身の制限を越えようとする運動を行いながら、結局は、自己自身の克服を課題とする他なくなっていくという――その展開の一般的な道程を紹介しましたが、より具体的にいえば、この資本主義の克服は、それを「脱ぎすて」、「転覆」させる意思をもった人間の活動をふくんで展開します。つまり根本矛盾は、労働者階級を柱とする国民の闘争を推進力に展開するのであり、資本の運動といった純経済的な要素だけで展開していくものではないのです。
その闘いの担い手と成長については、マルクスが『資本論』で次のように述べている点が重要です。
①「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!”これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」(『資本論』新書判②464ページ、上製版Ⅰa、463ページ)。
②「工場立法、すなわち社会が、その生産過程の自然成長的姿態に与えたこの最初の意識的かつ計画的な反作用は、すでに見たように、綿糸や自動精紡機や電信機と同じく、大工業の必然的産物である」(新書版③828ページ、上製版Ⅰb、825ページ)。
③「工場立法の一般化は、生産過程の物質的諸条件および社会的結合とともに、生産過程の資本主義的形態の諸矛盾と諸敵対とを、それゆえ同時に、新しい社会の形成要素と古い社会の変革契機とを成熟させる」(新書版③864ページ、上製版Ⅰb、860ページ)。
これは、かみ砕いてみると、①資本は剰余価値の生産を最優先し、「労働者」たちの健康や生命にさえ何らの顧慮も払わない、②しかし、資本のそうした振る舞いが、むき出しの資本の論理に対する強い「反作用」を広く社会の側に生み、その社会による資本への「強制」を「必然的」なものとする、③そして、成長する「社会」が与える規制の「一般化」は、それをつうじて資本主義的生産を発展させながら、他方に、社会主義社会の形成要素と資本主義から社会主義への変革を求める主体的な契機を成熟させる、ということです。
ここには社会主義的な変革の取り組みをすすめる労働者たちが、資本主義の枠内で、「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ」をスローガンとするむき出しの資本の論理と闘い、それをつうじて鍛えられるということが語られています。こうしたマルクスの深い解明は、今日、日本の科学的社会主義がもっている、制度の面でも、人的能力の面でも、資本主義の民主的改革――ルールある経済社会の形成――を徹底することで、社会主義的変革に向けた道が客観的に開かれるという展望に太くつらなるものとなっています。この改革を通じて資本主義は、「社会により管理された資本主義」としての度合いを次第に深めていくことになるわけです。
4・資本主義の歴史的運動法則の解明を
〈改革をつうじて「資本主義の限界」をあぶりだす〉
--資本主義の枠内での改革から社会主義的な変革への転換は、具体的にはどのような要求を推進力に行われるでしょう。また、今日のお話の角度から現代世界を見たときに、どのようなことが見えてくるでしょう。
資本主義を乗り越えていく変革が、どういう具体的な要求の達成をめざして行われるかは、現時点ではわかりません。それは民主的改革の取り組みが、資本主義のもつ懐の広さを十分活用していく過程で、次第にあぶり出されてくるものだからです。
現代の世界には、貧困と格差の拡大、くりかえされる不況と慢性的な大量失業、マネー経済の不健全な拡大と破綻、地球環境問題の深刻化、旧植民地諸国の経済発展の停滞など、資本主義の矛盾が様々な形で現われています。これに対して、ドイツやイギリス等の地球温暖化問題での意欲的な取り組み、スウェーデンなど北欧諸国における福祉社会の形成、フランスの最近の積極的な少子化対策など、資本の利潤第一主義を抑制し、これへの制御を深める改革が、各地で様々に行なわれています。EU全体での途上国支援の拡充や、女性差別撤廃条約をきっかけに進む世界的な男女平等への取り組み、国連憲章の実現を柱に戦争のない世界を目指す取り組み等もあるわけです。しかし、こうした要求や改革目標のどこまでが資本主義の枠内で達成され、どのような課題がその先に残されることになるのかは、人類の今後の実践が明らかにしていくことです。
なお、これまで述べてきたような資本主義の発展観あるいは改革観に立てば、資本主義の成熟をなにを基準に評価するかという点にも、新しく見えてくるものがあると思います。生産力や内政・外交両面での民主主義、平和を実現しようとする力の成熟など、社会発展の度合いをはかる基準は様々に設定できますが――そして、もちろん生産力については、どれだけの生産物をつくることができるかという単純な量的指標によってではなく、地球環境の維持を可能とする生産力であるかという質的な評価が不可欠ですが――、これらはいずれも、むきだしの資本の論理を、社会全体の安心や安定、平和や豊かさを求めるその国の労働者・国民がどこまで制御し、管理することに成功しているかという問題に帰着します。つまり、資本主義の歴史的発展の度合いをもっとも骨太くはかる尺度は、国民による資本主義の民主的な管理がどこまで達成されているかという点におかれるように思うのです。
この点にかかわって、私は「アメリカは、いまだ〈植民地なき独占資本主義〉への進化を遂げることができない、遅れた資本主義の『帝国』」だと書いたことがありますが(「自立と平等の『東アジア共同体』に向けた日本の役割」、日本共産党『前衛』2005年9月号168ページ、補筆して『覇権なき世界を求めて』新日本出版社2008年89ページ)、戦争や植民地政策以外の分野を見ても、京都議定書を拒否した地球環境問題への対応や、むきだしの資本の論理を「新自由主義」の名で世界に拡げようとした行動など、アメリカが北欧やEUの指導的諸国に対して、総体として「遅れた資本主義」になっていることは明らかなように思います。その遅れの主な要因が、資本を規制する「社会」の未熟にあり、それが日本の資本主義に共通している点は、大変に残念なことですが。
〈理論的探究のチャンスの時期〉
最後に、こういうテーマを語ってきて思い出されるのは、1980年代半ばに行われた「資本主義の全般的危機」論の克服をめぐる議論です。ブハーリンやスターリンに始まる「全般的危機」論は、資本主義の発展を危機的情勢の一路深化の過程ととらえ、また資本主義発展のある段階に資本主義の解体期がくると考えるなど、図式的、非弁証法的な性格を色濃くもったものでした。当時、そのような「理論」の弱点が、それがなぜ大きな理論的影響力をもつにいたったのかという歴史の解明もふくめて、深く分析されたのは大変に重要なことだったと思います。
しかし、その後ただちに、これにとってかわる理論がまとまった形で現われたわけではありません――もちろん、様々な研究は重ねられてきましたが。そうした経過をふりかえってみると、マスコミが「資本主義の限界」を語り、マルクスやマルクス主義への注目が新たに広がりつつある現在は、生成から死滅にいたる資本主義の運動法則の解明に、あらためて研究の力をそそぐ新しいチャンスの時期といっていいのかも知れません。その際には、多くのマルクス研究や『資本論』研究、資本主義の民主的改革を求める具体的な実践の積み上げとその理論的な総括などが、重要な探究の土台として活用されねばならないでしょう。
〔インタビュー〕 今,なぜ憲法改悪か
--日米関係の現状と改憲の理由--
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
第二次世界大戦敗戦から六〇年。今、憲法改悪の動きがかつてなく活発になっています。
誰が、どういう目的でこの改憲の動きをすすめているのか。それは私たち国民や、社会保障・社会福祉にとって何を意味するのでしょう。
石川康宏先生にお話をおうかがいしました。(まとめ・編集部)
憲法改悪は、誰が、どういう意図ですすめているのでしょう?
一言でいえば、現在、政財界がすすめている「アメリカいいなり、大企業いいなりの日本づくり」の政治を日本社会の最高法規とする。誰にも文句のいえないルールにしてしまおうというのが、今回の憲法改悪のねらいだと思います。
■アメリカによる 世界支配戦略の枠内で
政財界は、経済・軍事両面で、アメリカによる世界支配のたくらみを大前提として、疑いをもたずにこれについていこうとしています。
アメリカは第二次世界大戦後、一貫して世界支配の戦略をとってきましたが、ソ連崩壊の瞬間、いよいよ世界全体を自由に支配することができる時代が来た、ととらえました。そしてその具体的な戦略の一つが、多国籍企業を世界に強く押し出すことでした。
日経連が日本の終身雇用制を破壊すると言った、『新時代の日本的経営』という文書があります。これが出されたのは九五年ですが、実は九三年から九五年まで、三年間連続サミットで、アメリカは総額人件費削減、労働力流動化を先進国の合意にしています。アメリカの大企業が他の先進国へ出ていった時に、先々の国で労働条件が破壊されていればいるほどアメリカ資本がそこでもうけやすいわけです。
今、アリコや、アフラックなどをはじめたくさんのアメリカ多国籍企業が日本に来ています。彼らは日本では日本の労働者を雇う。その人件費は安ければ安いほど彼らはもうかる。つまりアメリカ多国籍企業を世界に進出させるために、「あなたの国の経済構造をアメリカの企業がもうけやすいように変更してください」、これが八〇年代の終わりからアメリカが準備した九〇年代日本の「構造改革」です。
■金融分野ではすでに市場の明け渡しが
金融の分野では、すでにかなりの市場をアメリカに明け渡していると私は見ています。アリコはアメリカ有数の生命保険会社です。アメリカを支配し尽くした大企業が日本に来ている。御堂筋の銀行街を歩いていると、カタカナ銀行がいっぱい並んでいます。これは九六年から始まった橋本内閣による金融ビッグバン以降の現象です。アメリカ資本がどんどん入って、日本の銀行や生命保険会社が競争で押されています。では、当時の橋本内閣は、なぜアメリカの銀行や生命保険会社を日本に入れたのか? 対米従属の政権とはいえ、銀行業界は毎年自民党に億単位の政治献金を献上するお客様です。それをなぜ危機に落とし込むようなことをしたのか?
その直前に強烈な円高がありました。九〇年に一ドル=一四五円だったのが、九五年には一ドル=九四円。それが九五年を転機に、九八年には一三〇円にもどる。アメリカは、日米の円とドルの交換の比率を政治的に操作する力を持っていますが、なぜこの逆転現象をつくったのか。実は九五年の二月に日米金融サービス協定が結ばれている。この協定にもとづいて金融ビッグバンが九六年一一月から始まります。円高圧力で日本財界の首を絞めながら、日本の金融市場を差し出したら円高をやめてやる、ということです。
最も首を絞められたのは日本財界の中枢、自動車と電気機械産業です。当時の経団連の会長はトヨタ会長の豊田章一郎氏です。自動車産業と電機産業は日本の産業のなかでも、アメリカ市場への依存度が非常に高い。たとえばトヨタ自動車は、全利益の七割をアメリカであげています。現会長の奥田碩氏は、新聞紙上で「われわれは今後米国市民企業になる」と言っています。トヨタが最も重視すべき市場はアメリカ市場です。つまり日本の財界に言うことを聞かせるには円高にして財界中枢の首を絞めればいいわけです。
■公共事業が高く、社会保障が低い――逆立ち財政
その一方で日本国内では公共事業費が高くて、社会保障費が低い、いわゆる逆立ち財政が継続します。他の先進国はみな逆です。アメリカでさえ逆なのです。州政府の公共事業費も含めて、アメリカ全土の公共事業費の二・七倍にあたるのが日本の公共事業費です。
日本はどうしてこんな逆立ちの国になったのか? 実はそこにもアメリカがからんでいます。敗戦後、日本はアメリカによって、経済的・軍事的に強い国家に育てられてきた。当時、アメリカは日本経済再生のためにアメリカにどんどん輸出させた。そして日本にドルを支払う。「これで復興しろ」「アジアから資源を買え」と。ところが七〇年代後半にアメリカは手のひらを返します。アメリカ経済のほうが弱ってきた。ご承知のようにアメリカという国は超自己中心的な国ですから、言うことがころっと変わります。カーター大統領が福田首相に対して、「これ以上アメリカに輸出するな」「もうおまえの国でなんとかしろ」「内需主導型に転換しろ」と。そこで始まった国内消費の拡大の方法が、無駄と環境破壊の公共事業です。ここから国内消費拡大に向けた公共事業最優先の政治が始まります。金額先にありきです。その事業が本当に必要かどうかは問題ではない。
そのあとの八九年から九〇年の日米構造協議で、パパ・ブッシュ大統領が「一〇年で四三〇兆円の公共事業をしなさい」と言う。九〇年に日本の公共事業費は三六兆円です。バブル経済をつくった中曽根首相時代の八五年には二五兆円でした。それが九三年には五一兆円になります。その結果、日本は財政赤字で先進国中第一位という不名誉を獲得したのです。九四年にはクリントン大統領から村山首相が、「一〇年で六三〇兆円」と言われた。つまり日本が社会保障や教育に金を出さないのは、こうした公共事業費確保のためなのです。
そしてそれでも足りない部分をうめるのが消費税です。消費税は二〇〇七年度から段階的にあげて、一〇%は軽く超えるであろうと、自民党や財界人たちは発言しています。
九〇年代、アメリカへの市場依存度は、ますます高まっています。こういう状況のなかで、対米従属的な軍事大国化、教育改悪も含めた戦争遂行体制が準備されているのです。
対米従属経済と、憲法「改正」とは、どう関係しているのでしょう?
日本は一九四五年の八月から五二年の四月まで、アメリカによって軍事占領されていました。その間に憲法をめぐってどういうことがあったか、ここでもう一度振り返ってみましょう。
■ポツダム宣言下の憲法制定――日本を平和な小国に
一九四五年から四七~八年までの間、アメリカは連合国側の合意であったポツダム宣言を実施しようとします。ポツダム宣言の中身は、日本を戦争をしない小国につくりかえる、というものでした。それまでの日本が、天皇権力のもとで侵略戦争を四回も繰り返していたからです。明治維新以後、東アジアで他民族を侵略して植民地をつくった国は日本だけです。帝国軍隊が解体され、戦争犯罪人が追及され、戦争に協力した財界人が公職を追放されました。戦争協力を理由に財閥の解体もすすめられます。占領下で九条を含む平和憲法ができたのは、この時期のアメリカが日本を「平和な小国」にする方針をもっていたからです。
憲法公布の四六年一一月三日から施行の翌五月三日までの時期は、アメリカの占領政策が転換を始める微妙な時期でした。完全に転換する前だったので、九条を含む、国連憲章の内容を反映した非常によい平和憲法がつくられたのです。
ところが国内では労働運動が高まり、民主的な団体が次々に結成されて、運動が始まります。占領軍はこれに対して非常に驚きました。自分たちのコントロールが及ばない勢いで民主化がすすもうとしている、これはまずいと思った。それで四七年の二月一日、いわゆる二・一ストで、米軍は銃剣を突きつけて労働運動にストップをかけます。
■米ソの冷戦時代の始まり――日本の再軍備
その後の四七年三月、アメリカはトルーマン・ドクトリンという外交政策を明らかにします。中味は、アメリカに都合のよい世界をつくる、そのための最大の目の上のタンコブであるソ連を封じ込めることです。マスコミは冷戦戦略と呼びました。これをアジアでも遂行する。それにはどうしても出先の基地が必要です。アメリカは最初、中国が使えると思っていましたが、中国では毛沢東による革命がすすめられていく。そこでアメリカはポツダム宣言を一方的に放棄し、日本をアメリカいいなりの経済・軍事大国にすることへと決定的に方向転換します。ロイヤル陸軍長官は、四八年に早くも憲法改悪を求めます。
ただちにアメリカは、日本の軍事力を再建します。自衛隊の出発点は、一九五〇年の朝鮮戦争です。米軍が日本から朝鮮半島に飛び立ちました。日本占領の最高責任者のマッカーサーは、「心配は米軍が韓国へ行っている間に、日本国内で反戦運動が高まらないかということだ。治安維持部隊をつくれ」と要求しました。
これで警察予備隊がつくられる。彼らに武器を与えたのは米軍です。訓練も米軍キャンプでやる。これが、五二年に「保安隊」、五四年に「自衛隊」と名称が変わります。自衛隊はそもそもアメリカの戦争を応援するためにつくられたのです。
アメリカはサンフランシスコ講和条約(五一年九月調印)で、日本を世界のアメリカ・サイドに取り込み、さらにその同じ日の会議で「日米安保条約」を結びました。この旧安保条約の目玉は、アメリカに軍事基地を提供するというものです。それまでの七年間の全面占領状態を事実上、温存するということです。五一年にはアメリカのアジア支配に奉仕する日米経済協力も開始されました。
■安保条約改定と憲法改定
五五年には、憲法改正のために自民党が結党されます。憲法を変えるために国会で三分の二の議席を取る必要があったからです。このためにアメリカのCIAが金を出したことも明らかになっています。五七年に岸内閣は、自衛隊と米軍がセットになって戦争するための「日米安保条約改定」と、「憲法の条文を書き換える」という二つの政治スケジュールをもちました。そして六〇年、日米安保条約の改定が行われました。
この安保条約改定の時の日本国民の闘争は激烈でした。五八〇万人を超える集会が行われ、国会をとりまくような大統一行動が二〇回以上も行われます。日米支配層はこれに非常に大きなショックを受け、憲法改正はできない、と判断を変えます。六〇年代以降、日米政府は、解釈改憲路線に萎縮していくのです。萎縮させたものは、ほかでもない、私たちの先輩たちのたたかいでした。
自民党は憲法をどのように「改正」しようとしているのでしょう?
■自民党の改憲草案
自民党は昨年一一月に、「憲法改正草案大綱(たたき台)――『己も他もしあわせ』になるための『共生憲法』を目指して」という文書をつくりました。ここに自民党中枢部のホンネが示されています。
大きな問題の一点目は天皇の地位を「元首」にする、です。明らかに国民主権を踏みにじる、あるいは軽視する方向です。そして二点目は基本的人権の軽視です。社会保障の理念はまず「自立」だと言う。国家責任とか公的責任は登場しない。憲法二五条の生存権規定の第二項には、はっきりと国がこの原理を保障する主体だと書いてある。それを曖昧にする。三点目、生存権の権利性を軽くするとなっています。竹中平蔵氏は社会保障のことを、「タカリだ」と発言し、繰り返し本にも書いています。その考え方の憲法化です。
四点目は教育問題。これは教育基本法の改悪と非常によく似た脈絡です。「愛国心」を明記するかどうかは、教育基本法改正の動きと関連して判断するとしています。五点目は、「企業その他の私的な経済活動は、自由である……」とあえて言っている。これは企業の社会的責任を問うとりくみに対する反撃です。六点目は、集団的自衛権の確立の問題。自衛の枠を超えて、国際貢献のために武力行使する、集団的自衛権を認める。「集団的」の集団とは、「日米」ということです。アメリカが戦争を始めたら、どこでも日本は出ていくということです。グローバル・パートナーシップの憲法化です。
七点目は、緊急事態の際に「基本的な権利・自由は……制限することができる」と。反戦平和運動への抑圧が考えられます。八点目は、「自衛軍を設置する」と。小泉首相は、「イラクに命がけで行ってくれる自衛隊員を軍人と呼べないのは気の毒だ」と何回も言っています。それを憲法で決めてしまうということです。九点目は、国会から国民を遠ざける国会改革の構想です。衆議院は小選挙区を憲法で公認し、参議院については国民が直接選べなくする。一〇番目には、国会欠席の合法化、一一番目は憲法改正手続の簡略化で、これによって憲法を次々と変えることができるようになります。
財界・アメリカいいなりの独裁的な国づくりが、この改憲案によってすすめられようとしているのです。
私たちはこういう動きに対して何をすればいいのでしょうか?
■憲法を日本の改革の指針に
国民はただ指をくわえて待っているわけではありません。「九条の会」は全国どこで講演会を開いてもたいへんな集まりです。すでにたたかいは始まっています。
「憲法を守る」というとき、日本国憲法がめざす社会は、もっとはるかにすばらしい社会なのだ、そのすばらしい日本に向けた民主的な改革をすすめるためにこそ、憲法は守っていかなければならない、そういう角度からの憲法論が必要です。そのためにも、憲法の中身をよく知らねばなりません。平和の問題だけでなく、ゆとりをもって生活できる社会をどうつくっていくかについても、男女の平等についても憲法は非常に豊かな内容をもっています。
二五条は、すべての国民の生存権を保障しています。子どもたちはみんなお金持ちの家に生まれてきたかった。けれども現実はそうならない。それでも不幸な子がいても、仕方がないとはしないというのが日本国憲法です。その子がもっている「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を、国家がこの子に保障しなければならない。この理念を破壊してはなりません。
■アジアとの連帯・世界との連帯
またアジアと連帯し、ともに成長する社会づくりを実現していくためにも憲法は大切です。日本の憲法は前文で、他国を犠牲にした平和ではなくて、全世界の平和へ貢献する責務があると書いています。
九七年から毎年、「ASEAN+3」という会議が行われています。「+3」は中国、韓国、日本です。中国はASEANとの間で、共同市場をつくるということをすでに決定しています。力を合わせてアジアから貧困をなくしていく、ということです。東南アジア諸国連合が提起しているTAC(東南アジア友好協力条約)という「絶対に戦争はしない」という平和条約も広がっています。
日本がこのままアメリカいいなりの軍事大国化を続けるのか、それともアジアや世界の人々との平和的で友好な関係をつくっていくのか、そこが大きく問われているのです。
アメリカから独立しても、本当に日本はやっていけるのでしょうか?
軍事的には北朝鮮との緊張は緩和され、話し合いの可能性が広がります。経済的にもアメリカへの依存度を下げるための条件がアジアにどんどん広がっています。中国は人口が一三億人いて、今、市場を開放しています。ASEANには五億の人がいます。我が国がいいものを安くつくります、買ってくださいと言う。こういう関係づくりは日本の不況解決にも非常に大きな力になります。
アメリカいいなりをやめ、日本がアジアの平和と貧困の克服に貢献する国になるなら、日本経済は今の不況から脱却するための新しく大きな条件を手に入れることになります。もちろん売るだけではなく、安くて良いものを買うことも必要です。そのための国際的な分業が必要です。
日本国憲法どおりの日本社会をつくっていくことは、現状を容認することなどでは決してありません。いまの日本を民主的にどんどん改革していくということに他ならないのです。自民党の改憲案をリアルに語り、憲法が示す日本改革の展望をリアルに語るたたかいが必要です。
――ありがとうございました。
「インタビュー結党50年の自民党 総選挙で『純化』というが」
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
総選挙をつうじた自民党の「純化」が言われています。小泉首相にたてついた人は,公認をはずされ,「刺客」をぶつけられ、当選しても制裁です。その結果、旧橋本派や亀井派など,有力といわれた派閥が機能を弱めています。自民党の中央集権化が強まっているのでしょう。
米国の要求へ屈伏
しかし,ここで肝心なことは「純化」の基準が何だったかです。それは郵政民営化にイエスかノーかでした。郵政民営化は、日米の金融関連資本に新たなもうけ口を与えるものです。つまり自民党は,日米大企業の利益拡大にいっそう奉仕する方向へと「純化」したのです。民営化案は日米合作ですから,アメリカの要求への屈伏の深まりも指摘できます。マスコミの「純化」論は,こうした政治の中身にあまり注意がとどいていません。
小泉自民党による「構造改革」の背景には,土建国家型から、トヨタなど多国籍企業主導型への,財界の要求の変化があるという指摘があります。八〇年代後半からの公共事業費急拡大で,財政赤字がふくらみ,土建国家的やり方がゆきづまったのは確かです。
しかし,そこから一挙に土建国家の清算が進んでいるわけではありません。「構造改革」には,土建国家の一定の継承が織り込まれています。選挙後の政府に対する日本経団連の要望書にも、首都環状線の整備や羽田・成田の空港拡張がちゃんと入っていました。「都市再生」の名目で、多少の「お色直し」はされていますが,従来型の大型工事がバッサリ削られるということはないのです。そして,それによる財政赤字が,社会保障削減や庶民増税の原動力となっています。ですから,公共事業費が社会保障費の倍もある“「逆立ち財政」を正せ”というのは、「構造改革」批判のスローガンとして引き続き重要です。
他方で,財界が要求する大企業減税や労働条件切り下げなどの規制緩和は、多国籍化のすすんだ製造業だけでなく,土建や鉄鋼も含め、すべての大企業の利益となっています。それは日本に進出してくるアメリカ企業にとっても同じです。こうした内実をもつ「構造改革」を日本企業の多国籍化だけで説明することはできません。私は,特に小泉・竹中「構造改革」が,アメリカへの屈伏の度合いをますます深めるのではないかと懸念しています。
「通信簿」と献金で
財界は「構造改革」に大胆さとスピードを求めました。そのためには自民党から,地方や業界などの利益代表の集まりという性質をはぎ取る必要がありました。トップダウンで動く,統一的な組織にしたかったのです。試みの最初は,中曽根内閣の「審議会政治」づくりあたりかも知れません。その後,小選挙区制をテコに自民党の集権化がすすめられます。政党通信簿やそれにもとづく利益誘導(献金)も行なわれます。また政府には経済財政諮問会議がつくられ,2人の財界人が入りました。こうして財界直結の政治は,自民党と政府の両方の改革ですすめられます。
結局,自民党政治は,ますます少数者だけに奉仕する性格を強めています。大胆でスピードのある改革は,それだけ多くの市民との対立をすばやく深めるものとなるでしょう。それが小選挙区制マジックで大勝した自民党政治の,今後の最大の弱みとなります。
以下は、婦人民主クラブ『婦民新聞』2007年12月20号に掲載されたものです。
見出しは、編集部のみなさんがつけてくれました。
インタビュアーは、婦人民主クラブ事務局長の櫻井幸子さんです。
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激動のこの一年をふり返って
草の根の運動が政治を変える力に
櫻井 今年は例年にも増して、文字通り激動の年でしたね。
石川 「構造改革」や改憲に対する闘いの成果がはっきり現れてきた年だったと思います。その象徴が安倍政権の崩壊ですね。安倍さんが政権を投げ出さざるを得なかった直接の原因は参院選の大敗ですが、そこには貧困と改憲という大問題に対する国民の不満あるいは批判の意識がありました。
貧困化は本当に深刻です。九七年をピークに日本中の全世帯の平均所得が十年間下がり続けています。根底にあるのは雇用と社会保障の破壊です。
改憲の問題では五月三日に、靖国派からも改憲案が出されました。天皇を元首にするといったあまりの復古調に、マスコミの中にも不安が広がりました。安倍政権が三年後の改憲発議をマニュフェストに掲げ、それで大敗を喫したことの意味はとても大きいと思います。
頑張る草の根
石川 安倍政権を引き継いだ福田政権も、崖っぷち政権であることに変わりはありません。福田首相は総裁選でも所信表明でも、改憲を語ることができませんでした。「構造改革」についても、基本的に正しいといいながら、一定の手直しを口にせずにおれない状態です。
櫻井 一方、日本各地に広がった「九条の会」は、七千に迫る勢いですね。
石川 改憲の動きを押しとどめる上で、「九条の会」などが果たす役割は非常に大きくなっています。世論調査のたびに護憲派が増える背景には、これら草の根の運動がある。一四〇人以上の国会議員が集まる「新憲法制定議員同盟」も、そのような指摘をしています。平和や安心を求める国民の取り組みが、政治を動かす現実的な力となり始めているということです。
櫻井 この間、大連立をめぐる一連の動きが大きな話題になりました。
石川 自民党が大連立を呼びかけざるを得なかったのは、選挙に大敗した結果、自民と公明だけでは、自民党政治の継続ができなくなってしまったからです。
他方、自民党との「対決姿勢」を投げ出せば、民主党も国民に見放されることになる。それで民主党は大連立に乗りかかっても、乗りきることができませんでした。大連立騒動の開始から頓挫までの全過程が、自民党政治に対する国民の批判にしばられたものであったわけです。
櫻井 今年も一連の悪法に反対して私たちは、連日、宣伝・署名行動や国会要請行動、集会などに取りくみました。しかし、それが国民のあいだに大きく広がっているという実感は必ずしも持てず、悩むことも多いのですが…。
石川 そこはむしろ自民党や公明党の指導部の方が、より敏感に感じ取っているところなのかも知れません。彼らは次の衆院選について、非常に強い危機感をもっています。十一月には大阪市長選で民主党が圧勝しましたが、公明党の幹部は「危機的だ」「自民党は組織が崩れかけている」と語っていました。
みんなが街頭で訴えるような激しい怒りの表明ではありませんが、自民・公明政治に対するジワリとした、重たい憤りがつのっているのは間違いありません。そこは正確にとらえておきたいところです。
櫻井 それはあるかも知れませんね。財界としてはやはり自民党を勝たせたいわけでしょう。
財界の主導で
石川 最新の政党通信簿でも、自民党に対する財界の評価は上がり、反対に民主党への評価は下がっています。民主党にとっては「対決姿勢」のジレンマということなのかも知れません。
参院選後の財界の動きについては、少し意外な気がしました。自民党政治の立て直しに向けて何かの策が出るかと思っていたのです。しかし結局、何も出てこなかった。「構造改革」路線を継続するということだけでした。長く政治を自民党まかせにしてきた財界は、イケイケと旗をふることはできても、本当の政治支配の能力には優れていないのかも知れません。実際、奥田ビジョンも御手洗ビジョンも、国民の抵抗を一切想定しないものになっています。
櫻井 国民を無視してもやっていけると思っているのでしょうか。教育の面からいうと、とにかく財界の望む人づくりは強力に推し進められてますね。その中で子どもたちの育ちに深刻な問題が出てきています。教育基本法が改悪されて、その中身の具体化が進んでいるわけですが、教育が大変だという国民の側の意識はまだ弱いように感じます。私の勤めていた品川でも「学校選択制」がまっさきに導入され、それが全国に広がり、今、学校の企業化が懸念されていますね。
石川 「構造改革」は、財界が望む政治をストレートに実現する体制づくりをひとつの目標としてきました。「自民党主導から官邸主導へ」というやつです。教育政策についても同じことがいえるわけです。ここで事態を複雑にしたのは、靖国派が文部行政の乗っ取りを策して「教育再生会議」をつくったということでした。結局、安倍政権の崩壊によって、同会議は形だけが残ることになりました。教育「改革」は再び財界主導の線に戻るでしょう。教育は子どもだけの問題でなく、社会の未来の問題ですから、大いに重視していかねばなりません。
「慰安婦」問題
櫻井 今年は特に「慰安婦」の問題もクローズアップされましたね。
石川 世界に目を向ければ、今年は大国の身勝手が、たくさんの批判に押さえ込まれてきた一年だったと思います。ブッシュ政権の戦争政策の孤立が象徴的です。イギリスやオーストラリアのイラク撤兵の動きに加え、日本もインド洋での給油ができなくなった。アメリカ国内でも、イラク戦争の継続をいう次期大統領候補は一人もいない状況です。
アメリカが「慰安婦」問題に注目した理由のひとつは、靖国派が強くなりすぎた場合の日米同盟の不安でしたが、もうひとつは東アジアとの関係の問題でした。急速に成長する東アジア各国の政治的発言に、アメリカも一定の配慮をもたずにおれなくなっている。根本にあるのは、そうした世界構造の変化だったのです。
その後、オランダやカナダでも決議が採択され、さらに欧州議会でも決議があがる見通しです。こうした国際環境の変化を追い風にして、何より日本国内の取り組みが大きな力を発揮していかねばなりません。
女性解放とは
櫻井 婦人民主クラブは綱領の中で女性解放をうたっています。しかし現実の運動の中ではまだまだ足りないという思いがあります。
石川 そこは理論的な立ち遅れの問題もあると思います。エンゲルスが『家族、私有財産および国家の起源』を書いて、すでに一世紀以上がすぎています。その間に資本主義の枠内での闘いは前進し、男女平等の実現を未来社会に託さねばならない状況ではなくなってきている。過去の歴史についても、現在の男女関係についても、様々な究明が進んでおり、それを総括する大きな取り組みが必要になっていると思います。
日本の性差別の実態は深刻です。私のゼミの学生や卒業生も様々な差別に直面しています。女性労働者が増えているといわれますが、非正規雇用の比率がきわめて高くなっている。戦後、多くの国で男女平等が進みましたが、日本の雇用現場に大きな改善はありません。
その最大の理由は、世界最長の男性中心型長時間労働を、どこまでも維持していきたい政財界の労働力管理政策です。「男は仕事、女は家庭」で、女性に夫や子どもの世話を強制し、男は職場で徹底的に搾取したいということです。ですから経済学は、夫と子どもの世話という主婦労働の社会的意義をとらえ、これを生産関係の中にとらえる広い視野をもたねばなりません。
憲法生かそう
櫻井 人権の問題も、教育の問題も、そして農業も社会保障も、すべてが危うくなっていますね。
石川 おそらく二〇〇八年は、現状をどこへ向けて転換するのか、その転換後の政治を、国民が本気で探究していく年になると思います。しかし、それは難しいことではありません。いまある日本国憲法どおりの政治をすればいいのです。それほどに日本国憲法は優れた要素を持っています。憲法を本気で実現する社会とは、どのような社会なのか、そこまで踏み込んだ語りが必要になってきます。そのための学び、学んで自分の頭と言葉を鍛えることを、みなさんにもますます重視していただきたいと思います。
櫻井 ありがとうございました。今日のお話を糧として、私たちも新しい年へ展望をもって運動をすすめていきたいと思います。
以下は、中央社会保障推進協議会『社会保障』№413、2007年夏号、16~23ページに掲載されたものです。
前半は、ゼミの活動や学生の姿についての編集部のレポート、後半は石川のインタビューとなっています。
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「慰安婦」と出会った女子大生たち
―ハルモニとともに考える日本の侵略と加害―
神戸女学院大学・石川康宏ゼミナールの取り組み
日本が第二次世界大戦中、朝鮮や中国をはじめ、侵略したアジアの国ぐにで女性たちの尊厳を踏みにじり、耐えがたい苦しみを与えた「従軍慰安婦」問題。
日本政府は、元「慰安婦」たちによる「強制連行の事実を認めよ」「公式に謝罪せよ」などの要求に背を向け続けてきただけでなく、安倍首相をはじめとして、「狭義の強制性はなかった」などと歴史的事実を否定する発言を繰り返しています。教育現場では、中学校の歴史教科書から「慰安婦」という言葉が消えてしまいました。
こうしたなか、神戸女学院大学・石川康宏ゼミナールは、「慰安婦」問題をテーマに取り上げ、実際に韓国も訪れて元「慰安婦」たちの証言を聞くなど、“行動的な学び”を実践しています。
研究室での勉強にとどまらず、自分たちの体験を語る活動も続けている学生たちの取り組みを紹介します。(構成・編集部)
私は朝鮮のある村に生まれました。
遠くに山が見える
小さな田舎の村でした。
貧しい生活でしたが、家族で
力をあわせて暮らしていました。
一四歳のある日、日本人に
声をかけられました。
あの頃の朝鮮には、日本の兵隊が
たくさんいたのです。
「いい仕事がある」「学校にもいける」
私は喜んで話を聞きにいきました。
でも、それはまったくの
デタラメでした。
だまされたと知り、「家に帰りたい」
と泣くと、なぐられました。
それでも泣くと、しばられました。
まっていたのは
地獄のような毎日でした。
私は「慰安婦」にさせられたのです。
好きでもない男たちに、毎日、毎日、犯されました。
まだ一四歳の子どもだったのに。
これは、神戸女学院大学・石川康宏ゼミナール編著『「慰安婦」と出会った女子大生たち』の冒頭に掲載されている、元日本軍「慰安婦」たちの物語です(一部を抜粋)。
同ゼミナールで学ぶ学生たちが、ハルモニたちから聞いた証言や、さまざまな史料にもとづいて制作しました(注・「ハルモニ」とは、敬意をこめて「おばあさん」を呼ぶ朝鮮語。ここでは元「慰安婦」被害者たちをさしています)。
ハルモニたちが、どのように「慰安婦」にさせられ、どんな思いを抱えてこれまで生きてきたのかが、ハルモニたちの描いた絵画とともにつづられ、その苦しみや悲しみが読む者の胸に迫ってきます。
石川ゼミでは二〇〇四年から、「慰安婦」問題をテーマにしてきました。実際に韓国にも足を運び、ハルモニたちが暮らしている「ナヌムの家」を訪問。併設されている「日本軍『慰安婦』歴史館」を見学するとともに、ハルモニから当時の体験を聞いています。また、「慰安婦」問題の解決を求め毎週水曜日、ハルモニたちが韓国の日本大使館前で取り組んでいる「水曜集会」にも参加しています。
帰国後には学内で報告会を開催。また、自分たちが学んできた成果を本にするなど、“ゼミでの学習”をこえた活動を展開しています。
こうした取り組みは、前掲の『「慰安婦」と出会った女子大生たち』や、その前年に出版された『ハルモニからの宿題―日本軍「慰安婦」問題を考える』(冬弓舎)にまとめられています。
今年六月には、三冊目となる『「慰安婦」と心はひとつ―女子大生はたたかう』(かもがわ出版)も出版。この本では、ゼミを通じて成長する学生たちの姿に焦点をあてるとともに、「慰安婦」問題について「強制はなかった」とする安倍首相の発言を痛烈に批判しています。
「加害の歴史を知りショックを受けた」
石川ゼミに来るまで「慰安婦」問題についてほとんど知らなかったという学生たち。この問題に出会って、何を感じ、考えたのでしょうか。
昨年四月から同ゼミで学び、現在四年生の小谷直子さんがこの問題に出会ったのは二年生の時。石川教授の授業で「慰安婦」問題を知ったのがきっかけでした。
「日本の加害の歴史を知り、とても驚きました。自分と歳の変わらない女性たちが軍のレイプの対象として扱われていた事実がショックでした」
もっと学びたい-その思いから、三年生になって「慰安婦」問題をテーマにする石川ゼミを選択しました。同ゼミは、毎週五時間にわたるハードなゼミで知られます。「友人には“私はよう入らんわ”と言われました」と小谷さんは笑います。
文献や映像を通じて「慰安婦」問題をみっちりと学習した後、九月には、韓国の「ナヌムの家」を訪問。元「慰安婦」の女性たちから証言を聞きました。
「お話ししてくれた姜日出(カン・イルチョル)ハルモニは、壁に何度も頭を打ちつけられて、その後遺症で今でも鼻血が出たり、手が震えたりするそうです。六〇年余り前に受けた傷が、今も彼女たちを苦しめているんです。決して昔の問題ではなく、今の問題だと実感しました」
「日本軍『慰安婦』歴史館」では、当時の「慰安所」を再現した部屋も見学しました。「狭くて暗い『慰安所』を見て、うまく言葉にならないくらいショックでした。実際にレイプが行われた場所ではないのに、被害を受けた女性たちが兵隊たちにされたことをリアルに想像してしまいました。倒れてしまったゼミ生もいます」。文献や映像を通じて知るだけでなく、こうした場所に実際に足を運ぶことによって学んだことは「本当に大きかった」と小谷さんは振り返ります。
「多くの人に知らせたい」伝える活動に取り組む
ハルモニたちは、「慰安婦」として強制連行した事実を日本政府が認め、公式に謝罪することなどを求めていますが、政府はこれに背を向けたままです。こうした現在の状況を「無視できないし、許せない」と小谷さんはいいます。問題の解決に向けて何ができるのか―小谷さんたちは、「慰安婦」問題をできるだけ多くの人に知らせ、広めていきたいと考えるようになりました。
そんな時、高校時代の恩師にすすめられて、これまでの学習や体験を教職員向けに話すことに。これがきっかけとなり、高校生たちに「慰安婦」問題の授業を行うことになりました。
「『慰安婦』問題とは何かについて、ビデオやスライドなどを使って説明するとともに、私たちの意見を話しました。重いテーマですが、年齢が近いせいか高校生たちもうちとけて聞いてくれました。授業後、ダーっと駆け寄ってきて“こんな事があったのは本当ですか?”と涙を流して話してくれた子や、“もっと勉強したい。どの大学に行けば勉強できますか?”と聞いてくる子もいました」
その後もゼミ生たちは、地域で開かれている学習会など、さまざまな場で「慰安婦」問題について話をしています。
「こんなことをしていても何も変わらないのではと、不安になることもあります。でも、私たちの話を聞いてくれた高校生が関心を持ってくれたり、“あらためて考えるきっかけになった”といった感想をもらえると、活動を続けていてよかったなと思います」と小谷さんは語ります。
視野が広がり、主権者意識が芽生えた
ゼミ生たちは「慰安婦」問題をより深く理解するために、日本が過去に行ってきた侵略と植民地支配の歴史や、戦後の日本の政治や韓国・朝鮮をはじめとするアジアの国ぐにとの関係などについても学んでいます。
そして、日本政府が「慰安婦」問題の解決に背を向け続けていること、こうした戦争を反省していない勢力が憲法「改正」を強力におし進めていることなどを知り、現在の政治の問題にも目を向けるようになったといいます。
「『慰安婦』問題との出会いは、私自身の視野を広げるきっかけになりました。日本の加害の歴史を学ぶとともに、日本とアジアの関係や憲法問題など、日本の政治の問題にも関心を持つようになりました。これまでは政府のする事に対しても、どこか人ごとのように考えていましたが、だんだん“目をそらしてはいけない。考えなくちゃ”と思うようになりました」
「石川先生は、六〇年以上たった現在も『慰安婦』問題を解決しない日本政府をつくっているのは、私たち国民だといつも話しています。私たちが変わらなければ何も変わらない。“自分には関係ない”のではなくて、私たちがこの国をつくっているという意識をもつことが大切だと感じました」と話す小谷さん。ゼミで学んだ貴重な経験を生かしながら、一日も早い問題解決のために今後も行動を続けていきたいと考えています。
《参考文献》
*『ハルモニからの宿題—日本軍「慰安婦」問題を考える』(冬弓舎、二〇〇五年)
*『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(新日本出版社、二〇〇六年)
*『「慰安婦」と心はひとつ-女子大生はたたかう』(かもがわ出版、二〇〇七年)
(いずれも、神戸女学院大学・石川康宏ゼミナール編著)
※小谷さんの発言は主に、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」主催のシンポジウム「私にとっての『慰安婦』問題」(二〇〇七年六月二日開催)によりました。
■インタビュー
過去のあやまちへの反省がなければ この国の未来は拓けない
神戸女学院大学教授 石川康宏
ゼミの指導教授として、また、ゼミ生とともに「慰安婦」問題を学んでこられた石川康宏教授に、この間の学生たちの学びや成長について、また、「慰安婦」問題について歴史的事実を否定する政治家の発言に対して意見をうかがいました。
――ゼミの学生たちは、「慰安婦」問題を通じて日本の近現代史からいまの日本の政治まで、実に幅広く、かつ深く学んでおられますね。また、ゼミでの学習を通じて「いまの政治を変えるのは私たち」と考えるに至っています。こうした学生たちの成長を、指導教授としてどう捉えておられますか。
教師の意見を押しつけない
石川 神戸女学院は、いわゆる関西の“お嬢様大学”です。地元に根づいた伝統校で、ボランティアや奉仕活動はあっても学生運動や政治的な動きは歴史的にも少ない学校です。
三年生の四月にゼミがスタートする段階では、学生たちは「慰安婦」問題についてほとんど何も知りません。春休みの宿題で本を何冊か読んだだけでゼミにやって来ます。
ゼミは毎週月曜日の午後三時から八時まで、五時間かけて行います。ここで注意していることは、「慰安婦」問題については賛否両論がありますから、教師の意見を押しつけないようにしているということです。これを押しつけてしまうと、自分の疑問が解決せず学生には不満が残ります。問題点や論点は私も提示しますし、相談されれば文献も紹介しますが、それぞれの疑問を解決するのは学生自身に任せています。学生が自分で本当のことを探っていくプロセスを大事にしているということです。
また、映像を多く観るようにしています。今年の三年生がこれまでに観てきたものとしては、「慰安婦」問題を扱ったもののほか、侵略戦争をテーマにしたものや憲法問題、日本の軍需産業、イラク戦争を扱ったものがあります。
戦争やレイプは学生たちが日常的に接する問題ではないため、実感としてなかなか理解できません。私自身は戦後十二年目に生まれていますが、ゼミ生たちが生まれたのは一九九〇年頃で、物心ついたときには二一世紀です。「戦争の悲惨」といっても、頭に浮かぶものが私たちの世代とは全然違うのです。ですから、問題が具体的にイメージしやすいように映像を使って学習しています。
外に向けて発言するように
また、いろいろなところに出かけるようにもしています。この六月には、東京の「女たちの戦争と平和資料館」で、「中学生のための『慰安婦』展」のオープニングイベントとして開催されたシンポジウムに参加しました。この時には、パネリストとして四年ゼミ生の一人が発言しています。その翌日には「しょうけい館」と「靖国神社・遊就館」を見学しました。戦争に対してまったく評価の違う意見に接し、それぞれが自分のアタマで考えずにおれなくなる、という状況を作るようにしています。
九月には韓国を訪問して、「ナヌムの家」でハルモニたちにお会いし、日本軍「慰安婦」歴史館を見学します。当時の「慰安所」が再現された部屋を見学すると、毎年必ず誰かが倒れています。歴史館の見学や、実際に被害者に会うことで、「慰安婦」だった方がたの痛みや苦しみを、学生たちは肌で感じていくわけです。学生たちも、机の上で学習するだけでなく、体で学んだことが大事だと言ってくれます。
「ナヌムの家」訪問の翌日には、ハルモニたちが続けている日本大使館前での「水曜集会」に参加して、発言もします。ここで何を発言するのかについても、すべて学生たちが決めています。昨年は「日本の政治を変えなければダメだ」と発言していましたが、前日の夜の議論のスタートは「(解決のために)政府に協力してもらわなくちゃ」というものでした。「でも、戦後六〇年間、政府は協力していないよね」という話になり、最終的に「政治を変えなければ」との結論になりました。たった一晩の議論で変わっていくわけです。自分たちが集中して考え、責任をもって意思表示をしなければならない立場に立たされたとき、学生たちは一足飛びに変化します。
いまの四年生は、帰国してから、自分たちの体験を語る活動に取り組みました。地域で行われている学習会など、すでに十数カ所に出かけています。学生だけで話に行くこともあり、「“日本政府は謝る必要はない”という人とバトルしてきました。いい勉強になりました」という学生も出ています。なかなか精神的に強くなっているなと感じています。過去三年間「慰安婦」問題をテーマにしてきましたが、みんなで外に向かって発言するようになったのは、この学年からですね。
――予想以上の学生たちの成長に驚いていらっしゃいますか。
石川 このテーマをとりあげた当初は、ハードな政治問題に学生たちがついてくるのかと心配しました。「水曜集会」も、参加するか見学だけにするかは学生たちが決めています。しかし、一年目から学生たちは「参加します」と言ってくれました。これには、正直びっくりしました。
「水曜集会」に行けば、大使館の前に日本の機動隊のように盾をもった警備隊がいて、ものものしい雰囲気です。また、韓国の集会は“絶叫調”で、緊張感もかなりのものです。日本でさえ、そうした集会に参加したことのない学生が、しかも抗議する相手が日本政府となれば、その緊張感から逃げ出したいと思いたくなるのは当然です。そのなかで学生たちは「集会に参加しているハルモニたちの顔を見たら逃げ出すわけにはいかないと思った」という体験をしていきます。
環境さえ与えられれば、いまの若者も政治を良く考えるし成長するということを強く感じています。
「従軍慰安婦の強制連行はなかった」のか
――「慰安婦」について「狭義の意味での強制性はなかった」などの発言が政治家からあいついでいますが、この間、「慰安婦」問題を学んでこられた立場から、ご意見をお聞かせください。
石川 「だまして連れてはいったが、暴力を使って強制的に連れていったわけではない」「業者は強制連行したかもしれないが、直接、軍がやった資料はない」などと言った発言ですね。
しかし、監禁して脱出の許されないなかで数カ月から数年にわたり軍人たちがレイプする、そのことの強制性は彼らも否定しようがありません。そのための施設は日本軍がつくり、女性たちの輸送や性病検査など、軍が徹底的に管理していたのは軍の資料によっても明らかです。ですから、連れていく瞬間だけの「強制性」などという苦しまぎれを言うしかないわけです。
現代の誘拐事件を考えても、「狭義の強制性」を示す資料がないから犯罪ではない、そんな言い分は通りません。目の前で人が誘拐されても、強制性を証明する文書資料など残りません。そこでは、加害者や被害者、目撃者の証言が決定的な役割を果たします。
こんな理屈を通せば、拉致問題の追及もできなくなってしまいます。だから国際社会は、北朝鮮を批判する時と日本の過去を考える時で、まるで判断の基準が変わってしまう日本政府を、卑怯で見苦しいと批判するわけです。過去のあやまちを真剣に反省しなければ、現在の問題も解決できず、未来の歴史も拓けません。
(おわり)
以下は,全国商工団体連合会『月刊・民商』06年10月号,№550(2~8ページ)に掲載されたものです。
「特集 戦争する国にはさせない!」の巻頭インタビューです。
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平和と人権と健全な経済のために,日本国憲法が輝く社会を
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
〔1・侵略戦争を反省しない国づくり〕
──憲法「改正」に向けた動きが政府によってつくられていますが,この動きをどうご覧になっていますか?
●非常に危険な状況だと思っています。非常に内容の悪い改憲案が,しかも改憲を実現する手続きの具体化にまで踏み込んで議論されています。この危険性を正面からとらえ,反対する取り組みを大きくそだてる必要があると思っています。
──改憲案の内容はどのようなものでしょう?
●自民党が昨年秋に発表した「新憲法草案」ですが,大きく4つの問題点があると思っています。1つは「日本国憲法」前文の侵略戦争への反省の文章をすべて消し去り,そのかわりに,この国や社会を無条件で愛しなさいという愛国心が国民の「責務」とされている点です。
日本国憲法前文には「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」する。「日本国民は,恒久の平和を念願し,人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて,平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。アジアの人たち2000万人以上を殺した侵略戦争を反省し,その深い反省のうえに立って,軍事力に依拠せず,国際社会で誰にも信頼される国となることで「安全と生存」の保持を目指すとしたわけです。
しかし,自民党の「草案」は,これらをすべて消し去るものとなっています。それは,戦争はもう60年以上も昔のことで,反省も十分されているからいいだろうと,そういう判断からではありません。その反対に,あの戦争を反省しない国づくりをすすめる,国際社会で軍事力を行使する国づくりを積極的にめざしていくということです。
草案の前文にはこういう文章があります。「日本国民は,帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有」する。「日本国民は…国際社会において,価値観の多様性を認めつつ,圧政や人権侵害を根絶させるため,不断の努力を行う」。
前の方の愛国の「責務」は,結局,戦争をはじめるなど,政府が国民の気に入らない政治を行った場合にも,国民は無条件でその政治を愛しなさい,支持しなさいというものです。これは「戦争反対」と叫べば,それだけで愛国の「責務」に反するとされる抑圧政治の可能性さえふくむものとなっています。
また後段の文章は「圧政や人権侵害を根絶」するという理由であれば,海外での自衛軍の活動を含む「不断の努力」を可能にするというものです。アメリカがあちこちで戦争を行う場合に,相手国政府の「圧政や人権侵害」を,繰り返しその理由にあげてきたことを思い出してください。これはアメリカが行う他国への介入戦争に,日本が参加していく道を開くものです。
〔2・安倍晋三『美しい国へ』に見られる憲法敵視〕
──安倍晋三氏の最近の著作に,憲法の前文を否定する文章があると聞きましたが?
●安倍晋三『美しい国へ』(文春新書,2006年)ですね。安倍氏は平和を願い,戦争を放棄するという憲法の箇所を「敗戦国としての連合国に対する“詫び証文”のような宣言」と述べています。これは安倍氏が,この本でだけ,たまたま口をすべらせたというものではありません。『安倍晋三対論集・日本を語る』(PHP研究所,2006年)でも,櫻井よしこ氏との対談の中で「現憲法の前文は何回読んでも,敗戦国としての連合国に対する詫び証文でしかない」「為政者が責任放棄を宣言したような内容」「非常にいじましい」と述べています。
このインタビューが行われている今日の時点では,自民党の新総裁はまだ決まっていませんが,このように好戦的な人物が総裁の有力候補となっているところに,現在の自民党の危険で軽薄な右傾化を感じます。
──「危険な」だけでなく「軽薄な」というのはどういうことでしょう?
●自民党の内部に,戦争放棄を定めた憲法9条の世界史的意義についての検討が,きちんと行われた形跡がないということです。それにもかかわらず,アメリカの求め,財界の求めに応じて,また自民党主流派の動きに吸いよせられて,議員たち1人1人が問題を熟慮することもなく改憲へ,改憲へとなびいているということです。小泉チルドレンなどその最たるものといえるでしょう。
──なるほど,わかりました。
●安倍氏の本の話題が出ましたから,ついでに氏の靖国参拝への態度についても紹介しておきます。『安倍晋三対論集』で,安倍氏はまず2005年の小泉首相の靖国参拝について「秋期例大祭の日時を選んで参拝されたのは本当によかった」と述べています。そして「安倍幹事長代理が総理になられた場合,靖国参拝はどうされますか」と問われて「一国のリーダーがその国のために殉じた方々の冥福を祈り,手を合わせ,尊崇の念を表する。これは当然の責務です。小泉総理もその責任を果たされているわけですが,次のリーダーも当然,果たさなければなりません」と答えています。
アジアだけでなく,ヨーロッパやアメリカからも批判が強まるなかで,安倍氏は靖国参拝を正当化する発言をトーンダウンさせていますが,本音がかわってきたとは思えません。彼の考え方は,かつての侵略戦争を賛美する靖国神社への参拝を「当然」だとするものであり,そのことは,先ほどの憲法前文の侵略戦争への反省を消し去る「新憲法草案」の考え方にもピタリと一致するものになっています。
〔3・アメリカの無法戦争にくわわりたい〕
──自民党の改憲案の4つの問題の2つ目はいかがでしょう?
●2つ目は,前文の問題に直結するわけですが,9条第2項を書き換えて,日本を海外で戦争のできる国につくりかえようとしているという問題です。
現在の憲法9条は「国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する」となっています。そして,つづく第2項で「前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない」としています。
これに対して自民党の草案は,9条第2項を4つにわけ,最初に「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため,内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する」としています。まず自衛隊ではなく自衛「軍」にする,軍隊にするということです。
そして同じ第2項の3つ目の小項目で「自衛軍は,第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか,法律の定めるところにより,国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し,又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」としています。ここにいう第一項というのは,先の「平和と独立」云々のことですが,それ以外の場合にも,海外で,また国内で軍事力を行使することができるようにするというわけです。
──海外への派兵のところは,もう少しかみくだくとどういうことになりますか?
●まず「法律の定めるところにより」というのは,例えば実際に自衛隊をイラクに派遣する「根拠」とされたイラク特措法のようなものを,戦争のたびに決めさえすればということです。また,つづく「国際社会の平和と安全を確保するために」というのは,政府がそう認めさえすれば,ということです。
思い出してみてください。小泉内閣はイラクへの自衛隊派兵の必要を語るときに,やはり国際の平和と安全を理由にしました。つまりアメリカ等がはじめた戦争が無法なものであったとしても,政府がそれを「国際社会の平和と安全」のためだと判断すれば,いつでも軍隊が出せるようになるということです。もっとも安倍氏は,最近になって,戦争のたびにいちいち法律をつくるのは面倒なので,いつでも海外に自衛隊(軍)を派遣することのできる恒久法をつくりたいと言い出しています。
さらに「国際的に協調して行われる活動」というのは,現実の政治を見ればわかるように,実際にはアメリカと協調してということです。イラクを攻撃した有志軍は国連の議決を得ずに,いわば自分勝手に戦争を開始したわけですが,そういう戦争を「協調」して行うことを合法化するということです。安倍氏の『美しい国へ』も,国連の積極的な役割についてはほとんど何もふれていません。
また「緊急事態における公の秩序を維持し」というのも重要です。こちらは国内での自衛軍の活動にかかわる問題です。いま「共謀罪」のように市民の自由な政治活動を抑圧する法律づくりがたくらまれていますが,それだけではなく,「公の秩序」つまり時の政府の政治に何か都合の悪い事態が起こったときに,「秩序=治安の維持」を名目として自衛軍を出動させることを可能にするというものです。これは戦争に反対できない国内の体制をつくるという,非常に危険な内容をはらむものです。
──さきほどお話のあった愛国心の強制や,圧政や人権侵害を根絶させるという議論につながるところですね。
●そうです。ここで自民党の改憲草案の読み方ですが,一部分だけをとりだして解釈するのではなく,全体の関連を良くみて議論することが必要です。また実際に今の自民党が行っている政治に照らして解釈していくことが必要です。自民党は,自分たちが本当にやりたい政治,すでにやりかけている政治を,日本国憲法の制約をうけずに,もっと大手をふってやれるようにと改憲草案をつくっているわけですから。
〔4・生存権を守る必要のない悪政をめざす〕
──3つ目の問題はいかがでしょう?
●基本的人権の制約,国民の権利や自由を政府が制限していくという問題です。日本国憲法の12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によつて,これを保持しなければならない。又,国民は,これを濫用してはならないのであつて,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」となっています。注意していただきたいのは,ここでは「濫用してはならない」という責任は,国民が自主的に負うものとなっているということです。
ところが,自民党の草案はこうなっています。「(権利と自由については)国民は,これを濫用してはならないのであって,自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ,常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し,権利を行使する責務を負う」。ここでは「濫用」を制約するのは「公益及び公の秩序」,つまり政治のあり方であるとなっています。「公益及び公の秩序」というのは,当たり前の市民道徳のことではありません。それは,その時々の政治の具体的なあり方ということです。
では,自民党が望む「公の秩序」とはどのようなものなのか。それは,すでにやっていることを見れば良くわかります。たとえば2005年につくられた「障害者自立支援法」は,施設の利用に際して,障害の重い人ほどたくさん利用料を払えというとんでもない法律になっています。その結果,利用料が払えず,施設に通うことができなくなる人がたくさん生まれてきています。本当にひどい政治ですが,しかし,これが自民党のいう「公の秩序」のひとつです。障害者は自立支援法に反しないように自由を享受し,権利を行使しろというわけです。また最近では高齢者の住民税が5倍にも10倍にも跳ね上がっていますが,これも自民党の草案にあてはめれば,高齢者はそうした重税の秩序のもとで権利と自由を享受しろということになるわけです。
──なるほど,ひどい話ですね。
●2004年11月に自民党がつくった「憲法改正草案大綱(たたき台)」は,国民の生存権を記した憲法25条を「『基本的な権利・自由』とは異なり,『権利』性が弱(い)」ものに変えるとしています。国民の生存権を守る必要のない政治,これが自民党の目指す政治のあり方です。それが今回の草案の中にも,あまり目立たない形で取り込まれているわけです。
安倍氏の『美しい国へ』には,セーフティネットの話が少しだけ出てきますが,その内容は,生活保護を受けることができずに亡くなった女性を例に出しながら,保護するかしないかの判断はそのように難しいと語っているだけです。人が餓死するほどの貧しさを目にしながら,ただちに手を差しのべることのできない政治というのは,一体どういうものなのでしょう。自民党や安倍氏は,この国と社会から,平和や安全とともに,人が安心して生きる権利をも奪い取ろうとしています。それは決して,甘く見てはいけないところです。
最後の4つ目は,改憲手続きを定めた96条をかえて,その後の改憲をさらにやりやすくするというものです。いまの憲法では改憲案を国民投票にかけるには,両院の3分の2の議員の賛成が必要ですが,これを過半数で良いものにするということです。つまり,これは憲法「改正」を今回の草案だけで終わらせず,二度・三度とつづけて行う予定をもっているということです。先の「憲法改正草案大綱(たたき台)」には「天皇は日本国の元首であり」とか,参議院議員については国民による直接選挙をやめるとか,とんでもないことがいくつも書いてありますが,こうした自民党改憲派の本音を実現していく,連続した憲法「改正」を準備するということです。
〔5・ゆるしてならない憲法審査会の設置〕
──政治は非常に重要な歴史的局面を迎えているわけですが,この秋の国会の焦点はいかがでしょう?
●やはり改憲に向けた具体的な手続きの前進を,ゆるすかどうかが重大だろうと思います。すでに春の国会に改憲手続き法案が出されていますが,これが秋にも出てきます。この法案は,国民投票法とともに「憲法改正の発議のための国会法の一部改正」を含むものとなっています。そしてその国会法「改正」は,国会の中に改憲に向けた常設機関として「憲法審査会」を置くというものになっています。
法案を読むと「憲法審査会は、憲法改正原案及び日本国憲法の改正手続に係る法律案を提出することができるものとする」となっており,したがって「憲法審査会」は改憲案をとりまとめるとともに,改憲に必要な法律をつくる場ともなっていきます。これは自民党の中だけでなく,国会の中に改憲推進の中心機関をすえようというたくらみです。しかも国民投票法が,公布から2年をまって施行されるとなっているのに対し,「憲法審査会」は,改憲手続き法が成立したその次の国会から活動できるようになっています。つまり秋の国会で成立すれば,来年春の国会からは改憲案のとりまとめが可能になるというわけです。
2000年には憲法調査会という機関が国会に設置されましたが,これは改憲案の審査や提出の権限をもちませんでした。これに対して今回の「憲法審査会」は,日本国憲法施行後はじめて,改憲にかかわる法案提出権をもった委員会を設置するものとなります。これは改憲実施へ向けた重要なステップとなるものです。
──なるほど,危険な法案ですね。
●この改憲手続き法案をつくったのは,自民党と公明党です。この点では公明党も自民党とまったく同罪です。また民主党がこれへの「対案」をつくりましたが,「憲法審査会」の設置の部分は,政府案とほとんど同じ内容でした。民主党も改憲の早期実現にむけた常設機関の設置を望んでいるということです。これにストップをかけていくには,国民世論の高まりが不可欠です。
──自民党への対抗軸だといいながら,実際に民主党のはたしている役割は本当に悪いですね。
●民主党は,日本を海外で戦争のできる国につくりかえ,また新自由主義的改革の名のもとに,政府が生存権を守る必要のない国づくりをすすめるという点で,自民党と基本線ではかわらない改憲案をもっています。野党,野党といって,自民党政治の転換を願う国民の期待を集めながら,実際には「第二自民党」的役割しかはたさない。そういう大変に悪い役割をはたしていると思います。あわせて,そのような役割をはたさせる狙いが,財界による自民・民主の二大政党制づくりに込められていることも,しっかり見抜いておく必要があるところです。
他にも,秋の国会では,学校教育の内容に政府が無制限に介入できるようにし,戦争と格差社会を不思議に思わない子どもづくりを目指す教育基本法「改正」や,まともな政治を論ずる権利を国民から奪い取ろうとする「共謀罪」の問題など,改憲の動きと深くかかわった悪法案が目白押しです。それらの内容をわかりやすく市民に伝え,政府のたくらみにストップをかけようという率直なよびかけを広げていくことが必要です。
〔6・改憲反対の動きをつなげあって,はげましあって〕
──改憲に反対する運動の現状については,どうご覧になっていますか?
●私の大学にも「9条の会」があり,この6月の全国交流集会には学生の代表者が参加してきました。すでに全国に五千数百の「9条の会」ができあがっているのは大きな希望です。男女平等の推進をめざす24条の会や,生存権・社会保障の問題を重視する25条の会など,各地で様々な立場の人たちが,自発的にこれらの取り組みをひろげているのが特徴です。その自発性的な立ち上がりという点に,大きく期待を寄せたいところです。
そのうえで,いま重視する必要があると思うのは,全国のたくさんの人たちの取り組みとの連帯を実感することができる工夫という問題です。たとえば60年代や70年代に,公害を抑えて,福祉を充実させようとする革新自治体がつくられていった時期には,様々な市民・住民の運動が新聞やテレビをつうじて報道されました。しかし,今日では,それがおそらく意図的に黙殺されています。その結果,生活の中で新聞やテレビを見るだけでは,平和を守り,人権を守ろうとする全国の取り組みを十分には知ることができなくなっています。そこから自分たちの取り組みに「孤立感」を感ずる傾向もあるようです。
実際には,「9条の会」の急速な広まりにとどまらず,高知県のいくつかの自治体では,すでに改憲に反対する署名が住民の過半数から集められています。また岩国や沖縄では米軍基地強化に反対する市長の当選が勝ち取られています。さらに座間や相模原だけでなく,自治体ぐるみ,首長ぐるみで基地強化に反対する運動がひろがっているなど,全国には大きな取り組みがいくつも展開されています。そうした取り組みの大きなうねりを実感しながら,そのうねりの中に自分たちの身のまわりの取り組みを位置づけられることが必要だろうと思うのです。マスコミが知らせない各地の取り組みを,市民が互いに自主的に発信しあい,受信しあう。そういうネットワークをつくることが大切だろうと思っています。ぜひ全商連でも工夫してみてください。
〔7・日本経済の発展の道を閉ざす改憲案〕
──最後に,改憲と日本経済の関係についても一言お願いします。
●自民党の草案は,政府が国民の生存権を守らないという意味で「格差社会」の深刻化を一層すすめるものとなっています。また「憲法改正草案大綱(たたき台)」には「企業その他の私的な経済活動は,自由である」と,あえて大企業のやり放題を促進するような文章も入ってます。いま全国の世帯の平均所得の低下がすすみ,「格差」は多くの国民の貧困化とともにすすんでいるわけですが,改憲の方向は,消費の最大勢力である個人消費をますますおさえこむものとなり,日本経済の安定した発展の道を閉ざすものとなっています。
他方で,大企業はアメリカ市場とともに東アジア市場への依存を深めています。しかし,小泉首相の靖国参拝や第9条を投げ捨てる改憲の動きに対するアジアの批判と警戒は強く,それがお互いの経済交流の大きな障害となってきています。「政冷経熱」という言葉がありますが,政治が冷たいままでは,経済の熱も次第にさめていくほかありません。それについては日本の財界でさえ,心配せずにおれなくなっているのが現状です。
結局,現在の改憲の動きは,日本経済の発展に必要な内部の要因も外部の要因もダメにしてしまうという,経済破壊の動きともなっているわけです。その中でも世界市場を相手に活動する大企業には,自分は生き残れるという判断があるかも知れません。しかし,一国の経済は何より多くの国民のためにあるのであって,一握りの大企業のためにあるのではありません。活力ある日本経済の復活のためにも,平和と人権を守る日本国憲法が輝く社会をつくることがどうしても必要だと思います。みなさんの取り組みの発展に期待したいと思います。
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