共同通信社社会部編『沈黙のファイル』(共同通信社,1996年)を読み終える。10年も研究室に放置された一冊だった。
戦時中は大本営参謀本部ではたらき,戦後はシベリアに抑留され,帰国してからは伊藤忠で防衛商戦・賠償ビジネスに活躍しながら,政治の世界に暗躍した瀬島龍三が,本書全体の「主人公」である。
「あとがき」はそのねらいを,瀬島の人生の「軌跡が,戦中戦後の日本の歩みを象徴していると思ったからだ」と説明する。
第1章「戦後賠償のからくり」,第2章「参謀本部作戦課」,第3章「天皇の軍隊」,第4章「スターリンの虜囚たち」,第5章「よみがえる参謀たち」とつづき,巻末には多くのインタビューから「崔英沢(KCIA)」「井本熊男(参謀本部)」「イワン・コワレンコ(ソ連共産党)」の3人分が「資料」として添えられている。
読みごたえのある一冊である。
著者等の指摘のとおり,戦前戦後の権力には深刻な連続性がひそんでいる。
対米英戦争開戦時の商工大臣であり,中国人強制連行を決定した軍需大臣であった岸信介が,戦後自民党の初代幹事長から首相となり,60年の安保改定をやり遂げた後も,「昭和の妖怪」として長く政界に影響力をもち続けたのはその象徴的といえる。
いまや欧米からも批判をあびる「靖国史観」は,自民党や民主党など多くの政治家に共通する歴史観だが,そのような日本の「今日」が生まれる経過をリアルに深めさせる。
78年には「金大中事件」にかかわり,米下院のフレーザー委員会から,日韓基本条約を結んだ韓国の朴正煕独裁政権が,大半の資金を日本企業に依存していたとの報告書が出される。
朴正煕は旧陸軍士官学校での瀬島の後輩であり,瀬島のこの軍人脈は後の全斗煥,盧泰愚大統領に対しても大きな意味をもった。
90年の盧泰愚大統領来日時には宮中晩餐会で,天皇がかつての「不幸な時期」に対する「痛惜の念」を語る。その「お言葉」はすでに瀬島から盧泰愚に伝えられていたものである。
岸の満州閥といい,この瀬島の例といい,韓国民主化以前の日韓関係には,とりわけ戦前戦中の軍人脈が重要な役割を果たしている。
他方,シベリア抑留はスターリン自身のアイデアだと,長く対日工作に奸計をはたらかせたコワレンコが語る。
抑留者の内部でも,天皇の命令がスターリンの命令にかわっただけで,軍の階級制度が生きていく。抑留者への「思想工作」「シベリア民主運動」の組織化,帰国後の対日スパイの養成と実際の活動もとりあげられる。
また52年の保安隊をへて54年に自衛隊となる1950年発足の警察予備隊は,最初からアメリカの歩兵師団編成を下敷きとした「軍」であり,人的にはかつての参謀本部メンバーをふくむ旧帝国軍人が戦後の軍事力復活の中核を担うものであった。
これらの興味深い事実が,研究者・当事者へのインタビューにもとづいて明らかにされる。
もちろん著者たちも注意を払っているように,インタビューの内容すべてが真実である保証はない。
また著者等による歴史総括にも,戦前の歴史では軍部の独走と無責任を強調するあまり天皇の役割への軽視があるように見え,戦後については瀬島についても,中曽根など瀬島が深くかかわりつづけた歴代首相についても,アメリカとの関わりを補ってとらえる必要があるように思う。
とはいえ,わずか1冊の本にそのように何もかもを求めることは無理であろう。
このように追加的な学習・研究の意欲をそそるところもふくめて,戦中戦後史の諸論点に生々しく重要な情報を与え,日本の未来を考えさせるズッシリと重い作品である。
(97年第50回日本推理作家協会賞〔評論その他の部門〕受賞,99年新潮文庫)
最近のコメント