昨日(5月20日)は朝6時半の起床であった。
なんてこった。もう1時間ほど眠ってよかったのに,どうも,早起きには緊張がともなうらしい。パチポチと小仕事をして,8時すぎには外に出る。
JR「尼崎」ホームのあたりで,激しい雨に驚かされる。今日はそのような天気なのかと身構えてみる。
車中「小仕事の人」となり,「京都」へ移動。さらに地下鉄ですばやく「十条」へ。
地上にあがってみると,手元の地図と世間が違う。あるはずのものがなく,ないはずのものがある。良く見ると,地図の中の「十条」は,同じ「十条」でも「近鉄・十条」の駅であった。
そういうことだったのかと納得し,雨の中「近鉄」方面へ歩いていく。珍しく時間にゆとりがあり,また駅がそう遠くでないのがさいわいだった。
10時から京都高齢者会館でしゃべりだす。今日の主催は建交労京都府本部。役員さんの学習会だが,雨の週末にごくろうさまなことである。
①構造改革とは,②改憲案は,③いまなぜ靖国史観か,④「護憲」の意味,⑤世界の流れ,⑥若い世代の取り組み,といった順でしゃべってみる。
⑤には,財界やアメリカの動きを注視する,ポスト小泉族の新しい変化や右往左往も語ってみる。
みなさんは夕方近くまでの勉強だが,こちらは12時ちょうどには解放である。昼の世間はすでに雨を終えさせていた。パキパキと傘のほねをたたみながら歩いてみる。
そこここのラーメン屋などにも心をひかれるが,結局,地下鉄でグイッと「丸太町」まで北上し,途中の定食屋さんで「天とじ丼」を食べていく。
具はえび天と九条ねぎと玉子だけ(に見える)。たまごは濃いめのダシと徹底的にまぜあわされ,すでにやや醤油色に黒ずんでいる。
ごはんの底までダシがしみたニチャニチャ系の丼だが,このニチャニチャと,ど真ん中にのった山椒の強い自己主張が京都本来の丼である。10年前まで良く食った味。ニチャも山椒もなつかしい。
本屋によって,リュックを重くし,その足で京都学習会館を急襲する。「夜までここにいさせてください」と事務局長に哀願。
基本的にはわが資料をながめて「少子化の人」となり,そのあいまに「家事労働論の人」ともなる。「家事労働」は,『ジェンダーと史的唯物論』掲載の論文に対する質問への回答である。
こちらにも多分に曖昧さが残る問題なので,こまかいやりとりをしながら考えさせられるのはありがたい。結局,東京方面と1日に3往復ほどメールを打ち合う。
5時をまわったところで,あんパンをかじり,夜の仕事に立ち上がる。地下鉄の「丸太町」までザクザク歩く。つづいて1駅の地下鉄「御池」から,御幸町通までザクザク歩く。夜はラジオカフェお隣の喫茶店での講義である。
オープンキャンパス京都自由大学。ここでは講義は話題提供。提供者とフロアーの参加者は「同時代人」という同じ目線に立つことになる。「先生」という言葉もつかわないという徹底ぶり。数十人の講師はすべて手弁当の企画であり,今シーズンの事務局は若い院生の方がやってくれている。
「少子化社会をどうとらえるか」につき,あれこれの資料や見解を40分ほど投げつける。そして,これに様々な角度からの意見や感想,事実情報,分析視角のヒントをいただく。話題豊富な大人の集まりである。
宗教と人口,貧富の格差と出生率,「共産圏」の出生率,法律婚と事実婚……。「なるほど,なるほど」と面白く受け止めさせてもらった論点は少なくないが,なにせ原稿〆切は10日後である。ただちに活かせるところは多くない。今後のために,大切にあたまにとどめておくことにしたい。
9時の終了後,フロアーにおられたF田酒飲み弁護士,住金女性差別裁判勝利和解原告のK川さんと,近くの巨大ネタ寿司屋で軽く飲みとする。長い裁判闘争の裏話や,鉄鋼産業と中国の急成長とのかかわりなど,生々しいお話しを興味深くかがう。
10時半には京都脱出の人となる。
昨年4月にT国銀行に就職した卒業生から,「ひどいイジメで退職しました。いま大阪で再就職先をさがしています。くやしいです」と連絡がある。
「上からのしめつけがキツイほど,しめつけられた人のストレスが弱い者に向けられる」。直前のK川さんの言葉が思い起こされる。
アホな職場を変えていくことは大切だが,若い人が1人でやれることには限度がある。カラダやココロが傷つきすぎるその前に,新しい職場を探しに出るのは正解である。たくましく生きろよ,卒業生。
おそくまで,ビデオの「たかじん」「吉本」などをながめてみる。
今シーズンのわが講演人生はこれにて一区切り。7月末まではひきこもりの生活である。
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