大阪地裁は、「集団自決」(強制集団死)をめぐる「岩波・大江訴訟」で、原告側の主張を全面的に棄却する判決を下した。
原告側はただちに控訴するとしているが、記者会見では「集団自決に関する軍関与」をもって「隊長命令」があったとする「論理の飛躍」を批判するにとどまり、「軍関与」そのものへの反論は行われていないようである。
高校の歴史教科書から「集団自決」を修正・削除させた文科省検定の根拠が、司法の判断によって1つ消えたといっていいのだろう。
「集団自決」軍が関与 岩波・大江訴訟(琉球新報、3月28日)
【大阪】沖縄戦中、座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決」(強制集団死)をめぐり、両島に駐留していた日本軍の戦隊長が住民に自決を命じたとの本の記述は誤りだとして、座間味島の元戦隊長梅澤裕氏(91)らが「沖縄ノート」著者の作家大江健三郎氏と版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決が28日午前、大阪地裁(深見敏正裁判長)であった。
深見裁判長は元戦隊長ら原告側の主張を全面的に棄却した。判決は両島での「集団自決」について「梅澤、赤松大尉が関与したことは十分に推認できる」と指摘。「元守備隊長らが命令を出したとは断定できない」としながらも、大江氏らが両隊長の自決命令を真実と信じるには相当の理由があったとして「沖縄ノート」と家永三郎著「太平洋戦争」は名誉棄損には当たらないとし、元戦隊長ら原告側の主張を退けた。原告側は週明けに控訴する。
判決は、体験者の多くが日本兵から自決用に手榴弾(しゅりゅうだん)を渡されたと証言していることや、沖縄で「集団自決」が発生したすべての場所に日本軍が駐留していた事実などを踏まえ「集団自決には日本軍が深くかかわった」と認定した。元戦隊長ら原告の「隊長命令説は戦後、島民が援護法の適用で補償を得るためにねつ造された」との主張には「戦時下の住民の動きに重点を置いた戦記として資料的価値を持つ『鉄の暴風』などは援護法適用以前から存在していた」などとし「ねつ造を認めることはできない」と退けた。
その上で、両書は歴史書や戦後民主主義を問い直すものとして公益を図る目的で刊行され、大江氏らが書籍の刊行時、記述を真実と信じる相当の理由があったとして名誉棄損の不法行為責任に関する一般法理から、両書の原告への名誉棄損は成立しないと結論づけ、岩波側の主張を認めた。
係争中の昨年3月、文部科学省の教科書検定で高校歴史教科書から日本軍の「集団自決」強制の記述が修正・削除された。同省は当時、梅澤氏が訴訟に提出していた自決命令を否定する陳述書を検定意見の根拠の一つに挙げていたが、28日の判決で検定意見は根拠の一つを失った。
原告は梅澤氏と、渡嘉敷島の戦隊長だった故赤松嘉次氏の弟、秀一氏(75)。2005年8月に提訴し、両書が梅澤氏の名誉や、赤松氏の兄を慕う心情を侵害していると訴えていた。
沖縄集団自決訴訟で大阪地裁が28日、言い渡した判決は次の通り。
「沖縄ノート」は座間味島と渡嘉敷島の元守備隊長を原告梅沢及び赤松大尉だと明示していないが、引用された文献、新聞報道などで同定は可能。書籍の記載は、2人が残忍な集団自決を命じた者だとしているから社会的評価を低下させる。
「太平洋戦争」は、太平洋戦争を評価、研究する歴史研究書で、「沖縄ノート」は日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直した書籍。原告に関する記述を掲載した書籍は、公共の利害に関する事実にかかり、公益を図る目的で出版されたと認められる。
原告らは、梅沢らの命令説は集団自決について援護法の適用を受けるための捏造だと主張する。しかし、複数の誤記があるものの、戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置く戦記として資料価値を有する「鉄の暴風」、米軍の「慶良間列島作戦報告書」が援護法の適用が意識される以前から存在し、捏造の主張には疑問がある。原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言は、経歴などに照らし、宮村幸延の「証言」と題する書面も、同人が戦時中に村にいなかったことや作成経緯に照らし採用できない。「母の遺したもの」でも捏造を認められない。
座間味島と渡嘉敷島では集団自決に手りゅう弾が使われたが、多くの体験者が、日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に交付されたと語っていること、沖縄に配備された第32軍が防諜に意を用いていたこと、米軍に保護された2少年、投降勧告に来た伊江島の男女6人が処刑されたこと、米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載にも日本軍が、住民が捕虜になり、軍の情報が漏れることを懸念したことをうかがわせること、第1、第3戦隊の装備から手りゅう弾は極めて貴重な武器で、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断され、食糧や武器の補給が困難だったこと、沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯していたことなどを踏まえると、集団自決に日本軍が深くかかわったと認められ、島で原告梅沢らを頂点とする上意下達の組織だったことから、集団自決に原告が関与したことは十分に推認できるが自決命令の伝達経路などが判然としないため、書籍に記載された通りの自決命令自体まで認定するのはためらいを禁じ得ない。
原告梅沢らが集団自決に関与したと推認でき、2005年度までの教科書検定の対応、集団自決に関する学説の状況、判示した諸文献の存在とそれらに対する信用性についての認定及び判断、家永三郎及び被告大江の取材状況などを踏まえると、原告梅沢らが書籍記載の内容の自決命令を発したことを真実だと断定できないとしても、その事実は合理的資料もしくは根拠があると評価できるから、書籍発行時に、家永三郎及び被告らが記述が真実と信じる理由があったと認めるのが相当。被告らによる原告梅沢及び赤松大尉への名誉棄損は成立せず、損害賠償や書籍の出版などの差し止め請求は理由がない。
沖縄ノートは赤松大尉へのかなり強い表現が用いられているが、意見ないし論評の域を逸脱したとは認められない。
【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(1)「軍命令を明確に認定」(産経新聞、3月28日)
沖縄戦の集団自決訴訟の被告で、ノーベル賞作家、大江健三郎氏と岩波書店側の記者会見は28日午前10時45分から、大阪司法記者クラブで始まった。まずは、弁護団から判決内容についての説明があった。
弁護団「時間も限られているので、こちらからごく簡単に述べた上で、ご質問にお答えしたい。本日の判決の内容は、裁判長が述べた通り、原告の請求をいずれも棄却。『太平洋戦争』それから『沖縄ノート』いずれも違法性がないとして損害賠償を棄却しています。判決要旨で述べられている通り、本件の重要な争点は座間味島、渡嘉敷島などで起きた集団自決が日本軍の命令、あるいは強制によって行ったのかが問題点。これについて今日の判決はその点を明確に認定している。『隊長が具体的に自決命令を出したのかどうかは、伝達経路が明確でないという点があるので、あったと断定するには躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ないが、いろんな資料などから2人の隊長が自決命令を下したと信じる根拠がある』と、はっきり判決を下しました。この訴訟の役割を明確にとらえた判決と考えています」
さらに弁護団が続ける。
弁護団「なお1点申し述べると『沖縄ノート』については、隊長命令があったとは書いておらず、日本軍の命令があったとしていた。それについて、『隊長命令があった』と裁判所が認定した点はわれわれの主張とは違います。ただ、われわれも隊長命令の根拠は『日本軍の命令』だとしているわけですから、その点は齟齬(そご)がないともいえます」
続いて、岩波書店側がコメントを読み上げる。
岩波書店「私たちの主張を認めた妥当な判決である。沈黙を破って貴重な証言をしていただいた沖縄の生存者方々ほか多くのご支援に感謝したい」
ここで、大江氏がコメントを述べた。
大江氏「私が『沖縄ノート』には、2つの島で600人にも及ぶ人たちが軍に強制されて自殺した史的な事実を書いています。私は隊長の名を書かず、個人の名前をあげて悪人としたり罪人としたりしたことは一度もしていません。それはこれを個人の犯罪とは考えていないからです。これは軍と国が天皇の国民をつくるための教育を背景に、軍の強制があったとしているわけで、私の書物が主張していることは、きょうの裁判で良く読み取っていただいたと考えております」
【沖縄集団自決訴訟・大江氏側会見詳報】(2)「裁判背景に大きな政治的動き」(産経新聞、3月28日)
記者会見での大江氏の発言が続く。
大江氏「今回、私は2つのことを問題としたい。一つは、私どもは裁判が始まってから、集団自決という言葉を使ったが、沖縄の人が常にいっていたのは『自決ではない』ということ。自決とは例えば、軍人がある責任をとって自ら死ぬこと。沖縄の人が追いつめられて自殺したのは、集団自決とはあたらない。今後使われないことが望ましいと思う。
もう一つは、裁判の背景に、政治的な大きな動きがあったこと。具体的には、2003(平成15)年に有事法制ができあがった。有事法制について、ある新聞記者は戦争をするマニュアルだといったが、正しいと思う。戦争をできる国にするということだ。2005(平成17)年には私の沖縄ノートの訴訟が提起された。2007(平成19)年には教科書から、いったん軍の関与の意味を含んだ部分が取りさらわれた。
11万人に及ぶ集会もあった。20代の終わりから沖縄にかかわってきたましたが、一番感動した集会だった。この3つの動き、軍の強制、命令、関与についての一連の動きは、有事法制が一番根本にあると思う。
有事法制で日本に戦争できる法律が制定された。日本人が犠牲になるということを精神的、倫理的、道徳的に認めるかは、自由主義史観研究会と新しい教科書をつくる会は、精神的な整理をしなくてはならないと考えています。
『沖縄ノート』に書いたことはこれからも主張する。戦争を忘れず、戦後の民主主義教育を忘れない。有事法制は、精神的、倫理的、道徳的にそれを拒む。この裁判では、経験したことを正確に証言したくれた人が何人もいる。それがこの裁判に反映されており、心から敬意を表したい」
質疑応答に移り、報道陣から質問される。
--この判決を聞いた、率直な気持ちは
大江氏「裁判が始まってから、私の文書が分かりにくいとか、意味が分からないという反響があった。自由主義史観研究会、新しい歴史教科書をつくる会で活躍している人たちの反論もあった。『沖縄ノート』はしっかりと読めば、主張は理解してもらえると思っている。裁判長が正確に読んでくださったということに感銘を受けた」
--民事訴訟の判決には出廷義務はないが、判決にあわせ、大阪地裁まで出向いた理由は
大江氏「この裁判が始まったとき、最初は法廷には来なかった。まずは陳述書を読みたいと思い、それに長くかかった。それらを読んでこの裁判の思いが固まり、進んでここにきました。当初『沖縄ノート』が裁判にかかるとは思ってなかった。裁判を通じ今まで読まなかった書物を読んだ。私どもに共感を持っているものも、批判しているものも読んだ。
裁判で、弁護士の主尋問にも答え、反対尋問にも答えた。きょうは、それを聞いた裁判官がどう評価するかに関心をもっていました。判決は非常によく理解できます。『沖縄ノート』をよく理解してくれているとわかる言葉があり、私の説明をよく聞いてくれたと思う」
--原告側の2人に対する感情は
大江氏「私は、これは慶良間であった大きな犯罪だと考えています。軍が600人に自殺を強要した犯罪です。ただ、書物のなかで個人の名前をあげなかったことに示されるように、私は個人の犯罪でなく軍の犯罪と考えている。原告となっている座間味島の隊長だった方、渡嘉敷島の元隊長の弟さんには、2度お目にかかったが、個人的な感情が動かされることはなかった」
【沖縄集団自決訴訟・原告側会見詳報】(1)「ただちに控訴する」(産経新聞、3月28日)
沖縄戦の集団自決訴訟で原告側は28日午前11時前から大阪弁護士会館で記者会見。原告の2人は出席せず、代理人の弁護士2人が報道陣の質問に答えた。
--今日の判決について
弁護団「これは不当な判決だ。判決は原告側の元隊長、梅沢さんあるいは赤松さんから住民へ、直接自決命令を出したかどうかについて、これを認定できないとしている。だが、集団自決に対する軍関与を認定し、隊長命令があったという記載についても相当性があると判断をし、大江さんを含む被告側の名誉棄損表現を免責した判決だ。
名誉棄損表現は、梅沢さん、赤松さんが直接集団自決命令を出したかということにかかわっているが、その点については認定できないとしているのに、それとは全く別の事実である軍の関与をもって隊長命令があったという内容の表現を相当だとしたことには論理の飛躍がある。
軍が集団自決に関与したという事実と無慈悲な部隊が生き残るために、潔く住民は自決せよということで手榴(しゆりゆう)弾などを渡したという命令とはまったく別個の事実だ。別個の事実で隊長の自決命令という人格攻撃や非難を正当化するというのは、論理の飛躍であって到底容認できない。
また、判決のなかで、時間の経過に伴う証拠評価上の問題点があるということについて触れている。この点について事実認定が困難になっているのは、梅沢さん、赤松さんの提訴が遅れたからだとして、事実認定の困難さの不利益を原告の責任にしている部分がある。これもまた、原告らが置かれてきた状況から考えて、不当。ただちに控訴することに決めた」
--原告2人はなぜ会見に出席しなかったのか
弁護団「2人と弁護団と話して、ここにくる必要はないだろうということになった。『大変残念な判決だ』と2人ともおっしゃっていた。『控訴審で闘おうということを報道陣に伝えてほしい』と話していた」
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