3月16日(水)は、9時起床の朝であった。
洗濯機をゴゴンと動かし、
青汁コーヒーで、パソコン前に貼りついていく。
東京の卒業生からは、夜中のうちに
「しんどいよお」の声が届く。
いつもの何倍もしんどいのは間違いないのだから、
そのしんどさを、うまく逃がしてやる
積極的な工夫がいるよなあ。
何かを楽しむ時間、
自分を癒す時間をしっかりもつこと。
納豆たまごかけうどんをゾゾゾと食べて、
そのまま「レーニン原稿の人」となっていく。
パチポチ、パチポチ。
2時には、脳味噌が、すっかりくたびれる。
ああ、なんか甘いもんが食いたい。
しかし、何もない。
結局、午前中に録画しておいた、
大阪ブラブラ歩き番組(今日は大正)をながめながら、
さんま丼を食べていく。
ごはんに、さんまの蒲焼(缶詰)をのせただけ。
ふたたび「レーニン原稿の人」となっていく。
パチポチ、パチポチ。
宮城在住の卒業生が、11日(地震)夜に、
実家にメールを届けていたとの情報が入る。
ああ、よかった。
いちばん危険な瞬間は乗り越えていたんだ。
5時半になって、ようやく「レーニン原稿」を
東京方面にガッシンする。
これが4度目のガッシンである。
年末から、『マルかじり』なんかの
仕事をはさんで、とびとびだけど、
もう3ケ月以上もやっている。
さて、編集部のみなさんのご意見は。
小さな満足感と解放感を感じ、
風呂をあらって、湯船につかる。
つげ義春をながめながら、
ガマの油のように汗を流す。
そして、優柔不断にウロウロした後、
7時半になって外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、はじめての
静かな(経営は大丈夫なのか?)焼鳥屋に入り、
トリをさかなに「高度成長の人」となっていく。
300ページ以上の立派な本だが、
10時前には、どうにかながめ終える。
今後の日本資本主義研究や、
夏の社会保障企画にもつかえそう。
JR「尼崎」から「加島」へ、
車中「ボケボケの人」となって帰宅する。
パソコンをひらくと、宮城の卒業生から、
今日もメールがあったとの連絡が。
よかった。
これでホントに大丈夫。
「避難所のまわりの人たちに、
なにもしてやれないのがツライ」とか。
ありがとう。
でも、がんばりすぎないように。
まわりの人とは、助け合いで。
ベトナム在住の卒業生が、
ダンナさん候補者といっしょに
日本に義捐金を届けてくれました。
こちらも、ありがとう。
明日は、耳鼻科、組合、ゴクラク、卒業式、
茶話会、教育開発、ファイルの整理。
次は、マルクス原稿と学生原稿の同時進行かなあ。
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