以下は,8月5日に和歌山で行う講座「ジェンダーと史的唯物論」第2回への「講師のつぶやき」です。
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〔2006年夏「ジェンダーと史的唯物論」講座〕
講師のつぶやき(2)
2006年7月31日
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
ようやく梅雨があけたようですね。
先日は「白浜」での和歌山高教組の取り組みに参加させてもらいましたが,海岸にたくさんのビーチパラソルがならんでいるのに驚かされました。世間は「夏休み」だったのですね。
前回の講座以降,神戸で「映像で学ぶ侵略と加害の実態」という4回講座を開始しました。そこでも「講師のつぶやき」を書いています。私のブログに紹介してありますので,関心のある方はご覧ください。
さて,前回の講義に対するご意見・感想をたくさん書いていただきました。それぞれに簡単なコメントをつけていきたいと思います。
◇「マルクス主義は男女平等に鈍感だ」について、学問の世界でその批判があたっているかどうかは、私には分かりませんが、日常生活において労組や共産党の活動家が「鈍感」な場面には、しょっちゅう出会います。主婦の歴史やウーマンリブへの誤解など、事実を知らないことからくる不幸な現象だと思います。今回、ジェンダー講座が開催されて、すごく嬉しいです。
──活動の現場では……というのはそのとおりですね。ですから,この講座のよびかけにも次の文章があったわけです。「この本を材料に,学び,考えることは,政治や経済と男女関係のかかわりを考え,科学的社会主義の社会理論の幅とふところの広さをあらためて実感するものとなるでしょう。また男女平等をすすめる取り組みの大切さを再確認し,それをどう進めていくかをあらためて考える新鮮な機会ともなるでしょう。さらには私たちのものの見方,運動のすすめ方,組織のあり方などにしみついた『男性中心主義』を自己点検する機会としていくことも可能でしょう」。この「男性中心主義」はいまの社会の「常識」ですから,案外気がつかないことが多いものです。
──今回の講座が,みなさんのまわりで,家族や男女関係などについての学習をひろめるきっかけとなることを期待したいと思います。
◇労働と生活の時間について、なぜ専業主婦の夫より、兼業主婦の夫の方が家事労働の合計が少なくなっているのか。少しは協力してるから、もっと多いと思っていました。兼業主婦の方が仕事帰りに買い物や保育所の送迎など効率的に家事をこなしているからでしょうか。
私の母(62才)も働きながら私と兄を育ててくれました。父は仕事が忙しく、あまり家事をする姿を見たことがありませんでした。母は、忙しいながらもすべて家事をこなしていました。私も結婚して共働きは当たり前だと思っていましたが、結婚してすぐは家事もこなさなければ、という先入観があったように思います。でも現実はそれは難しく、今は“ひらきなおる”という感じです。でも“ひらきなおる”という考えもまだまだ、「家事は女の仕事」ということにとらわれているのかなぁと思います。
◇兼業主婦の夫の家事労働がなぜ短いのか、疑問に思いました。とてもわかりやすく時間が短く感じました。
──男性の家事労働時間の短さは驚きですね。しかも妻がはたらいている方が,その時間が短いとは。とはいえ「そもそも家事は男がするものではない」という考えがあったり,男の労働時間がやみくもに長いということがあれば,妻がはたらいていようと,はたらいていまいと,男性の家事労働時間には影響がないのかも知れません。
──アンケート調査なので,細かいところはあまり議論の対象にできないという問題もあるかも知れません。要するに,妻の仕事がどうあれ,全体として男性は家事をしてないということですね。
◇内容的には、自分で今まで学習してきた事であったが、先生の学院の卒業生の声を生の体験として聞けたことはよかった。
教育基本法(憲法24条?)の男女共学が、今回の改正案では、消えていますが、これを明記している事の重要性が昨今、とみに感じます。これがないと男女平等教育が学校現場で行われる基本が失われる気がしますが、先生は、どうお考えでしょうか。
──憲法と教育基本法は1セットというのは良くいわれることですが,自民党は改憲案を考えはじめた時にも,女性の社会的権利の拡大を敵視するような文章をHPにアップしていました(さすがにいまは消されているようです)。「女性が権利をいうようになって家族がくずれた」「家族のくずれが青少年の犯罪をふやしている」「女性は家庭へもどるべき」といったような論調です。
──教育基本法第5条は「男女は,互に尊重し,協力し合わなければならないものであって,教育上男女の共学は,認められなければならない」となっています。政府の「改正」案では,この条文がまったくなくなっています。そこには「互の尊重・協力」を重視したくないという思惑が込められている可能性がきわめて高いと思います。それは次のような政府による教科書検定の実態にすでにあらわれています。
──2006年3月の高校教科書検定では,現代社会の2社の教科書がつかっていた「ジェンダー・フリー」の言葉が削除されています。また,ある家庭科教科書は「社会的・文化的性差(ジェンダー)によって『自分らしく』生きる権利が侵害されることもあった」という記述が検定によって書き直され、「ジェンダー」という言葉は注の中に入れられました。家庭科教科書関係者には「『ジェンダー・フリー』という言葉を『新しい歴史教科書をつくる会』や自民党のタカ派の議員らが盛んに攻撃してきました。そうした圧力が検定に反映しています」と指摘する人もいます。
◇資本主義社会の中で、私たちの人間関係、男女の関係にも企業の都合によってゆがめられた状況が作られていることがよくわかった。
日本の男女の給与の割合が100:60 という現状は、そういう資料はなぜメディアであつかわれないのか。また、そういうウラの人事評価みたいなのがある現状は違法状況なのだから。そういうところが男女雇用均等法改正では論議されているのだろうか。
安倍晋三のような改憲論者が教育内容への介入などに一生懸命なのは、結局は個人の懐古主義であり、あの人たち自身の幼いころの愛情をうけていない育ちのせいで、全く大人になっていないわがままな男の言っていることで、およそ「政治」とか言えるレベルでないと実感した。
──企業現場での女性差別は,日本の大企業中心主義の根本にかかわる問題ですから,大企業の「横暴」に対するマスコミの姿勢そのものが逃げ腰であることのあらわれなのでしょう。それだけにマスコミを動かすこと──たくさんの投書をするなど──が重要になります。政府内部にあっても,違法行為があることについては一般論としては語られているでしょうね。問題はそれを本気でとりしまる態勢づくりがあるかないかです。
──個々の政治家の育ちがどうかはわかりませんが,問題は「懐古主義」だといいたくなるような人物が選挙で当選し,政権政党の中枢にすわることができるというこの社会の成熟度なのでしょうね。
◇歴史的なプロセスできっちりと客観的にお話してくださるのでわかりやすいです。先日、和高教の支部長、分会長会議に出席しましたが、50~60名の参加者のうち女性は受付の書記さん2名を含めて3名でした。職場における男女の人間関係は同等になりつつありますが、まだまだ全く同等になっていないと実感しました(家事・育児があるから女性は役員を引き受けにくいという問題だけではありません)。
公務職場に勤めていますが「女性を買う」ことをいけないことだと思っている男性職員には、あまり会ったことがありません。「バレなければいい」ぐらいに思っている人が圧倒的に多いと思います。
──具体的な経過がわからないので,なんともいいづらいですが,あえて問題提起をすれば,「受付」が女性という役割分担にも考えてみるべき点があるかも知れませんね。「肝心なところは男,周辺部分は女」といった社会一般の男性中心型の役割分業のあらわれである可能性があるかも知れません。あわせて,それを「良し」とする意識が男性だけではなく,女性の側にある可能性も検討してみる必要があるかも知れません。
──学校職場であれば,子どもたち自身が「風俗」営業・文化の被害者となる可能性がありますので,その角度から組合でも学びを深めることは可能だと思います。取り組みを成功させるためには,一足飛びに「男が悪い」というのではなく,あくまで子どもたちに目線をおいて,「まず実態を正確に知りましょう」といったところから入るのがいいかも知れません。
◇企業の中で男女差別の実態について改めて知ることができました。なぜ日本は他の先進国に比べてこんなにひどいのか、解決していくにはどうしたらいいのか、学びながら考えていきたいと思います。
──「人権」全般についての,この国・社会の未熟さがあると思っています。部落差別,障害者差別,在日外国人差別などなど,各人の「人間らしい生活」全体への配慮のところに深い鈍感さがありはしないかと。その意味では,すべての人間に「基本的人権」が保障されるべきとする憲法の精神を,いま学ぶ取り組みをすすめることは,大きな変化のきっかけになるのかも知れません。もちろん第24条の男女平等も含めてです。
◇「専業主婦」のことがよくわかった。
大学で学生支援課の仕事をしております。まだ2年と少しです。少子化ということも大変気になる事柄ですが、少ない子供をずっと見守って来た筈の母親(または父親)との関係がうまくいっていない学生が(仕事は学生の相談の窓口です)とても多いと感じております。本日の講義を拝聴しながらふとそう思いました。私自身は、息子が小学生の時、家庭での役割で、洗濯…おばあちゃん、ご飯を作ってくれる人…おばあちゃん、掃除…おばあちゃん。おかあさんは…お仕事かな、と書いていたことを思い出しました。
──親子関係の変化は,様々な原因によっていると思います。どれかひとつだけをとって「これが原因」ということはできないものと思います。大人たちの子育てについての価値観の変化──「命令・抑圧」調がよくないとは思うが,ではどうすれば良いかについては十分自信のある育て方ができない,地域社会の変化──地域の大人集団で子どもを「教育・しかる」という関係の解体,忙しくなりすぎた大人たち,「子育て=学校教育」という誤った発達観のひろがり等々……。これはこれで重要な研究課題ですね。何か良い本などあれば,お教えください。
◇女性が主婦と呼ばれ、専業主婦に憧れる様仕向けられて行った理由がよくわかった。男性の賃金は家族賃金と呼ばれ、女性の賃金はなぜそう呼ばれないのか。そう呼ばれたいわけではないが、女性も家族の生活のタメに働いているという現実もある。
資本主義においては、ジェンダーをなくすのは無理なのでしょうか。
ジェンダーフリーバッシングの件、特に聞きたかったところです。ジェンダーをなくす運動に反対する人たちにまどわされない様、しっかり見きわめていきたいと思います。
──資本主義社会とジェンダーギャップの関係については,第2回の今日がとりあげる問題です。まずは,それをこれからものを考えるための材料としていってください。
──講義で述べたように,私は「ジェンダーをなくす」という表現は適当ではないと考えています。「差別のないジェンダーをつくる」というのが適当だろうと思っています。理由はすでにお話ししたとおりです。
◇今の日本での男女平等均等法は、偽りの法であるということがよくわかった。男女差別、男女平等均等法の言葉で何故に「男」の言葉がはじめにくるのだろうか? これも一つの差別ではないかと思いました。3000時間という労働時間がよくわからなかった。いつになれば真の平等均等法ができるのでしょうか?
男女平等均等法ができて、求人広告には直接的な男のみ女のみという事は書かれなくなっている。しかし、「女性、または男性(特に女性)」ががんばっているということが書かれている求人広告が増えたような気がします。間接的な言葉による男女差別が横行していることに憤りを感じます。
それと男女平等均等法によって男性側の労働条件にあわせるのではなくて、女性側の労働条件にあわせないのかという言葉に感動しました。これなら過労死はなくなるだろうとも思ったからです。
世界をみれば、日本の男女平等均等法は本当の平等ではないことがグラフを見てわかりました。男性の働きやすさと女性の働きやすさの環境設定をする上での男女平等均等法をするべきのことにも同感である。
──何事もそうですが,「均等法」についても,その評価は変化する歴史の中で行う必要があります。「均等」の必要を語る法律が何もなかったという段階からすれば,たとえ不十分さがあっても,それが出来上がったことは歴史の前進です。そして,それが出来上がった今日の段階に立てば,その不十分さを早急に乗り越えていくことが課題となるわけです。よりマシな均等法へという改善の課題があるわけですね。固定的にとらえないことが必要かと思います。
──言葉の問題はむずかしいですね。「男女」についての問題意識はわかります。しかし,同じような言葉に「親子」とか「姉妹」といったものもあり,その表現をもって「子差別」とか「妹差別」とは単純にはいいづらいところもありますね。とはいえ,これらの言葉に男性上位・年長者上位の考え方の反映があるのは事実でしょう。「男女」にかわって,どういう言葉をつかうのが適当か。そこのアイデアをぜひお願いします。
──3000時間というのは過労死ラインのことですね。過労死で亡くなる方の直前1年間の労働時間を調べたときに,生死をわける1つの目安が年間3000時間になっているというお話でした。
──「真の平等均等法」については,つくりたい人とつくりたくない人がいるわけですから,両者の力関係の変化に応じてしかつくられないわけです。この問題をめぐる利害のぶつかりあいがあるということですね。つくりたいとする人が社会の多数派になれば,それはグッと手前に寄ってきます。大切なのは,「歴史はどう動くか」についての解釈ではなく,「歴史をどうつくるか」という変革の見地ですね。
◇男女の社会関係が歴史的にどういうふうに変わってきたのかがよくわかりました。男性も女性も働きやすい社会にするために事実をちゃんと知らなければならないと思いました。事実を知ることで今の社会の矛盾の背景に何があり、どうすればそれを解決できるかが見えてくると思います。
兼業主婦の夫が週に家事労働をする時間が20分しかないという話しを聞いてショックをうけました。僕は最近結婚して兼業主婦の夫なんですが、正直に言ってあまりたくさん家事ができていません。もっと家事もやろうという気持ちはあるんですが、家に帰る時間が遅いとやっぱりなかなかできません。労働時間を短くすることなしにこの問題なかなか解決しないなと思いました。日本よりも3時間早く家に帰れるドイツやスウェーデンがうらやましいと思ったし、そういう社会にしたいなと強く思いました。
──男女の社会関係を科学の対象としてとらえて,また男女の関係を改革の対象としてとらえることが大切です。政治における人間関係や経済における人間関係を論ずるのは「高尚」だが,家族や男女を論ずるのは「高尚」ではない。そういう思い込みを抜け出して,実際に人間がとりもつ関係の全体をキチンと分析・研究していくことが必要です。「政治は変えたいが,男女関係はこのままで良い」では,実に中途半端な改革者です。そこの自己意識の改革が大切ですね。
──『女性のひろば』9月号が,世界の家庭の夜7時を特集しています。「仕事帰りに大学の授業へ」(イタリア),「週三五時間労働。夫婦で家事分担」(フランス),「“主夫”を選んだパパ」(ドイツ),「夫は夕方,自転車で帰宅」(オランダ),「仕事,家族は切り離せないものだから」(アメリカ),「パパと子であふれる週末の公園」(オーストラリア),「PTAは夫婦で参加もあたりまえ」(スウェーデン)。それぞれの記事の見出しを見ただけで,日本との違いが良くわかりますね。平等をさまたげるのは意識の問題であるだけでなく,同時に労働や社会保障などの制度の問題でもあるわけです。意識と制度の両方に目を向けることが必要です。
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