8月9日は、いつもどおりの朝であった。
新参の熱は下がっているが、
今朝は、あえて保育所欠席を選びとる。
11時には、相方実家よりの支援をうけて、
こちらは外に飛び出していく。
JR「加島」から「尼崎」へ、「西宮」へ。
12時ちょうどから、小さな委員会に参加である。
持参したメモを披露し、あれやこれやを話し合う。
1時半には、順調に作業を終了。
これで、この夏の宿題が、またひとつ減ってくれた。
研究室にもどると、卒論相談の4年生2人が待っていた。
D秘書はクーラーの真下で涼み、
Hグロは脚立にあがって、何やら本を探っている。
話の中身は、卒論の内容の相談ではなく、
論文づくりの手順や、
思うように進まぬ現実との折り合いの付け方など中心になる。
要するに「不安だ」ということなのだろう。
1)「ものすごいことができるはずだ」と、自分をあまり過大に評価しないこと、
2)とはいえ、毎日、やれることを着実に積み上げていくこと。
心の安心のためには、2)が決定的に大切である。
これは使えるかも知れない。
そう思えたものは、なんでも入力しておくことである。
3時半すぎには、「しんぶん赤旗」の取材となる。
アメリカの「慰安婦」決議、
参院選後の安倍内閣といったところが入口だが、
核心は学生たちの学びの様子であり、
学生たちの社会観や人生観の変化など。
記者さんが、たくさんのノートをとっていく。
こちらは、違う相手に何度も同じことをしゃべっている。
それは、率直にいって、つまらない。
だが、たくさんの人にある事柄を知ってもらうには、
繰り返しは、やはり不可欠である。
途中、同じ4年ゼミのNしょんもやってきて、
この取材の中に入り込む。
さらに、4月から阪大の大学院にすすんだK下さんもやってくる。
「長崎の世界大会にいってきたので」と、
お土産をひとつ残して、帰っていく。
まだ、学内で何かを学んでいるらしい。
5時すぎには、すべて終了。
この夏、必要ないくつかのビデオをリュックに放り込み、
5時30分には、山を降りる。
西宮北口の居酒屋「磯浜」へ移動である。
今夜は、あと10日ほどで日本を発つNしょんの送別会。
「白身魚が食べたい」と各地で繰り返すNしょんに、
今日は、こちらが「白身」を提供する。
遠くM木市にくらし、なおかつ門限のキビシイNしょんは、
通例、西北発8時30分が限界である。
しかし、今夜は特別ということらしく、
時間の制約はなくなった。
「それでは」ということで、
適当なところで、店を出て、JR「西宮」から「京橋」へ。
いつもの先輩の店「山葵」へ移動する。
ここでは、にぎやかに、立ち飲みである。
香りの強い茶豆が妙にうまかった。
この時点で、酔っぱらい集団と化した4人は、
京橋をぶらついた後、
JR「京橋」から「大阪天満宮」へ、
なぜか「天神橋筋商店街」へ移動する。
もちろん、ほとんどの店がすでに閉まっているが、
「ここが世界一長い商店街だ」
「へえ、M木の○×商店街とは大分ちがいますねえ」
「いったい何とくらべているのだ」
といったアホな会話を繰り返す。
カラオケでオールという話も出たが、
ここらで、みんなの疲れがグッと出てくる。
今夜はこれまでと、急遽判断。
「学生を1人つれて帰る」と家に電話。
JR「大阪天満宮」から「加島」へ。
Nしょんを引き取り、
D秘書、Hグロとは、ここでわかれることにする。
Nしょんは、「明日朝からM木でバイトです」
「朝の6時半には静かに出て行きます」とのことである。
1年間の中国で、何を学び、何を考え、
どのように変わって帰ってくるものやら。
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