以下は、大阪学者・研究者・大学教職員・院生日本共産党後援会「学研会ニュース」第92号(2007年9月7日)に掲載されたものです。
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安倍「慰安婦」発言をどのように批判していくか
2007年8月15日
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
女子大生はたたかっている
この6月に、かもがわ出版から『「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう』という本を出しました。石川ゼミによる「慰安婦」問題での出版はこれが3冊目です。タイトルに「たたかう」という言葉をいれたのは、この問題の解決を願う学生たちの講演(発言)活動が、すでに20カ所以上で行われているからです。20カ所というのは、現4年ゼミ生によるこの1年間だけでの数になっています。そのうち私が同行したのは、半数程度にすぎません。こうした取り組みは「朝日新聞」や「毎日新聞」「神戸新聞」にも紹介されました。
もちろん学生たちは、専門の研究者ではなく、いわゆる運動家でもありません。歴史に対するこまかい知識の点では、不十分さはたくさんもっています。それでも、この国の主権者の1人として、また老いた被害者と実際に言葉をかわした者として、それぞれなりに自分の責任を取ろうとしているのです。
「慰安婦」問題の政府資料はたくさんある
さて、アメリカの下院本会議で「慰安婦」問題での決議が採択されました。これをきっかけに、「慰安婦」問題を初めて知ったという人もたくさん生まれています。しかし、そういう人たちの中には「あれは中国や韓国による言いがかり」であり、「アメリカがその策動にのせられてしまったのだ」といった理解も当然生まれてきます。なにせ「産経新聞」はそういう論調ですし、同じようなことをいう雑誌や単行本もたくさん出されていますから、それを信じる人が出るのも無理はありません。それだけに、軍と政府による「慰安婦」加害の事実を、説得力をもって語ることが一層大切になっています。
その中で、大きな役割を果たすべき文書のひとつが、92年7月6日に当時の官房長官・加藤紘一氏が発表した「朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について」(内閣官房内閣外政審議室)です。この文書は、政府による調査の結果、防衛庁から70件、外務省から52件、文部省から1件、厚生省から4件の資料が出てきたと述べています。これが、まず大切です。資料はあるのです。こうした調査をさらに大がかりに行った結果、93年8月4日にいわゆる「河野談話」が出されることになっていきます。
世の中には「『河野談話』は元『慰安婦』の証言だけによっている」「証拠資料がない」といった事実のねじまげがまかり通っていますから、それに対して「政府や軍の資料はある」ということを語る上で、この文書の紹介は、出所が政府であるだけに、その説得力を高める大切な役割を果たすでしょう。
なぜ安倍首相は「狭義の強制性」しか語ることができないのか
それらの資料を検討した結果として、先の文書は「いわゆる従軍慰安婦問題に政府の関与があったことが認められた」と述べています。これも重要なところです。論壇の一部には依然として「『慰安婦』は民間業者が連れ歩いた公娼であり、軍は関与していない」という議論が繰り返されていますから。
加藤氏が発表したこの文書で「政府の関与」が認められたのは、次のような諸点です。「慰安所」の設置、「慰安婦」募集者の取り締まり、「慰安」施設の築造・増強、「慰安所」の経営・監督、「慰安所・慰安婦」の衛生管理、「慰安所」関係者への身分証明書の発給、その他。わかりやすい言葉になおすとこれは、①軍はどこに「慰安所」をつくるか、②どういう人間に「慰安婦」を集めさせるか、③「慰安所」の建物づくり、④「慰安所」利用の規定づくりや「慰安婦」の監視、⑤「慰安婦」の性病検査、⑥「慰安所」関係者を軍の関係者として身分証明すること、⑦その他ということです。直前まで軍の関与を否定していた日本政府でさえ、出てきた資料を落ち着いてながめてみれば、これらのことを認めないわけにはいかなかったということです。
今年の3月に安倍首相が、日本軍免罪論として「狭義の強制性」という苦し紛れを語らずにおれなかったのは、このように「広義の強制性」がすでに誰の目にも明白な事実があったからです。ですから安倍首相は、右の文書が明快には示さなかった「慰安婦」募集の強制という一点に問題をしぼり、そこから日本軍免罪への道をなんとか開こうとしたのです。裏を返せば、安倍首相であっても、この道以外に免罪論の糸口は見つけることができなかったということです。
日本軍免罪にはまるでつながらなかった安倍発言
しかし、ご承知のように、安倍発言は日本軍の免罪に成功することはありませんでした。理由はとても簡単なことです。百歩譲って、仮に「狭義の強制性」が否定できたとしても、それによって「広義の強制性」までもが免罪される道理はどこにもなかったからです。安倍氏のいう「狭義の強制性はなかった」という議論をそのまま受け入れて、「慰安婦」問題での日本軍免罪論を組み立ててみると、結局、こういうことにしかなりません。
「オレたち日本軍は、その女たちが、どうやってここに来たのかについては知らない、無理やり連れてきたわけではない」「オレたちがやったことは、ただその女を、オレたちがつくった『慰安所』に閉じ込め、数カ月から数年に渡ってレイプし、どういう階級の兵士が何時からレイプするかといったルールを決め、時々軍医に性病チェックを行なわせ、『慰安婦』がどこかへ逃げてしまわないように監視し、たまに腹いせに刀で切りつけるなどのことをしただけだ」「でも、オレたちは、その女を自分たちで無理やりつれてきたわけではないから、どんな罪もあるわけではない」。
これには解説の必要はまったくありません。実にバカげた議論です。しかし、安倍首相はこうした議論を、国会の場で、繰り返し世界に向けて発信しました。その結果、マイケル・グリーン氏のような「親日」的なアメリカ政府関係者でさえ、「慰安婦」決議を採択しようとする下院議員の説得はできなくなってしまいました。語れば語るほど味方を失っていく。近頃では、そういう世界の常識に反した歴史観のことを「自爆史観」ともいうそうです。
なお、93年の「河野談話」は、「慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」と述べています。安倍発言の「河野談話」からの後退は明白でした。
文書資料がなければ誘拐は罪にならないのか
もうひとつ別の角度から「狭義の強制性」論を考えておきます。安倍首相は「『慰安婦』募集を暴力的に行えと支持した軍の資料は見つかっていない」と繰り返し述べています。確かに、それを直接明快に示した資料は見つかっていません。しかし、たとえば現代の誘拐事件を例にとったとき、そこに「文書資料が見つからないから強制性は証明できない」などという話は成り立つでしょうか。そのような資料がなくても、被害者の証言、加害者の証言、第三者(目撃者)の証言などを根拠に誘拐犯人は特定され、その罪は問われていくのが実際です。
同じように「慰安婦」問題についても、たくさんの被害者証言があり、元日本兵による加害者の証言があり、第三者の証言があります。もちろん個人の記憶だけに頼る証言は、そのすべてを無条件で信じるわけにはいきません。それは誘拐事件における警察などの捜査も同じです。複数の証言を突き合わせ、また証言を文書資料や現場の検分等をつうじて確認する。こうした作業は、すでに歴史研究者たちによって積み重ねられていることです。安倍発言が含む「文書資料がないから」という議論もまた、内外の社会的常識に照らせば、まったく成り立たないものであるわけです。
最近、「慰安婦・慰安所」制度に対する諸資料は、日本政府や軍のものもふくめて、鈴木裕子・外村大・山下英愛編集『日本軍「慰安婦」関係資料集成』(明石書店、2006年)に新しくまとめられました。
また中学校の教科書から「慰安婦」問題を削除する「仕掛人」となったといわれる秦郁彦氏でさえ、「現実には募集の段階から強制した例もわずかながらありますから、安倍総理の言葉は必ずしも正確な表現とはいえません」(『諸君』2007年7月号)と述べています。安倍発言は同じ「靖国」派の仲間うちから見ても「正確」なものではなかったということです。
なぜ、いまアメリカ政府が「靖国」派を批判するのか
さて、なぜいまアメリカが「慰安婦」問題をつうじて日本の「靖国」派を批判しているのでしょう。それは侵略と加害を繰り返させないという世界的な合意の成熟という点からも、他方で中国など経済力の向上に支えられた東アジア諸国の政治的発言力の拡大という点からも、現代世界の構造変化を見る上で、非常に重要な研究対象になっているのではないかと思います。「靖国」派への批判は、「慰安婦」決議を採択した下院だけが行っていることではありません。それが採択される前の4月の日米首脳会談で、ブッシュ大統領自身が、安倍首相に対して「河野談話」から後退するなと釘をさしています。
そこには、おそらく、①「慰安婦」加害の放置がアメリカ支配層の常識に照らしてさえ異常であることのほか、②「靖国史観」がアジアにおける日本の孤立を深めさせ、それによって、アメリカの東アジア戦略にとって日本が役に立たなくなってきていること、③「靖国」派が強くなりすぎると、日米同盟に亀裂が入る可能性があるといった、アメリカの大局的な外交戦略上の判断があるようです。この点については、「親米保守」と「自立保守」の一定の分岐の問題ともあわせて、『「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう』の石川論文をご覧ください。
私たちは、今年も、9月10日から13日の日程で、3年ゼミ生たちと韓国へ行ってきます。この本をつくった、その次の学年の学生たちとです。3年ゼミ生たちは、すでに6月には「慰安婦」問題の資料を集めた「女たちの戦争と平和資料館」、傷痍軍人の戦後の苦労を記録する「しょうけい館」、侵略の戦争を正義の戦争だったと主張する「靖国神社・遊就館」を見学しています。また、驚いたことにこの学生たちは、8月4日に神戸で行われた歴史教育者協議会全国大会の全体会で、早くも平和と「慰安婦」問題を語る取り組みを開始しています。先輩から後輩へと、引き継がれるエネルギーは大したものです。その先輩たちの到達点を自分たちの出発点として、学生たちはいったいどこまで成長できるものなのか。それを楽しみに、この夏も「ナヌムの家」を訪れてきたいと思います。(8月16日)
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