2005年1月26日(水)……和歌山のみなさんへ
以下は,1月8日の和歌山『資本論』第2・3部講座に配布したレジュメです。
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和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む
『資本論』ニュース(第9回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
年が明けました。2005年もお互いにしっかり学び,それを日々の生活や改革の取り組みの知恵としていかしていきましょう。
さて,日本社会におけるこれから数年の大問題は,憲法「改正」になるのでしょうね。日本国憲法を「守る」ということが,現状維持型のいわば「保守的」な取り組みにならないように,「憲法が本当にいかされた社会をつくる」,それこそが新しい日本づくりの取り組みなのだと,その線で押していける攻勢的な取り組みが必要ですね。
その一方で,憲法を「改正」したい人たちが,どのような「改正」を望んでいるかを知っておくことも大切です。まだ自民党の中も整理がついていないようで,これからもいろいろな「改正案」が出てくるのでしょうが,とりあえずのものとして,以下には,昨年の自民党の内部文書を紹介しておきます。カギカッコの中は,すべて自民党自身による文章です。
なお,2月11日の和歌山での集会では,この「大綱(たたき台)」の紹介と批判もふくめて,軍事大国化と「構造改革」を国是としていくための憲法「改正」を批判するという視角から,お話をさせてもらおうと思っています。ご参加ください。
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3)自民党による憲法「改正」のポイントは何か――「憲法改正草案大綱(たたき台)――『己も他もしあわせ』になるための『共生憲法』を目指して」(2004年11月17日)より
①〔天皇の地位を強化〕「天皇は、日本国の元首であり、日本国の歴史、伝統及び文化並びに日本国民統合の象徴として我が国の平和と繁栄及び国民の幸せを願う存在であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくことを確認するものとすること。」
「※ 天皇が「元首」であることを明記するとともに、その「元首」の意味は、我が国の歴史・伝統・文化といった「国柄」と国民統合の「象徴」であることを定めたものであるが、そこでは、「我が国の平和と繁栄及び国民の幸せを願う存在」という表現でもって、天皇の日々の象徴としての行為(存在)の特質をより具体的に表して、より実態に近い「象徴性」を平易に表現している。重ねて、この象徴天皇制と国民主権の関係を明確にしている。」(以下,※は自民党「たたき台」文書より)
1)「元首」……『広辞苑』では「国家を代表する資格をもった国家機関。君主国では君主,共和国では大統領あるいは最高機関の長など」。
2)日本の歴史・伝統・文化を「天皇」によって「象徴」させようとする歴史観。
②〔基本的人権の軽視〕「我が国は、法の支配に服し、法秩序の至高の価値である「個人の尊厳」を基本として、自立と共生の理念にのっとり、すべての人々の生命、自由及び幸福追求の権利を最大限に尊重することを定めるものとすること。」
「※ ここにいう基本的人権の尊重は、誤解された「個人主義」=利己主義とは異なり、他人の権利の尊重と両立しなければならないという「共生の原理」が含まれているものである。そのことは、冒頭の「基本的考え方」でも示したとおりであるが、より具体的には、第三章の人権の章の冒頭(第一節)に規定されている。」
1)現行憲法に「誤解された『個人主義』」の条項などない。
③〔生存権規定の軽視〕
「※ 第二に掲げる「基本的な権利・自由」とは異なり、「権利」性が弱く、その保護のためには国や地方自治体による制度の具体化が必要な、いわゆる「制度的保障」と言われる規定に属するものを、別の節としてまとめて規定しようとしたものが本節である。そこでは、個人の権利とする部分と、国家・自治体の責務とされる部分とが一体化されている場合が少なくないので、「第二節・基本的な権利・自由」及び「第三節・国民の責務」の後に「プログラム規定としての権利・責務」という形で規定している(なお、このような観点からは、現行憲法の権利規定の一部(例えば、25条の生存権規定など)についてもこの節の中に位置づけるような見直しが必要となろう。)。」
1)国民の生存権を弱めて誰のための政治か,憲法か。
④〔教育内容の統制/愛国心の涵養〕「教育は、人格の完成を目指し、心身ともに健康な国民の育成を目的として行われるものであり、(a)この憲法の定める「個人の尊厳」が他人の権利の尊重を前提として成り立っているという自立と共生の精神を深く認識し、法令その他の社会共通の規範を遵守するとともに、主体的に社会の形成に参画する態度を涵養し、(b)生命を尊び、自然に親しみ、環境を保全し、良き習慣を身に付けること、また、(c)我が国の歴史・伝統・文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を涵養することを旨として行われなければならないものとすること。」
「※ 教育こそ、国家の基礎であることにかんがみ、教育の権利・責務とは別に(最終的な条文の場所等については、更に検討が必要)、教育の基本理念を定めようとするもの。ここでは、特に(a)の利己主義を廃し、自分の権利とともに他人の権利を尊重する「公共心」の育成の必要性を強調している。なお、いわゆる「愛国心」の明記〔上記(c)の部分〕等に関しては、教育基本法改正の動きとも関連して、更に検討することが必要か。」
1)象徴天皇に集約される「歴史・伝統・文化」の教育,これは史実をゆがめるもの。
2)「愛国心」の明記は「教育基本法改正」と連動させて。
⑤〔企業活動の自由をあえて明記〕「企業その他の私的な経済活動は、自由であること。ただし、公共の価値に反し、又は安全や自由及び個人の尊厳を害するような方法で行うことはできないものであることを確認するものとすること。」
「※ 現行憲法29条(あるいは22条の職業選択の自由)に含意されているとされる、「営業の自由」について、企業その他の経済活動の自由という形で、規定したもの。」
1)「企業の社会的責任」への正面からの反撃。企業活動の原則自由を国是とする。
⑥〔集団的自衛権の確立〕「日本国民は、自衛又は国際貢献のために武力の行使を伴う活動を行う場合であっても、それは平和的な手段によっては問題の解決を図ることが困難な場合であって、武力の行使は究極かつ最終の手段であり、必要かつ最小限の範囲内で行われなければならないことを深く自覚しなければならないことを定めるものとすること。」
「※ 以上の説明を踏まえて本条項の趣旨を端的に脱明するとすれば、本条項は、いわゆる「制限された(集団的)自衛権を認める」という立場に立つことを明確にした規定であるということができる。」
1)自衛の枠を越える「国際貢献」の内容は何か。誰が判断するのか。
2)念頭されていると集団「日米」。アメリカの介入戦争への自動的追随の路線。
⑦〔国家緊急事態による人権の制約〕「防衛緊急事態 外部からの武力攻撃により国家の独立又は安全に重大な影響が生じ、又は生ずるおそれがある事態」「治安緊急事態 テロリスト等による大規模な攻撃その他我が国又は地方自治体の存立又は自由で民主的な基本秩序に対する差し迫った危険が生じ、又は生ずるおそれがある事態」「三 災害緊急事態」。「国家緊急事態の布告が発せられた場合には、この憲法及びこの憲法の規定に基づく法律の定めるところにより、第三章に定める基本的な権利・自由は、その布告が発せられている期間、特にこれを制限することができるものとすること。」
1)「おそれ」の判断は誰が,何を基準にするのか。「周辺事態」の判断はアメリカ。
2)反戦平和運動への抑圧も。ベトナム戦争時のフランスを変えたのは,戦時中の反戦運動だったが。
⑧〔自衛軍の設置と武力行使〕「我が国は、国家の独立及び国民の安全を守るため、内閣総理大臣の最高の指揮監督権の下に、個別的又は集団的自衛権を行使するための必要最小限度の戦力を保持する組織として、法律の定めるところにより、自衛軍を設置するものとすること。」「自衛軍は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、防衛緊急事態に対し我が国を防衛することを目的とすること。」「自衛軍は、上記の任務のほか、法律の定めるところにより、治安緊急事態、災害緊急事態その他の公共の秩序の維持に当たること及び国際貢献のための活動(武力の行使を伴う活動を含む。)を行うことをも任務とすること。」
「※ 第1段落では、自衛軍(名称については、さらに検討が必要か)を憲法上の機関として認知するとともに、①それが内閣総理大臣の指揮下にあること、②自衛軍の有する実力は「戦力」であること、を定めている。」
1)日米一体化の「集団的自衛」を公使する「戦力」=軍隊の公然たる承認。
⑨〔国会から国民を遠ざける国会改革〕「衆議院は、法律の定めるところにより小選挙区及び比例選挙区から国民の直接選挙により選出された、全国民を代表する議員で組織し」「参議院は、各道州ごとに法律の定めるところにより選挙された議員及び法律の定めるところにより選出(推薦)された議員で組織」する。
「※ 参議院については、道州制の導入とも相まって、地域代表的な議院として構成し、その選出方法は、(a)道州議会による間接選挙による部分と、(b)有識者からの任命による部分とを組み合わせてある(道州制の導入が見送られた場合には、現行の都道府県ごとの選出ということになろう)。
※ 上記(b)の具体的な任命方法については、衆議院、内閣総理大臣、最高裁判所及び憲法裁判所のそれぞれからの推薦に基づいて任命することとするのが適切であると考える(この任命手続は、憲法事項であるとすべきであると考えるが、更に検討が必要)。なお、任命による議員としては、例えば、首相や衆参両院議長、憲法裁・最高裁長官の経験者などが想定されるのではないか。」
1)小選挙区制を憲法で承認。一票の格差が大きく,死票が多い非民主的制度。
2)参議院は国民による直接選択から切り離す。そして与党による議席の独占。
3)自民党参院議員は,自らの身分保障を問題に。
⑩〔国会欠席の合法化〕「両議院は、それぞれその在籍議員の三分の一以上の出席がなければ、議決をすることができないものとすること(議事の定足数は、削除するものとすること)。」
「※ あくまでも定足数は「議決」時点だけ必要とするものとし、「議事」を進める際にはこれを要しない(つまり、議長と発言者さえいればよい)ものとした。
なお、これは本会議に関する規定であるが、この趣旨にかんがみれば、新たな国会法においては、委員会における議事の定足数規定(現行国会法49条)も削除されることとなろう。」
1)国会審議の形骸化促進。一体なんのための国会議員か。
⑪〔憲法改正手続きの簡略化〕「この憲法の改正は、次のいずれかの方法によることを要するものとすること。一 各議院の総議員の過半数の賛成で国会が憲法改正案を可決し、法律で定めるところにより、これを国民投票に付し、その有効投票総数の過半数による承認を経ること。二 各議院の総議員の三分の二以上の費成で、憲法改正案を可決すること。」「第一章から第四章まで及びこの章の規定(「総則」、「象徴天皇制」、「基本的な権利・自由及び責務」及び「平和主義・国際協調」並びに「改正」)の改正は、①の第一号の方法によらなければならないものとすること。」
○「前文」「第1章・総則」「第2章・象徴天皇制」「第3章・基本的な権利・自由及び責務」「第4章・平和主義及び国際協調」「第5章・統治の基本機構」「第6章・財政」「第7章・地方自治」「第8章・国家緊急事態及び自衛軍」「第9章・改正」
1)国会や「自衛軍」の規定は,国民投票なしにかえることができる。歯止めなき憲法「改正」に道を開こうとするもの。
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以下,みなさんからの「感想と質問」に対するコメントです。「質問」については,若干,文章をかえている場合がありますので,ご了承ください。
◇事情により遅刻が続いています。申し訳ありません。自分は、これまで利子(支払利息)は経費の一つというイメージが強く、利潤が源泉という観念に欠けていました。なるほど利潤の一部と考えなければ、資本家が手にする利子収入についてうまく説明できないと感じました。
"講師のつぶやき・8"のラストに、"少なくとも「『資本論』=完成品」といった思い込み"からは、解放されねばならないとの先生のコメントがありましたが、全くその通りなのに人は、つい生活する上で"バイブル"的な何かに過度な信頼を寄せてしまうような気がします。何のために難解な文章の資本論を読んでいるのかなと、今一度考えてみて現時点で達した結論は、資本論の助けを借りて社会の仕組みについてじっくり学ぶ過程で新しいものの見方を手にいれることでした。通説や一般論にまどわされず、自分の目で見て判断することを一生かけて(笑)目指していきたいと思います。
●「バイブルを」という気分はよくわかります。しかし,そのことに注意していこうという姿勢があれば,大丈夫でしょう。誰にとっても,その姿勢をもってやっていくという自覚をもつ以上の特効薬はないのですから。
◇資本の貸し借りによって利子が生まれ商売が成立していることがよくわかった。あいまいには理解していたが、今日の講義によってもっと理解を深めることができました。
◇なぜ、「利子が剰余価値からうまれている」ということが見えなくなったのかがわかった。学ぶほどに、普段はおかしいと思ってもわからないことがすっきりしてくると思いました。
◇普段、何気なく感じていた「利子」について、その本質、源泉、現われ方を学び、資本主義生産の中での位置を考えるきっかけになりました。また、マルクスが、株式会社を未来社会の基盤として大いに評価していたことがよくわかりました。
●マルクスという人は,本当にものごとを深くつかまえている人ですね。これを絶対視してはならないわけですが,あわせて,そこにふくまれている価値あるものについては,しっかりと学んでいかねばなりません。そこの腑分けは,結局,自分のあたまで『資本論』と格闘しながらつかんでいくしかありません。最初は投げ飛ばされることばかりが多いわけですが,少しずつ,マルクスの技の意味や,技のだし方,さらには弱点が見えてくることを期待して。
◇前半は特に難しく、意識を失ってしまいました。第26章を不破さんの指摘どおりにとばして、第27章に入るころから頭がさえてきました。株式会社が未来社会への通過点であるという内容は、以前「空想から科学へ」のなかで読んだ内容に似ているように思いました。
●良く気づかれましたね。たしかにエンゲルスも『空想から科学へ』のなかで,未来社会を準備ずる生産の社会化の1つの形態として,国有化や独占の問題とならんで,株式会社をとりあげています。エンゲルスがその原稿を書いたのは,たくさんの株式会社がうまれる「大不況」のはじまりの時期でした。そこで,エンゲルスも,所有と経営の分離の問題を,生産の管理のためにはもはや資本家が不要になるという角度からとらえています。
◇3カ月ぶりに資本論講座を受講しました。第5篇「利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本」は、何となくぼやっとわかったような気がします。個々の問題は再度熟読する必要があります。
●たとえ「3ケ月ぶり」であっても,それでは「わからないかも知れない」と思っても,やはり勉強の時間をつくりに来るというその姿勢が大切ですね。「ぼやっとわかった」だけであっても,それが,いずれは「しっかりわかる」ことへの出発点となります。「ぼやっと」だからダメだ,ではなく,「ぼやっと」でも「わかったのだ」と,未来にむけてそちらの成果を重視していきましょう。「ぼやっと」さえなければ,本当に何一つないのですから。
◇資本論講座に参加して、本を読むのが早くなり、書籍に文字を書きこむことに抵抗がなくなりました。毎回睡魔とのたたかいです。ここに来る前、清涼飲料水を飲んで来ます。講義中はうすめの紅茶で充分補給しています。休憩時間にレモンティーを買って来ます。午後1時30分を午後2時30分にならないでしょうか。
●本に書き込みをするクセがつくというのは,とても大事なことです。考えて読んでいる人間にしか,本へのメモはできませんからね。「漠然と読むことをしない」ためにも,本はいつでもペンをもって読まれねばなりません。新聞・雑誌も同じです。
●「本を読むスピード」というのも重大問題ですね。私たちには永遠に時間があるわけではありませんから。そこを意識的に鍛えるのであれば,「この本は1時間で読もう」という具合に,時間を決めて読むのもいい方法です。つまり,「読むべきところ」と「とばしていいところ」をサッと判断していくカンを養うわけですね。これはいきなり『資本論』では無理かも知れませんが,それでも,毎日の読書のなかのどこかでやってみるとおもしろいものです。実際には,雑誌などを読むときには,みなさん,そのような方法をとっているのでしょうが,それを単行本でもやってみるということです。
●開講時間の問題は,事務局とのあいだで相談してみてください。
◇質問、『資本論』第3部第5篇第22章(378)10冊目616ページの所で利子率には、法則的に決まる基準は存在しない。力関係で決まる。契約することによって確立すると述べられていた。私もなるほどその通りだと思います。私は元銀行員です。貸出利率を決める時、いろいろな要因があると思いますが、金融全体の金利水準というものがあった。公定歩合、長期プライムレート、短期プライムレート、毎期利益目標というものがありました。それに基づき資金原価何%、経費何%、資金使途、業種別、貸出科目、他行の貸出利率、担保内容、顧客の格付によって、ある程度の範囲は決められていた。あまりしっくりいきません。説明願えないでしょうか。
●こういう現実と結びついた考え方はとても大切ですね。理論は現実を説明できなければ,真実としての意味をもたないのですから。こまかいところはわからないのですが,それでも,わからないなりに,ここに示されたいくつかの指標を,ザッと大雑把に整理すると次のようになるかと思います。
●1)公定歩合,プライムレートなどは,政府・日銀による市場金利への影響の問題ですね。個々の銀行の貸出金利は,政府・日銀による金融政策の影響を強く受けずにおれません。2)貸付資金の使途や担保の評価などにかかわる問題は,直接的な貸し手と借り手の個別的な「競争」の問題ですね。貸し付ける相手の安全度や,今後のつきあいがどれくらいのものになるかなどを評価して,貸し付けの相手ごとに銀行側が金利をかえるということです。3)他行の様子については,貸し手どうしの「競争」ですね。市場にいる借り手の分け取り合戦が,貸し手同士のあいだで行われます。そのため,どの銀行も,他行よりたくさんの顧客をつかんで,たくさんの利子を手にいれるための方策をとるわけです。4)利益目標というのは,これらの貸し手との「競争」,銀行間の「競争」にできるだけ勝利して,たくさんの利子収入を自分が手に入れたいとする願望ですね。
●具体的な金利の決定や変動については,こうしていろいろな要素があるわけです。そして,もっと他にもいろいろあるのでしょう。しかし,結局,利子率を決める「法則」がこれらの要素から出てくるわけではないということが大切です。その点では,ご質問の文章に「その通り」とあるとおりだと思います。なお,以前にも紹介しているかも知れませんが,大槻久志『やさしい日本経済の話』(新日本出版社,2003年)が,産業と銀行のかかわり,銀行による決済の具体的な仕組み,銀行による信用創造の「秘密」などについて,じつにわかりやすい説明をしてくれています。
◇2004年10月30日、「講師のつぶやき」で、何故日本はアメリカのいいなりの国になるのかというテーマで話していた。戦前、米英畜生といっていた人々が8月15日をさかいにして進駐軍、米国に対して失礼のないようにと権力者がいいまわした。ある人に聞けば日本には民主主義が根ざしていない。中国に社会主義国家が樹立した。天皇制の問題もあるかもしれない。国民の中にも長いものに巻かれよ、アメリカのねらい島国、軍事利用だけではないと思います。日本人の精神構造がわからない。イラク人民の方が賢者に感じることがあります。よい本があれば紹介して下さい。
●焦点は「日本人の精神構造」ということですね。これといって定番の本があるとは思えません。したがって,歴史の現実から逆算して,現在の「日本人の精神構造」というのか,従属問題についての理解の度合いや理解の仕方といったものを推しはかっていくしかないように思っています。
●その際に,大切に思えるのは,1つには,真の独立をめざす国民的な闘いがあった事実を軽視しないことです。たとえば,サンフランシスコ講和条約に前後しての,アメリカ従属型の「単独講和」ではなく,すべての国々との「全面講和」を求める取り組みや,60年の安保改定に際して,580万人もの集会・デモが1日におこなわれたという事実です。こういう闘いを見ると,「日本人」という具合に,あまり一色にくくらないほうがいいのかも知れません。
●2つには,「精神構造」を固定したものととらえるのでなく,歴史の中で変化しているものととらえることです。国民意識の変化をみると,憲法「改正」が世論調査の多数派であった時期もあれば,それが圧倒的な少数派に移っていく時期もあるわけで,現在の世論もまた,そうして変化しうるものとして考える必要があるわけです。問題をいつでも歴史的にとらえる努力をする必要があるわけです。
●憲法に対する世論の変遷については,山田・石川・牧野『軍事大国化と「構造改革」』(学習の友社,2004年)で,山田敬男さんが紹介・文責しています。また,日本人の闘いをふまえた歴史の本としては,藤原・荒川・林『新版・日本現代史』(大月書店,1995年)が良いかと思います。研究してみてください。
◇利子生み資本の利潤も商業資本の利潤も、産業資本による労働者の搾取からうまれているということがよくわかった。アパートの家賃は、どこの労働者の搾取から生まれているのでしょうか。
●アパートの家賃は,家主が入居者から受け取るわけですね。入居者の中には,サラリーマンもいれば,年金生活者もおり,また,どこかの企業の重役や社長もいるかも知れません。したがって,これを「産業資本による労働者の搾取」などを機械的にあてはめて理解することはできません。
●むしろ,これは,ある部屋の利用を月極めで売り渡すものとして,利子生み資本の貸し付けと類似した点があるように思えます。借り手の側は,月々の利用料(利子)を支払うとともに,契約にもよりますが,最終的には住居を「原状回復」して返す義務を負うわけです(元金の変換)。ただし,利子生み資本の利子収入の主な源泉が産業資本の剰余価値であるのに対して,部屋の貸し付けについては,直接的な入居者からの収益です。そこは,両者の決定的に大きなちがいとなります。
●月極めの家賃は,その部屋(アパート)をつくるのに必要とされた労働の量と,その部屋がどれくらいの期間にわたって収入を得る手段となるかによって,まず客観的に規定されます。そのうえで,部屋の貸し手間の競争,貸し手と借り手との競争によって,具体的な市場価格が決まっているようです。もっとも,現代では貸し手間の競争が暗黙の合意によって制限されている可能性もあるのでしょうが。いささか思いつきで書いていますが,いかがでしょうか。
◇マルクスが協同組合工場に期待・評価していたことを初めて知りました。生産規模の問題で競争に勝てなかったのでしょうか。
●申しわけありませんが,具体的な歴史の経過については,手元にそれがわかるような文献がありません。いずれ,どこかでネタを仕入れておきますので,その日をお待ちください。
●なお,不破哲三『「資本論」全3部を読む』の第6分冊173~175ページに,マルクスが見ていた当時のイギリスの協同組合工場についての解説があります。1840年代末から50年代初頭にかけて「協同組合運動の異常な発展期」があったとあります。しかし,消費者組合の「着実な発展」に対して,協同組合工場については「没落したり,非協同組合的なものに変質するなどした」となっています。もちろん,規模や商品開発の能力といった問題もあるのでしょうが,あわせて「変質」というのも1つのポイントになるようです。
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〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時00分)
◇意見,質問へのコメント。
2)第3部第5篇「利子と企業者利得とへの利潤の分裂。利子生み資本」(2時00分~2時20分)
・第5編の構成についての復習――第6冊146~147,195~196ページ(いずれも前回配布)
3)第5篇つづき(2時30分~3時20分)
◇第29章「銀行資本の構成諸部分」
この章の主題/「架空資本」と「資本還元」
◇第30~32章「貨幣資本と現実資本Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」
・エンゲルスによる編集とマルクスの問題設定――第6冊232~236ページ
・商業信用の追跡(~500ページ)
・商業信用に貨幣信用が加わる(501~507ページ)
・銀行業者の信用の本格的な追跡(519~524ページ)
再生産過程が可変資本の蓄積源泉となる/「資本の過多」の解明へ
・恐慌の「究極の根拠」についての命題――第6冊238~241ページ
・恐慌論の命題についてのエンゲルスの邪道――第6冊243~246ページ
4)第5編を広くとらえて(3時30分~4時20分)
◇第33~35章「信用制度下の通流手段」「"通貨主義"と1844年のイギリスの銀行立法」「貴金属と為替相場」
・マルクスの草稿とエンゲルスの編集――第6冊251~259ページ
◇第36章「資本主義以前〔の状態〕」
・歴史研究の3つの焦点
・解決された構成上の疑問――第6冊264~266ページ
・高利資本の革命的作用は古い諸形態を分解する
・近代的信用制度の成立と論理
・銀行制度の最高の発展をめぐって
・結合的生産様式への移行と信用制度
5)補足と質疑(4時30分~5時00分)
・不破哲三『マルクスと「資本論」』272~277ページ
2005年1月26日(水)……和歌山のみなさんへ
以下は,2月5日の和歌山『資本論』第2・3部講座に配布する予定のレジュメです。
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和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む
『資本論』ニュース(第10回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
前回の質問・感想文の紹介からです。
◇明けましておめでとうございます。2005年が明けて、資本論講座(第2部・第3部)も残すところ4回になりました。今年こそはと年頭に目標を決めて意気込む毎年ですが、2007年の憲法改正に向けての動きに対して、憲法を守る理論を大きく広げていくことが今年こそは待ったなしの時期に来ています。大いに声をあげていこうではありませんか。
まったくそのとおりですね。日本国憲法の意義,その成立史,アメリカいいなり国家にもかかわらず明文改憲を阻止してきたたたかいの歴史など,学び語らねばならないことは多いと思います。
政財界による改憲案を具体的に市民にアピールする力も必要ですし,日本国憲法を民主的改革の指針として攻勢的に打ち出す力も大切だと思います。計画的・意識的に学んでいきましょう。
先日,私の大学のある地元・西宮で「9条の会準備会」に参加してきました。これが西宮市全体のものであるのか,地域レベルのものであるのかはわかりませんでしたが,いずれにせよ大きく育ってほしいものです。
また札幌では「全道で60~70の『9条の会』がうまれている」「おおいに可能性があると思う」ということも聞いてきました。私の職場にも,教職員・学生の双方から,その芽がすでに出てきています。今年も,なかなかおもしろい1年になりそうです。
さて,前回の講座で少しだけ紹介した『マルクス・コレクション』ですが,いよいよ筑摩書房から出始めました。エンゲルスのものは1つも入っていないのですが,それでも全7巻のなかなか大きなシリーズです。この1月に第4・5巻として『資本論』第1巻(上・下)が刊行されました。
全体の監修者は,今村仁司・三島憲一というお二人で,いずれもいわゆる「現代思想」の研究者です。今村さんはアルチュセール,三島さんはニーチェの研究を土台とされているようです。また,今村さんにはマルクスについての書き物も少なからずあるようです。
今回の『資本論』にも,今村さんが20ページほどの「解説」を書いています。その内容は,簡単にいってしまえば,1)資本主義研究の学問としてのマルクスの可能性を強調しながらも,2)その可能性の内容評価についてはかなり独特の視角がこめられているといったところでしょうか。
マルクスの「可能性」が正面から高く評価されているところは重要なところで,そのうえでマルクスをどうとらえるかという視角の問題については,現実の社会分析とあわせて大いに議論を深めるべきところだと思います。
ただ,ひとつ気になったのは,資本主義の「没落」に関する今村氏の評価の歯切れの悪さです。一方で,発展途上国の労働運動が活性化していくのはこれからだと述べながら,しかし,もう一方で,そのような「占術」はやめる必要があるのかもしれないともしています。今村氏には,帝国主義論にかかわってローザ・ルクセンブルクへの高い評価がみられるのですが,ひょっとすると「没落」論についてもまた,ローザ流「全般的危機」論への傾斜があるのかもしれません。あるいは「ソ連崩壊」を単純に歴史の審判として受け止めているだけなのかも知れませんが。
いずれにせよ資本主義の歴史的性格を明らかにして,これが永遠ではなく未来社会を準備するものであることを明らかにしたところにマルクスの核心があるわけですから,ここは大いに打ち出す必要があるのでしょう。それは「ソ連」評価の確認とも深くつながるところです。
いずれにせよ『マルクス・コレクション』は,「いま,あらためてマルクスを論ずる」という論壇の空気をあたためる方向にはたらくでしょうから,私個人としても,多少の準備はしておきたいと思っています。
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以下,みなさんからの「感想と質問」に対するコメントです。「質問」については,若干,文章をかえている場合がありますので,ご了承ください。
◇マルクスの考えていた「貨幣資本の過多」がどうやってうみ出されるかという考察、"3つの流れ"を頭において読みすすめると、30~32章が理解しやすくなることがわかったし、またマルクスの人間らしさがみえておもしろかった。
自民党の改正草案の危険のポイントがよくわかりました。本を読むとき必要なところとそうでないところを、発見するカンを培う訓練を積んでいこうと思います。
●「3つの流れ」の話は不破さんによる指針の威力ですね。また『資本論』の第2・3部はマルクスの探究過程を描いた草稿であり,その中には後にマルクス自身によって乗り越えられていった部分もある。第2・3部にはそういう性質がありますから,たしかに,そこにはマルクスの失敗や,悩みや模索といった「人間らしさ」があるのでしょうね。あわせて,そうやってたくさんの試行錯誤を重ねながらも,あきらめずに前へすすむ執着とでもいったところもマルクスの「人間らしさ」のひとつでしょう。
◇エンゲルスが加筆した(勝手に書いた)部分は興味が深かったですが、やはりマルクスの原文の方が正しくて、エンゲルスの解釈(自論)は間違っているのでしょうか?
●これは恐慌論についての話ですね? 前回配布の資料の238~241ページの方は,現実の把握においてマルクスの方がはるかに正確だと思います。エンゲルスの文章には,恐慌は消費の少なすぎから生じるという「過少消費説」的な解釈の余地が残ることになってしまいます。消費がのびても,それを上回って生産がのびるなら,そこには恐慌が発生する条件がうまれていきます。その生産と消費のギャップを正面から問題にしているのはマルクスの文章の方だと思います。
●もうひとつは,243~246ページのものですね。ここはエンゲルスがいわば独自の命題を書き込んだ部分でした。ここも,エンゲルスの文章にはよくわからないところがあります。まず,手形が「社会的必要」を超えて膨張することが「全恐慌の基礎」だとエンゲルスはいっていますが,その「社会的必要」量というのはなんのことなのか。 いろいろな憶測はできるのかもしれませんが,エンゲルスはそれを説明しておらず,またマルクスの中にもそれを示す理論はないように思います。
●もうひとつ,エンゲルスはマルクスが「だけではない」と書いた部分を「だけである」とまるで反対の意味になおしました。ここでマルクスは手形の貨幣への「転換可能性」を,通常の手形の転換と「いかさま取引」を区別し,まず前者の範囲で論じた上で,その外に追加的に「いかさま取引」を論じています。しかし,エンゲルスは上の個所を反対の意味になおしたことで,「いかさま取引」の問題を通常の手形の転換といっしょに,「転換可能性」をめぐる一般的な議論のうちに含みこんでしまいました。その結果,エンゲルスの議論では,信用恐慌を発生させる直接の理由に「いかさま」が入り込み,「いかさま」がなければ信用恐慌は発生しないという議論になりかねないものになっていると思います。
◇本日も恐慌に関する話が出て来ました。商業資本の介在のケースもそうでしたが、社会が発展するにつれ、信用や商業資本などの仕組みが生じてくる。それはそれで非常に便利なものなのでしょうが、その代償としてのゆがみ、純粋な生産と消費のシステムから離れた付随的な面から生ずる弊害はかなり大きいように感じました。一方では必要なものであるだけに、この部分の適切なコントロールが重要な命題となるのですね。
生産手段の社会化と併せた銀行制度の社会化をマルクスが主張したのも、それゆえのことなのでしょうか?
●信用や商業は資本主義にかぎらず,人間社会の生産力を高め,物的に豊かな生活をつくりだすうえで重要な歴史的役割をはたしてきました。ところがそこには金儲け第一主義による弊害がつきまといます。たとえば資本主義社会のもとでは,信用が中小企業など借り手をつぶしてしまうようなたちの悪い貸付を行ったり,バブルを形成したり,また商業資本が安かろう悪かろう商品の大量販売を行ったり,恐慌の実現を導く「架空消費」を形成するなどの諸問題です。そこで,それらを「社会の力」よってコントロールすることが必要となるわけです。
●なにをどういう形で「社会」のものにするかについては,それが現実の課題になった段階で,歴史的・具体的に選択されていくことになるわけですが,それにしても,個別の銀行や信用制度を金儲け第一主義から切り離し,私的な利害から切り離していくことは,市民生活の安定や計画的な発展にとって不可欠でしょう。そのうえで,さらにマルクスはここで,社会変革の全体をおしすすめるうえで「信用制度が有力な槓杆として役立つ」といっていました。それは社会的生産力をさまざまな生産部門に分割し,産業の社会的配置や発展をコントロールする手段という銀行や信用の役割に注目してのことではないかと思います。
◇よくわかっていないのですが、現在の日本資本主義では、銀行をアメリカ資本に売りわたしてでも、自動車、電機産業などのアメリカ市場依存型の富を守ろうとしている、という(おおざっぱな理解なのですが、石川先生の書かれている『軍事大国化と「構造改革」』や『現代を探求する経済学』石川著・新日本出版社などで説明されていました)現象が起こっていますが、この日本の構造改革においての銀行の役割は、この日本社会においてはどう考えていけばいいのでしょう。とくにマルクスの第36章での考察との関係で???
●現実に起こっていることの方は,銀行・証券・生命保険などの金融関連市場にアメリカ資本が大量に入り込み,「郵政民営化」についてもこれらのアメリカ資本から強い「要望」が出されるようになっているといったことですね。これに対して日本の政財界は,日本の金融関連資本を守るのではなく,むしろ「メガバンクは1つか2つでいい」などと,アメリカ資本による金融市場への支配の広がりを容認する姿勢をとっています。
●これが理論的に提起する問題についてですが,独占的な銀行資本と独占的な産業資本の結合である金融資本のあり方が,現代の日本でかわってきているということがあるようです。一方では,トヨタを筆頭に日本の大企業は,年中銀行からの借金に依存するという必要のない潤沢な資金をもった企業経営にかわっています。銀行との結合度を低める条件がうまれているというわけです。また他方では,大企業は社会の資金を集める必要がある場合にも,それを必ずしも銀行からの借金ではなく,株式市場などでより直接的に自分でかき集めることができる方向にかわってきています。アメリカの銀行が,貸付利子によるよりも投機を主な利益の源泉としているのは,こうした産業資本の性質にもよるものです。さらに加えていえば,産業と銀行のつきあいは,必ずしも日本の産業が日本の銀行とつきあわねばならないといった,「国籍」の必要を何ももたないということも,抽象的にはいえるでしょう。実際,すでに有力銀行の多くで筆頭株主はアメリカの投資家(資本)になっています。
●第36章との関係ですが,ご質問の趣旨はおそらく未来への改革とのかかわりなのでしょう。無謀な投機による経済の混乱をさけ,中小企業をふくむ多くの企業の安定的な発展をめざすには,銀行の健全な経営は不可欠です。そして,経営を私的な利害追求にまかせない,銀行経営への社会的なコントロールも必要です。その対象には日本の法の及ぶ範囲で活動しているすべての銀行,つまり「新生銀行」のようなアメリカ資本もふくまれます。日本IBMや日本コカコーラのように,日本にはすでに外国資本がたくさん入り込んでいますが,これらと同じく日本国内で活動する外国の金融関連資本もまた,民主的規制の対象になっていくということです。ご質問とかみあいましたでしょうか。
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〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時00分)
◇意見,質問へのコメント。
2)第3部第6篇「超過利潤の地代への転化」(2時00分~2時20分)
・土地所有論の位置づけと第6編の構成について――第7冊13~21ページ
◇第37章「緒論」
・資本主義的農業とは/資本が近代的土地所有を生む/資本主義的農業の成果と未来/いくつかの論点
3)第6篇つづき(2時30分~3時20分)
◇第38章「差額地代。概説」
・2種類の地代とリカードウの弱点――第7冊33~36ページ
・差額地代の仕組み
◇第39章「差額地代の第一形態(差額地代Ⅰ)
・差額地代のうまれ方/最劣等地の変化による差額地代の変動/「土地収穫逓減の法則」/差額地代は誰が負担するか/「虚偽の社会的価値」という規定
◇第40~44章「差額地代の第二形態(差額地代Ⅱ)
・第二形態論におけるマルクスの模索と到達点――第7冊55~71ページ
4)第6篇つづき(3時30分~4時20分)
◇第45章「絶対地代」
・土地はいずれも有償提供/土地所有が「均等化」を妨げる/絶対地代の額
◇第46章「建築地地代。鉱山地代。土地価格」
・土地所有の発生から消滅へ
◇第47章「資本主義的地代の創世記」
・第1節「緒論」-地代の性格変化/地代の歴史をとらえる理論的原点
・第2節「労働地代」-支配・隷属と「経済外的強制」/史的唯物論の定式
・第3節「生産物地代」
・日本の歴史のなかの労働地代と生産物地代――第7冊102~104ページ
・第4節「貨幣地代」-前資本主義的地代の解消形態/資本主義的地代の成立
・第5節「分益経営と農民的分割地所有」-基本的な序列の外の諸形態/分割地での小農経営
・草稿後のマルクスの新構想――第7冊114~120ページ
5)補足と質疑(4時30分~5時00分)
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