2005年3月19日(土)……みなさんへ。
以下は,京都平和委員会のミニコミ紙に,コラムとして書いた超ミニ原稿です。
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■各地に9条の会が発足し,憲法を日本改革の理念として守る力がましています。私の職場でも相談を始めましたが,会づくりは学生に先をこされました。
■西宮にある私の大学にはいわゆる学生運動がありません。その中で仲良し2人組がヒョイと会を立ち上げたのです。きっかけは授業での自民党の憲法改正案と9条の会の紹介でした。
■彼女らが最初にしたのはホームページをつくること。立命や東大等とリンクをつなげ,掲示板ではただちに各地の運動との交流が始まります。神戸では3月20日に青年4000人を目標とするピース・フェスタが行われます。その実行委員会からも連絡が入りました。2月末現在の会員は7名で,この間わずか20日間です。若いエネルギーおそるべし。そして実に今後が楽しみです。(I)
2005年3月19日(土)……和歌山のみなさんへ。
以下は,2月・3月の和歌山学習協『資本論』第2・3部講座に配布したレジュメです。2つまとめてアップしておきます。
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和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む
『資本論』ニュース(第10回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
前回の質問・感想文の紹介からです。
◇明けましておめでとうございます。2005年が明けて、資本論講座(第2部・第3部)も残すところ4回になりました。今年こそはと年頭に目標を決めて意気込む毎年ですが、2007年の憲法改正に向けての動きに対して、憲法を守る理論を大きく広げていくことが今年こそは待ったなしの時期に来ています。大いに声をあげていこうではありませんか。
まったくそのとおりですね。日本国憲法の意義,その成立史,アメリカいいなり国家にもかかわらず明文改憲を阻止してきたたたかいの歴史など,学び語らねばならないことは多いと思います。
政財界による改憲案を具体的に市民にアピールする力も必要ですし,日本国憲法を民主的改革の指針として攻勢的に打ち出す力も大切だと思います。計画的・意識的に学んでいきましょう。
先日,私の大学のある地元・西宮で「9条の会準備会」に参加してきました。これが西宮市全体のものであるのか,地域レベルのものであるのかはわかりませんでしたが,いずれにせよ大きく育ってほしいものです。
また札幌では「全道で60~70の『9条の会』がうまれている」「おおいに可能性があると思う」ということも聞いてきました。私の職場にも,教職員・学生の双方から,その芽がすでに出てきています。今年も,なかなかおもしろい1年になりそうです。
さて,前回の講座で少しだけ紹介した『マルクス・コレクション』ですが,いよいよ筑摩書房から出始めました。エンゲルスのものは1つも入っていないのですが,それでも全7巻のなかなか大きなシリーズです。この1月に第4・5巻として『資本論』第1巻(上・下)が刊行されました。
全体の監修者は,今村仁司・三島憲一というお二人で,いずれもいわゆる「現代思想」の研究者です。今村さんはアルチュセール,三島さんはニーチェの研究を土台とされているようです。また,今村さんにはマルクスについての書き物も少なからずあるようです。
今回の『資本論』にも,今村さんが20ページほどの「解説」を書いています。その内容は,簡単にいってしまえば,1)資本主義研究の学問としてのマルクスの可能性を強調しながらも,2)その可能性の内容評価についてはかなり独特の視角がこめられているといったところでしょうか。
マルクスの「可能性」が正面から高く評価されているところは重要なところで,そのうえでマルクスをどうとらえるかという視角の問題については,現実の社会分析とあわせて大いに議論を深めるべきところだと思います。
ただ,ひとつ気になったのは,資本主義の「没落」に関する今村氏の評価の歯切れの悪さです。一方で,発展途上国の労働運動が活性化していくのはこれからだと述べながら,しかし,もう一方で,そのような「占術」はやめる必要があるのかもしれないともしています。今村氏には,帝国主義論にかかわってローザ・ルクセンブルクへの高い評価がみられるのですが,ひょっとすると「没落」論についてもまた,ローザ流「全般的危機」論への傾斜があるのかもしれません。あるいは「ソ連崩壊」を単純に歴史の審判として受け止めているだけなのかも知れませんが。
いずれにせよ資本主義の歴史的性格を明らかにして,これが永遠ではなく未来社会を準備するものであることを明らかにしたところにマルクスの核心があるわけですから,ここは大いに打ち出す必要があるのでしょう。それは「ソ連」評価の確認とも深くつながるところです。
いずれにせよ『マルクス・コレクション』は,「いま,あらためてマルクスを論ずる」という論壇の空気をあたためる方向にはたらくでしょうから,私個人としても,多少の準備はしておきたいと思っています。
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以下,みなさんからの「感想と質問」に対するコメントです。「質問」については,若干,文章をかえている場合がありますので,ご了承ください。
◇マルクスの考えていた「貨幣資本の過多」がどうやってうみ出されるかという考察、"3つの流れ"を頭において読みすすめると、30~32章が理解しやすくなることがわかったし、またマルクスの人間らしさがみえておもしろかった。自民党の改正草案の危険のポイントがよくわかりました。本を読むとき必要なところとそうでないところを、発見するカンを培う訓練を積んでいこうと思います。
●「3つの流れ」の話は不破さんによる指針の威力ですね。また『資本論』の第2・3部はマルクスの探究過程を描いた草稿であり,その中には後にマルクス自身によって乗り越えられていった部分もある。第2・3部にはそういう性質がありますから,たしかに,そこにはマルクスの失敗や,悩みや模索といった「人間らしさ」があるのでしょうね。あわせて,そうやってたくさんの試行錯誤を重ねながらも,あきらめずに前へすすむ執着とでもいったところもマルクスの「人間らしさ」のひとつでしょう。
◇エンゲルスが加筆した(勝手に書いた)部分は興味が深かったですが、やはりマルクスの原文の方が正しくて、エンゲルスの解釈(自論)は間違っているのでしょうか?
●これは恐慌論についての話ですね? 前回配布の資料の238~241ページの方は,現実の把握においてマルクスの方がはるかに正確だと思います。エンゲルスの文章には,恐慌は消費の少なすぎから生じるという「過少消費説」的な解釈の余地が残ることになってしまいます。消費がのびても,それを上回って生産がのびるなら,そこには恐慌が発生する条件がうまれていきます。その生産と消費のギャップを正面から問題にしているのはマルクスの文章の方だと思います。
●もうひとつは,243~246ページのものですね。ここはエンゲルスがいわば独自の命題を書き込んだ部分でした。ここも,エンゲルスの文章にはよくわからないところがあります。まず,手形が「社会的必要」を超えて膨張することが「全恐慌の基礎」だとエンゲルスはいっていますが,その「社会的必要」量というのはなんのことなのか。 いろいろな憶測はできるのかもしれませんが,エンゲルスはそれを説明しておらず,またマルクスの中にもそれを示す理論はないように思います。
●もうひとつ,エンゲルスはマルクスが「だけではない」と書いた部分を「だけである」とまるで反対の意味になおしました。ここでマルクスは手形の貨幣への「転換可能性」を,通常の手形の転換と「いかさま取引」を区別し,まず前者の範囲で論じた上で,その外に追加的に「いかさま取引」を論じています。しかし,エンゲルスは上の個所を反対の意味になおしたことで,「いかさま取引」の問題を通常の手形の転換といっしょに,「転換可能性」をめぐる一般的な議論のうちに含みこんでしまいました。その結果,エンゲルスの議論では,信用恐慌を発生させる直接の理由に「いかさま」が入り込み,「いかさま」がなければ信用恐慌は発生しないという議論になりかねないものになっていると思います。
◇本日も恐慌に関する話が出て来ました。商業資本の介在のケースもそうでしたが、社会が発展するにつれ、信用や商業資本などの仕組みが生じてくる。それはそれで非常に便利なものなのでしょうが、その代償としてのゆがみ、純粋な生産と消費のシステムから離れた付随的な面から生ずる弊害はかなり大きいように感じました。一方では必要なものであるだけに、この部分の適切なコントロールが重要な命題となるのですね。生産手段の社会化と併せた銀行制度の社会化をマルクスが主張したのも、それゆえのことなのでしょうか?
●信用や商業は資本主義にかぎらず,人間社会の生産力を高め,物的に豊かな生活をつくりだすうえで重要な歴史的役割をはたしてきました。ところがそこには金儲け第一主義による弊害がつきまといます。たとえば資本主義社会のもとでは,信用が中小企業など借り手をつぶしてしまうようなたちの悪い貸付を行ったり,バブルを形成したり,また商業資本が安かろう悪かろう商品の大量販売を行ったり,恐慌の実現を導く「架空消費」を形成するなどの諸問題です。そこで,それらを「社会の力」よってコントロールすることが必要となるわけです。
●なにをどういう形で「社会」のものにするかについては,それが現実の課題になった段階で,歴史的・具体的に選択されていくことになるわけですが,それにしても,個別の銀行や信用制度を金儲け第一主義から切り離し,私的な利害から切り離していくことは,市民生活の安定や計画的な発展にとって不可欠でしょう。そのうえで,さらにマルクスはここで,社会変革の全体をおしすすめるうえで「信用制度が有力な槓杆として役立つ」といっていました。それは社会的生産力をさまざまな生産部門に分割し,産業の社会的配置や発展をコントロールする手段という銀行や信用の役割に注目してのことではないかと思います。
◇よくわかっていないのですが、現在の日本資本主義では、銀行をアメリカ資本に売りわたしてでも、自動車、電機産業などのアメリカ市場依存型の富を守ろうとしている、という(おおざっぱな理解なのですが、石川先生の書かれている『軍事大国化と「構造改革」』や『現代を探求する経済学』石川著・新日本出版社などで説明されていました)現象が起こっていますが、この日本の構造改革においての銀行の役割は、この日本社会においてはどう考えていけばいいのでしょう。とくにマルクスの第36章での考察との関係で???
●現実に起こっていることの方は,銀行・証券・生命保険などの金融関連市場にアメリカ資本が大量に入り込み,「郵政民営化」についてもこれらのアメリカ資本から強い「要望」が出されるようになっているといったことですね。これに対して日本の政財界は,日本の金融関連資本を守るのではなく,むしろ「メガバンクは1つか2つでいい」などと,アメリカ資本による金融市場への支配の広がりを容認する姿勢をとっています。
●これが理論的に提起する問題についてですが,独占的な銀行資本と独占的な産業資本の結合である金融資本のあり方が,現代の日本でかわってきているということがあるようです。一方では,トヨタを筆頭に日本の大企業は,年中銀行からの借金に依存するという必要のない潤沢な資金をもった企業経営にかわっています。銀行との結合度を低める条件がうまれているというわけです。また他方では,大企業は社会の資金を集める必要がある場合にも,それを必ずしも銀行からの借金ではなく,株式市場などでより直接的に自分でかき集めることができる方向にかわってきています。アメリカの銀行が,貸付利子によるよりも投機を主な利益の源泉としているのは,こうした産業資本の性質にもよるものです。さらに加えていえば,産業と銀行のつきあいは,必ずしも日本の産業が日本の銀行とつきあわねばならないといった,「国籍」の必要を何ももたないということも,抽象的にはいえるでしょう。実際,すでに有力銀行の多くで筆頭株主はアメリカの投資家(資本)になっています。
●第36章との関係ですが,ご質問の趣旨はおそらく未来への改革とのかかわりなのでしょう。無謀な投機による経済の混乱をさけ,中小企業をふくむ多くの企業の安定的な発展をめざすには,銀行の健全な経営は不可欠です。そして,経営を私的な利害追求にまかせない,銀行経営への社会的なコントロールも必要です。その対象には日本の法の及ぶ範囲で活動しているすべての銀行,つまり「新生銀行」のようなアメリカ資本もふくまれます。日本IBMや日本コカコーラのように,日本にはすでに外国資本がたくさん入り込んでいますが,これらと同じく日本国内で活動する外国の金融関連資本もまた,民主的規制の対象になっていくということです。ご質問とかみあいましたでしょうか。
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〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時00分)
◇意見,質問へのコメント。
2)第3部第6篇「超過利潤の地代への転化」(2時00分~2時20分)
・土地所有論の位置づけと第6編の構成について――第7冊13~21ページ
◇第37章「緒論」
・資本主義的農業とは/資本が近代的土地所有を生む/資本主義的農業の成果と未来/いくつかの論点
3)第6篇つづき(2時30分~3時20分)
◇第38章「差額地代。概説」
・2種類の地代とリカードウの弱点――第7冊33~36ページ
・差額地代の仕組み
◇第39章「差額地代の第一形態(差額地代Ⅰ)
・差額地代のうまれ方/最劣等地の変化による差額地代の変動/
「土地収穫逓減の法則」/差額地代は誰が負担するか/「虚偽の社会的価値」という規定
◇第40~44章「差額地代の第二形態(差額地代Ⅱ)
・第二形態論におけるマルクスの模索と到達点――第7冊55~71ページ
4)第6篇つづき(3時30分~4時20分)
◇第45章「絶対地代」
・土地はいずれも有償提供/土地所有が「均等化」を妨げる/絶対地代の額
◇第46章「建築地地代。鉱山地代。土地価格」
・土地所有の発生から消滅へ
◇第47章「資本主義的地代の創世記」
・第1節「緒論」-地代の性格変化/地代の歴史をとらえる理論的原点
・第2節「労働地代」-支配・隷属と「経済外的強制」/史的唯物論の定式
・第3節「生産物地代」
・日本の歴史のなかの労働地代と生産物地代――第7冊102~104ページ
・第4節「貨幣地代」-前資本主義的地代の解消形態/資本主義的地代の成立
・第5節「分益経営と農民的分割地所有」-基本的な序列の外の諸形態/分割地での小農経営
・草稿後のマルクスの新構想――第7冊114~120ページ
5)補足と質疑(4時30分~5時00分)
和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む
『資本論』ニュース(第11回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
『資本論』学習も最終版にかかってきました。第2・3部でのマルクスの苦闘とエンゲルスの努力のあとを追いかけた感想はいかがですか? においをかいだ,口には入れた,かなり噛んでみた……。みなさん,いろいろなのだろうと思います。
それでも,「社会」を根本からつかもうとする彼らの努力のスケールの大きさは理解いただけたかと思います。社会の仕組みと運動の法則をつかまえる。その大きな志は,このように巨大な研究を必要とするものであるわけです。
「いろいろいっても,こうなんだ」「いいから早くこたえを教えろ」という,中間項をすっとばしたて結論だけを主張する(知りたがる)人間とは,人間の姿勢がまるでちがうと思います。この姿勢に大いに学んでいただき,毎日の活動にいかしてもらえたらと思います。
今日で第2・3部の読みはおしまいですが,次回の第3回は,不破哲三『「資本論」全3部を読む』全7冊を,レジュメをつかって紹介します。第1部の範囲もふくんだ紹介になりますので,また新しい刺激がえられるものと思います。
さて,最近「民主青年新聞」に「『財界』とは何か」という3回連載ものを書きました。みなさんの目にはとまらないことが多いかとも思いますので,ここに第1回分だけを紹介しておきます。
ここから先は「民青新聞」をご講読ください。
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「財界」とは何か?
第1回「国内における中心勢力」
〔国語辞典ではわからないその地位と役割〕
手もとの国語辞典によると,財界とは「大資本を中心とした実業家・金融業者の社会。経済界」となっています。いささか頼りない説明ですが,その頼りなさの一番の理由は,財界の社会的な地位や役割が解説されていないところにあるのでしょう。
日本共産党の新しい綱領は,日本の独占資本主義がアメリカに深く従属していることを述べたあとで,「少数の大企業は……日本政府をその強い影響のもとに置き,国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた」「国内的には,大企業・財界が,アメリカの対日支配と結びついて,日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている」と述べています。この個所について同党議長の不破哲三氏は「これは,日本の階級的な支配勢力の中心がどこにあるかを,明確に規定したものです」(『新・日本共産党綱領を読む』新日本出版社,2004年,157ページ)と述べています。
政党や政治家,官僚など国民支配の勢力にはいろいろな顔ぶれがありますが,なかでも財界(一握りの大企業)こそが国内における支配の中心勢力だというわけです。
〔だれが中心にいるのか〕
では財界の具体的な姿を見ていきましょう。財界総本山と呼ばれ日本財界の中心に立つ日本経団連(日本経済団体連合会),特に調査・研究活動に特色がある経済同友会,日本各地のいわゆる地方財界をたばねている日商(日本商工会議所),この3つがマスコミでも財界3団体と呼ばれている,日本を代表する財界組織です。
その中でも中核的な地位をしめる日本経団連をとりあげてみます。「会員数は1623社・団体等にのぼり、外資系企業91社を含むわが国の代表的な企業1306社、製造業やサービス業等の主要な業種別全国団体129団体、地方別経済団体47団体などから構成されています(2004年5月27日現在)」(http://www.keidanren.or.jp/indexj.html)。これがホームページの最初の自己紹介です。
文中の「業種別全国団体」というのは,日本自動車工業会や日本鉄鋼連盟といった同業者たちでつくる業界組織のことです。「地方別経済団体」というのは東京や大阪など都道府県別の企業経営者組織ということです。ただし,この1623の企業や団体には,たとえばトヨタ自動車と吉本興行のように,もっている力や社会的影響力に相当格差のある企業が含まれています。ここに加盟するすべての企業・団体をどれも同列に扱うというわけにはいきません。
では,その中心中の中心部分はどういう企業が担っているのか。役員リストから,会長1名・副会長15名の名前と出身企業を確認してみましょう。まず会長は奥田碩氏でトヨタ自動車会長です。トヨタは日本で最大の利益をあげつづける企業であり,世界でも有数の自動車会社です。以下,敬称略で副会長は,千速晃(新日本製鉄会長)・西室泰三(東芝会長)・吉野浩行(本田技研工業取締役相談役)・御手洗冨士夫(キャノン社長)・柴田昌治(日本ガイシ会長)・三木繁光(東京三菱銀行会長)・宮原賢次(住友商事会長)・庄山悦彦(日立製作所社長)・西岡喬(三菱重工業会長)・出井伸之(ソニー会長兼グループCEO)・武田國男(武田薬品工業会長)・和田紀夫(日本電信電話社長)・米倉弘昌(住友化学社長)・草刈隆郎(日本郵船会長)・勝俣恒久(東京電力社長)となっています。毎年,春の総会でこの役員には変動がありますが,最近は自動車と電気機械(エレクトロニクス)などの製造業多国籍企業が多くを占めています。また日本最大の軍需企業である三菱重工業も副会長に入っています。
〔自由に金もうけのできる社会をつくるために〕
次に,こうしたスーパー大企業が役員を握る日本経団連は何を目的とした組織なのか,それをホームページに探ってみましょう。「日本経団連の使命は、『民主導の活力ある経済社会』の実現に向け、個人や企業が充分に活力を発揮できる自由・公正・透明な市場経済体制を確立し、わが国経済ならびに世界経済の発展を促進することにあります」。小泉首相がいつも語っているような文章です。最近の政府が「民主導」というと,すぐに社会保障の改悪や大企業・金持ち減税,リストラやり放題,国民生活の安全や安定を無視した規制緩和などが思いつきます。こうして,大企業たちに自由に金儲けのできる経済社会をつくることが日本経団連の目的だというのです。
つづいてホームページはこう書いています。「このため、日本経団連は、経済・産業分野から社会労働分野まで、経済界が直面する内外の広範な重要課題について、経済界の意見をとりまとめ、着実かつ迅速な実現を働きかけています」。ここにいう「経済界の意見」とは,すでに見たような一握りの大企業の意見であり,その柱は「民主導の活力ある経済社会」をめざすということでした。ただし,この文章には大きなごまかしが一つあります。そうした「意見」の「着実かつ迅速な実現」を,日本経団連はいったい誰に「働きかけて」いるのか。その肝心の問題がきちんと書かれていないのです。さすがに自分で書けば,あまりに露骨ということでしょうか。しかし,実際の活動を見れば,それが財界の要望を汲む政治家や政党,政府等であることは明白です。
〔カネの力で政治を買収〕
では,それはいったいどういう方法を使ってのことでしょう。かつて経団連(経済団体連合会,日本経団連の前身です)の副会長や相談役として,40年間もその中枢にいた花村仁八郎氏は「財界政治部長」というあだ名をもっていました。それは経団連における政治対策の中心人物ということです。著書『政財界パイプ役半生記――経団連外史』(東京新聞出版局,1990年)で,花村氏は「政治献金とは,自由経済体制を守るための"保険料"」(19ページ他)だとくり返します。簡単にいうと,これは国民の抵抗をはねのけ,大企業やり放題の経済体制をカネの力でつくり,守っていくということです。
ひとつだけ具体的な事例をあげておきます。1974年の参議院選挙で、経団連は企業から集めた約百億円を自民党に献金します。しかし,当時の首相であった田中角栄氏から「『とても足りない。もっと増額してほしい』と私〔花村〕のところへ電話で直接に追加資金の要請」があり,「そこで経団連会長だった植村〔甲午郎〕さんに頼んで,大企業や業種団体のトップ7,8人に集まってもらい,『保革逆転の危機です。自由経済を死守するには"生きガネ"を出すしかない。選挙に負けてから政治資金を出しても,どうにもならない』と植村会長から説得」してもらった。そのかいあって自民党は「どうにか過半数を7人上回」ったというのです(113~4ページ)。財界が政治に対して強い影響力を行使する,そのもっとも中心的な方法はこのカネによる政治の買収なのです。
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以下,みなさんからの「感想と質問」に対するコメントです。「質問」については,若干,文章をかえている場合がありますので,ご了承ください。
◇最近の新聞紙上で日本と中国との貿易額が米との貿易額を上回ったと報道されていました。対米従属による日本財界の利潤はアメリカから中国へと移っていくと見るべきかどうか。◇日本の輸出がアメリカより中国の方が多くなったと聞くが、どのような影響が出てくるでしょうか。東アジアと日本という観点から、経済も政治も、見ていかなければならないことがわかった。大きな収穫である。
●中国を中心とするアジアとの貿易額がふえているというのは,少なくともこの15年間ほどの一貫した傾向です。新しい変化ではありません。
●「これで日米より日中が大切になる」といった表面的な見方もあるようですが,問題は貿易の中味です。日米貿易では完成品の輸出入が多いです。日中貿易では部品の輸出と完成品の輸入が多いです。つまり中味がかなりちがうのです。日中貿易では,日本側が中国を「組み立て工場」として活用し,できあがった製品を逆輸入する。あるいは,中国から海外に売る(輸出)ということも行っています。対米輸出では,アメリカ人に製品をつかってもらうということになるのですが,対中輸出では,必ずしもそうはなっていないということです。
●急速な成長過程にある中国ですが,それでも上海の労働者の平均賃金は3万円程度だそうです。一部の金持ちをのぞけば,日本のクルマやパソコンを一般家庭が買うには,まだ時間がかかるということです。将来の巨大市場であることはまちがいないのでしょうが,現瞬間にこれが巨大市場であるということではないわけです。
●日本経団連の「東アジア自由経済圏」構想も,アジアを消費地以上に生産拠点として位置づけています。たとえばトヨタの世界戦略でも現在のアジアは主として生産地です。トヨタの全利益の7割はアメリカ市場であげられており,これに大きな転換が起こっているという状況ではありません。
◇10分冊、760頁~766頁あたりの金融スキャンダルに関する質問です。「金融緩和すれば、金融改革ができるという倫理」、改革が進めば、金融システムが安定するという口実がある。1991年7月の証券会社の不祥事も、銀行、証券、生保、損保の縄張り争いであった。突然、野村証券に寝ころがられて、行政当局が野村証券を撃つと、損失補填が大手、中堅とすべての証券会社で行われていたことが明らかになった。何故、全部出てきたのかわからない。又、この時一番ダメージが大きかったのが、当時の山一証券であり、うまく玉をよけたのが大和証券であった。行政当局が、ペテン詐欺まがいの制度を作り出し、政官財に暴力団、右翼団体、総会屋があいまみれている。金融緩和とアメリカの要請という所がなかなかつながらない。どうしたらいいですか。そして、資本主義のルール守れ、大企業の規制といっても、どの労働現場も同様かと思いますが、当事者が会社にあるにもかかわらず、従業員に「守れ、守れ」守らなかったら、懲罰、解雇というのが実体で、自分の仕事、業務を超える、チェックばかりが進んでいるのと、ちがうだろうか。「ペテン師サギまがいの制度」を作るものにも、責任の追求が必要、この点どのように考えたらよろしいでしょうか。
●『資本論』の理解の問題ではありませんね。前半分の件ですが,財界という大きなまとまりはあっても,その中にはいれば,当然,個々の資本(大企業)同士の競争があります。したがって,それが政治家やひどい場合には暴力団をまきこむ争いになっていくということは残念ながら珍しいことではありません。
●金融緩和とアメリカの要請が「つながらない」との部分ですが,これはアメリカの要請がどのようなものであり,その要請のあとに日本の金融市場がどのように変化したのか,さらに実際にアメリカの金融関連資本がどれほど日本市場に参入したのか,こういう経過の事実を見ねばつながりようがありません。最近の新聞にもアメリカ政府が「郵政民営化」を評価するといった記事がありましたが,それらをバラバラにではなく,つなげて読んでいく必要があるわけです。『現代を探究する経済学』の第5章や『軍事大国化と「構造改革」』で紹介しましたので,参考にされてください。
●後半の件です。資本は「社会的な力」による強制がなければ,自分の利益を減らすようなことを率先しては行いません(『資本論』第1部)。現状をかえるために必要なのは「力」です。それは個々の組合の圧力から,選挙による国会の力関係の変化,あるいは政権交代まで,いろいろなレベルで考えられるものだと思います。
●「サギまがいの制度」については,官公庁による「裏金づくり」や金融庁による「インサイダー取引」の容認など,すでに政治的な追求が行われている問題です。ただし,それらがなかなかわかりにくい問題ですので,それをやさしく市民に語る能力が,労働運動・市民運動に求められていると思います。
◇11分冊、806頁からの大企業はものすごく儲けているということ、うまく説明できない。架空資本の市場価値、株価を大きく動かす他要因、大量の投機資金がどこからくるか平易に説明できない。2004年7月、地域で対話活動している時、私に共感を寄せてくれた老人が、「景気悪いのは、銀行に不良債権が多いからだ。」と言った。私は、「大企業、銀行はよく儲かっています。」と言い返すと怒りだした。私は続けて、「年金は改悪され、病気になってもなかなか病院に行きにくい状況になっている。庶民に重い負担をかけられて来ているんですよ」と反論した。大企業が大きな利潤を得て、その上前をはねている銀行も大きな利益を得ていること、資本論を読んでいるのに、上手に説明できなかった。生活実態と政治がなかなか努力しても、つながらない。当分、相手がどのようなことを言っているか大いに聞くようにしますが…。
●ページ数は原ページでお願いします。架空資本の市場価値については,原ページ484~485にあります。「資本還元」の問題ですが,これは,本来資本ではないものを資本であるかのように取り扱って,評価するということです。定期的な貨幣収入を利子率で割って,価値額が出てきます。
●株価を大きく動かす要因,大量の投機資金というのは,『資本論』の理解の問題ではありませんね。株を買うことが資本への出資であり,見返りとしての「配当金」を目的とした歴史段階から,株価の変動によってもうけることを目的とした歴史段階への変化があります。おそらくいわれている「大きく動かす」というのは,後者の株式投機のことだと思います。株は土地と同じで数に限りがあります。したがって,たくさんの人が買おうとすれば値段があがり,たくさんの人が売ろうとすれば値段はさがります。その原理は簡単です。今日の大きな株価変動の主な要因は「投機」です。そこには主観的な「企み」の問題が強く反映してきます。なお,大量の投機資金の発生は,生産と資本のギャップによる「生産資本の過剰」を土台としていると思います。
●大企業・大銀行のもうけの問題は,一律に「もうけている」といえば誤りになります。業種によって,個々の企業によって,かなり大きな業績の差があるからです。それらを平均したときの内部留保は史上最高(資本金10億円以上企業)ですが,ここには経営難の企業もあるわけです。ですから,あまり簡単に「大企業はもうかっている」というと,「もうかっていない企業もあるではないか」ということになってしまいます。
●『資本論』と現実の関係ですが,両者は,一直線にはつながりません。また『資本論』は21世紀の日本を分析してもいません。「いまの日本経済はどうなっているか」については,独自の勉強がいるわけです。がんばってください。
◇4半期のGDPの経済指標が新聞紙上に報告される。一週間後に、官庁統計で、景気の山と谷が1~2ヶ月ずれる。この事をたびたび感じている。これは、どのように受け取ればよろしいでしょうか。◇その後、政府御用学者達は、当初から見抜いていたのは私だと言うコメントが出てくる。立体的に見れば、マイナス領域の山と谷と感じる。海外投資会社のコメントも将来の予測、見通しに終始している。これを、生産と消費から議論の土俵に乗せてゆくにはどうすればよいのか。
●ご質問の意味ですが,四半期のGDPも,官庁統計も「予測」ではなく「結果」ですね? たとえば2005年2月16日「朝日」は,最新の四半期報告について,次のように述べています。「内閣府が16日発表した昨年10~12月期の国内総生産(GDP)速報によると、物価変動の影響を除いた実質GDP(季節調整値)は前期比0.1%減、年率換算0.5%減となった。同時に4~6月期が前期比0.2%減、7~9月期が同0.3%減にそれぞれ下方改定された。3四半期連続のマイナス成長となったのは、ITバブル崩壊後の01年4~6月期から02年1~3月期まで4四半期連続でマイナス成長を記録して以来3年ぶり。04年度の日本経済が停滞を続けていたことを明確に示した」。ごらんのように新聞発表のこの指標は官庁によるものです。両者が「ずれる」ということの意味について,必要であれば,もう一度お願いします。
●御指摘のように,いまの状況は「山」であれ「谷」であれ,「マイナス領域」(水面下)での小さな変動にすぎません。議論するには,その小さな「山」や「谷」がどうしてできたかといったせまい視角からではなく,長期にわたって経済活動が「プラスの領域」に安定しないのはなぜかと問題を立てる必要があります。短期の新聞報道記事をこえて,「バブル崩壊による90年以降の長期不況をどうとらえるか」という視角が必要であるわけです。具体的な分析の詳細については『経済』などの各論文を読まれてください。
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〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時00分)
◇意見,質問へのコメント。
2)第3部第6篇「超過利潤の地代への転化」(2時00分~2時20分)
◇第47章「資本主義的地代の創世記」
・第5節「分益経営と農民的分割地所有」-基本的な序列の外の諸形態/分割地での小農経営
※草稿後のマルクスの新構想――第7冊114~120ページ
3)第7篇「諸収入とその源泉」(2時30分~3時20分)
※第7編の成り立ち――第7冊131~137ページ
◇第48章「三位一体的定式」
・編集をもどす(826~831/822~824/824~825/831の順)/「定式」は表面的な現象の世界/
現象だけを見ると本質も歴史も見えない/神秘化の最高形態/俗流経済学と古典派経済学/
人類史の中での「剰余労働」
・未来社会論――必然の国と自由の国/自由の国は物的生産の上に
※自由の国をめぐるマルクスとエンゲルス――第7冊160~163ページ
※エンゲルス「『賃労働と資本』への序論」(1891年)――新日本古典選書26~27ページ
◇第49章「生産過程の分析によせて」
・再生産論の再論/再生産論と国民所得論/スミスが「vプラスmのドグマ」に陥った理由/未来社会での再生産
4)第6篇つづき(3時30分~4時20分)
◇第50章「競争の外観」
・じつは競争論ではない(スミス批判のつづき)/なぜ日常の意識に/未来社会の「必要労働・剰余労働」
◇第51章「分配諸関係と生産諸関係」
・分配と生産の一般的連関/誤った社会の見方/生産様式の科学的分析/
資本主義的生産様式の2つの特徴/危機と変革の弁証法
◇第52章「諸階級」
・最後の章だが中断
※レーニンの階級論――第7冊202~204
5)補足と質疑(4時30分~5時00分)
2005年3月15日……以下は,2月15日の『勤労協ニュース』(関西勤労協)に掲載された新春講演の要旨です。
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軍事大国化と「構造改革」
――財界・アメリカいいなりの政治の「憲法」化はゆるさない――
神戸女学院大学教授 石川康宏
みなさんのお手元に十二ページのレジュメがあると思います。まともにしゃべっていきますと三時間以上かかりますのが、それをなんとか九十分で終わりたいと思います。
タイトルは「軍事大国化と構造改革」という具合になっていまして、要するにここでいいたいことは、平和が脅かされるという戦争の問題と、今の日本経済がわれわれにとって非常に暮らしづらいものにつくりかえられていっているということが、実は一体なんだということです。サブタイトルのところで、「財界・アメリカいいなり政治の『憲法』化」という言葉を使っておきましたけれど、この「財界アメリカいいなり政治」については、政治的・軍事的なアメリカへの従属の問題もあれば、今日の経済構造のアメリカと大資本にとって都合のよい改革、この両方が含まれているわけです。ですから最近では経済学者も、ただ経済だけ分析していたらそれでいいのではないのだということで、憲法問題についても経済学の立場から積極的に発言せよなどということがわれるようになっているわけです。
このレジュメの流れを最初に紹介しておきたいと思います。まず大きな一番目は、政財界は日本をどうするつもりなのだということにしておきました。どうしても経済中心になりますが、政治経済全体がどうかえられようとしているのか、ということです。ひと言でいうと、今すでに行われている改革・改悪を憲法化してしまう、つまり日本社会の最高のルールにしてしまうというのが、今の憲法改悪のたくらみではないかというふうに考えております。
大きい二番目のところは、タイトルをアメリカいいなりの原点を探るというふうにしました。どうして日本はこうまで深刻なアメリカいいなりなんだと,よく若い方からは、そういう質問が出ます。このアメリカいいなりの問題を考えるときにはどうしても、一九四五年に戦争が終わってから、約七年間日本はアメリカに全面占領されたという、これは年輩のみなさんにとっては当たり前の常識なんですが、若い世代は中学校・高校の歴史教育でほとんど学んでいません。ですから、どうして日本はこんなにアメリカいいなりなんだということが、見かけの今の政治を見れば、それなりにわかりますけれども、根っこのところはわかっていないという問題があるんです。ぜひこの問題を、たくさんの人たちに語っていただきたいと思いまして、二つ目の項目を入れました。
大きい三つ目の項目ですが、自民党による憲法「改正」のポイントは何かということです。自民党の中でもいろいろとすったもんだがあるようですけど、それにしてもやはり政権の中心にある政党ですから、ここがあらかたでも,どういう憲法の改悪をたくらんでいるのかということについては、よくつかむ必要があります。昨年の十一月十七日に自民党内部で議論がされたという文書で,表向きは公開されていないということになっていますけれども、あるルートから手にいれました。それが、ここに紹介してあります。
それから大きい四番目の柱ですが、憲法を守るということがもちろんだいじなんですけれども、ただそのときに憲法を守るという姿勢が、今の社会を維持するというふうに誤解されると困るわけです。保守的な現状擁護派なんだ、現状に甘んじようとしている人たちなんだというとらえ方をされると、私たちの運動には非常に都合が悪いわけです。そうではなくて、今の日本社会は、今の日本国憲法を実現していないさまざまな弱点をもっていて、この憲法どおりの日本をつくっていくという改革が必要なのだと,ここを攻勢的に語っていく必要があるというふうに思うわけです。そこで憲法と私たちがめざす社会とのかかわりについて、四番目で述べています。
最後の五番目は、毎年いつどこでしゃべってもだいたいこういう話で終わるんですが、誰もが政治を考える知恵の豊かな社会をつくるです。社会というのは人間がつくっているものですから、賢い人間が集まっているところでは賢い社会がつくられますし、それなりの人間が集まっているところではそれなりの社会しかできないということがあるわけです。私たちの政治革新の運動は、日本社会に住んでいるあらゆる人たちの政治的教養を引き上げていく。政治のことはわからないという人に、少しづつでもわかってもらう。こういうとりくみでもあるわけです。そうすると、そのとりくみの先頭に立つ私たち,みなさん方は、まずなによりも政治的教養のレベルにおいて、首ひとつ抜きん出ていなければならないということがあるわけです。ですから今日の最後は、勉強しない運動家はダメだという話を、時間をかけてさせていただきたいと思います。
では最初にもどって、今の日本社会の動きについて確認していきたいと思います。
1 政財界は日本をどうするつもりなのか
まず政財界は、経済・軍事両面で,アメリカによる世界支配のたくらみを大前提としている。大前提としているというのは、疑いをもたずにそれについていくことを、当然と考えているということです。特にアメリカの経済・軍事戦略の転換というのは、九一年のソ連崩壊が非常に大きな転機になっているわけです。あとで紹介しますが、アメリカは戦後一貫して、世界をおれが支配するんだという戦略を採ってきました。この戦略は、誰かに隠れてこそこそと採っている戦略ではなくて、公開されている戦略なんです。その後,ジャーナリズムはこれを冷戦戦略というふうに呼びました。ところが,冷戦の一つの大きな争点であったソ連との対立が、九一年に終わるんです。ソ連がへたったわけです。ソ連がへたった瞬間に、アメリカが、これでおれのじゃまをする国はいなくなった、これからはおれが世界全体を自由に支配することのできる時代だというふうにとらえました。
ですから九〇年代に入って、逆に世界はきな臭くなっていくわけです。日本に対するアメリカの軍事的な要求も深まってくるわけです。九〇年代の日本が、なんでも改革,改革といいだして,どたばたと変わるようになってきた非常に大きなきっかけは、このソ連の崩壊によるアメリカの世界戦略の転換なんです。
そのなかで、アメリカが経済戦略を転換したというときに、その戦略の中味として、アメリカは多国籍企業を、世界中のどこにでもどんどん押し出していくという戦略をとりだしました。従来ソ連がいるからそこには入りづらかったとか、軍事費にいっぱいお金を使っていたのであそこには行きづらかったというような地域がありました。それがソ連との対立が終わりましたので,もう全面的にどこへでも出ていくという具合になったわけです。
私たちは九〇年代に労働条件の改悪をいやというほど体験してきました。労働法制の改悪ということも起こりました。労働法制改悪というと、九五年の「新時代の日本的経営」という文書が有名です。日経連が日本の終身雇用制を破壊するんだといった文書です。なぜ九五年だったのかという問題があります。実が九三年、九四年、九五年と三年連続サミットで――サミットですから当時はG7で,中心にいたのはアメリカです――、総額人件費削減、労働力流動化ということを、先進国の合意にする。なぜそういうことをするのか。それはアメリカの大企業が世界の各地に出ていったときに、特に今の話は先進国ですが、他の先進国に出ていったときに、たとえばドイツへ、日本へ、フランスへ出ていったときに、先々の労働条件が破壊されていれば破壊されているほど、そこへ出ていったアメリカ資本はもうかりやすくなるわけです。
今アリコが来ています。アフレックスが来ています。アメリカンホームダイレクトが来ています。彼らは日本へ来たら、日本の労働者を雇うじゃないですか。その日本の労働者の人件費は安ければ安いほどいいわけです。そうすれば彼らはもうかるわけです。
労働法制改悪は一例ですが,つまりアメリカ多国籍企業を世界に出して行きます。押し出していきます。「つきましては世界各国のみなさん、あなたの国の経済構造をアメリカ企業にもうけやすいように変えてください」、これが経済構造の改革なんです。九〇年代です。小泉首相の思いつきで始まったものではないんです。八〇年代の終わりくらいからアメリカが準備してきた戦略なんです。
そのなかで、過労死型の長時間労働が維持されており、その結果、女性だけの家庭的責任負担が、むしろ強められる方向に動いています。男女共同参画社会だと小泉内閣はいっています。「男女平等社会」という言葉は最後まで採用しなかった。ところが男女共同参画だといっておきながら、日本の特に男性のフルタイマーの労働時間はどんどん伸びていっています。三千時間に近くなっています。だいたい三千時間で人間は死ぬことになっています。過去に過労死をされた方のタイムカードを一年間分さかのぼってみていくと、だいたいそれくらいで死んでいるわけです。いまだいたい六人に一人の日本の労働者が、過労死ラインを超えているといわれています。そういう強烈な長時間労働を維持しています。それはアメリカからの要請にもとづくリストラやり放題の上に,長時間労働が大好きな日本の企業がのっかっているわけです。その結果起こっていることは何か。家庭から男性の姿が消えていきますから、家のことは全部女がしなければならないとなるわけです。女の人たちは外で働きたい、自分の能力をためしたい,発揮したい、そういう願いをもっていますが、今のような社会で、長時間労働が放置され、社会保障が切り捨てられていくなかで、男女平等はありえません。男は職場に,女は家庭に閉じ込められます。そういう方向に九〇年代以降の日本はいっそう動かされています。
金融の分野については、市場をかなりアメリカに明け渡していると私は見ています。テレビコマーシャルを見ると、アリコのコマーシャルがめちゃくちゃに多いですよね。何十種類やっているのかわからない。あれはアメリカ第二位の生命保険会社です。アメリカの小さいやつが、アメリカで商売にならないから日本へ来たのではないんです。アメリカをすでに支配し尽くしたような大企業が、日本に来ているわけです。ご承知のように新生銀行というのは漢字四文字ですがアメリカの資本です。御堂筋の銀行街を歩いていると、むりやり縦に、「メリルリンチ銀行」とかカタカナ銀行がいっぱい並んでいます。いつからそうなったのかというと、実は96年から橋本内閣が金融ビッグバンというのをやっているんです。金融構造の大改革というやつです。そのときにアメリカの巨大な金融関連資本、銀行と証券と保険なんですが、この三種類を日本国内に受け入れますということを決定したわけです。実際にそれに沿って、銀行・証券・保険のアメリカ資本がどんどん入ってきているわけです。その結果,日本の銀行や保険会社が競争に負けていきます。郵政民営化についても、アメリカの資本がかなり自分のもうけのための意見を言いだしています。郵政民営化で郵便貯金を解体し,吐き出されたお金を、日本の銀行や日本の保険屋さんではなくて、日本に進出してきたアメリカの銀行やアメリカの保険屋さんが手に入れようというわけです。
そうすると、なぜ橋本内閣は、非常に競争力の強いアメリカの銀行や保険会社を日本に入れたのだろうかという問題があるんです。いかに対米従属の自民党の政権とはいえ、銀行業界は毎年自民党の億の単位の政治献金を渡してくれる。自民党にとってはお客様です。なぜそれを危機に落とし込むようなことをしたのだろうかという問題です。
そうすると、その直前に強烈な円高があったことがわかります。九〇年に一ドル一四四・七円だったのが、九五年に九四円。今よりも十円も高いです。円の側の数字が小さくなると高くなる、円が上がるというんですけれども、そしてそれが九五年を転機にして、九八年には一三〇円にもどっていくという現象が起こっています。アメリカは、日米の円とドルのレートについては、交換の比率については、かなり政治的に操作する力を持っています。ですからこの瞬間に、九〇年代の前半にアメリカから円高へ円高へという圧力がかかった。そしてそれが九五年に逆転していくわけです。ではどうしてその瞬間にアメリカは逆転をつくったのか。そうすると実はその九五年の二月に、日米金融サービス協定というのが結ばれているんです。アメリカは勝ち誇ったようにこれを宣伝します。しかし,当時の大蔵省は、年報のなかにこれを書き込まないで、ひっそりと国民に隠すかのようにしていました。実はこの九五年の協定にもとづいて、金融ビッグバンが96年の十一月から始まっています。ですから、円高という圧力によって、日本の財界の首を絞めて、そうしながら、おまえが日本の金融市場を差し出したならばそれを許してやるということです。それが九五年の合意の原動力になっているのだろうと思います。
次に,ここでもっとも首を絞められたのは誰かという問題があります。財界とはいえいろんな業種があります。そのなかで日本の財界の今の中枢は、自動車と電気機械です。ご承知のように日本経団連の会長はトヨタの会長の奥田碩という人です。電気機械といわれるとわかりづらいかもしれませんが、パソコンつくっている会社ということです。NECとか日立とか富士通とかです。みなさん方もインターネットをされる方はたくさんおられると思うんですが、日本経団連のホームページを開くと、会長から副会長から、評議委員会の責任者から全部名前が出てきます。どこの会社の役員ですかというのも全部が出てきます。経済同友会も出てきます。日商も出ます。経済同友会は、わざわざ顔写真付きで、われわれから見れば「困った人」の一覧表というこおちなるわけですが,その顔写真が並んでいます。ぜひ確認してみてください。誰が今日本の財界の中枢にいるのか。
財界の中枢なんですが、特徴があるんです。自動車産業と電機産業というのは、日本の産業のなかで、アメリカ市場への依存度が最も高い産業なんです。つまり、たとえばトヨタ自動車は、つくった車の総売上のうち、国内の売上げは三五%。残りの六五%は海外なんです。つまりトヨタ自動車は、日本国内で少々売れなくても、海外で売れたら問題ないわけです。六五のうち四〇、半分以上ですが、これは北米です。北米ってどこだというと、アメリカとカナダなんですが、圧倒的にアメリカです。九割以上アメリカです。つまり日本国内で売れている車の売上げと同じくらいの売上げがすでにアメリカにあるんです。トヨタ自動車というのはこういう会社なんです。私が年末に新聞を整理していましたら、トヨタ自動車の奥田碩氏が、こういうふうにいっていました。トヨタの世界戦略について語っているんです。「われわれは今後米国市民企業になる」というのです。トヨタにとっては、最も重視すべき市場は日本市場ではなくて、アメリカ市場だということです。さらに時間が経てばアジアとくに中国が出てくるだろうと思いますけれども。
つまりアメリカ市場への依存度が高い企業が財界の中枢にいるということは、ここの首がいちばんしまるということです。円高圧力がかかると輸出がしづらくなりますから、いちばん首が絞まるのが日本の輸出産業なんです。日本の輸出産業の代表は自動車と電機です。そしてこの自動車と電機が、今の日本の財界の中枢なんです。つまりアメリカ側からすれば、日本の財界にいうことを聞かせるのは簡単なんです。円高にすればいいんです。そうすると日本の財界中枢は金がもうからなくなる。そういうことを証明して見せたのが、この金融市場の明け渡しだろうと思います。今日本の大銀行がふらふらになって、つぶれそうです。破綻しそうです。しかし,日本の政財界は助けましょうといいませんよね。もうメインバンクなんて一つや二つでいいのじゃないかと平然といいますよね。これは奥田会長もいうわけです。さらに竹中平蔵大臣のような人もいうわけです。
つまり彼らは、もうすでに日本の金融市場は明け渡しているんです。明け渡しているから、メインバンクが一つ二つになっても仕方がないなという。UFJがたいへんですから,みんなでなんとか救いましょうとはいわないんです。
新生銀行というのはもとの日本長期信用銀行です。日本の政府が八兆円の公的資金を投入して,それをつるぴかに磨き上げました。そして,いくらでアメリカ資本に売ったのか。十億円です。われわれはだいたい百万円を超えると金の額がわからなくなりますから、何兆とか何億とかいわれてもわからないのですが、これは要するに八千分の一なんです。つまり八千万円の豪邸を一万円で買ったというわけです。これは明らかに売った方がアホですね。でも公的資金はそんな具合に使われているわけです。入口は日本の銀行かもしれませんが,ここで得をしているのはアメリカ資本ですね。
その一方で重要なのが、いわゆる逆立ち財政が継続しているということです。みなさん方も選挙のときによくいわれると思います。公共事業費が高くて、社会保障費が低いんだと。他の先進国はみな逆ですからね。アメリカでさえ、社会保障費の方が大きくて、公共事業費の方が低いですから。日本だけがひっくり返っているわけですね。それを逆立ち財政といいます。なぜ逆立ち財政になるのか。公共事業費がなぜ世界で突出して大きいのか。どのくらい突出しているのかというと、州政府がやっている公共事業費も含めて、アメリカ全土で使われている公共事業費の二・七倍です。おかしいですよね。面積はアメリカの方が二十五倍あるんですよ。日本は二十五分の一しかない。そこにどうやってアメリカ全土の公共事業で使っているセメントの二・七倍を流し込むのか。だから,日本は緑が全然なくなるんです。
G7という先進国グループがあります。その残り六ヵ国と日本一国を比較しても、日本一ヵ国の公共事業費は六ヵ国合計を上回るんです。明らかにおかしいわけです。いろんなことを調べれば調べるほど、私もこの国はおかしいというふうに、どんどんそのおかしさに対する確信の度合いが深まっているんですけれども。
では、なぜそうなったのか、いつからそうなったのかという問題があります。戦争でぼこぼこになった瞬間は、公共事業費は大きくしたくても,できなかったわけですから。そうすると、そこにもアメリカがからんでいるんです。戦争直後日本は、アメリカによって育て上げられます。経済的・軍事的に強い国家になる。ただしアメリカ言いなりが条件だといって作りあげられます。そのときにアメリカは、まず日本経済再生のために、アメリカに輸出しろというんです。なんでも買ってやるから輸出しろ、そして日本にドルを払ってくれる。これで復興しろということだったんです。ですから日本の輸出先はいまだに、突出してアメリカが第一位なんです。日本の大企業がなぜアメリカ依存なのかというと、この戦後の長い歴史からつくられているわけです。
ところが七〇年代の後半になるとアメリカは手のひらを返すんです。それだけ経済がへたってきたんです。ご承知のようにアメリカという国は超自己チューな国ですから、いうことがころっとかわるわけです。カーター大統領は日本の福田首相に対して、「アメリカに輸出するな」「もうわが国はたいへんである」「おまえの国でなんとかしろ」というわけです。つまり日本からアメリカに輸出されていた商品を、全部、国内で消費しろと言い出したわけです。自分の国で消費しろと。そのときに福田赳夫が「わかりました」といったわけです。その「わかりました」でどういう国内消費の拡大の仕方をしたのか。それが無駄と環境破壊の公共事業です。
ここから量的に国内の消費を拡大するということが最優先となる公共事業が始まるわけです。金額先にありきです。必要なものをつくるのではないんです。だから今の関空建設で、海に金を捨てているわけです。神戸市民がいらないといった神戸空港も、海に金を捨てているわけです。わけのわからない橋を東京湾に二本も架ける。和歌山から淡路島にも橋を架けたらどうだろうかといっているわけです。必要かどうかが基準ではないんです。先に国内でいくら金を使うか,消費をつくるか,これが先にある。
そのあといろいろありましたけれども、八九年から九〇年の日米構造協議で、アメリカ側はブッシュ親父ですが、日本側は海部俊樹首相で身長差二対一で勝負にならずみたいな感じでしたが、この会談でアメリカが、十年で四百三十兆円の公共事業をしなさいといった。年間四十三兆円づつということですね。九〇年の瞬間に日本の公共事業費はいくらだったのか。三十六兆円です。それでもすごい勢いで増えていったわけです。その前に中曽根首相という人がいました。あの人がバブル経済というのをつくりました。そのきっかけも公共事業拡大なんです。バブルが始まる直前の八五年、日本の公共事業費は二十五兆円です。八五年が二十五兆円で九〇年が三十六兆円です。ぐっと上がっているんです。ところがアメリカは、四十三兆円やりなさいと、まだ七兆円足りないよといったわけです。日本は「はいわかりました」というわけです。それで九三年にはじめて五十兆円突破です。五十一兆円になるのです。八五年に二十五兆だった公共事業費が八年後の九三年には五十一兆になるんです。この九〇年代前半で、日本は財政赤字で先進国中第一位という不名誉を獲得していくわけです。
さらにその後アメリカから、今度はクリントン大統領でしたけれども、日本側は自分でもどうして首相になったのかよくわからなかった村山富市という人が首相だったんですが,あの人のときに、「日本よ、お前らまだ公共事業が足りない、まだアメリカに輸出している。これはいかんよ」といって、「額を増やしなさい、十年で六百三十兆円ね」といわれた。「はいわかりました」というわけです。一年で六十三兆円です。もう,できないわけです。できないということにはたと気付いたのが、ヘアクリームで頭を固めた橋本龍太郎首相だったんです。「チキショー」とかいいながら、「できない」とかいうわけです。一年で六十三兆円ですから。アメリカに泣きを入れました。「ごめんなさい。十年で六百三十兆は無理です。せめて十三年でやらせてください」と。この辺が情けないですね。六百三十兆です。十三年で割ると、一年間で四十八・五兆円になるんです。九〇年代半ばから、日本の公共事業費は五十兆弱です。九五年にもう一回五十兆超えていますけれども、五十兆弱のラインは、アメリカとの公約と完全に一致するわけです。
つまりこの日本が,社会保障に金をださない,消費税増税だというのも,こうしてアメリカの経済政策に従属することが、非常に大きな影響を与えているわけです。次がその消費税増税、社会保障切り捨ての問題です。増税についてはいろいろいわれていますが、二〇〇七年度から段階的にあげて、一〇%台は軽く超えるであろうというのが、自民党であったり日本の財界人たちの発言です。その一方で社会保障は切り捨てられていきます。
社会保障の切り捨てについては、新自由主義的改革だというちょっと格好のいい言葉がときどき使われるんですが、私は新自由主義という言葉は、あとでとってつけたゴマカシの言葉だと思います。先にあったのは何か。社会保障費削減なんです。何故ならば、軍事費と公共事業費で金はなくなるからです。なくなるけれども軍事費と公共事業費に金は使いたい。そこで教育は削れ、社会保障は削れ、保育所は民営化しろ、老人ホームは高い金を取れ、介護も国民から金を巻き上げろということになるんです。そうすると国民から反対の声が上がるかもしれない。これを押さえ込むために、資本主義は新自由主義的改革をしないとだめなんです,それが世界の流れなのですと宣伝する。つまり,国民のたたかいを押さえ込むための圧力として、この言葉は使われていると思います。だから,政府自身は、全然,新自由主義的ではないところがいっぱいあるわけです。典型は大型公共事業です。ゼネコンにはアホほど金を放り込むわけです。ゼネコンに対しては、あんた自由だから自分でやりなさいと、決していわないわけです。これは「新自由主義」をご都合主義的に活用することの典型だろうと思います。
その一方で海外に日本経済が進出しているというのを聞きます。これもあとで少し詳しくお話ししたいと思いまず,アジアにはASEANを中心にして、平和と連帯型の共同市場をつくる、あるいは市場にとどまらず共同の社会をつくっていく。別に国家をなくすというわけではないんですけれども、仲良しの地域国家づくりをすすめていこうという話が進んでいます。それに対して日本の政財界がいっているのは、「東アジア自由経済圏」構想というやつなんです。これは何か。アジアの側は平等と連帯です。日本が持ち込もうとしているのは、大国による支配です。日本の大企業がアジアの低賃金労働力をフルに活用して、日本の大企業に利益が上がるようなしくみをつくりたいということです。
政府からもそういう文書が出ていますけれども、文書を見ていてなるほどと思ったのが、東アジアにネットワークをつくり参考事例としてあげられているものが、自動車なんです。トヨタ自動車のアジアにおける最大の拠点がタイにあるんですけれども、こういうネットワークをもっと効率的にしようじゃないかということなんです。そして日本の自動車・電気機械産業が、アジアにいっぱい工場をもっています。次に、そこでつくられたものがどこで売られているのかという問題です。そんなにアジアの人たちはパソコンをいっぱい買うんだろうか。まだ,それほどではないわけですね。つまりそこからどこかに売っているんです。どこかとはどこか。アメリカですよ。ですから日本の自動車・電機産業というのは、日本からアメリカに輸出していると同時に、アジア経由でアメリカに輸出する。さらにアメリカで工場を建ててアメリカ国内でも販売するという、こういうやり方をしているんです。
ですから九〇年代に、日本のアメリカに対する市場依存度は、むしろ高まっています。こういう状況のなかで、対米従属的な軍事大国化、教育の改悪も含めた戦争遂行の体制が整備されています。そしてこういう政策を安定的に行っていくために、二大政党制がもくろまれているわけです。
自民党を中心にしてこういうとんでもない政策をいっぱい行っていったときに、財界が最も恐れているのは、その批判票が日本共産党に集まっていくということです。自民党から日本共産党に飛んでしまうのがいちばんこわいわけです。なぜならば、日本共産党は日本にある政党のなかで、唯一現在の憲法を守るという姿勢がはっきりしている。大企業いいなりでない政治経済をつくるという姿勢がはっきりしているからです。財界にとっては目の敵であるわけです。しかし自民党の政治をこのまますすめていくと選挙で負けるかもしれない。そこで自民党から離れた連中を全部民主でとってしまおうと。そのために昨年あたりから一生懸命自民党と民主党に通信簿を付けて、民主党がもっと自民寄りになれないかと、これは毎年、毎回やっているわけです。そして自民寄りになったらなっただけ、金をくれてやるという作戦をとっています。こうやって財界が政治の再編の正面に出ているわけです。これは裏を返すと、日本の財界の焦りという問題でもあるわけです。
こうやって、今日本でさまざまな、国民生活に圧力のかかる悪い政治が行われているわけですが、この政治の全体を憲法化していく。日本社会の当然で最高のルールにしてしまうというのが、今回の憲法改悪であろうと思います。アメリカ言いなり、大企業いいなりの日本づくりというものを、この国の最高の指針に仕立て上げようということです。
後に自民党の改憲のたたき台を紹介しますけれども、そこでも納得していただけることであろうと思います。
このなかで日本の国民は、自民党や政財界の攻撃に対して、ただ指をくわえて待っているということではありません。みなさん方自身が先頭に立ってたたかわれているわけですが、九条の会は全国どこで講演会を開いてもたいへんな集まりです。やはり今の日本の社会で、「これ以上戦争に足を踏み込んでいくのはまずいのではないか」、「私は必ずしも政治の問題について活発に考えてきたわけでもないし発言してきたわけでもないけれども、でもこの状況はまずいと思うよ」と思う人たちが、九条の会の講演会にいっぱい集まってきています。
私の身の回りでも、おもしろい動きがあります。私の大学でマルクスをベースにして研究している人間は、私一人しかいないわけです。しかし,まわりにはいろいろと政治の問題について意見交換のできる人たちがいます。その人たちのグループに、自称フェミニストたちがいるわけです。誤解のないようにいっておきますが,別に変人の集まりではないですよ。普通に話のできる人たちです。この人たちは、平和の問題は実はあまりピンと来ていないところがあるように思うんですが、二四条改悪の問題、自民党は男女平等をかえなければいけないのではないかという議論を内部でしていますから、そのことにものすごくカチンときている。そんなこと許してなるか。だけどそんなこと許してなるかで、明確な護憲の姿勢を示しているのは、日本共産党と社民党だけですね。そうするとこのフェミニストたちも、二四条をちゃんと守って、それが貫かれる日本社会をつくっていこうとするのであれば、日本共産党と手をつないでいかなければいけないのではないか。こういう状況にどんどんなってきているわけです。ここらあたりは、新しい、やられっぱなしではないのだぞという新しい動きとして、おもしろいところだと思います。支配層の攻撃が,その反撃の新しい力を育てるということですね。
2 「アメリカいいなり」の原点をさぐる
次にアメリカいいなりの原点を探るです。先ほどお話ししましたように、四五年の八月から五二年の四月まで、日本はアメリカに軍事占領されました。長いですよね。七年弱です。イラクをアメリカが占領だといっていますけれども、その期間は一年9ヵ月くらいです。とはいえ、実際にイラク国民は占領されていないですよね。必死で抵抗しています。ところが日本は、アメリカが日本に進駐して真っ先に、大日本国帝国軍隊を解体しますから、まったくの無抵抗で約七年間軍事占領されるんです。長いですよ。その間にどういうことがあったかということです。
一九四五年から四七、四八年くらいまでの間は、アメリカは連合国側の合意であったポツダム宣言を実施しようとします。ポツダム宣言は、日本を戦争をしない小国に作りかえるというものでした。なぜそういうことをしようとしたか。それまでの日本が、天皇の権力のもとで、侵略戦争を四回も繰り返していたからです。
江戸時代に鎖国政策をとっていた日本が、国際社会に再び復帰するのは、明治維新からです。その明治維新からの百三十年の間に、東アジアの国家で、多民族を侵略して植民地をつくった国というのは日本しかないんです。つまり当時の天皇が権力者であった日本というのは、アジアで最もたちの悪い国家であったことはまちがいない。これをなんとかしようということを連合国側は考えたわけです。まず帝国軍隊が解体されました。戦争犯罪人が追及されました。そして戦争に協力した財界人などの公職追放もありました。日本の大企業は、戦争に協力して,これを押し進めたというので、財閥解体ということもすすめられていきます。
実はアメリカが占領していたにもかかわらず、なぜ九条を含む平和憲法ができたのか。それは、アメリカ占領軍が当初、日本を平和の小国につくりあげようという方針をもっていたからです。
憲法が日本でスタートするのが、四七年の五月三日です。その憲法が公布されるのが、四六年の四六年の十一月三日です。この時期はなかなか微妙な時期なのです。アメリカの占領政策が、日本を平和の国家にするという段階から、少しづつそれでいいのかなというふうに、アメリカが考えを変えていく時期なのです。しかしまだ政策が完全に転換される前だったので,九条を含む、国連憲章の内容をよく反映した、非常によい平和憲法が作られたわけです。
ところが、全体としては四七年から四八年にかけて,占領政策の転換がおこなわれます。国内では労働運動が高まりました。民主的な団体が次々に結成されて、運動が始まります。獄中から出てきた日本共産党員たちも活動を始めるわけです。これに対して占領軍は非常に驚きました。自分たちのコントロールが及ばない勢いで民主化が進もうとしている、これはまずいとアメリカは思ったわけです。それで四七年の二月一日の、いわゆる二・一ストですね。日本の労働者達が、日本国中で手をつないでゼネラルストライキをする。国民本位の政治をつくるためにたたかおうとした瞬間です。これに米軍は、銃剣を突きつけてストップをかけていきます。
それからあわせて同じ時期の四七年三月に、アメリカはトルーマン・ドクトリンという外交政策を明らかにします。トルーマンというのは大統領の名前です。ここでいわれた政策の中味は二つです。一つはアメリカに都合のよい世界をつくる。これは公然たる方針です。二つ目は、そのための最大の目の上のたんこぶであるソ連を封じ込める。この二つです。これをマスコミは、冷戦戦略と呼びました。
さてその冷戦戦略を、アジアでも遂行しようとするわけです。アメリカに都合よくアジアを作り替えるという作戦をとる。そうすると地球儀をイメージしていただくとわかるように、アメリカから見るとアジアは地球の反対側です。どうしても出先の基地が必要なわけです。アメリカは最初出先の基地として中国が使えると思っていました。第二次世界大戦で一緒に戦争した味方ですから。ところが毛沢東という人が出てきて、どんどん革命をすすめていくわけです。一九四九年に新しい革命政権ができあがりました。その一、二年前になるとアメリカはだいたい、中国はもう使えないとわかるわけです。そこでアメリカは、一挙に手のひらを返したわけです。ポツダム政権を一方的に放棄します。連合国側四カ国の大国の合意なのですが,これを放り投げました。そして、「俺たちアメリカは今日から日本を平和な小国にするのではなく、アメリカいいなりの経済・軍事大国につくりかえていくんだ」と、こう手のひらを返したわけです。それが四七年から四八年にかけて起こった転換です。
ですからここで、戦争協力者の追放解除が始まります。戦争犯罪人であろうという人たちが、ぞろぞろと獄中から出てくるわけです。さらに、四八年には、アメリカのロイヤル陸軍長官が、日本の新憲法を改定してくれと言い出した。つまり日本をアメリカいいなりの軍事大国に仕立て上げていくためには、九条がじゃまだということです。前の年に、自分たちが中心になってつくった憲法を、一年経ったらもう間尺に合わないからかえてくれというわけです。この辺にもアメリカの自己中心主義の精神がよく現れています。
そのなかで、アメリカ言いなりを条件として出てくる戦前支配層がいっぱいいるわけです。代表選手は岸信介です。若い方は聞いたことがない,年輩の方はよく知っているという名前です。四八年に巣鴨の拘置所を出てくるわけです。なぜ岸は捕まっていたというと、41年12月8日にパールハーバー攻撃をした瞬間の大臣なんです。ですからアメリカ・イギリスに対して戦争を開始した瞬間の最高責任者の一人なんです。このときの首相であった東条英機は、捕まって裁判にかけられて処刑されています。しかし,同じくらい責任があるであろうと思われる岸信介が、無罪放免で出てくるんです。ここには,時期の問題があるんです。東条英機は、占領政策前半の段階で裁判にかかってしまった男です。岸信介は、アメリカが占領政策を転換してから裁判にかかる手はずだったので,それで出てくることができたわけです。このときに巣鴨の拘置所から一緒に出てきたのが、小佐野賢治と笹川良一なんです。戦後右翼の代表選手です。しかし日本の右翼には特徴があります。決してアメリカにたてつかないという特徴です。
なぜ岸を拘置所から出したのか。アメリカはちゃんと理由を示しています。戦後の日本をアメリカ好みの反共国家に仕立て上げるには、この男は役に立つという評価をして、岸を外に出しているんです。出された岸は、その後自民党から一九五七年に首相になります。若い方は初めて聞くという話かもしれませんが、侵略戦争を行った最高責任者の一人が、戦後になって平然として首相になっていくんです。日本の戦後というのは,そういうことのあった国なんです。
あわせて重大な問題は、戦前の社会のなかで、絶対的な権力者であった昭和天皇が、一切の戦争責任を問われなかった,さらに戦後も国民統合の象徴として、法的な地位を維持し続けたということです。これは日本の支配層や、アメリカの思惑などがいろいろあったわけですけれども、あわせて私たち日本の市民も、よく考えてみるべきところだろうと思います。どこまで私たちは、あの侵略戦争が、日本人がひどい目にあった戦争というだけではなくて、アジアの人間たちを苦しめた、加害者としての戦争であったのか、ここに充分に思いがいたらなかったという弱点があるのではないかと思います。第二次世界大戦で亡くなった日本人の数は、三百十万人です。アジアの人たちは二千万人亡くなった。そういう悲惨な状況をつくったのは誰だったのか。侵略したのはこの日本だったんです。それを指揮した、それを始めた最高責任者は昭和天皇です。しかしその昭和天皇の戦争責任を追及するだけの力を、第二次世界大戦直後の日本の社会は,まだもっていなかった。追及する人はいたが,それが社会全体の合意になる状況ではなかった。
さらに、アメリカは逆コースといわれましたけれども、平和をつくるというコースではなく、アメリカいいなりの軍事大国にしていくというコースをすすめます。軍事力を再建していきます。大学の学生のなかには、中学、高校で日本史をちゃんと勉強していない,あるいは勉強したんですが、明治維新で終わりましたという人がとても多いんです。近現代史をちゃんと教えられていないのです。そうすると今紹介した侵略の歴史も知りません。知らないですから、韓国へ旅行へ行ったときに,おじいさんおばあさんで日本語ができる人がいてびっくりします。なぜ,そういう人がいるのかがわからないわけです。植民地支配をして日本語を強制したのだと。小学校の教育から朝鮮語を奪い取ったのだということを知らないわけです。
もう一つ知らないことの重大問題は,占領の歴史です。日本は今アメリカの仲良しみたいにいわれているけれども、日本中に三十万から五十万という米軍が来て、北海道から沖縄まで全部占領されたんだと。イラクにいる米軍が今十五万ですから、その二倍から三倍の米軍がイラクよりずっと狭い日本にぎっちりと並んでいたわけでしょう。そうやって戦後の日本をつくりあげました。それをきちんと教わっていません。学生のなかには,自衛隊というのは第九条に基づいて日本政府がつくったんでしょうという人もいます。こんな発言が出てくるのは、ほんとうにおとなの責任ですよね。ちゃんと教えてあげていないおとなの側の責任です。
四五年に大日本帝国軍隊が解体されました。職業軍人は全部解雇されました。武器は全部取り上げられました。しかし今,日本には自衛隊があります。その出発点はどこだったのか。一九五〇年の朝鮮戦争なんです。五〇年はまだ日本をアメリカが軍事占領しています。北が南に攻め込むという形で朝鮮戦争が始まりました。ソ連が背後にいました。中国も北に義勇兵を出して、応援します。南側には国連軍という名前で、しかしアメリカが中心になった軍隊が行きました。どこから行ったのか。日本から行ったんです。日本の占領をしていた最高責任者のマッカーサーが、朝鮮戦争でも最高指揮官です。出かけて行くときにマッカーサーは、こう言っていたんです。当時日本に政府がありました。アメリカの占領支配の下請期間ですけれども。吉田茂という人が首相でした。マッカーサーは言ったんです。「これから米軍は韓国へ行って来る。戦争をしてくる。だが心配なのは、その間に日本国内で反戦運動が高まらないかということだ。今の日本政府はこれを押さえることができないだろう。だから治安維持部隊をつくれ」といったんです。「治安維持」です。いちばん最初は。
つまり誰が標的であったのか。日本人なのです。このために、まず警察予備隊というのが五〇年につくられるんです。七万五千人の部隊です。これは大日本帝国軍隊をクビになった職業軍人が相当数もどってきているといわれました。そして彼らに誰が武器を与えたのか。日本政府はもっていないです。米軍が与えたんです。彼らはどこで訓練されたのか。米軍キャンプです。ですから当時のアメリカの週刊誌は、この警察予備隊というのは星条旗をまとったアジアの軍隊だと言っています。つまり顔はアジア人なんだけれども、あれは米軍なのだという、そういう扱いです。
五二年に、この警察予備隊が保安隊という名にかわります。日本のお役所で保安庁というのがつくられました。そしてさらに二年が経ちました。五四年、自衛隊という名前にかわるわけです。ですから先ほどの学生の思いこみとはまったく違って、自衛隊は誰がつくったのか,米軍がつくったんです。自衛隊は何のためにつくられたのか,アメリカの戦争を応援するためにつくられたのです。
次は,アジアに日本が戦後再登場するときというのはどういうものであったのかという問題です。五一年九月にサンフランシスコ講和条約が結ばれました。講和条約というのは、それまでの戦争状態を正式に終了して,今後はお互いに自由に行き来ができるようにしましょうと国交を回復するための会議です。この会議に、日本を含めて五十五カ国が招請されました。招請の中心に立ったのはアメリカです。アメリカが助言を受けたのはイギリスです。ともかくアメリカが中心になって五十五ヵ国を呼びました。ところが南北朝鮮と中国は呼んでいないんです。これは妙な話です。日本が三十五年間植民地支配したのは朝鮮半島全域です。三十五年もです。ヒトラーがヨーロッパで悪いことをしたといっても、いちばん長くてポーランドの六年間の侵略なんです。六倍です。三十五年間。植民地支配の初日にうまれた子どもが、最後は三十五歳になっているわけです。その間ずっと,やれ宮城遙拝だ、皇居に向かって毎日頭を下げろ、私たちが日本国民だという文書をいつも読め、天皇の写真に対して頭を下げろ、日の丸に対して頭を下げろ、日本名に自分の名前をかえろ、こういう支配をしてきた相手を、この会議に呼んでいないんです。
三十五年よりもっと長く植民地となっていたのは台湾です。当時は中国です。当時の台湾はまるっきり中国の一部ですから,別の制度や国だったわけではないです。日清戦争に勝った日本が台湾を取り上げたわけです。五十年間植民地です。さらに中国本土を十五年間侵略します。南京大虐殺も、日本の歴史研究者の研究で、十数万から二十万近くの人間を、わずか二、三ヵ月がかりで殺している。組織的な抵抗のできない人間が、約五十万の人間が、南京城にいたんですが、これを次々と殺していった。こういう虐殺を日本はしているんです。ところがその中国に日本は謝らない。南北朝鮮にも謝らない。会議に呼んでいませんから。アメリカの思惑です。北朝鮮は社会主義をめざしている。中国は社会主義をめざしている。日本よ、おまえは資本主義大国のアメリカの子分として生きなければならない。したがって朝鮮や中国に対して謝る必要はない、賠償をする必要はない、こういう会議を設定するわけです。
さらにアメリカは日本を経済大国として成長させようとしています。そのために、アジア各国に対する賠償をさせないんです。最初アメリカが出した案は、賠償は一切受け付けないという案なんです。講和条約の内容がです。これに対して当然アジアから大ブーイングが起こるわけです。それに対してアメリカが譲歩しました。譲歩して、ちょっとだけ賠償するというふうにして、講和条約が結ばれるんです。結局正式に賠償が行われたのは四ヵ国だけです。ビルマ――日本が押しかけていって石油を奪ったところです。今のミャンマーです――、フィリピン、インドネシア、そして南ベトナムです。この四ヵ国以外に日本は正式には賠償していないんです。戦争で,すみませんでした。これがお詫びのしるしですって、何も出していないんです。「経済協力」などのごまかしはありましたが,日本は戦後、こういうアジアへの再登場のしかただったんです。日本がアジアから怨まれていたり、警戒されていたりするのは当然なんです。
南ベトナムだけに賠償したというのは意味がありました。ベトナムでは日本が百万とも二百万ともいわれるベトナム人の餓死者を出しているんです。日本の軍隊は食糧をもって出かけませんから、全部現地のものを奪い取ってくっていくという戦争のやり方で、それで北部ベトナムで百万とも二百万ともいわれる人間が餓死している。ほんとうだったら北部にいっぱい謝らないといけないですね。ところが、南北に分けられたベトナム戦争がありました。南をアメリカが占領していて、アメリカの傀儡政権がつくられていました。その南にだけ日本は金を渡すわけです。これはアメリカいいなりの最たるものです。こうやって自分が被害を与えた北には謝らないで、アメリカにだけはいい顔をするという形で、賠償がわれました。この会議に招請されていたインド、ユーゴ、ビルマは欠席しました。講和条約の内容がおかしいということです。とくに中国が呼ばれないのはどうしてだということで欠席しました。ソ連、ポーランド、チェコは会議には出席しました。そして植民地問題を清算するべきだという発言をしますが、アメリカによって拒絶されました。その結果、この三カ国はサンフランシスコ講和条約には調印しませんでした。
さて調印式があったのは九月八日ですが,この九月八日の夜、こっそりと日米間で会議が行われ、安保条約が調印されます。旧安保条約というやつです。ですから、アメリカはサンフランシスコ講和条約で、日本をいわゆるアメリカ中心の親米グループサイドに取り込みました、さらにその夜の会議で、日米安保条約を結び、いちおう講和条約によって日本は形式的には独立国になるのですが,たった五ヵ条の旧安保条約の目玉は、アメリカに軍事基地を提供しますというものですから、それまでの七年間の全面占領状態を、事実上温存できる状態をつくったわけです。ですから今日も、百三十の米軍基地が日本にあって、戦地以外では最大の外国駐留部隊が日本におかれているわけです。
五一年になると、アメリカのアジア支配に奉仕する日米経済協力も開始されます。アメリカは先ほど紹介しましたが、日本を経済復興させるためにアメリカに輸出しろといいました。輸出しろ、その分ドルをアメリカが払ってやる,これで復興しろと。でも日本は植民地を失っていますから、原材料も何もないんです。それまでは植民地からのただ取りでした。では,原材料をどこから買うか。これをアメリカが指定するんです。東南アジアから買えと。なぜなら、東南アジアでは民族解放闘争が起こっている。タイを除く九ヵ国が全部植民地でしたから、全部独立のたたかいをしているわけです。そして,独立する国が社会主義をめざしていくのか,それてもアメリカ型の資本主義によりそうのか,そこの天下分け目の状態だったわけです。
そこでアメリカは、「日本よ、東南アジアはおまえがこのドルでものを買ってやれ、そして金で東南アジアを日本、アメリカに引きつけておけ」と,こういう経済協力が行われるわけです。日米経済協力というのは、必ずしも日本とアメリカだけの経済協力ではないんです。アメリカの戦略を日本が肩代わりする、代行していくという経済協力です。
さらに忘れてならないのは,サンフランシスコ条約が、沖縄の切り捨てを内容にふくんでいたことです。沖縄も琉球王国として,一八七九年まで、独立した国家だったわけです。明治時代の日本が、アイヌと琉球をまず支配します。北と南です。そして、列島全体を支配した上で朝鮮に出ていくという、こういう順番で出ていくわけです。しかし,一度は支配した琉球を戦後はアメリカの軍事基地として手渡すわけです。七二年まで沖縄の人たちは、サンフランシスコ講和条約が発効した瞬間から、ずっとアメリカの軍政下におかれました。
五五年、憲法改正のために自民党が結党されます。実はこの憲法の条文を書き換えようという策動が、五三年の鳩山内閣からすでに始まっていました。自民党の結党は、自由党と民主党がひとつになるという形で行われました。なぜそれを必要としたか。憲法をかえるためには、国会の中の三分の二の合意が必要なんです。その三分の二を取るために自民党はつくられたわけです。ですから、自民党は最初から憲法の条文を書き換えるためにつくられた政党なんです。私は自民党の議員なんですけれども護憲派ですというのはウソなんです。そんな人間は絶対に自民党になんか入らないんです。この自民党をつくるために、日本の財界だけではなくて、アメリカのCIAが金を出していたというのも明らかになっています。
五七年に岸内閣が成立します。自民党総裁として岸は首相になるわけです。岸内閣は大きなたくらみを二つもちました。ひとつは日米安保条約を改定する。新しくつくりかえる。なぜつくりかえるか。前の日米安保条約を作ったあとの五二年に、自衛隊ができているんですよ。着々と強くなっている自衛隊があるんです。この自衛隊と米軍が、セットになって戦争するというふうにかえようじゃないかということを、アメリカもいうし日本もそれにのっていくわけです。これが六〇年の安保改定です。あわせて岸内閣は、六〇年に安保改定をしたあとに、憲法の条文を書き換えようという、そういう政治スケジュールをもつんです。
そして六〇年、日米安保条約の改定が行われていきます。この改定のときの日本国民の闘争は激烈です。五百万人を超える集会が全国で何回も繰り返されます。国会をとりまくような大統一行動が二十回以上も行われています。実はこの動きは、安保のときに初めて起こってきたのではありません。サンフランシスコ講和条約のときに、やはり天下分け目の大決戦があったんです。政府がアメリカ側だけと仲良くしようという道をとった。これは「単独講和」とか「片面講和」といわれました。一方の側とだけ仲良くする。それに対して日本国民のなかには、あるいは私たちの運動の先輩たちには,「全面講和」をかかげる人たちがいた。戦争をしたすべての国とちゃんと仲直りをしないとだめだということで、この二つの道の争いがあった。
残念ながら,その瞬間には勝てませんでした。しかし全面講和をめざした人たちが、あらためて六〇年安保闘争にもう一度立ち上がってくるわけです。すごい数です。最大時のデモ・集会参加者は1日で五百八十万人です。もちろん一ヵ所に集まれる場所なんてないですから、日本中のあちこちに散らばって行われるわけです。イラク戦争がはじまったときに,イラク戦争でヨーロッパやアメリカでは、何十万人、百万人のデモがあるのに、日本という国には起こらないんだよねという声がありました。しかし,日本にはそういう大きな歴史的たたかいがちゃんとあるんです。五百八十万です。そして、この闘いで安保条約の改定を阻止することはできなかったんですが、日米支配層は非常に大きなショックを受けました。つまり憲法改正はできないという判断をしていくんです。条文を書き換えたら、自民党の政府がもたなくなるかも知れない。ですから六〇年代以降、日米政府は、解釈改憲路線に萎縮していくわけです。萎縮させたのは、私たちの先輩たちの取り組みです。この会場におられる方も、「若い頃にたたかったぞ」という方もおられるかもしれないですけれども、そういうたたかいの成果です。
実はこのような侵略と支配を反省しない政治家たちというのは、今日まで政治の中心で生き延びています。たとえば麻生太郎、これは発言したときには自民党の政調会長でしたが、「創氏改名は朝鮮人が望んだ」といいました。創氏改名というのは、氏を創って名前をかえると書きますが、日本は植民地支配した朝鮮人を三八年から日本の兵隊に入れ始めるんです。ところがそのときの日本の軍隊は、政府の軍隊ではなくて天皇の軍隊ですね。その天皇の軍隊のなかに、「金」さんとか「李」さんとか朝鮮人の名前が入っているのは許されないということで、それで日本名にかえさせていくわけです。
ところが名前をかえさせられるというのはえらいことですよね。明日から木村になれとか田中なれとかいわれても、急にはなれないわけです。それで朝鮮の人たちも、ものすごく抵抗しました。命がけの抵抗をするんです。それを麻生太郎、今の総務大臣は、これを朝鮮人が望んだんだと平気でいうわけです。
かつての戦争を大東亜戦争だといって肯定する教科書もあります。「新しい歴史教科書をつくる会」がつくっている教科書です。この教科書を初めて検定にパスさせたときの文部大臣が,町村信孝という人です。いまの日本の外務大臣です。大東亜戦争を肯定する教育を良しとするような男がこの国の外務大臣なんです。アジアから相手にされるわけがないです。六〇年前に二千万人の人を殺したのは、その戦争ではないのかといわれたときに、あの戦争は正しかったのだという国家の政府が、アジアで仲良しになれるわけがないんです。
日本と中国は、三年間首脳外交がありません。これは明らかに日本の側に非があるわけです。 小泉首相は靖国神社に「公式参拝」をしています。靖国神社というのはご承知のように、大東亜戦争のために死んでいった人間はまつられていますが、天皇のために戦場へ行って命を落としたのでない人間はまつられていません。広島の原爆で殺された日本人はまつられていないんです。小泉首相はあそこに行くときに、戦争の被災者に感謝の意を表すのは当然だみたいなことをいいますけれども、被災者たちではないんです。原爆で殺された,多くの空襲で殺された人たちは入っていないんです。戦争で、天皇のために命をなげうったという人たちだけをまつってあるのが靖国神社なんです。そこへ現在の日本の首相が政府を代表することを意味する「公式参拝」を行うというのは、いったいどういうことかということです。
九三年に自民党が「歴史・検討委員会」という会議をつくっています。これが九五年に、『大東亜戦争の総括』という本を出しているんです。結論は四つあります。①大東亜戦争は侵略ではなく自存・自衛の戦争で、アジア解放の戦争である,②南京大虐殺、慰安婦などの加害はでっち上げである,③ありもしない侵略加害が書かれてある「教科書のたたかい」が必要である,④そのために学者を使って国民運動を展開する必要がある。これが九五年です。そして九六年に産経新聞で自由主義史観のキャンペーンが始まります。そして九七年一月に「新しい歴史教科書をつくる会」の発足です。一直線にみごとにつながっているわけです。
さて、「歴史・検討委員会」には、百五人の自民党議員が参加しています。百五人のなかには,先ほど紹介した二人以外に、現職の大臣が五人いるんです。谷垣禎一、南野知恵子、尾辻秀久、中川昭一、細田博之。他にも自民党の有力者として、橋本龍太郎、安倍晋三、古賀誠、鈴木宗男、額賀福志郎、平沼赳夫、森喜朗、片山虎之助等がいます。つまり現在の自民党の中心部分は、みんなこんな考え方だということです。侵略戦争をちゃんと反省して戦後をつくることができなかった日本社会の現実が、ここによく現れているわけです。
ドイツは政府自身が繰り返し以下のような発言をしています。ヘルツォークという当時の大統領が、大戦終結五十周年の式典でこう言っています。「多くの国民の罪のない人びとに対して、大虐殺をおこなったのはドイツ人である。ドイツ人は今日でも、むしろ五十年前よりももっとはっきりと、自分たちの当時の政府や、自分たちの父親の多くが、大虐殺に責任があり、ヨーロッパの諸国に破滅をもたらしたことを知っている」。非常に明快です。
これをいうのは勇気がいると思うんです。私たちの父親は虐殺者だったといっているんですから。だけどそのことを忘れてはならないというんです。「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に最初加わっていた小林よしのりという漫画家は,われわれの運動に対して反論するときに、「じっちゃんの悪口を言うな」といっていました。戦争で命をなげうったおじいさんの悪口を言うなと。しかしドイツのヒトラー政権でも、同じように戦争のために命をなげうたざるをえなかった国民たちはいっぱいいたんです。ですがドイツの政府は、それは侵略であったということをちゃんと認めているわけです。
続いてシュレーダー首相の発言ですが、「なによりも、過去の犯罪の繰り返しをこれからのあらゆる時代を通じて阻止する、その目的でこの歴史の記憶を持ち続けることが重要なのだ」と,こういっています。あいまいにしてはいけない。記憶を持ち続けるですから、子どもたちにちゃんと伝えていかなければならないということです。
先日中山という大臣ですが、文部科学大臣ですね,最近の教科書から従軍慰安婦問題が消えてよかったですねと発言していましたが、まったく姿勢が違いますよね。現在のドイツはヨーロッパで、フランスと並んでEU統合の中心に立っているように,ドイツはヨーロッパ各国から信頼される国家ですね。日本の現状はアジアでどうでしょうか。アジアに友人のいない国家ですよね。もうなんとかしてどこかに友人がほしいと思って、太平洋の向こう側をじっと眺めているわけですが、アメリカは日本のことを子分としか思っていませんから、ということは日本はアジアだけでなく,世界に友人がいないではないかということになってしまうわけですよ。
3 自民党による憲法「改正」案のポイントは何か――「憲法改正草案大綱(たたき台)――『己も他もしあわせ』になるための『共生憲法』を目指して」(二〇〇四年十一月十七日)より)
次に,自民党の憲法改正ポイントです。このたたき台というのは、まだ「第一条……」「第二条……」という形にはなっていないです。たたき台は自民党の内部論議で合意にならなかったようですが,しかし,自民党中枢部の考え方を示したものであることにはかわりがありません。彼らがどういう日本をつくろうとしているかを,リアルに知っておくこと,これを語っていく力を身につけることはとても大切です。
まず,1つは,天皇の地位強化です。「天皇は日本国の元首であり、日本国の歴史、伝統及び文化並びに日本国民統合の象徴……」と続いています。「元首」というのは常識的には、対外的に国家を代表するものなんです。これは明らかに国民主権を踏みにじる、あるいは軽視する方向へ行くものです。それから今見た文章のなかで、「日本国の歴史、伝統及び文化の象徴」と出てくるんですが、ほんとうに日本の長い歴史のなかで、ずっと天皇家は文化の象徴だったんだろうか。そんなことはないです。先日も日本の歴史学者の書いているものをちょっと見たんですが、天皇家というものが日本の権力の中枢にいたのは、古代の百年間くらいと、あとは一九世紀と二〇世紀の前半だけだというんです。そんなものに日本全体の、歴史や伝統を代表させることはできないんだ、それは事実認識としてまるでまちがっていると書いていました。
2つは,基本的人権の軽視という問題です。「我が国は、法の支配に服し、法秩序の至高の価値である『個人の尊厳』を基本として、自立と共生の理念にのっとり……」と出てくるんです。社会保障の話をしているんです。ところが,それがまずは自立だと。国家責任とか公的責任というのはここには登場してこないんです。憲法二五条の生存権規定のところには、第二項で「国は……」とはっきり書いてあるんです。国がこの原理を保障する主体ですとはっきり書いてあるんです。それを曖昧にするための道になるわけです。
それから,3つ,生存権の権利性を軽くするということが明示されています。生存権は「『基本的な権利・自由』とは異なり、『権利』性が弱く……」となっています。そして「たとえば二五条の生存権規定などについてもこの節の中に位置づける」と書いてあるんです。つまり権利性を低めると、はっきりいっているんです。これは今やっている自民党の政治そのままです。竹中平蔵氏は社会保障のことを、タカリだといっています。本に繰り返し書いているわけです。それは日本国民、首の据わらない赤ちゃんから寝たきりになってしまっているおじいちゃんおばあちゃんまで、すべての国民に保障されている権利であり、国家がそれを守るんだといっている二五条の理念を、まったく理解していないわけです。その理解を完全に覆す方向に、こういう具合に憲法を書き換えようというたくらみがおこなわれているわけです。
4つは,教育の問題です、「我が国の歴史・伝統・文化を尊重し、郷土と国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を涵養することを旨として……」というのは、教育基本法の改悪と非常によく似た脈絡になっています。そして、「愛国心」を明記するかどうかについては、教育基本法改正の動きと関連して判断する、つまり教育基本法に入れられそうだったら、憲法にも入れようということです。この愛国心などの問題は、後の自衛軍をつくる,アメリカとの集団的自衛権をつくっていくというところにつながっていきます。
5つは,「企業その他の私的な経済活動は、自由である……」とあえていっています。今も大企業は,相当やりたい放題やっていると思いますが、これは要するに企業の社会的責任を問うというとりくみに対する反撃です。社会的責任うんぬんをいう前に、企業の営業というのは自由なんだというのが、彼らなりの巻き返しです。
6つは,集団的自衛権の確立の問題です。「日本国民は、自衛又は国際貢献のために武力の行使を伴う活動を行う場合」というのが出てきます。まず自衛の枠を超えています。国際貢献のために武力行使するというふうにはっきりいっているわけです。そして,国際貢献というのは何ですか。誰が判断するんですか。それは今の日本の政府の実際からすれば、アメリカの判断ですね。イラクへ自衛隊が行くのも国際世論の圧力があってのことですというわけですから。これは国連の合意に基づいてということではまったくないということです。
また「(集団的)自衛権を認める」とはっきりいっています。「集団的」の集団というのは、「日米」ということです。アメリカの介入戦争に日本が自動的に追随するということです。実は昨年末に日本の小泉首相は、アメリカのミサイル防衛戦略に荷担するという発言をしています。これはどういうものかというと、こういうことです。こっちにアメリカの基地があります。世界中のどこからミサイルが降ってきたときに,下からミサイルを打ち上げて全部撃ち落とします。これがミサイル防衛政策です。ところが当たらないんです。いくら実験してもあたらないんです。ミサイルは横から見れば十メートルくらいありますけれども、落ちてくるときは点ですから。下から点を撃っても当たらないわけです。そこでアメリカは考えたわけです。ミサイルは落ちてくる瞬間がいちばん速い。ここで落とそうとすることに間違いがある。発射された直後に落とせばいいのだと。このように発射がもしアジア地域であったなら、ブッシュは中国を敵視していますから、日本よ、おまえはすぐそばにいるんだから、そこで落とせと。これがアメリカのミサイル防衛政策に加われということです。
ところがミサイルが、万々々が一アメリカに向かって飛んだと、その瞬間に日本が撃つ。それは国際法上,ミサイルを発射した国への宣戦布告なんです。つまり日本は攻められていないわけですが、わが日本は日米という集団のなかに入っており,その片方であるアメリカが攻撃されたときに、日本は自動的に集団全体の自衛の行動に出る。これが集団的自衛権の姿です。これを認めるというふうにいっている。さらにこれは,防衛だけでなく,アメリカが戦争を始めたら,もうどこでも日本は出ていくよということなんです。グローバル・パートナーシップというものの「憲法」化ということです。
7つは,緊急事態のときに「基本的な権利・自由は……制限することができる」とあります。あまり詳しく書いていないですが、ありうることとしては、戦前のように反戦平和運動をする権利を奪い取るということです。戦争に反対する人びとの集会・結社の自由を制限する。こういうやり方です。戦争なんだからどこでもそうするんじゃないかというと、そんなことはない。たとえばベトナムの解放戦争と、最初に敵国として闘ったのはフランスです。インドシナはフランスの植民地でしたから。フランスは一九五四年にベトナムから手を引くんです。手を引く瞬間は何が原動力だったか。もちろん独立のために闘ったベトナム人は最大の原動力です。しかしフランス国内で、反戦平和運動が起こって、首相のクビがすげかえられるんですよ。戦争継続派のラニエルから、戦争終結派のマンデス・フランスに。ベトナム戦争をやっている最中はフランス国内ではちゃんと反戦運動も自由にできるという状況になっていたわけです。先進国ではそれは当然ですよね。だって戦争をするかしないか、継続するかどうか,それを判断する主権者は国民ですから。国民自身がいつも考えて、いろいろ議論できるというのは当たり前のことです。
8つは,自衛軍の設置と武力行使についていうと、「個別的又は集団的自衛権を行使する……自衛軍を設置する」と書いてあります。個別的自衛権というのは自分がやられたらということです。それとは別に集団的と書いてあるのは、集団の中の誰か,つまりアメリカがやられたらという意味です。そのときに抵抗するために戦力を持つ。そして「自衛軍を設置する」といっています。また「国際貢献……(武力の行使を伴う活動を含む)」と書いてあります。要するにこれは、日米一体型の、集団的自衛権を行使する、アメリカに従属した軍隊というのを公然と承認しようということです。
小泉首相は何回もいっています。イラクに命がけで行ってくれる自衛隊員を軍人だと呼べないのは気の毒だと。軍だと呼べないのは気の毒だと。ですからそれを憲法にしようということです。
9つは,国会から国民を遠ざける国会改革の構想です。衆議院と参議院両方書かれていますが、衆議院は小選挙区及び比例選挙区から議員を選ぶと書いてあります。小選挙区制を憲法で容認するということです。小選挙区制というのは最も死票が多くて、最も一票の格差が大きい選挙方法だということで、今でも憲法違反ではないかといわれています。それを議論の余地なく合憲にしてしまおうということです。
もう一つなんですが、参議院については国民に選ばせないという提案も入っています。では議員をどういうふうに選ぶかというと、その選出方法は、1つは道州議会による間接選挙です。道とか州という新しい地方自治体をつくるというわけです。地方自治体の議員によって選挙させるというわけです。つまりわれわれは一票入れられないんです。さらに2つめ、これが驚きです。「有識者からの任命」です。誰が任命するのか。それは当然政権党が任命しますよね。政権党が任命するということは、自分に都合のいい人間ばかりを任命するということです。その場合に、たとえば首相や衆参両院議長、憲法裁判所、最高裁判所の長官の経験者などが想定されるのではないかと,自民党自身がいっています。つまり参議院は政権党によって独占するということです。衆議院で何が決まっても参議院でつぶせるということです。つまり政権党に都合のよいことしか決まらない国会にするということですね。
実はこの参議院を国民が選ぶことができないというのは、戦前の帝国議会と一緒なんです。貴族院議員については、皇族と華族――華族というのは徳川時代の将軍家だとか大名の子孫です――です。もう一つは天皇によって任命された議員です。これだけで貴族院はつくられています。これに発想がよく似ていますね。
10番目には,国会欠席の合法化もいわれています。何を考えているのかといいたいですが、「あくまでも定足数は、『議決』時点だけ必要とするものとし、議事を進める際にはこれを要しない(つまり議長と発言者さえいればよい)」。これは自民党が自分で書いたものです。おまえたちはなんのために給料をもらっているんだという状況です。なんのための代表者だという感じです。
11番目は,憲法改正手続の簡略化という問題です。ここでは一番目に「各議員の総議員の過半数の賛成で」となっています。今の規定は三分の二です。これを過半数でいけるようにする。そして「これを国民投票に付し、その有効投票数の過半数による承認」でいいというふうになっています。そして二番目に、「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、憲法改正案を可決」した場合、これは国民投票にかける必要がないとなっています。そして一つ目の方法と二つ目の方法を、憲法の条文ごとによって割りふっています。二つ目の国民投票をしなくていいというのは、「第五章・統治の基本機構」「第六章・財政」「第七章・地方自治」「第八章・国家緊急事態及び自衛軍」「第九章・改正」です。軍隊についての改正も、国民投票なしで、国会で三分の二の同意があったらかえられるようにしようというものです。ほんとうに財界・アメリカいいなりの,もう少しいえば独裁的な国づくりが、この憲法によってすすめられようとしているわけです。
4 憲法の精神を本当にいかした社会をめざして――守りでなく建設と革新のたたかい
これに対する私たちのたたかいは、ただ単に自民党の、あるいは政財界から出てくる、あるいはどうも軍部からも出てくるみたいですけれども、改憲案に対して批判するだけではだめなんです。私たちが日本国憲法を守ろうというのは、日本社会の現状が今のままでいいという意味ではないからです。日本国憲法がめざしている社会というのは、もっとはるかにすばらしい社会なんだ,そのすばらしい日本に向けた民主的な改革をすすめるためにこそ憲法は、守っていかねば,生かしていかねばならないんだ,こういう角度からの憲法論です。社会改革論とむすびついた憲法擁護論です。これを語る必要があるわけです。
そのためにも,憲法の中身を良く知らねばなりません。少しだけ紹介しておきます。まず平和の問題です。
前文には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」とあります。侵略戦争を四回繰り返して,それをろくに謝りもしない日本が、いまこの文章を放棄してどうするんだということです。この文章を堅持してこそ、ほんとうにアジアと仲良しになれるわけです。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」。つまり強い軍隊をもつことによって日本の平和を守ろうとするのではない。アジアや世界の人びとを信頼し,また信頼される国家になることによって、日本の平和を守るのだということです。「我らは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。第九条は戦争の放棄と,それを保障するための武力の放棄です。
この点では,北朝鮮があぶないのにそんなことでいいのかという声が良くでます。しかし,戦後の60年の日朝関係のなかで,今日ほど関係が悪い時期もめずらしい。なぜそうなったのか。1つは,ソ連崩壊後のアメリカによる「ならず者国家」論です。ここで北朝鮮が名指しされ,北朝鮮もまたアメリカとのいわば臨戦体制に入ります。さらに,そのアメリカの方針にしたがって,96年には日米安保条約の再定義が行われる。こうして北朝鮮を「ならず者」として敵視する日米同盟の強まりのなかで,北朝鮮は軍事的な冒険主義をつよめるわけです。これをさらに軍事力でおさえこむという方針をもつことはかえって危険です。つまり「自衛軍」への道は,朝鮮問題についても日本の危険を深めることしかなっていかない。
そうではなく,「日本は決して北朝鮮を攻撃しません」「安心してください」という姿勢を示したうえで,互いに懸案の問題は多いわけですから,これを話し合いで解決すべきです。
二つ目に、ゆとりを持って生活できる社会をどうつくっていくかということについても、憲法は非常に豊かな内容をもっています。第一一条では、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」であるとしています。つまりこれより下がってはいけない、戦前のような無権利条件に歴史を後戻りさせてはいけない。国民一人ひとりが主人公の社会をつくるための歯止めになっていくということです。
戦前の大日本帝国憲法では、主権は天皇だけにありました。そして憲法の中には「国民」という言葉はありませんでした。「臣民」でした。これは国語事典で引くと、「家来」と書いてあります。全国民は天皇の家来です。国民がもっている、臣民がもっている権利とは何であったのか。それは天皇が自由に大きくしたり小さくしたりできるものであった。それではいけないといって、今の日本国憲法が、国民一人ひとりが持っている権利を、これ以下に切り縮めてはいけないということをここに明らかにしているわけです。
第一二条では、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」。またこれを「濫用してはならない」としています。自民党がいうような不当な「個人主義」の入る余地はないのです。
第一三条では、「生命、自由及び幸福追求についての国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」となっています。これは社会保障をないがしろにしていこう,それはタカリだという精神とはまったく違っています。
第二五条ですが第二項で、「国は、すべての生活部面について」となっています。子どもたちだって、みんながみんなお金持ちの家に生まれてきたかったわけですけれども、現実はそうはならない。現実にはうちの父ちゃんアル中だったという事例もあるわけです。しかしその子どもは、アル中のお父ちゃんのもとで生まれてしまったから、人権がなくてもしかたがないとはしないというのが、日本国憲法です。その子は小さくても国民です。この子がもっている権利の、生存権の、つまり二五条でいう「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を、国家がこの子に保障しなければならない。それが日本の今ある憲法です。この理念を破壊してはなりません。
二七条は、国民は「勤労の権利」を有するとなっています。勤労の権利を国家は保障しなければいけないのです。それが何をリストラの応援をしているんだ。憲法違反もいいところですよ。とっとと国民の失業率を低下させるために、力を尽くしてリストラを止めて、ワークシェアリングをやって、長時間労働を解決して、過労死を解決し、仕事の口をふやすべきです。また,長時間・過労死労働の解決は、男女が家庭のなかで平等に暮らせる条件をつくっていきます。男性が家事に参加できる条件をつくり,女性がはたらきやすい条件をつくります。そういう社会を、現行憲法はつくらなければいけないといっているわけです。その実現は日本社会の大きな改革につながっていくわけです。
「本当の男女平等の社会」ということでいうと、第24条で「婚姻は両性の合意にのみもとづいて成立し、夫婦が同等の権利を有する」とされています。若い方は当たり前だと思われるでしょう。ところがこの憲法ができる前に、結婚に関する法律として明治民法というのがあったわけです。そこでは,結婚相手は家長が決めるとなっていたわけです。法的にそうなっていたわけです。私この人と結婚したいといっても、家長、これは父ちゃんかじいちゃんですが、それがだめといったらだめなわけです。娘よ、孫よ、おまえはこの人と結婚しなさいといわれたら、絶対服従です。それが法律で定められていたわけですから。それに照らすと、両者の合意だけでできる、父ちゃんじいちゃんが何をいおうとかまわないと、憲法はちゃんと書いてくれているわけです。これはとても大きな変化だったのです。
今自民党の中で、今回のこのたたき台には出てきていないんですけれども、自民党のホームページを見ていると、こういうのが出てくるんです。日本の社会は今乱れている。それはどこから始まったか。ひとつの原因は女が男並みに権利、権利というようになったからだ、これで日本の家庭がおかしくなった、日本の社会が崩れてきたと。情けない人びとだと思いますけれども、こんなことを文書に書いてみんなで議論しているわけです。頭の中は戦前ですよ。侵略戦争を反省しない,頭は戦前型の政治家であり、家族についても戦前型がこびりついているわけです。あらためて感心させられました。ですから、男女平等型ではなくて、男は男らしく、女は女らしく型に、この条文をかえないといけないと、自民党は議論しています。
これにはどんなフェミニストもカチンときます。第24条ひとつだけでも,非常に大きな力の結集が可能だと思います。
最後に,アジアと連帯し、ともに成長する社会づくりの問題です。日本が孤立している国である、世界に友人がいない国であるということを何回もいいましたが、日本の憲法は前文で他国を犠牲にした日本の平和ではなくて、全世界の平和の貢献する責務があると書いていますね。今EUがアメリカ離れをすすめています。イラクから軍隊をアメリカはとっとと返せといっています。そして、同じような動きが、アジアの中で生まれています。ASEAN十カ国を中心にした平和と連帯をつくっていこう、平和と連帯の中でこそ、貧困を克服することができるという動きです。
ASEANは最初に5ケ国からスタートして,いまは十カ国が集まっています。マレーシアのマハティールという、去年の秋に引退しましたけれども、ものすごい策士、戦略家の大統領がいました。彼が中心になって、ベトナム戦争なんかでは、実はアメリカとフランスだけではなくて、アジア人どうしが殺し合っているんですが,それはよくない。東南アジアは絶対平和にしようといって、平和条約と経済的な交流をワンセットにして、ASEANの動きをつくっていくんですね。ところが十カ国集まっても,みんな貧乏だったという問題がありました。辛いところです。そこでアジアの金持ちを仲間にしないといけない、もっとアジア全体に輪を広げよう考えたわけです。
九七年から「ASEAN+3」という会議が毎年おこなわれています。「+3」は中国と韓国と日本です。中国は、実はASEANとの間で、共同市場をつくるということをすでに決定しています。二〇一〇年から一五年にかけて、ASEANと共同市場をつくる。EU型の買ったり売ったりです。これによって経済的な相互依存,持ちつ持たれつが深まっていきます。あなたの国があってのわが国です,ということになっていく。これをASEANと中国はすでにすると決めているわけです。さらに東南アジア諸国連合が提起しているTAC(東南アジア友好協力条約)という平和条約があります。この条約に入ったら、みんな絶対に戦争しないという条約です。軍事条約ではないんです。一緒に戦争する条約ではない。絶対戦争しないという条約です。これに中国はすでに入っています。さらに韓国ですが、年末に入りました。
韓国は、今韓国の国内で、静かな市民革命といわれるような、八七年までの軍事独裁政権の影響を根こそぎとりはらっていくような,かなり根本的な改革がおこなわれています。盧武鉉大統領、この人は血を流した八七年の民主化闘争をたたかった一人なんですが、彼が今大統領です。そして韓国の民主化を進めながら,対外的にはこれからはアジアの一員として韓国は生きないといけない、アジアとのパートナーシップの時代だといっています。年末に韓国の国会は、日本による従軍「慰安婦」問題も、国として解決していくんだという決議をあげました。2005年の今年は日韓基本条約から40年です。それで日韓友情の年だとなっているんです。この友情を中味あるものにするために、韓国からは正しい意味での外圧がかかってくると思います。これにあわせて,われわれは国のなかからこの国を本当に平和の国家に作りかえていく必要があるわけです。
経済的にアメリカから自立していった場合に、日本はやっていけるんだろうかという話がよく話題になります。これはやっていける道を開いていくしかないんですが、開いていくための条件がアジアにどんどん広がっています。中国は十三億人いるんです。今日本と中国は、首脳外交が三年間ストップです。原因は小泉首相の靖国参拝です。政治的に仲のよくない者が経済的に仲良しになれるわけがないんです。ものを買ってもらいましょう、というと日本製品はイヤといわれるんです。日本のサッカーチームが行っただけで、ブーイングを食らうわけですから。俺たち中国はあの戦争で一千万人殺されたというのが、おじいちゃんおばあちゃんたちにはあるんです。そのおじいちゃんおばあちゃんを殺されたんだという、われわれと同じ世代の人もいっぱいいるわけです。その中国が今市場を開放しています。十三億の人間が、ものを買ってくれるんです。仲良しになったならば。我が国がいいものを安くつくりましょう、中国で作れない分は日本にまかしてください、買ってくださいといって買ってもらえる。これは日本の不況を解決していく上でも、非常に大きな力になります。ところがそれができないのはなぜか。政治の交流がうまくいっていないからです。アメリカ言いなりをやめて、日本が積極的にアジアの平和づくりに参加するような国家になっていくならば、日本経済は今の不況から脱却するための新しくて大きな条件を手に入れることができるわけです。もちろんそれは、侵略型・大国主導型のアジア進出ではなくて、連帯型、友好型のアジア進出型でなければいけないんですけれども。
今中国人は携帯電話を四億本もっているんだそうです。四億本ですよ。スケールが違いますね。この人たちが、今にみんなカラーテレビをもつようになる。プラズマテレビになるかもしれない。自動車も買うかもしれない。パソコンもどんどん売れるでしょう。こうなったときに、日本経済の前には新しい市場がものすごい勢いで広がるわけです。それはアジアの人たちの生活向上にも結びつきます。あわせて日本は、アジアに売るだけでなく,安くて良いものを買わねばならない。持ちつ持たれつです。そのための国際的な分業が必要でしょう。
みてきたように,日本国憲法どおりの日本社会をつくっていくということは、日本の現状を容認することなどでは決してありません。いまの日本を民主的にドシドシ改革していくということに他ならないんです。
日本共産党が去年の一月に新しい綱領をつくりました。民主的な変革の段階、民主的な革命の段階というのは、この憲法がきちんと実現される段階なのだといっていますね。文字通り、私たち、みなさん方が科学的社会主義の学問を学びながらイメージしてきた日本社会の変革の展望と、憲法を守ってこれを実現していこうという当面の国民的な運動は、完全に一致するものとなっているわけです。
5 「誰もが政治を考える知恵の豊かな社会」をつくる
最後に、たたかいの具体的方針ということではなく、方針を考えるに際して配慮が必要な問題についていくつか述べます。
まず、「学べ」ということです。憲法の全文をただちに読む、自分の確信とまわりの人たちへの説得力を同時に磨く。現状や政府への批判だけではなく、対案を対置する。これが重要です。日本はこうしていくべきだというのが語れないとだめなんです。これからの日本とアジア、世界のあり方を語る力を身につけていく。それによって投票率四〇%という日本の社会を変えていく。北欧は九〇%に近いです。政治はわからないとか、政治は私に関係ないという人たちに、ちゃんと話をして、市民の政治的教養を引き上げていく、そういうとりくみを私たちはしなければならないわけです。そうすると私たちこそ、何よりも良く学ばなければなりません。毎日一時間の独習を、労働運動、市民運動の当たり前のスローガンとする。
他人の話は三日で忘れる。今日のこの話も同じなんです。一月の八日くらいになるとほとんどの人が、何かおもしろい話を聞いたなあというだけになっていくんです。そして二週間でこのレジュメもなくなっていく。もう思い返すことすらできなくなるんですね。
若い頃は勉強したんだけれどという人がいます。しかし、そんな過去の遺産で二一世紀はたたかえない。毎月二時間の学習会をやったとしても、一年あわせても二十四時間にしかなりません。三百六十五分の一しか勉強してないじゃないかということなんです。ですから組合の学習部が月一回学習をやって、全組合員を動員しましたといっても、そんなことで満足していたら、全然だめだということなんです。何をすべきかというと、全組合員が独習しています、わが組合では全組合員が、毎日ほっといても自分で勉強を積み上げています。この状況をどうつくるかが、学習運動の本当の課題です。組合などの学習教育関係の役割です。
そのなかで独習こそが学習の本道です。集団学習は独習の支えがあってこそ意味が深まります。小さな子どもに毎日六時間も勉強させながら,「世界の平和が」などといっている大のおとなが毎日一時間もやっていないというのはどういうことだ。そういうと必ず忙しいという声がかえってきます。しかし、忙しいといって勉強していなかったら、永遠に世の中はかえられません。戦前のように、本をもっていただけで牢屋に入れられるという社会ではないのです。苦労を突破して学ぶ姿勢が必要です。歯を食いしばって学ぶのです。忙しさに負けず,寸暇を惜しむ。電車で学ぶ、トイレで学ぶ。飯屋で飯を注文して,それが出てくるまでに本を読む。寝る前にも読む。「時間があればおれも勉強するのに」という人は、だいたいは休みの日にも遊んでいます。それはいいわけでしかないということです。
それから、ここも大事なんですが、計画を立てないと勉強はできません。勉強しなければいけないという焦りだけでは勉強はできないんです。したがって自分を勉強させるためのノートが必要です。それはみなさんが日常の活動で使っているノートに書き付けるだけでいいんです。そこで私は今年一年間何をテーマにして何を勉強しようか、そのために当面三ヵ月は何を勉強のテーマにしようか。こういうことをはっきりさせないとだめなんです。何か出てきたら読もうではだめなんです。戦略的に自分を知的に育て上げるという方針をもつ必要があるのです。たとえば若い方が、今日のこの話を聞いて,どうも私は歴史がよくわかっていないみたいだと思ったら、日本の戦前や戦中の歴史について集中的に三ヵ月くらい勉強するんです。そういうふうにテーマをはっきり決めないとだめです。そして、いつでも、いい本が出たら買おうではなくて、本を探しに本屋へ行かないとだめです。そして、本屋を歩き回って、いつも私の机の上には、読むべき本が五冊積まれています。だから,どんなときにも学ぶことの中身について迷いはありません。上から順に読むだけですと、計画にそって明確にしておかないとだめなんです。そうしないと、焦りがあっても実際には勉強はなかなかできません。勉強しないといけないと思っているだけで、一年が過ぎてしまうんです。
独習の激励・促進を、学習・教育運動の本道にする。そのためには,あらゆる会議で、最近何を読んだかということを話題にすることが必要です。学習はいろいろな活動の最優先事項であって,その他の活動の残り時間の仕事ではありません。ビラをまいて会議が終わって演説が終わったら勉強しようかな、これでは永遠に勉強できないわけです。真っ先に勉強の時間を確保しないとだめです。それによって他人を説得する私の能力を高めるから、演説に威力が出てくるし,宣伝活動にも活気が出てくるんです。
それから幹部が学びの先頭に立つことが大切です。「学ばない幹部に指導される集団は不幸である」。以前よく聞いた言葉ですよね。しかし,ただこういわれるだけでは幹部も辛い。ですから組織が考える必要があるのは、幹部の学習に金と時間を保障するということです。ヨーロッパの労働運動の話なんかを労連の人に聞きますと、大きい組合の幹部は年に二週間くらいこもって勉強しています。そのための学習会館のような施設もあるということです。これで労働法について勉強する、組合運動の歴史について勉強する、ヨーロッパの情勢について勉強する。そういうふうにして学んだ人たちが現場にもどってきて指導するから、強いわけです。そのような時間も,勉強できる条件も保障しないで、だた,あんたは幹部なんだからとにかく歯を食いしばれといってもといっても限界があるわけです。ですから、組織としていかに幹部を大切に育てるかということを考える必要があります。未来の幹部についても同じです。
最終的には個人的な野心も非常に重要です。今のままの私で終わってなるものかということです。ですからただちに今日から、帰りの電車の中からノートを広げていただきたい。ましてや今日この場に来たのに、本を一冊も買わないで帰っていったということはあってはならないということです。
若い人たちとのつながりについていえば、一昨年のある授業で経験したことがあります。選挙のときに十九歳の学生たちに、選挙関係の新聞記事を全部切り抜いてきなさいということで、三ヵ月間授業しました。最初は政党の名前もわからなかった学生たちが、三ヵ月で政治通になります。選挙ですから、税制だの財政だの、平和だの軍事だの、全部出てきます。そして議論するんです。結論として,その政党の政策がいちばんまともですかと質問すると、日本共産党だと声があがります。良く学んでいる場合ほど,そこには迷いはありません。政策だけを見たらそうなるしかないんです。よくよく見たら民主と自民とは同じだということになるんです。実際に見ていったら。
ところが、人気投票をすると共産党はいちばんではないのです。ここが政治のおもしろいところです。工夫のいるところです。正しさを主張するだけでは勝てない。過半数は握れないのです。しかし,政治は過半数を取った者によって動かされます。ですから、おれはいつも正しいことをいっているのにみんながついてこないといってたら,もうだめです。
では若い学生たちは、何を理由に共産党はだめだといったか。それは、選挙中ですから、学生たちはビラも受け取ってくるわけです。マニュフェストも受け取ってくるわけです。政治演説も、街頭でやっていれば聞いてくるわけです。その学生がいっていました。民主党の人たちは自分の言葉で,熱意をこめて語っている。民主党という政党は,上から下に政策がおりてこないじゃないですか。現場に二人の民主党の候補者がいたら、二人で全然違うこといっていますよね。それは政党としては,非常に無責任なんですが、しかし候補者本人はどこからもおりてこないですから一生懸命自分で考えているわけですよ。それが学生たちのいう熱意を生むわけです。
よく聞いたら,政策の内容はアホなことをいっている場合が多いですが,しかし,たしかに一生懸命です。若い世代にはそれが受けるんです。じゃあ日本共産党はどうですかというと、ビラを見てしゃべっているといいます。あの人たちはやらされている人たちですねという、こういう評価になっています。つまり自主的に,自分の熱意でしゃべっているのではなくて、誰かにあんたやってこいといわれていっている人たちなんでしょうといいわけです。若い世代は自分の個性がつぶされることを極端に嫌います。それで,個性がいきいきと発揮されていない他人についても敏感なんです。そういう人間がイヤなんです。気の毒であり,かわいそうなのです。洗脳された集団に見えるんです。そうすると、そういう若い世代の特徴を考えると,みなさんの側にも,ビラなんか見ないでしゃべる。自分のことばで,日本はこうしていきたい、憲法はこうするべきだといきいきと,自由に語る力が必要だということです。そうしないと、若い世代にとって魅力ある運動はつくれないということです。みなさん方は、やはり,ちゃんと勉強しないといけないということです。
もう一方で、若い世代とベテランの世代との間で新しい交流が始まっています。年輩の世代からすれば、今の若いやつはわからん、休み時間になったらいつも携帯をかちゃかちゃやっている。髪の色はともかく、耳にも穴があいており,人によってはあごにも穴があいている。おそろしくてしかたがないとなるわけです。しかしそう見える人々でも,ちゃんと世の中でいきている仲間であり,いっしょに社会を考えるべき市民なんです。われわれの世代でさえ、若いときには,Gパンをはいただけで不良だといわれました。髪の毛を伸ばしたら不良、エレキギターを握ったら、もう取り返しがつかない不良だといわれた世代です。でも,それから30年たって,われわれの世代もそれなりに世の中の役にたっているじゃないですか。そこにあるのは年代の違いであり,文化の違いです。それはいつでもあることなのです。
ただ、気を付けないといけないことはあると思います。ひとつは、今の若い世代は、今の日本社会のなかで、最も打ちのめされている世代のひとつだということです。最悪の失業率で、フリーターにならざるをえない。ニートだといわれるような生活のしかたをしないといけない。だってものすごい失業率ですから。そのことでもっとも苦しめられているのは、若い本人たち自身です。それが五十や六十のおっちゃんおばちゃんに説教されたのではたまらないわけです。ぼくたち私たちは一生懸命生きているんです。ちゃんと仕事がしたい、もっといい仕事がしたいし、もっとうまいものも食いたいし、先の見える社会になって住みたい。そう思っているのに,それを今時の若いもんはといわれたらたまらないわけです。
たしかに昔も説教する先輩というのはいたんです。ただいまと昔で違いがあるのは、昔は、えらい人が説教しても,もう一方にはフォローしてくれる年の近い先輩がいたんです。あのおっちゃんは怒っていたけど,でも,あればこういう意味でいっていたんだ、おまえ落ち込まないでもいいからなと話をしてくれたんです。ところが、今,ベテランと若い世代の真ん中がぽっこりと抜けている。そうすると年輩の人が、そんなこともわからんのかと若い人にいったときに,それをフォローする人がいないんです。こうなると,落ち込みっぱなしです。そこから,だからベテランと話をするのはイヤだという空気もうまれてきやすくなります。何よりもそこでは、ベテランこそが,度量を発揮しないといけないです。説教したいことがあっても,それをのどに押し込んで、まずは相手の気持ちをよくよく引き出してあげるということです。
神戸のある大きな郵便局なんですが、こういう経験があるそうです。郵便局の職場も今パートの労働者がいっぱい入ってきています。若い人たちが生活のために、正職がないからそこへ来るわけです。ある職場は、労働組合がちゃんとない。そこでは若いパートの人たちを、こき使いまくるということが起こっている。ですからパートの人たちはどんどん辞めるんです。入ってきては辞めて,入ってきては辞めてということになる。ところが組合のある職場はそうはならない。なぜなら、あんたら若い人らもたいへんだよなというふうに、心の通った交流が組合員との間でできるからです。若い人たちが大事にされます。そして,大事にされた若い人は、ビックリします。今まで案外,家のなかももひとつうまくいっていなかった、学校でもあまり勉強ができなくて、先生によく思われたことがなかった、だけどここの郵便局にいるおっちゃんは、話を聞いてくれた。そういうふうに少しずつですが,気持ちがつながります。つながるから若い人はやめないのです。その関係を大事に思うわけです。その組合ではパートの労働者も、正職と区別せずに組合に入れているそうです。そこから、彼らたちの政治的な成長も始まりかけているそうです。説教から始まっているのではないです。彼ら若い人たちの苦労に、心を寄せるところから話が始まるわけです。
ではベテランとしての力量は,若い世代にどうやって伝えたらいいのか。何より同じ目線で勉強することです。ベテランの人たちも往々にして、若い頃しか学んでいません。最近の政治情勢の特徴はそれほどしっかりわかっていない。最近の理論の動向になるととんとわからない。こういう人が,案外ベテランの経験だけでやっています。でも,そんな遺産では指導はできない。だから,よくわからないベテランと、よくわからない若い人が、同じ目線で勉強したらいいんです。一緒の勉強をつづけていけば,ベテランの味というのはスルメのようにじわじわとでていくんです。あるときこんなことがあってなという話はいくらでもできるわけですから。そうすると、若い人たちは、このおばちゃんおっちゃんは、ただのおばちゃんおっちゃんではなかったんだ、そこそこえらいおばちゃんおっちゃんやったんやということがわかっていくわけです。そうやって心のつながりがいろいろとできていくわけです。そのつながり,信頼感をちゃんとつくりながら,少しずつ突っ込んだ話ができるようになっていくわけです。
いちばん最後に,今日の話についての関連文献があげてありますから,早速、明日からといわずに、今晩からただちに勉強してください。いつもどおりの時間オーバーですが,これで終わりにします。ありがとうございました。
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