元祖(?)鈍才バカ文
・「ゆあがり『ヒネたコゾウ』のれん
・断続的連載「正体見たり『御令嬢』」(№1~3,番外編)
・極秘通信「ヘベレケの紳士」
・ゼミ新聞小ネタ集(石川的日経新聞[仮])
・京都タワーホテルの夜
・戦闘的タワケもの組織・あほ会結成さる!
・9月10日は,ホ・ホ・ホ・ホ・ホ……(3・4年生合同夏休みニュース)
・7月9日,コンパ係「やとり」にあつまる
・独占報道・阪急電車にチョンマゲ現わる
・北島・飯田先生,ゼミのはげしく学びはげしく遊ぶ学生のみなさんへ-合同「電車」宴会のよびかけ(1)(2)
・石川ゼミ同窓会の発足にあたって……1997年3月26日
・今年も秋は,ホ・ホ・ホ・ホ・ホ‥‥1997年8月1日
・極楽スキーへの参加のお願い-なぞのトリップ小僧から内田先生への手紙
・「極楽スキー」で初めて会ったHさんへの手紙
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1997年4月15日「ゆあがり『ヒネたコゾウ』のれん(萬真穂子氏制作)
萬真穂子氏(96年度卒業)の手になるこの「ゆあがり『ヒネたコゾウ』のれん」は,97年2月14日に完成し,後日,石川ゼミ研究室に贈呈された。材料となった「ゆあがり」飴大小の袋は,ゼミ生はじめ研究室を訪れたすべての学生にかけられた「飴食べねばなるまいマインド・コントロール」の所産である。
萬氏は一時期,本「のれん」をもって「卒業制作」とし「卒業論文」にかえるといいはったが,教師の道理ある説得と串カツ屋「嵯峨野」(阪急西宮北口)での串カツ31本の「接待」により丸め込まれた。後日,萬氏は正規の「卒業論文」を作成し,「美学(Ⅱ)」の卒業追加試験をへて「見事に」卒業した。
現在は某火災海上保険(一般職,大卒初任給17万0160円)に勤務している「ハズ」である。
本「のれん」の名称については,これを「ゆあがり『オヤジ』のれん」とするか,「ゆあがり『ヒネたコゾウ』のれん」とするかでの意見の対立があった。しかし「飴食べねばなるまい部隊」へのアンケート調査の結果,「オヤジ」派の20人を,「ヒネたコゾウ」派の27人が上回り,この名称となった。
末永く,石川ゼミ研究室の「お宝」として大切に保管したい。
[解説]研究室には「ゆあがり『ヒネたコゾウ』のれん」がいまも安置されている。この文章は,そののれんを研究室に初めて飾ったときに,あわせて添えたものである。のれんは,当時コンビニで販売されていた「ゆあがり」飴(30袋入くらい?)の大小の袋をつなぎあわせて作られた。材料となる空の袋をつくるために,多くの学生が当時「サティアン」と呼ばれた仮設住宅2Fの研究室でいくつもの飴を食べた。その飴食いの儀式は数か月に及んだものと思われる。あわせて,袋の一つ一つに描かれた「銭湯でグイッと何かを飲み干すうつろな目つきのイガグリ男」が「オヤジ」か「コゾウ」かをはっきりさせるためのアンケート調査も行われた。その結果,男は「ヒネたコゾウ」と判断され,のれんにはこの名称が与えられた。作者の萬真穂子氏は「これは卒業論文にかわる価値をもった卒業制作だ」といいはった。なお,後日発売された「ゆあがり」飴パートⅡには,この男が「沢田なにがし」24歳・趣味スケボーということが明記された。(2000年11月13日)
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1995年4月~12月・断続的連載「正体見たり『御令嬢』」
[解説]これは初代の石川ゼミで,学生たちが発行するゼミ新聞のあいまに趣味的に発行したゼミ新聞番外版である。ボクにとっては初めてのゼミだったので,どういう具合に運営すればよいのか,いや,その前にどういう学生をあつめれば良いのかもわからず,結局,初代の彼ら19人には,ずいぶんとボクの模索につきあってもらう結果となった。成功もあり,失敗もあり,しかし,何となく彼女たちには同じ目線で「いっしょに学び遊んだ」という思いが特に強い。表題の「正体見たり『御令嬢』」は,「神戸女学院は深窓のお嬢様の大学である」というまわりの友人の声が,おそらく99%までは「まちがいである」という驚きと安心の気持ちからつけられた。(2000年11月15日)
「正体見たり『御令嬢』」(№1)
ゼミの運営についての提案,新聞記事の解説,第1回のミニ講義と,やたらと教師ばかりががんばったゼミのあと,フ~ラフ~ラといかにもヒマそうに研究室を訪ねてきたのは運営委員のOとN。6月7日水曜日,時間は午後3時ころのことである。 「なんやヒマなんか?」「うん」。研究室を訪ねたアリバイ程度にゼミ新聞づくりをやったあと,「アハハ笑いのO」は早速テーブルにうつぶして冬眠体制に入った。しかし,生真面目にワープロを打ちつづける教師の姿を前に,すこしは自分が恥ずかしくなったか,そのうち2人は社交館へとデレェ~ッとヒマつぶしにでかけていった。
しかし,もともとこれといった用事をもたない2人にとって,社交館でつぶせるヒマの量もたいしたものではない。まもなくエヘエヘと主人の顔色をうかがう飼いネコのような目をして研究室にもどってくるのであった。 ワープロを叩く後ろで「カシャッ」という音とともにラジカセのテープが終わる。「あっ,音楽が‥‥」と言いつつ,「とっととB面をかけんかい」と目で訴えるのはNである。そのあとしばらく,2人は「アイスクリームが食べたい」とか「この研究室に冷蔵庫はどうしてないのか」などと勝手なことを,働く教師の前で言い合っていた。たいした生徒である。
そろそろ学内集合場所のデフォレストへ行こうかと,教師1人だけがせわしなく片づけをしていると,「コッコッコッ」とドアを叩いてFがくる。「レタスと呼べ」と自己紹介にあったのでFにその理由をきくと,「昔,みんな野菜のアダナがついていて,先輩にはキャベツもいた」という。深く聞くのはやめておいた。 デフォレスト前に集まったのは4人だけ。要するにOもNもFも,誰でも知ってるビッグマンを「断じて知らん」と言い切ったあわれな教師のお守り役であった。
一番混んでる一番前の車両にわざわざ乗り込み,門戸厄神から西宮北口へ。「なぜ一番前乗る,後ろ空いてるのに」と,教師は思わずインディアン言葉できいた。「だって,後ろに乗ると梅田行きの特急に乗り遅れることがあるから」。そう言っておきながら,西北のホームをやけにブ~ラブ~ラとダレて歩くのが不思議であった。
途中,どういう成り行きか,コンパの進行役をKにまかせることが決まった。「Kさんには先生がいってね」。自分のいやな仕事はなんでも教師におしつけるかわいい生徒たちである。
5時20分。全員の集合場所である阪急梅田駅ビッグマン裏に到着。集まっているのは見た顔ばかりだが,みんなゼミの生徒なのだからそれは当たり前のことであった。「ひとあし先に遊んでくる」と梅田の街に消えていたもう1人のFと,数時間後には「宴会大王」の異名をほしいままにする「コンパ進行役」のKが,約束の時間にもどらない。
2人を待つわずかのあいだに,「先生は子どもいるのか」「結婚してるのか」「どうして指輪しない」「年はいくつだ」「どうしてベルトしない」「どうして白のYシャツ着ない」と,まるでリンチのような集団質問攻撃が始まった。 質問に1つこたえるたびに,突然スィッチが入った玩具のように両手を叩き奇声をあげるワーキャー集団は,梅田阪急駅2Fフロアーを圧倒し,われわれを避けて通るお疲れの通勤客のいささか白い目光線をものともせず,逆に天をも恐れぬアタシラにこわいものなんかあるかい真っ黄色光線をドギツクあたりかまわず照射しつづけていた。
「いやあスマンスマン」と帰ってきたF&Kには,もちろん少しも悪びれた様子はない。これで参加予定者の全員が集まり,黄色いオーラにつつまれたワーキャー軍団はすでにしっかりと下見済みのどこぞのコンパ会場への大移動を開始するのであった。
歩きながら「今夜の進行役はキミだ」と御指名されたKは少しも動ぜず,「エ~ッ」という声とは裏腹に,「シメタシメタ」といったニンマリ笑いを顔にうかべ,さらに「先生,子どもが女の子だとかわいいでしょ」「なめるように,なめるようにかわいがってたりして,ワハハハハハ‥‥」と,天下無敵のタメグチパワーを発揮するのであった。
さすがは「宴会大王」である。 (つづく)
正体見たり「御令嬢」(№2)
妙なところに読者がふえてしまった。「続きを書け」「続きを読ませろ」という各方面からのプレッシャーにより,今夜は『伝説・鬼ころし』も飲まずにワープロに向かっている。
「たのしみも 義務となっては シンドイぞ」。マツザキマコトでございます。
場所は梅田のなんやらいうイタリア料理店。10m四方はあろうかというスペースに2つの大テーブルが用意されている。「アハハ笑いのO」がヒマにまかせてつくった座席決定クジの番号にしたがい,各人が席についていく。まだ名前のわからぬ同士もあり,わずかながらの緊張も走る。
しかし,さすがに「大王」はちがう。ありがたいことに私とはちがうテーブルについた「大王」は,店のお兄さんに酒の注文を手早くすませると「みなさ~ん,みなさ~ん」とみなの注目をドン・ガバチョのようにオオゲサに集め。さも嬉しそうに「それでは,わたくし,まことにせんえつながら,まことに,まことにせんえつながら,かんぱいのオンドをとらせていただきま~す」と,すでに一同を完全に従えているのであった。高ぶったその声にはビブラ~トがかかっていた。
乾杯の後,目の前に大皿の料理がならぶ。しばらくして,またならぶ。そのたびごとに,座は水をうったように静まりかえる。酒屋独特のあのやかましいBGMがなければ,いつのまにか木製アコーディオンドアー(?)で他のお客から完全に隔離されていたわれわれの部屋には,カシャカシャ,ズルズル,クチャクチャという食いちらかしの音だけが,不気味に響いたに違いない。皿にのった料理の残量と,となりに座る者の食いちらかし速度とを横目ではかりながらの壮絶な「お食事」合戦である。 腹がふくれ,何度かドリンクの追加も行われると,次第に座はにぎやかになってくる。こちらのテーブルでさっそく本性を現したのは「コテコテ早口明るいT」である。「加古川出身だぁ」というTは,常人にはとても聞き取れないほどのスピードでコテコテの関西弁をまくしたて,他を圧倒した。
特に,「私最近は飲まなくなったのよ」「だから全然酔ってない」などと真先に酔っぱらいながらホザく「ヘニャヘニャのY」が「あたし関西弁しゃべってるよぉ」などというお笑い発言をしたときに,脱兎のごとく向こう側テーブルへ飛び去り,そこらじゅうの仲間の背中をバンバン叩きなから「Y」の「関西弁しゃべってるよぉ」を口真似して高笑いして見せた,そのパワーとスタートダッシュはまことに力強いものであった。
そのうち「大王」がこちらがわテーブルに残っていた料理に気づき,目をキラキラ光らせながら小走りにやってきたかと思うと,鬼の首でもとったように「ちょっと,ちょっとこんなに残ってる,信じられなぁ~い」と料理の一皿,一皿を向こうテーブルの連中に見せつけて,無理やり「オオ~」とか「アア~」とかいった歓声をあげさせていた。この座に「大王」支配にさからう者はいない。
ふと気がつくと,左側にすわっていた「K」が何が楽しいのかヒトリで笑いつづけている。「ア~ッハッハッハッハッ‥‥」「なんや,酔ったんか?」「ア~ッハッハッハッハッ‥‥ア~ッハッハッハッハッ‥‥アタシ,ふだんからゲラなんです,ア~ッハッハッハッハッ‥‥」。「K」はコップの水に口をつっこむ「平和鳥」のように上半身を前後にゆっくりとゆすりながら答えてくれた。もう,目をあわせてはいけない気がした。
つづいてお互いの顔が芸能人のだれに似てるかなどといったありきたりの話題に花が咲く。その時,自己紹介で「よくコケル」と書いていた私の右前の「なにごともスローモーなS」が,自分の正面にいた「T」にむかって「Tさんはインド人に似てるよね」とゆっくりと静かに,しかしキッパリと言いはなった。そう言われた「T」は「そうそうここにポッチがあったらバッチリ」と眉間の上を笑顔で指差すまえに,たしかに一瞬「ムッ」としていた。となりに座る私には,エヘエヘと力なく笑う以外になすすべがなかった。
さて「みなさ~ん,ドリンク飲みほうだいは7時半まででございま~す」などと全体をしきりつづける「大王」に「金あつめはイヤだ」といわれた「アハハ笑いのO」だが,その「O」もまた「お金はにがてなの」という明快な理由で集金・支払い係をボイコットし,その他の比較的冷静で一応「私がしっかりしなくちゃ」と自分勝手に思ったような,そうでないような諸君数名が入り乱れて金を集めていた。いや「大王」も店のお兄さんと金の件で天下無敵のタメグチパワーを発揮していたような気もする。
だが「インド人のT」と「スローモーのS」と「フニャフニャのY」と「平和鳥のK」にかこまれた私は,残念なから,金集めの事情を詳しく観察できるゆとりある環境にはなかったのである。おおコワ。(つづく)
正体見たり「御令嬢」(№3)
御好評いただいた本連載も,ついに最終回。ゼミ生諸君には「なぜ私は登場しない」という抗議めいた声があり,「ああカラオケの場面がこわい」と頭を抱える者があり,「次のはいつ出るんですか」という催促の声がある。そして「読んでますよ」とすれちがいざまに小声で囁いていく一部教職員諸氏の声も。本連載は号外であるが,本紙は毎号4~5名のゼミ生の原稿をもとに定期発行されている。今後はゼミ内ミニコミ紙としての本紙の充実に力をつくし,部外者への強制的な娯楽提供としての新聞配付にはひとまずの区切りをつけさせていただきたい。みなさんの御愛読,激励,苦笑に感謝!
どうやら無事に金を払い終え,いささか赤い顔をしたワーキャー軍団は店の外に出た。一次会の終了である。だが,軍団の行動を決する司令部は,すでに「カラオケだ,カラオケだ,カラオケだぁ~」っと,次の行動の指針をじつに明快に提示していた。
しかし,この間髪入れぬ行動提起のわずかなスキをぬって,確かTとYの2人が(すでに記憶が曖昧である)このドハズレ・ハイテンション軍団を離脱し,清く静かで平凡な,だがそれだけに心安らぐ世間様の中へと帰っていった。その気持ち,わからんでもない。
* この時,2人がとっとと帰った理由は何だったのか。帰る時間が気になっただけか,それともカラオケが嫌いだったか,はたまた全体の空気になじむことができなかったか。2人とも一見おとなしそうに見えるだけに,最後の理由でなければ良いがと,私は教育者らしい一抹の不安を胸に秘めた。だが,その不安をケロッとくつがえしてくれたのは,それからしばらくした7月5日夕刻のYの姿であった。
1時からのゼミを欠席したYは,4時ころ突然わがサティアンの研究室を訪ねてきた。「ゼミのレジメください」。おとなしそうに見えるYの本性があらわれたのは,しばらくの雑談のなかで話しが夏休みのゼミの課題に及んだ時のことであった。Y「先生,ゼミは夏休みのレポートとかないですよね」 教師「あるで」 Y「なんて?」 教師「いや,あるって」 Y「なんて?」
この「なんて?」は「なんだって?」とか「なんやて?」の意味の「なんて?」である。確かYは紀伊半島の猿の多い所でとれたとかいっておったから(記憶は定かでない),その地元の言葉なのであろう。
それにしても,この「なんて?」のスピードは見事であった。「あるで」とか「あるって」とかいった教師の言葉の後を 0.5秒とあけず, しかも引き続く 0.5秒のあいだにこの「な・ん・て」の3文字を見事にたたきこむ。
語気の鋭さには,「なんやて,ホンマに課題出す気かいな,そないなエゲツないことようしてくれるなぁ,そんなことしたらどうなるかわかっとるんやろうなぁ,あんさん学生の怨みかいまっせぇ」といった具合の,激しい抗議と恫喝の強い意志が表れていた。こうして,Yは決して,自分を表に出すことのできぬ,ワーキャーの喧噪の世界になじむことのできぬ気弱な少女などではなかったことが判明した。もう1人のTも,どうせどこかで,こういった本性を「み~た~なぁ~」とばかりにさらけだすに違いない。
さて15名に近いカラオケ軍団は,なんの躊躇もなく手近な店に突入し,2派にわかれておのおの勝手な歌謡劇場をつくりあげた。どういうメンバーで2派にわかれるかをめぐり,激しいじゃん拳合戦が店内廊下でくりひろげられたが,しばらくするとメンバーは2つのボックスをハチャメチャに行き交うようになり,長い時間をかけたじゃん拳合戦がいかに無駄なものであったかを自ら証明してみせるのであった。
ここでの圧巻はなんといっても「宴会大王」あらため「踊るカラオケ大王」による見事なピンク・レディー・メドレーであった。その歌,その振り,その笑顔。えも言われぬそのエネルギーの発散は,とても私のような生涯一捕手的経済学者好きな花は月見草の筆の及ぶところではない。誰がなんといおうと「見た者にしかわからない世界」が出現した。その「世界」をたった1人の力でいとも簡単につくりだしてしまうところに,この「大王」の「大王」たる真のゆえんがある。
最初の歌でクルリと見事なターンを見せた「大王」は,その瞬間,足元に小さくなって隠れていた安物のゴミ箱を,先のとがった皮靴で刺すように蹴り倒した。カラカラカラっところがるゴミ箱を,「アハハハ笑いのO」がいたわるように両手で拾いあげたとき,罪のないゴミ箱はすでに絶命していた。即死である。短い生涯だったのかも知れない。「大王」の鋭利な右爪先がゴミ箱の脇腹に命中するその瞬間,哀れなゴミ箱はギャッという小さな叫びを発していた。
さて,本学就任が決まって以来,多くの人から「神戸女学院は深窓の御令嬢が通う大学」との話しを聞かされた。だが,どうもそうしたイメージは我がゼミの学生諸君にはあてはまらないようである。より断定的な結論は,夏のゼミ旅行をへて慎重に下したい。
もう少し自発的に勉強してくれよな。そうは思う。が,同時に,その楽天性と快活さを原動力に,勉学の枠にとどまらぬ豊かな大学生活の根城としてゼミを育ててほしい。そうも思う。じゃあ,みんな! もうしばらくはワイワイやってみようか。(おわり)
正体見たり「御令嬢」(番外編)……1995年12月20日
ひさしぶりのニュースである。今,目の前で稲垣という人物と菅という人物(これはもちろんあの踊る宴会大王のことである)が,2人でテレビの話にもりあがっている。ここは研究室(通称サティアン)である。時間はゼミの直後である。私は2人の土産の「昨日のケーキ」を食べさせていただいたので,これからハラの具合が悪くなってくるかもしれない。が,最後の力をふりしぼっておこう。
今年最後のなので(何が「なので」なのかは良く分からないが),この夏のゼミ旅行でメモしておいたことを,そのままここに公表しておきたいと思う。脚色して1つの物語に仕上げる時間がないのが残念だが,メモのままであっても,そこそこ笑いのネタにはなるものと思う。ネタはどうしても,当日,身の回りにいた人間に限られてしまうが,そこは御了承あれ。
9:41発 北陸鉄道バス(運転手・宮田さん,実際は9:50発) 13:48 金沢着,昼食 15:27 JR金沢発 16:38 JR芦原温泉,清風荘 10:41 JR芦原温泉発 11:44 JR金沢 15:00 金沢バスターミナル発(西日本JRバス) 18:56 JR京都前着
以下,時間順
・萬……ハタ,案内人(カバンから菓子がはみでている)
・田路……阪急河原町駅でさっそくみなを仕切っている
・塩浜・筒井……河原町バス停,ジュースを買いに,寿司屋でお茶を
・小林……市バスに乗ろうとする
・田路……車中でいきなり寝る
・横江……告白「まだ名前のわからない人がいるんです」
・萬……車中,食いっぱなし,ポテロング,サッポロポテト,いったん眠るふりをしてやはり起き上がりメントスを食うリクライニングを倒しながら「歯医者さんのイスみたい」
・塩浜……「かっちゃん,お尻われてるやん! どうしたん?」よういじめた(かっちゃんは弟のことらしい)
・サービス・ステーションにて,萬の「とうもろこし売ってる」の声に,田路おきあがる
・田路……両足をしっかと開いて大地を踏みしめ,背筋をのばし,前傾姿勢でまわりをながめながら,とうもろこしを食う
・横江・山田・田中……車中で饅頭に食いつく
・田路……運転手さんに「あと何分あります?」 そして,ちょっと一服
・肉まん購入部隊,「エ~? 肉まん?」 「いくいくいく」と野田・奥田・稲田・菅・福島,もどってくるなり右こぶしを握った菅「収穫ジャア~」
・福島「先生も肉まんほしそうにしてる」,もらうと,「正直なことはいいことだ」
・運転手さんが人数を確認して「1人足りない」,田路わらって右手指を立てながら「自分のこと数えてないんとちゃいますか」
・横江……このメモを見つけて「サイテェ~」
・車中をグルグルまわる菓子の群れ
・萬……「あっカメラもってきてたんだ」と突然立ち上がり,カバンをもったまま右に倒れ,塩浜の右ヒザにエルボー・ドロップ
・萬……香川のウドンは「おいしぃ~」,「あれは,うどんの一つの理想の形」「涙が出るくらい」「至福の時」
・肉まんでハラがふくれたか,次々と眠る。そのなか,菅・奥田・野田ヒソヒソと小声で会話
ピンポンパン奉行・奥田
ピンポンパン将軍・稲垣
ピンポンパン・ゲーム,007ゲーム(0-0-7-バン-ヒュー)
三位一体ゲーム(ぞうさん,こうもんさま,片桐機長)
夜の買いだし
・ビニール・バックに酒を隠し入れて,人のカベをつくって清風荘へ
・メンバーはジャンケンで決定,筒井・菅・奥田
罰ゲーム
・小林,おもしろい話 ・萬,朝食時に服を後ろ前に ・石川,顔に化粧・落書き
・稲田,ホホにプルプルマーク
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極秘通信「ヘベレケの紳士」(書きびと知らず)……1995年6月21日
[解説]神戸女学院就任が95年4月。だから,この「ヘベレケ」ぶりは就任わずか2ケ月後のことであった。う~ん,なんだか,舞い上がってたのかなあ。(2000年11月18日)
夜7時44分。いま私は通称「サティアン」とよばれる仮設研究棟の1室でワープロに向かっている。明日の朝1限目からの授業に出てくるのがメンドウなため,今夜はじめてここに泊まるつもりでいる。すでに警備室との話はつけた。
朝食のパンとバナナも,電気カミソリも,寝ぐせ直しのヘアーウォーターも,目覚ましがわりのタイマーも,パジャマがわりの半パンとTシャツも,用意周到なことに虫退治のアースノーマット45日用も,すべて揃っている。
そして,どうしたわけか中国製これは安いぞ1袋100円ピーナッツと,同じくこれまた安いぞ『白鶴まる』620・まで完備されている。 少しだけワクワクっといった気がしないでもないが,実際のところはきっとどうということもない夜なのだと思う。真っ暗の外からは,寮の学生だろう,キャッキャッとはしゃぐ声がする。また,となりの研究室からは,自然環境絶対守らんとアカンではないか派のN氏の歩く音も聞こえてくる。
さて,私はたったいま夕食からもどったところである。初めての場所に1人で泊まるなどというこんな日には,どうしてもビールがほしい。足は自然と先日のエビスビール大宴会の店へと向かった。
ドアを開ける。客はいない。しめた。静かに飲める。
そう思ったとたんに例の年齢不詳の,いや妙に気の若く明るいママさんの声が耳に響いてくる。 「まあ~,先生いらっしゃい」。 ここへ来るのはまだ2度めだが,ママさんはまるで旧知の間柄のように,しかもひどく嬉しそうに笑いながら話かけてくる。どうやら,それほどに先日の「某会合のイライラを解消するためにいっぱつ酒でも飲んだろ会」の印象は強烈だったらしい。
明るいママさんの目をみつめ返しながらも,私の気持ちのなかには,いささか弱気な部分があった。じつは当日の私の記憶が定かでなく,あの日この店で私がどういうふるまいをしたかについて,一抹の不安があったのである。
その私の一瞬のとまどいを見透かすかのように,ママさんはつづけて言い放った。 「先生,次の日だいじょうぶでした?」
来た。先制攻撃である。ここは慌てず落ちついて対応せねばなるまい。 「やっぱり,そんなに飲んでましたか?」「いやあ,じつはあんまり覚えてないんですよ」。
軽くうけながしながら,「覚えてない」の一言でちょっと探りもいれてみる。なんといってもまず知りたいのは,あの日の真実である。 「みなさんとっても楽しいお酒で,とっても御陽気でしたよ。」
「楽しい」に「御陽気」。どうとでもとれる表現である。落ちついて椅子にすわって明るくキチンとおしゃべりしても,床にねころんで酒を頭からかぶっていても,顔がヘラヘラ笑ってさえいれば,どちらも「楽しい」「御陽気」に違いはないような気がする。
この際,もう少しつっこんで探りを入れてみるしかあるまい。「いや,実はぼくは京都なんですが,家までどうやって帰ったかも,はっきり覚えてな いんですよ」。
「エッ? あの時間で帰れましたか?」 ほらほら,やっぱり。電車で帰ったこと自体が不思議に思えるような状態だったのだ。 「ええ,なんとか」「きっと終電乗り継いでの綱渡りだったんでしょうけどね,エヘエヘ」。
そういうと,ママさんは,マスターのところまでいって,「あの日,先生,綱渡りで帰ったんですって」などとわざわざ報告していた。ということは,「あの人帰れるんかいなぁ」なんてことが,事前に夫婦の間で話題になっていたということではないか。
いや,だが真実はさらに強烈であった。あの夜,私は実は十三の駅で寝ちまって,夜中の1時にタクシーに乗って京都まで帰るハメになったのである。翌日気づいた私のラガールカードには,電車に乗った門戸厄神の記録はあっても,下車したはずの十三の記録はなかった。すでに闇のみが支配する無人の十三駅では,自動改札機さえもが夜のやさしいオヤスミ体制に入っていたからである。
したがって,私は悪意のない無賃乗車男ということになったのだが,流石にそんな話をここでするわけにもいかない。
ママさんは陽気に続けた。 「じゃあ,今度から10時頃になったら『お時間ですよ』って耳打ちしますね」「『お 時間ですよ』って」。
ひょっとしたら,私はママさんにおちょくられているのかも知れないと思った。だが,真実の見えない私にはなんの確証もない。 「ええ,そうして下さい」「お願いしますね」。
力なくあいそを返しながら,私は決意した。こうなったら正面から聞いてみるしかない。 「あの日は,みんなずいぶん酔っぱらってましたか?」
ママさんの口が次第に軽くなってくる。 「ええ,なんせお一人で1リットルは飲んでいましたから」。 げっ? 1リットル? 「あのビンは1本で300ミリなんですけど,10本召し上がってましたからね~」。
げっ,日本酒だけでか。10本で3リットルといえば,3人で1升ビン1本半以上を空けたということではないか。その前に御ていねいにビールも飲んでいたのに‥‥ 「冷酒でしょ,口あたりはいいけど後から効くんですよねぇ~」「でも,先生がそんな 正体不明になってるとは思いませんでしたよ」「ヘベレケでも先生は紳士でしたよ」。
ついに出た。「ヘベレケ」である。ヘベレケな紳士というのは,どう考えても形容矛盾である。紳士とヘベレケは両立しない。したがって,この場合はどうみても,ヘベレケのに真実が込められているのであり,紳士ということばは客商売にありがちな,とってつけられたお愛想でしかない。
明るいママさんはさらに陽気に続けた。 「いやあ,あの後,みなさん『クルマでかえる』とか『バイクでかえる』とかおっしゃってたので,『オイオイ,それはないだろう』と思ってたんですよ」「あんなに飲んでましたからねぇ~」。
「オイオイ」のところで,ママさんは両ヒザを軽く折り,左手を口にあて,右手を前に肩の高さにのばし,下に向けた掌でオイデオイデをするように身振りをつけた。やはり事態は相当に深刻だったようである。つまり,ハタから見れば相当にお笑いだったようである。
私は最後の望みをかけて聞いてみた。 「やっぱり,あのカラダのデカイ,みょうに四角い人が一番飲んでましたか?」 誰のことか? などとは聞かないでほしい。これは大脳皮質を通過しない私の心の叫びびであって,私の人格に責任を負わせることのできない声なのだから。
明るいママさんの答えは簡潔明瞭であった。 「いえ,もう,みなさん御陽気でしたよぉ~」。
これで望みは消えた。「御陽気」だったのは「みなさん」であり,大酒をくらったのも「みなさん」であり,おそらくは「ヘベレケ」なのも「みなさん」だったのである。
ひととおりの話を終え,私は料理を注文し,もっていった群ようこ『半径500mの日常』を80ページほど眺め,3杯ほしかったビールを2杯でやめて,1時間ほど後には紳士らしい節度をもって席を立った。
だが,そんな紳士づらはすでに通じない。 金を払いにカウンターに寄ったところで,いきなり中から出てきたマスターに肩をだかれ「こんどお1人のときは,カウンターへ座ってください」「少しはなしでもしましょうよ」などと笑いながら言われてしまった。とどめのノック・アウト・パンチである。
どうも,私の始まったばかりの門戸厄神人生は,早くも学問探究の道を大きく踏み外しつつあるようである。
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ゼミ新聞小ネタ集
[解説]これはそのまんま。学生たちが発行するゼミ新聞に「なんか書いてください」「たった今書いてください」「すぐにコピーしてみんなに配りますから」と恫喝され,彼らの意のままにあやつれつつ書いたもの。恫喝されるのはいつもゼミの時間だった。(2000年12月3日)
ハロウィンはな,去年より色は少なかった(昨年の写真参照)が,他の意味でイロが濃かったな。イロの解釈は任せるが,ヒントはあの怪しい看護婦あたりだな。
準備をしてくれたコンパ係「クラブいしかわ」のみんなはごくろうさま。あいかわらず見事な段取りだった。司会のママ,金集めの大飯,児童福祉法違反のちびっこと,それぞれに良くがんばっていた。三杉先生からも「お褒め」のことばがあったぞ。
あっ,それから話はかわるが椅子とりゲームで弾き飛ばしちまった委員長はスマンかった。剣が刺さっていたと後で聞いたが,どうせならもっとグッサリやっときゃよかった。
その後の新聞係と委員長と魅惑のおっことぬしとのミニコンパは「やとり」が一杯だったので「う家」にまわった。あそこは料理がうまい。笑うたびに上下にゆれる珍獣,それを管理する委員長,あくまでも独自世界のまーちゃん,すべてを上から睨み付けるひっしい,そして何もかもをほほえみでつつむ極妻。なんともいえぬ不思議な世界。
次は「忘年会」か。恐るべし。(1999年12月2日)
夏休みが終わってしまってとぅぉっっっても悲しい。何もしないうちに。調べごとして,原稿書いて,講演会やって,それですべてが終わっていった。‥‥早く正月休みにならんかなぁ。
ゼミ旅行はとても楽しかった。でも飲みと語りは足りんかったなぁ。飲みは強制しないが,語りが足りんのは不満だった。あんなに早く終わるとは。ふっ,まだまだ常識人だね。そんな「普通」なことではこのゼミは卒業できんのだっよ。もっとお互いに対してゴツゴツした強い関心を持って,そしてその濃密な関わり合いの中で自分を磨こうという意欲を持たなきゃな。つまらんぞ。
いまは「チーム眉なし」酋長のかよと,長岡京住人代表・ひっしーから「飲み」の誘いがある。したがって語り足りない部分はそのあたりから大爆発させるつもり。でも2人とも日程決めの段取り悪いからなぁ。実現するかどうかは曖昧だ。あっ,そういえば旅行係の「ごくろうさん会」をしなければ‥‥。人生「飲み」だらけ。
秋に入って社会保障がらみの講演依頼が多い。来年度の政府予算編成を睨んでのこと。また京都では市長選がらみの依頼も多い。政治の秋。またしてもフル回転の予定である。ともかく何事につけ「人生はげすぅぃく!」である。(1999年10月14日)
「きしめん」と「名古屋コーチン」のあいだにはさまれた計4時間の講演とビデオの学習会は,途中の公園にみられた大量のホームレスの姿ともあわせて現代の世界について大いに考えさせられるものでした。
講演はテキスト『現代帝国主義研究』にそって行われ,戦後アメリカによる途上国支配の問題,アメリカの海外米軍の80%がじつは他の先進国に駐留している問題(先進国支配の問題),そして多国籍企業/多国籍銀行の大規模な活動の実態などが紹介されました。
前後半の講演のあいまに上映された「89年のアメリカによるパナマ侵略」にかんするビデオは,侵略の実態がパナマ運河にたいするアメリカの経済的権益の確保を目的とした相当に大がかりな謀略であったこと,またその戦場が新型兵器の人体実験場として活用されたことなどを,アメリカの元司法長官であるラムゼー・クラークの調査もふくめて様々な角度から明らかにしていました。
ついでにいえば,これほどまでに刺激的なビデオ上映の最中にグッスリと眠ることのできる岩本・佐竹コンビの生物としての「本能」の強烈さ,および土産の「ういろう」探しに奔走するホホエミ岩本の食への執念,そして帰りの交通費(現金)ももたずにカードだけでやってきたバドワイザー佐竹の「いきあたりばったり主義」にもそれぞれ驚かされました。いろいろまとめて,おそるべし。(1999年6月10日)
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京都タワーホテルの夜……1999年8月4日
[解説]う~ん,これはいま読み返すとなんとも珍妙な文章。何がいいたいのやらさっぱりって感じ。きっと文章の内容のとおり,あたま方面が相当にぶぉけぇぇぇっとしてたんだろうね。まあ人生そんなこともあるさ。(2000年12月3日)
昨日の夜の11時半まで,ボクの人生は順調でした。
4年生の卒論相談に3時間ほどおうじた他,ボクはずっと研究室で週末の講演会の準備をしていました。昼には大学に出て,夜の10時までを研究室ですごす。それは最近の石川的夏休み研究者人生道にもとづく,いわば理想的な1日のすごし方でした。
守衛さんの見まわりがある夜10時ギリギリになって,ようやく講演会の準備は終わり,ボクはささやかな達成感とかすかな安堵感を胸に大学を出ました。
「明日はチビのところだから,昼はゆっくりできる」。そう思うと帰りの電車の中の,淀川花火にうかれた小僧・小娘たちのワーキャー騒音もたいして気にはなりませんでした。
ところがその平凡な1日に異変が起こりました。異変はボクの部屋の前で起こりました。鍵がないのです。例の茶色の大型カバンのどこをさがしても部屋の鍵はありません。
思い当たることがありました。研究室の机の横のキャビネットです。学生の試験答案を管理するそのキャビネットをあけて,その後,鍵をどこに置いたか‥‥。
シャワーをあびて,汗を洗い流し,ターキーの水割りを飲みながら,布団の上で小池真理子の世界に浸る。そんな,つつましいお楽しみの夜が静かに色を失っていきます。
「どうするか」。気をとりなおして,泊めてもらえそうな友人たちに電話をかけてみました。しかしなんといっても突然です。無理はいえません。
足をはこんだ長岡京市唯一のビジネスホテルも満室でした。
「どうするか」。ふと時計を見ると日付がかわっていくのが見えました。目の前を走る阪急電車も「最終」です。電車がなくなれば,もう身動きがとれなくなります。
最後のJRで京都に出ることにしました。友人は十三や大阪をすすめました。しかし,京都の方が土地勘があります。ガックリです。京都駅までの10数分間,自分のバカさ加減に放心しました。
さいわいにして駅前で最初にとびこんだホテルに部屋の空きがありました。「たったいまキャンセルがあったので」と,フロントは愛想よくこたえてくれました。地獄で仏の気分です。
うけとったキーは524号。部屋はガラ~ンと広いトリプルルーム。ベッド3つに客は1人。マヌケです。しかし文句はいえません。
テレビをつけて,冷蔵庫からだしたビールを飲みます。そして友人たちに電話をかけました。事の顛末を報告するために。
大ビン1本があくころには気持ちも少しは落ち着きます。「明日は講演会の資料を郵送して,そのまま大学に行かなくちゃ」。
30分後,ボクはバス・ルームで自らの体を洗い,つづいてズボンとネクタイ以外のあらゆる衣類を洗いまくっていました。「洗ったものをバスタオルにはさんでパンパンして,風呂場につるしておけば何とか乾く」。電話でそう教えられたからです。
2時。水しぶきのとんだバス・ルームにも静寂がおとずれます。5Fの窓から外を見ると,いかにもゴチャゴチャして威圧的な金属質の巨大駅ビルと,その下にむらがる無数のタクシーが見えました。
そして駅ビルのガラスには大きな場違いのローソクの姿が映し出されています。
じつはボクはそのローソクの下にいたのです。今朝,生乾きの服を見につけ,京都タワーホテルを出たボクは,駅前の中央郵便局から資料を発送し,JRにのって西宮へやってきました。
そして研究室の大机の上に,鍵の束を見つけました。
なんとも不思議な1晩でした。
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戦闘的タワケもの組織・あほ会結成さる!……1998年5月18日(書き人知らず)
[解説]これは,とあるタワケもの組織の内部文書(?)である。お互いの日頃のウサを「大騒ぎ」で晴らすことを目的としたあつまりであった。その後,この組織はさらに新たな脱皮を遂げつつ,極秘のうちに今日にいたっている。(2000年11月20日)
「あほ会」の結成とその任務
5月16日,かねてからの懸案であったあほ会結成の準備会が万人の期待をうけてついに開催された。はげしい雨にも負けず,それぞれ胸に熱い思いを秘めてあつまってきた準備会メンバーは「ワイン・めし屋」「カラオケ・バーその1」「カラオケ・バーその2」とわたり歩き,その過程でついに万人宿願の課題とされる「あほ会」を結成したのである。
人格の完全解放(しちゃいけない人もいるかも知れないけど)にもとづく自由な交流(しちゃいけないことまでしようとする人もいるかも知れないけど)と,その障害となるあらゆる人格ならびにその集団に恐れることなく刃をむける(ホントの刃は使っちゃいやよ)世界史上まれにみる(そこらじゅうにあるような気もするけど)偉大なるウサ晴らしの貫徹。これがあほ会の基本的性格であり,またその任務である。
発足時のメンバー×××,×××,×××,×××の4名は,長く後世の歴史に名を残すことになろう(汚名かも知れないけれど)。
結成の夜
組織結成がウサ晴らしの対象となる人々にさとられることがないよう,準備会の日どりは4月某日をダミーとして予定しつつ急遽「ワイン・めし屋」の予約をとりけすといった荒技的工夫のうえで(偶然に),巧妙に設定された。あまりに巧妙だったので,設定した本人もわからなくなるほどであった。
折よく天気は雨。だれにも怪しまれることなく傘で顔を隠すことのできた4人は敢えて人どおりの多い某近隣駅のタクシー乗り場を秘密集合の場に選び,数分の誤差のうちに全員が集まるという首尾の良さを見せた。しかしお互いの顔を見るなりいきなりはしゃいでしまうあたりは,まだまだ陰謀家としての修行が足りないことを思わせた。
白ワイン「サンセール」での乾杯に先立ち,当面のウサ晴らし活動として仕組まれつつある極秘企画「阪堺電車で酒飲んでGo!」「あなたソバは好きですか?」の経過説明が文書で行なわれた。
乾杯ののち「鳥の白肝のサラダ」などという一風変わった食い物を口にはこびつつ「くのいちA」は早くも「食う,あいつら,やつら」といった口汚い言葉を連発し,ウサ晴らしの姿勢に入った。そして,それは会全体の声を限りの大発声へとつながっていった。
カラオケ・バーその1
「ワイン屋」の支払いがすまされる間に,「くのいちもどきA」はすばやく第二会場を確保した。そこは「もどきA」いきつけのカラオケ・バーであり,かつてカラオケ大嫌い人間の×××さえもが2人のカラオケ大王(うち1人が「もどきA」である)にはさまれて,ついに自分の歌う歌のページに指をはさむにいたったといういわくつきの会場であった。
ここでウサ晴らしのモードは完全に歌に変わり,その歌も大音声を発するにいたってはほとんどスポーツと化した。口汚い「くのいちA」は立ち上がり何を歌っても同じステップを披露し,世間の若めの男の支持を集めた。また「くのいちB」は長い手をふりまわしつつ「愛の讃歌」を大熱唱しわが組織への世間の年めの男の拍手と同調をかちとった。
だが一方で「もどきA」が早くも周辺事情を無視した自己陶酔の世界に溺れはじめ,また「くのいちもどきB」がブルースと「オッサン」のあいだを右往左往するにいたっては,一旦引きつけられた世間の目も冷たいものとならずにおれなかった。閉店の時間,われわれはすでに店のものたちにさえ見放されていた。これは重大な失態であった。今後へ向けての深い教訓としたい(きっと改善されないと思うけど)。
カラオケ・バーその2
カラオケ・バーその2への移動は隠密を喫してタクシーで行われた。というよりすでに他の交通機関は深夜のオヤスミ状態に入っていた。そこでまず「鳥の白肝」の「口汚いあいつら」の「同じステップ」の「くのいちA」が,本日のウサ晴らしに深い納得の色を見せて安眠の世界へ帰った。結果からするとこれは実に理性的で賢明な判断であった。そしてその理性と賢明さをすでに失っていた残りの3人はさらに酒と歌の泥沼の世界へと足を進めた。
時はすでに丑三つをすぎている。「サンセール」の乾杯から8時間以上が経っている。バーその2はまたしても「もどきA」のいきつけの店であったが,そこで「もどきA」が積年のいきつけパワーを発揮したことはいうまでもない。店の中の小世界は「もどきA」の圧倒的な自己完結的陶酔の香りによって支配された。すでに半覚醒の人となっていた「もどきB」にこれに対抗する力はもはやなく,また「くのいちB」にいたっては店内でどうどうと横になって枕・毛布をつかって休眠に入るというありさまであった。
こうして気力・体力の限りをつくしたウサ晴らしは世間の闇が光に転じるその直前に,「もどきA」の異様なまでのマイク・パワーを確認しつつ幕を閉じた。あほ会結成の日にふさわしい恐るべき光景であった。
各人の支出はあらかた1.5程度であったが,これに「くのいちA」へのタクシー代が追加されねばならないことを,われわれの光栄ある団結のために,多少の苦々しい思いも込めつつ確認しておきたい。
「ウサ晴らし例会」について
準備会は当面の組織活動についていくつかのことを決定した。すべてが曖昧模糊とした二日酔いの香りのかなたに消えてしまわぬよう,ここにそれを記録しておきたい。
われわれの活動の基本は「ウサ晴らし例会」である。いや名称は「あほ例会」でもいいのだが,人前では単に「例会」ということにでもしておきたい。
「例会」はわが組織の運営にかかわるすべての陰謀を練る場であり,またわれわれ自身のウサを爆発的に晴らすというわが会の核心的な活動の場でもある。わが組織の隠密地下組織的性格からして「例会」の日程・会場は極秘中の極秘となる(したがって誰のいかなる拷問にあっても口をわって仲間を裏切るなどのことがあってはならない)。しかし基本的には,日程については月1の×××の夜とし,会場は他になければ例の「ワイン屋」としておきたい。
もし「ワイン屋」で不都合があった場合には,顔で笑って心でツバして,さっさと食事を切り上げて第二会場へと場をうつすことにしたい。
次回開催は6月とする
ただし,5月のスケジュールを見ると次の「例会」は22日となるが,しかしこれではいかにも日どりが近すぎる。 「例会」はつねに全力で行われねばならない。全知全能をふりしぼって,脳味噌から脂汗をしみださせることができるほどの万全の気力・体力をもって開催されねばならない。
そうであれば「例会」開催の間に一定の充電期間がもとめられるのは当然のことである。しなる弓ほどよく飛ぶのである。ウサをためるほどウサ晴らしは活気づくのである。ウサ晴らしの対象について十分な情報を蓄積し,それらを各人の大脳皮質にしっかりと刻み込む期間が必要である。そうであってこそ,それらに対する怒りを「例会」での怒髪天を突く怒り大爆発にむすびつけることができる。
したがって,5月22日についてはあえて開催せず,6月の第2回開催にお互いの当面の全ウサを傾注することとしたい。
ウサのない人生はウサない人生どすなぁ
またついでにいえば,ウサの蓄積と爆発とのこの関係をこうして意識的に管理できてこそ,日頃のムカッ腹たつ「あほ体験」も,「このあほ話は,今度こんなふうにしゃーべろ」という楽しい「ワクワク体験」に転じさせることができる。つまり「あほ体験」を「例会」から「例会」までの生きる活力の源泉とすることもできるわけである。
災い転じて福となす,である。すでにわれわれにとって“ウサのない人生などウサない人生”なのである(このスローガンは「忠兵衛はん,忠兵衛はん,墓のない人生ははかない人生どすなぁ」という京都の墓石屋・川波忠兵衛のとんでもなくくだらないが,しかしなぜか憎むことのできないテレビ・コマーシャルのパロディであることに注意されたし)。
「例会」以外の不規則活動について
「例会」が規則的・原則的なウサ晴らしであるのに対して,不規則・無原則の「ウサ晴らし」活動は,会の趣旨にそってもちろん会員各人によって自由に展開されて良い。ただしこの活動についても,特に規模の大きな物についてはすべて全会員に公開され「なぁかまはぁ~ずれ,みぃ~つけた」といったことにならないよう注意せねばならない。
この会の趣旨からして,1人が寝返れば残された全員が生存の危機にさらされるという事情があるからである。その意味でわれわれはすでに好むと好まざるとにかかわらず抜け出すことのできない運命共同体の一員となっている(でもヤマギシはきらいだ)。この点,決して忘れてはならない。
不規則活動としては「阪堺電車で酒飲んでGo!」と「あなたソバは好きですか?」が報告された。「Go!」はすでに着々と具体化されつつある企画であり,参加者も40人を下らないというなかなか大規模な取り組みである。これに対して「ソバ」はまだ計画の立案段階にあり,今後の努力がもとめられる。
避けるべき愚行について
なお「例会」が原則として全員参加型の活動であるのに対して,これらの不規則活動については互いに必ずアナウンスはするが,参加は強要されないものとしたい。そうでなければお互い身も心ももたず,かえってお互いの存在が各人のウサをためる源になってしまう恐れがあるからである。
いうまでもなくわが会の会員にも個性はある(ちょっとひどすぎるくらいに)。たとえば神経という神経が脊椎1本しかないのではないかと疑われている「くのいちB」のような豪放磊落型の人間もいれば,『広辞苑』で「ナイーヴ」の項をひくとその似顔絵がかかれているのではという「もどきB」のように繊細かつ神経質な人間もいるのである。この両者が同じ組織で活動をともにするためには,当然にお互いへの思いやりが必要となる。ある者にとっての「ウサ晴らし活動」が他の者の心に「ウサを生む」。これぞわが組織を壊滅に導く最悪の愚行である。したがって「例会」以外の活動については,各人の自由度を大きくとり,参加についても各人の自由を最大限に尊重することとしたい。
通信の方法
良く考えてみると(考えてみなくても),この文章はなかなかアブナイ。そこでこんなものはメールで届けろという声も出るかも知れない。だが,それではあほ会にふさわしい遊び心が欠けてしまう。無粋,野暮である。
極秘というのは,一面で,その極秘の内容を敢えて人前にさらす危機を味わうことによって自らのマゾ的欲求の充足を深めるための方法ともなる。われわれはそうした緊張感に耐え,それを楽しむことをつうじて,より高い欲求の充足に達するのである。深き苦悩こそ高き歓喜につうじる道なのである。
したがって時にこの文書は,道でのすれちがいに際して敢えて手渡しで,万人衆目のなかで受け渡されることもあろう。こうしたやり方はお互いの遊び心と,ふるまいのしたたかさへの完全なる信頼なしにはできないことであるが,そうしたあほ度の高い水準を維持しているものこそあほ会の会員たちである。何者も恐れることなく,何事にも臆することなく,生真面目にあほを貫きたいものである。
次回6月を楽しみに
なおこの文書は不定期発行を旨とする。これもまた「ウサ晴らしがウサになる」を排するためである。この手の文書は,書きたいときに,書きたい者が,勝手気ままに書けば良いのである。
したがって,もういいかげん書くのがいやになってきたのでやめにする。6月の「例会」でお互いの光栄ある深いあほを確認しあおうではないか(長く続く拍手,聴衆の歓喜の声)!
「もどきA」氏へ
・あの夜の2人だけの秘密のできごと,布団,歯ブラシ他,どうもありがとう。ウフンよ。
「くのいちA」氏へ
・初めてだったけどとても楽しかったわ。目つぶしに気をつけながら,アホな研究室にも遊びにきてね。ウフンよ。
「くのいちB」氏へ
・バーその2で「寝言」を2回も聞かせてくれて,ありがとう。その天然ボケはずるいわよ。ウフンよ。
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9月10日は,ホ・ホ・ホ・ホ・ホ‥‥(3・4年生合同夏休みニュース)……1996年8月16日
[解説]大阪は天王寺から堺方面に走る路面電車がある。阪堺電車という。10分ほどの短い間隔で,順序よく(あたりまえか)1両ずつが走っていく。一昔前ならどこの都市にも見られた電車である。だが,この電車の新しい特徴は「宴会する人のために1両まるまる貸しちゃうよ」「そしてその宴会電車をいつもどおりに走らせちゃうよ」のいささか特殊な営業姿勢にあった。そんな嬉しいご奉仕を無視するわけにはいかない。そんなことでわがゼミはなんどかこれを借り切っての大宴会を催している。これはその準備にむけて書かれた一文。……あっ,なんだか卒論のことも書いてある。(2000年12月3日)
「暑中おみまい」と「残暑おみまい」とは,いったい,いつごろから区別するのだろうか。などとこの手紙の書き出しに苦慮しつつ,「暑中おみまいざんしょ(残暑)」などとアホなことしか思いつかぬ今日この頃,たいへん「可愛い」ゼミ生のみなさんいかがお過ごしでしょうか。
先日とどいたある「暑中みまい」ハガキには,「大学の先生というのは,学生と同じだけ夏休みをとれるのですか? 超ラクですね」などというタワケたことが書いてあったが,「夏休み」は研究や執筆の書き入れ時だから,「超ラク」などではまったくないのである。
いま,この手紙に向かっているのは15日(木曜日)の夕方であるが,金曜から土曜にかけては研究会で1泊のミニ旅行に出かけねばならないし,帰ってきた土曜日の夜には大阪で研究会があるし,1日おいて月曜の夜には大阪に400字20枚ほどのミニ論文をもっていかねばならないし,火曜の夜には京都で研究会があるし‥‥そして,そして,そんなこんなが毎日続くなかをぬって,8月末には400字×80枚ほどの御立派な論文を東京の雑誌社に送らねばならないのである。全部をまともに受けていたら,それこそからだがいくつあっても足りない。
実は他にも8月末に400字×50枚というのがあるのだが,こっちのほうは,こっそりと締切を引き延ばすことに決定している。決定しているのは,こちらの一方的な心の中の世界でのことなのだが。
だから,夏休みというのは,大学に行かずに家にいるという意味では,確かに「休み」なのだが,旧式の大型ワープロがドデンとおかれた家のテーブルを拠点として,あちこちでしゃべり,あちこちの研究会へ出かけ,あちこちに原稿をとどけねばならないという点では,授業のある時期よりも,ずっとハードなのである。
ああ,なんて勤勉な先生。したがって,「暑中おみまいざんしょ」などと,アホなことをつぶやいているのも,ホンのあたま休めにすぎないのである。‥‥そうでもないか。
そういえば,この「超ラク」発言の主とは,このあいだ偶然に大学でも会ったが,「男紹介してください,コンパしてください,25才くらいで,お金があって‥‥‥‥ああ,スポーツが好きなことが大前提」とかって,ホザいておったな。お気楽なヤツである。
「暑中みまい」「暑中プレゼント」など,みなさんどうもありがとう。 しかし,なんだな。きみたちからくるハガキというのは,「暇になれば卒論の事でも考えようと思っています」とか,「少々出席率に難のある生徒ですが,後期もどうぞよろしく」とか,「毎日こんな風に忙しいのでレポート10枚も書けないよっっ!!」とか,あげくのはては「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。すみませんすみませんすみませんすみません。これだけあやまったからゆるしてねっ」とか,なんとも情けないものが多いなぁ。
ここまで読んで,ハタと気づいて「レポート10枚って,いったいなんのことよぉ~ん」とあわてふためく4回生もいるかも知れんが,それは3回生のことじゃ,3回生の。
良かったのぉ4回生は,卒論だけで。卒論の骨子B5・1枚だけで,卒論執筆に必要な本集めだけで,卒論の詳細な構成をねるだけで,10月から書き始める準備だけで‥‥ほぉ~んとに,良かったのぉ。
各種ハガキで,唯一おもしろかったのは「うちの○×が,一度先生にお会いしたいと申しております」ってヤツだったな。この文面に心当たりのある,コラ,おまえ。あ,いや,いつもかわいい良い子のきみ(めったに会わんけど)。日程を具体化しなさい,日程を。ただし,こっちは,夏もなんだかだと忙しいから,候補日を少しゆとりをもって数日あげてほしいな。
いきなり「あしたはどうだ!」とかいわれると,どうにもならんゾ!
なお,2-1で会うと,あてつけられてひどい目にあうという噂はあちこちで耳にしている。したがって,人数については,原稿用紙に換算して400字×10枚分くらいジックリと考えてみたい。少なくとも2-2くらいには持ち込みたいが,そうすると,こちらが誰をひきつれていくかという複雑な問題がおこるわな,これがまた。2-5くらいで見物にいくというのも手だとは思うのだが‥‥。たとえば,3月のメンバーではどうだ。
他には,「(就職が)嬉しいことに7月の半ばで決まって,今は遊び回っています! 7月の末から1週間テニスの合宿にも行って来ます。若いでしょ!」ってのもあったな。いや「若い」のは,知ってるって,見たらわかるって。いっつも,目ぇキラキラして,頭の上にチョウチョがとんでる雰囲気だもんな。
ついでに,この「若いでしょ!」は「○×は風のうわさで決まったと聞きました」と,他人の就職についても情報を知らせてくれているのだが,この「風のうわさ」というのは,いったいどこから流れてくるもので,どの程度に信憑性(しんぴょうせいと読むのだよ)があるものなのだろう。疑問である。ぜひ教えてもらいたい。
なかに1通だけ,真正面からのがあったな。「就職活動というものを通していろんなことを考えて,本当の意味で人生とか将来を現実のものとしてとらえることが出来て,いい勉強になりました」と。
「マジなお話しするのは照れちゃうよぉ~っ」てヤツが多いなか,ホントに珍しい人種だな。京都のきれいな川を山奥までのぼっていって偶然であったでオオサンショウウオ,というくらいに貴重だな。こういう人種は。もっとも,このハガキの主がこんなにやる気なのは「オシアワセ」だからにちがいないのだが。ホホホホ‥‥。
このオシアワセくんのハガキは最後の一文がふるってたな。「先生も,まだまだ本当に暑いですが,研究に飲みに燃えてください」。
飲むことに燃えたらいかんだろう,と頭のどこかで考えはするのだが(ホントか,おい),しかし,やっぱり確かに飲んでいるのだな,これが。「夏はビールだぁっ!」といいながら,ビールがなければ,日本酒でもウィスキーでも,ワインでも,酒ならなんでもいいぞぉ~っとばかりに,手あたりしだいに飲んでいるのだな。不思議だ。自分がこわい。
まあ,このクソ暑い中,毎日,これだけ机に向かっとったら,夜くらい酒飲んでアホにならんと,やってられんゾ。そういえば,こないだ久しぶりに入った,とある居酒屋の兄ちゃん(といっても確か28才だが)には,シミジミと「お客さん,個性つよいですよねぇ」とつぶやかれてしまった。
さて,そろそろ本題に入らねばならないのである。このニュースの冒頭にあるように,「9月10日はホ・ホ・ホ・ホ・ホ‥‥」なのである。
まえまえから話題になっていた「阪堺電車貸し切り宴会ワーイワーイ」がついに実現する。詳細は「阪堺電気軌道株式会社業務部運輸課」から届けられたFAXのコピーを見てほしいのだが,4回生には初耳の人もおるだろうから,要点を,あらためて確認しておくことにする。
日付は9月10日(火)である。雨天決行である。雨が降っても電車は走る。走る電車は値段が変わらぬ。ああ,チョイナチョイナ。したがって,断固として決行なのである。「超巨大台風上陸により電車も横転!」などというウルトラスーパー過激悪天候の場合以外は,カッパ,ゴム長装着であっても,断じて決行なのである。
夏休み前,おどろくほど生真面目に授業に参加してきた3回生の面々はともかく,「報告する」といってはゼミをサボり,「くる」といってはこないという犯罪をくりかえした4回生は,自分の首に縄をくくりつけ,それを自分で引っ張って,コホコホ咳をしながらでも,やって来ねばならないのである。3・4回生合同である。
宴会開始時間は夜5時30分である。それはわれわれの借りる電車の発車時間なのである。阪堺電車は路面電車である。宴会電車は普通電車のダイヤの空きをぬって走る。電車は追い越しができない。したがって,5時30分発といったら,誰がなんといっても5時30分発なのである。
遅刻したら,タクシーにのって,この電車を追い越し,次の停留所で激しく手を降って,むりやり電車のドアを空けさせて,乗り込むしかない。電車屋さんに「発車時間ちょっと待ってね」は通用しないのである。電車は5時20分に天王寺駅に入る。5時20分からわれわれは乗り込むことができる。いや,とっとと乗り込まねばならない。5時20分には駅ホームで,眉間にシワを寄せて,電車の到来をジッと待ち構えているのが正しい。
当日の3回生ゼミは休講である。ゼミよりも「阪堺電車貸し切り宴会ワーイワーイ」の方が重要だからである。3回生は5時20分に天王寺の近鉄デパート2F入口に集まることになっている。天王寺交差点は大きな歩道橋が四方をつないでいるが,その歩道橋の南東角がちょうど近鉄デパートの2F入口にあたるので,それがわかりやすいだろうというのが理由であった,と思う,多分,実は,もうかなり忘れている。
だが,20分に集まれといえば30分に集まってしまうというのが人の世の常である。しかも,歩道橋を降りて,信号をひとつくぐって(あるいは確か地下道をくぐって),電車のホームへと移動するのに,キビキビ歩いて5分はかかる。ダラダラ歩けば8分はくだらない。したがって,20分集合という号令は危険である。
「5時20分に近鉄デパート2Fから移動開始」というふうに号令を変更したい。「1分くらい遅れても」という不届きな輩(やからと読むのだよ)は,ここで脱落する。もちろん,3・4回生とも,何もデパート2Fに必ず集まらねばならない理由はない。直接,電車に乗り込んでくれればよいのである。ともかく「近鉄デパート2F集合部隊」は5時20分キッカリに移動を開始することにしたい。
電車の中には,飲み物,食い物など売りものはいっさい。まったくない。したがって,すべて持ち込みである。3回生については,ゼミの時に相談したはずである。が,しかし,先ほども書いたように,決まったことについて,確かなことは何も覚えていない。K&Yの天王寺近辺コンビが何かするというふうに決まったようにも思うし,それぞれが勝手に買ってくるというふうに決まったようにも思うのだが,ま,それは,ともかく3回生各人の記憶にまかせることにしたい。
4回生についてであるが,これは,いまさら,誰かがまとめて買うということにもならない。したがって,自分の飲む分,自分の喰う分は持参である。ビールのミニ缶1ケからウィスキーのボトル1本,日本酒なら1升瓶まで(いや樽酒でもいいが),それは各人の酒量にまかせる。喰うものも,小さなスナック菓子から,刺身の舟盛りまで,各人にまかせる。くりかえすが,電車の中では,何も買うことはできないので,御注意あれ。
電車の運行時間は,5時30分から7時40分までである。天王寺を出て,浜寺までいって,7時40分には天王寺にもどってくる。神戸方面に帰るには時間がかかるので,7時40分に電車を降りたとたんに,全体としては解散とする。車中のみが正式な「宴会」である。2次会,3次会については,その場の各人の盛り上がりとなりゆきにまかせる。
電車は浜寺でトイレ休憩を20分する。したがって,走っているのは正味1時間50分である。この短い時間の勝負であるがゆえに,われわれは乗ったとたんに盛り上がらねばならぬ。最初から急激にボルテージをあげて盛り上がるためには,食事はすませて乗り込むのが適当と思う。できれば,夕食時に「かるく1杯」をすませておくことが望まれる。しかし,これは,無理強いはしまい。
9月10日は,3回生ゼミはないが,「経済学」の講義はある。心はすっかり宴会気分で,その日の講義はうわのそらだとは思うが,しかし,講義はある。商売である。サボるわけにはいくまい。時間は1時00分から2時30分までである。したがって,天王寺周辺の地理に弱いものについては,研究室に勝手に集まってもらって構わない。ゾロリ,ゾロリと徒党をくんで移動しよう。大学から梅田まで40分,地下鉄で天王寺まで30分,食事と「かるく1杯」に30分,電車駅周辺でウロウロ10分で計1時間50分。余裕をみて2時間というところか。
したがって,5時20分マイナス2時間で3時20分までには大学を出ることにする。「どうやって行っていいかわからん」人については,遅くとも3時すぎまでに研究室に集合し,集合した証(あかしと読むのだよ)として「湯あがり飴」を正しく食べることとしたい。なお,「湯あがり飴」は,「湯あがりのれん早期完成」(制作責任者4回生Y)を目指して,2ケ以上食べることが望ましい。
次に,宴会の費用についてである。人数にかかわりなく,支払わねばならない費用は,合計56340円である。電車の借り賃+カラオケ使用料+消費税3%で,こうなる。税率5%になることが国民の暮らしや経済不況にどういう影響をあたえるかについては,授業でキチンとヤルぞ! と,すこしばかり大人気なく熱くなってしまったが。
ともかく,この金額を単純に頭割りすると,30人なら約1900円,20人なら約2840円,10人なら5634円ポッキリとなる。集まれば,集まるほど,安くなるのである。したがって,欠席は「ぼったくり」である。あらかた人数の目星をつけておきたいので,欠席者は,事前にかならず連絡をするように。
3回生は,事前調査によると,アクシデントがないかぎり100%出席である。問題は4回生の出席率である。出席率を上げるために「宴会出席が卒論の評価に影響するであろう」と非公式な発言をしておこう。あくまでも非公式な発言である。だが,やはりなにごとも人間のすることであるから,どこまでが非公式で,どこまでが思いっきりマジかというのは,なかなか線のひきづらいところですなぁ。ハッハッハッ。金は当日,電車内で,参加人数を確認してから徴収する。
もっとも重要な,当日の宴会進行についてである。宴会の武器は,車内マイクと,カラオケと,あとは豊かな人材だけである。もちろん司会進行ならびに宴会全体の仕切り役は石川ゼミ主将,別名宴会大王ことカンクミ(卒論報告はサボっているが4回生)である。
外の日差しがまだまだ強いなか,「チリン,チリン,プップー」という宴会列車の出発とともに,宴会は吊り革につかまりながらの,カンクミの激しい歌と踊りでスタートするにちがいない。カンクミ,欠席は断じて許さんゾ。
つづく宴会進行であるが,3・4回生合同だから自己紹介をやるべきところだが,先にも述べたようにそんな時間はない。そこで,3回生・4回生それぞれの代表が自分のゼミのメンバーを簡単に紹介していくというのが良いかと思う。だが,ここで白けちまうと,取り戻すのは大変である。したがって,この紹介者をどうするかはきわめて重要な問題である。4回生はカンクミで決まりである。これ以上の人材は関西一円見渡しても,そういるものではない。
3回生については,ひとりひとりの個性がまだよくつかめないところがあるのだが,いまのところ,「ボンジュールでんなぁ~」と関西弁でフランス語をまくしたてるといわれるサワサキあたりが適任かと思う。ゼミ・メンバーそれぞれを一言でどう紹介するか,その案を,この夏休み中に,じっくりと考えてほしいと思う。また,サワサキについては,来年度,第二代・宴会大王の座を獲得するための,重要な修行の場としても位置づけてのぞんでほしい。
昨日から,このニュースを書き始めて,ようやく完成しようとしている今は16日の3時である。もちろん,別に,ずっと書きつづけていたわけではないが。
実は,夕べは(も?)友人と飲んだので,その際の手土産がわりに,これを持参したところ,「ケケケ」と笑いながら読まれて,「これ学生に出したら,いくら忙しいって書いても,やっぱりヒマやと思われるワ」とホザかれてしまった。ほっほう。そうもいえるか。
じゃ,また。
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7月9日,コンパ係「やとり」にあつまる……1999年7月13日
[解説]この年は3年生ゼミの係ごとのミニ・コンパをやっていた。わがゼミの一番の働き者はコンパ係である。以下は,そのコンパ係のコンパの記録。(2000年12月3日)
6月の大合同コンパを見事に仕切ったコンパ係の「ごくろうさん会」が,7月9日夜6時半より阪急門戸厄神駅西側の「やとり」で行われた。
参加者は「佐竹バドワイザーみのり」あらため「佐竹おやじバドワイザーみのり」,「栗谷ぼぉ~っとしてるよしみ」あらため「栗谷ぼぉ~っとしてるけど爆食大王よしみ」,「松下未成年みなぎ」あらため「松下未成年なのに大酒飲みみなぎ」と,石川大先生の4人である。
上の3人のゼミネームはそれぞれ今回の「やとり」宴会のなかで新たに命名されたものである。以下,その事情について簡単に紹介して,ゼミ生全員の承認を得たい。
●佐竹の場合。「やとり」は焼きとり屋である。したがって,その店の主な食い物は当然,焼きとりとか,揚げ物とか,とり刺とか,とり雑炊とかになる。そのように「よし,鳥を食いにいくぞ」というのが,焼きとり屋を訪れる者の当然のこころがまえというものであろう。ところが店に入るなり佐竹が注目し,それをどうしても「食べたい」とさわぎ,テーブルにそれが登場したときに目を輝かせたものは,なんと「たこわさび」であった。
なぜ焼とり屋で「たこわさび」か。なぜズリでもなくココロでもなく,ナンコツでもなく「たこわさび」か。レジの後ろのポスターの中,名古屋城の前で胸をはる2羽の名古屋コーチンの立場はどうなる。しっかと地面を踏みしめるその凛々しい2本の足は,たこのフニャラけた8本の足にすくわれてしまっていいというのか。さまざまな角度から疑問と批判とそして悲しみに満ちた悲鳴のような声があがった。だが,それにもめげず佐竹は「たこ」をかみしめながら,目をつむって静かにいった。「うまい」。完全におやじである。
●栗谷の場合。大勢でワイワイやる場合,飲み,食い,しゃべるの3つのバランスがうまくとられねばならない。それは「さわぎ好き人間界」の常識である。飲むだけ,食うだけ,しゃべるだけの人間はこの世界では決して歓迎されない。歓迎されないどころか,そういう人間は鼻つまみ者として断罪される。こう書いたからといって栗谷がそんな「だけ」の人だったというわけではない。栗谷の特徴はこの3つのバランスの激しいゆがみにあった。
それは「飲む」「しゃべる」に対する「食う」の突出である。栗谷はちょうどよく「飲む」。栗谷はちょうどよく「しゃべる」。ところが栗谷はとてつもなく激しく「食う」。栗谷の箸には休む間がない。箸が気の毒であった。栗谷の箸は食べ物と栗谷の口のあいだをいつも往復している。この休みなき過密労働のため栗谷の箸は過労死寸前であった。
しかも栗谷は箸の最上部をもつ。それはおそらく箸を長くつかい,箸の行動範囲を広げるためであろう。そして栗谷は右のヒジを突き出して食う。それはおそらく前にすわる人間をヒジで威嚇し,食べ物をひとりじめするためであろう。帰りの電車であくび3連発をぶちかましながら,佐竹おやじは静かにそう分析するのであった。
●松下の場合。「あれは未成年ではないのか」「酒はハタチからではないのか」「児童福祉法には反しないのか」「子どもが焼とり屋に来ていいのか」。パート労働者をふくむ「やとり」店員たちの金欲と倫理が千々に乱れた複雑なまなざしの中,松下はただただうれしそうに酒を飲んでいた。
石川大先生の左手にとまった蚊を見つけるやいなやただちにたたきつぶし,宙を舞う虫を見つけるやいなやただちににぎりつかまえる。その姿は無邪気そのものである。赤ん坊といえばミルクとオシャブリ。それが松下にとっては酒と虫であるらしい。だが松下は飲むペースが早い。哺乳瓶をくわえた赤ん坊とはエライちがいである。「だれかと一緒じゃなきゃ注文しづらい」というが,「だれか」はまわりに3人もいる。その3人の「だれか」の注文にあわせて自分も酒を注文する。そして飲み干す。
しばらくすると前に座っていた佐竹・栗谷コンビから「みなぎちゃんトロンとしてきた」の声がかかる。なるほど時計は9時をすぎていた。子どもにとっては十分オネムの時間であった。あの日,みなぎちゃんは,ちゃんとお家まで起きて帰れたんでちょうか‥‥。
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独占報道・阪急電車にチョンマゲ現わる……1999年7月13日
[解説]じつはこの文章は上の「コンパ係のコンバ」のつづきにあたる。その夜のコンパが終わって,それぞれ家に帰ろうとしたその時に起こった異変を記録したものである。異変の内容はチョンマゲ男。といっても,国会水かけ懲罰男とは何の関係もない(たぶん)。しかし,残念なことに,これ以後この男にかんする新しい情報を手にいれることはできなかった。(2000年12月3日)
《電車でチョンマゲ》
A「石川ゼミ3年生のみなさんこんにちは。今日は,驚くなかれ7月9日夜9時半ころに,阪急電車のなかでなんとチョンマゲ男を見たという2人の方に来ていただきました。こんにちは」。
B「あっ,こんにちは。私が第一発見者なんです。私たちその日は『やとり』で『焼きとり』と『たこわさび』を食べましてね,そのあと門戸厄神駅のベンチで電車をまっていたわけです。ええ,となりにいるCさんはすでに『ああ,ねむてぇ』って気分を顔じゅうで表していました。それで,しばらくして,ホームに電車が入ってきたんですが,その時なにかふだん目にすることのない妙なものが見えたんです」。
A「それがチョンマゲ男だったというわけですね」。
B「ええ,驚きましたね。私,すもうとりとか時代劇役者のかつら頭はまじかに見たことがあったんですが,『電車でチョンマゲ』というのはどうも初めてでして」。
C「最初Bさんが『あっ,チョンマゲだ』って気づいて,それでアタシが『ウソ,どこ? どこ? 見たい 見たい』ってさわいで。それで電車に乗ってから2人でチョンマゲの乗ってる車両めがけて突き進んでいったんです」。
A「ほうほう」。
B「ええ,そんな時間ですから,もう電車はすいてました。私たちはホームの後ろの方にいたんですが,問題の男は前の方の車両に乗っていました。そこで車内を前の方向にむかって歩いていったわけです」。
C「そう,そう」。
《君の人生はそれでいいのか?》
A「で,チョンマゲ男の近くにすわったと」。
B「いや,さすがに私たちも,目の前までいって2人して大笑いするというわけにはいかないので,そのマゲ男がすわっている車両の1つ手前の車両ですわりました。ただし一番前側の例の『優先座席』というところにです」。
A「そして,そこから男に気づかれないように冷静に,そのマゲ男を観察したというわけですね」。
C「ホントにチョンマゲなんですよ。後ろをチョロンとくくっている良くあるぶらさげタイプの頭じゃなくって,おすもうさんのようにマゲが後ろから前にむかって頭の上にのっかってるんです。アタシ思わず『アレ,自分ではかっこいいと思ってるんですかねぇ』とどこかのおやじのようにつぶやいてしまいました」。
B「しかも男は腰に刀をさしているわけではないし,足にわらじを履いているわけでもない。もちろん服も着物ではありません。白のTシャツの上に大柄なチェックのシャツ,そして黒い半パンにどこにでもあるサンダルなんです」。
A「なんとも不釣り合いだったというわけですね」。
B「ええ,その首から上の空気とはまったく。しかし男のアンバランスにとどめを刺したのは,マゲ男がずっと携帯電話をつかっていたということでした。チョンマゲに携帯。はっきりいってこれは深刻なミスマッチです。寿司にカレーをかけて食べるようなものです。注意してあげるべきだったかもしれません。『君の人生はそれでいいのか』と」。
C「アタシたち一応,西北で電車を降りてからもチョンマゲの後をつけてみたんです。もうちょっと近くから観察してみたかったので。そしたら,チョンマゲはエスカレーターを使わないで,階段をあがりました。チョンマゲなりのポリシーだったのかもしれません。でも最後まで携帯だけは耳から話しませんでした」。
A「そうですか,わかりしまた。お2人とも長い時間ありがとうございました」。
《特別命令! チョンマゲ情報をあつめよ!》
B「あっ,ひとことだけ。私としては今回のチョンマゲ男との遭遇は非常に刺激的な出来事でした。ぜひとも今後もチョンマゲ情報を集めたいと思うのです。そこでこの周辺にすんでいるゼミ生には特別に『私のチョンマゲ情報』を夏の宿題に加えたいと思うのです」。
A「具体的にそのゼミ生というのは?」
B「ええ,名前をあげると『松下未成年なのに大酒飲みみなぎ』『標葉かわを流れる珍獣ともみ』『栗谷ボォ~ッとしてるけど爆食大王よしみ』『野込おとなしいふりしてるけどちょっと変ゆかり』『三窪ああアイツはどうしようもねえよ加代』の5人だと思うのです。じゃあ,宿題はワープロ,B4・1枚,秋に提出ということで。よろしく」。
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北島先生・飯田先生,そのゼミのはげしく学びはげしく遊ぶ学生のみなさんへ-合同「電車」宴会のよびかけ
[解説]98年春ついにわがゼミの阪堺電車貸し切り宴会のワザは,他のゼミを巻き込むまでに成長した。以下の二つの文書はその最初のいけにえとなった北島ゼミ・飯田ゼミへの「お誘い」の文章である。(2000年12月3日)
今日にいたる経緯
2月某日より北島・飯田・石川の3教師によって「合同『電車』宴会」が隠密裡に計画されてきました。秘密会談の場所は甲東園の某所でした。香ばしいするめと酒の香りにまみれ,計画は着々と練り上げられていきました。
「恥ずかしい」のが理由で他ゼミに極秘とされたこの企画には「阪堺電車で酒のんでGo!」という暗号名がつけられています。みなさんも人前で話をするときには,この暗号名をつかうようにしてください。
企画の具体化については,すでに96年・97年と2度の「電車」経験をもつ石川ゼミが担当することになりました。
以下,4月17日に開催された第1回3年生ゼミでのはげしい相談の結果です。はげしく御検討ののち,はげしく御回答いただけることをはげしく期待しております。
極秘「合同『電車』宴会」の目的
ひたすら娯楽。‥‥但し,無理やり考えるなら次のような理由づけをすることも不可能ではありません。
・落ちゆく夕陽にむかって参加者全員で万葉の歌を合唱し,我を忘れてゼミとゼミ生間の友好をはげしく深める。
・通行人の服装と行動にジェンダー視角からの分析をくわえ,男女平等へ熱意をはげしくたぎらせる。
・消えないビルの灯に長時間労働大国日本の現状をはげしく憂い,働く労働者にマイクで訴える。
・以上の行動に阪堺電車の正副運転手さんをまきこみ,本学と本学学生についての正しい社会的評価を普及する。
・こうしたアホ体験をつうじて「人間やる気になればなんでもできる」という偉大な真理を自らの肉体で感得し,以後の人生への尊い糧とする。
極秘「宴会」決行の日時
5月31日(日) 午後5時半~7時半
あるいは
6月6日(土) 午後5時半~7時半
わがゼミでは激論のすえに,この2つの案がでました。石川ゼミとしてのはげしい第1候補日は5月31日の方です。よろしく御検討ください。なお,時間はこちらから指定することができます。6時からでも,4時半からでも,5分単位くらいで細かく指定することができます。
宴会電車は普通の電車のダイヤをぬって,なにくわぬ顔で路面を走ります。各停留所にも一応とまります。遅刻する人は,タクシー等で先回りをして,停留所ではげしく手をふり,運転手さんをはげしく見つめ,「ややっなにごとか」と思わせてそのスキに電車に乗り込むという方法も可能です(昨年,実行して成功しました)。また浜寺と我孫子でトイレ休憩があるので,そこから乗り込むことも可能です。
電車は天王寺から浜寺へ,浜寺から天王寺へもどります。休憩時間をふくめて2時間程度です。しかし7時半に終了したとしても(もちろん1次会のことですが),神戸方面へ帰るにはかなり時間がかかります。遠くの人については「オカアサン,この日はどうしても帰れないの,ごめんなさい,アタシ悪い子ね,ヨヨヨヨ」と早めに泣きをいれておくのがいいかも知れません。石川ゼミでは,すでに「あんたの家にとめて」という分宿体制がとられつつあります。
極秘集合の場所
大阪・天王寺交差点どまんなか阪堺電車乗り場(極秘につき地図など詳細は後日)。
事前の極秘準備
阪堺電車は車両と正副運転手さんとゴミ袋のみを提供してくれます。車両そのものは特注の宴会仕上げとなっており,飾りや「カラオケ」(但し曲数は少ない)はセットされています。
したがって,飲み物・食べ物・宴会小道具/大道具類はすべて持ち込みとなります。但し,蜂の群れは持ち込み禁止。天王寺の乗り場近くには「近鉄デパート」など買い物のできる場所はいくつもありますが,小道具/大道具類についてはカバン,リュック,トランク,軽四などで御持参ください。飲み食べ物は各自持参が正解かも知れません。
各ゼミごとのはげしい催しはもちろん大歓迎です。石川ゼミは真正面から受けて立ちます。はっきりいって撃つタマはたくさんあります。
金はいくらかかるのか
今年の費用はまだ確認していませんが,1車両につき6万5000円程度と思われます。30人なら2200円弱。65人なら1000円でいけるということです。電車の利用料は以上ですべてです。
座席数は40弱だったと思いますが,電車ですので「吊り革」はちゃんとあります。また,床にシートを敷いて楽しいハイキング気分を味わうというのも一興です。
そう,シートというのも持ち物リストにくわえる必要があるかも知れません。
費用は当日,電車の中ではげしく徴収します。払わないヤツには石川ゼミの特別チームがはげしく拷問します。北×先生,拷問してほしいからといって,わざと金を出ししぶるのはやめてください。
急いで返事のもらいたい問題
あなたたちのゼミはやる気はありますか。いっしょに「はげしく」やる気はありますか。
もし,やる気があるなら,日取りはどちらがいいですか。また電車の時間は何時がいいですか。
あなたたちのゼミからは何人きますか。ちなみにうちのゼミは3年生14名(全員参加)プラス気の弱い教師1名プラス就職活動のあいまの4年生がチラホラという数です。
あなたたたちはんなスタイルで時間をすごしたいですか。はげしい飲みですか,はげしい歌ですかか,はげしい芸ですか,はげしいカブリモノですか,はげしい踊りか,はげしい教師いびりですか‥‥。
以上,ともかく電車を予約するためにはまず日取りと時間を決めることが急がれます。できるだけ早急に御返事がいただけることをはげしく期待しております。
石川ゼミより,はげしくウフンな愛を込めて!
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北島先生・飯田先生,そのゼミのはげしく学びはげしく遊ぶゼミ生のみなさんへ……-合同「電車」宴会情報(2)-
石川ゼミ一同(代表:企画が失敗したら
丸刈りになる運営委員長マルガリータ江口)
ふっふっふっ‥‥もうバリカンは買ったゾ!
その後の経緯
北島・飯田両ゼミのみなさん,スーパー・ハイテンション企画「阪堺電車で酒のんでGo!」への意欲あふれる参加表明ありがとうございます。まだまだ世の中すてたもんじゃない。石川ゼミ一同,その感を強くしております。
企画の建前である万葉の恋歌,ジェンダー,過労死などのキーワードを時に呪文のように口ずさみつつ,「人間やる気になればなんでもできる」という偉大な真理を感得し,お互いの今後の人生への尊い糧を得るために全力をつくしましょう。宴会終了時にはすべての参加者が肩をだきあって「本当に人間というのは恥をすてればなんでもできるものなのだなぁ」と涙を流して感動にむせびましょう。「地獄の特訓」2時間10分版です。
以下,新たに決まったことなどです。
「宴会」の日時
日取りは5月31日(日)午後5時~7時10分となりました。先日のよびかけでは5時半としていましたが,帰り時間が遅くなりすぎないようにとの配慮から30分くりあげてみました。おまちがいのないように。ただちにスケジュール帳に「真紅の血文字」で,あるいは「金のふちどりつきの文字」で「時は5時,1秒たりとも遅れてはならじ」と御記入ください。「我五時不可遅刻,要覚悟腹切」なんてのもいいかも知れません。
宴会電車は普通の電車のダイヤをぬって,なにくわぬ顔で路面を走ります。本当になにくわぬ顔で走ります。遅刻者を待って運行時間を変更するということはできません。したがって,5時といえば5時半,5時半といえば6時にしか来れないアナタ。1限目の授業に時間どおりに出席したことのないアナタ。そういう人々は遅くとも4時半までに「もちこみ」の「酒・つまみ」を完備して集合するつもりが必要です。そうまでしても万が一遅刻してしまった場合にはタクシーで電車を追い抜いて,先の停留所からはげしく手をふって下さい。運が良ければ乗せてもらえます。停留所と無関係に「線路で大の字」になって電車を止めるというのも一つの方法です。しかし,ちょっとリスクが大きいかも知れません。
公式企画は電車の往復が終了した時点で終了とします。そこでいったん解散です。「もうこんな人らつきあってられまへん」という人は自分の魂を守るためにすぐに帰ることです。
2次会などそれ以降の行動については石川ゼミは責任を持ちません。ただちに四方に散って家路につくも,ただちに手に手をとってカラオケ・オールナイトに向かうも,ただちに「ごちビル爆食」に突撃するも,そしてただちに闇の天王寺動物園に侵入して異国の動物たちと膝をまじえて語り合うも,まったくの自由です。その他ありとあらゆる可能性がその場で検討され,おそらく結論はその時のテンションの高さと体力の残り具合と各人の財布の中身が決めることになるでしょう。
集合の場所
各ゼミで決めていただいたら結構ですが,石川ゼミは大阪・天王寺交差点どまんなか阪堺電車乗り場上歩道橋に「旗」を出すことにしています。「あたしったらぁ,天王寺っていわれてもぉ,そんなとこぉ,いったことないしぃ」という田舎系タワケモンの人々は4時に梅田ビッグマンに集合することになっています。ビッグマンから地下鉄への移動時間,地下鉄駅から交差点までの移動時間を考えると,ビッグマン集合は4時でなければなりません。断じて4時でなければなりません。
天王寺の交差点までたどりつけば(たとえば梅田からだとJR環状線,地下鉄御堂筋線,地下鉄谷町線,タクシー,原チャリ,元祖チャリ,徒歩など何をつかっても行けます)歩道橋上は誰にでもわかります。不安な方は添付の芸術的地図を御参照ください。
なお2時間10分という短い運行時間ですので,乗り込んでからハイテンションになるのに時間をかけているゆとりはありません。乗ったとたんにエンジン全開でなければなりません。そこで4時ころに交差点に集まって「軽く一杯」すませておくのも一興でしょう。交差点の上から通天閣をながめて飲む酒もまた格別です。酔って通行人にからんでみるのもいい体験かも知れません。
金はいくらかかるのか
電車を借りる費用は‥‥‥‥正確に聞いたのですが,はっきりいって忘れてしまいました。ですが,参加者がいまのところ40人前後のようですから,各人1500円から2000円のワクでおさまるものと思います。「もちこみ」の費用はこの他の個人負担となります。
車両は「クーラー付きカラオケなし」と「カラオケ付きクーラーなし」の2つに1つ。迷うことなく「カラオケ付き」を選びました。季節は5月の夕方です。暑ければ窓をあけ,窓から世間に毒気をふりまけばいいのです。ただし世間は迷惑だと考えるかも知れないので,大学名はふせておいた方がいいでしょう。「神戸にある岡田山女子大学」なんてのはどうでしょう。うちのゼミではカラオケや呑み屋などでときどき個人の名前としても「岡田山」をつかっています。
以上,御質問・御意見・御提案などあればいつでも石川ゼミのドアをノックしてください。いつでも歓迎します。ただし「アタシやっぱりこんなバカな企画は欠席します」などと「困ったちゃん」なことを口走ってしまった場合には,その場で「切り捨て御免」なメにあうかも知れませんので御注意ください。
では5月31日にお会いしましょう!
石川ゼミより再びウフンな愛をこめて!
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石川ゼミ同窓会の発足にあたって……1997年3月26日
[解説]これはその名のとおり,同窓会発足にあたって作成された同窓会規則のようなもの。ただし,これはこのホームページに掲載する文書を探す途中で偶然発見されたもので,おそらく作成直後以外には誰も目にしたことのない,そんな意味では大変に貴重な文書である。卒業生一同は心して読むように。(2000年12月3日)
〔同窓会の名称〕
一応,神戸女学院大学石川ゼミ同窓会ということにしておくが,別に「大王」同窓会とか,「おしあわせ」同窓会でもいいと思う。
〔同窓会の目的〕
「同窓会」という「合法」的な装いのもと,家族や職場の上司をだまくらかして発作的に集まり,騒ぎ,飲み,歌い,踊るなど,やりたい放題をすること。
〔会員資格〕
その時々に「同窓会」に参加して騒ぎたいと衝動的に思ったすべての人々。したがって,「同窓会」はゼミ卒業生以外(彼氏,彼女,家族,友人,ゆきずり‥‥)も「お誘い」自由とする。
〔会員の義務〕
「同窓会」でよく騒ぐこと。それ以外には何もない。
〔会員の権利〕
「同窓会」でよく騒げること。それ以外には何もない。
〔同窓会の開催〕
年1回を原則とするが,少人数でゲリラ的に開催するものはまったくの自由とする。年1回の全体会は現役3年生が中心になり,夏休み終わり頃に企画する。当面,阪堺電車をメイン企画とする。連絡は早めに行う。
〔会費〕
いまのところなし。毎年のコンパの際に「おつり」を少しずつ,ちょろまかして蓄えて口座をつくるという方法も考えている。
〔組織運営〕
学年ごとに会長(連絡係)をおく。住所など連絡先変更の場合には,各人,自主的に会長まで連絡のこと。96年3月の卒業生を,同窓会第1期生とよぶ。ニュースの発効,その他詳細は,今後,適宜,思いつき的に補足・補強・変更・変質・堕落・泥酔・更生・飛躍・脱皮・突然変異・キイロショウジョウバエ等していきたい。
〔その他〕
以上の各項にふくまれぬあらゆることが,ある日突然に実施されていく可能性を誰も否定できない。
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今年も秋は,ホ・ホ・ホ・ホ・ホ‥‥1997年8月1日
[解説]えっとこれは,ゼミで行う「阪堺電車で宴会だあ~い」に卒業生を誘っている文書。実際来たのはちょっとだけだったけど,でも「電車で宴会」なんてそうそうあることじゃあないから,集まったメンバーには楽しかったと思う。(2000年12月3日)
同窓生のみなさん,元気にはたらいていますか? もうみんな学生ではないのだから,ちゃんと敬語をつかって手紙を書いてあげたいのだが,どうしても,ぼくのこの性格とあたまに残っているみんなについてのタワケた記憶がジャマをして,指が敬語を打とうとしない。ワープロにむかうと,指が自然にぞんざいな言葉を打ち込んでしまうので,だから,まったくもって仕方なしに,今回も,適当な文章で書かせてもらうことにするわな。
第1回の同窓会は,案内のとおり,そしてまた同窓会規約に明記されているとおり,阪堺電車で行われる。
3・4回生の合同コンパの場でもあるが,4回生は就職活動があるので,出席率は保証の限りでない。しかし,卒業生19名,4回生17名,3回生7名で計43名がそろってしまうと,おそらく座るところが足りないから,それもまた良しとしたい。
電車の手配や,みんなへの連絡などはすべて3回生がしているが,電車は昨年よりバージョンアップされていて,椅子もきれいになっている(いや,べつに下見に行ってきたわけではなくて,パンフレットで確認したのだ。いや,ホントに現物をこの目で見てきたわけじゃあないって)。
宴会電車は昨年と同じく2種類あるが,昨年われわれが使用した№1は,今年は早くも№2に格下げになっていた。悲しいが,栄枯盛衰は世の常である。そして,格下げされた宴会電車№2には気の毒だが,弱肉強食は資本主義の常でもある。そして,安くて良ければそれでいいじゃんというのも資本主義の消費者蠇蠇すなわち飲めて歌えて楽しけりゃ,それでいいじゃん,文句ないじゃんというわれわれ石川ゼミの常でもある。わが3回生は,すでに迷うことなく,昨年の電車に見切りをつけ,栄えある今年の最新式の№1を予約している。
日程は「次の日は休み」がいいだろうということで,土曜日を選んだ。ぜひみんなで参加して,汚れ(ケガレと読むのだよ)なき3回生たちに,キミたちの「社会にもまれてもうすっかりヨレヨレよぉ」という,はすっぱな汚れのオンパレードを,くわえタバコでワンカップ大関でもすすりながら見せてやってほしい。3回生たちには,思わず息を飲まずにおれない,いい社会勉強になることだろう。
司会はもちろん,同窓会の永年宴会大王・宴会の修羅場に咲く大輪の花・カンクミ嬢にお願いしたい。カンクミは,いまから,しっかりスケジュールをあけよう努力すべし。もし,そうでなければ,当日,電車内ではカンクミの卒論がまわし読みされるであろう。ホホホホホ‥‥。
昨年と同じく,飲み物・食い物は持ち込みである。車両内で買うことはできない。全員,勝手にもってきてくれ。もちろん,時間に遅れた場合には乗ることはできない。昨年は動きかけの電車のドアをたたいて無理やり乗り込んでいた重田とかいう人物がいたが,今年はぜひ,時間どおりに無事に乗ってもらいたい。
会費は,電車代を参加者全員であたまわりすることにしたい。参加人数が多ければ安くなるし,参加人数が少なければそれなりの金額になる。だが,6万としても,20人で3000円,30人なら2000円といったところであるから,ひたいに汗するフリして稼いでいる「巨万の富」(別名・初任給ともいう)からすれば,たいした額ではあるまい。しっかり支払ってほしい。
2次会以降は,みんなにまかせる。勝手にしてくれ。
当日の進行だが,お決まりとして,やはり「同窓会会長ごあいさつ」というのは必要かと思っている。ちょっと考えたところで,次のようではどうだろう。
・発車と同時に,本日の進行の確認(石川)。
・同窓会会長あいさつ,乾杯の発声(横江おしあわせ正子様)。
※彼氏の東京転勤により,最近は「横江ちょっとお気の毒正子様」とも呼ばれている。
・4回生あいさつ(運営委員長かな)。
・3回生あいさつ(運営委員長かな)。
・総合司会カンクミ登場。
‥‥以後,汗とツバと鼻水をとばしながらの激しい踊りと歌が延々とつづく,延々と,延々と‥‥体力と電車運行時間のつづくかぎり‥‥
出欠の確認は,いずれ「往復はがき」を送らせてもらい,9月ころにでもあらためてすることにしたい。ともかく今は,スケジュールを空けておけるよう,キッチリ手帳に記入しておいてほしい。
卒業以後,どこかでぼくが顔をあわせたみんなは,田路withMくん・山田・野田・横江・塩濱さんの5(+1)人である(たぶん)。他に,手紙をいくつか受け取ったり,また筒井さんからは「1996年度卒業生」の写真のはいったカレンダーをとどけてもらいもした。「金の額縁に入れろ」とのことだったが「いや,ちょっと,それは」と思いつつ,それでも研究室にキチンとはりつけてある。このカレンダーでは,写真を合成するという高度なワザがつかわれており,稲垣・福島さんは少し宙にういているし,横江・カンさんは写真の左上スミに「欠席者風に」埋め込まれている。
あのサティアンはもう取り壊される。この夏は引っ越しであった。新しくできた「ダッドレー館」というところへ(図書館新館のちょうど裏側にある)。7月28日が引っ越しの日であり,その日は激しく働いた。研究室の電話番号は変わらず(0798-51-××××,FAX兼用),研究室は3階の312号室である。ただし,斜面に建っているので,玄関を入ったところがすでに2階になっている。
ところで,みんなの飴食い努力と,萬さんの趣味的ながらも激しい努力によって完成した「ヒネたコゾウ」のれんだが,じつはアイツは「コゾウ」ではないということが判明した。
4回生の澤崎陽子という大阪弁でフランス語をしゃべるという不思議なチャキチャキ娘が,地元十三の町で見つけて買ってきたくれた2種類の飴「ゲレンデ倶楽部」と「ドキドキ・ビジネスマン」によれば(そうあの「ゆあがり」飴はシリーズ化されているのである),あの「謎のコゾウ」は次のような男だったのである。
まず飴には「全国の皆さまからのお問い合わせにより,沢田君のプロフィールをご紹介します」とある。なかなかシャレた飴屋だ。やはりヤツについては全国から多く疑問の声があげられたらしい。つづけてプロフィールは次のようになっている。
「沢田文雄」(ふみおというのは字はちがうが,うちの末の息子と同じ名前ではないか,なんということだ,コイツはあながち縁のないヤツでもなかったわけだ)。
「28歳」(ホウ,この年齢は「コゾウ」なのか「オヤジ」なのか,きみたちの感覚からいえば何になるのか?)。
「生年月日:昭和43年10月10日体育の日」(絵に書いたような十月十日〔トツキトオカと発音のこと〕人間ということだ,もっともこれは親の問題か)。
「趣味:スノーボード,パソコン」。
「彼女いない歴:8年」(これを読んだある学生は「エエーッ,コイツに彼女がいたことがあるのか」と驚きの声をあげた)。
「その他:暑さに弱く,寒さに強い。今はインターネットにも夢中」。
そうそう,思い出したから,ここではっきり言っておくが,本を返しなさい。借りたものは返しなさい。とっとと返さんかコラ。しゃあないし,手もとの貸出「PostIt 」で確認できるものだけを下に書いておこう。
重田・『企業中心社会の時間構造』『過労死とのたたかい』『激論!企業社会』『日本型企業社会の神話』『男の勘ちがい・女の夢ちがい』『女と男の肩書』(上下)。
カンクミ・『「規制緩和」で日本はどうなる』
野田・『笑いのモツ煮こみ』
田路・『レンタル不倫』『貴女も社長になりましょう』
※ただし『社長』は,本当の社長になるまで貸出を延期してやろう。そのかわり,ホントに社長になったら,その時はオゴれ。
そして,卒論関係の文献については,貸出「Post It 」に記入しないままに貸し出されたものが多数ある。たとえば,カンクミの部屋に稲垣の本がしまいこまれているように。
正直に,後輩たちのために郵送しなさい(但し大学に)。いっておくが,宴会電車の日にもってくるのはやめること。宅急便でも郵便でもいいから,大学に郵送のこと。もし,本を返さなければ,その名は,石川ゼミの代……
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極楽スキーへの参加のお願い-なぞのトリップ小僧から内田先生への手紙……1998年1月27日
[解説]ええと,この文章を書いたときは,本当に精神状態があぶないね。その手紙を受け取って喜んだ内田先生もあぶないね。きっとね。(2000年11月23日)
過日「極楽スキーの会のご案内」なる怪文書をいただき,その後も,はげしい「声かけ」「肩たたき」「板もってきたゾ攻撃」等をうけ,私の逃げ道はもはやなくなったものと判断いたしました。
金も時間もないけれど,ここに潔く「極楽スキーの会への参加のお願い」をお届けするものです。よろしくお願いします。
ああっ!
(ここで,右手をつきあげ宙をつかみ,左手でノドをかきむしり,ひたいに汗をながし,顔に苦悶の表情をうかべる。この時,目はつきあげられた右手の延長線上をむき,どこにも焦点をあわせてはいない。)
「えっ? なんのまねだって? ふっ,そんなこと,この歳にもなっちゃ,恥ずかしくていえませんや。かんべんしておくんなさいよ,ダンナ」。
あ‥‥失礼しました。ときどき,こういうことがあるのです。ところで考えてみると,なにぶんスキーはおよそ15年ぶりです。ですから‥‥ですから‥‥ですから‥‥ ああっ!
(ここで,さっきと同じポーズ。)
「緊張のあまり『車中での電車酔いゲロ大爆発』とか,あるいはちょいとした手違いでの『車中での打ち上げ20連発特上中国製花火大爆発』とか,はたまた旅館で大酒くらっての『ゲロつき枕投げ大爆発』とか,そんなかわいいミスをしちまうかもしれねぇって,そんな気がするんですよ」。
「まあ,そんなときにゃ『なんてかわいいヤツ』ってなぐあいに『コイツゥ』と,ダンナのいかつい右手人指し指で,このちょっとテカッたひたいを小突いてくれりゃあ,それでいいんですが」。
うっ‥‥うう‥‥失礼しました。また,ちょっとあちらへ行ってしまっていたようです。最近,ろくに研究もせず,夜おそくにホラー小説など読みふけっているからでしょうか。
気にしないでください。3泊4日ていどの旅行であれば,何も,そんなに人さまの腰をぬかしてしまったり,ましてやド肝をぬいてしまうなんて,そんて大それたことはしないと思います。
ところで,当日の持ち物ですが,板はどうしたらいいのでしょう。宅急便ですか?
それから,費用の支払いや行き帰りの電車の時間は‥‥何時‥‥何じ‥‥なんじ‥‥汝‥‥くふふ‥‥ききき‥‥けけけ‥‥ ああっ!
(もちろん,さっきと同じポーズ。)
長くつづく静寂 首筋をつたう冷たい汗
この文章を読んでも,決して「アホか」とか「ケッ」などと口に出して,これを笑ってはいけない。すでにそうしてしまった者は,1週間後の今日,この時間に,私と同じく「ああっ!」と虚空をつかむ「ああっ!の者」へと変身しよう。
くわばら,くわばら,くわばらのぶお(吉本新喜劇のベテラン役者の名前,知らないと悲しいので念のため)。
ふふふ‥‥ひひひ‥‥けけけ‥‥では,また後日,こんな私でいいのなら‥‥花火がドッカーンきれいだなぁー‥‥ふふふ‥‥ひひひ‥‥けけけ‥‥
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「極楽スキー」で初めて会ったHさんへの手紙……1998年3月11日
[解説]やたらと伏せ字が多いのは実名が多いから。それも「極楽スキー」でたった1度会っただけという人の名前だからね。「極楽スキー」というのは,神戸女学院大学の教職員の一部メンバーが毎年行っている「年に1回くらいはいい宿いい風呂でいい酒でいいメシでいいスキーやったっていいじゃあねえかあ」な企画のこと。学内では見られぬ素の人間が見れておもしろい。ようし2001年は参加するぞ。(2000年12月3日)
お元気ですか。
本日「お×ちゃん」より,Hさん発の怪文書「楽しかったです」をうけとりました。「お×ちゃん」に「Hさんの住所を教えてください」と頼んでおいたのですが,それがHさんの怪文書とともに届けられたと,まあ,こういうわけです。
「楽しかったです」。そりゃあ,ようござんしたねぇ。しかも,その後が結婚記念日の楽しい御旅行とあれば,そりゃあ,「楽しさ」も倍増したことでしょうよ。ああ,ああ,そいつは良かったねと。
ところが,こちらは3日目はたいへんだったのですよ。強風で。頂上は風速20mとほとんど台風状態。そのためにゴンドラは動かず,リフトも下界を這うのが2~3本チョロチョロと動くだけで。ところが,それでもうちのリーダーがあの強烈体力男の内○氏だったために,無理やり上へ上がっていくわけですな,これが,ああた。
その結果,最後に私は例の「シュナイダー」というコブつき崖につれこまれるという悲しい運命をたどりました。あの強烈体力人はそういうことを事前に説明するような配慮というものを持たないのです。誰でも人間であれば,それくらいの体力はあるものなのだと信じているのです。
「走るキョウキからケモノ悪魔へ輪廻転生なさっていた方は最後の1日は何になられたのでしょうか」。
答えは複雑です。初めて挑んだ「シュナイダー」の上の方では,ビビリまくりの「カワイイうさぎちゃん」になっていましたし,「シュナイダー」の後半に入ると,左側頭部にプチッと音がして,あっという間に初日の「走るキョウキ」にもどっていたからです。この場合の「キョウキ」は「凶器/狂気」の両面をふくんでいまね。
まあ輪廻のいきつく先は,何にでも姿をかえることのできる万能の神であったということでしょうか。人によっては,単なる人格破綻者とよぶことも可能でしょうが。あ,この場合,人格破綻者は「ジンカクコワレモノ」と読んでください。その方が,好きです。
「お×ちゃん」は,2日目の夜からあとは「ジジ」とよばれていました。それは,あの無駄な力の入らない,体重移動の上手な省エネ滑りから来ています。
A「お×ちゃん」の無駄のない省エネ滑り=いぶし銀
Bいぶし銀=ジジ
∴「お×ちゃん」=ジジ
という見事な三段論法の結果です。見てわかるように,この論理には一分のスキもありません。
また3日目の夜のシュプール号での宴会は「離婚の原因および離婚後の人生」という重たいテーマでやみくもに盛り上がりました。まわりの一般市民はとても驚いていたと思います。じつは我が集団を,A結婚している者,B結婚したことがない者,C結婚したけどやめちまった者,の3つに分類すると,なんと,まあ驚いたことに「結婚したけどやめちまった者」が圧倒的多数派だったのです。
まったくなんという集団でしょう。あきれちまいますわなぁ,という私もその一員でしたが。
(中略)
なお,怪文書には「また春になったら飲みにでも行きましょう」とありました。それには,ぜひ私も参加させてください。つまらない思いはしないと思いますよ。たぶん,きっと,おそらく。
しかし,Hさんがいうこの「春」というのは,一体いつからのことなのでしょう。世間はもうすでに「春」のように思えるのですが。それとも東灘区はまだ冬なのでしょうか。それとも,この「春」は意表をついて来年の「春」ですか。
いわずと知れたことでしょうが,私にとってはほぼ一年中が「春」です。したがって,「飲み」の心と体の準備はいつでもできています。いまに「お圭ちゃん」もそうなると思います。もし,そうなったら,来年の極楽スキーは「キョウキ&悪魔」がコンビで滑る,とんでもないスキーになると思います。すんごい楽しみです。
そういえばHさんは「馬かぶり」,いやコブにとりつかれた「ラクダかぶり」でしたね。我が「かぶり者研究会」の総力をあげて「ラクダ」を来年までに探しておき。我が「かぶり者研究会」の「者」は「者」であって「物」ではないのです。わが研究会は「かぶりの者」とよばれる特殊な能力にめぐまれた人間の集まりなのです。
たんなる「かぶり物」などハンズにいけばゴロゴロしています。しかし,わが「かぶり者」は,じつは何者かによって選ばれた人種なのです。実に貴重ないきものです。ただし,選んでくれたのが誰なのか,その基準が何なのかは,いまだに私たちにもわからないのですが。
ともかく,来年の極楽スキーもはげしく「楽しかったです」になりそうです。それまで,お互いスキーと芸と人格と酒量とかぶりの腕(あたま?)を磨いておきましょう。
では,また。「春」の飲み会でお会いしましょう。
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