4月1日は3時半から3つの面談。話題は当面する雑誌論文の内容である。
1)「離米」論については,政治的「離米」論にも目を配りながら,しかし,主には経済的な「離米」論の吟味を中心課題とする方向。すでに海外市場のアメリカから東アジアへの重点移動と,「マネー敗戦」構造からの脱却の必要が論じられている。
2)そこで忘れずに提起する必要があるのは,東アジアとの交流を深めながらも,外需頼みの経済体質そのものからの脱却という問題。
「高度成長」期以来,財界主導の日本経済は,国内の低賃金(内需抑制)を武器に外貨をかせぐ仕組みをもってきた。それが「内需といえば公共事業」という,他の国にない独自のゆがみにもつながっている。
その特徴自体の転換を考える必要があるということ。経済的「離米」論の一部にすでにその議論があるが,しかし「無理なことだ」とあきらめている。「本当にあきらめて良いのか」という問題を立てる必要があるようだ。
3)なお経済的「離米」論の一部には,国防面での対米自立の主張が含まれている。ただし,それをあからさまに書くことは,日本の主要メディアでは「御法度」のよう。なるほど「対米従属」の自己規制的思想管理であろうか。
4)郵政民営化問題で自民党を出ずにおれなかった勢力が,この手の「離米」論を活用しているという問題も聞く。
「読売」の元旦社説が小泉「構造改革」に異をとなえるものとなり,「文春」が小泉批判を繰り返すなど,すでにマスコミがこぞって小泉「改革」の礼賛をいう状況ではなくなっている。経済・社会「格差」のとらえ方の違いもひとつの事例。
それは日本の進路選択をめぐる支配勢力内部の一定の分裂状況を表しつつある。
5)「離米」の議論も,東アジアへの接近も,戦後の「対米従属を最上位におきながら靖国史観を温存する支配層」の大きな変化の入り口となる可能性を秘めている。そういう大きな視野で論壇をつかまえ,こちらの発言の方向をさだめていく必要がある。
大きな課題だが,おもしろい局面である。
最近のコメント