2つめの話し合いのテーマは「少子化」問題である。
1)課題は「次世代法」のような狭い意味での「少子化対策」の吟味でなく,なぜ今「少子化」か,なぜ日本の政治はこれに有効な対策がとれないのかという根本を論ずることとする。
『少子化社会白書』には,現状への憂いがあり,欧米各国の「対策」に学ぼうという姿勢があり,関連する詳しい資料の提示もある。それにもかかわらず今日の「少子化」を生み出してきた,労働政策や社会保障政策の方向転換という,有効な打開の策は見られない。
実際『白書』にも「次世代法」にも,その目的を達成するのに必要な予算措置はないのだそうだ。
財界もまた「将来の労働力不足」という角度から,幾度も問題をたててきたが,それにもかかわらず,なぜ実際の政治はそのようなことにしかならないのか,そこが主な検討課題。
2)この課題には多様な接近の仕方がありうるだろうが,いまの自分に魅力的なのは資本主義的な「人口法則」の検討である。
人口の増減が「人の本能」といった「自然」に解消されるものでなく,時々の社会の基本的な仕組みに深く規定されているというのは19世紀以来の「常識」といえる。
その「常識」を現代日本の状況に照らし,あらためて吟味してみるという課題である。
とっかかりしたいのは,やはりマルクス。
その人口論は「相対的過剰人口」論とするのが「通説」だろうが,はたしてそれはどこまで正答なのか。
「自然」や「本能」を語るマルサスへの批判は,あくまで当時の労働者の社会的貧困をどう説明するかという脈絡でのそれであり,マルクスの人口論の全体ではあるまい。
たとえば資本関係の再生産論には,当然のことだが労働力再生産の分析が含まれている。また労働力価値論も,労働者家族の再生産論の基本となろう。
現代日本の人口のおよそ80%が労働者家族にくらしているが,その人口の寡多は,依然として賃金と社会保障,教育や住宅などの生活条件に左右されている。
では,その賃金や社会保障,各種の生活条件の充実は何によって左右されているのか。その解明にあたり,マルクスの資本主義分析には,いまだ学ぶべきところが大きいように思う。
この手の究明には,どのような先行研究があるのだろうか。
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