7月5日は、8時すぎの起床であった。
新参を、仕事が休みの相方にまかせ、
9時30分には、外に出る。
JR「加島」から「尼崎」へ、「新大阪」へ。
車中「時間焦りの人」となっての移動である。
「新大阪」で、K合学長、S野事務長、
U田先生、S藤先生と、無事、合流。
10時10分には、予定どおりに「新大阪」を出る。
車中「キャリアしゃべりまくりの人々」となっての移動である。
こちらは繰り返し、8分間プレゼンの予行演習も行っていく。
11時半には、サンドイッチをパクパクと。
「東京」からは、ただちに、一橋の学士会館へ。
お茶を飲んでの時間調整。
すぐ近くに、「巨人の星」を思い起こさせる、
「日本野球発祥の地」記念碑が立っていた。
1時45分には、会場の日本教育会館に移動。
2時から、25分間の面接をうけていく。
審査されるのは、この春、文科省に提出した
「女性のライフステージに応じたキャリア教育」の取り組みである。
8分の説明の後、17分間の質疑がつづく。
あっという間にすべては終わり、
2時30分には、外にである。
ただちに「果報は寝て待て」(S藤先生)の構えに移る。
現地解散とし、それぞれ四方に散ってみる。
地図を見て、「九段が近い」と気づいたこちらは、
迷うことなく「しょうけい館」へ。
6月に学生たちと寄せてもらったが、
その時には、十分見ることのできなかったものをながめる。
許可をいただき、何枚かの写真も撮らせていただく。
それは各地での講演会にも活用したい。
史料館の入り口である。
実際に戦争で片腕を失った、
水木しげる氏のマンガも多い。
(しょうけい館写真 【入営】)
青年たちの入営の様子である。
家族や親しい友人が軍隊に入ることを、
「祝」うと言わねばならなかった時代の異常と苦悩がみえる。
(しょうけい館写真 【受傷】)
戦場では、命を落とした兵士も多いが、深い傷を負い、
あるいは重い病気になった兵士も多い。
(しょうけい館写真 【戦時下の療養生活】)
足を失った若い兵士たちの「療養」生活の様子である。
そのまま戦後を迎えたとしても、
生活の苦労は並大抵ではなかっただろう。
20分ほど、ビデオも見て、4時前には外に出る。
JR「東京」に、ただちに戻り、
自販機でホイホイ、チケットを買う。
4時すぎには「東京」を出る。
喫煙車両のチケットを買ってしまったが、
禁煙車両が空いており、
そちらにただちに移動する。
しばらくして、大学へのお土産を買い忘れたことに気づく。
学長および事務長のそれが、
教育開発センターにも、まわってくるものと期待したい。
車中「平沼3連発の人」となっての移動である。
多少の「成果」を得ることができ、
なんだか仕事がグッと進んだ気分になる。
JR「新大阪」へ、「尼崎」へ、「加島」へ。
7時すぎの帰宅となった。
新参と風呂で遊び、ガツガツと食事をとり、
新参に団子を食わせ、眠りに落とす。
あとは、メール、メールの人生である。
う~む、原稿が……。
またしても、頼みの綱は、火事場の馬鹿力。
枯渇してなければ、いいのだが。
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