以下は,労働者教育協会会報『季刊・労働者教育』学習の友社,2006年12月22日,第125号,28~43ページに掲載されたものです。
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格差社会とジェンダー
~女性の働き方・生き方~
問題提起 石川 康宏(神戸女学院大学教授)
1)はじめに
与えられたテーマは「格差社会とジェンダー」です。副題が「女性の働き方・生き方」となっていますが、男性がそれを話すのはむずかしいことです。私は女性として生きたことがあるわけではありませんから。今日は今の社会のなかで女性が置かれている客観的な位置について思うところを話させていただき,あとはみなさんに自由に考えていただくということでご了解願いしたいと思います。まず「格差社会とジェンダー」というそれぞれの用語に一言ずつふれておきます。
①「格差社会」について
格差社会ということが、最近よく言われますが、資本主義はもともと格差のある社会です。階級による格差もありますし,競争を通じて各自が生きるわけですから,同じ階級のあいだにも一定の格差が生まれます。ただし資本主義の歴史には,あまりにも大きすぎる格差をうめる努力を,所得の再分配という形で行う努力が含まれました。それは人権や生存権の思想の発展にともなうものでしたし,現代日本で憲法が生存権を規定し,不十分ながらも社会保障制度がつくられてきたのは,そうした歴史の努力の成果です。
しかしご承知のように「構造改革」の思想は「生存権は己で守れ」というものです。金のないものは貧しくても仕方がない。それを国や自治体が支える必要はないという考え方です。そのことによって,いま社会の貧しさの底が抜けるという問題が新たに起こってきています。人件費切り捨てを目的とした非正規雇用の拡大や,医療をふくむ社会保障制度の改悪によって暮らしの底がぬけ,国民全体の貧困化が進んでいる。それがいま広範に「格差社会」という言葉で呼ばれているわけです。
「格差」ということをいう時に,重要なのはこの貧困への認識です。格差といっても、みなさんの周りに,お金持ちになる人がどんどんあらわれているということではないわけです。まわりはみんな貧乏になっていっている。「格差」の言葉で表現されているものの実態は,一握りの金持ち以外はみな貧困化ということです。今年の『経済財政白書』が総世帯の平均所得の推移を示していますが,99年の649万円から04年の589万円へと,5年間で60万円も下がっています。それだけ貧しくなっているということです。
②「ジェンダー」とは何か
二つ目に、「ジェンダー」ですが,この言葉はわかりづらいです。実は,誰もが納得するような定義はまだ存在していません。一般的に行われている用法は,生物学的な性差――男女の肉体の違い――をセックスと呼び、そのような先天的な相違ではなく「文化的・社会的につくられる性差」あるいは「性の相違を基準とした人間関係」をジェンダーと呼びます。たとえば「男は仕事、女は家庭」という男女の分業は、人類誕生の最初から今日までずっとつづいているものではありません。これは社会発展のある段階で,歴史的につくりあげられた男女の関係です。こうしたものをジェンダーと呼びましょうということです。生産関係が歴史的・段階的に変化するように,性の相違にもとづく人間関係も歴史的・段階的に変化します。ここに注目することはマルクス主義・科学的社会主義にとっても大切なことだと思います。
ジェンダーというのはもともと言語学の用語なのですが,注意が必要なのは,これを男女の関係を表すものとして使う人たちに,社会構築主義という独特の認識論があることが多いということです。これについては鰺坂真編『ジェンダーと史的唯物論』(学習の友社,2005年)の伊藤敬さんの論文を見ていただきたいと思います。単純にいえば「人間社会は意識によって構築されているから,考え方を変えれば、男女関係は変わっていく」というような理解です。そこには,その意識がすでにある現実の男女関係に規定されてつくられていること,そうした男女関係にならずにおれない物的根拠に支えられているという面を見落とす一面があります。
私としては,これを唯物論の立場から,歴史の中に実際にある性の相違に応じてつくられた人間関係というふうに,まずはとらえておきたいと思っています。これらは、生産力や生産関係に応じた労働,それらと深いかかわりをもつ家庭や婚姻のあり方などの制度と,それに照応して生み出される男女関係にかかわる意識もふくむものになると思います。
関連して「ジェンダー・フリー」という用語の問題にもふれておきます。「バリアー・フリー」という言葉と比べてみるとわかりやすいのですが,「バリアー・フリー」はバリアーをなくすということです。その用法にしたがえば「ジェンダー・フリー」は,ジェンダーをなくすという意味になってしまいます。しかし,本当になくしたいと思っているのは不当な差別や格差であって,男女関係そのものではありません。もちろん性差そのものでもない。必要なことは不当な差別や格差のある男女関係を,平等な男女関係につくりかえていくことです。それはジェンダーをなくすことではなく,ジェンダーの歴史的なあり方をつくりかえることです。そう考えると「ジェンダー・フリー」という言葉は,男女の平等という人々の願いを的確にあらわすものとはいえません。実際,この言葉を使い始めた人たちの中にも,そうした反省があるようです。とはいえ,この用語はすでに広く使われていますから,これらの問題に注意しながら、男女の平等をめざす人々の「共通語」として,ジェンダー・フリーを使うことはかまわないと思っています。
③格差社会とジェンダーを考える基礎理論を
その上で「格差社会とジェンダー」というテーマで何を語るかという問題です。言葉をそのままに受け止めれば,たとえば今の社会で男女の賃金格差がどうなっているかといったことが思い浮かびます。2004年の数字では,男性と女性の賃金の格差は,男を100として,時間あたりで女性は68.8という状況です。さらに女性は男性に比べてパートなど非正規雇用の比率が高く,それは全女性労働者の50%を超えています。その非正規女性の賃金を時給で男性一般労働者と比較すると,45.2まで下がります。総体として貧困化をすすめる労働者の内部に,さらにその底辺に押し込められてた失業者や非正規雇用労働者がおり、そこに多くの女性が閉じこめられているという現実があるわけです。
とはいえ,こうした話は,たとえば春闘の討論集会などの際に,男女平等の賃金はどのようか、非正規雇用の賃金をどう引き上げるかなど,すでに大いに議論されている問題だと思います。そこで、今日のお話しは、そうした現状ではなく,むしろその背後にある問題。大企業・財界はどうしてこのような現実を生み出し,また生み出さずにおれないのかということを資本主義の根元にまでさかのぼって,また人間社会の歴史も追いかけながら,少し大きく考えてみたいと思います。ただし,この領域でのマルクス主義・科学的社会主義の研究は,まだはじまったばかりといっていいと思います。私自身も、現時点で全体が良くわかったという気分には,まったく達していません。学び考えるにつれて,検討すべき新しい問題がどんどん増えてくるというのが実情です。ですから,今日の話も,あくまでも現時点での石川個人の論として理解していただきたいと思います。
2)なぜ「ジェンダー」に注目するようになったか
話をわかりやすくするために,私が今日までどのように問題を考えてきたかということを,その順序にそってお話したいと思います。まずは,なぜ男女関係・ジェンダーに注目するようになったのかという問題です。
①女子大で「経済学」を教えるなかで
一つは、女子大で経済学を教えるためという実践的な要請です。私は神戸女学院大学に赴任する前は,京都大学の大学院にいながら,あちこちの学校で非常勤講師をしていました。当時の私の研究の中心は,日米の鉄鋼産業の関係です。日本からアメリカへの鉄鋼の輸出とか,鉄鋼企業の対米進出とか,それと自動車産業との関係といったことを,かなり細かい数字を扱いながら研究していたわけです。もちろん資本主義経済を見る基礎理論についても,それなりに学んでいたつもりではありますが。
ところが,女子大で経済学を担当するようになって,こまった問題が起こったのです。それまで私が学んだつもりでいた経済学には,資本家と労働者,大企業と中小企業といった言葉は登場しても,男性資本家と女性資本家,男性労働者と女性労働者といった言葉は,ほとんど登場しませんでした。つまり労資関係とからみあう男女の関係の具体的なあり方をつかんではいなかったのです。ことの重大性に気付かされた最初は,女子学生たちが体験する就職差別の問題でした。今年のゼミ生たちも就職活動をしていますが、やはりいろいろな差別を受けています。「女に営業なんかできるわけない」と面接官に直接いわれた学生もいますし、セミナーのなかで女性だという理由で質問に答える権利さえ与えられない学生もいました。「御社のセミナーに参加させてください」といった時に、建て前は「男女とも採用」だが,女性が連絡すると「満席」と断られ、目の前で男性が連絡をすると「空きがあります」と対応される。こういうことがたくさんあったわけです。
入社してからの差別については,みなさん良くご存じのとおりです。セクハラも深刻です。私が聞いている限りでも、営業職の女性が他の会社に行った時に、そこの男性職員に身体のラインを上から下へなでられたということがあります。脚立の上にあがっていて足をさわられたとか、露骨に「あなたを誰がものにするかが職場の話題になっている」といわれた卒業生もいます。そして,そうした場合には,セクハラの被害者であるにもかかわらず、女性の側が職場を辞めずにおれない現実も生まれてきます。
こういう問題に,女子学生たちは直面せずにおれない。そこで,それにかみあった経済学を語る必要に迫られたわけです。そうした問題は「女性労働者問題」といった文献には詳しくあったのかも知れませんが,すくなくとも経済学の基礎理論の範囲には登場しませんでした。資本者にはなぜ圧倒的に男性が多いのか,なぜ労働者の内部で女性が底辺に置かれるのかといったことの解明はありません。そこから「性」の登場しない抽象的な労資関係や生産関係の解説にとどまらないで、経済学のなかに男女関係を盛り込まなければならないと考えるようになったわけです。
もう一つ,女子大で経済学を語る上での重要な要請は「主婦」の解明です。学生たちの人生の「選択肢」に──望んで選択するかどうかは別にしても──専業主婦があるのは事実です。パートや派遣などで比較的短時間の労働をしながら,主として家事をするといった働き方もあります。これがまた経済学の基礎理論にはほとんど登場しないのです。しかし,成人女性の半数近くが専業主婦で,少なくない労働者も「私は主婦をしながら働いている」といった自覚をもっている。そういう人たちを視野の外においてしまえば,それでは資本主義経済全体の解明にはならないわけです。
このようにして,はたらく女性と主婦という女性の生き方の両面から,性の相違にもとづく人間関係の相違,あるいはおかれた立場の違いといったものを,経済学に含める必要があると思ったわけです。
②ある女性経済学者の問題提起
二つ目は,ある女性経済学者の問題提起にふれたことです。これはマルクス主義関係の研究者が多く所属している学会でのことでしたが、その女性研究者はこういう趣旨の問題提起をされました。「この学会は、長い間労働者階級の研究をしてきたが、それは事実上、男性労働者についての研究だったのでないか。女性労働者と男性労働者の違いであるとか、企業社会における女性労働者の位置づけということを,はたして正面から研究してきただろうか」。これも私にとっては、なるほどと目から鱗が落ちる思いの話しでした。実際,私も、資本家とか労働者という言葉を使って授業をしているときに,具体的な映像としてイメージしていたのは男性の姿だったのです。
労資関係について,また労働運動についてはいろいろな方が研究されて,様々な成果があるわけですが,しかし労働者階級の研究といいながら主として男性労働者の研究を行い,その本の最後に,付録のように、特殊なもの,あるいは例外的なものとして女性労働者を位置づけるという構成の本は案外多いのです。
③大学のフェミニストたちとの交流のなかで
三つ目は,大学の同僚「フェミニスト」教員たちとの交流です。文学・歴史学・心理学などを,それぞれフェミニストとしての視角をもって研究をしている人たちですが,そういう人と世代が近いので一緒にビールを飲んだりすることもあるわけです。そうすると,現実政治の問題ではかなり広範に意見が一致します。たとえば以前には「周辺事態法」に反対だというので,一緒に地方紙のアピールに名前を連ねたりしたこともあるわけです。
ところがその人たちに,女性の解放や男女の平等という論点で、マルクス主義をどう思うかと聞いてみると「役に立たない」とか「古い」とか散々な評価になるわけです。それが私にはとても新鮮な驚きでした。これだけ現実政治の問題で意見の一致する人にとって、マルクス主義・科学的社会主義の女性解放・男女平等論の評価がこうまで低いとは。
それで聞いてみると、批判の主なポイントは二つでした。「マルクス主義とか労働運動とか言っている人たちが実際にやっている運動の多くは、男性中心だ。幹部は圧倒的に男性で,運営も男性中心だ。女性たちの声はどのように反映されているのだ」というのが一つです。
もう一つは、理論的な問題です。たとえばエンゲルスの『家族・私有財産・および国家の起源』は、男女の平等を実現する条件が成立するのは未来社会だと論じている。女性の社会的な生産への復帰と家事の社会化が進まないと女性の解放はむずかしく,これらの条件は未来社会にならねば実現しないという組み立てになっている。ところが今日の世界では、職場での男女平等を「未来社会になったら実現してくれ」とは誰もいわない。「今すぐ実現せよ」と言っているわけです。「家庭の中の平等も今すぐ実現せよ」と言っているわけです。そこに両者のズレがある。そこを突いて「マルクス主義は,未来社会が実現するまで男女平等は実現しないのだから、とりあえずは目の前の,しかも男性中心の階級闘争に女性も貢献しなさいというふうにしかいわないでしょ」と,そういう具合に批判するわけです。
私も,それまでそれほど強い関心をもって男女関係の問題を勉強したことはなく,内容も多くはエンゲルスやベーベルとその解説にとどまっていました。しかし,彼らの著作からすでに100年がたっている。そこで100年後の今日の新しい社会的条件──人間社会が切り拓いた男女平等の到達点や,関係する学問的解明の新しい到達点のもとで,あらためて女性解放と社会変革の問題を考え直してみる必要があると思ったわけです。
3)まずは理論的到達点に学んでみて
具体的な作業としては,まず科学的社会主義の諸到達を学んでみようと思いました。とはいえ,必ずしもこれに十分集中する時間がとれたわけではありませんので,以下,厳密にこれが到達点だということではなく,到達の概要はこういうことではないかといった,やや印象的な話となります。
①女性労働者の位置づけについて
まず女性労働者論についてですが、企業社会における女性差別については、非常に戦闘的な闘いの歴史がある。その闘いを通じて勝ちとってきた成果にも大変に大きなものがある。最近も住友金属を相手にした裁判闘争での画期的な勝利和解があったばかりです。こうした裁判闘争のリレー史には,女性たちを中心とする大変なエネルギーがこめられており,またたいへんな成果が残されている。それは、誰にも否定できるものではありません。具体的な闘いは未来社会の実現を待つのではなく,目の前の不条理を乗り越えようとするものとして今も行われているわけです。
他方で,労働者全体のなかでの男性と女性の関係,あるいは女性差別についても,一定の分析の成果があります。全労働者のなかに男性より賃金の低い女性たちをつくり――工業先進国のなかでは男性をふくむ日本の労働者の賃金はどう考えても格別に低いわけですが――,それによって男性労働者の不満をそらさせる。そういうねらいがあるという指摘です。関連して,そこには男性労働者と女性労働者のあいだにくさびを打ち込み,労働者全体の団結を阻むということも指摘されています。それが人件費抑制を追及する手法だという指摘もあります。全体として,人件費抑制と労働者の団結を破壊するとまとめられるのでしょうが,これらはいずれも妥当な分析だろうと思います。
その一方で残された問題もあるように思われました。たとえば性を基準とした賃金差別が,なぜ長期にわたって有効性をもつのか,なぜ少なからぬ労働者がそれを当然のこととして,あるいは仕方のないこととして,受け入れつづけるのかという問題です。憲法が「両性の本質的平等」を語って60年も経つのに,なぜそこが払拭できないのかということです。それについてはもう少しつっこんだ探求が必要ではないかと思いました。
また,すでにふれましたが,女性労働者を非本来的で特殊な労働者という位置づけで論ずるものが多いという印象を持ちました。労働者一般の名で実は男性労働者に焦点をあて,終わりの方の章で「女性労働者」の分析が,外からつけくわえるような形でおかれているという問題です。少なくとも今日のように全労働者の4割が女性であるという現状の中で,同じやり方で問題を分析することが妥当でないことは明らかです。
②主婦の社会的な位置づけについて
もう一つ、主婦についてどのような分析があるのかという点についても学んでみました。少なくないのは,主婦は消費生活の主体であるという角度からの検討です。それから消費者運動や平和運動、住民運動、子育てだとか保育だとか介護だとかのさまざまな運動の担い手であるという政治的評価です。
しかし,資本主義の経済の中で,主婦はどのような社会的役割を果たしているか,そこを正面から問う分析はきわめて稀薄だと思えました。たとえば経済学というのは生産関係を分析する学問であって、直接的な生産関係の外にあるものの分析は後回しになる。そういっておきながら,実際には,後回しにされた問題にまで,なかなか検討の言葉がとどかない。主婦は資本主義にとっては副次的なもので,重要なものではないのだと,実際上は脇に追いやられている感じがしました。また経済学は価値をもった商品の分析から出発するのだから,価値を生産しない,あるいは市場価値をもたない主婦の労働は研究対象にならないということもいわれていました。
しかし,こういう議論では,科学的社会主義の経済学は,資本主義社会の全体を分析するものとはなることができません。成人女性の約半数を分析の対象からはずしてしまうのですから。そこには強い疑問をもたずにおれません。また,もし主婦がそのように資本主義にとって重要でないものだとすれば,なぜ資本が,剰余価値の生産にとってどうでもいいような存在を大量に生み出すのかという疑問も生まれてきます。そこから,マルクスの資本主義分析に本当に主婦の分析や家事労働の分析は登場しないのか,そこを確かめてみたいとも思わされました。
③女性解放・男女平等の達成の見通しについて
男女平等の達成までの道筋については、エンゲルスに学ぶ研究が多いわけですが、私は,エンゲルスが女性の解放を,経済を土台とする社会関係全体の改革と結んでとらえた点はたいへんな卓見だったと思っています。男女関係の変化は、社会全体の構造変化と結んで生まれるのであって,それだけが他から自立してどんどん変わるというものではない。
戦後の高度経済成長のなかで,男女関係がどのように変わっていったかを後で問題にしますが,女性が企業社会から若い段階で排除されることや,全女性にしめる専業主婦の比率が上がったり下がったりすることも,経済の状態や財界の家庭管理政策に深く規定されています。家族や男女関係だけを取り出し、それだけを独立して変化させようとしても,実際には大きな壁にぶつからざるをえない。そのことを100年以上も前に指摘したエンゲルスの研究は,やはり大したものです。
しかし,エンゲルスには,19世紀末までの資本主義しか見ることができなかったという歴史的な制約があります。すでにふれたように,エンゲルスは女性の解放,男女の平等が実現するには、女性の社会的生産への復帰が必要だといい──今の言葉で言えば、女性の社会進出と経済的自立が必要だということですが,もう一つ、そのためには家事労働の軽減が必要だといいました。そして社会主義への移行がそう遠くはないという革命への見通しもあって,それらが本格的に実現するのは未来社会のことになると考えたわけです。
ところが,その後の100年に,現実は大きく変化しました。まず女性の社会的生産への復帰が、資本主義の枠のなかできわめて大きく進んでいます。日本社会だけを見れば,復帰はまだまだという評価になりますが,日本は発達した資本主義国のなかでは明らかに人権後進国,民主主義後進国で──日本を先進国と呼ぶこと自体に私は疑問をもっています,日本社会の先進性はものをつくる能力だけではないのかと──,ですから今の日本をものさしにして発達した資本主義の到達をとらえることはできません。
たとえば北欧を見ると、大人の女性たちの労働力率は高いところだと約90%になっています。男性も100%にはなりませんから,文字通り,男性と遜色のない労働力率が実現しつつあるわけです。しかも、日本では男性と女性の賃金格差が100対60いくつといった具合ですが,北欧では80の後半から90にまで縮まってきています。さらに社会保障が豊かだということもあって,女性の経済的自立の条件は非常に豊かになっているわけです。
もう一つは、家事の軽減,女性の家事からの解放という問題です。たとえば子育てや介護の問題ですが,私たちはすべてを家庭の責任にまかせるのでなく,社会保障の充実,公的支援の拡充を政治に求めています。エンゲルスの時代には,国民の権利としての社会保障はまだ存在していませんでした。社会保障は,基本的に20世紀の産物です。そして,これもまた北欧を先進地域として,資本主義の枠内ですでに高い到達が見られています。
家事労働の機械化も進んでいます。日本では60年代に急速に進みましたが,たとえば洗濯機と掃除機と冷蔵庫の普及です。冷蔵庫がない時代には,新鮮なものを食べるためには1日3回買い物に行かねばならなかった。それが今あるような大きな冷凍冷蔵庫になると,主なものは週一回の買い物で済ませることができるようになる。洗濯も手でやるのはたいへんな重労働でした。私の家にも子ども時代には洗濯板がありましたが,それが今は全自動です。掃除機の普及も家事の軽減をすすめました。電子レンジなども,その点では大きな役割を果たしています。
また家事がかなり商業化されているという問題もあります。たとえば家の中できれいに洗ってアイロンをかけるのが大変だというものは,クリーニングに出すことができます。外食産業も発達しています。スーパーやデパートには,パックから出すだけで今晩のおかずはすべて完成となるような総菜も売られています。それがよいかどうかの評価は別問題ですが,しかし商業の力、資本主義の力によって、いわば「家事の外注」が可能になっているわけです。生活協同組合のように、働く人たちがこれを組織して、安全な食べ物を配達してもらうという新しいやり方もつくられています。また,いまは個別家庭ごとの宅配も行われるようになっています。
このように資本主義の発展のなかで家事労働の軽減が進んでいる。それにもかかわらず日本で家庭のゆとりが拡大していないのは,それがすべて低賃金・長時間・過密労働に吸い上げられているからです。とはいえ資本主義の枠内ではあっても,家事労働の実態がエンゲルスの時代やエンゲルスの見通しとは相当に変わったものとなっているのは事実です。こうした変化は女性の解放,男女平等の実現に向けて,どのような新しい可能性を開くものとなっているのか。そこをきちんと考えてみる必要があると思います。
4)日本における「フェミニズム」理論の展開に学びながら
次の段階では,フェミニズムの理論を勉強してみました。これも最初は大学の同僚たちに教えてもらった本を読み,そこから次第に輪を広げていくといったやり方でしたから,いささか印象的な話とならずにおれません。
①極めて多様な理論の現実
最初に困惑させられたのは、フェミニズムの理論が非常に多様であり,これが基本的到達ですという,いわば共通の「古典」となるような本が存在しないということでした。たとえば岩波講座の5巻本『日本のフェミニズム』は,2巻目を『フェミニズム理論』としていますが,内容は,様々な立場からの理論が1章から10章まで横に並んでいるという形になっています。どれを読んでもかなり違うことが書いてある。つまり,多様で旺盛な模索が行われているのは事実なのですが,フェミニズムの理論とは何かを端的に代表する文献は見当たらず,大方の合意が必ずしも存在してはいないのです。
ただし,もちろん今の社会で女性の地位が低い、差別があるということへの強い憤りは共通しており,そういう現状から抜け出したいという強い願いは共通しています。大学教員の世界というのは相当に男性中心主義の世界となっていますが,研究者として自立するのに大変な苦労をしてきた女性研究者の個人的な体験も,フェミニズムの理論を打ち立てようとする研究の小さくない原動力となっているようです。いずれにせよ根底には,多くの場合,非常に真剣で切実な研究への姿勢があるわけです。
②総括的な社会理論の「不在」と「マルクス主義フェニズム」
その上で,とくにフェミニズムの理論の弱みとなっているのは,社会理論,現代社会の構造についての総括的な分析であるように思います。フェミニズムの研究者には,社会学,文学,心理学,歴史学など多様な学問分野の人がいますが,マクロの視野から社会構造の全体を議論する人は多くないようです。その結果,たとえば資本主義社会であれば当然話題になる,労資関係と男女関係との結びつきはどのようかといった問題の立て方をする人は案外多くありません。様々な研究がありますから,すべてがそうだとはいえませんが,しかし,男女の関係だけに力点をおく議論が多いということはいえると思います。
ですから,たとえばマルクスの議論もふくめて,既存の社会理論に対する批判はあるのですが,それにかわる社会理論の「対案」がすっきり出ているわけではありません。大学の同僚に聞くと,これには彼女たちも困っているところがあるようです。たとえば大学の授業ではフェミニズムや女性学が学問としては定着し,旺盛な研究も行われている。出版物も非常に多い。しかし,それによって実際に女性の社会的地位が高まったかといえば,必ずしもそうはいえない。それは現代社会のとらえ方に弱点があるからではないか。フェミニストの中には,そういう問題意識をもっている人もいるのです。
その中に,たとえ弱点があったとしても,人間の解放を良く考えてきたのはマルクス主義ではないのか,そう考えるフェミニストたちもいるわけです。そしてこの人たちには、女性解放を求める理論の少なくとも一部をマルクス主義に求め,しかしマルクス主義には男性中心主義の傾向があるから,そこにフェミニズムを接ぎ木する必要があるという意見がある。この接ぎ木によってマルクス主義を解放の理論としてより豊かに発展させよう,フェミニズムとマルクス主義を「結婚」させよう,それを行うのが「マルクス主義フェミニズム」なのだと,そういう認識をもった潮流があるわけです。
③小さくない「マルクス主義」への誤解
ただし、マルクス主義に関心をもつ論者には,マルクスやマルクス主義への誤解をもっている人が少なくありません。
たとえば,これはむしろマルクス主義への評価を取り下げるという動きになりますが,「ソ連・中国は社会主義である。しかし,ソ連・中国では男女平等がすすんでいるとは思えない。したがって,マルクス主義には女性を解放する力はない」といった見方です。かつてあったソ連や、今ある中国をあれこそマルクス主義の理想の実現だととらえたうえでの議論です。ソ連社会をどう見るかという議論は,このような形でフェミニズムの領域においても論ずべき重要な論点の1つとなっているわけです。
それから「社会主義婦人解放論」はだめだという議論もあります。これは「ソ連=社会主義」という理解と結びついていることが多いようですが,「社会主義婦人解放論」は,社会主義になったら女性は解放されるから当面は階級闘争をしろ,という女性解放の先のばし論だという批判です。それでは当面のたたかいは男性中心の階級闘争となり,女性解放は後回しになる,だからマルクス主義は、目前の男女の平等ということを追求する議論としては不十分だ,という理解です。
じつはフェミニズムによるマルクス主義理解を複雑にする背景には,フェミニストが批判しているマルスク主義が,機械的なソ連流の「マルクス主義」であることが少なくないという問題があります。これはフェミニズムの理論が,ヨーロッパからの輸入学問という色彩を強くもっていることにかかわります。いまでも欧米の著作の翻訳は多いのですが,そうなるとそこで批判されているマルクス主義は,当然著者の目の前にある欧米のマルクス主義ということになるわけです。日本には「スターリン主義」とも呼ばれたような機械的・教条的なマルクス主義理解をしりぞけ,これを社会発展の新しい段階に応じて創造的に発展させてきた歴史があるわけですが,その成果が正面から検討された事例はほとんどありません。『資本論』を論ずる場合にも,その読み方がヨーロッパ等での読み方に制約されているケースが多いです。その意味で,マルクス主義に関心をもつフェミニストに,わかりやすく読んでもらえる文献を提示することは,きわめて重要な課題となっています。
また「マルクス主義フェミニスト」を自称する人たちの意見にも,かなり大きな幅があります。たとえば上野千鶴子さんがマルクス主義フェミニズムの代表のようにいわれた時期もありましたが,同じくマルクス主義フェミニストを自称する竹中恵美子さん等は,上野さんの『資本論』の読み方を大変にずさんなものだと批判しています。
こうして,ある程度フェミニズムを学んで痛感させられたことは,マルクス主義・科学的社会主義の側に,女性解放・男女平等の取り組みをすすめる創造的な理論の提起が強く求められているということです。フェミニスト等のマルクス理解を批判することが必要なことはあるでしょうが,しかし,より肝心なことは,男女平等の実現という同じ方向に向かって,ともに進むことのできる道筋を積極的に明らかにしていくことだと思います。フェミニストにとって魅力的であるマルクス主義理論の提示です。さいわい私たちには,史的唯物論という総括的な社会・歴史理論がありますし,『資本論』に代表される資本主義分析の大きな土台もあるわけです。それらの理論をもとに,ジェンダー視角からの多様な研究成果を批判的に,積極的に折り込む作業を行い,私たちの社会・歴史認識を豊富化し,鍛え上げていくことが必要だろうと思います。それはエンゲルスの『家族,私有財産および国家の起源』を現代的にバージョンアップしていくことにもつながるでしょう。
5)日本資本主義のジェンダー分析から
その次の段階で,今度は日本資本主義の特に戦後の発展をジェンダー視角をもって眺め返す作業をしてみました。
①財界による家庭管理政策への注目
私が,現在の職場に就職したのは,1995年のことでした。それが女子大生に経済学をどう語るかを考えるきっかけとなったことは,すでにふれたとおりです。2000年になって、私は初めてタイトルに女性の名の付く論文を書いていますが,その段階ではまだ主婦は視野に入れることができませんでした。まだ経済学の立場からどう扱って良いのかがわからないという状況だったのです。
そこでこの論文を書いた直後に,自称フェミニストの同僚たちによびかけて,ジェンダー問題に関する研究会をつくりました。それが彼女たちから学ぶのにも、また彼女たちに日本のマルクス主義・科学的社会主義にふれてもらうのにも手っとり早いだろうと思ったのです。そして2003年には,この会の共同研究の成果として『はじめてのジェンダー・スタディーズ』(北大路書房)を出版しました。内容には様々な意見がありうるでしょうが,全体としては非常に真面目なフェミニスト──私もふくめてですが──による研究の成果になっていると思います。この研究会では互いの原稿に,かなり率直に意見をぶつけ合いました。それは私にとってもいい勉強になりましたし,また,その中で一定の理論的な信頼関係が生まれたからこそ,「仕事にまつわるジェンダー・ギャップ」「主婦とはどういう存在なのか」という2つの章を担当することになったとも思っています。
本そのものが入門書ですから,担当した2つの章も,そう深く突っ込んだものではないのですが,それでも主婦について文章を書くのはこれが初めてとなりました。その中で私の頭の中に新たに生まれた問題意識は,財界は職場のなかの労働者を管理するだけではなく、労働者の家庭のあり方をかなり意識的に管理しているのではないかというものでした。それはマルクスを読みながら,『資本論』はその搾取や蓄積の理論に,家庭を重視して位置づけているのではないかと思ったこととも重なっています。
②世界にもまれな長時間労働と性差別を結合した搾取の体制
戦後の日本資本主義をこういう角度から考える時,最初に考えさせられたのは世界にもまれな長時間労働の問題です。サービス残業を含めれば、年間の労働時間は平均して2200~2300時間ともいわれ,ドイツ、イギリス、フランスの1500~1600時間とは800時間近くも、オランダの1300時間台とは,年間1000時間近くも違っている。年250日働くとして、オランダとは毎日4時間もの大きな格差です。他方で,この国は,工業的に発達した資本主義国のなかでもっとも性差別がひどい国のひとつでもあります。そして,実はこの両者が互いに支えあう,密接不可分の関係におかれています。韓国も非常によく似た特徴をもっているのですが。
戦後日本の歴史を見ていきます。47年から憲法体制がスタートし,「両性の本質的平等」がこの社会の指針となります。しかし、財界は戦後も,たとえば55年からの高度経済成長がはじまってからも,女性を若い段階で企業社会から排除していきます。年輩のみなさんは良くご存じのように,男性がたとえば50~55歳で定年になるのに、女性は25~30才定年とか,結婚定年,出産定年といった若年定年に追い込まれていた。財界は意図的に女性を企業社会から排除していたわけです。ちなみに女性だけの結婚退職制が違法だと,はじめて判決が出たのは1966年になってからのことです。
しかし,ここで疑問が生まれます。というのは、当時の女性に対する賃金差別は今日よりもひどかった。たとえば1960年で,男性賃金を100とした時の女性の賃金はわずか42.8だけです。では,なぜこれほどまでに安く使うことのできる女性労働者を,財界は早々と若年定年に追い込んでいったのか。雇いつづけた方が,かえって人件費は安くすむのではないか。この謎の背後には,家庭責任を女性に押しつけるという財界の労働者家庭管理策,あるいは労働力再生産策がありました。高度経済成長期というのは,一方で男性中心の長時間・低賃金・過密労働の構造がつくりあげられていく時期であり,他方で女性の「M字型雇用」が形成されていく時期でもあります。一方に,家庭をかえりみない「企業戦士」が大量に育成され,他方でそれを可能にする条件として「女は家庭」が推奨されていく。こうして「男は仕事,女は家庭」のいわゆる近代家族型の労働者家庭が大量につくられていきました。
技術力とならび,低賃金で良くはたらく大量の労働力は,高度成長実現の重要な柱となりました。しかし,それによって首まで仕事につかった企業戦士は,家事一切を他人にまかせるほかなくなります。すべてのエネルギーを職場にそそぐ企業戦士には,自分の労働力を回復(生産)するための家事のゆとりさえありません。そこで,自分以外の人間による労働力回復への支援,つまりメンテナンスが必要となります。それに専念するのが専業主婦です。疲れ切って家にもどった夫が,「めし」と言ったら妻が夕食を出し,「風呂」と言ったら「もうわいているわよ」と,「寝る」と言ったら「布団しいてあるから」と,そうやって労働力の塊となった企業戦士のお世話をするわけです。
だから,この時期,たとえば1966年の中教審答申はあえて「愛の場としての家庭」を述べて,妻が夫を「愛」の力で支えることの必要を説いています。また同じ時期に,たとえば三鬼陽之助という財界研究者は『女房タブー集』という本のなかで「亭主は、戦場たる職場で全力でたたかい、女房はその戦士たる夫につかえ、かつ家を守る」と語っています。つまりこの時期に,男性中心の低賃金・過密・長時間労働を財界が確保することを目的に,それを達成する手段として「男は仕事,女は家庭」のいわゆる近代家族がつくられます。それは財界による労働力管理・再生産政策の一環でした。もちろん次代の労働者である子どもを育てることも,主婦の重要な仕事となります。夫が子どもの友達の名前も,子どもの学校の先生の名前も知らない仕事人間であったとしても,家庭では妻が着々と未来の労働者を育てていくわけです。
財界のこうした姿勢は,労働力不足を理由に女性労働力のパート活用を財界自身が主張した時期にもまったく変わりません。経団連会長を中心とした政府の経済審議会が,女性パートの活用を強調した時にも,「家庭責任」は女性が負うということが大前提とされていました。女性は第一に夫と子どもの世話をする。それは女性たちに,結婚までの若い時期を正社員としてはたらき,その後,若年定年で家にもどり,次代の労働者である子どもの育成にめどがついた段階で無権利なパート労働者として復帰するという「M字型雇用」を強制します。そして,この「M字型」に抵抗し,退職せずにがんばった女性たちには,大変な差別待遇がまっていました。それが先にふれた,差別をゆるさぬ裁判闘争のリレー史ともなっていくわけです。
戦後、女性の中で専業主婦の比率がもっとも高くなるのは、1975年前後といわれています。女性労働者が増えなかったわけではありません。その実数は増え続けるのですが,それを上回って専業主婦が増えていくのです。この女性たちの供給源となったのは,農村から都市へという労働力移動の源となった農村部でした。日本の高度成長期は,世界にもまれな速度で,農村人口を急減させる時期でもあったのです。しかし,75年前後をピークに専業主婦比率の上昇にはストップがかかり,その比率の停滞と低下がはじまります。
この大きな転換の時期がなぜ75年だったのか。理由の一つは、60年代の終わりから,ウーマン・リヴという思想が入ってきたことです。戦争直後のアメリカでは,専業主婦比率が急速に高まり,一時は80%前後にも達しています。ところがその女性たちが,主婦という生き方への不安をもつようになっていったのです。私は好きな男性と結婚しました。夫はよく働きます。郊外に小さな家を持つこともできました。子どもにもめぐまれて,家の前には芝生があって、子犬が走ってと,昔の小坂明子の歌のようになった人も多かったわけですが,しかし,そこに新たな不安が生まれたのです。
ベティ・フリーダンはこれを「得体の知れない不安」と表現しました。私の人生とは何なのだろう。夫の世話、子どもの世話、年寄りの世話と,他人の世話ばかりをしているけれども,私自身の生きがいや人生の目標はどこにあるのだろうという不安です。そこから「女たちよ、再び社会のなかに生きがいを見出そう」という動きが出てくるわけです。これがウーマン・リヴのはじまりです。「女性の自立」とか「はたらく女性」といったものが,女性のいわば新しい生き方として,この時期アメリからから入ってきたわけです。
転換を生み出したもう一つの大きな条件は,高度経済成長の終焉です。高度経済成長は1955年から長く見て73年までの19年間ですが,その間の平均成長率は約10%であり,これは世界史上に前例のない急速で長期の経済成長でした。この成長のなかで,労働組合や住民運動などの活発な取り組みが行われ,男性賃金は特に大企業の正社員を中心に上昇をつづけていました。特に高度成長末期の70年代初頭には「賃金爆発」といわれる事態も生まれます。しかし,高度成長は終わってしまう。また日経連など財界による賃金抑制策の強化が74年から本格化したこともあり,ここで男性賃金の安定した上昇にはストップがかかります。他方で子どもの学費が上昇し,学歴競争が激化し,塾や予備校に費用がかかるのが当たり前となっていく。すでに夫の給料があがり続けることを前提に,住宅などのローンを組んでいる家庭も多い。こうした家庭の経済的必要が,女性に稼ぎを求める重要な要因となっていったのです。パート労働の拡大とともに,「若年」をこえても,正社員として職場に踏みとどまる女性たちがふえていきました。
こうした女性の職場進出に対して,「女は家に帰れ」という復古的な意見が出されもしますが,しかし現実はそうは動きません。何より,それでは生活ができませんし,また経済的な自立を求める女性たちの動きを封じることもできません。80年代に入ると,女性差別撤廃条約の批准と結んで雇用機会均等法がつくられます(85年制定,86年実施)。これは職場の男女平等にかかわる初めての法律でした。企業社会への規制があまりに弱いざる法だとの評価もありましたが,その弱点をつくる上で力を発揮したのは,やはり当時の財界です。財界は,一方で男性中心型の超長時間労働体制のうまみを離したくない,加えて,増加する女性労働者たちを差別的低賃金で安く使いたいと考えたのです。それは97年の均等法「改正」(99年実施)にあたり,労働基準法から女性保護規定を撤廃させる強い力ともなりました。それによって実現された「過労死の男女平等」が,女性の職場進出の願いに反して,総合職から女性を遠ざける結果を招いたことは良く知られていることです。
その途中の95年には,日経連が「新時代の『日本的経営』」という文書を出し,終身雇用と年功賃金をやめることの大号令をかけました。この終身雇用の廃止が,今日の大量の非正規雇用をつくり出す大きなきっかけとなりました。そして,これが多くの女性たちを非正規雇用に追い込むきっかけともなりました。
男女の平等を求める社会の力に譲歩するかに見せて,男性中心の長時間低賃金労働の維持に固執し,女性に対しては非正規での安づかいを基本とする。こうした姿勢が,その後の男女共同参画社会づくりを骨抜きにする力となりますし,また「構造改革」の諸政策も労働時間短縮や社会保障拡充に逆行するものとして,女性に対する「家庭責任」の押しつけを強くするものとなっていきます。
このように戦後財界の動きを見てみると,一貫しているのは男性中心の超長時間労働体制の確保と,これを保障するために,夫のメンテナンスと子どもの育成を女性に強要していく家庭管理の政策です。そして,それらの仕事を行った上で,はたらきたい女性については低賃金の非正規を基本として活用する、またそれを拒否する女性については男性同様の過酷な超長時間労働に組み込んでいく。こういう,主婦を含む労働者家庭への意図的な管理策がかなりはっきりわかります。
③日本の歴史をジェンダー視角で見ると
より長い歴史の問題については,今日はあまり話す時間がありません。「女性の世界史的敗北」というのはエンゲルスの言葉ですが、これは階級社会の成立とともに、「元始、女性は太陽であった」というそれまでの女性の地位が崩れ,財産相続権が奪われ、無権利な状態に突き落とされたという意味です。ヨーロッパでは非常にわかりやすく、奴隷制の成立と同時にこの女性の「敗北」が起こりました。しかし,日本ではそれが武士社会の形成期あたりまで後ろにずれこみます。
古代の律令制は,すでに男性中心主義が明確であった中国社会にならってつくられました。これによって,公的世界から女性の姿は消えていきます。それぞれの家が租庸調などの重税を支払う時にも,家の代表の名前は基本的に全て男性です。ただし,そこで納められる物品や労働は,女性を含む家族全体の共同労働によるものですから,庶民の実生活で女性の地位がただちに低くなったわけではありません。それが大きな転換を示していくのは鎌倉時代など武士社会に入ったあたりのことです。
少し脇道にそれますが,「男子厨房に入らず」は,必ずしも日本の古い伝統とはいえません。山での狩猟であれ,海での漁労であれ,包丁などの道具を使ってこれを解体するところまでは男性たちの仕事でした。また,こうして得られた獲物を,市に売りに出るのは多く女性の仕事でした。つまり貨幣経済に接し,現金収入を手にする窓口となるのは女性だったのです。室町時代には,貨幣経済が本格的に動き出しますが,その発達の中で金貸しの中にたくさんの女性が生まれてくるは,そういう経過があってのことです。また江戸時代に日本へやってきたルイス・フロイスという宣教師は,妻が夫に金を貸して,その借用書を書かせているという話を残しています。実際,歴史家に聞いてみると,そういう借用書は今日までたくさん残っているそうです。このように,古代から政治などの公的世界からは女の名前が消え,権利の低下が起こるのですが,女たちは貴重な労働力であり続けましたから,庶民生活のなかでは,おおらかな男女関係が長く残っていきました。
ところが明治に入って、例の明治民法がつくられます。日本の支配層に成立していた女性の無権利が,これによって一般の庶民生活にも強要されていきます。財産相続権が奪われ,夫が死んでもそれは息子のものになってしまう。結婚相手やどこに住むかなども家長の許可なしには決めることができなくなる。日本の長い歴史のなかで女性の無権利がもっともひどくなるのは,この明治に入ってのことだと思います。女性は古代にさかのぼるほど無権利だ,ということではないのです。
戦後になると,憲法24条に「両性の本質的平等」が記されます。しかし,すでに述べたように,財界が男女平等を妨害する大きな力となっています。そして財界が形成する企業社会における男女のあり方が,家庭の分業を決めるだけでなく,自治会やPTAなどにも良くある「男が主軸,女は補助」という分業を当然視させる力ともなっています。
また企業が,様々なセクハラの温床となり,性産業の重要な活用者となっている点も重大です。先日も,ある新聞記者の方に聞きました。「大きな仕事がようやく片づいた。上司が『みんないいところに連れて行ってやる』という。いいところというのはどこだろうな、うまい酒でも飲ませてくれるのかなと思ったら、まとまって性産業に連れて行かれた」。これはおそらく,それほど例外的な現象ではありません。学生たちに聞いても,まわりの男性たちが少なからず性産業・風俗産業にふれている。最初に誘うのは,たいがい職場の上司です。そしてこれを拒絶すると「男らしくない」「意気地がない」と言われることになる。ですから,日本の企業は女性を性の道具とする意識を広める上でも,相当に悪い役割を果たしていると思います。慰安旅行という名の買春ツアーが,かつてのキーセン観光だけではなく,今日も根強く残っているのはご承知の通りです。
主婦の歴史についてですが,日本社会に専業主婦が生まれるのは明治に入ってからのことです。ただし,この段階では,それはまだ金持ちの家庭だけでのことです。都市部を中心に,家と職場が分離した給与所得者の中から,かなりの高給取りの家庭だけに,収入のためにはたらく必要のない専業主婦が誕生します。職住の分離をもたらすのは,資本主義の形成による生産の集中で,ですから専業主婦は日本だけでなく,ヨーロッパにあっても資本主義の形成とともに誕生します。
その専業主婦が大衆化するのは,日本では戦後の高度経済成長でのことでした。戦前の主婦はお金持ちの奥様で,家の中に女中部屋があるような家庭でのことでしたが,戦後はそうではありません。「団地」に暮らすサラリーマン主婦の誕生です。この大衆化をすすめさせた条件の1つは,資本主義の発達にともなう農村から都市への労働力移動で,2つは高度経済成長の中で,ある程度金を稼ぐことのできる正規雇用の男性労働者が生まれてきたこと,そして3つ目が企業社会からの女性の排除,若年定年制の実施です。ここから,ある程度稼げる男性と,若くして仕事を失わずにおれない女性の組み合わせとして,都市部を中心に「男は仕事,女は家庭」の近代家族が増えていきます。
同時に,近代家族を理想視する文化の形成もありました。戦前の奥様は豊かさの象徴です。また大量に入ってきたアメリカのホームドラマも,専業主婦のいる家庭を豊かさの象徴として示す役割を果たしました。そこから「わたしはお母さんのように田んぼで一年中泥の中で働かなくても生活ができるようになりました」「オレもついに妻を家に待たせることのできる甲斐性のある男になった」という上昇志向も生まれてくるわけです。ここで新たに大量に生まれた専業主婦たちに,主婦らしいふるまいを教育する上で重要な役割を果たしたのは,戦後の主婦雑誌でした。
専業主婦比率が75年前後を転期に上昇をやめることについては,すでに述べました。以上のような経過は日本だけのことではありません。同じ歴史をヨーロッパは日本より早く体験しています。イギリスでは産業革命が18世紀の終わりからはじまり,同じ時期に専業主婦が生まれます。ヨーロッパでも最初の専業主婦は金持ち世帯の奥様です。そして第一次大戦と第二次大戦の間に、その大衆化が進みます。家族社会学では,前者を19世紀型の近代家族,後者を20世紀型の近代家族と呼ぶこともあるようです。そしてヨーロッパでは戦後と同時に,専業主婦比率のなだらかな低下が始まります。専業主婦の誕生,発展,衰退についても法則性があるわけです。そして,それは根底で資本主義経済のあり方と深くつながっています。
6)マルクスのジェンダー分析
さて,こうして私なりに、実にあらっぽくではありますが,歴史や戦後日本の経済をジェンダー視角からとらえるなどしてみたところで,あらためてマルクスはそういう問題をどう論じていたのかという問題にもどってみました。それを『資本論』で確かめてみようというのが最近の仕事であったわけです。結論からいうと,マルクスには今日のジェンダーを考えるために必要なヒントがかなり豊かにあると思います。
①史的唯物論の中の家族
まず史的唯物論と家族の問題ですが、これは『ジェンダーと史的唯物論』で牧野広義さんが書かれた「マルクスにおける家族と市民社会」が非常に勉強になります。
牧野さんは,まずマルクスやエンゲルスが史的唯物論を確立していく時期の『ドイツ・イデオロギー』(1845~6)をとりあげて,そのなかの「本源的な歴史的関係の4つの契機」に,「自分たちの生命を日々新しくつくる人間たちが,他の人間をつくり繁殖しはじめるということである──夫の妻との、両親と子どもとの関係、家族」が含まれていることに注目します。マルクスは,人間社会とその歴史をとらえるときに,そのもっとも重要な4つのポイントの1つとして,家族をとらえていたということです。
同じ時期にアンネンコフという人に書いた手紙(1846)のなかで、マルクスはその家族を「市民社会」の領域に含めていました。
そしてその10年後に、『経済学批判』の「序言」(1859)のなかで,マルクスは「市民社会」の解剖学は経済学だと述べるわけです。しかも,そこでの「市民社会」は生産関係とは呼ばれておらず,「生活諸関係の総体」といわれています。この「市民社会」には,アンネコフへの手紙がいったように,「家族」が含みこまれているわけです。ですから,経済学は家族を排除するようなものであるはずがない,その反対に,経済学は家族を正面からの分析対象にするものだ,それがマルクス本来の考え方だということになるわけです。これらの点については,ぜひ牧野さんの論文に直接あたってみてください。
②『資本論』のジェンダー分析
そのうえでマルクスの『資本論』には,どのような家族分析の成果が含まれているのか。ここでは同じ本の中の私の論文「『資本論』の中のジェンダー分析」から,いくつかのポイントを紹介したいと思います。
一つは賃金論です。マルクスは「機械は,労働者家族の全成員を労働市場に投げ込むことによって,夫の労働力の価値を彼の全家族に分割する。それゆえ機械は,彼の労働力の価値を減少させる」と述べています。つまり機械制大工業は,子どもや妻も労働者にする。その結果,家族は父親だけではなく,家庭の中のたくさんの労働者の合計賃金で生活するようになる。いわゆる複数収入の実現です。『資本論』には女性の過労死や,過酷な児童労働の話がたくさん出てきますが,マルクスはそのような労働者家庭のあり方を目の当たりにしながら,賃金の本質を探り,賃金論を展開しています。
フェミニストの一部には「マルクスの賃金論は、男性の賃金ですべての家族を食わせるべきだという家族賃金思想にとりつかれている」といった主張がありますが,それはマルクスの読み違いです。ただし,そう読ませるような弱点が,マルクス主義の立場に立った賃金論の解説書にも皆無ではありません。『資本論』が展開している複数収入の問題にまで議論が届かず,結果として「男性労働者が家族を養うにたる金をもらってくるべきだ」「それがマルクスの議論だ」と読めるようなものもあるのです。そこは,急いで乗りこえねばならない問題だと思います。
二つ目に,資本主義における労働者家庭の社会的な役割についての問題です。マルクスはこう述べています。「社会的観点からみれば,労働者階級は直接的な労働過程の外部でも,死んだ労働用具と同じように資本の付属品である」。つまり,たとえ家に帰ったとしても資本の付属品だというわけです。そして「彼らの個人的消費でさえも,ある限界内では,ただ資本の再生産過程の一契機でしかない」と。これは労働者が疲れきって、家に帰って、たとえばプロ野球を観ながら、ビールを飲み,餃子を食べていたとしても,その個人的消費は客観的には、疲れた身体をいやし、失われた体力を回復して、明日職場に吸い上げられる労働力を再生するものになっているということです。
ですから家庭は当然,資本の再生産過程に組み込まれ,そこで重要な役割を果たすものと位置づけられている。労働者が労働力を回復する場というのは基本的には家庭であり,これは,すでに主婦による夫のメンテナンスという言葉で述べたことに直接かかわるところです。主婦の家事労働は,夫の労働力の生産と,子どもの再生産を中心課題とするわけですが,それは「資本の再生産過程」をになう労働となるわけです。
三つ目に家事労働のとらえ方ですが,マルクスは「労働力の生産」にかかわって,それは「この個人自身の再生産または維持のことである」──つまり元気に生きているということだといっています。そして「労働力の生産に必要な生活手段」──食べ物とか、布団とか,寝る場所とか──の「総額は,補充人員すなわち労働者の子どもたちの生活諸手段を含む」ともいっています。未来の労働者としての子どもの再生産の保障です。子どもが育たなければ,資本主義は労働者一代限りで終わることになりますが,実際には数百年も続いている。それは、資本家が労働者に支払う賃金に──20世紀後半以降はこれに社会保障が加わりますが──子どもの再生産に必要な価値が含まれていることの証明です。
その労働力の生産と再生産を主な目的として行われるのが家事労働です。典型的な近代家族の場合には,労働者である夫の世話と,将来の労働者である子どもの世話は,主に主婦の労働力の支出によって行われます。これに関連して,なぜ家事労働には支払いがないのかという議論が,かつてありました。これに対して,家事労働は市場で販売されないからだという説明がありましたが,非常に不十分だと思います。に思えます。家事労働に専念する専業主婦も,その労働力を日々生産しています。それができているから毎日家事労働ができるわけです。ではその専業主婦が労働力を生産するのに必要な生活手段は,何によって満たされているか。それは夫の賃金によってです。つまり法的には夫の「労働の対価」という形で支払われる夫の賃金は,実質的には夫のメンテナンスをし,子育てをする妻の労働力への支払いを含むものとなっている。だからこそ主婦もまた生きることができるわけです。マルクスはそこまではっきり述べてはいませんが,マルクスの労働力価値論や労働力の再生産論を土台におけば,このような結論にしかならないように思います。
なお,労働者家庭の維持費──労働力の生産と再生産のシステムの維持費──である賃金が,夫の「労働の対価」という形をとって支払われることから,資本主義には「オレが食わしてやっている」という意識と,その意識に応じた夫婦関係が生まれます。その点については先の牧野さんの論文が,『資本論』は資本主義以前の「家父長」とは異なる,資本主義段階における「家長」の分析をしていると指摘しています。これは私の論文には抜け落ちている論点ですか,重要な問題だと思います。
四つ目は,女性労働の保護にかかわる問題です。フェミニストの議論には次のような論点がふくまれることがあります。マルクスは工場法の議論の中で,女性の労働時間短縮を肯定的に評価している。だが,その結果、女性は短時間しか使用できなくなり,それを理由に工場現場から排除されることになった。それが男性中心型の労働システムをつくることにつながった。だから,工場法を手放しで評価するマルクスの議論は,男性中心主義だというものです。
資本主義の歴史で,大工業の成立によって増加した児童・女性労働が,その後,次第に減少して「男は仕事,女は家庭」型の近代家族が増えていったのはそのとおりです。しかし,問題はそれがマルクスのもくろみであり,工場法のもくろみであったのかということです。また,では当時の女性労働時間の短縮は,はたして不要なことであったのかということです。
マルクスは一方でこういっています。「大工業は,家事の領域のかなたにある社会的に組織された生産過程において,婦人,年少者,および児童に決定的な役割を割り当てることによって家族と男女両性関係とのより高度な形態のための新しい経済的基礎をつくり出す」。つまり女性が社会的生産に復帰し,経済的に自立することが,本当に平等な男女関係を生み出す基盤となるというわけです。そのために女性の労働は不可欠だというのがマルクスの立場だということです。
では,他方で労働時間の短縮について,マルクスは何を語っていたでしょう。マルクスは第一インタナショナルという国際組織のなかで、時短の問題に実践の指導者として取り組みました。それは男女共通の時短です。女性だけの時短などではありません。しかも,当時の女性たちの労働時間は1日15時間がようやく10時間にまで制限された程度のものです。今日「過労死ライン」が年3000労働時間といわれていることを考えても,これが不必要な時短だったとは決していえません。マルクスは児童・年少者・女性の時短を,男性をふくむ全労働者の時短を実現する取り組みの一環として高く評価しました。また,そういう立場からマルクスはアメリカの8時間労働運動に強い期待をかけもしました。ですから,マルクスに女性を職場から排除する意図があったといった議論はまったくの誤りだということになります。
7)おわりに
もう時間がなくなってきました。最後に,いくつか論点のみを紹介しておきます。
第一は,私たちの労働運動など,実際の取り組みにかかわる問題です。①労働運動・市民運動は,男女平等の推進や女性の人権尊重を社会改革の重要な内容としてきちんと位置づけることが必要だと思います。②ルールある資本主義という時には,男性と女性の平等な関係を重要なルールの一つに位置づけるべきだと思います。③これらは意識的に重視してすすめる必要があります。たとえば春闘の学習会では男性が参加者の7割・8割をしめるが,「男女共同参画」とか「ジェンダー」といった問題になると,この男女比が逆転してしまう。それは組合員たちの中にも「それは女問題だ」という意識があるからでしょう。④運動団体の役員にしめる女性比率の改善については,特に労働運動がいま苦労をしているところです。⑤重要な役割は男性が引き受け,受付とか司会の補佐とか,時には接待などを女性がするといった暗黙の了解も,様々な運動団体に見受けられます。いずれにせよ,男女平等の推進については,運動団体にも現状の自己点検と,これを乗り越える意識の醸成が必要だろうと思います。春闘で賃金を語る際に,男女格差の是正を語らないなどは論外です。
また,政治や経済は雄弁に語るが,家庭を「わたくしごと」としてしか語らない誤った気風の払拭の重要です。ドイツのかつての時短のスローガンに「夕方のパパはボクのもの」というのがありました。家庭があるのだから,早く家にかえせということです。この発想が大切だと思います。「家族が大切だからもっと給料を」「家庭が大事だからもっと休みを」「結婚したいから正規雇用に」「子どもがほしいからもっと給料を」。こういう要求を「わたくしごと」と低く位置づけず,正当な要求として語ることが大切です。それは今日流行の「自己責任」論とのたたかいとしても重要なことだと思います。
第二は,研究上の課題です。男女の平等が資本主義の枠内でどこまで実現可能かという問題ですが,先進国共通の少子化問題は,それを測る重要な指標の1つになると思います。たとえば男女平等が最もすすんだ北欧でも,いまだに社会を維持するのに必要な出生率(人口置換水準2.1)は回復されていません。女性の労働と社会の両立はいまだ十分には果たされていないわけです。日本より労働時間が年間700~800時間も短く,はるかに豊かな社会保障があっても,それでもまだうまくいかない。もっと進んだ改革が求められるということです。
他方,ヨーロッパ社会ではイタリアやスペインでさえ,出生率低下の動きに一度は歯止めがかけられました。日本は韓国とならび,工業先進国ではこれにまったく成功しない例外的な社会となっています。そこには日本資本主義の格別の未熟さ,野蛮さがあるわけですが,それは資本主義にルールを与える社会の力の弱さに応じています。利益第一主義をまるで制御できない政財界は,少子化を食い止め,社会を維持するのに必要な政策をまるで打ち出すことができずにいます。それは労働力再生産の見地からも,国内消費の維持の点からも,資本にとっても不都合なことであるわけですが,そこに理性をはたらかせる力がない。そうであれば,そこは労働者・国民が力を発揮するしかありません。そのように資本主義への民主的な規制を深めることが,資本主義の健全な発展につながるものとなっていきます。
第三は,学習運動にかかわる問題です。今日のこの場女性の参加が多くなっています。そして女性のみなさんの多くは「こういう話しは男に聞かせろ」と思われている。それを現実のものとしていくためには,全国各地の学習協に,こうした問題を語ることのできる講師を育てていく必要があるわけです。その点では,特に団塊の世代として退職を間近に控えた女性の先生,特に歴史の先生を中心に,学びの場をもうけることが大切です。学習運動も,たくさんの女性講師や取り組みのリーダーを計画的に育成するべきです。憲法問題でたくさんの「語り部」がつくられているのと同じように,男女の平等と社会改革の問題についても,大いに「語り部」をつくる取り組みが必要です。
以上,講演の不十分さについては,とりあえず歴史教育者協議会編『学びあう女と男の日本史』(青木書店,2001年)や鰺坂真編『ジェンダーと史的唯物論』(学習の友社,2005年)などで補ってください。各地の学習協のみなさんには,これらのテキストをつかった講座に,ぜひ取り組んでいただきたいと思います。
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