以下は,7月25日に行なう神戸学習協での講座「映像で学ぶ侵略の歴史と加害の実態」第2回への「講師のつぶやき」です。
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〔兵庫学習協2006年夏〕
「映像で学ぶ侵略の歴史と加害の実態」
講師のつぶやき(2)
2006/07/21
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
第1回は,ビデオの不調が残念でした。
今週は「侵略戦争」の実態にかかわる問題です。前回の講座以後,「靖国」をめぐる大きなニュースが入ってきました。
戦時中には兵士を死にかりたてる装置としてはたらき,今日では侵略戦争を全面肯定する「靖国史観」の普及センターとなっている靖国神社ですが,ここにA級戦犯が合祀されたことを昭和天皇ヒロヒトが快く思っておらず,以後,それが理由で靖国参拝をとりやめたというニュースです。
これはヒロヒトがあの戦争を本当に反省していたということをただちに証明するものではありませんが,それでも「天皇が参拝すべきだ」という,一部の「靖国史観」崇拝勢力には大きな打撃となるものでしょう。
じつは,この7月2日に,ゼミの3年生たちと靖国神社へ行ってきました。現地の平和委員会の方に詳しい解説をしてもらい,朝9時から夕方4時ころまで見学してきました。本当に驚くべき空間です。神社の境内にたくさんの「戦利品」や「戦争遺跡」があることは初めて知りました。
また,例の巨大な「遊就館」ですが,〈かつての戦争はすべて正しかった。東京裁判史観はまちがっており,そのような理解では英霊が気の毒である,英霊の無念を思え〉といった内容になっています。
たくさんの映像にもかかわらず,日本軍によって殺された2000万人のアジアの人の姿は1つも登場しません。
かつての戦争は日本による侵略の戦争でした。天皇の命令に強制されて戦場へ行き,死んでしまった兵士たちは,残念ながらこの侵略の実行部隊でありました。靖国はこの戦死者を「顕彰」(広辞苑-功績などを世間に知らせ,表彰すること)する神社であることを自負していますが,それは侵略行為そのものの「顕彰」です。
そのような役割を果たす靖国に,首相がこの国(全国民)の代表である首相の資格で参拝し,戦死者たちに「感謝」をささげることは,靖国のこの特殊な歴史観にこの国がおすみつきを与える行為となってしまいます。
なお,靖国に合祀されているのは,天皇の命令にしたがって戦って死んだ人たちだけで,たとえば広島・長崎で被爆死した一般市民や空襲犠牲者は含まれていません。そのことだけをとっても,「あの戦争の犠牲者を弔う」うえで,靖国がまったく不適切であることは明白です。
以下,関連する新聞記事の紹介です。
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀
2006年07月20日11時12分(朝日新聞)
昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。
メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。
これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。
メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。
昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。
昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。
靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。
◇
《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。
個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。
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靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。
大きな国際問題になったのは、戦後40年目の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。
昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。
首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。
自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯の分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。
ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣の野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯の分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。
◇
《靖国神社に合祀された東京裁判のA級戦犯14人》
【絞首刑】(肩書は戦時、以下同じ)
東条英機(陸軍大将、首相) 板垣征四郎(陸軍大将) 土肥原賢二(陸軍大将) 松井石根(陸軍大将) 木村兵太郎(陸軍大将) 武藤章(陸軍中将) 広田弘毅(首相、外相)
【終身刑、獄死】
平沼騏一郎(首相) 小磯国昭(陸軍大将、首相) 白鳥敏夫(駐イタリア大使) 梅津美治郎(陸軍大将)
【禁固20年、獄死】
東郷茂徳(外相)
【判決前に病死】
松岡洋右(外相) 永野修身(海軍大将)
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前回はご意見・ご質問を書いていただく時間がとれず,あわただしい終わり方になってしまいました。以下,みなさんからのご意見・ご質問を,順不同で紹介し,簡単にコメントをつけていきます。若干,こちらで手をくわえているところがありますが,ご了承ください。
○性犯罪被害者の証言から,彼女たちの勇気ある証言があいまいなことではなく,信頼できる事実であることがよく理解できました。戦争にレイプはつきものだといった兵士……もし仮にまた戦争が起これば,彼女たちと同じ苦しみを自分も味わうことになるかと思うと悲しくて,辛くて,恐怖心でどうしたらいいかわからないです。
○女性の人権がこれほどまでにじゅうりんされる証言を聞いて,胸がふさがるようです。人間としての尊厳を取り戻すためには,国としての謝罪が必要という彼女たちの気持ちが良くわかった。
──そうですね。じつのところイラク戦争でもレイプは相当広範に行なわれているとの報告を聞いています。同じことは昔のことではないのですね。繰り返しにストップをかけるためには,問題を曖昧にしない,闇から闇へと葬ることをしないということが大切だろうと思います。日本軍「慰安婦」問題にキチンと決着をつけ,再発防止のための教育をしっかり行なうことが必要だと思います。あわせて「慰安婦」問題については,民族差別の要素が大きな役割をはたしていると思います。欧米人にくらべてアジア人を「低級」と見る発想ですね。そこは今日も直視の求められる問題です。
○靖国参拝する首相は,中国・韓国の人たちが,なぜ怒るのかわからないと言っているので,このビデオを見てほしいです。
──本当ですね。そもそも戦後の保守支配層は,戦前・戦中に侵略をおしすすめた張本人たちです。それが「アメリカいいなり」を条件に,戦後も支配層であることをゆるされたという歴史の経過があります。「あの戦争は正しくなかった」という国民的合意をしっかりつくっていく仕事は,現代日本の大切な課題だということですね。
○ハーグ裁判については赤旗のみの報道ということでしたが,東京での女性国際戦犯法廷の圧倒される裁判の模様,天皇ヒロヒトに責任があるという判決は日本のマスメディアに報道されたのでしょうか? 9条の会が立ちあげられた時も,赤旗のみが大きく取り上げていましたが,他の一般紙はどこにも見つからず,どうして? という疑問が今もまだ…。
──日本のメディアがほとんどとりあげなかったと講義で紹介したのは,東京での裁判の方です。ハーグ裁判の報道については,私はわかりません。
──ジャーナリズムというのは本来,権力を「主権在民」の立場からチェックする役割を果たすべきものですが,いわゆる日本の大新聞は,その役割がきわめて希薄ですね。その紙面をかえていくためには,購読者(お客さん)による投稿が大切なのでしょう。他方で,9条の会については,案外,地方紙がとりあげています。この冬に長野県に旅行にいったときに偶然に見つけたのですが,「慰安婦」被害者であるイ・オクソンさんへのインタビューを「信濃毎日新聞」が1面すべてをつかって報道していました。がんばるジャーナリストもいるわけですね。
○9条の会を発足させてはじめていろいろのことに関心を持つようになりました。先生の本も目にとりました。「従軍慰安婦」についても知らなさすぎ,『ハルモニからの宿題』『「慰安婦」と出会った女子大生たち』,吉見氏の『従軍慰安婦』も読みました。もっと日本の現代史を学びたいと思い参加しました。
──「ハーグ裁判」のビデオにある裁判官の言葉があります。「日本人に何を期待しますか」といった趣旨の質問にこたえて,その人は「歴史を勉強してほしい」とこたえていました。大切な問題だと思います。大人が本当の歴史を知らなければ,子どもたちにそれを伝えることもできません。学校教育の改善が必要なのはそのとおりですが,学校で教えられないのなら,親が教えるという主権者1人1人の構えが大切だろうと思っています。ぜひこれをきっかけに学びつづけてください。
○日本政府や日本のマスコミが黙殺した国際法廷のほぼ全容をビデオで見て衝撃を受けた。「臆病な日本政府」と性奴隷にされた人たちからの発言があったというが,まさに現在の日本は「臆病な日本」そのものだとの感想をもった。
──歴史の事実を直視して,それを正面から乗り越えていく勇気をもたないという点で,まったくそのとおりだと思います。誤りを認め,それを正す力を発揮するからこそ,国際社会でも信頼を回復することができると思うのですが,この国の支配層にはその勇気がないようです。そういう勇気の発揮をもとめる市民の取り組みが,もっと強く,大きくなることが必要ですね。
○映像は興味深く引き込まれましたが,証言者の「音」が聞き取りにくく,特に「日本語」が。文字がはいらないため,よく聞き取れない。
○ビデオによる……と講座の目的を打ち出しながら,肝心のビデオの不調は主催者側に大きな問題を感じる。4回で6000円の受講料をとる……ということへの責任感が感じられない。講師・受講者に失礼である。書類を配る時,ツバをつけて配るのも無神経である。
──私もビデオの映写の準備については,大変残念に思いましたし,事前チェックもされていないということには率直にいって驚かされました。ちゃんと映るかどうかをたった一度試しておれば,少なくとも問題の発見はかなり早い時間にできたと思います。一回一回の取り組みの成功に,自分たちが責任を負うという姿勢をつらぬいていただきたいと思います。
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