以下は,7月18日に行なう神戸学習協での講座「映像で学ぶ侵略の歴史と加害の実態」第1回への「講師のつぶやき」です。
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〔兵庫学習協2006年夏〕
「映像で学ぶ侵略の歴史と加害の実態」
講師のつぶやき(1)
神戸女学院大学・石川康宏
http://walumono.typepad.jp/
こんばんは。神戸女学院大学の石川です。
今回は,副題を「知っていますか? 『慰安婦』問題,強制連行,加害の記憶」として,日本の侵略の歴史や加害の実態について学びたいと思います。私は歴史研究の専門家ではありませんので,講座をつうじて,私もみなさんと一緒に学んでいきたいと思います。
毎回の講座に,このような「講師のつぶやき」を配布させてもらいます。次回以降は,これにみなさんからの感想や質問・ご意見を掲載していきます。遠慮なく,どんどんお寄せください。
なお,第1回目の今回の「つぶやき」については,私にあまり書く時間がありません。申し訳ないのですが,原稿仕事に追われているのです。
以下,さっそく最近目についた新聞記事等をご紹介しておきます。
では,1ケ月間,楽しくしっかり学んでいきましょう。よろしくお願いします。
①「上田知事 『従軍慰安婦いなかった』 資料館記述,検討の意向」(6月28日,埼玉新聞)
上田清司知事は二十七日、県平和資料館(東松山市)の昭和史年表にある従軍慰安婦の記述について「古今東西、慰安婦はいても従軍慰安婦はなかった。こういう間違った記述は修正しなければならない」と述べた。県議会一般質問で小島信昭議員(自民、岩槻区)の質問に答えた。同館は学識経験者ら十四人で構成する平和資料館運営協議会などで対応を検討する意向という。
県によると、年表は同館通路に常設展示されている。「ヨーロッパ・アメリカ」「アジア・太平洋」「日本」「埼玉」の四地域に分け、太平洋戦争を中心とした昭和を主な対象に出来事を列記。記述は一九九一年の項で、「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発」と紹介されている。
小島議員は「戦後復興から現代までの、特に世界の平和に貢献してきたはずの日本の紹介がない」とし、「生涯学習として学ぶ施設として広く利用されている施設が偏った内容でいいのか」などとただした。
上田知事は「自虐的な感情を抱かせず、真の真実、真の史実を学べるようにするのが大事」と答弁。同館の年表に触れ「兵のいるところに集まってきたり、兵を追っ掛けて民間の業者が連れていったりするのであり、軍そのものが連れていったりするわけは絶対にない」と述べた。
また「自虐史観になっていないか、きちっと検討しなければならない」とし、「協議会で見直しをしてもらい、県議会でもチェックしてほしい」と話した。
②「従軍慰安婦」いなかった 埼玉知事 展示記述の修正表明(6月28日,しんぶん赤旗)
埼玉県の上田清司知事は二十七日の県議会本会議で、「東西古今、『慰安婦』はいても『従軍慰安婦』はいない。兵のいるところに(『慰安婦』が)集まってきたり、兵を追いかけて民間業者が連れていったりするのであって、軍そのものが連れて行くなんてことは絶対にない」と発言しました。小島信昭議員(自民党)の一般質問に答えたものです。
小島議員は県立歴史と民俗の博物館と県平和資料館の展示内容について、「近代史を、政府や国に国民・県民が苦しめられ苦難に耐えた闇の時代のように描かれている」などと批判しました。
上田知事が「工夫や内容の充実が必要だ」と答えたのに対し、小島議員は「子どもたちや県民が学ぶ施設が、偏った内容でよいのか」と重ねて展示内容の見直しを要求。
上田知事は「自虐的な感情を出させることなく真の史実、日本の正確な立場を学べるようにすることが大切だ」としたうえで、「従軍慰安婦」について「間違った記述があるので、修正しなければならない」とのべました。
共産党県議団が発言撤回を要求
上田知事の発言にたいして日本共産党埼玉県議団の山岸昭子団長は同日、「知事は発言を撤回すべきだ」という談話を発表しました。
③いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の考えについて(平成18年7月)
埼玉県知事 上田清司
平成18年6月の埼玉県議会定例会における、いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の答弁について、様々なご意見をいただいています。
ここで、改めて私の発言について説明させていただきたいと思います。
慰安婦と呼ばれる方々は、筆舌に尽くしがたいほどのつらい体験、絶望的な日々を送られたことと思います。耐え難い思いをされた女性の心情を思い、あらためて深い憤りと悲しみを感じざるを得ません。女性の尊厳を踏みにじるこのようなことが、二度とあってはならないと強く思います。
答弁では、「慰安婦はいたが、従軍慰安婦はいなかった。」と簡潔に申し上げました。私は、慰安婦と従軍慰安婦との違いは、軍として女性を徴用したかどうかにあると考えています。ところが、軍として女性を徴用したことを立証する証拠は、政府の詳細な調査によっても、一切見つかっていないのです。
このことは、当時の内閣官房長官であった河野洋平氏も認めているところです。慰安婦はいた。慰安所もあった。軍が何らかの形で関わったこともあった。しかし、従軍慰安婦、すなわち軍に強制的に徴用された女性がいたという証拠はないのです。
しかし、政府は平成5年8月4日の「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」において、強制連行を事実上認めた政府見解を示しています。証拠がないにも関わらずこのような談話が出された背景には、外交上の思惑が隠されていると思われます。すなわち、歴史問題に関する当時の日韓両国の緊張関係の中で、事実関係の解明よりも、まずは女性たちの名誉回復を図ることで、両国間の関係を改善したいという思惑です。
その経緯については、当時の官房長官であった加藤紘一、河野洋平の両氏、そして内閣官房副長官として歴代内閣を支えた石原信雄氏の証言をもとに、櫻井よしこさんが文芸春秋(1997年4月)に詳細にまとめられています。
そのなかで石原氏は、こう証言されています。
「私共は資料があるといえばどこにでも飛んでいって調査しました。各省庁に資料提出を求め、その他にも国立国会図書館、アメリカの公文書館、様々な研究機関も、八方手を尽くしました。警察関係の各所にも求めました。けれども、韓国側が気にしている強制的に徴用したというのが、文書ではどうしてもないわけですよ。」
「当時、彼女たちの名誉が回復されるという事で強制性を認めたんです。」
(櫻井「強制性はいわば善意で認めたのですか?」)
「そうです。両国関係に配慮してそうしたわけです。」
また河野洋平氏は、平成9年3月31日の朝日新聞のインタビューの中で、「政府が聞き取り調査をした軍人、軍属の中にも強制連行があった、と証言した人はいたのですか?」との質問にこう答えています。
「直接強制連行の話はなかった。しかし、総合的に考えると、『文書や軍人・軍属の証言がなかった。だから強制連行はなかった。集まった人はみな公娼だった。』というのは、正しい論理の展開ではないと思う。」
ここでいう正しい論理とは、一体何なのでしょうか。傷害事件が起きたとしましょう。犯人らしき人が捕まった。証拠は一切ない。この論理では、被害を受けた人々の心を慰めるために、犯人らしき人を犯人にするようなものだと思います。
外交は生き物です。様々な交渉や妥協が必要なことは認めます。しかし、日本国民の名誉に関わることに関するこの問題に関しては、断固として筋を貫くべきであったと私は考えます。後世の日本政府が証拠もないままに、日本軍は強制的に徴用した、いわゆる従軍慰安婦を同行させながら戦っていたと認めた今の状態が続くとなると、祖国や家族を守るために命をかけて戦った英霊はうかばれない、英霊の家族にしても耐えられないと私は思います。
繰り返しになりますが、慰安婦はいた。慰安所もあった。しかし、軍が徴用した従軍慰安婦がいたという証拠はないのです。証拠もないのに容易に「従軍」慰安婦という言葉を使うことは慎むべきなのではないかということを、私は訴えたいのです。
④慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(平成5年8月4日)
いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
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