2004年9月22日(水)……和歌山学習協のみなさんへ。
以下は,9月4日に行われた和歌山学習協『資本論』第2・3部講座の第5回講義に配布したものです。
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〔和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む〕
『資本論』ニュース(第5回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
民青同盟の「民主青年新聞」2004年8月9日,8月23日付に,「『勝ち組』『負け組』を考える」という文章を(上・下)で書きました。編集部から話があったときには,それほど深刻な問題だろうかと思ったのですが,関係するものを読んでみると「勝ち組」「負け組」論というのは,ホントウにひどいものでした。そして,青年への悪影響が実に大きいものでした。
みなさんは「民青新聞」には縁のない方が多いでしょうから,まずは(上)だけ紹介しておきます。
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(上)小泉「構造改革」と青年
"こんな社会にだれがした!"
この原稿を書くにあたり,民青新聞編集部からいくつか週刊誌のコピーをもらいました。それを読んで,人を「勝ち組・負け組」にわける議論の流行ぶりと,その議論がはたす役割の悪さにあらためて驚かされました。恋愛や結婚についての話題もあるようですが,それもふくめてほとんどが「勝ち負け」の基準をもっぱら収入(給料)の多い少ないにおき,稼ぎの多い人間がこの社会の「勝ち組」で,稼ぎの少ない人間がこの社会の「負け組」だなどといっています。
なんともバカげた議論です。こんな議論に接すれば,多くの人は何かしら疑問や怒りをもたずにおれないでしょう。その理由のひとつは,これらに「勝ち組・負け組」をつくりだす今の社会に対する批判,特に大量の「負け組」をつくりだす今の社会に対する批判がまったくないということです。そして,もうひとつ,もっとハラが立つのは,その「勝ち負け」の原因をすべて個人の努力や才能のせいにしていることでしょう。わかりますね。社会の欠陥にふれないこの議論は,明らかにおかしい。なかには「もう仕方ないんだ」なんてあきらめ気味の方もいるかも知れませんが,こんなおかしな議論には,やはり「おかしい」とはっきりした心の構えをもつことが大切です。
誰だってしっかりした生活のできる仕事につきたい。だけど,そう願って仕事をさがしても,いまの社会にはそんな仕事がまったく足りない。そういう現実があるから,毎日苦労して生活しているのに,それを「オマエの責任だ」「オマエたちは負け組なんだ」などといわれたのではたまったものじゃありません。一体こんな社会に誰がした! その健全な怒りを忘れてはいけないのです。
社会が崩れてきたのは90年代から
若いみなさんは,知らないのかも知れません。1980年代の後半に「バブル景気」とよばれた時代がありました。今の「不況」がはじまるその直前の5年ほどの時期のことです。なんとその時には,仕事をさがしている人の数より,企業が人を採用しようとする数の方が多いという,そんな瞬間があったのです。パートやバイトの募集のことではありません。正社員の募集の数が,正社員での就職を希望する人の数より多かったのです。今では信じられない,まるで夢のような,しかし本当の話なのです。
そうした日本社会の仕組みが崩れてきたのは90年代に入ってからのことです。不況のせいだろうって? いえいえ,ちがいます。たしかに91年からの今の不況は戦後最悪のとんでもなさですが,それでも,がんばって働いている人を企業が守ろうとしていれば,こんなにひどい社会の崩れは起きませんでした。問題は,雇用についての特に大企業の姿勢の変化にありました。長年働いた人でも簡単にクビにしていいという社会の空気をつくろう,企業のなかの正社員を減らして,安く使い捨てできるパート,バイト,臨時,派遣をどんどん増やしていこう。そういう明確な方針の転換があったのです。「総額人件費の削減」と「労働力流動化」の政策です。
ホントウの責任は政府・財界に!
大企業経営者の集まりである財界が,それを95年に「新時代の『日本的経営』」という文書にまとめ,日本中の大企業の意志を統一しました。これが大きな転換点となりました。政府は,そのような動きをやめさせるどころか,逆に,この空気を広げるために,労働や雇用のまともなルールをさだめた法律をつぎつぎと改悪していきました。労働法制の改悪です。この頃から,ものすごい勢いで大企業のリストラがはじまり,中高年のホームレスがふえ,自殺者がふえ,失業者がふえ,就職難が激化します。「働きたくてもフリーターになるしかない」「ワタシだって本当は正社員になりたいんだ」。そういう若い人たちが,どんどん増えてきたのです。いや,増えずにおれなくさせられたのです。
もうおわかりですね。一体これのどこが「個人の責任」ですか? そんなバカなことはありません。それは明らかに話のすりかえです。いまのようにまともな働きぐちの少ない社会をつくったのは,財界の金もうけ戦略と,それにホイホイ賛成していった自民党やそのお仲間たちのまちがいだらけの政治です。本当に「責任」をとらねばならないのは,その人たちの方であり,決して私たちや若いみなさん方ではないのです。
しかし,そのことにたくさんの人が気づけば,今の政治はもたなくなります。そこで,先手を打って「勝ち組・負け組」「負けるのはみんな本人の責任」,こういう議論が意識的に流されているわけです。この「勝ち負け」論は,財界いいなり政治への怒りから,若い人や国民の目をそらす役割をはたしています。これは「社会のとらえ方」の分野での国民に対する攻撃なのです。イデオロギー攻撃というやつです。こんな攻撃に負けるわけにはいきません。
小泉「構造改革」から国民のための「民主的改革」へ
この夏の選挙では,自民党が負けました。悪い政治を小泉首相の個人人気と,公明党の組織力でごまかす。そういう作戦の限界がいよいよやって来たようです。小泉内閣の「構造改革」政治は,財界による「労働者使い捨て」政策の応援を,その重要な柱にしています。この内閣で経済改革を担当している竹中平蔵大臣は『経済ってそういうことだったのか会議』(日本経済新聞社,2000年)という本のなかで,失業は本人が「役に立たないから」だと平然と言っています。こんな人たちの政治をいつまでもつづけさせて良いわけがありません。
しかし,もう一方で,その自民党へのせっかくの批判が,民主党に流れてしまったことは残念でした。民主党は,いまのような働く条件の崩れをつくりだした財界自身が,自民党とならぶ「2大政党」として育てたいと願っている政党です。みなさんも,どこかで聞いたことがあるでしょう。「もっと早く構造改革を」,民主党は,そんなことを財界への売り込み文句にしている政党です。こんな政党を大きくしたのでは,自民党が国民の批判で小さくなっても,財界やりたい放題の政治に根本的な変化は起きません。
小泉「構造改革」でもなく,民主党による「もっと駆け足型の構造改革」でもない,そもそも政治の目線の置きどころを,財界やアメリカの要求から,国民のくらしや仕事に切り換える。そういう国民のための「民主的改革」を,みんなで練り上げ,より魅力豊かに語っていくことが必要です。次回は,そこに話題の力点をうつしてみたいと思います。いっしょに考えていきましょう。
次は,前回も紹介した『前衛』9月号に掲載した書評の後半部分です。今日から入る第3部に関連したところだけあげておきます。
「不破哲三『「資本論」全3部を読む』第4~7冊――浮かび上がった驚きの『資本論』像」より
●現象の世界を内面から説明しつくす第3部
第3部では,そもそもこの部の課題は何かが問題です。それは第1部・生産過程と第2部・流通過程の統一あるいは矛盾の展開などではありません。それは,すでに第2部で達成された課題であるからです。
第3部を「資本主義的生産の総過程」と名付けたのはエンゲルスで,もともとマルクスが与えた表題は「総過程の諸姿容」でした。著者は,そのマルクスのタイトルの重大な意味に注目します。「姿容」とは目に見えるままの姿かたちということです。「総過程の諸姿容」とは,すでに解明された生産と流通の内的論理が,資本家たちの「日常の意識」に現われた,その「表面」的な観念のことです。
内的本質は,そのままの姿で現象の世界に現われはしません。もしそうであれば,現象を分析する科学の必要はなくなってしまいます。そこで,現象から本質を探るにとどまらず,逆に,本質から現象を説明しつくす――つまり第1・2部が解明した資本主義の内面世界が,どうして内面の姿とは違う,ある「表面」の姿をとって現われ出ずにおれないのか――その問題の解明が第3部の課題とされるわけです。著者はこれをマルクスの「発生論的方法」が典型的に現われたところだと強調しています。
さらに,ここで重要なのは,本質を正確には反映しない「表面」世界の資本家的観念が,それにもかかわらず物質的な力となり,現実経済を動かしているという事実の分析です。価値の支配する市場経済から,生産価格の支配する市場経済への転化は,その「観念」を推進力として行なわれました。
可変資本と不変資本の区別をもたない資本家たちは,剰余価値を前貸総資本が生み出す「利潤」ととらえ,剰余価値率ではなく「利潤率」を高めることを資本家としての直接的な課題とします。それは「利潤」の源泉を正確にはとらえない,非科学的な歪んだ観念です。しかし,その観念が資本家全体の行動を律し,平均利潤を形成させる運動をつくり,結果として,平均利潤を含む生産価格を市場に成立させていくのです。
利潤論につづく商業利潤や利子や地代の議論も,生産価格を前提として成り立つ世界の問題であり,全3部の最終篇となる第7篇は,現象世界をはいまわる俗流経済学の「三位一体」論が資本家的観念の写しにすぎないことを暴露しています。現象の必然性の解明をつうじた内的本質の確証こそが,第3部全体の課題となっているわけです。
他方で,第3部の編集にも問題がないわけではありません。特に,草稿のなかで最も完成度の低かった信用論には,特別に深いメスが入ります。エンゲルスは,マルクスによる本文と準備材料を区別せず,これを混在させることで,今の読みにくい信用論をつくってしまいました。著者は,これをマルクス本来の考察にそって整理します。また,議会報告書などからの莫大な抜粋については,あくまで材料の無秩序な集成であり,ここから理論的に意味あるものをつくろうとすること自体が無理であったと結論します。ここは読み手には格別にお手上げ感の強いところですから,この道案内は大変にありがたいものです。なお,恐慌にかかわる文章にふれて,著者はここの書き換えには編集の枠をこえた「邪道」があると,厳しい言葉でエンゲルスを批判しています。
つづく地代論は,資本主義的地代の解明と土地所有論の人類史的展開という2つの魂をもつマルクスの研究から,前者だけが取り込まれて出来たものです。エンゲルスは,マルクスが地代論を書き換えたならロシアが主な舞台になると予測しましたが,著者はこれを2つの魂の十分な区別にもとづく見解ではないと論じています。
さらに,第3部がはらむ弱点と研究上の課題について,著者は,まず利潤率の傾向的低下が,資本主義の歴史的に一時的な性格を表わすという見解に異議をとなえます。また差額地代については,差額地代の第Ⅱ形態は第Ⅰ形態が追加的投資のもとでどのような運動をするかという問題であり,第Ⅱ形態自体を独立させることに無理があると指摘します。これらはいずれも,マルクスの到達点そのものへの著者の批判的な検討となっています。
●改革者の深い「教養」の土台として
1995年に連載が開始された『エンゲルスと「資本論」』で,著者は「今後の『資本論』研究」への「期待」として,エンゲルスによる『資本論』編集の追体験,マルクスの経済学ノートの研究,1870年代の新しいプラン問題の解明をあげました。『マルクスと「資本論」』をへて,今回の『「資本論」全3部を読む』に結実した成果は,何より著者自身がこの「期待」にこたえる努力を率先して行なってきたことを示しています。それが,この本の講義の中でも,「ここの理解は定説と違う」「不破流なのだ」と繰り返し語ることの深い裏付けになっています。
もちろん著者は現行『資本論』の問題点ばかりに目をむけるわけではありません。経済学はもとより,唯物論,弁証法,認識論,史的唯物論,未来社会論など,たくさんの宝の山に深い注目を寄せ,そこに新たな光をあて,新しい発見を見て取っています。著者が,やさしい語りに込めた多くの新たな解明を吟味することは,並大抵の仕事ではありません。
本書が,よりマシな社会づくりを考え,これを語ろうとする人たちの深い「教養」の地盤を形成するものとして,ますます多くの読者に歓迎されることを心より期待したいと思います。
〔質問と感想〕
①A・スミスはC(生産手段)の価値移転のことをよくわかっていなかったということと、 拡大再生産は V+m > ⅡC の場合に成立することがよくわかった。
7月の学習会を欠席したので、2ヶ月半ぶりの受講です。第Ⅱ部になって、いっきに難しくなったように感じます。今日、勉強していることと、これまで学んできたことが、どう関連しているのか、わからないままです。
はじめて読む『資本論』、わからなくて当然なのかも知れません。ところどころでも読んで、傍線を引いておきます。しかし、マルクスにしても、エンゲルスにしても、もう少し一般労働者に分かりやすく表現することはできなかったのでしょうか? 出版当時、多くの人に読んでもらえたのでしょうか?
●「分かりやすく表現する」以前に,何が真実かを明らかにすることに全力をあげざるを得なかったということでしょうね。「むずかしいことをやさしく伝える」というのは,本当に,よくよくものごとがわかっていないと誰にもできません。『資本論』はまだ探求の過程にあったのであって,残念ながら,マルクスやエンゲルスも,そのできあがった到達点を「やさしく伝える」という段階にはなかったわけです。
●『資本論』を当時の人がどれだけ読んだかについては,あまり客観的な資料はないようです。運動家たちにはある程度読まれたのでしょうが,学ぶ条件は,今日の私たちの方が,はるかに豊かになっていると思います。その豊かな条件をいかして,私たちこそしっかり学んでいきましょう。
②第2部には本日初めて参加したのですが、予備知識が全く無い状態で受け、どんなことが書かれているのか、期待しながら受講しました。まだ内容を消化できる段階には至れませんでしたが、地道に頑張ろうと思います。
最近、学習スタイルの変更を試みています。これまで、あることに没頭すると、一定レベルに達するまではそれに専念しなければならないという観念にとらわれ、またまさに"机の上で時間を決めて"の学習形態にはまり込んでいました。やっと"学び"の材料はどこにでもあって、自分の心掛け次第でいつ何時でも学習できるんだということ、自分から場所を区切って、意識的に学習モードに切り換えなければならないような方法では、大切な情報を多く逃してしまうかもしれないということに気付くことができました。今日の先生の"つぶやき"は、このような私に学びのヒントを与えて下さるものでした。第2部の学習も教室だけでの勉強に終わってしまわないよう、せっかくのきっかけを生かせるようにしたいと思います。
●こころがけをいつももっていれば,学習は場所を選びません。大切なことのひとつは,いつもノートとペンを離さないことです。書くこと,書きとめるということは,本当に真剣にアタマをはたらかせます。ノートは大きなものの場合もあるし,胸ポケットに入るような小さなものの場合もあるのでしょうが,考えることの継続性を考える,できるだけ普通サイズの大きなものがいいでしょう。
●もうひとつ大切なのは,自分の学習計画をいつもしっかりともっておくことです。「いまの自分は何を学習のテーマにしているのか」「いまの自分は何を考えるべきなのか」。その課題をいつも明らかにしておくということです。今月はこれだ。今週はこれだ。電車の中や会議のあいまの短い時間はこれだといった具合です。それは,たとえば,組合の学習会がこういうテーマであるから,それまでにこれを勉強しておこうというリズムでもいいし,あるいは自分の理論的に弱いところを計画的に埋めていくといったものでもいいし,選挙が近いから和歌山の市政・県政についてまとめておこうでもいいわけです。ともかく,短い空き時間に迷うことなく「いまはこれ」と課題がはっきりしていることが大切なのです。
③単純再生産の成立する条件については、予習してきたので理解できましたが、拡大再生産の結論に至る理論的説明の部分は、じっくり取り組んで理解したいと思います。
●あせらずやってください。単純再生産の方が「理解できた」と思えるだけで,十分に大きな成果です。あとは,じっくりすすめていきましょう。
④現在の日本の経済の低迷は、資本の海外流出が主な理由などでなく、空洞化も起こっていなくて、結局は国内のリストラや内需の低迷によるものであることがよくわかった。
チンプンカンプンなのは自分のせいだと思う。第Ⅰ部門、Ⅱ部門の再生産の形を分析すれば、経済のしくみが分かるのかなと思うと、もう少し勉強して、お話の中身を確認したいと思います。今はただチンプンカンプンです。
●その「わからない,わからない」という段階に耐えることが大切です。「わからない,だけど,わかりたい」という時間の量的な積み重ねのうえに,はじめて「そうだったのか」という質的な変化の瞬間はやってきますから。
●空洞化は,厳密には「全産業をまとめてみれば」という話です。個別には,繊維産業では空洞化といえるような状態があるようです。
⑤本日の講義は難しいことと睡魔が襲ってきて、消化不良でした。次回は予習して臨みたいと思います。
●どこがわからないか,なにがむずかしいかが実感できるだけでも前進です。学問は,いつでもスラスラとなだらかに順序良くわかっていくものではありません。特に相手が『資本論』ほどの難物になればなおさらです。ですから,「今日はわからなかった」「次はわかるといいなあ」と,達観することが必要です。「はじめて聞いた話」など,わかりづらいのが当然なのですから。
⑥選挙が終わって盆休みの間、遊び呆けて、おまけに不摂生のため風邪までひいてしまいました。ようやく学習の登山もふもとに足を踏み入れたのに、そこで長いことキャンプをはって、なが~いひと休みをしてしまい、頭も足腰もすっかりヤワになったような気分で、今日の講義にのぞみました。それでもさすがに石川先生です。今回もまた知的好奇心をくすぐられる講義でした。マルクスのいらだちや苦労を知り、くじけずに研究を続け、問題を解決した執念と姿勢にとても励まされました。
●マルクスの執念というのは,本当にすごいですね。あの人は,あきらめるということがない人ですね。まちがっても,まちがっても,書いていくことをやめないわけです。導きとなる文献がなにひとつないなかで,自分の考える力だけを頼りにして前進していったのです。それは,孤独な仕事だったでしょう。他方で,きっとマルクスには,本当に自分が全力をつくせば前にすすめるはずだ,という自信というのか自分への期待というのか,野心というのか,そういう気分があったのでしょうね。その気分にも,私たちは大いに学ぶ必要があると思います。「いつか見ておれ」の不屈の精神です。
⑦資本論を読む時には、いつでも現代の日本と世界を念頭においておくことが必要だという話が、本当にそうだと思いました。今までの講義もそうだったし、これからの内容もそうであって欲しいと思います。だから、「つぶやき」は欠かせないと思いました。しかし、内容を本当によく理解しようと思えば、やっぱり予習・復習が大事だし、本文とあわせて不破さんの本も少しずつでも読んでいきたいなぁと改めて思いました。新たな気持ちでがんばります。
●『資本論』はあくまで21世紀の日本と世界を理解するヒントとして読む。いつでもこの姿勢を堅持することですね。『資本論』を読むことは,当面の目的ではありえても,それは最終目的にはなりません。最終目的はいつも現代への理解です。その大きな目的からすれば,『資本論』を読むことは最終目的の達成に必要な手段,ひとつの手順にすぎません。この関係を逆転させないことですね。そこがひっくりかえると,マルクス読みのマルクス知らず。もう少しいうと,小賢くはあるのだけれど,口ばっかりで実践には役に立たない。そういう人間になってしまいかねませんからね。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~1時45分)
◇意見,質問へのコメント。
2)第3篇「社会的総資本の再生産と流通」の残り(1時45分~2時20分)
・第2部の残された部分(再生産の攪乱)――第5冊150~178
3)第3部「総過程の諸姿容」(2時30分~3時20分)
・第3部草稿とその編集,第3部の主題はなにか――第5冊212~233
◇第1篇「剰余価値の利潤への転化,および剰余価値率の利潤率への転化」――第5冊234~235
◇第1章「費用価格と利潤」
費用価格は価値増殖の神秘化を完成する/利潤は剰余価値の資本家的観念
◇第2章「利潤率」
現象世界に見えるのは利潤率/剰余価値生産を労働から切り離す逆立ちの発生
4)第1篇つづき(3時30分~4時20分)
◇第3章「利潤率の剰余価値率にたいする関係
◇第4章「利潤率に対する回転の影響」--ここはすべてエンゲルス
◇第5章「不変資本の使用における節約」
節約の名による労働者の浪費/職場での闘いの重要なポイント
◇第6章「価格変動の影響」--マルクスのタイトルは「原料価格の変動」
・補論・マルクスによる第3部の概要説明――第5冊282~291
5)補足と質疑(4時30分~5時00分)
・『前衛』9月号の書評から
2004年9月12日(日)……京都学習協のみなさんへ。
以下は,8月22日に行われた京都学習協「現代経済学講座」の第4回講義に配布したものです。
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〔京都学習協・第3回現代経済学講座〕
講師のつぶやき(第4回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
大学の学生たちは「夏休み」に入りましたが,職員たちは,毎日大学ではたらいています。教員はといえば,職場が大学から自宅へうつっただけで,むしろ「書き物」の仕事は「この時期に片づけておかねば」といったところです。
さて,最近のテレビはオリンピックに占領されてしまった感があります。日本の若い世代が臆することなく世界の大舞台で活躍する姿を見るのは,まったくもって頼もしいのですが,その一方で,世界の政治にはいろいろと新しい興味深い動きも起こっています。
今日は,そのいくつかを「しんぶん赤旗」から紹介しておきます。いずれも日本共産党のHPからとったものです。簡単に記事のコピーができます。みなさんも,ぜひ活用してください。
●ベネズエラ国民投票 大統領罷免を否決/「歴史の逆戻り 許さなかった」/野党策動抑えた基礎に、教育と運動(「しんぶん赤旗」2004年8月18日)
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「国民は歴史の逆戻りを許さなかった」
―。南米ベネズエラの国民投票で大統領罷免が否決された十六日早朝、市民たちの喜びが爆発しました。国民が主人公の改革をすすめるチャベス政権を自分たちの力で守ったからです。米政権と結託した野党勢力の策謀を打ち破った要因はどこにあったのか。勝利にわきたつ首都カラカスから報告します。(カラカス=菅原啓)
「貧しい庶民は、何十年も放置されてきた。以前の政権は豊かな石油資源を金持ちの利益のために費やしてきた。それを変革し、真の平等をめざしているのがチャベス革命だ。クーデター、石油ストを打ち破ったのに続いて、国民の意思で政権の継続が確認されたことが何よりもうれしい」
アパートの管理人をしているマヌエル・ロペスさん(54)は喜びを語りました。
10時間待ち投票の忍耐支えたものは
ネルソン・グスマンさん(44)は、企業と短期契約を結んで働く電気技師。「チャベス政権が中小企業向けの融資を拡大した結果、数年前から仕事が回ってくるようになった。大企業や米国を気にするのではなく、庶民の生活向上を第一に考えているのがチャベス政権だ」といいます。
勝利集会に姿を現したチャベス大統領は、国際監視団や外国マスコミ注視の中で罷免反対が58%と圧倒的多数を占めたことに満足を表明。長時間列を作って投票に参加した国民の「英雄的な忍耐力」をたたえました。
初めての電子投票や指紋照合システムへのとまどい、予想を上回る投票率などで投票所には早朝から長蛇の列ができました。投票まで十時間待ちは当たり前という状況。有権者が示した忍耐力は外国マスコミも驚きをもって紹介しました。
改革の浸透が、「忍耐力」をささえる大きな理由だったことは間違いありません。与党第五共和国運動のオルランド・ガルシア国会議員は、「チャベス政権の改革が教育を重視し、国民が主人公の憲法を土台にすえていることが力を発揮した」と分析しました。
地域に無数の窓口対話重ねた与党側
教育省で働くアナ・オルティスさんは、「憲法を学び、国民が主人公の民主主義を根付かせる努力がなかったら、今回の勝利はなかった。教育プログラムで貧しい人々が新聞を読めるようになり、政治を理解できるようになった。これがなければ圧倒的なマスコミの宣伝に流されていただろう」と振り返りました。
今回の国民投票は、石油の富を独占してきた富裕層、財界など旧支配勢力が米政権を後ろ盾にして、改革を進めるチャベス政権を排除するため実現を迫っていたものでした。チャベス政権は、野党側が国民投票実施の要件を満たす署名を集めたことが確認されると、憲法と法律にもとづいて投票実施を決断。国民の意思であらゆる公職の人物を罷免できるのが、ボリバル革命本来の参加型民主主義だと主張し、野党との対立を投票で解決しようと訴えてきました。
「チャベスが国民投票を拒否すると踏んでいた野党側は当てが外れた。チャベスが非民主的という非難はほとんど威力を失った」とグスマンさんは解説しました。
与党勢力は、改革の成果をまとめたパンフレットを大量配布。それでも「貧困地域は無料の治療を受けられるが、公立病院は器材も薬品もなくボロボロ。チャベスは貧困層だけの大統領か」など、中所得層には改革への批判や疑問が渦巻いていました。
与党側は地域に無数のキャンペーン窓口を設置。「公立病院を管理しているのは、反革命派の首都圏市長であり、予算不足の責任は野党側にこそある」など、市民の誤解を解く対話活動を精力的に展開しました。「一人が十人の有権者を組織しよう」を合言葉に、何十万人というパトロール隊も編成されました。
財界や御用組合、旧支配層の二大政党幹部は、チャベス政権を「独裁的な権威主義」とか「偏重した貧困層支援」と攻撃し、資金やマスコミを動員したキャンペーンを展開しました。しかし参加型民主主義の実践で、地域福祉プロジェクトなどに参加し、憲法や教育を身につけたチャベス支持派の住民の運動と組織力を上回ることはできなかったのです。
打ち破った米干渉各国で大きな反響
国民投票の結果は、近隣のラテンアメリカだけでなく、ヨーロッパの主要紙でも大ニュースとして報じられました。ブッシュ米政権による横暴への懸念が高まる中で、これをきっぱり批判し、自主的な国づくりを進めるチャベス政権が、ラテンアメリカで相次ぐ対米自主の動きを象徴しているからです。
チャベス革命を敵視する米ブッシュ政権は野党勢力を公然と支援し、資金提供。政府高官は非公式のかたちでチャベス政権非難と「脅迫」を繰り返しました。
投票監視のためアルゼンチンからやってきた人権団体の代表、ダンテ・グージョ氏は、チャベス政権が米国の干渉を打ち破って信任を確認した結果について「ベネズエラだけでなく、米国の横暴な干渉を拒否するラテンアメリカの国々にとっても重要なものだ」と強調していました。
●多極化世界どう構築/非同盟諸国外相会議始まる(「しんぶん赤旗」2004年8月18日)
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【ダーバン=小玉純一】第十四回非同盟諸国外相会議が十七日、三日間の日程で南アフリカのダーバンで始まりました。今回の会議について、アヤンダ・ヌツァルバ会議事務局長は十六日の記者会見で、米国の一国覇権主義が平和の世界秩序への脅威となるもとで、多極化世界をどう構築していくか―「二十一世紀における多極化世界に向けた挑戦」が中心テーマとなると語りました。
非同盟運動が、国際情勢の当面する課題として多極化世界の構築を掲げたのは、イラク情勢をはじめ世界の諸問題で国連をはじめとする国際機関の役割を重視してのもの。会議では、イラクでの平和と戦争をめぐる問題が大きなテーマとなった前回首脳会議(二〇〇三年二月、クアラルンプール)に引き続き、イラク問題に国連を中心にしてどうとりくむかも重要な課題となり、同時に軍縮、テロの克服、さらに多発しているアフリカの紛争への対処などが議題となります。
会議では、すでに設立されているパレスチナに関する非同盟委員会を強化する議題が予定されており、イスラエルの「壁」の建設を違法とした国際司法裁判所の勧告を非同盟運動としてどのように具体化し国際社会に働きかけていくのかが議論されます。
非同盟諸国会議参加国数は百十六で、これは国連加盟国百九十一の三分の二にあたります。
外相会議は三年に一度開催する首脳会議の中間の時期に開催され、今回は、非同盟運動再活性化を議論した前回首脳会議を受けて二〇〇六年キューバでの次期首脳会議につなげるものです。
この非同盟諸国外相会議には、日本共産党の緒方靖夫国際局長・参院議員とゲスト組織である日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(日本AALA)の秋庭稔男理事長が参加しています。
●アジアで攻撃力強化/在外米軍の再編計画/米大統領発表 欧州中心に最大7万人減(「しんぶん赤旗」2004年8月18日)
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【ワシントン=遠藤誠二】ブッシュ米大統領は十六日、オハイオ州シンシナティで開かれた退役軍人の集会で演説し、欧州・アジアに展開する駐留米軍を最大七万人削減し、米本国に帰還させると発表しました。
この日の発表はブッシュ政権が進める現在の状況下での先制攻撃戦略維持のための米軍再編計画の一環です。ブッシュ大統領は、「現在の米国の戦力態勢は、ソ連の侵略から米国と同盟国を守る目的で構築されたものだ。その脅威はもはやない」「新たな脅威に備えなければならない」と述べ、再編強化の必要を強調しました。
同大統領は、「増加する戦闘能力を迅速に展開させる二十一世紀の進んだ軍事技術を取り入れ」「予期しない脅威に直ちに対処できるよう部隊と能力の一部を新しい場所に移す」と表明。六万から七万の在外米軍を削減し、米軍基地の従業員、兵士の家族ら十万人も米国に帰国させるとのべました。
ブッシュ大統領は、どの国の駐留部隊を削減するか、など内容は明らかにしませんでしたが、全体の三分の二を欧州で減らし、残りをアジアで削減するといわれています。
米政府当局者はブッシュ演説後、「アジアでは、米国の関与は今までと同様に強く、攻撃能力はむしろ今以上に強化される」と指摘。配備兵力での若干の変更はあるとしても、実質的な戦争能力を強化する構えであることを示唆しました。
在日米軍について、陸軍第一軍団司令部(ワシントン州)のキャンプ座間への移転、横田基地を拠点にする第五空軍とグアムに基地を置く第十三空軍の統合の計画などがすすめられているのはこの軍事再編の一環です。イラクとアフガニスタンに駐留する約十五万人の部隊は、今回の削減対象に含まれていません。
●米大統領選論戦で浮上/連邦レベルの消費税/ブッシュ氏「真剣に検討すべきだ」/ケリー氏「中産階級の税負担増」(「しんぶん赤旗」2004年8月19日)
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ブッシュ米大統領は十日、連邦税制を見直し、所得税に代えて、日本の消費税に相当する売上税を連邦レベルで導入する案について、積極的な姿勢を示しました。遊説先のフロリダ州で語ったもので、「連邦売上税がどれくらいの規模になるか、まだはっきり把握していないが、真剣に検討すべき興味深いアイデアだ」と述べています。
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州レベルでの課税あったが
米国では州レベルで消費税を課していますが、連邦レベルでは導入されていません。民主党のケリー大統領候補は直ちに反対を表明しており、十一月の大統領選挙の新たな争点として浮上する可能性があります。
十日のブッシュ発言は連邦売上税導入を公式に表明したものではありませんが、ブッシュ陣営の選対幹部は「連邦税制の抜本的見直し」を政権二期目の課題と考えており、三十日からの共和党全国大会で具体的提案を示すべきだとする顧問が大勢を占めています。
マクレラン大統領報道官も十一日、「大統領は常に、課税の軽減と簡素で公平な税制の信奉者だった」と述べ、連邦売上税導入に含みを残した発言を行っています。
導入の主張は根強くある
所得よりも消費に税をかければ、脱税の抜け穴をふさぎ、面倒な税の減免制度を必要としない「簡素で公平な税制」になるという主張は、ブッシュ政権の経済顧問や共和党議員の間に根強くあります。
ブッシュ大統領の発言に対し、民主党のケリー大統領候補は即座に「中産階級の税負担を重くするものだ」と批判。「州や地方のレベルで実施されている売上税に、さらに20%以上の連邦売上税を上乗せすることになる」と指摘しました。
ケリー氏は、大統領選勝利のかぎとみて支持獲得に力を入れる「中産階級」の税負担増を指摘して批判しました。消費税と同様の売上税は、低所得層ほど負担が重くなることは日本の実例でも示されています。(居波保夫記者)
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以下,質問にこたえていきます。質問は表現を変えている場合があります。ご了解ください。
〔質問に答えて〕
①私は70年代初めに大学で経済学の講義を受けた時こんなはなしは(当然ですが)全くなかった。これほどの経済的従属性について、大学等での授業はどうなっているのでしょうか。竹中の慶応大学での授業で学生は満足しているのか不思議です。石川先生の講義を受けた学生は良く理解できると思うのですが、経済学を学んで学生が対米従属反対の運動を始めたことなど聞いたことがないです。
●授業の中での従属問題の扱いについては,わかりません。個々には,そういう指摘をする教師も少なからずいるものと思います。ただし,経済学部では長く「マルクス経済学」と「近代経済学」の2つの経済理論が大学の経済学の柱となってきましたが,それが事実上「近代経済学」1本にまとめるという動きが強く起こりました。大きくは「ソ連崩壊」をきっかけにしてのことのようです。私自身の学生時代には,「マルクス経済学」をベースとするたくさんの教師たちの授業が,学生運動を支えるひとつの重要な力になっていました。
●ソ連などに特別の思い入れがあった経済学者の中に「マルクス経済学」に自信を失う人がいたのも事実です。「ソ連こそ社会主義」「くさっても鯛」「世界情勢前進の原動力はソ連」といった,それこそソ連型の理論に影響さていたところもあったのでしょう。科学的社会主義の「全一性」を考慮し,また最新の到達点に学んでおく必要があるというのは,その重要な教訓だと思います。その一方で,「マルクス経済学」に狭く限定しないで,「新自由主義」が中心にすわるようになった「近代経済学」に対抗して,資本主義の現状に批判的な経済学が1つの学会にまとまるという新しい動きも起こっています。
●日本社会全体が依然として「自民党」「民主党」を大きく支持し,竹中氏にも70万を超える投票があるわけですから,竹中氏の講義を聞いた学生ばかりを批判するわけにはいきません。日本国民全体の意識動向が,やはり学生たちにも反映します。他方で,学生・青年運動の立ち遅れについては,むしろ後輩をキチンと育てることに成功してこなかった「大人」たちの責任が大きいと思います。ただし,かつてほどの数ではないとしても「財界いいなり,アメリカいいなり」に反対し,日本の民主的改革のために努力している学生たち・青年たちの運動はいまも健在です。職場・地域にそのような若い力の取り組みを巻き起こす努力が「大人」の側にも,求められています。
②今中国が急速な経済成長をしていますが、東アジア経済共同体を見すえた上で、中国は障害とならないのでしょうか?
●日本経済が国内市場の停滞を脱出して,その上で中国の産業との一定の棲み分けがすすんでいけば,調整の必要がある問題は起こっても,中国の存在が障害になるということはないと思います。むしろ13億人の巨大な市場は,日本経済の新しい発展の原動力となりうるものでしょう。
●また東アジアの経済共同に向けて,現在の中国は積極的な姿勢をとっています。97年の通貨危機はアジア経済の通貨面での弱さを示しましたが,それを乗り越えるためのアジア通貨基金(AMF)構想にも積極的になっています。経済共同の具体的な内容や運用には注意する必要がありますが,それは共同体の構成員同士の「対話」によって解決が可能であろうと思います。
●日本経済の現状とのかかわりでいえば,中国の成長が悪い影響を与えているのではなく,中国の成長を利用しようとした日本大企業が,国内経済を考えないで中国進出をする,あるいは逆輸入を利用するといった行動をとっていることが問題です。なお,最近では,90年代日本の空洞化は海外進出によるのではなく,むしろ日本の経済政策の失敗による内需不振こそが主な問題だという指摘もでてきています。
③アメリカの国債を買い支えているなら、もっとアメリカへの発言力を強くしてもいいのではと思うのですが。
●本当に自立した国家であればそうなのでしょうね。しかし,ガキ大将に金品を貢ぐお金持ちの子どもは,いくら貢いでもガキ大将から自動的に自立することはできません。やはり自立に向けた意志と努力が必要なわけです。
●かつて橋本首相が「日本がアメリカ国債を売ればどうなるか」という発言をアメリカで行い,これにアメリカの市場が敏感に反応するという事態がありましたから,確かに発言力を強くする手段としてこれを利用することは可能です。ただし,橋本首相の場合には,直後に,「そんなことはしない」とアメリカの市場を落ち着かせるための発言を行いました。日本の政治姿勢を転換するためには,「アメリカいいなり」からの脱けだし,アメリカとも対等につきあうべきだとする日本国民の世論の力がもっと大きくなる必要があり,その力で日本の政治を動かすことが必要です。
〔感想〕
●経済従属の実態が良くわかりました。個人も国家も経済的自立こそ真の独立と名誉につながることも良くわかりました。
●今日が初めての参加だったのですが(論文を読んでもわからないので)分かりやすく解説していただけるのが、すごくうれしいです。
●講義を聴いていると財界、政治家は売国奴といっても言い輩ばかりだと思います。
●補足資料の中のイラク戦争のもう一つの理由、ユーロ建て支払いの阻止という事実は衝撃的でした。そんな大きな理由があったとは…。補足資料はどれも興味深く、ぜひ読んでみたいです。
〔京都学習協・第3回現代経済学講座〕
第4講・『日米構造協議』と土建国家
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
(1)第3回講座のねらいと構成
1)戦後日本経済の発展と到達をアメリカへの従属と依存を重視してとらえた第2回講座の到達点をふまえて,これに,重要な歴史的分岐点における「財界の判断」を付け加えていきたい。あるいはその「判断」にアメリカの意向がどのように反映したのかをとらえていきたい。それは今日の日本の政治経済の「財界・大企業いいなり,アメリカいいなり」の姿をより深く,根本からつかまえようとする作業でもある。
2)全体の構成は次のようになる。
第1講 現代日本の経済社会をどうとらえるか
第2講 グローバリゼーションと市場開放
第3講 『マネー敗戦』と金融ビッグバン
第4講 『日米構造協議』と土建国家
第5講 奥田ビジョンの21世紀戦略
第6講 新しい道を模索するEUとアジア
第7講 日本型資本主義の特異な家族・女性支配
第8講 展望・現代に挑む経済理論
(2)第4講・『日米構造協議』と土建国家
1)財界とはどういうものか――資料・各団体のHPより
2)論文「財界のアメリカへの従属と過度の依存」(日本共産党『前衛』第774号,2004年3月号)――4・「日本市場への支配と介入の諸政策」
3)補足1――原稿「現代日本の経済と『構造改革』」より
4)補足2――論文「『ゼネコン国家化』『多国籍企業化』の財界戦略」より――別紙
5)補足3――NHK取材班『NHKスペシャル 日米の衝突』(日本放送出版会,1990年)より
6)補足4――大野隆男『公共投資改革論』(新日本出版社,2000年)より
7)補足5――不破哲三「地方自治確立の新しい波を」(『革新の本流を大河のように』(新日本出版社,1997年)より
(3)資料「参議院選挙について」
1)日本建設業団体連合会
役 職 氏 名 所属会社等
会長 平島 治 大成建設(株) 会長 非常勤
副会長 梅田貞夫 (社)日本土木工業協会 会長
(社)日本電力建設業協会 会長
(社)土地改良建設協会 会長
(社)日本海洋開発建設協会 会長
(財)日本ダム協会 会長 非常勤
同 野村哲也 (社)建築業協会 会長 非常勤
同 山本卓朗 (社)日本鉄道建設業協会 会長 非常勤
同 仁瓶義夫 (社)日本道路建設業協会 会長 非常勤
同 向笠愼二 (社)海外建設協会 会長 非常勤
同 渡辺正男 (社)日本埋立浚渫協会 会長 非常勤
副会長兼専務理事 小鷲 茂 (元・建設省 大臣官房総務審議官) 常勤
社団法人日本建設業団体連合会(略称「日建連」)は総合建設業者で構成する事業団体で、建設業界の統一的な産業団体を目指して昭和42年11月1日に設立しました。
また、日米建設協議に関する情報の収集や日本からの各調査団のサポートなどの活動を行うため平成2年にワシントン事務所を米国ワシントンDCに設立しました。
建設業界に共通する基本的重要問題について公正な意見を取りまとめ、その実現に努力して、建設産業の健全な発展を図り、これを通じて社会公共の福祉増進に寄与することを目的としています。
建設業に関係するさまざまな課題に取り組み、以下のような事業活動を行っています。
(1) 建設業界の関係団体の意見を調整し、統一意見を確立すること
(2) 建設産業の健全な発展とその事業遂行に必要な諸制度の確立、改善に努めること
(3) 建設産業に関係する調査研究、統計の作成、資料の収集
(4) 社会の意見を聞くとともに、建設産業の実情や役割を広く紹介すること
2)日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)
会長 千速 晃 副会長 平島 治 副会長 齋藤 宏
社団法人日本プロジェクト産業協議会は、昭和54年設立以来、国土の有効利用と豊かな社会づくりに向けて、社会資本整備を推進してまいりました。
これまでわが国の経済成長をささえてきた社会資本は、未だ十分な水準にあるとはいえず、国際競争力維持の観点から、さらには成熟社会への移行にともなう少子高齢化、資源エネルギー・環境保全・逼迫する財政問題、情報化といった様々な課題に対応するためにも、循環型社会の構築に向け、優良な社会資本整備を促進することが不可欠です。
当協議会は、民間諸産業の技術・経験ならびに創意を結集し、21世紀にふさわしい豊かでゆとりと活力に満ちた社会の実現を目指し、国土の骨格となる社会資本整備に、引き続き努力を傾けてまいります。
豊かさを実感できる国民生活の実現に向けて国土の有効利用と社会資本整備に向けた取り組みを推進します。
1. 重点プロジェクトの積極的推進
社会資本整備のニーズ・課題の中から、重点プロジェクトを取りあげ、官民の合意形成を図りながら、実現に向けて積極的に推進します。
2. 政策提言、要望活動の推進
産業界の業際的組織としての特色を活かし、幅広い観点から調査・研究活動を行い、社会資本整備推進の諸問題を明らかにし、規則緩和等の法制度や予算措置の改正などを含む実効性のある政策提言、要望活動を行います。
3. 広報活動の推進
プロジェクトの推進に関して、関係諸機関、産業界、地元関係者などとの意見調整を行い、合意形成に向けて広報活動を展開し、実現への機運醸成を図ります。また、当協議会の活動理念や会員企業の英知を結集した成果を広く社会にPRしていきます。
昭和54年11月、任意団体として発足。
昭和58年4月、国土庁、通商産業省、運輸省、建設省の4省庁の共管による社団法人に改組。
平成13年1月、国土交通省、経済産業省の2省の共管。
平成16年度の委員会・研究会組織
3)日本経団連
・「今後の防衛力整備のあり方について― 防衛生産・技術基盤の強化に向けて ―」(2004年7月20日)
はじめに
世界の安全保障環境が大きく変化するなか、政府は、昨年末、ミサイル防衛の導入決定とともに、本年中に、現在の防衛計画の大綱(以下、「防衛大綱」)、中期防衛力整備計画(2001~2005年度;以下「中期防」)を見直すことを閣議決定した。本年4月には、総理大臣の諮問機関として、「安全保障と防衛力に関する懇談会」が設置され、検討が進められている。
日本経団連(防衛生産委員会)では、かねてより、提言「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」(1995年)や「次期中期防衛力整備計画についての提言」(2000年)などにおいて、防衛産業の立場から、防衛生産・技術基盤の強化に関する要望を行ってきた。これは、国家の平和安定が経済産業活動の大前提であることのみならず、わが国では、国の防衛力の基盤となる技術開発や生産活動を民間企業が担っていること、防衛産業は他の分野とは異なる特殊な制約の下で活動が要求されることなどから、官民間の特段の連携、意思疎通が不可欠であるという理由による。
今回の防衛大綱、中期防の見直しでは、新たな脅威・危機から、国民の安心・安全を守り、また適切な国際貢献を果たすため、防衛力の質的な変化が求められている。それは同時に対応する防衛装備、その開発・生産を担う防衛産業に対しても抜本的な変化を求めることに繋がる。
そこで、本提言では、「安全保障と防衛力に関する懇談会」における議論など、わが国安全保障政策の検討に際して、防衛産業の視点から基本的な考え方を示すこととしたい。
1.わが国の安全保障を取り巻く環境の変化
(1) 安全保障環境の質的な変化
冷戦の終焉に伴い、世界の安全保障環境は、東西国家間の対立から、地域紛争、テロの発生、ミサイル・大量破壊兵器の拡散等、多様な形へと変化している。わが国周辺においても、朝鮮半島におけるミサイル、核開発、武装工作船等といった脅威増大が顕著になっている。さらに、近年、サイバーテロ、大規模災害、感染症など、軍事的な脅威にも増して、国民生活や経済社会システムに大きなダメージを及ぼしかねない脅威が増大している。経済社会システムの高度化、ネットワーク化の進展に伴い、これらの危機による社会的影響は、ますます大きくなっている。
(2) 自衛隊の活動の多様化
安全保障環境の変化に伴い、自衛隊の任務も専守防衛に基づく活動に加え、国際協力業務、災害派遣、感染症対策など、多様化している。また、昨今の復興支援活動にみられる通り、経済大国として国力に応じた国際貢献が求められている。さらに、任務の多様化に加え、防衛装備などのネットワーク化、迅速で効率的な運用のために、陸海空の統合運用や多国間の共同運用、警察や消防といった他省庁との連携による対処も求められている。
(3) 技術の高度化
近年、米国を中心に、ITネットワーク、精密誘導機器、センサ、無人機など、防衛関連科学技術は飛躍的な進歩を遂げている。特に、宇宙の活用による通信・測位・情報収集等を含めた、防衛システムの高度ネットワーク化、システムインテグレーション化が急速に進んでいる。
また、従来の防衛技術から民生技術へのスピンオフのみならず、昨今では、高度な民生技術を安全保障分野において活用する傾向が強まっている。多種多様な脅威から、広く安心・安全を確保するためには、防衛、民生の垣根を超えた技術の活用が求められている。
新たな脅威への対応や、技術の高度化、大型化を背景として、諸外国においては90年代後半以降、従来型の装備も含め予算の拡充を図るとともに、国際共同開発による、効率化の動きが進んでいる。
(4) 防衛産業を取り巻く状況
一方、わが国では、厳しい財政状況を背景として、防衛装備予算は年々減少の傾向にある。さらに、ミサイル防衛システムという新たな装備の導入に伴い、従来の装備に対し、「選択と集中」が強く求められている。
わが国防衛産業の特徴として、(1)企業内に占める防衛事業の比率が低いこと、(2)供給先は防衛庁のみであること、の2点がある。防衛装備予算の減少は、わが国防衛産業の規模の縮小に直結し、産業全体としての地盤沈下、企業内での重要性の低下、技術力の低下、コストの上昇につながる。株主や社会に対する説明責任が増大する中で、防衛部門の投資効率や将来への明確な展望が強く求められている。
日本経団連の調査によれば、すでに、下請け企業等においては、防衛事業からの撤退の傾向が始まっている。一旦失われた生産基盤を改めて再構築させるためには、人材面での手当ても含め、長い期間とコストが必要であることに留意して、防衛産業政策を進めていく必要がある。
(5) 国際的な連携の進展
装備・技術の高度化、高コスト化、多国間の共同運用の増加等に伴い、90年代以降、欧米を中心に、開発・生産、運用の両面における多国間連携が進展している。このような連携を通じて、さらに高度な技術革新が生まれ、また、多国間の同盟関係や企業間の連携関係の一層の強化が図られている。
一方、わが国では、武器輸出三原則等により、防衛生産分野において他国と連携することが制約されている。すでに、わが国は先進国間の共同開発プロジェクトの流れから取り残されており、将来の防衛装備に係る技術開発面、コスト面、ひいては、わが国の安全保障全般に対する影響が懸念される。
2.今後の安全保障基盤の強化に向けた基本的考え方
(1) 安全保障基本方針と防衛産業政策の明確化
国民の安心・安全を確保するためには、地政学的な脅威への対応に加え、情報収集、危機管理、災害対策、感染症対策、情報セキュリティ等、多様な局面での対応が重要となる。このような、わが国を取り巻く状況変化に即した形で国家の安全保障に係る基本方針を明確に打ち立てるとともに、その技術・生産基盤である防衛産業の位置付け、中長期的産業政策を明示する必要がある。
(2) 基幹技術としての防衛技術基盤の強化
特に、多様な脅威に対し柔軟な対応を図るためには、何よりも、技術基盤の高度化とフレキシビリティが重要である。高度な技術基盤の維持は、脅威に対する抑止力となると同時に、海外からの技術、製品の導入に際してのバーゲニングパワーともなる。また、国際的な研究・開発・生産プロジェクトへの参加にも不可欠であり、技術を通じた諸外国との交流の推進を通じた外交・安全保障関係の強化にも繋がる。さらに、先端的技術は、防衛、民生を問わず大きな波及効果を生み、わが国産業の競争力強化、経済の活性化にもつながる。
昨今、ITを中心として、高度化する民生技術が防衛技術として活用される事例が増えており、わが国が優位性を持つ民生技術を国民の安心・安全に積極的に利活用していくことが重要である。わが国発の技術を用いて、国際社会への貢献を図ることは、高度な技術・経済力を持つわが国にとって、国際的に果たすべき安全保障上の一つの使命でもあろう。
長年の蓄積により国際的に優位性を持つ防衛技術の維持・強化を図ると同時に、科学技術創造立国を目指すわが国としては、防衛・民生の垣根を越えて、広く「安心・安全」に関する技術開発の推進を図り、国際競争力の強化、技術優位性の確保を図ることが重要である。
(3) 防衛産業の変革の必要性
一方、防衛産業においても、従来の装備生産中心型から、多様な脅威への対応力を包含した幅広い安全保障産業への変革が求められている。一層のコスト低減や技術力の強化により企業自らの体質強化を図り、新規参入を含めた企業間競争により国際競争力を高めることこそが、わが国の防衛力の基礎となることを認識せねばならない。
3.新時代に対応した安全保障基盤の確立に向けた具体的課題
(1) 安全保障基盤の確立に資する予算の適正な確保
厳しい財政状況のなか、多様な脅威に対する安心・安全を確保するためには、従来の基盤の維持向上に必要な予算の確保とともに、より幅広い安全保障基盤の確立のために必要な予算を十分確保する必要がある。
自衛隊の役割の拡大に伴う、新たな装備のための予算を確保すると同時に、広く「安心・安全」に関わる関連省庁の予算を効率的に活用し、国全体として、安全保障基盤の強化を図ることが重要である。
新中期防の策定に際しては、今後の中長期的な防衛力整備方針を予め明確にし、重点的に整備すべき装備・技術、その中長期的な研究・開発・調達の内容、スケジュール等を明確にする形でロードマップを提示するとともに、それに基づく重点的な資源配分を行うことが必要である。それにより、企業としても将来の投資の指針とすることができ、より効率的な開発や生産体制の整備が可能となる。
(2) 先端技術の育成・強化と安全保障への積極的な利活用
わが国が、今後も国際的な競争力を維持するためには、世界最高水準の科学技術創造立国を目指す必要がある。科学技術創造立国の実現は、単に経済社会の活性化のみならず、国際的な優位性を確保することで、わが国の安全保障上の地位を向上、安定させることにも繋がる。
わが国では、従来、防衛技術と民生技術は、政策上、別個のものとして扱われがちであったが、今後は、防衛、民生を含めた広範囲の総合的な科学技術の向上とフレキシブルな対応能力の涵養こそが、将来のわが国を支え、国民の安心・安全の確保に資する最重要課題であると認識し、政策決定を行うべきである。
科学技術戦略の策定・推進にあたっては、防衛当局、内閣府総合科学技術会議等、関連省庁の密接な連携が必要である。特に、総合科学技術会議における、第3期科学技術基本計画(06年度~)の策定に向けた検討に際して、防衛関連技術をタブー視することなく、安心・安全に関する技術開発のあり方やそのための資源配分のありかた、技術安全保障に関する方針などについて十分な議論が行われる必要がある。その下で、安心・安全に係る研究開発予算を十分に確保し、今後の安全保障環境の変化や科学技術の進歩に適時適切に対応可能な技術力の獲得を目指すべきである。
(3) 装備・技術の選択と集中
厳しい財政状況の中で、安全保障環境の変化や技術進歩に対応した装備・技術の整備を図るために一層の「選択と集中」が避けられない状況となっている。
その際、わが国の安全保障上不可欠な装備・技術、わが国に必要な安全保障産業の姿について長期的な観点から評価するとともに、わが国の固有性、民生分野への波及度、発展性、技術安全保障上の優位性などを踏まえた幅広い見地からの判断が必要である。
また、特に、脅威の多様化・複雑化、技術・システムの高度化に伴い、個別の要素技術のみならず、システムインテグレーションの重要性が益々増大しており、これらへの継続的かつ計画的な投資が必要である。
防衛産業においては、国際的な観点からも選択されるに相応しい技術水準、価格水準を維持強化していく必要がある。政府においては、選択と集中の実現に向けて、将来的な防衛産業のあり方を描き、その道筋を明らかにすべきである。
(4) 防衛基盤の強化に向けた方策
輸出管理政策
現在、わが国では、武器輸出三原則をはじめとする輸出管理政策、及びその厳格な運用により、防衛関連品・技術の輸出や交流、投資が厳しく制限されている。
すでに述べたとおり、装備・技術の国際共同開発の傾向が強まるなか、わが国ではこのような機会への参加や海外企業との技術対話も制限され、最先端技術へのアクセスができない。すでに、日本の防衛産業は世界の装備・技術開発の動向から取り残され、世界の安全保障の動きからも孤立しつつあり、諸外国の国際共同開発の成果のみを導入するといった手法には懸念が生じている。
日本経団連では、既に1995年から、日米同盟上の関係強化の観点から、輸出管理政策の見直しについて要望を行ってきたが、内外の安全保障の環境変化を踏まえれば、現行の輸出管理政策のあり方について再検討を行う必要性は益々増大している。
具体的には、平和国家としてのわが国の立場を堅持し、武器輸出による国際紛争の助長を回避するという、現行の武器輸出三原則の基本的理念は引き続き尊重しつつ、一律の禁止ではなく、わが国の国益に沿った形で輸出管理、技術交流、投資のあり方を再検討する必要がある。
安全保障分野における宇宙の活用
国民の安全・安心を確保するために、いまや、宇宙空間からの衛星による情報収集・通信・分析・活用が欠かせない。宇宙の利用に関しては、国際的にも平和利用が原則とされているが、「平和利用」の解釈に関しては、侵略や攻撃を目的としない防衛目的での利用は、国際安全保障上、むしろ有用であるとの解釈がとられ、広く宇宙が有効活用されている。一方、わが国の「平和利用」の解釈においては、利用が一般化していない限り防衛目的での利用は禁止されており、その結果、最先端技術で国民の安全を守ることができない状況にある。
安全保障における、宇宙利用の重要性の増大を鑑みれば、わが国でも、早急に宇宙の平和利用を国際的な解釈と整合させる必要がある。あわせて、通信・測位・情報収集衛星等の宇宙インフラを整備し、積極的に活用することにより、わが国の安全保障・危機管理インフラを強化すべきである。
取得・調達の改善など
取得・調達をめぐっては、予算制約の下、コスト低減に向けた取得・調達改革が進められているが、さらに、企業の経営努力や公正な競争が促進される取得・調達方式のあり方について検討を進める必要がある。
具体的には、トータルライフサイクル管理、インセンティブ契約方式、契約における総合評価方式等のあり方について検討を行うとともに、基盤維持に資する価格・コスト・経費率等の算定、安定的な調達に資する複数年度契約の導入、契約関連業務の簡素化等の執行上の改善が必要である。
また、取得調達システムや技術開発の効率化を図るために、官民相互の連携をより強化するとともに、民間の提案・ノウハウの活用や、輸送、糧食、修理等のロジスティックスを中心に民間へのアウトソーシングを積極的に進めることが必要である。
対外的な装備・技術協力のための環境整備
対外的な装備・技術交流を円滑、かつ効果的に進めるためには、政府間のみならず産業間の対話の推進が不可欠である。
日本経団連では、日米間の装備・技術協力を推進するため、米国NDIA(National Defense Industrial Association)との間で、97年にIFSEC(日米安全保障産業フォーラム)を設置し、日米防衛産業間の対話を図るとともに、IFSECでの検討結果(IFSEC共同宣言(97年、2003年改訂))を元に、日米防衛当局との対話を進めている。
今後、IFSECのような場を活用しつつ、装備・技術に関する海外との対話を積極的に進めるとともに、先に述べた輸出管理政策や、知的財産権の保護等の課題の解決を図り、対外的な官民相互の交流を促進するための環境整備を行う必要がある。
おわりに
国民の安心・安全を脅かす脅威や危機から、国民を守ることは国家の最も基本的な責務であり、安全保障は国家の存立基盤である。防衛産業はその技術基盤・生産基盤を国内に維持することを通じて、国家の防衛力の基盤となり、国家の安全保障の一翼を担っている。
政府は、今後の安全保障政策の策定に際して、国際的な環境変化に機動的に対応可能な強固な安全保障基盤を形成するために、「安心・安全」に強い社会システムの構築に向けた明確な基本方針を策定するとともに、国民の意識を高めるべく、広く議論を展開することが望まれる。
日本経団連としても、「国の基本問題検討委員会」において、国民の「安心・安全」や技術・経済安全保障等、広く今後あるべき安全保障政策のあり方について、引き続き検討を進めていく。
以上
(4)補足
1・原稿「現代日本の経済と『構造改革』より」
(5)アメリカからの構造転換要求とゼネコン国家の形成――キーワードは内需主導型
〔ゼネコン国家にもアメリカの圧力〕
次に,いわゆるゼネコン国家の問題です。日本の財政構造は他の先進国と比較すると,社会保障費と公共事業費が逆転している「逆立ち財政」となっています。アメリカの25分の1の面積しかない日本の公共事業費が,アメリカもふくめたG7の残り6ケ国の公共事業費合計を上回っているという点に,この国の財政運営の異常さが良くあらわれています(図表をいれる●)。ここで見ておきたいのは,そのような異常な財政構造の形成においても,アメリカの対日介入が大きな役割をはたしてきたということです。
大きな転換点は70年代後半です。60年代末のドル危機,世界的な高度成長の終焉,71年のニクソン・ショックと変動相場制への移行,73年のオイル・ショックをきっかけとした世界同時不況,一段の輸出競争力強化による日本の不況からの脱出。こうした一連の変化の中で,アメリカは日本に対する貿易赤字の改善を余儀なくされます。
アメリカ国内の産業を守るためにも,大きくなりすぎた日米貿易の不均等から「強いドル」を守るためにも,アメリカは日本からの大量輸出を受け入れるという政策の見直しを開始します。77年のロンドン・サミット,78年のボン・サミットで,アメリカは,世界の景気を日本とドイツがリードすべきだという「日独機関車」論を打ち出し,日本に対しては輸出主導型から内需主導型への経済構造の転換を強く求めます。これは戦後日本経済の非常に重大な転換点となっています。
〔福田内閣による大型公共事業の急拡大〕
アメリカからの内需主導型への構造転換要求を,福田内閣は大型公共事業で達成しようと考えます。ここでも,賃上げや社会保障の充実はまるで問題にされません。もちろん,それ以前にも大企業本位の大型公共事業はありましたが,内需主導型への転換が対米公約となったことから,公共事業は「質より量」が優先されるようになっていきます。世界的にも例を見ない「無駄と環境破壊の公共事業」は,この頃から日本の公共事業に深く植えつけられていきました。
78年度の政府予算で,公共事業費は前年比34.5%と飛躍します。実質的な国債依存度は38.8%で,これは,この数年の小泉内閣の予算に匹敵するほどの赤字予算です。翌79年にはゼネコン国家の推進力である日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)が設立されます。これは,ゼネコン,鉄鋼,銀行,商社など政府の公共事業費に寄生する巨大ゼネコン関連企業の集合体です。その後の政府による公共事業は,まずJAPICがプランを立て,それを経団連が承認し,さらに政府が国土開発計画に盛り込むという,こういう手順で具体化されていきます。関西国際空港をつくる,東京湾に橋をかけるといったことも,もともとはこのJAPICが言い出したことでした。
莫大な公共事業費を確保するための消費税導入がはかられます。しかし,国民の抵抗の前にこれは実現しませんでした。81年からの「第2臨調行革」が,社会保障費や教育予算の切り捨てを進めますが,それにもかかわらず,80年代前半に公共事業費は停滞します。その間も,大企業によるアメリカへの輸出は減らず,日米貿易摩擦が激化します。そこで,あらためてアメリカから強い圧力がかかってくることになります。
〔中曽根内閣による経済構造転換とバブルの形成〕
85年9月のプラザ合意は「秩序あるドル安」つまり円高をすすめます。あわせて,アメリカは内需主導型への日本経済の抜本的な転換を強く求めてきます。その意向を汲んで,アメリカへの国際公約として差し出されたのが,86年の「前川レポート」でした。正式名称は「国際協調のための経済構造への転換」ですが,その内容は,従来の輸出志向型経済構造から内需主導型経済構造へと,日本経済の構造を転換するというものです。これが福田内閣へのアメリカの要求の延長線上にあることは明らかでした。
あわせて「前川レポート」には,アメリカ大企業の対日進出を容易にする規制緩和の要求が盛り込まれています。レポートが展望したのはアメリカへの貿易黒字が大きくなりすぎない経済構造への転換ですが,日本の大企業はアメリカへの輸出をあきらめることはできません。そこで,レポートにはアメリカからの輸入の拡大や,アメリカの大企業が日本に入って来やすくするための経済構造改革が盛り込まれたのです。これが90年代の橋本「6大改革」や,今日の小泉内閣がかかげる「構造改革」路線のはしりとなります。
プラザ合意以後,日本政府の思惑をはるかに超える大幅で急速な円高がすすみます。85年の1ドル=240円が,87年には1ドル=120円へと飛躍しました。そこにアメリカ政府による強い円高誘導への動きを見た中曽根内閣は,87年に6兆円の公共事業を追加し,「内需主導型」への転換という対米公約実現に向けた意思の強さを,あらためてアメリカに示します。
中曽根内閣は,83年の「今後の経済対策について」で「民間活力の活用による都市再開発」を打ち出し,これを「アーバンルネッサンス」と名付けていました。この「民活」政策は86年の「民活特別措置法」にまとめられ,87年には「リゾート法」による地方開発が進められます。日本全土を公共事業がおおい,さらに低金利政策の推進が日本に「バブル経済」をつくりだしていきます。この低金利政策も,日米の金利格差をつけることで日本の余剰資金をアメリカに移転させ,アメリカの国家財政をささえさせようとするアメリカからの圧力によるものでした。87年10月のブラックマンデーによる「ドル危機」も,日本政府による低金利政策継続の強い要因となりました。
こうして,プラザ合意以後のドル安にもかかわらず,「ジャパン・マネー」は海を越え続けました。ドル資産の価値を維持するために,ドルを買い続けねばならない,この日本側の無策を先の吉川氏は「マネー敗戦」と名付けています。
その後,89年に政府は消費税導入に「成功」します。86年から93年まで公共事業費は一直線に上昇し,93年にはついに50兆円を突破します。公共事業費の異常な肥大化は,先進国で唯一,社会保障費よりも公共事業費が多い「逆立ち財政」を生み,それにもかかわらず「無駄と環境破壊」に邁進する,他に例を見ないゼネコン国家をつくりました。高度成長期につくられた生産力と個人消費との大きなギャップは,まったく改善されません。この項で取り上げた問題については,大野隆男『公共投資改革論』(新日本出版社,2000年)が参考になります。
(6)ゼネコン国家を「改革」できない小泉内閣――無駄をつづけながら消費税増税へ
〔日米構造障壁協議から「骨太の方針」まで〕
91年のソ連崩壊以前から,アメリカは「ソ連なきあと」の世界戦略の立案をすすめていました。バブル終盤の日本からアメリカへの不動産投資が急拡大していたこともあり,ソ連の次は日本経済が「脅威」だとする考え方が,アメリカ国内に拡がっていました。その中で,89年から90年にかけての「日米構造障壁協議」が行われます。アメリカからの要求はますます強くなっていきました。
一方で10年で430兆円もの公共事業が求められ,他方では,アメリカ大企業が日本市場に入り込むのにジャマになる「障壁」をはぎとるための「規制緩和」が,6分野240項目に渡って求められます。交渉では,対米公約であった「前川レポート」も活用されました。あまりにも重大で広範囲な経済主権の侵害ぶりに,協議に参加した日本政府関係者が「第二の占領政策」だと語ったことは有名です。
93年には「非自民」を売り物にした細川内閣が誕生しますが,この政権でつくられた「平岩レポート」も,「従来の輸出型経済構造を規制緩和,企業のリストラ,住宅・社会資本整備,内外価格の縮小などにより,内需型経済構造に変革する」「世界に『自由で大きな市場』を提供」すると,アメリカの要求をまるのみします。それは,それまでの自民党の経済政策を忠実に発展させるものでした。
さらに,クリントン政権からの圧力で,村山内閣が10年で430兆円の公共事業を10年で630兆円に増額し,その後,橋本内閣が10年で630兆円を13年で630兆円に先のばしします。これだと1年分は48.5兆円で,90年代後半の50兆弱という公共事業の実績にピッタリとあう水準でした。97年に「財政構造改革促進法」を成立させた橋本内閣は,98年度予算で公共事業費の一定の抑制を行いました。しかし,98年度早々に莫大な公共事業費をふくむ補正予算が組み上げられ,これを歓迎する経団連と,公共事業費縮小を主張する経済同友会のあいだに意見の対立を生み出します。ですが,後を次いだ小渕内閣はあっさりと過去最大級の公共事業拡大路線にもどり,首相自身が「世界一の借金王」を自認していきます。
小渕政権のもと,竹中平蔵氏も民間委員として参加していた「経済戦略会議」が99年に「樋口レポート」を発表します。そこでも,内需主導型への転換と市場開放・規制緩和という基本線に変化はありません。さらに,小泉内閣の2003年版「骨太の方針」もこういっています。「日本経済の体質を強化し,内需主導の自立的回復を実現するという依然大きな課題を残している」。これが日本政府にとって,アメリカの要求にもとづく福田内閣以来の課題であることは,すでに見てきたとおりです。
〔「都市再生」でゼネコン国家をお色直し〕
小泉内閣は「聖域なき構造改革」をかかげ,公共事業の「見直し」を国民に期待させて誕生しました。しかし,財政赤字と物価下落による事業費の抑制はあっても,「無駄と環境破壊」を見直す,積極的な公共事業改革はまったく行われないままです。当初予算で一定の事業費削減を行いながら,年末の補正予算で公共事業費を拡大する。こういう姑息な方法を,01年度,02年度と繰り返しました。
「都市再生」という新しい名前をつかっていますが,その中身は,羽田・中部・関西と必要のない国際空港の建設や拡張を推し進め,すでに中曽根内閣が行っていた「都市再開発」(アーバンルネッサンス)を焼き直しするものです。たとえば関西空港の二期工事には,まともな需要予測が立ちません。いまある第一滑走路だけで十分なのです。「都市再生」は「国際競争力の強化」につながる従来とはちがった,多国籍企業支援型の公共事業だといいますが,利用の見通しをもたない空港や港湾が「国際競争力の強化」につながるわけはありません。これは「無駄と環境破壊」の名前だけを変えた継続です。
他方で,都市開発では大企業が保有する不良土地資産の買い上げも行われています。さらに,政府の都市再生本部で事業計画の決定において主導権を発揮しているのが,JAPICや不動産協会のようなゼネコン関連資本であることにも,まったく変化はありません。変化といえるのは,せいぜい公共事業費総額が抑制される中で,地方への「ばらまき」を縮小し,できるだけ多くの予算を都市部の大規模開発につぎこむようにしていることです。それによって少数の巨大なゼネコン関連資本に,ますます公共事業費が集中されるようになっています。
小泉内閣による「都市再生」の実態については,五十嵐敬喜・小川明雄『「都市再生」を問う』(岩波新書,2003年)が参考になります。
〔赤字高速道路の建設を推進〕
2003年6月に国土交通省が発表した社会資本整備重点計画(素案)は,それまでの13本の長期公共事業計画を「見なおす」はずのものでした。しかし,発表された計画は,従来型の事業計画を根本的には何も変えないものでした。第一に,公共事業の1/3をしめる道路事業に03年度以降の5年で国費だけで38兆円を投入する。第二に,従来型公共事業計画の根本プランである第5次全国総合開発計画の見直しをまるで行わない。そして,驚くべきは,第三に,この重点計画の実施については国会の審議も承認も必要としないとしたことです。
さらに象徴的だったのは,道路公団民営化問題です。この話し合いは,少なくとも建前としては,政府の赤字をふやすことになる今後の高速道路建設事業をどうするかを焦点としました。しかし,03年12月に政府が発表した「道路公団民営化案」は,必要性も採算も無視して,基本的にはいまある高速道路整備計画(9342キロ)の達成をめざすものとなりました。この経過については自民党ウォッチャーの屋山太郎氏が『道路公団民営化の内幕』(PHP新書,2004年)で暴露しています。改革派の旗頭と持ち上げられながら,政府の「民営化案」を「国民の勝利」と評した猪瀬直樹氏に,屋山氏は国民の目をそらすための意図的な世論操作の担当者だと厳しい批判をあびせています。
この政府案と04年度政府予算がつくられる過程で,「高速道路建設推進議員連盟」(02年10月結成)が活発な動きを見せていました。重視せねばならないのは,この推進議連に小泉政権の中枢から大臣12名,副大臣22名,政務官20名が加盟していた事実です。ようするに,この内閣は「無駄と環境破壊」の高速道路建設を従来どおりに行うとする政治家たちを中心につくられていたということです。口先でいかに「改革」を叫ぼうとも,これがこのない区の実態であり,今日の自民・公明連立政治の実態なのです。
〔公共事業予算確保のための増税と社会保障改悪への動き〕
こうして大型公共事業を継続すれば,財政赤字はさらに深刻になります。そのうえ,財界は法人税の減税をすすめていますから,赤字をうめるための消費税増税や低所得者の所得税増税,中小企業への増税の企み,社会保障・医療・教育など国民生活関連予算切り捨てが,支配層の重大課題となってきます。
2・論文「『ゼネコン国家化』『多国籍企業化』の財界戦略」より――別紙
3・NHK取材班『NHKスペシャル 日米の衝突』(日本放送出版会,1990年)より
「日米構造協議議事録の記録」から
〔第1回会合 1989年9月4日 東京・外務省〕
●国務省・マコーマック次官
「日米関係の緊密さのため,貿易摩擦が起きているわけですが,これによって日米の協力関係がそこなわれるようなことがあってはなりません。」「議会は,為替調整は欧州との収支改善には効果を発揮したが,日本については為替調整では効かない,と考えています。」「……日本も排他的商慣行から脱し,かつて輸出大国に変わるため努力したように,今度は輸入大国に向け努力すべきなのです。」(250ページ)
●商務省・ファーレン次官
「今回の協議は,日本の『前川リポート』の提言と内容を同じくするものと言えます。もし日本が『前川リポート』を忠実に実現していたならば,この協議は必要なかったかもしれません。」(252ページ)
〔第2回会合 1989年11月6日 ワシントン・国務省〕
●財務省・ダラーラ次官補
「アメリカ側が重視しているのは,日本国内での投資を上昇させることです。中期的に公的部門での投資を上昇させることです。」(273ページ)
●国務省・マコーマック次官
「日本ではかつて例がないほどの資金を背景に,民間部門での投資が活発に行われています。政府が税によりこの民間の資金を吸い上げて,輸出に結びつく製造業分野から公共事業分野へと,資金と人を移転させてはどうでしょう。」(278ページ)
●国務省・マコーマック次官
「日本において製造業分野に大幅な設備投資が行われていることは事実です。日本経済を輸出指向から内需指向へと,製造業中心から公共事業分野へと幾分変化させることが望ましいのではないでしょうか。」(278ページ)
●国務省・マコーマック次官
「日米双方にとって重要なことは,日米間の不均衡を是正するという目的について合意したという原点に立ち返ることです。」(290ページ)
〔第3回会合 1990年2月22日 東京・外務省〕
●財務省・ダラーラ次官補
「公共投資10%はショックだったとのことですが,いまのショックが和らいだらこの目標について考えていただきたいと思います。」(295ページ)
●国務省・マコーマック次官
「公共投資を高め,インフラ整備を促進するという問題は構造協議の最重要課題です。」(296ページ)
4・大野隆男『公共投資改革論』(新日本出版社,2000年)より
戦後公共投資関連略年譜
1946年5月22日 GHQによる公共事業費60億円計上――公共事業費の費目が戦後の予算にはじめて登場
1949年 このころから公共事業費の中での道路費の比重が高くなっていく
1950年5月 国土総合開発法が制定される
1950年6月 朝鮮戦争がはじまり,日本の兵站基地化がすすむ(特需による電力,鉄鋼,造船,石炭などの生産飛躍,電力資源の開発の必要性が高まり,アメリカのTVAをまねた治水と地域の開発をあわせた電源開発・多目的ダム建設を中心とする地域開発ブームが高まってくる)
1953年 道路整備のための特定財源制度がつくられる(推進者は田中角栄)
1955年12月 「経済自立5ケ年計画」(鳩山内閣)閣議決定 戦後初の経済計画(5%成長をもくろみ,産業基盤の強化を第一の課題に)
1956年5月 アメリカの高速道路調査団(団長ワトキンス)が来日――道路整備費の3倍化・有料高速道路の採用などを提起
1956年12月「新長期経済計画」閣議決定――「輸送需要の急増と車両の大型化,行動範囲の伸長に対応」する道路建設
1957年 公共事業に占める道路の比率が28.4%でトップになる
※巨大な関連産業の需要を生む自動車産業を新たな戦略産業に育成するという支配層の意図があった
1957年12月 「新長期経済計画」(岸内閣) 6.5%成長を
1958年度 高速道路事業をはじめて盛り込んだ第2次道路整備5ケ年計画スタート
1960年12月 「国民所得倍増計画」(池田内閣)――「太平洋ベルト地帯」構想を提起,エネルギー資源の圧倒的部分をアメリカ系企業による輸入に依存した臨海型重化学工業の創出,10年間の公共事業費を16兆1300億円と決める
※1956~68年の公共投資累計額は23兆9494億円(1951~55年の20倍)
1962年10月 全国総合開発計画(1全総)閣議決定
1965年 補正予算で戦後はじめての赤字国債発行(特例法で)
1967年 「経済社会発展計画」――67~71年度の公共事業費を27兆5000億円と決める
※1955年から73年までGNPの平均成長率は年9.8%
1976年5月 「昭和50年代前期経済計画」(三木内閣)――成長率6%を
1977年11月 「第三次全総合開発計画」(福田内閣)閣議決定
1979年 日本プロジェクト産業協議会結成
1979年8月 「新経済社会7カ年計画」(大平内閣)――一般消費税を展望して240兆円の公共投資を計画
※一般消費税導入失敗,1979年度の一般会計に占める公共事業費の比重は下がり,80年度からは伸び率ゼロ,83年度から87年度までマイナスシーリング
1981年 第二次臨時行政調査会発足
1983年 テクノポリス法(高度技術工業集積地域開発促進法)
1985年9月 プラザ合意
1985年 「民活」推進と「市場開放」をうたった「規制緩和一括法」が成立
1985年10月 経済対策閣僚会議が内需拡大対策として「民活政策」をとりあがる
※このころから「民活型開発」が急ピッチで具体化していく
1986年 「民活特別措置法」
1986年4月 前川リポート――対米公約に
1986年6月 リゾート法(総合保養地域整備法)
1987年5月 新前川リポート
1987年6月 第四次全国総合開発計画(中曽根内閣)閣議決定
1989年5月 ブッシュ大統領が日米構造協議を提案
1989年9月~90年6月 日米構造協議
1990年 「公共投資基本計画」(海部内閣)の閣議了解――91年~00年の10年で430兆円
※430兆円は,80年代の総額263兆円の1.6倍
※1992年~96年の公共投資額は59.5兆円(国),大量の赤字国債が発行され,発行残高は95年末で222兆円
1993年7月 東京サミット――「日本は内需主導の経済成長実現のための財政金融政策に取り組むこと」
1993年11月 細川首相訪米,クリントン大統領が100兆円増額を要求
1994年2月 JAPIC「社会資本整備の促進と内需拡大に関する提言」
1994年3月 経団連,経済同友会がつづけて公共投資基本計画の100兆円以上の積み増しを要求
1994年7月 ナポリサミット――村山首相がクリントン大統領に公共投資拡大を約束
1994年10月 公共投資基本計画を95~04年度で630兆円に増額(村山内閣)
1996年5月(?) 日建連「日建連ビジョン」――日本型PFI(民間資金主導による社会資本の整備)
1996年12月 財政制度審議会(会長・豊田章一郎経団連会長)・財政構造改革特別部会(部会長・石弘光一橋大学教授)――国・地方の累積赤字は96年度末で442兆円,「主要先進諸国中最悪の水準」「強固な歳出抑制の姿勢を示すべき」
1997年度予算 公共事業費伸び率1.2% 特に変化なし
1997年6月 「財政構造改革の推進について」(橋本内閣)閣議決定
1997年12月 「財政構造改革法」――630兆円は13年とし,当面10年で470兆円とする(※当時の水準を維持するもの),公共事業の「重点化」
1998年度予算 公共事業費前年度比8%マイナス
1998年3月 第5次全国総合開発計画(橋本内閣)
1998年4月 補正予算「総合経済政策」――公共事業7兆7000億円追加
1998年5月 「財政構造改革法」の改正
1998年11月 「緊急経済政策」(小渕内閣)で「財政構造改革法」は凍結
1998年12月 「財政構造改革法停止法」制定
1999年12月 「経済戦略会議」(議長・樋口広太郎)――21世紀の公共投資戦略,1)バブルで不良債権化した土地の流動を促進する「都市再生委員会」をもうける,2)拠点空港・港湾などゼネコン中心の公共投資の重点化推進
5・不破哲三「地方自治確立の新しい波を」(『革新の本流を大河のように』(新日本出版社,1997年)より
日本における大型開発の方法について
・戦前の工業地帯づくりは財界が自前で行った(220ページ)
・工業地帯づくりに自治体を動員するのは戦後のやり方(221ページ)――これに目をつけたのが田中角栄
・戦後の大型開発の第1の波――「日本列島改造論」の特質――1)GNP成長神話を根底に,2)大型開発を「呼び込み方式」に(自治体が開発しても企業がくる保障がない,50~60年代には企業が決まったうえで開発が行われたが)(223ページ)
※ただし,開発費用の半分近くは国が出していた
・「列島改造論」破綻の後,しばらく凍結されていた大型プロジェクトが80年代に入るころから解禁される,ここから戦後の大型開発の第2の波――1)苫小牧東部,むつ小河原の開発(企業はこないのに),2)3本もの本四架橋(必要の説明がつかない),3)テクノポリス開発(230ページ)
・民活型プロジェクトが第二の波の主流――国が発注するのでなく,民間企業が中心に,そのために79年JAPIC結成
・85年,臨時行政改革推進審議会が「民活総論」――開発は民間が中心に
・86年「民活法」
・計画には最初からゼネコンが介入するが,事業執行の責任は自治体に負わせる
・財源の限られた自治体が銀行から借金し,それが造成地の企業への高値での売却で返済できると「計画」――「第三セクター方式」の最初の破綻が,泉佐野コスモポリス
2004年9月5日(日)……和歌山学習協のみなさんへ。
以下は,8月21日に行われた和歌山学習協『資本論』第2・3部講座の第4回講義に配布したものです。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
〔和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む〕
『資本論』ニュース(第4回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
今日は,講義時間のつかい方にかかわるご提案から紹介していきます。これは第2回(6月5日)の講義に関するものですが,事務局には7月3日に届いたものです。
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(提案)いつも先生の熱っぽい講義に魅了され、圧倒されながら充実感を味わってきましたが、今回はその満足感が希薄でした。
事前に⑤(第二巻第一分冊)を読了しておく積りで準備しましたが、結果的には第4章~第6章(約80ページ)を読み残して講義に臨んだことが一番大きな原因とは思いながらも、本日の講義については「よくわかった」「よくわからなかった」という範疇でなく、なんとなく終ってしまったことかという感じでした。
そこでお願いです。今まで楽しみにしていた「講師のつぶやき」を思いきって削除しては?(「質問に答えて」は残す)そしてその時間を講義にまわして、もう少し流れがわかるようにしてほしいのです。そのため独習の手助けとして次回の内容について少し詳しいレジュメ(重要な内容を列記する)を用意して頂ければ、内容の理解を深め、流れもよりかわり易くなるのでは(不破さんの本、宮川さんの本なども読む積りですが)。(先生のご負担が大きくなるでしょうが)
要するに次回は「質問に答えて」「今日の講義の流れ」「次回の講義のポイント」といった形にして頂ければ、これば学問の険しい小道をよじ登る労苦を恐れ゙ることになるのでしょうか?
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いくつか考えて見なければならない問題があるようです。
1つ目の問題は,第1部の内容とちがって,第2部以降についてはみなさんにとって,おそらく「初めて読む」「初めて考える」ことになる問題が多いだろうということです。第1部の市場経済論,剰余価値論,蓄積論などは,経済学の基礎的なテキストでもお目にかかることの多い問題でしょうが,たとえば第2部の循環論,回転論,再生産と恐慌論といった話は,あまり目にしたことがない方が多いでしょう。
となると,「わかった」「わからなかった」以前の問題であったという感想のなかには,そもそも何が解明されるべき課題なのかもわからなかったといったことがふくまれたかも知れません。むずかしい問題です。一方では,あまり勉強をしたことのない問題が1度でスラスラわかるハズがないともいえますし,あるいは第2篇・第3篇に進むことによって,逆に第1篇の意味がわかってくることもある,といったこともいえるでしょう。しかし,他方では,とはいえ,あまりにもわからないと先へ進む意欲がもてないということにもなっていきます。
また,繰り返しですが第2・3部を読むには,第1部になかった新しい困難がつきまといます。マルクスの完成稿がないという問題です。したがって,文章は第1部ほど「読者向け」にはできておらず,その上に,マルクスの草稿を編集したエンゲルスのやり方の問題が重なってきます。ですから,第2・3部については,第1部のように,書いてあることをていねいに読めば,それなりにわかってくると簡単にはいえないところがあるわけです。
どうやら,全体として,第2・3部については,1)『資本論』自体に第1部以上に読むのがむずかしいという問題があり,2)読む側にもあまり勉強したことのない問題なので理解が追いつきづらいという問題があるようです。そういう,第1部のときにはなかった独特の困難があるわけですから,講義をする側にも,『資本論』を実際に読むみなさんにも,それにふさわしい新しい工夫と努力がいるようです。
まずは,お互いに,第1部のときの延長線上での努力だけでは,第1部ほどにはわからなくて当然だということですね。
その上で,2つ目の問題が,「講師のつぶやき」のあつかいです。『資本論』を読む目的は,150年前のイギリスを理解するところにあるのではなく,今日の日本社会を理解し,その変革の展望を開く「科学の目」を養うところにあります。
『資本論』はそれ自体の理解にとても手間のかかる本ですから,これを読むとどうしても,いわば『資本論』の中の世界に閉じこもりがちになります。そうならないために,いつでも現代の日本と世界を念頭においておくことが必要です。「つぶやき」が,現代の日本と世界にふれるのは,そのための材料を提供するということをひとつの目的としています。
たとえば,イラク戦争の背後に,アメリカの大資本の利害がどうかかわっているのか,日本の財界は独自の資本の利害があるにもかかわらず,なぜアメリカへの従属を受けいれているのか,それにもかかわらず世界に平和の問題で歴史的前進があるといえるのはなぜなのか,そういった今日的に切実な問題を立て,それを探求する「科学の目」を『資本論』に探しに行くという,そういう姿勢をもつことが『資本論』(古典)を読む場合には大切だからです。
とはいえ,「つぶやき」にどれだけの時間をかけるかという問題は成り立ちます。自分なりに「つぶやきに時間をかけすぎた」と反省させられることも良くあるのが実態です。ここへの時間配分自体が1つの模索の対象ですが,第2・3部の特有の困難を考えれば,直接に『資本論』の理解にかかわる「つぶやき」でない場合には,その時間を大幅に短縮するのも1つの方法でしょう。では,しばらくはそれでやってみることにしましょうか。何事も実験です。それで,「なるほど『資本論』自体への理解が深まるようになった」ということであれば,そのようなやりかたを継続すれば良いし,「やっぱり第2部はよくわからない」ということであれば,時間の有効なつかい方について,また他の方法を考えるということにして。
3つ目の問題は,次回の内容についてレジュメと解説がほしいということです。なるほど第1部については,講座の最初に私なりのレジュメ集を配布しましたが,第2・3部についてはそれがありません。ですから,こういうご要望が出てくるのはわかります。では,それについては,事務局にお願いして,宮川先生のレジュメを配布していただくことにしましょうか。それによって,いつでも必要な確認が自分でできるということになると思います。
次回の内容の紹介については,「つぶやき」の時間短縮分から時間をとってということでしょうが,これは現実的にはあまり効果がないと思います。その場では「わかったような気になって」も,結局は,「読んでみなけりゃわからない」からです。
ただし,全3部の構成や,第2部の3篇構成の組み立てについては,講義のなかで何度もふれています。ですから,その中から,それぞれの篇がどういう位置づけにあるかを汲み取るかについては,意識的に,しっかりとされてよいことだろうと思います。それが,後々の講義内容のつかみどころの「予告」の意味をもちますし,またすでに行われた講義の「とらえかえし」の意味ももっているわけですから。
第2・3部の予習ですが,第1部にない特有の困難を考えると,エンゲルスによる編集上の問題についての解説がふくまれているものを読まれるのがいいと思います。その意味では,不破哲三『「資本論」全3部を読む』が最適でしょう。
なお,おしまいに,自分で『資本論』を読んだという身近な経験例を紹介しておきます。みなさんにも『資本論』の読了に努力されている方がたくさんおられるわけですが,励ましの意味で載せておきます。兵庫の学習協で良く学ばれている方の経験です。兵庫の「つぶやき」に書いたものをそのままコピーしておきます。
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あとは,ご自身の『資本論』学習の「報告」です。時間を惜しんで学習するということのひとつのお手本になっていると思います。こういう交流も労働者教育運動にとっては,大切なことだろうと思います。
※10年ほど前に『資本論』を読了しました(もっとも,ともかく読み通したというだけで,今では「そんなこと,どこに書いてあった」という調子ですが)。当時のメモを見てみますと,第1部読了に6ケ月,第2部・第3部に1年かかっています。読み方は半分くらいは電車の中でした。当時,神戸から大阪に通勤しており,地下鉄20分,JR(三ノ宮-大阪)20分,JR環状線7分かかっていましたので,この時間を利用して,新書版を読みました。集中できずに1日1~2ページしか読めなかった力,文章の途中で電車を降りるので,次に読むときには何度かバックせざるを得ない時もありましたが,それがかえって,2~3回読んでいるということにもなりました(はっきりは理解できないが,ともかく次に進むということも多かったですが)。机の前で読むことだけが学習ではないと思います。
●貴重な体験だと思いますし,貴重な習慣を身につけられていると思います。じつは私も読書の半分以上は電車の中で行っています。「読まねばならないがなかなか読む気になれない」本がある時には,それを読むために電車に乗り込むという方法を,すいぶん前に教えてもらったこともあります。時間を惜しむという精神は,「バス停」「トイレ」「交通機関の中」「会議の休憩や待ち時間」……すべての時間を「学習の時間」にかえさせます。
●労働者階級の全体的な政治的・知的成熟には労働時間の短縮が必要ですが,「短縮されるまで勉強はできない」といっていたのでは世の中は変えられません。時間をつくること,自分の生活を点検し,管理すること,有効につかわれていない時間を削り落としていくことは,それ自体が重要な闘いだと思います。
次は,『前衛』9月号に掲載した書評です。特に,第2・3部の読み方の新しさという点に力点をおいた文章になっています。参考にしてください。
「不破哲三『「資本論」全3部を読む』第4~7冊――浮かび上がった驚きの『資本論』像」
●全3部に渡る合理的な読み方の探求
第1~3冊についての書評(本誌4月号)では,この本の特徴を次の3つにまとめておきました。1つはマルクス本来の到達点を盛りこんだ新しい『資本論』像の提起,2つは全体を1つのまとまりとして読むことへの強い姿勢,3つは経済学にとどまらない科学的社会主義理論への多面的な注目です。
第4~7冊を読み終えて,新しい『資本論』像の提起が,予想をはるかに上回る大きなスケールで展開されたことに驚かされています。『資本論』全3部は,もちろんエンゲルスの努力なしにはありません。エンゲルスはマルクスの文字どおりの共同研究者であり,マルクス亡き後には,その遺志を次いで『資本論』第2・3部を編集・出版した人物です。しかし,その最良のマルクス理解者であるエンゲルスでさえ,限られた時間に完全な編集を行なうことはできませんでした。その結果,出版された『資本論』には,マルクスの草稿により補われねばならない空白もあれば,編集の不手際による余計な重複もあり,さらにマルクス自身が誤りをおかした議論や,その誤りをエンゲルスが増幅してしまった箇所も残されることになりました。
著者はこの本で,マルクス自身の成果によって過不足を正し,正された『資本論』が示す新しい理論の高みを確認しながら,あわせてマルクスが解決に至らなかった諸問題についても,率直な指摘をしています。それはマルクスと『資本論』を歴史の中で読み,その当否の1つ1つを「科学の目」で確かめる,『資本論』のいわば合理的な読み方を徹底的に探求したものです。こうした作業を『資本論』全編に渡って行なう仕事は,この7冊がはじめてでしょう。以下,いくつかの論点を紹介しておきます。
●恐慌論の補足で「雷鳴」を轟かせる第2部
第2部では,なんといっても恐慌論の補足が中心です。『マルクスと「資本論」』で論じられた研究成果が,あらためて第2部の展開にそくして論じられます。
ここで著者は,エンゲルスには,全3部にしめる第2部の位置づけが正確にはとらえられなかったと指摘します。それは,第2部を紹介するエンゲルス自身の言葉と,マルクスの第2部第1草稿をエンゲルスが第2部の編集にまったく活用しなかった事実に象徴されています。第2部の全体的なプランをふくんだ第1草稿によれば,恐慌論の中心的な解明は第2部で行われることになっています。しかし,現行の第2部に,そのようなまとまった解明はありません。
そこで,著者はマルクスの本意にもとづく第2部の再現を試みます。まず第1篇を,第1草稿の「流通過程の短縮」論で補強します。これは,特に恐慌の直前に生じる投資の過熱(バブル)を説明する,恐慌の「運動論」の基礎部分です。現行の第2部には「短縮」という言葉はあっても,その理論的な意味を解明した文章はありません。
さらに,最もまとまった補足が行われるのは第3篇です。第1草稿のプランには,現行第2部にはどこにもない「再生産過程の攪乱」が含まれていたからです。第2部第3篇は,拡大再生産が円滑に進行するための条件を探り当てたところで終わっています。しかし,マルクスの構想は,その円滑な進行の条件がいかにして崩れ,再生産がどのようにして破局に至らずにおれなくなるのかという「攪乱」の問題,すなわち恐慌の発生についての本格的な解明がつづくものになっていました。
著者はこれを,恐慌の可能性,恐慌の根拠・原因,恐慌の運動という3つの柱にまとめ,マルクスの草稿類から,それぞれに具体的な理論の内容を与えています。可能性を現実性に転化させる「動因」となる「生産と消費の矛盾」の解明では,その動態的な理解の点で,エンゲルスに的確さの欠けるところがあるという指摘もなされています。また,この矛盾が累進的に不均衡を拡大していく恐慌の具体的な発現過程(運動論)については,「流通過程の短縮」論がフルに活用されています。
このように恐慌論を内に組み込んだ第2部は,もはやエンゲルスがゾルゲへの手紙で語った「大きな当てはずれ」などではありません。マルクスは資本主義が未来社会に移行していく必然性を,恐慌のうちに読み取り,その解明を「経済学批判」の核心としていました。その肝心要の問題が,この第2部を本格的な舞台として行われる以上,それは第3部を待たずして巨大な「雷鳴」を轟かせずにおれないものだったのです。著者による新しい第2部像の提示は,こうして『資本論』全3部の構成の理解にも大きな変更を迫るものとなっています。
なお,第2部第3篇の拡大再生産論については,この箇所の読み方の問題がありました。ここでエンゲルスは,マルクスが問題を正しく解明した文章以外に,本来入れる必要のないマルクスの模索と失敗の文章を盛り込んでしまったのです。著者はこの混乱を見事に交通整理し,読む者がここでその跡に迷い込むことのない読み方を示しています。また「貨幣資本の遊離」にかんするマルクスの誤りを増幅させてしまったエンゲルスは,そこで信用論と再生産論とのかかわりについてのマルクスの問題意識をとらえることができずにいます。これもまた,エンゲルスが十分にマルクスの思いを理解できないままに,第2部の編集を行なったことの1つの証左となっています。
●現象の世界を内面から説明しつくす第3部
第3部では,そもそもこの部の課題は何かが問題です。それは第1部・生産過程と第2部・流通過程の統一あるいは矛盾の展開などではありません。それは,すでに第2部で達成された課題であるからです。
第3部を「資本主義的生産の総過程」と名付けたのはエンゲルスで,もともとマルクスが与えた表題は「総過程の諸姿容」でした。著者は,そのマルクスのタイトルの重大な意味に注目します。「姿容」とは目に見えるままの姿かたちということです。「総過程の諸姿容」とは,すでに解明された生産と流通の内的論理が,資本家たちの「日常の意識」に現われた,その「表面」的な観念のことです。
内的本質は,そのままの姿で現象の世界に現われはしません。もしそうであれば,現象を分析する科学の必要はなくなってしまいます。そこで,現象から本質を探るにとどまらず,逆に,本質から現象を説明しつくす――つまり第1・2部が解明した資本主義の内面世界が,どうして内面の姿とは違う,ある「表面」の姿をとって現われ出ずにおれないのか――その問題の解明が第3部の課題とされるわけです。著者はこれをマルクスの「発生論的方法」が典型的に現われたところだと強調しています。
さらに,ここで重要なのは,本質を正確には反映しない「表面」世界の資本家的観念が,それにもかかわらず物質的な力となり,現実経済を動かしているという事実の分析です。価値の支配する市場経済から,生産価格の支配する市場経済への転化は,その「観念」を推進力として行なわれました。
可変資本と不変資本の区別をもたない資本家たちは,剰余価値を前貸総資本が生み出す「利潤」ととらえ,剰余価値率ではなく「利潤率」を高めることを資本家としての直接的な課題とします。それは「利潤」の源泉を正確にはとらえない,非科学的な歪んだ観念です。しかし,その観念が資本家全体の行動を律し,平均利潤を形成させる運動をつくり,結果として,平均利潤を含む生産価格を市場に成立させていくのです。
利潤論につづく商業利潤や利子や地代の議論も,生産価格を前提として成り立つ世界の問題であり,全3部の最終篇となる第7篇は,現象世界をはいまわる俗流経済学の「三位一体」論が資本家的観念の写しにすぎないことを暴露しています。現象の必然性の解明をつうじた内的本質の確証こそが,第3部全体の課題となっているわけです。
他方で,第3部の編集にも問題がないわけではありません。特に,草稿のなかで最も完成度の低かった信用論には,特別に深いメスが入ります。エンゲルスは,マルクスによる本文と準備材料を区別せず,これを混在させることで,今の読みにくい信用論をつくってしまいました。著者は,これをマルクス本来の考察にそって整理します。また,議会報告書などからの莫大な抜粋については,あくまで材料の無秩序な集成であり,ここから理論的に意味あるものをつくろうとすること自体が無理であったと結論します。ここは読み手には格別にお手上げ感の強いところですから,この道案内は大変にありがたいものです。なお,恐慌にかかわる文章にふれて,著者はここの書き換えには編集の枠をこえた「邪道」があると,厳しい言葉でエンゲルスを批判しています。
つづく地代論は,資本主義的地代の解明と土地所有論の人類史的展開という2つの魂をもつマルクスの研究から,前者だけが取り込まれて出来たものです。エンゲルスは,マルクスが地代論を書き換えたならロシアが主な舞台になると予測しましたが,著者はこれを2つの魂の十分な区別にもとづく見解ではないと論じています。
さらに,第3部がはらむ弱点と研究上の課題について,著者は,まず利潤率の傾向的低下が,資本主義の歴史的に一時的な性格を表わすという見解に異議をとなえます。また差額地代については,差額地代の第Ⅱ形態は第Ⅰ形態が追加的投資のもとでどのような運動をするかという問題であり,第Ⅱ形態自体を独立させることに無理があると指摘します。これらはいずれも,マルクスの到達点そのものへの著者の批判的な検討となっています。
●改革者の深い「教養」の土台として
1995年に連載が開始された『エンゲルスと「資本論」』で,著者は「今後の『資本論』研究」への「期待」として,エンゲルスによる『資本論』編集の追体験,マルクスの経済学ノートの研究,1870年代の新しいプラン問題の解明をあげました。『マルクスと「資本論」』をへて,今回の『「資本論」全3部を読む』に結実した成果は,何より著者自身がこの「期待」にこたえる努力を率先して行なってきたことを示しています。それが,この本の講義の中でも,「ここの理解は定説と違う」「不破流なのだ」と繰り返し語ることの深い裏付けになっています。
もちろん著者は現行『資本論』の問題点ばかりに目をむけるわけではありません。経済学はもとより,唯物論,弁証法,認識論,史的唯物論,未来社会論など,たくさんの宝の山に深い注目を寄せ,そこに新たな光をあて,新しい発見を見て取っています。著者が,やさしい語りに込めた多くの新たな解明を吟味することは,並大抵の仕事ではありません。
本書が,よりマシな社会づくりを考え,これを語ろうとする人たちの深い「教養」の地盤を形成するものとして,ますます多くの読者に歓迎されることを心より期待したいと思います。
〔質問に答えて〕
①原ページ317の資本主義社会と未来社会との対比で、「年々の総生産から、労働、生産諸手段を引きあげる事業部門に、振りむける部分をあらかじめ計算しなければならない」。資本主義社会では、それが出来ないとあるが、これは共同社会を建設することが予見性を高める能力を社会的知として生産しうるということなのだろうが、なかなかむずかしい。今のところ、そうした違いに実感(観測)がついていかない。
○そうですね,これが本当にどの程度まで事前に「計算」(大雑把にではあっても)できるかについては,それを目前の課題とする段階の社会の具体的なあり方と,将来の人々の条件と能力によるのでしょうね。
○マルクスは「市場なき共産主義社会」という考え方を前提してこれを書いているでしょうから,そこがスキッとしているわけですが,実際にどうなるかはこれからの実践のみが明らかにすることと理解しておいて良いのではないでしょうか。
○ただし,ここで語られている大型事業は,将来,その開始にあたってもちろん必要物資の確保などを行うでしょうから,「予見」が必要なのは事業のあるなし自体ではなく,それに対応した生産体制の意識的調整ということになるでしょうか。
②財界は、輸出でも直接投資の絶対額でもアメリカが最も重要な市場と考えているのは分かりましたが、中長期的に考えれば、中国・インド・ブラジル・ロシア(BRICS)―今後経済大国になる国々―などとの関係で日米安保は将来的には足かせになるのではないでしょうか。
○もし,アメリカ以外の国との経済関係を深めていくことを財界が選択した場合には,ということですね。しかし,中国をふくめたアジアとの経済関係を深めつつある財界は,逆に,憲法9条を「改悪」して,むしろ力づくでの経済支配を強めようとしているようです。その方が,自らに有利だと踏んでいるわけです。
○そこには野放しにされた資本の「あとは野となれ山となれ」という,社会的な力による強制なしには,内外の労働者・国民の健康や生活を一切顧慮しないという性質が良くあらわれていると思います。それが巨大な軍事力をも意図的に活用して「あとは野となれ」の範囲をひろげようとするわけです。そこに一方では,かつての植民地主義・帝国主義を生み出した力の大本がありますし,他方では,私たちが内外の改革をつうじて抑制し,強制的に押さえ込まねばならない闘いの相手もあるわけです。9条を維持し,安保を廃棄せねば,内外での経済活動がゆるされないというところまで,資本の野蛮な本性を追い込んでいく必要があるわけです。
③恐慌が10年周期で、なぜ、おきるのか? 固定資本の寿命では、説明できないと言われましたが、現段階では、どこまで研究されていますか? 不破さんが恐慌論の中で、ミッシング・リンクを取り上げていますが、どのような内容ですか。金融業界が現社会で支配をにぎっていますが、江戸時代の金貸しは?
○恐慌の周期の具体的な解明については,スッキリしたものを読んだことがありません。なお,不破さんの『資本論』研究は,マルクスの語ったことを再現するにとどまらず,マルクスが解明しようとしたことについての「現段階」での研究を意識的にとりいれたものとなっています。つまり,今回の恐慌論についての問題提起は,研究の「現段階」に対する問題提起であるわけです。
○ミッシング・リンクは,『資本論』に書かれるべくして書かれなったことということです。具体的な内容は,今日の講義で紹介しますが,第2部第3篇に「再生産の攪乱」が入るハズでありながら,抜けてしまったことを指しています。これは『マルクスと「資本論」』が,『資本論』とそこにいたるマルクスの研究過程を対比することによって明らかにしたことがらです。
○現社会で支配権をにぎっているのが金融業界とは簡単にいえないと思います。今日の日本の財界主流は,自動車や電機などの製造業多国籍企業によって占められています。そして,むしろ銀行をはじめとする金融関連資本は,製造業等の利害を優先することによって切り縮められているように思います。なお,独占資本主義の支配的資本が「金融資本」だという場合,金融資本とは金融業界の資本のことではありません。レーニンの『帝国主義論』は独占的な産業資本と独占的な銀行資本との癒着を「金融資本」と呼んでいます。個々の国,個々の時代に応じて,その支配的な金融資本の中からどのような業種の資本がさらに具体的な支配権をにぎるかについては,変化していくものと思います。なお,江戸時代ですが,社会の支配権を握っているのは徳川将軍を頂点とする武士たちです。金貸しは基本的には,せいぜいその補完部隊でしかありません。
④「回転」とは「循環」のワン・サイクルを切り取ったものだということがよくわかった。
ずっと不変資本の中にあるのが固定資本と流動資本と思っていた。一回で価値を移転してしまうのが流動資本で、労働力や原材料のこと、「コツコツ移動」が固定資本だということがスッキリ整理できた。
゙本は小説のように読むもの゙というやり方を、私も実践しています。不破さんの「『資本論』全三部を読む」も、所々、意味不明のところがありますが、軽いノリで飛ばし読みしています。「くり返し読む、何回も読む」これからも実践していきたいです。私もいつも「資本論」をもちあるいていて、「このやり方は結構イケる」と思っています。
間違いであったとはいえ、固定資本の寿命と、恐慌の周期とが関連をもっているのではないかというところに今から200年以上前に、マルクスが着眼していたことは、ハッキリいって驚きです。マルクスは天才やったんやなぁー、すごいなぁと、率直に感心してしまいました。
○「運動と連関」の中にある現実を一挙に理解することはできませんから,それを,まずは意識的に「静止と孤立」のなかにおいて分析し,順を追って「運動と連関」の世界に迫っていくという方法をマルクスはとっています。「循環」から「回転」へという前進も,そうした方法論にそったものです。弁証法と分析的方法との関係,あるいは弁証法的な認識論といった哲学の問題が,経済学の具体的な展開の中にあらわれている部分ですが,このようなことがあちこちにあるので,『資本論』を単純に経済学の本に還元することはできないわけです。レーニンが語った科学的社会主義の「全一的性格」という言葉を,味わってみてください。
○「小説のように読む」をがんばって,継続してください。ジックリ読むからわかることもあれば,繰り返し読むからわかることもあります。「小説のように」は,繰り返し読みの効果があります。なお,このように気楽に『資本論』がめくれるようになると,その次には,『資本論』を「辞書のように読む」ということも少しずつ可能になってきます。○×について『資本論』は何を語っているか。それをペラペラとめくってさがしていくという読み方です。「教育」について,「家父長制」について。探してみると面白いことはいくらでもでてきます。
⑤貨幣の遊離の箇所でマルクスの思考の発展過程を垣間見ることができて興味深かった。これに関する不破さんの解明はすごいと思った。
○そうですね。今日,「つぶやき」で紹介した「書評」に書いたとおりなのですが,この成果を消化していくのは並大抵ではないと思います。それほどに,どの論点をとっても高い山が築かれていると思います。
⑥マルクス、エンゲルスの誤りを発見して立証した不破さんは「天才」の一人だと思いました。遊離しているお金があるというのは、実際、経済事業を行っている人からは、感覚的に違うかなと思っていた人が、多かったのでは。エンゲルスは、工場経営者でしたが、気づかなかったのは、マルクスとあまりにも近い関係にあったからではないでしょうか?
○「遊離」の議論については,学者の中でも問題が指摘されていたことでした。ただし,マルクスには抽象から具体へと議論を積み上げるという方法がありますから,その認識の深まりの一段階として意味があるのではないかという思いがどうしても拭いきれないという傾向もあったようです。エンゲルスによる誤りの増幅の原因については,私にはわかりません。
⑦よくわかったこと―日本財界(軍需企業や自動車工業)とアメリカとの関係。アメリカの二つの肥満と双子の赤字~太りすぎと軍需産業。財政赤字、貿易赤字という話しを、ワシントン特派員だった人から以前聞いたことがあり、今日の講義は、さらに、日本の立場が、よりわかった。
関心を深めたこと―地域経済とグローバリゼーション。両方合わさって消費と生産のバランスをどうのようにとっていくのか。今日、NHK特集を見て、失業とグローバリゼーションのことが報道されていて特に思います。国境を越えて進出する企業。日本、おもなEUの企業が中国、東欧へと工場移転している。安い労働力と広大な市場。その一方で失われていく自国の労働市場。報道の中でスウエーデンが国策により失業者を減らし続けている内容に、とても驚きました。仕事に就けないとことの辛さを、53歳の日本人男性が語っていたことに世代を超えて共感しました。
国民の立つ経済こそ、過去も、現在も将来も求められ続けると思う。知りあいの立教大学経済学部の教授(石川先生と同じ大学出身)が、私によく言っていたのは、「ソ連が崩壊したとき、自分のやってきた経済学は、間違っていたと研究の継続と政治参加を辞めてしまった人がいて残念だった」ということでしたが、世界の流れの中で、マルクス経済学が強くなっているということから、石川先生のような人がますます必要とされると思います。
来月も楽しく、参加しようと思います。
○海外進出と失業の関係については,国内の生産をやめて海外で新しい雇用をつくるという意味では,企業の社会的責任が問われるわけですが,同時に,国内需要の低迷による失業の増加という問題も重要です。この両面への対処がいるのだと思います。また,人件費格差の大きさほどには,東アジアとのコスト格差は大きくないという指摘も,最近あらわれています。『ものづくり白書2004年』には,いったん進出した企業が日本国内に帰って来ていることの注目も述べられています。もっとも,いずれにせよ,ご指摘のように失業問題を「自己責任」だとする日本の政府のようなやり方ではなく,失業を「社会問題」だとして,これに社会的に対応しようという姿勢をもつヨーロッパや北欧のような政治を実現することが必要だろうと思います。
○「ソ連崩壊」をきっかけとした一部の学者のマルクス離れには,「ソ連=社会主義」や,「世界発展の原動力=ソ連」といった,それこそソ連政府自身による「マルクス主義」への理論的「信奉」があったように思います。その意味では,学者には,アカデミズムの狭い枠にとらわれない,広い視野が必要ですし,自分の専門領域以外の分野においても科学的社会主義の最新の到達点に目を配るという努力がいると思います。これもまた「全一性」にかかわる論点になるかも知れません。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時20分)
◇たくさんの意見,質問へのコメント。
◇「書評」の紹介
2)第3篇「社会的総資本の再生産と流通」(2時30分~3時20分)
・第3篇の課題――『「資本論」全3部を読む』第5冊38~39
◇第18章「緒論」――研究対象,第2節の提起への回答が第3篇にない
・再生産論探求の歴史――第5冊50~60
◇第20章「単純再生産」――単純再生産の均衡条件,肝心な3つの支点
・この章のややこしさ――第5冊75~77
・貨幣の還流を語る必要はない――第5冊87~89
・20章が残した問題――第5冊118~120
4)「資本の回転」つづき(3時30分~4時20分)
◇第19章「対象についての従来の諸叙述」――核心に迫りながら,ドグマからぬけられなかったスミス
◇第21章「蓄積と拡大再生産」――均衡は偶然,4回目の探求で成功
・マルクスの苦闘の跡――第5冊121~125
・第2部の残された部分(再生産の攪乱)――第5冊150~178
5)質疑応答(~5時)
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