2004年3月13日(土)……和歌山学習協のみなさんへ。
以下は,5月から始まる和歌山学習協主催『資本論』第2・3部講座の「よびかけ文」です。
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最新の『資本論』像を手のひらにのせて
――社会をとらえる根本理論に挑戦しよう――
2004年3月4日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
改革者の知性がとわれる時代
戦争と平和をめぐる重大問題でのアメリカの国際的孤立。世界は国連の平和維持ルールを守れとの強い声をあげつづけています。経済の分野をみても,アメリカの覇権主義に対して,EUやアジアでは経済的な自立の動きがすすんでいます。明らかに世界はアメリカ一極支配を拒否しています。しかし,国民本位の改革をもとめる日本の力の発揮は,まだまだこれからです。この国が,孤立するアメリカへの追随をやめ,世界に誇れる役割を果たすためには,何より,私たちの力が強くならねばなりません。その力の核心は,話し合う力,語る言葉の力,説得の力であり,その根底にある知性の力です。改革者たろうとする者の知性の力が,いま時代によってためされている。私はそう考えています。
学びの先頭に幹部がハラをくくって
知性を鍛えるという点では,各種運動団体の構えがきわめて重要です。小さな子どもが毎日6時間も勉強しているのに,世界や日本を語る大人がたった1時間も学んでいない。そんな状態で,この国の形がかえられるわけはありません。労働運動や市民運動は,どのようにして全構成員に「毎日の独習」を習慣化していくのか。そのことに真剣に取り組まなければなりません。「時間がない」「若いころは勉強したものだ」という,「いいわけの思想」はただちに払拭されねばなりません。そこで決定的な役割を果たすのは各組織の幹部(リーダー)の腹です。自らが学ばない人間には,そのような取り組みはできません。各種運動の幹部こそが,いま率先して,初心にかえって学ばねばならず,運動団体は,そのための時間を「幹部研修」の時間としてしっかりと保障すべきです。
社会のしくみを根こそぎつかむ
日本と世界の改革を考えるとき,『資本論』が,挑戦されるべきもっとも巨大な山であることには,多くの説明はいらないでしょう。資本主義の社会はどこから生まれ,どこへ向かって発展するのか。その発展の法則性はどういうものか。また,社会の発展の力はどこにあり,だれもが安心してくらせる社会をつくるために,私たちは何をするべきなのか。この大問題に正面からとりくみ,これほど大きな成果を残した著作は,他にはどこにもありません。和歌山学習協の13年ぶりの『資本論』第1巻講座に,80人をこえる受講者が集まったのは偶然ではありません。日本の社会は,この運動が全国各地でより大きな力となることを切実にもとめています。
若い人こそただちに『資本論』を
和歌山の『資本論』講座は5月からいよいよ第2部・第3部へとすすみます。この区切りを機会に,あらためて,さらに多くのみなさんの参加をよびかけたいと思います。5月の第1回目の講義は『資本論』第1部のあらましにあてることにします。第1部を読んでいない方も,ひるむことなく参加してください。また「『資本論』はよくよく勉強したベテランが挑むもの」という「いいわけの思想」も脱ぎ捨てましょう。本人に意欲さえあれば,学習に「早すぎる」ということは決してありません。現に,この2~3月に兵庫学習協で行った『レーニンと「資本論」』の講座には,ある高校生が皆勤賞で参加しました。21世紀の社会づくりに,これから長くかかわるのは,何より若いみなさんです。新品の『資本論』を手に,自分の知的成長に心からの期待をいだいて,ワクワクしながら参加してください。
新しい『資本論』像を手のひらに
講座ではテキストに『資本論』(新日本出版社)そのものをつかいながら,読み方については,不破哲三『「資本論」全3部を学ぶ』全7冊(新日本出版社)を導きとして活用します。『資本論』第2・3部は,マルクスが残した草稿をエンゲルスがまとめて出版したものです。しかし,そこには必ずしもマルクスの真意と到達点がこもりきらない部分がありました。第2部では再生再論と恐慌論がそれであり,第3部では地代論と信用論がその箇所です。不破氏のこの本は,そうした現行『資本論』の不十分さを,マルクスの草稿をつかって補足し,マルクスが本当に思い描いていた『資本論』像の再生に挑むものとなっています。新しい『資本論』像への挑戦です。この講座では,その最新の成果を学ぶことに大いに力をいれたいと思っています。最新の『資本論』像から,現代を見る。巨大な山ではありますが,歩けば誰でも上へはすすめます。力をあわせて頂上をめざしましょう。
2004年3月3日(水)……兵庫のみなさんへ。
以下は,3月1日(月)の兵庫学習協主催「『レーニンと「資本論」を読む」講座で配布したものです。
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〔兵庫学習協/講座『レーニンと「資本論」』〕
受講生と講師の対話(3)
2004年2月26日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
以下,講座第3回への,みなさんからの質問・意見・感想です。この「対話」を書くのもこれが最後です。例によって,順不同で勝手にコメントをつけていきます。
○質問にいつも、はぐらかすことなく真正面から答えていただいているので、学習にたいしてやる気がうんとでてきます。ありがとうございます。レーニンの誤りについて、とても人間的な一面を感じますが指導者が誤ることの恐ろしさも理解できます。私たちみんなが、そこまで理論勉強しなくても、不破さんとか石川などよく分かっている人に理論勉強はまかせてついていけば------と言う安易な方向に思いをはせてしまいます。あまりにも難しいので-----。でもそれでは、たいへん薄っぺらい社会変革運動になったり、上部が誤ったら、それを批判する内部の力がないというひ弱な運動体になりますね。この理論闘争についていくには、私にとっては、かなり大変ですが、重要性はよく分かりました。講義のスピードにはとても追いつかないのですが、本を読んでいます。不破さんの個人的な感想などあり、解説もていねいでわかりやすく書かれています。しかし引用文など理論のエキスのところが、まさに理解できていません。先生の講義やレジメとつき合わせて復習しながら、何ヶ月間かけて、全7冊を読破したいです。先生のエネルギッシュな講義に答える為にも。
――レーニンも1人の人間だという評価は大切ですね。あの時代のなかで,突出して優れた人物であったことは間違いないのですが,しかし,どれほど優れていても,また,寝食をわすれて最善をつくしたとしても,それでも,歴史的・個人的な制約をまぬかれることはできません。これが歴史の現実なんですね。「善意」だけでは歴史はひらけません。
――しかし,そういう条件のもとにあっても,指導者はいつでも指導をせねばなりません。「誤るかもしれないから,いまは指導をしない」というわけにはいかないのです。その大変な立場は,今日の指導者についても同じです。できるだけ誤りを少なくするには,誤りへの総括をきちんと積み重ねること(みんながその誤りの性質をよく学ぶこと),あわせて質の高い,層の厚い指導部をつくり,個人にまかせるのでない集団指導をつらぬくこと,また組織全体の質を高めて,集団指導の結果にたいしても誰もが意見を述べる力をつけていくこと等が必要ですね。やはり,組織の全体が,過去の経験によく学び,現代を的確にとらえる「科学の目」をよく鍛えることが大切です。ぜひ,全7冊読破してください。
○私は、青年時代からレーニンの「非民主的」なところになじめませんでした。ローザルクセンブルグの「レーニン主義党建設批判」にむしろ共感を覚えていたので、近年の理論的発展に大きな喜びを感じています。今後クロンシュタットの反乱への評価も含め、革命期ロシアの見方に大きな変遷が予想されます。そのことで自由主義知識人の共産主義嫌いが緩和されれば、統一戦線の新しい広がりが生まれるかも知れませんね。ロシア革命の闇の部分を恐れずに見据える勇気が私たちに求められているとも思います。
――クロンシュタットの反乱については,第4回の講義に登場します。『社会科学総合辞典』(新日本出版社,92年)では,次のようになっています。今回のテキストと対比してみてください。すでに良く分析されているところと,今回のテキストでさらに研究が深まったところがあるように思います。「1921年2~3月,ペトログラード近郊のクロンシュタット要塞の兵士が,ソビエト政権に反対する武装蜂起をおこない,鎮圧された事件。蜂起参加者は『党にではなく,ソビエトに権力を』をスローガンとしてかかげ,政治的自由,自営農と家内工業の自由化などを要求したが,その背景には,戦時共産主義のもとでの農村の荒廃と農民の要求や不満があり,またメンシェビキやエス・エル,ブルジョア反革命派もこれをソビエト政権反対のために利用した」。
――ローザの党建設論については,私は詳しいことを知りません。ただ,少し調べてみると,1912年のプラハ協議会で,レーニンが「解党主義」と絶縁し「新しい型の党」をつくった,そのことに対する批判がヨーロッパからあり,ローザもそのなかでレーニン等の行動を批判する立場から,問題を第2インターに提起するなどをしたようです。レーニンは後に「政論家の覚え書」(22年2月)で,この時のローザの態度を「フレハーノフ,ヴァンデルヴェルデ,カウツキーその他とともに,ボリシェビキとメンシェビキとの統合を擁護するという誤り」として,ローザの革命的生涯における重要な誤りの一つに数えています(このあたりは,不破哲三『現代前衛党論』新日本出版社,1980年,374ページ前後を参考にしてください)。
――今回のテキストでは,第3巻『マルクス主義論』の31~34ページにこの問題が登場します。1)当時の世界の社会民主主義政党は,どこもマルクス主義の潮流とこれを公然あるいは隠然と否定する日和見主義の潮流をふくむ「共同戦線」型の党だった,2)1903年に創立されたロシアの党もそうだった(マルクス主義のボルシェビキと,日和見主義のメンシェビキ),3)1905年革命へのクーデターが起こったあとの「反動期」に,党内のメンシェビキ主流は党の解散を主張するようになり,両者の「共同」が無理になった,4)そこでボリシェビキは1912年に解党派メンシェビキとの組織的決別をおこなった,こういう流れです。
――その12年の出来事に対して,ローザ等は「メンシェビキとの統合を擁護」する立場からのはたらきかけを行ったわけです。しかし,党を「つくる」というグループと,「つくらない」というグループを「統合」して党を「つくる」ということは,現実にはできません。ローザ等の態度は,ロシアの現実を正確に踏まえたものとはいえないでしょう。さらに,この問題については,歴史がすすんだ決着をつけていきます。1914年の第1次大戦で,社会民主主義政党内部の日和見主義者による「戦争推進派」への転落が起こり,両者が1つの党で「共同」する条件は国際的にも失われてしまうのです。実際,ドイツのローザも,自ら日和見主義派と決別して,独自のドイツ共産党を設立しました。
――また,これとは別の論点でしょうが,『社会科学総合辞典』の「ルクセンブルク(ローザ)」の項目には,「運動の自然成長性の立場をとって革命党の役割を過小評価したが,ロシアの10月社会主義革命の教訓に学んでその誤りを克服」という文章もあります。1)レーニンに誤り,弱点があるという場合には,それをレーニン自身の歴史の中でつかまえる必要があります。前回の講義の内容は,もっぱら1917~8年頃のことがらで,上の問題は12年頃のことです。2)また,レーニンに誤りがあるということは,自動的にそれを批判した側が「正しい」ということにもつながりません。問題は,やはりいつでも個別に,具体的に評価されねばなりません。
――なお,ロシア革命の歴史については,スターリンによる意図的な歪曲の影響が強いわけですが,日本の共産党がスターリンに対する様々な角度からの批判を始めたのは最近のことではありません。第7回大会で「自主独立」の立場を明確にする際に,それは早くも行われていますし,理論的な誤りについても,段階的に研究が深められてきました。その成果は『日本共産党の70年』などにも紹介されています。また,「ソ連崩壊」による新しい資料を入手した段階での20回大会での「ソ連社会」論は,主にスターリンによるソ連社会の「変質」に焦点をあてていますが,あわせて新資料が示したレーニン時代の問題点にも光をあてるものとなっています。当時の文献を注意深く,ながめてみてください。
○ある意味悲しかった。レーニン次の講座では、不死鳥の如く復活を。先生が非常にていねいに話されるので人間レーニンの哀しみが見えてくる。がんばってるなあレーニン。
――そうですね。これほどまでにがんばる人間,がんばるだけの力をもつ人間は,歴史の上に本当にまれでしょうね。ところで,どんな個人にも誤りが避けられないとなれば,その自分の誤りに気付いたときの態度の変更がまた,実に重要な問題になってくるわけですが,第4回の講義ではレーニンのその姿勢が大きな話題になります。そこは,現代にいきるわれわれが,今までの理論的・政治的到達点を「乗り越えてすすむ」態度を考えるうえでも,大いに参考になると思います。
○レーニンが革命期ロシアの厳しい現実の中でボルシェビキ権力を維持するために非社会主義的政策を執らざるを得ず、しかも、それが社会主義革命なのだと主張しなければならなかったために、社会主義理論を歪め、正当化し、定式化、公式化していったのだとすれば、つまるところレーニンの革命には当初から無理があったということでしょうか。客観的、評論家的質問なんですけど。
――う~ん,「無理があった」ということの「無理」の意味があまりわかりせん。「無理があった」からするべきではなかったとつながるのか,「無理」を自覚してその解決にもっと力をそそぐべきだったとつながるのか。それで質問の意味は大きくかわってしまいます。率直にいいますが,「評論家的」では歴史はひらけないのですね。現代においても。
――1)レーニンは帝国主義戦争を脱却するためには,資本主義の延長ではなく,社会主義の社会をつくることが必要だと考えました。そこで,「平和」のための社会主義革命というスローガンをかかげます。同時に,レーニンは国民の多数者である農民を,その生活困難から救うために,彼ら自身の要求でもあった土地の改革をかかげます。平和にせよ,土地改革にせよ,その実行はいずれも多数の国民の願いを代表するものでした。他に,平和と土地問題の解決をかかげる政治勢力はなく,国民の支持のもとにこれを実行するソビエト政権が生まれます。これが現実です。この革命は,レーニンが勝手に起こした革命ではなく,多くの国民が望んだからこそ起こった革命です。
――2)しかし,同時に,その現実は,社会主義をめざす政権と,「平和と土地」の問題をこえて社会主義をめざすことを十分理解していない多数の国民という,両者の政治的な意識の差もふくみました。そのもとでレーニンは社会主義社会の「建設」に取り組みます。「権力を維持するために非社会主義的政策を執らざるを得ず」ではなく,レーニンはこの政権を守るためには,旺盛に社会主義の「建設」をすすめねばならないと考えました。その具体的な方法が,講義で紹介した「戦時共産主義」の路線です。レーニンはそれを「社会主義革命なのだと主張しなければならなった」ために行ったのではなく,それ以外に「平和と土地」の問題を解決する政権を守る道がなく,また,この道こそが社会主義にいたる真実唯一の道だと理解していたわけです。しかし,そこにはいくつかの問題がありました。1つは,社会主義の建設・「戦時共産主義」への「前進」を国民の多数は,どのように理解し,どのようにそれに賛否を表明することができたのかという問題です。干渉戦争と内乱のなかで,また電話さえなく,識字率がきわめて低いというなかで,それをどこまで満たすことができるかについては,私は予想もつきませんが,しかし,レーニンのこの過程での革命論には,客観的状況がきびしくなるにつれて,農民には理解してもらえない,農民は「同盟」者ではないという判断が次第に強くなっているようです。もう1つは,そうして突き進んだ「戦時共産主義」の道が,社会主義建設の大道でもなんでもなかったという路線上の誤りです。こちらの路線の「転換」は,今日の講義の中心課題です。
――ロシアの現実の歴史が「平和と土地」「パン」の問題の解決を求める限り,ソビエト政権に向かう他にはなかった。その期待を全身に受けて,レーニン等は見事にこれを実行しうる政権をつくりあげた。そのことへの基本的な肯定的評価の上にしか,それ以後の問題に対する評価もでてきようがないように思います。なお,レーニンは21年には「戦時共産主義」からの大きな転換を実現していきます。さらには,農民との「同盟」の道にもどり,多数者獲得の重視の道へと見解を変化させていきます。その段階のレーニンもまた,17年の革命なしにはなかったということも考えてみてください。
○レーニンの議会否定論や強力革命必然論は、その当時の世界における議会制の不充分さや力の弱さといった外部条件に規定されたことやレーニンのマルクス研究が限られた文献に止まっていたという以外に、彼自身のエリート主義がその基礎にあったのではないかと思うのですが、いかがでしょう。「国家と革命」の中にある「10人の利口ものと100人の愚か者」の例や、「少数の支配に多数が自発的に賛同すれば独裁ではない」(細かな表現は忘れましたが)と言う辺りに、一種の選民主義を感じるのですが。
――「エリート主義」「選民主義」という言葉の定義と,それが「その基礎にあった」という言葉の意味が大きな問題であるように思います。積極的な少数者革命論者になっていくという過程,そこからぬけだしていくという過程,その両方の過程がレーニンにはあるわけです。それから,そもそもこのような困難な,革命家の道を一貫して歩き通したという人生選択の問題もあります。また次第に深められていく道ではあっても,レーニンには少数民族・被抑圧民族の権利を尊重するていねいな対応の姿勢ももっています。そういう多面的な人生・人格を「エリート主義/選民主義」という具合に評価することがはたして適切であるのかどうか。確かに,21世紀の私たちからみれば,レーニンの書き物には「口汚い」文章がたくさんありますし,「そこまでいわなくても」というような書き方にも出くわします。しかし,その問題は,歴史的制約の壁も考慮して考える必要があると思います。戦争のなかで,殺し合いがあり,革命運動においても弾圧では血が流される。そのなかで,激烈な論争が次々と展開されます。そういう空気のなかでの「書き物」を,今日の私たちの日常の感覚から判断していくわけにはいかないでしょう。戦前の日本の文書にも,今日とはまるでちがう「空気」が反映しているように。
――今日の講義では,エンゲルスの革命論にもふれますが,エンゲルスも歴史的に多数者革命論が可能になるのは19世紀の半ば以降だといっています。革命が「多数者革命」でありうるようになるためには,歴史の多くの積み重ねが必要なのです。政治が「国民の総意」にもとづくものだという意識や,その意識を結集する制度の保障がなければ,「総意」にもとづく革命はそもそも実現しようがありません。つまり,それまでの歴史における革命は,つねに「オレが歴史を変えてやる」という少数者を先頭とした革命でしかなかったわけです。そこにも,「革命は多数者革命が当たり前だ」という,今日の私たちの常識を,機械的にあてはめることのできない具体的で歴史的な問題があるように思います。
○資本論そのものの講座を開講する予定はありませんか。あったらぜひ参加したいと思います。第1巻は独習しましたが、できれば集団で深めたいと思います。
――兵庫での『資本論』講座については,学習協の事務局で考えてもらうほかありません。石川個人としては,現在,京都の宇治市で足かけ9年目の『資本論』講座をやっており(ようやく第3部の土地問題に入りました),また和歌山でも講座をやっています。和歌山の方は,4月に第1部を終了し,5月から第2・3部に入ります。少なくとも2004年度は,その他には『資本論』講座の計画はありませんし,体力的にも,これ以上は無理でしょう。
○「平和とパン」のために講和を要求したソビエトに対して、諸外国が干渉戦争で応えた歴史に腹が立つ。この歴史的事実は「日本が戦争を放棄したからといって外国がそれを尊重してくれる保証がどこにあるのか」と言って憲法9条の理想主義を笑う改憲論者にとって材料だな。日本共産党が非武装中立を唱えていないのは、ソビエトの痛苦の教訓があるからかも知れないと気づきました。
――干渉戦争の歴史は,20世紀初頭の帝国主義がどのようなものであったかを知る,本当にいい材料になりますね。それは現代の世界との違いを考える材料にもなります。また,そこに最大の軍事力を派遣したのが日本であった事実もわすれるわけにはいきません。そうした侵略への痛切な反戦をしない人々が,いまもたくさんいるわけですから。
――ただ,日本の共産党は共産主義の歴史の教訓を,憲法の上に置くという態度はとりませんから,「軍事力はもたない」しかし「自衛権はある」というのは,現時点でのこの国の最高のルールである憲法を尊重する立場からのものでしょうね。あわせて,もちろん憲法の枠内で日本の平和をどう守っていくかの問題は,個別の政党としての重要な研究課題でもありますから,レーニンの時代とは大きく姿をかえた今日の世界を研究し,研究だけではなく,「平和な世界」の実現にむけた積極的な外交活動も行っているわけです。
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