2004年4月28日(水)……現代国際文化コースのみなさんへ。
以下は,本学の「基礎ゼミ(渡部ゼミ)」の学生たちからのインタビューに答えたものです。
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1)現代国際文化コースの特徴,何が学べるのか? どのような能力がのばせるか?
●日本とは異なる国(地域)の文化・社会・言語が学ぶことができる。
●言語だけでなく,社会だけでなく,文化だけでなく,それらをひとつにまとめて学ぶことができるのは,このコースの大きな特徴だと思う。
●日本を相対化する能力,いつでも日本の現実を基準にしてものを考えるのではない能力がのばせる。また異なる文化・社会が共存する世界のあり方を考える力が養える。ただし,これは,いつでも学生自身が強い問題意識をもって,自分の知的成長の方向に統一性をもたせることができればの話になる。
2)現代国際文化コースを中心に学びたい人に求めることは?
●自学自習。すべての学生に求めたいことでもある。与えられることを待って,それだけを消化していくという受け身の学習スタイルから,自分でやりたいことを見つけ,何を読むかを自分で決め,自分の知性をどう鍛えていくかの計画をたて,その計画を実行していくという攻めの学習スタイルに変わってほしい。
●そのためには「25才の私」「30才の私」についてのイメージが必要。どのような知性をまとった人間になりたいのかについての。それは「私はこの社会でどうやって生きていくのか」を考えることでもあり,就職・進学など自分の未来を具体化していく作業とも結びついている。
●「授業に出る」だけでも,キチンと話を聞いていれば,単位はとれるし卒業もできると思う。しかし,「授業に出る+自分で学ぶ」になれば,学生生活の充実ぶりはまるで別物になる。同じ大学の同じコースで学んでも,個人差はきわめて大きなものになる。
3)現代国際文化コースで学ぶと卒業後どのような進路が考えられるか?
●自動的に与えられるものではない。学生が自分で考え,それぞれに自分の人生を選びとるもの。これこれを学べば,あのような就職が与えられるという,受け身の発想,待ちの発想をはやく抜け出してほしい。
●うちのゼミの学生たちは,現実には,メーカー,金融,公務員,ブライダル,商社,法律事務所,教員,デパート・スーパーなど,多様な仕事についている。学んだことをどういかすかも,各人の考え方次第。
●より専門的なものとしては,商社の貿易実務,国際的に活躍できるジャーナリストのタマゴもいる。前者は途上国援助への参加という発想からこの仕事にいきつき,後者は現在アメリカの大学院で勉強中。
4)現代国際文化コースで学びたい人に勧める書籍やアドバイスは?
●図書館の本をすみからすみまで自分でながめてほしい。背表紙だけでもいい。自分の知らないこと,考えたことのないことが,大学にはこんなにあるのか。そのことを実感してほしい。そして,気に入ったタイトルの本を何冊かひらいてみてほしい。立ち読みでよく,斜め読みでもよく,目次を見るだけでもいい。そこから教養の幅をひろげる力が育つ。
●静かな図書館での時間には,ちょっとした孤独があるが,その孤独の中でしか,落ち着いてものを考えることはできない。ノートをひろげ,自分は今年1年間でどういう領域の本を読むか,1年後のより豊かになっている自分を思い浮かべながら計画をたて,考えることにつかれたときに本棚のあいだを歩いて,思わぬ本に出くわしてほしい。それは実にぜいたくで貴重な時間。
5)経済学では何が学べるか?
●経済学は社会や歴史を研究する。ただし,社会や歴史の全体ではなく「経済」の側面だけを研究する。「経済」とは生活に必要な手段(食べ物,電気製品,情報など)をつくり,必要なところへ届け,とどけられた人が消費するという活動の全体。それがどのような人間関係によって成り立っているかを考えるのが経済学。中身はさらに,財政学・金融論・地域経済・国際経済など,いろいろなこまかい分野にわかれている。
●しかし,総文で経済学を学ぶのは経済学の専門家になるためではない。そうではない学びかたの事例については『総合文化学科で学ぶ人のために』に書いておいた。あらためて読んでみてほしい。
2004年4月4日(日)……和歌山学習協のみなさんへ。
以下は,4月3日の和歌山学習協主催『資本論』第1部最終講座で配布した「講師のつぶやき」です。
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『資本論』ニュース
2004年4月3日作成
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
この間,『経済』の原稿づくりに追われており,このレジュメをつくる時間がまるでとれませんでした。今日は4月2日です。そして,『資本論』の最終講義は3日です。さて,どうしたものやら。
とりあえずは,『経済』6月号掲載予定原稿の一部を,宣伝をかねて紹介しておきます。
論文の構成は次のようです。
1,はじめに
2,レーニンの一国帝国主義論と世界情勢論
3,「フランス植民地帝国」の崩壊
4,戦後の情勢展開と国連の役割変化
5,イラク戦争とフランス
6,「帝国主義」の段階をこえて
そして,以下が,「6,『帝国主義』の段階をこえて」の全文です。
かつてレーニンは,主要な資本主義国のいずれもが植民地政策をとるにいたった段階,植民地の再分割をめぐる戦争が不可避となった資本主義の一段階を帝国主義と呼び,これを資本主義の最高にして最後の段階と規定した。しかし,その後,資本主義は大きな変化を体験する。
独占資本主義は固有の侵略性を継続するが,植民地主義やむきだしの軍事的侵略は益々困難となっている。これを許さないという国際的な合意や,その合意を強制する包囲の力が大きく育っているからである。「東洋」の独立は植民地体制を過去のものとし,それによって,双方の側からする植民地争奪の帝国主義戦争を歴史の中に葬り去った。さらに独立した「東洋」は,すでに平和・公正・民主の国際社会の建設に巨大な力を発揮している。また「新アジェンダ連合」など発達した資本主義諸国における反戦平和・民主主義を求める運動や,イラク戦争において社会主義をめざす国々が果たした新しい外交努力も注目に値する。こうした大局的な情勢変化の確認の上で,最後に2点つけ加えておきたい。
ひとつは,「帝国主義」という用語の問題についてである。古い植民地主義を克服した段階での資本主義国と途上国の民主的な関係づくりが課題となっている今日の世界で,あからさまな植民地主義の復活をもくろむアメリカの行動は突出したものとなっている。このアメリカのむきだしの侵略性を他の独占資本主義国のそれとは区別して強く批判しながら,他方でアメリカ以外の独占資本主義国の侵略性の現れについても必要な警戒を怠るわけにはいかない。そうした,求められる論立ての筋道を考えるとき,冒頭に紹介した日本共産党の新しい提起は大変に賢明なものであった。特に,その提起が今日の世界情勢への包括的な理解にもとづいていることを,しっかりと理解することが必要だと思う。
二つは,「最高にして最後の段階」という帝国主義の歴史的な規定についてである。今日の資本主義経済も,レーニンが解明した独占資本主義の本質を維持し,継続していることはまちがいない。しかし,その政治的上部構造には大きな変化があった。搾取・抑圧・侵略を許さない,それらを制御する具体的なルールづくりが,民主的な力の成長に応じて進んでいる。それはレーニンの帝国主義論が予期しなかった事態である。歴史はすでに,帝国主義が資本主義の「最後の段階」ではなかったことを明らかにした。現実世界は,帝国主義を抑止し,独占資本主義の侵略性を抑止する平等・互恵の民主的な国際秩序づくりの段階へと足を進めている。内政・外交においてルールある資本主義の発展を求める取り組みは,その歴史をさらに前へ進める意味をもつものとなる。
古く野蛮なアメリカ帝国主義への理論的・実践的な批判とともに,現代世界の転換を大きく,大局的にとらえる理論の発展が必要である。それは,レーニンの帝国主義論を現代をとらえる型紙としてあつかうのでなく,激動する世界の全体を広く視野におさめ,その現実の中から新しい理論をくみ出すという姿勢をもって行なわれるべきものなのだろう。これは,何より,私自身の反省である。
次に,例によって,みなさんからのご意見・ご質問に簡単なコメントをつけていきます。
◆資本の蓄積と一緒に(セットで)貧困が蓄積されるということが、リアルな労働者の生活の描写によって、よくわかりました。人間らしさのかけらもない、あんなにひどい生活を多くの人がしていたことにびっくりしました。
◆本源的蓄積の経過、資本の政策を実行した国家権力の行ってきたことを知り、慄然としてしまった。
◆囲い込み運動の経過、そして資本家と労働者といった二つの階級が生まれた本源について理解が深まりました。もう一度、世界史の復習をします。
◆本源的蓄積の話しがよくわかった。あと一回、頑張って出席したいと思います。
――歴史の勉強というのは大切ですね。私は,歴史というと,どうしても政治制度や経済制度の歴史についての学習が柱になってきたのですが,いまは,もっと人間のくらしをリアルにつかむことが大切だなと思っています。
――前回紹介した『大英帝国』は,格好の読み物ですので,ぜひ手にしてみてください。
◆資本主義的蓄積が進むほど、労働者階級の貧困化が進んだことがよくわかった。
戦前戦中と同じように、三菱重工業や川崎重工業が幅をきかせてきた。……2011年のTVのデジタル化について教えて下さい。小泉内閣はアメリカ国債をどのように買わされているのか?
――デジタル放送については特に勉強したことはありません。技術的には画質や音が良くなるということと,パソコン・デジカメなどとの連携ができるようになるといったことがウリのようです。たとえば次のホームページに簡単な情報が整理されています。 http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/whatsnew/digital-broad/
――03年12月から3大都市圏では,従来の地上波と新しいデジタル波の両方での放送が始まっており,06年にはすべての地域でデジタル波放送が開始され,2011年には地上波放送が終了するようです。つまり,従来のテレビは,新しくチューナーやアンテナをつけないとうつらなくなるのだそうです。そこで,それらが内蔵されたデジタル波対応テレビがさかんに売り出されているということのようです。
――アメリカ国債の問題については,以前にもお話したと思います。小泉内閣は円高ドル安をくい止めるために,ドル買いの介入をおこない,このドルを自らアメリカ国債に転換しています。自分から買っているわけです。昨年1年間でそのために20兆円の資金をつかっています。『前衛』3月号に,そういったアメリカへの経済的従属・依存の問題について書きました。また『前衛』4月号には,その国債購入問題にしぼって今宮謙二先生が論文を書かれています。ぜひ読んでみてください。
◆FTAとWTO、APECはなんだか小難しそうで今まで知ることを敬遠してきました。先日、大槻氏の『わかりやすい経済の話』を読んだので、今日の話はスッと入ってきました。新聞も預金残高の話が頭に入っていると、経済面がおもしろく見えてきました。自衛隊を海外へ派遣する理由として、よく「海外にいる日本の企業を守るため」と言われて、今まで論破できなくて、悔しい思いをしてきたけど石川先生が示してくれた「日本企業の約半分がアメリカに行っている」という事実は、どうあっても動かせない事実なので、コレ使える、と思った。文句つけようがないです。この講座を受講していると、どうして日本がアメリカにベッタリなのか少しずつ積もっていく事実と認識のおかげで、人にも説明できる日も近づいてきたと思っています。「一方における富の蓄積と他方における貧困の蓄積」はワンセットで、たとえ給与が上がってもこの両者の距離が離れれば、「社会的格差」は広がる、ということはとてもすっきりと理解できました。
――自衛隊海外派兵の動機については,いくつかの問題が重なっていると思います。「海外にいる日本企業を守るため」ではなく「海外にいる日本企業の利益を守るため」というのはあると思います。「アメリカやりたい放題」の世界をつくることを軍事的に応援することを通じて,「アメリカの小判鮫」として日本がそのおこぼれを頂戴する。そういう判断ですね。
――しかし,日本が「日本企業のため」の独自の経済圏をつくることを目的にしているのでないことは確かです。その点では,多国籍化したからといって日本のアメリカに対する自立が進むということはまったくありません。90年代以後の海外派兵の経過自体が,アメリカの要請に従うことで自衛隊派兵が行なわれていることを示しています。
◆初回以来はじめての感想提出です。いつも出そう出そうと思いながら、「まっ、いっか~」と思いつづけて一年が過ぎました。とても惜しいことをしたと、今感想を書きながら思っています。振り返りのいい機会になりますね、これは。
さて、今日の講座では相対的過剰人口の話がありました。資本によって"つくられた"相対的過剰人口の話がとても説得力があり、興味深く思いました。このつくられた貧民に関して、23章第5節の例証を読むととても心が痛みます。当時を思い浮かべるととても辛いです。しかし、ふと現在に目を向けると、実はこれは一概に過去の話しではないということがすぐに分かります。青年の不安定就労の問題、児童売買春の問題、ホームレスの問題など、決して既に解決された問題ではないことが分かります。
そんな風に読みながら、一つ疑問がうかびました。それは、当時の「公共」とはいったいどういうものだったのかということです。第5節において、医師の訴えによって「公衆衛生」が問題とされた様子がありましたが、当時の行政機関はこれらの問題を積極的に取り組む存在だったのでしょうか。大筋、本文からはそれがうかがえず、おそらくそうではなかったのだろうと思っています。資本家のための公共にすぎず、決して労働者のための公共ではない。資本家のために、労働者を生かせもせず殺しもせずスレスレで生かし続けているのだというふうに読みました。また、24章でも国家権力はブルジョアジーの後押しをする役割が紹介されました。
当時の「公共」とは、ブルジョアジーのための「公共」にすぎなかった。こんなふうに捉えておいていいでしょうか。現在の公共性の状態が歴史的にどのように位置付けたらいいか把握する為にも知っておきたいです。
(以下補足です)
なお、ここでいう「公共」は、まず主に公共財をイメージしています。それに加えて、社会規範としての公共性まで拡張して捉えようとしています。これは、講座中に先生が「価値観」の問題についても触れたからです(黒人差別を資本主義の歴史的歪みとして触れられた発言)。なお、ここでは当時の様子を思い浮かべながら政治参加としての公共性は無視しました。おそらく労働者には全く無かっただろうと思うからです
私は、今、教育学研究科の大学院生で、中間集団論の研究に取り組んでいます。その中で、シチズンの市民社会の可能性を見いだそうとしながら(特にNPOなどを思い浮かべる)、しかし他方でそれはブルジョアの市民社会にすぎないのではないかと警戒を怠らないようにしながら、研究を楽しんでいます。もしよければ、これへのコメントもください。
とても、長文になってしまいました。しかも、非常に自分本位の質問になってしまったように思います。御容赦ください。
――相対的過剰人口の問題はご指摘のとおり,まったく過去の問題ではありません。今日の世界にもつらぬかれている法則です。「公共性」については,国家論の学習が参考になるかと思います。国家は,そもそも人間社会が階級社会に分裂すると同時に,支配階級が被支配階級の抵抗を抑圧するための強力装置として誕生します。これが国家のいちばん大もとの性質ということになります。ですから,今日もあちこちの世界で民主主義を求める国民への政府による弾圧といったことが起こっています。
――そのうえで,国家が管理する社会の規模が大きくなることによって,いわゆる「社会の共同事務」が拡大してきます。農業のための灌漑設備をつくったり,また計画的に都市をつくったりといったことがらです。こうした「公的」な仕事がうまくできないと,階級支配ということもうまくできなくなるわけです。
――さらに資本主義が成立して,そのなかでの労働者や国民の闘いによって,20世紀には普通選挙制度が確立してきます。こうなると,国家の諸政策のなかには,支配する者とされる者との力関係が強く反映するようになります。「社会福祉」の成立などはその一例ですね。こうして「国家と公共性」の問題を,歴史の事実に即して勉強してみると,面白いかも知れませんね。
――なお,いま研究されている問題についても,階級関係を基本とする様々な利害対立のある社会のなかで,それぞれの団体がどういう社会的な役割をはたしているのか,あるいははたしうるのか,そんな角度から考えみることが必要かも知れません。NPO,NGOも無数にあり,それぞれが実際にはたしている役割も多様ですよね。そうであれば,よりマシな役割をはたしてものは,どのような条件を満たすことによって,そのマシな役割をはたすことが可能になっているのか,そんな条件を具体的に探求することが大切かも知れません。抽象的な理論レベルの研究と同時に,実態に通じることが必要なのでしょう。おそらく。
◆資本主義的蓄積の一般的法則のなかで相対的過剰人口が存在するということでした。不破哲三著、「『資本論』全三部を読む③」の178~179ページでは、産業予備軍の存在の必然性だけでなく、産業予備軍が抑圧の鎖となって、富と貧困の二極分化が進行することの必然性、の二つの内容を含んだものと意義づけています。いずれの場合も、相対的過剰人口=産業予備軍=失業者は存在するということでしょう。そうすれば、資本主義社会での「完全雇用」という政策は、空想的ということになるのでしょうか?
ところで、全労連の2000年定期大会の時に付属文書として「『21世紀初頭』の目標と展望」(案)が提起されました。翌年の評議員委員会で決定されましたが、その中の提言1には「(1)完全雇用と労働時間の短縮、労働条件改善」と題する文書があります。そして、本文には、「政府が策定する雇用対策・計画は、『完全雇用』の原則を前提とすること。…」となっています。
かって同盟が「完全雇用」を掲げた時、統一労組懇や労働者教育協会は空論だと批判したことがあったと思います。従って、完全雇用という用語を使う場合、「」をつけた方がいいのではないかと思っているのですが、どうでしょうか。
――おもしろいところに気づかれましたね。「完全雇用」というのは,歴史的には大不況(1929年~)による大量失業からの脱却をめさず経済政策がかかげたもので,ケインズの名前とむすびついて普及した言葉だと思います。文字通り「失業者のいない状態」ということです。
――これについては,いささか現実離れした机の上のモデル論議はありますが,現実の世界では「失業のない資本主義」というのは,実現されていません。資本主義に景気循環があって,活用される労働力の変動があるかぎり,少なくとも不況期にはいつでも失業者が存在しなければならないことになります。実際,アメリカ政府が60年代に「完全雇用を達成した」と表明したことがありますが,統計上では数%の失業がいつでもありました。
――ただ,そうした理論的に厳密な用語法と,誰にもわかりやすい運動のスローガンといったものをいつでも一緒にする必要はないと思います。「失業率を下げろ」とか「失業のない社会めざせ」という要求を簡潔にあらわす言葉として,たとえば近代経済学は抽象的理論的には完全雇用が可能だという立場に立ちますから,そういった理解の人々との合意をも考えて,「完全失業」という言葉をつかうことは可能だろうと思います。あとは運動団体自身の多数決にもとづく判断でしょうか。せめて「 」をつけるべきだというご意見は,よくわかります。
――なお,資本主義の民主的改革がすすんだ場合に,失業問題にどう対応していくかについては新しい可能性がひらけるかも知れません。景気の変動に対して,雇用の人数調整で対応するのではなく,労働時間の調整で対応することが可能になるかも知れないからです。そういうやり方を「完全雇用」と呼ぶのだ,といった議論も出てくるのかも知れませんね。まだまだ先の話ではありますが。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時)
◇たくさんの意見,質問へのコメント。
2)「第7篇・資本の蓄積過程」「第24章・いわゆる本源的蓄積」(~3時20分)
第7節「資本主義的蓄積の歴史的傾向」
◇「小経営」から資本主義への変革(個人的所有の否定)
◇資本主義発展のなかでの次の社会の準備
◇社会主義・共産主義とはどんな社会か(個人的所有の再建)
◇所有の変革と「否定の否定」/生産手段は社会的所有,生活手段は個人的所有
※未来社会の発展を分配関係を基準にとらえる誤りについて。
3)「第25章・近代的植民理論」(~3時30分)
◇「新世界」に「旧世界」の秘密を見つける
4)資本蓄積の独占段階について(~4時)
◇「自由競争の独占への転化」「自由競争と独占の絡み合い」
◇生産の社会化の資本主義的「承認」としての計画化
◇「帝国主義」と独占資本主義
◇植民地支配などのあからさまな「帝国主義」を乗り越えて
5)『資本論』第2・3部の概要紹介(~4時30分)
◇第2部「市場経済の世界」――商品と市場でなく,資本と市場が問題に/社会全体の資本の関係 が問題に/恐慌の現実性が問題に
◇第3部「資本家の日常生活の世界」――「もうけ」(利潤)の追求/競争(移動と価格)/産業・商業・ 銀行/土地の値段/資本主義の歴史的性格
6)修了式(~5時)
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