2004年5月23日(日)……和歌山のみなさんへ。
以下は,和歌山学習協の『資本論』第2・3部講座第1講(5月22日)で配布したものの一部です。
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和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む
『資本論』ニュース(第1回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
1996年から足かけ9年を費やして,京都は宇治での『資本論』講座がついに4月で終わりました。第1部から第3部までの読破です。ほぼ月1回のペースで,毎回50~100頁を目安にすすめてきました。土曜日の2時間だけの講座です。その前,たしか95年から山城で『資本論』第1部を同じようして読みましたから,この『資本論』修行は連続10年になるわけです。
そのあいだに,京都,神戸,和歌山と,各地の学習協で,様々に『資本論』については語ってきました。不破哲三氏の『エンゲルスと「資本論」』は京都で,『レーニンと「資本論」』と『マルクスと「資本論」』は神戸でテキストにつかってきました。
『資本論』を読み,語ることのない月はないという10年間でした。ふりかえってみると,我ながら執念深い10年です。若かりし10年前,それまでは「どうにか最後までめくったことがある」という程度の学習しかしていなかった『資本論』に,ジックリ取り組むことを決めた動機はなんであったか。それは自分の理論的な底の浅さへの自覚であったと思います。
大学院では,鉄鋼産業の日米関係を表のテーマとし,裏では独占資本主義の理論を勉強していました。95年の就職直前に,いくつか『帝国主義論』や独占資本主義にかんするものを書きました。また,就職して表と裏を逆転させた後にも,しばらくは独占資本主義をテーマとする論文を書いていました。
しかし,それはどこか,それまでに自分が学んだ先輩研究者たちの枠の中であり,本当の意味での自分の創造性ではない気がしていました。いまふりかえってみると,その実感は正しかったと思います。
そこで,もう30代も後半になってのことではありましたが,自分の理論的な間口を広げ,土台を鍛え,自分独自の創造性の種やヒントが育つ土壌を耕すため作業を,『資本論』を学ぶということのなかに求めていったのです。
他方で,独占資本主義の理論問題についての論文作成は2000年で停止します。『帝国主義論』やレーニンの到達点から現代を見るのではなく,現代自体のなかに新しい法則を見いだす姿勢をもたねばならない。そう思い,成立したばかりの小泉流「構造改革」の諸政策に対する批判的検討へと進みました。それは自分にとっては勇気のいるジャンプでした。
まだ,『資本論』の学習とこうした現代日本の研究がどのように一体のものとなるかについては闇のなかです。しかし,直接には個々の論文に『資本論』の諸命題をいかすことがないとしても,最近書いた論文「マルクス主義とフェミニズム」「財界のアメリカへの従属と過度の依存」「世界情勢の発展と『帝国主義』」,これらの中には自分独自の創造性がアタマをもたげ始めている気がしています。そして,そのかすかな創造性の光が生まれるうえで,やはり『資本論』の学習で小さくない役割を果たしているような気がするのです。
その直感が正しいのか誤りであるのか,その答えは,もう少し『資本論』に学び,考えることをつづけ,また現代に挑むことをつづけなければ出ないようです。しかし,もっと深く『資本論』をつかむことができれば,それがもっと深く現代をつかむことにつながっていく。もっと自由に現代を多角的にとらえることができるようになる。そういう予感はどこかにしっかりあるのです。
その予感を信じて,まだ,しばらく,現代と『資本論』の往復作業をつづけていこうと思います。次の10年が経過したときに,自分の視野と研究の力がどのように大きくなっているのか,そこにワクワクするような期待をかけてやってみたいと思います。
以上,なによりも,私にとっての『資本論』学習の意義でした。
さて,この第2・3部を読む講座では,『資本論』そのものをテキストにしながら,不破哲三氏の『「資本論」全3部を読む』を最大限に活用したいと思います。不破氏の長年の『資本論』研究は,いよいよ現行『資本論』に十分現れていないところの補足にすすみ,マルクス本来の理論的到達にもとづく新しい『資本論』像の提示に挑むものとなっています。その新しさが集中するのが,第2・3部の領域です。
完結したばかりのこの研究を,今回の『資本論』講座にいかさない手はありません。不破流『資本論』第2・3部理解の納得のいく消化が,この講座の重要な私なりの課題となります。
毎回の講座は1時間につき10分程度の休憩をとってすすめます。「講師のつぶやき」と「前回の質問にこたえる」に最初の時間をつかいます。最後の時間は質疑の時間となるのですが,毎度のことながら講義時間がここに食い込むことが少なくないかも知れません。質問にはできるだけ文書でこたえたいと思います。
なお,『資本論』は簡単な本ではありません。中でも,第2・3部は第1部よりずっと読みづらい本になっています。読んでスラスラわかるものではありません。ですから,「わからなくてもかまわない」「わかるところを積み上げる」「何度も読めばいつかはわかる」そういう加点法の精神と,『資本論』は何度も繰り返し読むものだという精神を,最初にはっきりさせていただきたいと思います。「わからないから自分はダメだ」「講座にいっても意味がない」。そんな風には考えないということです。
また選挙で忙しいあいだも『資本論』をいつでも手にして,決して,これを手放さないでください。ちょっとした休憩時間に10分読む,会議のあいまにちょっと読む,電車のなかでちょっと読む。なにも本は,家で静かに机に向かって読むだけのものではないのです。好きな小説をペラペラめくって読むように,『資本論』も気軽にめくっていいのです。万にひとつも,選挙を「絶好のチャンス」に『資本論』への挑戦から「逃げ出す」などということのないように,あらかじめ大きくクギを刺しておきたいと思います。
では,今日は第1講義です。『資本論』第1部の「復習」からです。
おっと,その前に『資本論』第1部の最後の講義に対する質問です。
〔質問と答え〕
◆講義の最後の部分(レーニンの誤解)がよくわかった。石川先生ありがとうございました。2部も受講するつもりです。よろしくお願いします。なぜか……「資本論」はおもしろい? いや「資本論」にふれるのがおもしろい! 時間をとってテープを聞いたり、不破さんの本を読んだりしたいと思います。
○ええ,『資本論』にはたくさんの知的引き出しがあって,それぞれに奥行きが深いですから,確かに接していれば「おもしろく」なります。ぜひ,学びをつづけてください。
◆マルクス~レーニン~未来社会(現在も含む)への資本主義分析(帝国主義論含む)=資本主義の質的異相の違いがよく見えた気になった。
1)各自の個人的小経営(my土地)→2)資本主義的生産様式(消費様式)→3)未来社会の生産様式の流れは、否定、否定の否定論を通じてわかった気になっているのですが。①資本主義が共同をベースにした生産のしくみであること、②未来社会への移行に行きつくよりも時間がかかるものであるということが、なぜなのか、この点がよくわからなかった。今、共産・社会主義社会にむけての道程がなかなか見えてこないので、実感がわかない。そのしくみを聞かせてほしい。
○「協業→分業→機械」と見ていく中で,労働が結合され,労働者が「全体労働者」になっていくという過程を学びました。それは生産手段が巨大化して,多くの労働者の共同でしか生産活動ができなくなっていくという過程でした。ご質問の「資本主義が共同をベースにした生産のしくみである」というのはそういう意味です。もちろん,資本主義においては労働者が共同で生産したものが,資本家によって取得されるという限界があり,それの突破は生産関係をかえることによってしかできないということになります。
○変革の時間の問題は,当時のマルクスの「予測」であって,私はこだわっていません。どれくらいの時間がかかるから実践の結果としてわかるものだと思っています。
○未来社会への道程については,たとえば日本共産党の綱領を読んでみてください。今日の資本主義がもっている,不況や環境問題などを解決するには,大企業のやり放題の自由を規制するルールづくりが必要です。その民主的なルールを実行する段階の社会がまずあり,その段階でもまだ「搾取の自由」が残っていますから,それを取り除くことが必要だという国民の合意があれば資本主義ではない社会へと前進していくということです。
◆一年間ありがとうございました。゙知性を鍛える゙上での大きな道しるべを得た思いです。学ぶことの楽しさを味わいました。
○「学ぶことは楽しい」。これは大切な実感ですね。あとは「継続は力なり」です。これを忘れないことが大切です。
◆最近、中国の憲法改訂で生活手段だけでなく生産手段も私的所有できるようになったとか…まだ、社会主義社会ではなく過度的社会だから…? 市場経済活用のため? 一年間の講座が終ったわけですが、常に睡魔とのたたかいでした(たたかわずに負けていたかも…)。結局一年間講義を聞いただけで自ら資本論を読了するということはできませんでした。それでも学べたことは、たくさんありました。つまらない感想や質問にもニュース誌上で丁寧にお答えいただきありがとうございました。
○中国は社会主義への道を模索している過程にある社会でしょうね。成功が保障されているわけではなく,かといって失敗の道にあるわけでもない。前向きに道を開こうとして苦労している社会ということでしょう。生産手段の私的所有を積極的に承認したのは,ご質問にあるように「市場経済」をより積極的に活用するためです。それによって生産力を引き上げ,技術水準を引き上げ,国民生活向上の土台をつくるということです。ただし,「市場経済」には貧富の格差をつくり,利益第一主義をはびこらせかねない危険がありますから,そこをどう規制するかが今後の課題です。まさに道を模索しているということですね。
○「つまらない感想や質問」などということはないのですよ。多くの人が集まって勉強する以上,多くの人は一斉に同じレベルで前進したりはしません。その人なりに,それぞれのスピードで,それぞれのレベルで前進していくわけです。ですから,どの人のもつ「感想や質問」も,その人にとっては前へすすむきっかけになるのですから,決して「つまらない」などということはないわけです。今後も,ドシドシ質問してください。
◆資本主義の根源的矛盾について「生産手段の集中と労働の社会化」としている部分について、不破さんが、発展させた議論としていると思うのですが、そのことについて説明して下さい。と言ってももう終りですので、また不破さんの本を読んでいきたいと思います。
○不破さんの『科学的社会主義を学ぶ』(新日本出版社,2001年)ですね。マルクスは,はてしない経済拡大の傾向と資本主義の生産関係のせまい枠組みとの矛盾を,資本主義のもっとも深刻な矛盾としてとらえ,エンゲルスは「生産の社会的性格と取得の資本主義的性格との矛盾」ととらえました。両者の矛盾のとらえ方のちがいについては,以前からいろいろと議論がありました。
○この本では,不破さんはまだ研究中だとことわりながら,エンゲルスの定式にはひっかかるところが3つほどあるとしています。あとはご自分で確かめてみてください。マルクスとエンゲルスの意見のズレという問題ですから,これは,マルクスは正しい,エンゲルスは正しいという「教条主義」にとらわれず,自由に自分のアタマで問題を考えるには絶好のテーマのひとつですね。
◆講義参加は目標に達しなかったが、資本論のさわりにふれた事自体大きな感動です。若い頃読んだレーニンの「国家と革命」、その前段のエンゲルスの「家族、私有財産及び国家の起源」、宮川実(?)さんの「賃金論」がおもいだされました。現在の複雑な資本主義社会の中では2部3部の次回の講座も楽しみにして、気張って受けたい。
○「資本論のさわりにふれた」というところがいいですね。ふれることができなかったものに手がとどいた。これは重要な前進です。次は「さわり」の度合いを深めていくことですね。「学び」には「繰り返し」が不可欠です。理解を「深める」作業は,繰り返さずにはできません。これからも『資本論』を手放さずにいきましょう。
◆1回欠席しましたが、何とか修了することができました。この一年は早かったです。本日、最終講義、『資本論』そのものは難しかったのですが、未来社会論と帝国主義論についての補足が非常に勉強になりました。第2部・3部にもチャレンジします。
◆資本主義的蓄積の問題がよくわかった。自由競争の独占への転化がよくわかった。
○「帝国主義」については,共産党の新しい綱領にかかわっていろいろな論議がありました。個々の資本主義国を独占資本主義だからという理由ですぐに「帝国主義」というのは現在では正しくないということですが,それは,レーニンの帝国主義論全体の否定につながるものではありません。レーニンが解明した独占資本主義の理論は,現代アメリカの分析にとってだけでなく,フランスやドイツの分析にとっても重要な指針になります。大切なのはレーニンの何が今日も大切で,何が過去の命題となっているかを自主的に区別して読むという姿勢ですね。
◆レーニンは歴史の中で読まなくてはならない。本質から現象へ、マルクス芸術的体系がよくわかった。帝国主義、資本主義は革命的に変わるものではなく、民主的なはたらきの積み重ねのなかで否定の中の否定という形で、未来社会へと移り変わろうとしている。しかし、その道は厳しいんだろうな。
○厳しくもあり,しかし,厳しいからこそ楽しくもありといったところでしょうか。歴史の現局面のなかで,自分が歴史の発展を促進するうえでリーダーシップを発揮する一員でありえているのか,それとも流れにおされているだけなのか,そこの違いへの自覚が,毎日の自分の生活を「楽しい」と思わせるかどうかの根本問題であるように思います。ただし,ここでもその「自覚」を確かめるためには,歴史の発展方向や,そこに個人が参加することの意味などをしっかり学んでおかねばなりません。学びのつみかさねが,厳しさのなかに楽しさを見出す力を育ててくれるということですね。
◆なんとか1年間、参加し、最後のまとめの話は大変よくわかった。一番最初の講演が聞けないので参加しないつもりだったが、松野さんのテープを渡すからとの熱心なさそいで参加することになり、運動、仕事で欠席もしながら、聞いてきたが、とにかく続けたことで充実感がある。もう1年続けて頑張ろうと思います。先生どうもありがとうございました。
○「継続は力」なのです。自分が思っているよりはるかに「継続は力」なのです。「これもわかった」「あれもわかった」という具合にはなかなかいきませんが,それでも「ちょっとわかった」「わかったかもしれない」ということが,繰り返し,繰り返し,アタマのなかにたまっていくことが大切なのです。それが,これからくる「わかった」を準備する材料になりますから。ですから,すぐにわからないからといってやめない。これが大切なのです。がんばってください。
◆文章を書くということが難しい。資本論第一部を乱読なりに読んだという喜びに浸っております。先生のつぶやきから、日本人の変り身の早さには驚く。アメリカは占領統治に際し、相当日本を研究していたのだなあ、この点から見ると、日本人よりイラクの人民の皆様の方が立派だ。前回の資本論修了証いただいたのが1989年1月だった。ということは、バブルの真っ只中であった。今回は、後日どのように思うだろうか。参加した皆様、各民主団体の幹部の皆様と一緒に学習できたこと、光栄に思っています。
○歴史の発展にはジグザグがあります。それを川の流れの表面のうずと,川の水全体の大きな流れの方向にたとえた人がいます。日本の戦前と戦後をくらべても,いろいろな逆流はありますが,大日本帝国から平和憲法下の日本へと,やはり大きな流れの方向は貫かれています。安保闘争があり,各地に革新自治体を打ち立てた経験があり,しかし,これに対する「戦後第2の反動攻勢」もありと。日本国民の政治的成熟度というのか知的成熟度というのか,そこには課題が大きいと思いますが,しかし,それを引き上げるために『資本論』に挑戦しているみなさんのような人が全国にいるわけです。日本社会の内部の仕組みも,その歴史も「弁証法」的にリアルにとらえる必要があるわけですね。なかなか,すてたものではありませんよ。
○15年ぶりの修了証だったのですね。これからは毎年の修了証となるといいですね。学習を「歯磨き」と同じ様に,日常生活の一部としてしまう。そうすると,自分のカラダに力がわきますから,毎日の生活への意欲がかわります。人生がかわります。
◆前回出ていなかったのですが、全体をふりかえった章になっていたので、イギリスがひどいやり方で賃労働者をつくってきたことがわかった。マルクスが未来社会で人間の能力が発展すると考えていたことがよくわかった。まだ、「『ゴータ綱領批判』の読み方」が途中なもので。一年間ご苦労さまでした。まだ第二部の講義をどうしょうか迷っています。休日が変わったもので。
○できれば参加していただけるとうれしいのですが。しかし,時々のご自分の条件にあわせて,学びの継続を工夫してください。和歌山学習協はすぐにつぶれたりはしませんし,また参加しやすい勤務体制になるということもあるのでしょうから。気の合う友人と学ぶ,学習会のチューターをかって出る,『資本論』に線をひいた部分を読み返す。やれることはいろいろありそうですね。
◆フランスはイギリスに次ぐ植民地保有国だったのになぜ今イラク戦争に反対したのか(イギリスは賛成したのに)という疑問から出発した分析のお話、とてもためになりました。国連が今回のイラク戦争で、ものすごい力を発揮しているという話は、ベトナム戦争のときの国連の役割と比較されますが、今日、聞いた国連の加盟国の構成が変化してきていることで起こってきた力なのだということが理解できました。『資本論』を学習するようになって、「歴史を学ぶ」ことがほんまにおもしろいと思えるようになってきました。
今回の補足で、『レーニンと資本論』を参考にしながら、『帝国主義論』と『国家と革命』を読んでみたいと思いました。次回からは、確実に予習と復習をしていこうと思います。わからないことは仕方ありませんが、せめて講義をきいてわかったことぐらいは、「記憶にのこったこと及び感想ノート」として残し、『資本論』を深めていく助けにしていきたい。(自分のその時の理解の水準を見て、時々、自己満足にひたって自分を激励するのにも役立つと思うので)
◆講師のつぶやきで、国連について5大国がやりたい放題にやってたのを、アジア・アフリカの非同盟諸国が頑張って手をしばってきているという話が興味深かったです。戦争はだめだということが当たり前になったのは、そういういきさつだったのかを学べたので、平和運動をすすめていくうえで大きな励ましになりました。
マルクスの言いたかった未来社会への道すじがよくわかりました。なにげなくそう見えること(現象)を、理論を積み重ねて本質を明らかにしてなぜそう見えるのか説明する。本当にすごい本だなと思いました。すごく早足で学んだので、ゆっくり時間をかけて学び直し、理解を深めたいと思います。2・3部もよろしくお願いします。
◆今回の「講師のつぶやき」の中で、国連の役割の変化について説明されていたことは、今後の世界を考える上で大変参考になりましたが、もう少し自分なりに整理してみる必要があることを感じました。『経済』6月号の論文を読んで再考してみたいと思います。
終ってみれば短かった資本論講座でしたが、初めて受講した感想としては、エベレストに少しずつ登りながら、途中高山病にかかり、下山も繰り返しながらまだ登っている段階です。来月からの第2部・第3部も受講しますので、よろしくお願いします。
○「歴史に学ぶ」。実は,それを徹底的に行っていたのがマルクスなのだと,不破さんが『「資本論」全3部を学ぶ』の最終講義で語っています。私もフランス植民地帝国の崩壊過程を追いかけて,そのことの意味を少しだけ実感した気がしました。「20世紀はどういう時代だったのだ」。そのことについての結論的な判断をおぼえるのでなく。「そもそも何があった時代だったのだ」。それを自分で確かめることが必要なわけですね。
○フランス植民地帝国の話は,『経済』の6月号に書きました。たくさん引用文献,参考文献を注に紹介しておきましたので,そのなかの何かに挑戦してもらえると,またいいかも知れません。
○ノートづくりについてひとこと。絶対にキレイにつくろうと思わないことです。書きなぐりでいいのです。キレイにつくると時間がかかります。ちょっときたなくなるとイヤになります。自分でも読めないような字で,それでいいのです。ただし,繰り返し読むことです。それをしないとノートをつくる意味がありません。そして,ノートを読んだときの感想や思いつきを,またノートに書き込んでいくことです。ちなみに私のノートは「なんでもノート」の1種類だけです。
○山の話ですが,下山ではなく,やはり第1部の山にはのぼったということでいいように思います。ただし,苦しくて,苦しくて,山を楽しむどころではなかった,まわりの景色もろくに見えなかった,そういうことではないかと。しかし,また,次に体力をつけて挑戦すると,前には見えなかった景色に気づく,新しい自分の体力にも感動する。そうやって,「繰り返し」というのは,同じことをしていても新しいものを見せてくれるものだと思います。『資本論』は1回読んでもわからない。だから,繰り返し読んで理解を深めていくしかない。それは,同じ山を味わいつくすということだと思うのです。エベレストはいったことがありませんが。
◆資本は物ではなく物を通じて媒介された人と人とのあいだの社会的関係であることがよくわかった。P1299「自分の労働によって得た~駆逐される」の文書の意味がよくわからない。労働学校で学ぶものよりも深いところまでなお且つわかりやすく学べてよかったです。第1部は、ぎりぎりで卒業できませんでしたし、このままでは第2部に頭が追いつかないような気がします。しかし、出きる限りの努力をして追いつけるように第2部に備えて学習をがんばっていこうかと思います。それでは第1部閉幕。
○原ページ790ですね。「自分の労働によって得た,いわばここ独立の労働個人とその労働諸条件との癒合にもとづく私的所有は,他人の,しかし形式的には自由な労働の搾取にもとづく資本主義的私的所有によって駆逐される」。ここは「小経営」が資本主義的経営にかわっていくということです。歴史的に,個人が自分の生産手段をつかって,自分の生産物をつくっていた段階の「私的所有」が,資本家が労働者という他人の労働力を搾取してものを生産する「資本主義的私的所有」にとってかわられていったということです。
○「第2部に頭が追いつかない」。そうかも知れません。しかし,それでも上りかけた山は最後までのぼってしまわなければ,もったいないです。わかろうと,わかるまいと,1度はのぼったのだ。そういう実績をつくることが,今後へのいい踏み台になります。最後まで手とアタマを動かしつづけてください。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき」など
◇『資本論』の読み方(1)。本を汚す,自分だけの本につくりかえる。
◇読み方(2)。〔朗読〕声に出してよめば必ずすすむ。〔ななめ読み〕各段落の1文目だけを読んでいく,においをかぐ。〔つまみ食い読み〕読みたいところを読む,いやにならない。
2)『資本論』はどういう本なのか
◇なぜ『資本論』を読むのか
〔科学的社会主義の理論(科学の目)のかなめをなす本〕
・現代に生きている経済学――現代を分析する最良の指針
・史的唯物論の真髄がある――人類社会の歴史と構造,それらの対比
・弁証法の核心がある――経済理論にそって肯定の中に否定を見いだす
・未来社会論の土台がある――自由な多面的な叙述の山
〔21世紀にはポスト資本主義が世界的な探求課題となっていく〕
◇『資本論』をどのように読むか
〔『資本論』をその歴史のなかで理解する〕――完成品として読むのでなく
・「パリ・ノート」(43~44年)から「ロンドン・ノート」(50~53年)までの莫大な抜粋ノート
・2つの準備草稿,「57~58年草稿」「61~63年草稿(約半分が「剰余価値学説史」)
・『資本論』そのものの執筆へ,「63~65年草稿」(全3部,第3部については唯一のまとまった草稿),66年から第1部の清書稿へ,67年9月第1部刊行
・第1部以後,第1部の内容改善,第2部完成への努力,第3部の構想の抜本的再検討(草稿としては残らず)
・マルクスの死後(83年~),エンゲルスが第2部(85年)・第3部(94年)を刊行,カウツキーが『剰余価値学説史』第1・2巻(05年)・3巻(10年)を刊行
〔現行『資本論』はどう遺されたのか〕
・『資本論』全体が「一つの芸術的な全体」(65年7月,マルクスの手紙)
・「原稿は,その現在の形では途方もないもの」(66年2月,マルクスの手紙)
・第2・3・4部は「未熟な形のままで残っている」(77年11月,マルクスの手紙)
〔歴史のなかで読むことから〕
・いろいろな概念,問題の考え方の生まれ方がわかる
・『資本論』の理論展開がどういう歴史をへて生まれたのかがわかる
・『資本論』にも思考の方向転換が整理されずに入り込んだ部分がある(エンゲルスの編集)
〔こう読んではいけないやり方〕
・「木を見て森をみず」――いつでも流れをつかむ努力をする
・「解説書で満足する」――ガラではなくて肉を味わう
3)『資本論』第1部の内容
◇全3部の構成
・第1部「資本の生産過程」
・第2部「資本の流通過程」
・第3部「資本主義的生産の総過程」
◇第1篇「商品と貨幣」――資本主義を市場経済の面からとらえた研究/発生論的方法の表れ
・第1章「商品」――商品そのものの研究/市場経済でない社会との対比/社会的労働の配分をになう価値法則/貨幣の謎的性格/経済法則が人間から独立した強制法則に
・第2章「交換過程」――商品をつくる生産者の市場での行動の研究/論理と歴史の発展の一致
・第3章「貨幣または商品流通」――貨幣が活躍する段階の商品世界全体の運動論/商品の矛盾が貨幣を生む/商品流通には恐慌の可能性がある
◇第2篇「貨幣の資本への転化」――資本の研究の開始/剰余価値はどこから生まれるか
・第4章「貨幣の資本への転化」――16世紀は資本成立への転機/労働力が生み出す価値・労働力の価値
◇第3篇「絶対的剰余価値の生産」――第3~6篇剰余価値はどのような方法で拡大が追求されるか/搾取の内容の分析
・第5章「労働過程と価値増殖過程」――第5~7章は剰余価値の解明の最後の到達点/労働力の消費過程そのものの分析
・第6章「不変資本と可変資本」――不変(c),可変(v)
・第7章「剰余価値率」――m/v
・第8章「労働日」――第8・9章は絶対的剰余価値生産の解明/労働日をめぐるイギリスの事実〔イギリスの現状批判/イギリスの歴史/ヨーロッパ問題〕
・第9章「剰余価値の率と総量」――可変資本総量と剰余価値総量の数量的考察
◇第4篇「相対的剰余価値の生産」
・第10章「相対的剰余価値の概念」――生産力の増大/動機は特別剰余価値/「独自の資本主義的生産様式」
・第11章「協業」――「結合された労働者」
・第12章「分業とマニュファクチュア」――今日まとまって存在しない/機械制大工業の理解に不可欠〔機械を人間にかえれば〕/部分労働者/「結合された全体労働者」/内的分業の専制と社会的無政府性/肉体的な力と精神的な力の分離
・第13章「機械と大工業」――価値の移転/社会基準上の磨滅/労働強化/「全体労働者」をはなれた生産労働はない/技師なども「全体労働者」の一員〔未来の主役〕/機械の利用と雇用/産業循環の開始/「全体的に発達した個人」/家族形態の変化/農業〔第3部に書かれず〕
◇第5篇「絶対的および相対的剰余価値の生産」――資本主義的搾取を全体としてみる
・第14章「絶対的および相対的剰余価値」――質的に見る
・第15章「労働力の価格と剰余価値との大きさの変動」――第15・6章で量的に見る
・第16章「剰余価値率を表わす種々の定式」
◇第6篇「労賃」――搾取の非合理的な現象をあばく
・第17章「労働力の価値または価格の労賃への転化」――搾取を見えなくする現象形態
・第18章「時間賃金」
・第19章「出来高賃金」
・第20章「労賃の国民的相違」
◇第7篇「資本の蓄積過程」――剰余価値の蓄積はどのように進行するか/連続的な流れをとらえる
・第21章「単純再生産」――第21・22章は基本的な概念の部分
・第22章「剰余価値の資本への転化」――拡大再生産/取得法則の転換/不変資本を見落としたスミス
・第23章「資本主義的蓄積の一般的法則」――蓄積過程がどう進むかの研究/最後の節は事実の集大成による実証部分/有機的構成/相対的過剰生産
・第24章「いわゆる本源的蓄積」――資本主義的生産の開始を問題に/第7節は第1部全体の結び/「血(犠牲)と火(抑圧)の文字」で,自然成長的でない/未来社会〔生産手段は結合された生産者による社会的所有,生活手段は生産者の個人所有〕
・第25章「近代的植民理論」――補足/処女地では労働者の植民が必要
4)「家族」をめぐって――個別の論点紹介
◇第13章第9節――未来社会の諸要素としての家族形態の変化
1)「資本主義制度の内部における古い家族制度の解体が,どれほど恐ろしくかつ厭わしいものに見えようとも,大工業は,家事の領域のかなたにある社会的に組織された生産過程において,婦人,年少者,および児童に決定的な役割を割り当てることによって家族と男女両性関係とのより高度な形態のための新しい経済的基礎をつくり出す」(第1部第4篇第13章「機械と大工業」,原ページ514)。
2)「きわめてさまざまな年齢層にある男女両性の諸個人が結合された労働人員を構成していることは,労働者が生産過程のためにあって,生産過程が労働者のためにあるのではないという自然成長的で野蛮な資本主義的形態においては,頽廃と奴隷状態との害毒の源泉であるとはいえ,適当な諸関係のもとでは,逆に,人間的発展の源泉に急変するに違いない」(同上,原514)。
◇第21章――労働者の個人的消費は資本の再生産の一契機
1)「可変資本は,労働者が彼の自己維持と再生産とのために必要とし,どのような社会的生産体制のもとでもつねにみずから生産し再生産しなければならない生活手段の元本,あるいは労働元本の特殊な歴史的現象形態にすぎない」(第1部第7篇第21章「単純再生産」,原ページ593)。
2)「労働者はしばしば,個人的消費を単に生産過程に付随するものにすることを余儀なくされる。この場合には,彼は自分の労働力の活動を維持するために自分に生活手段を与えるのであって,それは蒸気機関に石炭や水が与えられ,車輪に油が与えられるのと同じである。その場合には,彼の消費手段は単に一生産手段の消費手段であり,彼の個人的消費は直接に生産的消費である」(同上,原597)。
3)「労働力と引き換えに譲渡される資本は生活手段に転化され,この生活手段の消費は,現存する労働者の筋肉,神経,骨,脳髄を再生産して,新しい労働者を生み出すのに役立つ。それゆえ,労働者階級の個人的消費は,絶対に必要なものに限っていえば,資本が労働力と引き換えに譲渡された生活手段の,資本によって新たに搾取されうる労働力への再転化である。それは,資本にとってもっとも不可欠な生産手段である労働者そのものの生産および再生産である。したがって,労働者の個人的消費は,それが作業場や工場などの内部で行われようと外部で行われようと,労働過程の内部で行われようと外部で行われようと,資本の生産および再生産の一契機であって,それはちょうど機械の掃除が,労働過程中に行われようとその一定の休止中に行われようと,資本の生産および再生産の一契機であるのとまったく同じである。労働者はその個人的消費を自分自身のために行なうのであって,資本家のために行なうのではないということは,事態になんのかかわりもない。たとえば,役畜の食うものは役畜自身が享受するとはいえ,役畜の消費が生産過程の必要な一契機であることには変わりはない。労働者階級の不断の維持と再生産は,資本の再生産のための恒常的条件である。資本家はこの条件の実現を,安心して労働者の自己維持本能と生殖本能にゆだねることができる。彼が心を配るのは,ただ,労働者たちの個人的消費をできる限り必要物に制限することだけ……」(同上,597~598)。
4)「社会的観点から見れば,労働者階級は直接的な労働過程の外部でも,死んだ労働用具と同じように資本の付属物である。彼らの個人的消費でさえも,ある限界内では,ただ資本の再生産過程の一契機でしかない。しかしこの過程は,この自己意識のある生産用具が逃げてしまわないように配慮して,そのために,彼らの生産物を絶えず彼らの極から資本という対極へと遠ざける」(同上,598~599)。
5)質疑応答
2004年5月18日(火)……京都のみなさんへ。
以下は,京都学習協議の第3回現代経済学講座第1講で配布したものの一部です。
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〔京都学習協・第3回現代経済学講座〕
講師のつぶやき(第1回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
今年も現代経済学の講座がはじまります。2002年の第1回講座では,帝国主義・独占資本主義をテーマにやってみました。これはちょっとむずかしすぎるものになった感じがありました。昨年の第2回講座では,戦後日本経済をアメリカとのかかわりを重視してふりかえるということをしてみました。
第1回のテーマに関わって,今年の『経済』6月号に「世界情勢の発展と『帝国主義』」を書きました。イラク戦争に反対しているフランスを例にとり,その「植民地帝国」がどのように崩壊していったかを勉強してみました。また,「国連があてになるのか」という一部も声もありましたので,発足当初の国連が今日までどのように姿を発展させ,その平和を実現する力を充実させてきたかについても書きました。
その一方で,レーニンの帝国主義論を基準にして現代の世界をとらえようとする,「型紙主義」とでもいうべき傾向が自分の中にもあったことも痛感させられました。この論文には,その点についての私なりの反省も書いてあります。
不破さんが『「資本論」全3部を読む』の第7冊で全体のまとめをしていますが,そこで,歴史につうじることの大切さが強調されています。「フランス植民地帝国」の歴史を追いかけて,私も少しだけ,そのことの意味がわかる気がします。マルクスが『資本論』を書いた19世紀後半,レーニンが『帝国主議論』を書いた20世紀初頭,そこから時代は100年ほどもすすんでいます。その100年のあいだに人類社会はどのように変化したのか,そこを事実でつかむ必要があるわけです。
私のなかにあった,レーニンを「型紙」として扱う傾向は,その事実を知らないことを,レーニンからの類推でうめようとする怠け者の傾向でもあったわけです。
第2回のテーマに関連しては,今日の講座でもメインにとりあげる「財界のアメリカへの従属と過度の依存」という論文を今年の『前衛』の3月号に書きました。日本の金融市場をアメリカに明け渡すかに見える,小泉内閣のその深刻な対米従属を,より深く,歴史的にとらえかえしたい。そういう思いで書きました。実は,この論文は第2回講座の成果です。この講座のためにいろいろな本を読み,講座のなかで紹介していったことが大いに力になりました。
今回の第3回講座は,テーマとしては第2回講座の延長ですが,さらにそこに「その時々における財界の判断」をつけくわえていきたいと思っています。できることならば,アメリカとの関係にも目を配りながら。また,ジェンダーネタも独立の講として,立ち上げてみました。これは新日本婦人の会の『女性&運動』の4月号に書いたものをふくらませたいと思っています。さらには,講座で扱うような具体的な問題たちから,経済理論のどのような発展が求められているのか,そんなことについても大風呂敷をひろげることができればいいなと思っています。
もっとも,実際にどこまでのことかできるのかは,現時点ではまるでわかっていません。それでも月に1度,みなさん方の前でお話させていただくことを私なりの励みに,できるところまで歩いてみたいと思います。それがまた,来年には新しい論文になってくれるといいとも思います。
この講座の時間のつかい方ですが,全体は1時30分から5時までです。最後の30分は,みなさん方に質問・感想文用紙の記入をしていただく時間,実際の質疑の時間となっています。それまでの3時間については,だいたい1時間おきに10分程度の休憩をとります。そして,毎回,その最初にこの「講師のつぶやき」やみなさんからの「質問にこたえて」といった時間をとり,それから本題にすすむという形になると思います。
直接の質疑ではお答えできないことも多いと思いますので,なるべく質問には文章で答えたいと思っています。
また全体の流れのなかでは,ゆきつもどりつで,前の講座でつかった資料が必要になることもあると思います。毎回,まとめてもってきていただくようにお願いします。
さて,講座がはじまると今年はさっそく選挙ですが,みなさんには「学びながら走り,走りながら学ぶ」,つまりどんなに忙しくても「学ぶ」ことを決して忘れない。そういう精神で,立ち向かっていただきたいと思います。
では,1年間楽しく学んでいきましょう。今年も,よろしくお願いします。
〔第1講・現代日本の経済社会をどうとらえるか〕
(1)第3回講座のねらいと構成
1)戦後日本経済の発展と到達をアメリカへの従属と依存を重視してとらえた第2回講座の到達点をふまえて,これに,重要な歴史的分岐点における「財界の判断」を付け加えていきたい。あるいはその「判断」にアメリカの意向がどのように反映したのかをとらえていきたい。それは今日の日本の政治経済の「財界・大企業いいなり,アメリカいいなり」の姿をより深く,根本からつかまえようとする作業でもある。
2)全体の構成は次のようになる。
第1講 現代日本の経済社会をどうとらえるか
第2講 グローバリゼーションと市場開放
第3講 『マネー敗戦』と金融ビッグバン
第4講 『日米構造協議』と土建国家
第5講 奥田ビジョンの21世紀戦略
第6講 新しい道を模索するEUとアジア
第7講 日本型資本主義の特異な家族・女性支配
第8講 展望・現代に挑む経済理論
(2)「第1講・現代日本の経済社会をどうとらえるか」
1)論文「財界のアメリカへの従属と過度の依存」(日本共産党『前衛』第774号,2004年3月号)
1・初めに――ジャーナリズムが「独立」を論じる時代のなかで
2・アメリカの戦略としての財界の「復活」
3・従属と依存のからみあった展開
4・日本市場への支配と介入の諸政策
5・「奥田ビジョン」はなぜ金融市場を語らないのか
6・アメリカへの過度の依存から東アジアでの連帯と共同の道へ
2)補足1「ゼネコン国家を『改革』できない小泉内閣」
3)補足2「社会保障改革と『新自由主義』イデオロギー」
4)補足3「日本大企業の海外進出の実態」
5)補足4「軍事大国化への経済的衝動」
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