2004年6月11日(金)……みなさんへ。
以下は,「しんぶん赤旗・日曜版」2004年6月6日号に掲載された文章です。
記事「経団連/改憲へ動く舞台裏/政党に“踏み絵”迫る」にそえられたコメントです。
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米国の要請で本格化
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
日本経団連が改憲に本格的に動き出した動機や背景として,アメリカからの強い要請をしっかりとらえることが必要です。それにこの要請に応じることで自らの政治的・経済的な地位を高めようとする国内の思惑がむすびついていると思います。
経団連はじめ財界役員の中枢をしめる自動車・電機業界はその利益を,アメリカ市場に特別に深く依存しています。経済同友会の北城恪太郎代表幹事は昨年12月2日の記者会見で「安全保障にとどまらず貿易をふくむ日米関係を考えても,自衛隊の派遣は必要」と,アメリカとの経済的な利害関係を強調しました。
輸出でも直接投資の絶対額でもアメリカは財界にとって最も重要な市場です。この市場の安定的な確保のためにアメリカの軍事的要求に従うことが必要だという判断があるのでしょう。
新設された委員会に三菱重工はじめ軍需産業の代表がどれだけ入るかも注目点です。ただし,その場合も,最近の軍需産業の活発な動きがアメリカによる「ミサイル防衛」への参加要請に重なっている点が重要です。「ミサイル防衛」は日本だけで6兆円の軍事市場といわれています。アメリカの軍事戦略への加担が日本の軍需産業の利益の拡大につながるという関係ができているわけです。
財界の改憲要求は,アジアにおける日本企業の経営基盤を掘り崩し,今後に期待される友好的な経済協力の発展に大きな障害を生み出すものとならずにおれません。
2004年6月7日(日)……和歌山のみなさんへ。
以下は,和歌山学習協の『資本論』第2・3部講座第2講(6月5日)で配布したものの一部です。
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和歌山『資本論』講座・第2・3部を読む
『資本論』ニュース(第2回)
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
今年の夏,ゼミの3年生たちとともに「ナヌムの家」に行く予定です。95年にいまの職場にくるまでは,特に,社会的な「性」(ジェンダー)の問題を考えたことはありませんでした。しかし,たくさんの女子学生たちとつきあうなかで,企業社会での差別,セクハラ,仕事と家事の両立の困難,性暴力と,いまの社会を大きくとらえる重大な視角として「ジェンダー視角」がうかびあがってきました。
はたして経済学はそういう視角をもって来たのだろうか。そういう問題提起もありました。少なくとも私の中にはその視角がなく,そこで,それまでの学習・研究の蓄積がいかしやすい「企業社会におけるジェンダー」から問題に入り,次第に視野を「企業の外のジェンダー」問題,たとえば「はたらく夫と,専業主婦の妻」といった関係にまで広げてきました。
自然的な肉体的な性を「セックス」というのに対して,社会的・歴史的に形成される性を「ジェンダー」といいます。歴史のそれぞれの段階での,性別役割とか,性別分業といった方がわかりやすいかも知れません。たとえば「男は仕事,女は家事」という「近代家族」のあり方は,「近代」という呼び名がついているように,資本主義の形成とともに歴史的に誕生したものです。家族の間の強い情愛や,夫と妻の家の内と外での役割の分担,子どもを愛し育て教育する母といった要素をもつ「近代家族」の特徴が,人類史のどの段階にもつらぬく普遍的な家族だというのは誤解です。夫と妻の関係も,大人と子どもの関係も,それらは歴史の発展段階に大きく変わってきたものです。
戦後「女性は社会進出した」と良くいわれます。しかし,実際にはその数を専業主婦の増加が上回ります。戦争直後のベビーブーム(団塊の世代)から急速な戦後第一の「少子化」が進行し,55年頃からは都市部を中心に,核家族型のサラリーマン家族が増えていきます。このタイプの家族の増加こそ,専業主婦のいる家族の増加そのものでした。高度成長期の女性の生き方は相当に画一的です。24才前後で結婚し,2人までの子どもを生んで,専業主婦としてこの子を育てる。そういうかなり明確な「型」が生まれます。
同じ時期は「核家族化が進行した」時期ともいわれます。しかし,実は直系家族の数は戦後ほとんど減っていません。では,なぜ「核家族(両親あるいは単親と自立以前の子どもの家族)」が増えたといわれるのか。理由は簡単で,人口が増えたからです。ベビーブームのきょうだいは4~5人です。しかし,老いた親といっしょに暮らせるのは主に「長男」です。それ以外のきょうだいは,結婚した相手の親と暮らすことがあったとしても,他は「核家族」になるしかないのです。「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」の直系家族をうらやむ空気があるというのは,どこかいまある「核家族」ではなく直系家族を本来の家族だと考える気分があるからかも知れません。これからは,若い世代が少なくなっていくわけですから,ひょっとすると,そこで社会全体での直系家族比率はまたしても高くなるという現象が起こるのかも知れません。
こうして男女の関係にも,「家族」の姿にも,短い時間に多くの変化があるのです。こうした現実をしっかりと踏まえておくことは,科学的社会主義の理論にとっても重要な課題といえるでしょう。
さて,性暴力の問題です。「チカンあかん」のポスターが地下鉄のホームに山ほどはられ,加害者がとりしまられるのでなく,被害者たちが「女性専用車両」に緊急非難をよぎなくされ,セクハラが「それぐらいいいじゃないか」と女性の仕事を奪っていく。これもまた日本社会の人間社会としての発展度をあらわす重要な指標のひとつだと思います。「女性の解放が社会発展の指標」だとするなら,性暴力からの女性の解放は,社会発展をのぞむ多くの人たちの重大課題であるはずです。
今年の2月に「ナヌムの家」へ行ってきました。学生たちの卒業旅行でソウルに行き,その途中,こちらが単独行動をとって行ってきたのです。かつての「従軍慰安婦」たちがくらす社会福祉施設と,「慰安婦」歴史観が併設された施設です。歴史館は「日本軍『慰安婦』」といいます。「従軍」といえば,本人たちがすすんで戦場にいったように誤解されるからです。国連はこれを「性奴隷」と表現します。しかし,この言葉にはかつて「慰安婦」であったご本人たちが拒絶反応をしめしたそうです。
かつて「慰安婦」を強制された人たちの勇気ある訴えと,それを支えた多くの運動,研究が90年代に「慰安婦」問題を大きな政治問題へと押し上げました。しかし,日本政府はいまだに個人への謝罪も個人への保障も拒んでいます。その一方,日本の首相や閣僚たちは,「慰安所」をつくり,これを「活用」した「英霊」たちが祀られる靖国神社への参拝は欠かさない。これはひどい話です。直接の被害が戦時中のことであっても,「慰安婦」たちの人生の被害は生涯におよんでいます。また,この問題への誠意ある対応を拒んでいるのは現代の政府で,私たち現代に生きる日本国民はその責任を問われずにおれません。これは「過去の問題」ではないのです。
そこには国家権力による個々人の人権侵害という問題があります。また,あきからに民族差別の問題があります。これを男性による女性の虐待や人権侵害一般に還元することはできません。「天皇タブー」があり「民族タブー」があり,それはそれぞれ重大な政治的な問題です。それらがからみあったところに,日本軍「慰安婦」問題の今日はあります。しかし,少なくとも,今日の日本社会が,これを大きな社会問題とし,日本政府の責任を問いきることができていないことの要因のひとつに,チカンや援助交際や「風俗」やセクハラが広い意味で「容認」されている,その意味でのこの国の社会発展の未熟という問題があるのはまちがいないと思います。政治の問題だけでなく,民族の問題だけでなく,やはり男女の関係の問題が独立した要因としてあるのはまちがいないと。
さて,今回は中国留学を予定する1人をのぞくすべてのゼミ生といっしょに「ナヌムの家」を訪れます。そのための学習を,いまからゼミで積み上げています。私も,学生たちといっしょに学び,あわせて,できることであれば,科学的社会主義はこの問題にどういう科学的な接近の視角をもっているのか,あるいはいないのか,その問題についても考えてみたいと思います。もちろん,『資本論』はそのための重要な材料となります。さて,どういう成果が出てくるのか。そして,それは21世紀の民主的な日本づくりにどういう指針を示すのか。道は簡単でない気がしますが,しかし,避けることのできない研究課題であるように思います。
〔質問に答えて〕
最初は「感想」というのか,「決意表明」のようなものですね。まだ第2部の内容に入っていませんから,「さあ,これからやるぞ」という声が多いです。
◆Ⅰ部~Ⅲ部の構成の関連がよくわかった。Ⅰ部全体の流れを辿っていってくれて、とても助かった。まさに一年間の散逸が凝縮された。あらためて、マルクスの資本論第1部をトータルに1回で語ってもらって流れの構成を思い出せたのと、自分で全く整理してなかった分が整理された。それにしても、石川先生、大変だったでしょうが、よくわかりやすくまとめてくれている。あとはじっくり、自分自身で、この過程全体をマルクスとともに辿ることだろう=私のこれから1年~3年の課題。
◆今日は、第1部の復習ができて、新しいスタートが切れるなと思いました。また、なぜ資本論を学ぶのか、それは自分たちが歴史を前に進めていく役割を持っているんだと「自覚」する意味がある、ということなんだなと思いました。最近、本文をよむのをさぼっていたので、改めて1日少しずつでも読んでいきたいと思いました。
◆なぜ資本論を読むのかということと、マルクスの研究の方法とその意義がよくわかった。先生が『資本論』にじっくり取り組むようになった動機をお聞きし、学問研究への誠実な姿勢に改めて感銘を受けました。私もがんばりたいです。
◆1日4P読んでいけば、1年で1部読了できると言われて、何か励まされたような気がします。又、一年間よろしくお願いします。私が、仕事や会議で帰宅が遅くなる時など、夫が食事を作る、洗濯物を干す、たたむといった話をすると8割方の男の人(女の人もそうですが)が「へえー父さんえらいなー」と言ってきます。(ちなみに私は労働組合そのもので働いていますが……)その度に、あーまだ社会の夜明けは遠いなーなどと思うのですが、これも又、自分の歴史を動かしている1人と思えば、それなりに暖かく男性を見ることもできるのでしょうか。(我家では、私が夫の方から「男女不平等だー!」と言われておりますが……)
◆資本論はどういう本なのか、資本論の学習がいかに大事かよくわかった。今の日本の経済は、あまりにも「ルールなき資本主義」だという実感をいつももっている。輸出型の独占資本のもうけだけがすべてで、若者の労働があまりにも不規則でみじめだ。日本の政府は、アメリカべったりで、トヨタのような大企業べったりだ。
◆今日のお話を聞いて、多くのことについて、頭の中の問題意識や論点が整理されてよかったです。不破さん自身も資本論全体についておおまかにつかめたような主旨のことを言っていますが、石川先生のお話もきいて、資本論の山がいかに高いか、思い知らされたように思います。
◆資本論についての学習要領がよくわかった。支配階級は現在の社会から自分達の優位性を失いたくないですから支配階級がこの資本論を知る事により我々労働者に対しての攻撃材料になってはいないのでしょうか?
――「攻撃」といわれていることの具体的なイメージがわかりませんが,しかし,『資本論』は労働運動の根本をささえる書物ですから,逆にいえば,この根本をひっくりかえして,労働運動の力をそいでしまえという「攻撃」は出てきます。これは主に学者の仕事になるわけですが,「『資本論』はここがまちがっている」という攻撃です。ただし,日本社会の実情をみると,正面からの『資本論』批判がまとまった本になって出ていたのはずいぶん昔のことで,最近は「『資本論』は古い」あるいは「古い」という指摘もせずに「黙殺する」という姿勢が強くなっていると思います。それは「科学的社会主義は古い」ということを,理論的な検討もなしにいうのと同じ論調です。また,ひところは「『資本論』には科学の部分と革命運動の思い込みの部分があるから,これから思い込みの部分をすてて,『資本論』を科学的に純化しなければならない」と主張し,これを実行しようとした学問潮流もありました。「宇野理論」といわれたものです。『資本論』を科学的な本だと口ではいいながら,その中身を骨抜きにしてしまおうという動きでした。
――こうした攻撃への反撃として,やはり,私たちが『資本論』を学び,その内容が現代の資本主義をとらえるうえでどのように有効であるかを具体的に紹介していくことになるのではないでしょうか。職場や地域で,日本社会の何かが話題になったときに,「それはこういう問題なんだ」「じつは『資本論』にヒントがあるのだ」「書かれたのは昔だが,いまも生きているスゴイ本だ」という具合に語っていくことですね。ただし,それは『資本論』という本を広めるというよりも,そこに展開された分析の鋭さによって,私たちの運動への理解を深めてもらうということですね。
◆先日、質問されて答えられませんでした。教えてください。今日のお話でも、スウェーデンが「みんなのための資本主義」にしていくためのルールが確立している、ということが紹介されましたが、例えば、そんな時、資本主義の特徴として、「競争に勝ち残っていかねばならない」という使命があると思います。中国なんかでやられているのは、「市場で資本主義に負けない社会主義を」という取り組みですが、その前に、ドイツやフランスのように、仮に日本も有給や長期休暇を保障するようになったら、ドイツやフランスでは自給率も高いし、人口も少ないから、社会保障もやってけるし、国民も生きていけるけれど、日本は没落の一途をたどるのではないか。資本主義社会の中で死滅していくのではないか、という質問をうけたのです。わたしも以前から気になっていて、自分でどう説明したらいいかわからず、時々、つまずいていたところです。教えて下さい。
――いくつかのポイントがあると思います。大きくお答えしておきます。まだ不足するところがあれば,追加で質問してください。1つ目ですが,「ルールある資本主義」というのは「競争のない資本主義」ということではありません。「ルールを守って競争する資本主義」ということです。「これ以下の給料で人をはたらかせてはいけない」「これ以上長く人をはたらかせてはいけない」……そういうルールを全企業が守って,その枠内で競争するということです。だから「ルール」をつくると自動的に企業の活力がなくなってしまうということはありません。現に,ドイツやスウェーデンの大企業たちは世界的な競争力を発揮しています。「長時間・低賃金にたよれない」からこそ,大企業は「知恵」をつかって競争するわけです。このあたりは,『資本論』第1部の絶対的剰余価値の生産から相対的剰余価値の生産への歴史的移行の話とかさなりますね。
――ついでに,「福祉が充実すると人間のやる気がなくなる」という声がありますが,たとえばスウェーデンでも1960年代に早くもそういう攻撃があったのですが,これに対してスウェーデンの国民は,全国民にしっかりした基礎年金を保障し,その上でそれぞれの現役時代の所得に応じた比例部分を積み上げるという制度をつくっています。これだと,一方で全国民の生存権が守られ,他方で「努力がむくいられる」社会保障にもなるわけです。これは労働者どうしの競争をうまく経済の発展に活用するものといえるでしょう。ひとことでいうと「連帯の上での競争」ですね。
――2つ目ですが,日本経済の生産能力は世界で第2位です。世界には191の国がありますが,日本は「生活に必要なものがつくれなくて困っている」というような経済ではまったくないのです。穀物自給率やエネルギーの海外依存といったアンバランスはありますが,他方で貿易の黒字額も世界で第一級の高さです。そのようなすぐれた能力があるにもかかわらず,日本経済が長く深刻な不況にあるのは,生産に問題があるからではなく,高い生産の能力を引き出すことのできる国内消費力がないことが原因なのです。消費力がないから「つくっても売れない」,だから「生産の活力がなくなる」,だから「リストラ」がおこり,工場の海外移転もおこりやすくなるわけです。
――経済に「ルールをつくる」ということは,たとえば「より短い労働時間で,従来どおりの賃金保障」を行うことは,労働者の生活に「ゆとり」をもたらし,さらに失業者を減少させて,国内の消費力を高めることになります。年金など「社会保障の充実」も国内の消費力を高めます,「リストラの規制」も同じことです。そうして高められた消費力があれば「ものが売れる」,だから「生産が再開・拡大される」という活性化の循環がうまれていくわけです。それこそ資本主義を本当に発展させていく道です。現在のように,「ルールなき資本主義」のもとで国民の生活水準を低く押さえ込みつづけることこそ,不況を長引かせ,日本経済をとめどなく破壊していく道をつくっていると思います。いかがでしょうか。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時)
◇たくさんの意見,質問へのコメント。
2)現行・第2部「資本の流通過程」にまつわる問題(~2時20分)
◇第2部独特の困難/8つの草稿(全体をとおした草稿はない)/成熟した段階でのマルクスの第2部プランもない/読者に評判が良くない第2部
◇本来,恐慌論の本番舞台/マルクス自身の説明(第1部では恐慌の理論展開はない/第2部で初めて本格的に説明される,しかしまだ不完全/第3部で「補足」が行われる)
◇エンゲルスの編集/第2部の執筆はマルクスの病気で中断している/エンゲルスは第2部の位置づけをつかみそこねた/第1草稿をつかわなかったことの重大性
3)第2部全体の組み立て
◇第2部の主題――資本の運動を流通過程をふくめて研究する
◇第1篇「資本の循環」――個々の資本がどのような形態を次々身につけながらもとの形態にもどっていくか。
◇第2篇「資本の回転」――循環を繰り返しの周期的な過程としてとらえる。
◇第3篇「社会的総資本の循環」――多数の資本の絡み合いをとらえる。
4)「第1篇・資本の諸変態とそれらの循環」(~4時20分)
◇第1章「貨幣資本の循環」――貨幣資本/生産資本/商品資本/産業資本と輸送業
◇〔資料〕第2部第1草稿の「流通過程の短縮」論
◇第2章「生産資本の循環」――単純再生産/拡大再生産
◇第3章「商品資本の循環」――社会的総資本の運動舞台
◇第4章「循環過程の三つの図式」――3つの統一としての産業資本/価値革命/非資本主義世界の取り込み
◇第5章「通流時間」――循環を時間の長さから
◇第6章「流通費」――経費の面から/剰余価値を生むのか産まないのか
5)質疑応答(~5時)
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