2004年1月16日(金)……和歌山『資本論』講座のみなさんへ。
以下は,1月10日の和歌山『資本論』講座に配布したレジュメです。
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和歌山『資本論』講座
『資本論』ニュース
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
〔講師のつぶやき〕
新年あけまして,おめでとうございます。
「こんな世の中のどこがおめでたいというのか」と,そんな声も聞こえて来そうですが,お互い今年も元気にたたかえる,その新しい1年を迎えることができたことを喜びましょう。
1月は「仕切り直し」にはふさわしい月です。みなさんにも「新年の計」を立てられた方が多いのかも知れません。その中に,「独習の強化」「『資本論』にかじりつく」というのが大きく書かれていると嬉しいです。
さて,今回は,感想やご意見がとても多かったので,そちらを紹介していくことにします。
◆工場法が果たした歴史的役割が非常に興味深かったです。マルクスも2種類の見解を示しているとのことですが、蓄積元本の獲得に必要な労働だと考える方がしっくりくるのですが? 資本論をまだ完読したことはありません。以前レジュメを作る必要にせまられて一文一文必死で読んでいた頃、゙難しい゙でも非常に噛みごたえがあって、理解できたとき喜びが得られる…そんな文章に感じました。冒頭で先生がおっしゃたように、今回は難解な部分は読み飛ばしつつ、全体の流れを理解することを目標に読み進めていきたいと思います。資本主義にどっぷり漬かっていると構造的な負の側面等は見えにくくなるものだと思いますが、今回学んだような資本主義の歴史の過酷な一面を知り、客観的な思考が出来る人が増えてくれば…事実を゙知る゙・゙学ぶ゙ということの重要性を改めて感じました。
――1行ごとにかじりつくという読み方と,概要をとらえるという読み方と,結局,どちらも必要なのでしょうが,その時々に応じて,つかいわけるしかない気がします。「いま」を大局的・歴史的にとらえるという視野は本当に大切です。過去100年間の時代の変化は急速でした。そして,それ以上に急速な変化が21世紀にはあるのでしょう。その変化の可能性を,「いまがこうだから」という理由で過小評価してしまうことのないように,お互い,気をつけていきたいものだと思います。「2種類の見解」のところは,申し訳ありませんが,なにを問題にされているのか良くわかりませんでした。必要があれば,もう1度,書いてください。
◆「党の演説はどこで聞いても、誰がしゃべっても同じ」とこないだあるところで同じ意見を聞きました。まったくそうだと思います。学習教育運動の要は独習する人間をいかに増やすか。うちの教育部長に言っときます。
――私はその「独習する人間」づくりがとても大事だと思っています。結局,演説の内容・質を高めるということも,語り手の学習のレベルの問題だろうと思うのです。時間がかかるけれども,学びが本道なのでしょう。「急がばまわれ」「学びながら語れ」の精神ですね。
◆最初、選挙結果の分析を正確にすすめなくてはいけないという話で、その中に運動家の1人1人の質の問題が語られていました。最近、予習・復習の独習が習慣化していないし、毎月1回講座に参加することに満足している状態です。第2・第3部の『資本論講座』の開催も決まったことだし、もう一度初志貫徹で頑張ろうと思っています。
――講座では,ともかく『資本論』の欄外に書き込みをいれていくことが大切です。そして,独習の場合には,その書き込みに目をとおす。この繰り返しが効果的なのです。なにかの研究書・解説書を読むときも同じです。そこに書かれた大切なことがらを,『資本論』の該当個所に書き込んでいく。それによって「自分だけの『資本論』」を育てていく。そんなやり方がいいと思います。
◆14章P532の前の7行目「労働過程では、頭の労働と手の労働とが結合されている」で、「頭の労働」を「資本家」、「手の労働」を「労働者」と言ったが、精神労働と肉体労働の分業ではないか?
――そうですね。生産的労働における精神労働と肉体労働との分業の問題です。ただ,それらの機能が階級社会では,生産を指揮監督する階級と,それにしたがって直接的に生産する階級とにわかれていってしまうのですね。職人が賃労働者になっていく過程にも同じことが生じます。何を,いくつ,どこで,どうやって,いつ,つくるかといった問題は,今日ではすべて資本家が決定し,その生産計画の実行だけが労働者たちの仕事になっています。今日の生産的労働者の手元に残されている「精神労働」の側面は,きわめて限られたものでしかなくなっているわけです。それは,人間(労働者)の能力の「浪費」という角度からも考えられるのでしょうね。
◆資本主義の発展が、本当にいろんな矛盾をともないながら、次の新しい社会をつくっていく条件をうみだしているということが全体を通じてつらぬかれていることがよくわかりました。今の日本でも過労死など本当に過酷な労働条件があるけど、マルクスの生きていた時代と比べると、驚くほど労働条件の改善を勝ち取ってきたんだなぁと思いました。そのたたかいをする理論の裏づけをマルクスが一貫して考えて書き残したこの資本論の内容が、本当に大事な意味をもっているなと感じました。
――労働者・国民の闘う力の成長というのは見事ですね。フランスが35時間労働制を世界ではじめて法定労働時間として確立しましたが,あのフランスも1900年には週70時間労働でしたから。「人間らしいくらし」を求める労働者たちの取り組みが,次第に労働者だけのものから,社会全体にとっての常識(人としての権利)になっていきます。社会が進歩するということのひとつの現れかたですね。私も,どこかで労働運動の成長の歴史については,しっかりまとめて学びたいと思っています。
◆マルクスが未来社会について述べるやり方は、頭の中で勝手に描くことではなく、現実の社会の矛盾のあらわれの中に見出すということであると、今日の講義の説明の何ヶ所かでわかりました。補講で先生が「主婦」について話されたことに興味を持ちました。論文など書かれているものがあれば御紹介下さるとうれしいです。
――「主婦」論など直接的生産過程の外にある経済問題については,あんがい研究が手薄なんですね。しかし,今日「女性解放」を考えるときには避けることのできない問題ですから,研究の活性化が望まれる分野です。このテーマにかんする私の書き物としては,森永康子・神戸女学院ジェンダー研究会編『はじめのジェンダー・スタディーズ』(北大路書房,03年)に「第5章・主婦とはどういう存在なのか」「第7章・仕事にまつわるジェンダー・ギャップ」「コラム・労務管理のジェンダー分析」を書きました。また関西唯物論研究会編『唯物論と現代』31号(文理閣,03年5月)に「マルクス主義とフェミニズム」を書いています。前者がより市民向けで,後者は研究者向けといった具合になっています。なお,いま新日本婦人の会の機関紙『女性&運動』の4月号掲載の原稿を書いています。これは,昨年の「はたらく女性の中央集会」での私の講演の一部に加筆したものです。
◆①女性の解放のお話の中で、日本型資本主義の特殊性=男を搾取しきるために、女性が家庭にいるしくみをつくった―自らの利潤追求しか頭にない資本が本当にそうしたのだろうか。女性をこきつかおうとする企業もいてよさそうな……。②労働の強度の増大は、絶対的剰余価値?相対的剰余価値?それともいずれでもない? 聞きのがしました。今日も睡魔との闘いでしたが、なんとか頑張れました。
――今のところ,私は,今日の財界の女性活用戦略は,1)「過労死」ギリギリの労働を日本労働者の標準労働とし,これに耐えうる女性については男性なみにあつかう(いわゆる「過労死の平等」ですね),2)このレベルに耐えられない女性については,極力「短時間」の不安定雇用で搾取する,あるいは正規採用については若年定年に追い込む,3)そして「過労死」標準以外の女性労働者に,専業主婦同様,男性労働力の再生産と将来の労働力の再生産を行う家事労働を強制する,この3本柱になっているように思います。「過労死」標準の労働の一例ですが,政府統計でも「総合職」ではたらく女性の比率は全体の3%程度です。資本による「自らの利潤追求」は労働者階級全体をいかに効率的に搾取するかという見地から追求されます。「男も女もどっちも過労死レベルで」となると,家庭生活が完全に破綻しますから,それでは長期的な労働者階級の再生産ができなくなります。そこで,より体力があって安上がり(生休・産休がいらない)な男性労働力の最大限の搾取を最優先しているというのが実情ではないかと思っています。そして,それがゆるされているのは,いまだ日本における男女平等を求める力が弱いからではないかと。いかがでしょうか。「労働の強度の増大」の問題は,相対的剰余価値生産の第13章第3節に登場しています。
◆(P、533)「相対的剰余価値の生産のための方法は、同時に絶対的剰余価値の生産のための方法でもある……。」とは、(図表略)……ということですか。はじめの部分で学習についてのお話がありましたが、いかに独習する人を増やすかが大切であるという点に関心をもちました。自分の頭で考え、自分の言葉で語ることの大切さも痛感します。労働学校を受講していても「搾取を強める方法」のところが難しいと思います。ゆっくり勉強したいです。
――図示のところは「延長分」のあるなしにかかわらず,すでに絶対的剰余価値生産が必要労働をこえる剰余労働を実現しているという事実が,相対的剰余価値生産にとっての前提(出発点)です。「絶対的」はいかにして剰余労働時間を延長するかという形で追求されますが,「相対的」は労働時間の外的延長ではなく,必要労働時間の短縮をつうじて剰余労働時間部分を拡大するという形で追求されるものです。搾取論の難しさについては「価値どおりに賃金をうけとっているのに,どうして資本はもうかるのだろう」「どうしてもうけが増えていくのだろう」,この素朴な問題の解決が搾取論の課題であると,そこをつねにイメージされるといいかも知れません。
◆選挙結果について、私たちの弱点について、1人1人が政治、社会変革者として活動する、学ぶ気風、姿勢、持続力などについてよくわかった。石川先生の講義から、「資本論」は「難しい」というより「楽しい」という気分になります。以前、辻岡先生の講義、雑賀先生、明野先生達のサークル学習会でも学びましたが、一行ずつ読みこなしていくのには、私、とても苦しい思いをしました。文章を読むというのには、能力が要ると思いました。石川先生の場合、家に帰って、ちょっと「資本論」を開いてみようかという気分になります。もう一つ、私が毎日、体験している事柄と先生の話しは、共通点が多くあるのもうれしい事の一つです。
――『資本論』の学び方,しゃべり方には,いろいろあっていいのだと思います。そして,いろいろな講座がある中から,学び手が自分の時々のレベルにあったもの,必要に応じたものを選択していくということができれば,もっといいのだろうと思います。私も,すでに8年間も継続している『資本論』講座をひとつ担当しています。ですから,私のしゃべりもまたいろいろだということですね。しかし,いずれにせよ『資本論』を身近に感じてもらえるというのは,嬉しいことです。なにか考えたいことにであったときに,「あっ,マルクスはどういってたかな?」と『資本論』を手にとり,ちょっとした時間があったときに,どこか面白そうな数ページをさがして読む。そんな読み方だってOKなのですから。「『資本論』は構えて読まねばならないもの」ではなく,「いつでも読めるもの」なのです。そう思っていただけると嬉しいです。
◆マルクスが「青写真をつくることなく未来社会を示す」といっている意味をやっと自分の言葉で語れるようになりました。選挙事務所に10月、11月と勤務していたので、2回、泣く泣く欠席しました。今日までの間、第1回から前回までのテープを何度も聞き直しました。今日、出席できて,本当にうれしいです。松野さん,大変なのに、いつもテープをすぐに作って下さって、ありがとうございました。さて、今日の講義の前の、石川先生の選挙の話ですが、「独習がカギ」ということが、やはり一番共感できました。街頭でマイクを握った時、私は、いつも「私」であるように心掛けています。「私」が見えている矛盾と、私がつかんでいる確信をしゃべるようにしています。だから、毎日の学習は、私にとってなくてはならないものです。私自身がもっと質の高い人間になれるよう、さらにこれからも学習に励みたいです。「歴史認識」ということを忘れて、冷静さを失ってしまうことがよくあります。もっと学習しなければと今日の講義で何度も思いました。次回からは、何があっても受講しにきます。いつもそうですが、学習不足のために深い質問や感想が即座に出ません。すみません。
――毎日が忙しいですから,その中でしっかり学ぶのは確かに大変です。しかし,忙しさを理由に学ばなければ,永遠にいまのような社会のシンドさがつづいていくことになってしまいます。そこで,やはりこれはなんとかせねばなりません。各人の努力とともに,その努力が,大局的には労働時間の短縮につながっていくことが大切だろうと思います。それは運動発展の条件の獲得という意味をもちますから。「質問や感想」は「深い」ものである必要はありません。その人その人が,いまのレベルの自分を前に進めるということが肝心なことですから,より進んだ人はより進んだ質問・意見を述べるし,まだ学び始めたばかりの人は,それに見合った質問・意見を述べる。それでいいわけです。そして,それしかないのです。「こんな質問は恥ずかしい」と思う必要はなく,「こんな質問はサッサと片づけて次へ行こう」と,そこのバイタリティを発揮することが大切です。
みなさんからの質問・ご意見に対する私なりのコメントは以上です。
〔つぶやきパート2〕
以下は,付録です。年末に行われた関西勤労協の第29回総会での発言を文章したものです。タイトルは「理論研究活動の強化と独習をはげます活動について」です。労働者の学習教育運動の発展を願う立場で,どういうことを私が考えているかの紹介です。
科学的社会主義の理論の発展が急速です。「帝国主義」の概念をめぐる新しい問題提起もそのひとつです。レーニンの時代には,平和を願う世界の運動の力がまだまだ弱く,その結果「帝国主義」がその国と世界の全体を支配しました。それに対して,今日では「帝国主義」の野望を,各国市民の力で押さえ込むことが可能になっている。だから,独占資本主義だからといって,その国を自動的に「帝国主義」だとはいわない。そういう提起です。
これに対して,「それではカウツキーと同じではないか」「資本主義・帝国主義の美化論ではないか」という意見もあるようです。しかし,それは正しくありません。先の提起には,今日の独占資本主義に「帝国主義」への野望がなくなったという種類の評価はどこにも含まれていません。
カウツキーは,平和的な帝国主義について語りました。しかし,それは今回の提起とはまったく違ったものです。カウツキーには,「帝国主義」の侵略的性質を封ずる各国市民の力は登場しません。その力なしに,独占資本主義それ自体が,自ら対外侵略的政策をとらなくなる「超帝国主義」の可能性があると,カウツキーはいいました。新たな提起と,このカウツキーの帝国主義美化論との相違は明らかです。
ところで,考えておくべきは,こうした理解の混乱をともなうほどに,理論の発展が急速であるという事実です。70年代なかばに「マルクス・レーニン主義」という言葉の使用をやめ,それ以後,「古典家」たちの業績の範囲にとらわれない,新しい研究がさまざまに進められました。この数年の理論展開は,そのひとつの集大成といっていいでしょう。
そのよう時代だからこそ,労働者教育運動にもそれに「遅れない」,身をひきしめた努力が必要です。2段構えにするという理論研究委員会の活動に関する提案は,若い講師の育成とともに,その点を重視して打ち出されているものです。
他方で,新しい理論展開に「遅れない」努力は,あらゆる個人にとって必要です。その努力の基本は独習です。各種の運動に「毎日少なくとも1時間の独習」を当然の気風として打ち立てることは切実な課題となっています。私たちの運動にも,この「独習の気風」を励ます工夫が求められます。取り組みが遅れていると思うことの1つは,文献案内です。若い世代から「何を読んだらいいかわからない」という声が良く出てきます。それを系統的に知る場がないのです。
重要なのは各種ニュースとともに,ホームページの充実です。たとえば,そこに「哲学の基本を学ぶ人にはこの本がオススメ」「日本経済についてはこの本」といった,さまざまな文献紹介があり,さらに「この本を読んでの私の感想は」といった読書についての仲間の肉声がある。また,話題の新刊本については,すぐにかんたんな紹介文を出し,できれば本の注文も受けつける。そういう攻勢的な工夫がいると思うのです。「本の紹介なら勤労協のホームページを見ろ」。こういってもらえるようなページづくりです。このページづくりについては,ベテランの知恵とともに,特に若い人たちの感性に期待したいと思います。
〔今日の講義の流れ〕
1)「講師のつぶやき/質問にこたえて」(~2時)
◇たくさんの意見,質問へのコメント。
◇労働者の学習教育運動にたずさわるものとして。
2)「第6篇・労賃」
「第17章・労働力の価値または価格の労賃への転化」(~2時30分)
◇『資本論』第2部への序言から
◇労賃は搾取の本質を隠す現象形態/奴隷や農奴の労働との比較/現象から本質へ
3)「第18章・時間賃金」「第19章・出来高賃金」「第20章・労賃の国民的相違」
(2時40分~3時30分)
◇資本家は「剰余労働」を意識しない/どちらの形態が資本家に都合がいいか
◇「補足1」――労賃と社会保障/「成果主義賃金」/「新時代の『日本的経営』」
4)「補足2」――積み残してきた問題をふりかえる(3時40分~)
◇経済学の方法について/市場経済と社会主義/人類史的共同の3段階
◇剰余価値論の意義/工場法と現代/資本主義の重層構造
「市場経済と社会主義」
・市場経済の効用と否定面と
〔否定面〕恐慌の可能性,貨幣のためこみ主義と貧富の差,資本主義の形成
〔効用〕需要と供給の調整,複雑労働の単純労働への還元,生産性上昇への刺激
・市場経済の問題でのレーニンの大転換
〔マルクス・エンゲルス〕社会主義と市場経済は両立しないと
〔レーニン〕国家が生産と分配を握る「戦時共産主義」の方向へ/21年「新経済政策」への転換/「第3の道」の探求から市場経済へ/資本主義との競争に耐える社会主義を
・スターリンらは,市場経済に代わるモノサシを見つけられなかった/なんでも重さで/フルショフの批判のあとも変化はなし
・市場経済による点検の重要性/東西ドイツの格差/中国・ベトナムは世界史的意義のある挑戦
・「市場経済を通じて社会主義へ」の道にどんな問題点があるか/市場の否定面にどう対処するか/先進国にはルールがあるが中国・ベトナムはこれから/市場経済は政治面でも民主主義の拡大を求める
2004年1月6日(火)……総合社会福祉研究所のみなさんへ。
以下は,『福祉のひろば』のために書いた「用語解説」です。ゲラの段階で,もう一度,手をいれます。
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〔福祉のひろば〕
解説「構造改革特区と社会福祉」
神戸女学院大学・石川康宏
http://web.digitalway.ne.jp/users/walumono/
小泉内閣の「構造改革」は,アメリカ大企業・大銀行むけの市場開放と,日米大企業が求める規制緩和の実施を大きな柱としています。「構造改革特別区域法」(2002年12月公布)にもとづく「構造改革特区」は,この規制緩和を促進する中心的な手段と位置づけられています。これは,まず地域限定で規制緩和の「実験」を行い,それで「特段の問題のないものは速やかに全国規模の規制改革につなげる」(2003年版「骨太の方針」)というもので,各地での「実験」にお墨付きをあたえる組織としては,すでに政府の特区評価委員会(委員長・八代尚宏日本経済研究センター理事長)が立ち上がっています。2003年4月のスタート以後,8月までに全国164の特区が認定されており,10月には,さらに第4次の特区募集が行われています。
「構造改革特区について」(03年9月,内閣官房構造改革特区推進室)は,特区の目的が「我が国経済の活性化」「民業の拡大」にあるとして,その具体例に,教育特区,国際物流特区,農村活性化特区,国際交流特区,まちづくり特区,新エネルギー・リサイクル特区,地方行革特区,福祉特区,医療特区,産学連携特区をあげています。ここにつらぬかれるのは,各種事業に対する国や自治体の責任を後退させ,それらを大企業の自由な営利活動にまかせていくという方向です。
福祉特区と医療特区には,特別養護老人ホームや病院経営への株式会社の導入があげられています。これは福祉や医療を提供する国・自治体の責任を放棄し,財政の構造をますます大企業本位につくりかえながら,「福祉の民営化」によって民間企業に新しいビジネス・チャンスを与えようというものです。この構想の背後には,日本の大企業と,日本市場への進出をさらに深めたいアメリカ大企業の野望があります。たとえば,96年には日本最大の財界団体である経団連(当時)が「内外企業の自由な事業展開を認める経済特区・エンタープライズゾーン(企業優遇地域)」を提言していました。また,02年4月の経済財政諮問会議で,今回の特区実現の大きなきっかけをつくった民間4議員は,そのうち2人が奥田碩・日本経団連会長と牛尾治朗・元経済同友会代表幹事という日本財界の文字どおりのトップでした。さらに,03年3月に「対日投資促進プログラム」をつくるなど,政府はアメリカ大企業等の日本進出を推進していますが,実は,福祉分野への株式会社の進出は「在日米国商工会議所」からの強い要求でもありました。こうした経過があったので,5月に来日したブッシュ大統領は,日米首脳会談の中であえて「構造改革特区は創造的な取り組みだ」と高く評価してみせました。
これらの動きを見ると,国と地方での「大企業・アメリカいいなり政治」の転換を大きく展望しながら,全国各地での特区の実際をよく監視し,その問題点を具体的に指摘していく取り組みが大切になっていることがわかります。
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