2003年3月17日(月)……
以下は『経済』5月号に掲載する兵庫学習協での『資本論』講座の紹介です。実際に掲載されるものは多少これと違っています。
本誌連載の不破論文「マルクスと『資本論』」をテキストにして
2003年2月23日
神戸女学院大学助教授・石川康宏
2002年3月2日から12月7日まで,兵庫学習協では不破哲三「マルクスと『資本論』」をテキストにした『資本論』講座を行いました。
《なぜ不破論文をテキストにしたか》
いつもであれば講座は,第1部を中心に『資本論』そのものを学ぶという方法をとっています。今回はその方法を変更して不破論文を,しかもまだ連載途中(2002年1月号から)の論文を追いかけていくという試みになったわけですが,そこには次のような理由がありました。
第一は,『資本論』にそって『資本論』を学ぶという,その繰り返しに対する一定のマンネリを打ち破りたいとの願いです。
もちろん『資本論』そのものに取り組むのが『資本論』学習の本道であることはまちがいありません。しかし,特に講師を引き受ける私自身に「同じ講義の繰り返し」を避けたいという思いがあり,そこで,京都学習協で『エンゲルスと「資本論」』をテキストに講義を行った経験もあったので(その時にはすでに出版されていた単行本をテキストにしました),思い切って不破論文からの新しい刺激に期待をかけたいと事務局にもちかけたわけです。
このマンネリ打破への要望は,特に長く『資本論』に接してきた受講生たちにもある程度共通する気分であったと思います。
第二に,こちらがより積極的な理由ということになりますが,受講生たちのあいだには『エンゲルスと「資本論」』に始まる不破氏の一連の『資本論』研究に対する強い関心がありました。
しかし,それらの著作はかなりのボリュームをもち,研究論文ですから読むにもそれなりの苦労が欠かせません。そこで「読みたい」という希望はもちながら,しかし「手がでない」とあきらめがちの人もいたわけです。
今回の取り組みは,そうした周辺の人たちの潜在的な要望に応えることも目的としました。実際「講師が解説してくれるのならこの機会に」という声が,受講希望者の中にはいくつもありました。
毎回の講座では,参加者全員がもちろんテキストである本誌を手にしています。論文にはかなり細かく章や節の見出しがありますから,見取り図的なレジュメはあまり必要がありません。
前の学習会で出された質問への回答を除けば,1時半から4時半までの月1回の講義時間は,できるだけたくさん論文を読み上げ,それを解説していくことに費やしました。
毎回「連載の1回分」というのが進度になりましたから,読む量は決して少なくありません。しかし「毎月1冊が終わる」というのは,いかにも進んでいるという実感を得ることができ,案外適切な量に思えました。
また,これが連載途中の論文であるということは,最新の研究成果を先進をきって「追いかけている」という満足感も与えてくれます。
長大な研究論文を最後まで読み通した喜びは,最終講義のあとでの受講生たちによるアルコールつき懇親会の盛り上がりにも良く表われていました。なお,受講生からは「まだ『資本論』を読んだことがない」「ぜひ読んでみたい」という声もあがりました。
《受講生たちの学びの特徴》
『資本論』講座は私にとって7回目ですが,今回の受講生たちの学習にはやはり独特の特徴があるように思えました。
その第一は,再生産論と恐慌論を柱としたマルクスの理論的発展を追うなかで,マルクスの苦労や失敗にふれ,それが,マルクスを「出来上がったものとして読む」のではなく,マルクスに対しても「科学の眼」をもって接することの実地訓練になったという点です。
不破論文はマルクスの研究には含まれながら『資本論』には収められなかった「ミッシング・リング」の探求を目的としており,その探求過程にはマルクスが試行錯誤や誤りを繰り返す姿が何度も登場します。
その経過を論文にそって追体験するうちに,「マルクスを歴史的に読む」ということが単なるスローガンとしてではなく,実感をともなうものとして学ばれているように思えました。
「マルクスでも何度もまちがったのだ」「どうしてあんなまちがいをしたのだろう」「良くもまあ考え続けたものだ」「なぜ同じ失敗をくりかえすのか」等,様々な形で出てくる感想や疑問は,少なからず受講生たちがマルクスへの科学的な接し方を自分のなかで整理していく通過点であったのだろうと思っています。
第二に,テキストは現実世界の学問的把握に挑戦するマルクスの科学的精神を教える絶好の文献でもあったと思います。
論文はマルクスの経済学の核心を多角的・重層的に解明しており,もちろんそれは経済学の内容そものもへの理解を大いに深めてくれます。
しかし,その上になお経済学の革命にいたるマルクスの大変な努力の様子を知ることは,時代に挑むマルクスの科学的で不屈な探求の精神を教えるものにもなっています。
「ニューエコノミーとマルクスの関係はどうなるか」「IT革命で恐慌論はどうかわるか」「現代の不況を理解するうえでのマルクスの有効性は」。こうした21世紀の現代に焦点をあてた,いささか手にあまる質問が毎回のように出てくる背後には,何より私たちがくらしている現代の理解に「マルクスの目」を活用したいという,積極的で前向きな姿勢があらわれていたと思います。
もちろん1度の講座で不破論文の内容があまさず汲み取れるというものではありません。「やはりむずかしい」という感想もあり,「読み残した部分がある」という声もありました。
しかし,学習には「わからない」ことを見つけて落ち込むのでなく,「わかった」ことの積み重ねを楽しんでいく楽観的な加点法の精神が大切です。不破論文は受講生それぞれに,その新しい「わかった」をたくさん積み上げ,また新しい課題をなげかけてくれたと思います。
単行本にはかなりの加筆・補正がありますから,共に学んだみなさんには,それらを確かめながら「復習」を行ない,あらためて頭の整理をしていくことを呼びかけたいと思います。そして,私もまた新しい「わかった」を今後の『資本論』講座に活かしていきたいと思います。
楽しい経験でした。
2003年3月1日(土)……以下は5月から京都学習協で行う第2回・現代経済学講座の呼びかけ文です。
公共事業,金融ビッグバン,円ドル関係,銀行国有化
日本経済の現状をどうとらえるか
--アメリカとの関係に焦点をあてて……--
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
《不良債権処理加速へのアメリカの圧力》
2002年10月30日に発表された「総合デフレ対策」と「金融再生プログラム」は,小泉内閣の経済面における対米従属の深さをあらためて認識させるものとなりました。7大銀行頭取たちの共同会見という異例の「抗議」を生み出したこの政策は,日本の大銀行を「国有化」に追い込み,多額の不良債権を市場で売却することで,いずれもアメリカ金融・経済界の要請に見事にこたえるものになっています。「国有化」はアメリカ資本への銀行売却の道につながっており,不良債権の売却はアメリカの不良債権ビジネスに新しい金もうけの材料を与えるものとなっています。
アメリカ政財界がいかに執念深くこれを日本政府に求めてきたかについては,『前衛』1月号の大門実紀史論文をご覧ください。多くの資料を活用した見事な論文です。また大門氏のホームページには,この「プログラム」がアメリカの要望にそっていることをめぐる竹中平蔵氏等との国会論戦が公開されています(日本共産党のホームページから入ることができます)。ぜひご覧ください。
《公共事業と不良債権処理》
こうしたアメリカからの圧力を考えるときに,あわせて重視すべきは,もう一方での「公共事業」推進に対する圧力の後退です。1990年の「日米構造協議」は93年に初めて「公共事業50兆円」を実現させ,日本に本格的な「土建国家」を形成するうえで重要な役割を果たしました。これがきっかけとなって13年間で630兆円の事業を行なうという「公共投資基本計画」がつくられます。
ところがブッシュ政権に大きな影響を与える98年の「アーミテージ報告」は,「橋や高速鉄道」等の公共事業を無駄な政策だとして,日本におけるこれらの推進にストップをかけようとします。あわせて,この報告は日本政府による不良債権処理を強調します。今日のアメリカ政財界は,明らかに90年の「構造協議」の段階とは違った内容をもつ対日経済政策を追求しています。
《あらためて日米関係を問う》
あらためてアメリカに対する日本の国家的従属が問われており,日本国民にとっては経済主権の擁護と確立が重要な課題になっていると思います。こうした現実経済の大きな動きを踏まえて,私は2003年度の第2回現代経済学ゼミでは,戦後日本経済の発展をアメリカとのかかわりに焦点をあてて学び直したいと思っています。
従来,私は「構造改革」を主張する自民党の経済政策を,グローバリズムと土建国家との対抗と妥協という側面からとらえてきました。自民党がすでに「新自由主義的改革」の党になっているという評価に対しては,そうではなく土建国家的財政構造は改革されずに温存され,だからこそ改革の名で公共事業を推進する「都市再生」路線が生まれおり,また当初予算で公共事業費を削減しながら補正予算でこれを追加する「支離滅裂」「右往左往」が起こっていると考えてきました。そして,そのグローバリズムと土建国家との両面ともがアメリカの強い圧力の下におかれていることを指摘してきました。
《日本政財界との協調や摩擦も》
しかし,私のこの判断には,当のアメリカ政財界が対日経済政策としてのグローバリズム(市場開放・規制緩和)と土建国家(公共事業拡大)の両面をどうとらえてきたのか,その関係への分析が含まれていませんでした。「構造協議」の段階では市場開放・規制緩和と同時に公共事業拡大が求められたが,その段階で両者が統一されていることにはどういう意味があったのか。また,現在,公共事業推進の比重が低下していることにどういう意味があるのか。そうした変化は日本の政財界とのあいだにどのような協調や摩擦を生んでいるのか。
どうにも問題は大きく,手にあまるという思いは強いのですが,しかし自民党の経済政策の現在や日本経済の今後を考えるうえで,これはやはり避けることのできない問題です。ぜひ取り組んでみたいと思います。
《優れた研究論文に学びながら》
現実にどういう形で講座を行なうかはなかなか難しい問題です。こういう課題にピッタリ合致する1冊のテキストがあるわけではありませんから,やはり優れた多くの研究論文に学ぶということが中心になるでしょう。講座の概要は下のように考えています。
講義の方法としては,これらの研究論文を配布した上で,しかし,必ずしもその紹介ではなく,それらに学びながらも自分なりの意見を述べるというものになりそうです。いささか私自身のための学習と模索という色彩が強くなるかも知れませんが,そこはご勘弁下さい。
〔第1回〕林直道「戦後日本経済の50年」(『日本経済をどう見るか』青木書店より)
〔第2回〕大槻久志「第二次大戦後の日本経済と世界」(『「金融恐慌」とビッグバン』新日本出版社より)
〔第3回〕今宮謙二「基軸通貨ドル体制不安の基本構造」(『金融不安定構造』新日本出版社より)
〔第4回〕大野隆男「公共投資・公共事業の歴史」(『公共投資改革論』新日本出版社より)
〔第5回〕工藤晃「出発点が間違っている」・池田幹幸「日米諮問委員会路線下の日米構造問題協議」(『日米構造協議』日本共産党より)
〔第6回〕工藤晃「90年代不況と現代資本主義」(『混迷の日本経済を考える』新日本出版社より)
〔第7回〕上田耕一郎《クリントン政権の経済グローバリゼーション戦略について》(諸著作より)
〔第8回〕志位和夫「日本経済をどうするか」(『民主日本への提案』新日本出版社より)
2003年3月1日(土)……以下は宇治市で行っている『資本論』講座へのミニニュースです。
財界は日本の銀行をどうするつもりなのか
2003年2月23日
神戸女学院大学・石川康宏
http://www5.ocn.ne.jp/~walumono/
先月は風邪をひいて『資本論』講座を休ませてもらいました。この6~7年で病欠はたしか初めてだと思います。申し訳ありませんでした。もう良くなりましたが,今年の風邪はたちが悪いです。最後は気管支炎が長引いてやっかいでした。
正月に日本経団連が,むこう25年を見とおした日本の経済社会についての長期ビジョンを示しました。通称「奥田ビジョン」というやつです。例の消費税16%とか18%とかの増税を提案している文書です。私としては特に対米関係に注目して読んでみました。というのも昨年10月30日の「金融再生プログラム」が,日本の大銀行を国有化に追い込み,さらにこれをアメリカの大銀行に売却するという方向になっていたからです。
しかし手にとった「奥田ビジョン」にはアメリカとの関係にふれる文章は1つもありませんでした。100ページを超える文書の中に1つもないのです。驚きでした。日本の銀行資本を「日本独占資本」の地位から消し去ってしまうのかどうかの大問題です。日本の金融市場を今後どうしていくかの大問題です。ところが,その大問題について何1つ書かない。書くことができない。
「財界内部に合意ができないのだろう」。そういう推測をすることはできます。しかし,アメリカに対して「日本の銀行を守る」という意思表示はどこにもされません。どうも90年代以降の「勝ち組」と「負け組」の分岐のなかで,トヨタを筆頭とする「勝ち組」大企業が「負け組」の整理にかかっているようです。ちなみに日本経団連の会長・奥田碩氏はトヨタ自動車の会長でもあります。
さて現在『資本論』は商業資本論の範囲です。先日,西武百貨店の「倒産」が大きな話題になりましたが,自分たちでは生産をせず,商品を生産現場から仕入れて消費者に販売するデパートなどの商業資本はどういう仕組みで金をもうけるのか。そこが詳しく解明されています。
そして,その次の篇は信用論・銀行論の領域です。選挙も間近になり忙しい毎日ですが,日本社会の民主的改革を求める運動家たるもの「1日1時間」程度の学習は最低限の栄養です。その栄養なし,深い納得をともなう説得をすることはできません。力と運動が求められる時期だからこそ,しっかり学びつづけていきましょう。
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